02/21/13

ICOMAG 2013「批評」のテーマから考えたこと/reflexion on the aim of ICOMAG 2013

先日、文化庁主催のメディア芸術コンヴェンションが東京六本木で開催された。私は遠方におり、非常に関心があったにもかかわらず参加することが出来なかった。しかし、海外でメディア芸術に携わるアーティストや研究者からもこの会議のコンセプトについてのコメントをもらうという座長吉岡洋さんの提案のおかげで、第3回メディア芸術コンヴェンションのテーマ(icomag site)について、すなわちハイブリッドカルチャーにおける批評の可能性について、パリ第8大学のジャンルイボワシエさんおよび彼のセミナーに所属する数名の研究者と意見を交換することが出来た。日本で行われたリアル会議とは別の文脈であるが、日本のポピュラーカルチャーについての考察(あるいは、一般的に文化の越境という現象を考えること)にかんして、あくまで私自身が日頃抱いている問題をまとめながら、この議論のことをこのブログに記録したい思う。

今日よく知られているようにフランスは、世界的で日本に次ぐマンガの消費国である。パリでは毎年(昨年は20万人を動員)ジャパンエクスポや、大規模なコミケ、パリ•マンガサロンなどが盛況を収め、日本のマンガは、彼らのオリジナルカルチャーであるバンド•デシネ(Bandes desinées)を経済効果の点で遥かに上回って(しまって)いる。日本のアニメやゲームの人気も高い。その勢いは日本食、日本語教育、伝統文化も一緒くたに波及し、ジャポンは、所謂「クールジャパン」でプロモーションされてきたセクターのみならず全体的にクールである。こういったファンタジー的憧れは、ワンダーランドとしての遠き島国を思い描く想像力がいかにも簡単に紡ぎだしそうな物語のひとつである。そしてこのシステムは、日本に対してのみ向けられる特異な視点を裏付けるものでは全くないのであり、むしろ、日本のガールズが花の都パリ(死語?)に憧憬の念を抱く際の一生懸命さ(およびそれを支える日本のコマースとツーリズムの努力)のほうがよほど素晴らしいし、この程度のファンタジーは世界中に溢れている。ただ、日本を巡る物語についてやや驚くべきことがあるとすれば、そのファンタジーが今日においてもまだ機能するという日本のしつこいワンダーランド性である。

座長吉岡洋さんが昨年の3月にブログに掲載した「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか?」を先日フランス語に翻訳し、ウェブに掲載した。( text in French on salon de mimi, on blog by Hiroshi Yoshioka, original text in Japanese is here.) その記事の末尾は「「メディア芸術」をめぐる過去2回の国際会議の企画とはわたしにとっては、日本におけるポスト植民地主義を目指す文化的闘争であったのだ。」と結ばれている。このテクストは、1980年代に成熟し90年代には既に海外で積極的に受容されたマンガやアニメを、生みの親である日本がなぜ、2000年代後半になるまで自らのナショナルな文化と認め、外交戦略化しなかったのかをクリアーに説明する。(なるほど、そういえば精華大学におけるマンガ学部設置は2006年、京都マンガミュージアムの会館も2006年、外務省のポップカルチャー発信士/通称カワイイ大使任命は2009年である。)このテクストは、さらに、なぜ海外で日本人としてポップカルチャーを発信する際になんとなく後ろめたさが伴うのだろうという私個人の内省的体験にも、ひとつの解釈を提示してくれた。(このことは自分のブログでゴシックロリータの装いで文化レクチャーをすることを綴った記事や、高嶺さんの展覧会を論じた記事でも書いた。) 私はこのテクストを次の二つの点で重要と見なし、日本語以外の言語に訳される意義を見いだしている。一つ目は、日本人が日本のポップカルチャーをに対して抱いている「恥ずかしさ」(「恥ずかしい」というのはつまり、何らかの後ろめたさやそれを認めたくないとする気持ち)の存在を率直に肯定したこと。二つ目は戦後日本の植民地主義/意識を巡る問題について、日本社会がこの問題を隠蔽し直接対峙することなく現代まで先延ばしにしてきたという筆者の考えを通じて正面から文章化したことである。もちろんこの二つの点は互いに強く関係し合っていて切り離すことは出来ない。

まずは、「恥ずかしさ」を切り開らくことから始めよう。

当たり前のことだが、我々日本人がクールジャパンを恥ずかしく思っているなどということは、特定の社会的コンテクストを共有しない外国人には知られておらず、この内実は理屈で理解されることは可能であれ、いささか複雑化され過ぎており、日本人自身が言語化しきれずにいるという事実がある。ともあれ、そんなことは彼らの日本現代文化への熱意を邪魔もしなければその魅力を傷つけもせず、つまりは比較的どうでもいいことですらある。つまり、日本の外(あるいは内)でサブカルで括られる表現活動を受容吸収する多くの若者(あるいは若くない人々)にとって、異種混交的文化(hybride culture)とは、ある程度国際的で一般的な状況に収集できる事態である。誤解を恐れず言うなら、大きな流れとして今日の世界は、日本でもヨーロッパでも共通の枠組みに置かれていると見なしうる。文化の商業化•脱政治化傾向もまた、国際的なコンテクストで語られ得る。

それはそれでよいのだと私は考えている。日本固有の社会•歴史的背景に基づき、日本的ハイブリッドの特殊性を分析し、それを語ることは繊細で丁寧な仕事であり、必要不可欠なプロセスである。一方、日本でしばしば議論されてきた「メディア芸術/Media Geijutsuとは何か?」に代表される問いはとても厄介である。なぜなら、「メディア芸術」という言葉をMedia ArtではなくMedia Geijutsuと英訳すること自体がややもすれば対話を拒絶する姿勢の表明であると解釈されかねないからだ。このことはもっと丁寧に説明されるべきであり、ひょっとしたら語弊があるかもしれないが、私は「メディア芸術とはなにか」とか「メディア芸術のどの点をもって芸術なのか」という命題の答えを定めることに重要性を感じていない。むしろ、芸術という日本語の言葉が予め持っている特性に関わりすぎることに拠って、もっと大きなものが見えなくなる恐れがある。こういうのこそ実は、潜在的にotaku-likeな言説の一つになりかねない議論であり、言語ゲームに終始するならばただのdis-communicationに陥ってしまう。

オタクは「彼らが属するコミュニティー内では社会的態度でふるまうが、その社会性はコミュニティー内部に限られる」という側面がその意味の核を作っており、オタク的○○あるいはotaku-likeな○○という表現に応用されることによって、マンガ•アニメのフィールドに関わらず、広く使用できる。たとえば、メディアートを語るための専門的でテクニカルな言葉、科学の研究者が使う一般人の理解を全く期待しない専門用語、あるいは、(言語の壁までもその対象になるとすれば)、日本人にしか理解しがたい議論、それをあたかも翻訳不能であるかのように努力もせずに語る態度はすべてotaku-likeである。じつは、日本のマンガやアニメ、ゲームの領域が自己再生産的に成長できる自給自足のシステムをもっていることが、この領域の批評の難しさの本質をついている。フィールドのオタク的なあり方それ自身が、自らが理解される可能性を自己閉鎖していると言えよう。専門化したフィールドに対話の可能性を見いだしていくのが批評だとすれば、そのプロセスは、そのフィールドの内側にある言葉を大切にし、その言葉を通じる言葉(もっと意味のある言葉)に言い直すことから始まるに違いない。

現代のハイブリッドカルチャーにおける批評可能性は、したがって、通じる言葉で語る人々とそれに心静かに対応するotオタクの人々のやりとりを活性化することにある。私はotaku-likeな言説それ自体を否定しない。なぜなら、otaku-likeな語りこそ、各々の表現活動の現場にもっとも違い場所で生まれて語られる言葉だからだ。それらはただ、開かれて相互理解可能になればいい。

また、マンガやアニメ、ゲームが堂々と日本文化の仲間入りするのを長年妨げた日本的思想に「文化や芸術を経済•産業に結びつけるなんて、なんだかはしたない!」という暗黙の了解がたしかにある。(「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか」で指摘された通りである。)マンガやアニメ、ゲームの強力な経済活動との結びつきに批判的な目を向ける考え方だ。この妙にエレガントで日本的な思想は話し合いの参加者を驚かせることとなり、いわゆるハイアートであっても本質的に経済活動のコンテクストから逃れられないのだから、その点をもってハイとローの文化•芸術を分けることは出来ないという結論に至らせた。このハイとローの価値観、カルチャーとサブカルチャーといった対比そのものが今日やや時代遅れの議論ではないかという率直な感想も上がった。

ポピュラーカルチャー(大衆文化)の意味するところは、4つある。大衆にさし向けられる文化、大衆が消費する文化、既存のものを覆すために大衆が生みだすアヴァンギャルド的な文化、そして、消費者の大衆が生産者も兼ねるような過渡段階に位置する文化。ポピュラーカルチャーと言う時、一般には大衆が消費する文化をさす場合が多いのだが、上述の4つの意味を考えるならば、なるほど、現在いわゆるハイカルチャーと考えられているフィールドだって一定時間よりも以前、オリジナルのものが大衆により「日本化」したこともあるし、既存のものを破壊する芸術運動から作り出されたものだって含まれる。そう思ってみれば、この区別も線を引くことに目くじらを立てずともよろしい。たしかに我々は、誰から教わったのか今となっては思い出せない超謙虚な姿勢を美徳として共有している。日本のハイカルチャーにはオリジナリティがなくていつも西洋の真似をしてきた、マンガとアニメくらいしかソフトパワーになってない、という考えがその典型だ。この考え方はいささかペシミスティックすぎる。

さて、otaku-likeなパロールの(悪)循環は、各々のフィールドのみならず、「日本語」という言葉すらその仕組みのなかにそのまま含むことができてしまう。どういうことか。特定の社会や文化についての共通知識を前提として要求するような話(存在する殆どの議論はもちろん何らかのコンテクストをもっているが)では、デリケートな内容はなかなか翻訳されにくいので、そこには高い言葉の壁があるように見える。あるストーリーが言語間を越境する困難はあっていい。それがうまく伝わらないのも、理解が難しいと受け止められるのも、いい。ただ、それを自己を防御し他者を攻撃する手段として利用するようなくだらないスタンスがあるとすれば、それは直ちに放棄するべきだと思う。非日本語話者に解らないからとインターネット上で日本語で誹謗中傷すること。水戸芸術館における高嶺さんの展覧会「高嶺格のクールジャパン」の「自由な発言の部屋」という大事な章は、日本社会のそういった問題にも焦点を当てる。ネットの言論は本来すべからく誰の目にも触れ、誰にも理解される可能性を孕む。今日明日ではなく、いつまでも。なぜなら、それはひとたび書かれたものだからで、ネットに接続された世界で生き、そして書き、そこで何かを語るクリティークという行為は、すべてそういう性質を請け負う。展覧会「天才でごめんなさい」の会田誠さんが、膨大なツイートを無許可転載し作品に利用したことがたいそう騒がれたようだが、そんなことに目くじらを立てることほどナンセンスなことはなく、現代における発言とはもはやそのようなものだと諦め認めて、むしろそれを慈しむ「おしゃべり/talkative」な語り手になることが、異種混交文化の中で「生きた」批評をすることに繋がるのではないかと今のところ信じている。

 

02/12/13

Pourquoi avoir honte du « Cool Japan » ? / « クールジャパン »はなぜ恥ずかしいのか(traduction en français du texte de Hiroshi Yoshioka)

このテクストは、「文化庁世界メディア芸術コンベンション」の座長をされている吉岡洋さんのブログに2012年3月6日に書かれた、「 »クールジャパン »はなぜ恥ずかしいのか」をフランス語訳したものです。第一回「メディア芸術の地域性と普遍性」、第二回のコンベンション「想像力の共有地(コモンズ)」について包括しながら、クールジャパン概念がどうして我々を不安にさせるのかを解釈したテクストです。きたる2013年2月16•17日は、そのコンベンションの第3回「異種混交的文化における批評の可能性」というテーマで開催されます。批評がテーマだそうです。

ネットに書いている以上、テキストは原理的にリンクやコピー・ペーストに開かれているのであり、やりたければ勝手にやればよろしい。(略)してほしいのはただ、著者名と出典(このブログのURL)をクレジットすること、明白な誤字脱字や誤変換の訂正以外は内容を改変しないこと、これは契約とかルールとかいう以前の、当たり前のことです。ぼくのテキストに関心を持つレベルの人は、当然そんなことはご承知だと信頼しています。

同ブログに先日掲載された記事で、上記のように書かれておられたので、繊細な内容を持つテクストですが、外国語話者にもぜひ読んでほしいと思って今回フランス語訳しました。フランス語読者でご興味を持たれる方には教えてあげていただければ幸いです。

 

Pourquoi avoir honte du « Cool Japan » ?

(sources: blog, hirunenotanuki , auteur: Hiroshi YOSHIOKA, traduit par Miki OKUBO)

 

La deuxième convention internationale du manga, de l’animation et du media art, «Commons, partage de l’imagination » s’est terminée. Cette fois-ci, grâce à l’appui de Jaqueline Berndt, professeur de l’Université Seika, nous avons invité des chercheurs internationaux sur le manga, d’Europe, de Corée, d’Indonésie. Les diverses discussions ont été très riches dans la durée limitée de la convention.
Comme je l’avais déjà décrit au début de l’article précédent de ce blog, intitulé « Que signifie le partage de l’imagination ? », en effet, le thème de la première convention de l’ICOMAG a été « le caractère local et universel des médias geijutsu » avec le sous-titre « au-delà du Cool Japan ». Voici ce j’ai déclaré en ouverture de l’abstract de cette deuxième édition :

 

Manga et Animation sont généralement considérés comme le secteur principal du « Cool Japan ». Cependant, en considérant certaines phrases employées pour présenter l’originalité et la subtilité de la culture japonaise à caractère industriel, je ne pense pas qu’elles sont COOL.

 

Il n’est pas difficile d’imaginer que certains soupçonnent les organisateurs de cet événement, en dépit de leur préoccupation officiellement nationale, de détester paradoxalement le Cool Japan. (Car ces conventions sont organisées au nom du ministère de la culture.)

 

A mon avis, il y a pas mal de gens qui partagent une sorte de sentiment honteux pour le Cool Japan (pour le terme et pour le phénomène général) sans savoir pourquoi. A vrai dire, c’est moi qui ai présidé ces deux conventions internationales en les orientant audacieusement sur un message d’anti-Cool Japan. Il est donc logique d’ expliquer précisément moi-même, pas vaguement mais rigoureusement, pourquoi l’on a honte de cette notion de Cool Japan. C’est ce que j’essaie de développer ici.

 

Tout d’abord comme première raison vraisemblable, on se sent honteux du Cool Japan parce que cette expression a une odeur un peu trop commerciale. Autrement dit, elle est associée fortement à l’économisme et au mercantilisme, et elle est effectivement orientée par ces domaines. Á la base, il y a une sorte de foi traditionnelle qui rappelle aux gens ce sentiment d’infériorité (en même temps, je trouve cette « foi » elle aussi honteuse). Il ne faut jamais interpréter la CULTURE du manga et de l’animation du point de vue de l’économie. Dans le passé, ce credo a été souvent partagé par les intellectuels de gauche modérés. Certes, cette affirmation qui sépare la culture de l’économie n’est peut-être pas erronée. Cependant, il est irréfutablement évident que cette position n’est plus viable dans les conditions actuelles de la démocratie et de la globalisation. Puisque la réalité est que la culture a entièrement perdu son autonomie, ce serait une véritable duplicité que de trop insister sur l’existence abstraite d’une autonomie de la culture.

 

Dans une réunion que nous avons eue il y a quelques jours, M. Eji Oguma a remarqué cette vérité historique que la base sociale ayant permis au manga et à l’animation de franchir les frontières a disparu il y a très longtemps, et que cette infrastructure n’existe plus aujourd’hui. En effet, la puissante prospérité du manga et de l’animation résulte de conditions particulières de la société japonaise dans les années 1960 et 1970. Le Cool Japan est un simple héritage du passé. Non seulement le manga et l’animation, mais à vrai dire, la notion de « croissance économique » sont nées dans le même vieux contexte tout comme le Prix Nobel qui honorait les chercheurs japonais grâce à leurs positions libérales, il y a une trentaine d’années. Je vous assure qu’aujourd’hui il n’existe plus cette infrastructure qui nous a mené à toutes ces belles histoires de réussite, et il n’est plus d’optimisme pour croire qu’elle marche toute seule.

 

C’est aussi la raison pour laquelle, aujourd’hui, je ne considère absolument pas efficace d’encourager le peuple japonais en disant : « nous, les Japonais, avons beaucoup de qualités formidables, tout ira très bien, ne nous inquiétons pas ! » Promouvoir ce Cool Japan faisant partie du spiritualisme stérile qui est l’équivalent de l’esprit d’Yamato (Yamato Damashi : esprit national) symbolisant la période du totalitarisme et du militarisme n’est pas viable, puisque l’ensemble des conditions sociales n’existent plus.  Après toutes ces réflexions, on pourrait dire que le Cool Japan semble stupide aujourd’hui. Toutefois, en observant cette critique plus précisément, cela avoue simplement que le Cool Japan est démodé, mais n’accuse pas sa notion même.

 

À l’opposé de ce type de critique, je crois, personnellement que c’est l’idée même de Cool Japan qui contient quelque chose de très mauvais. Alors, qu’est-ce-que cela peut être ?

 

Chez Oguma que je viens de citer, il est relevé que les commentaires caractéristiques et assez fréquents des critiques occidentaux disant que la culture populaire du Japon est très intéressante alors que la haute culture japonaise serait sans originalité. Ainsi, la culture « populaire » du Japon, celle de l’Ukiyo-e (l’estampe de l’époque Edo), du manga et de l’animation contemporains est réellement impressionnante alors que la « haute » culture japonaise ne serait qu’une imitation de celle de la Chine antérieurement ou de celle de l’Occident depuis l’époque moderne. Il est vrai que, moi aussi, j’ai entendu plus d’une fois cette série de commentaires sur la culture japonaise non seulement de la part des Occidentaux mais aussi par les Japonais qui partagent leur opinion. Chaque fois, j’ai eu une forte répugnance pour ces compliments.

 

Pourquoi ? C’est parce que cette sorte de discours équivaut exactement au pire snobisme qui suppose que la culture « supérieure » apprécie une culture « exotique ». Imaginons des indigènes qui tentent désespérément d’assimiler à la culture occidentale, et face à eux, des Blancs qui chanteraient : « Ce que vous nous copiez est nul ! Le shamanisme et l’animisme de votre propre culture traditionnelle sont beaucoup plus extraordinaires ! C’est, en fait, votre culture qui arrivera à réveiller notre cœur perdu dans l’histoire. » Le Cool Japan est exactement sur le même principe. Pourquoi cette intelligentsia des Blancs serait-elle assez généreuse  pour tolérer cette étrange tradition ? Puisque ce fait se situe bien après l’élimination de la tradition de ces indigènes, qu’ils ne pourraient plus récupérer leur propre culture. La race supérieure n’a peur de rien car ces indigènes sont mentalement neutralisés et castrés en tant que peuple calme et obéissant aux Blancs.

 

Je n’ai aucunement l’intention ici d’agiter une antipathie contre l’Occident ni contre les Blancs. Toutefois, cette histoire a eu lieu dans le monde entier y compris au Japon  dans un contexte colonialiste (sans doute sous un processus moins douloureux que les autres). Nous ne pourrons jamais modifier le passé. Ce que je voudrais mettre en lumière en revenant sur le passé est le mécanisme préexistant et la mentalité colonialiste larvée qui soutiennent généreusement une culture exotique inférieure des subordonnés. Je vous signale cette vraie signification d’un point de vue tel que celui-ci : « La haute culture japonaise n’est qu’une copie, mais toute ses subcultures sont vraiment créatives ! ».

 

En effet, les dominants ont ce discours qui exprime une tentative de rédemption de la culpabilité liée au fait que ce sont eux qui ont détruit une autre culture. En revanche, quand les subordonnés le répètent, cela signifie autre chose, c’est le rêve qui répond à la motivation d’assimiler ce sentiment coupable pour fusionner avec les dominants. L’idée de base du « Cool Japan » doit être traduite comme « colonialisme incarné et assimilé ». C’est le vrai noyau du « Cool Japan » que j’appelais « quelque chose de très mauvais » et aussi le contenu authentique d’un sentiment insupportablement honteux enveloppant ce terme. J’exagère peut-être un peu, cependant, je considère ces deux conventions internationales qui s’engagent dans la problématique du « Média Art » (Media Geijutsu) comme des batailles culturelles sérieuses afin de parvenir à l’époque du post-colonialisme au Japon.

 

Remerciement:
mes sincères remerciements pour la correction du français
à Jean-Louis Boissier et à Liliane Terrier

02/10/13

会田誠 « 天才でごめんなさい » / Makoto Aida « Monument for Nothing » @Mam

会田誠:天才でごめんなさい/ Makoto Aida « Monument for Nothing »
@森美術館/Mori Art Museum

November 17 (Sat), 2012 – March 31 (Sun), 2013
museum’s site here

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「天才でごめんなさい」とはなにごとか。この人は、いったい誰に対して、何を謝っているのか?アーティストが天才で何が悪い。天才でないほうがあやまって欲しいくらいではないか?

とは言ってみたものの、本当はこの謝罪、もっと丁寧に説明されなければならないのだろう。「会田誠は天才である」。このことは半分くらいは本当で残りの半分は噓である。会田誠という表現者は、天才的な直観を持ち、その有無を言わさず天から勝手にやってきたインスピレーションを、どうすれば最大限のインパクトを以て社会に提示できるのかということを本能的に知っているという点で、やはり才能に恵まれた人である。ただし、この人が抱えている(かもしれない)迷いや悩み、葛藤みたいなものがあまりにも人間臭くて俗世の我々にも響いてくるので、この人もまた普通の人であるような気もしてくる。

そうはいっても、この展覧会タイトルを聞くと、1)なるほど、会田誠は天才なのか。それならひとつ見てみましょう、あらほんと凄いわね、とジーニアス•テーズを丸呑みする、あるいは、2)ウンコやらセックスのどこか天才じゃ、なんでこんなもんが芸術かと憤慨する、はたまた、3)神妙な顔で難しい言葉を使いながらウンコでもやはり素晴らしいアートなのだと頑張る。ざっとこのようにして、会田誠の表現しているものの周縁で煙に巻かれてしまう。それこそがナンセンスなことである。ナンセンスでもいいのだが、「面白」もしくは「気持ち悪」という率直な印象に耐えて、もう少しだけその絵(など)を凝視してみる必要がきっとあろう。

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私は日頃、相当しつこくフェミニストっぽい立場を表明しているので、キングギドラとか犬シリーズなどは、「女性や少女にそんな目を向けて、だから会田誠という美術家サイテーじゃないの」とどうせ非難するんだろうと思われるかもしれない。だが実際にはそうでもなくて、キングギドラの絵はあまりに素晴らしくてあまり長い時間見ると泣き崩れそうになってしまうし、犬シリーズに至っては、「こんなもん見たない」とおっしゃる殿方にこそ「よくよく見ました」とおっしゃるまで凝視してほしいと願い願って止まない次第なのである。ミキサーの中にぎっしり詰められた少女たちが少しずつ鮮やかな赤色を帯びていく「ジューサーミキサー」などは見ていて気持ちが良くなり、ついうっとりしてしまうほどである。

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キングギドラに犯され突き破られる大きな絵も、四肢が切られて首輪で結ばれた犬シリーズも、ギュウギュウ押された少女のお腹からつややかなイクラがポロポロひりだされる「食用人造少女・美味ちゃん」なども、直球である。あまりに正直にそれが包括する問題を提示するが故に、目も当てられない鑑賞者がいることは確かだ。ただし、描かれたものに虚偽は無い。ここにあるのが少女や女性やセックスそのものをとりまく日本社会の一つの局面あるいは一つの実在する視線を浮き彫りにしたものである。会田誠がたまたまここに形を与えたヘンタイとか飼育とか暴力に関わるようなものは、フェティッシュな趣味を持つ限られた個体だけに冷ややかな視線が注がれればいいという問題ではなく、大げさだが、人間の欲望の通奏低音として鳴り響き続けているような、しかしそれが様々な要因の生で歪曲した形で表出したものなのである。それを断固として見ないのはひょっとして、言ってみれば、自分だけ永遠のヴァージンであると信じているくらい高尚で愚かしいことである。(もちろん、ヴァージンはただの比喩であり、老弱男女みんなの話をしております)

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このようにして、会田誠の描き出す世界にはリアルな問題がたくさん具現化されているように思えるけれど、それらはユーモアとアイロニーとニヒリズムで構成されているだけではない。希望だってある。

イデアという作品がある。壁に書かれた大きな「美少女」という文字に向かって、素っ裸の会田誠ご本人がマスターベーションに励む。お部屋が寒かったことや素っ裸直立であったことなど、不慣れな環境におけるこのパフォーマンスは、シナリオコンプリートまでに1時間以上かかったらしい。素晴らしい。何時間かかってもよろしい。この作品は美少女を陵辱するものではなく、美少女を永遠にイデア界に解放する儀式の録画でもあり、さらには少女時代(少年時代)というしょうもない人生の時間を過ごしている世の中の個体を潜在的•永久的に救済する儀式ですらある。つまり、肉としての美少女なんて本当はどうでもいいのである。壁に文字を書けばいいのである。犬としての少女の絵を見たり、伊勢エビと交わる少女の写真を見たりすればよろしい。IDEAは、美術家自身は勿論プラトンのイデアのことを言っているのであるが、これは同時に一つの「アイディア=理想」を描きだす重要な作品なのである。

この他にも個人的には英語コンプレックスに関わる作品や難しい哲学コンプレックスに関わる作品は今回の記事では触れられなかったのでまたの機会に書いてみたいが、これらは会田誠という表現者の天才的なところと普通の人っぽいところが出会うためにハンパ無くエネルギッシュな作品群である。そして、最後に、「自殺未遂マシーンシリーズ」に触れて終わりにしよう。自殺マシンではなく、あくまでも自殺未遂のためのマシンであるこの何とも言えないアナログの装置は、裏も面も無く、自殺の国の日本国民にこの問題を朗らかに提示する。試行者は、頑丈そうでちょっとやそっとじゃ切れそうも無い輪に頭を突っ込み、意を決して段から飛び降りる。彼は(不運にも/幸運にも)自らの肉体をを伴ったまま、バラバラと分解するマシンとともに床に崩れ落ちる。「自殺未遂マシーン」の体験を通じて人々が得られるのは、「あかん、こんなマシンでは到底死ねん。」という途方もない事実である。こんなに絶望的で希望に溢れた試行の存在を知っただけで、芸術の表現っていうのはやはりあっていいのだ、と思える。

01/13/13

眠ることについて/ about the sleep

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眠ることは気持ちがいい。このことを後ろめたくなく言えるようになったのは、ここ数年のことである。眠ることが気持ちが悪かったのでは決してなく、素直に気持ちがいいと言えなかったのである。

 

私が覚えている限り、あるいは聞いて知っている限り、私は眠らない赤ん坊であったし眠らない子どもであった。赤ん坊は眠るはずであるから、眠らないならばなにか眠れない理由があったからに違いない。子ども時代の思い出としてよく覚えているのは、眠る時間が無駄であるという強烈な信念を小学生の自分が持っていたことであり、あまりに遅く眠ると親に怒られるというので、朝5時に目覚ましを掛けてこっそり起きて本を読んだり、算数の問題集を解いたり理科の資料集や恐竜や生き物の図鑑を眺めたりしていた(むろん、眠いのでそれが目覚ましい効果をあげたとも思えない)。とにかく、5時間以上眠ることは自分の中のルール違反であり、ナマケモノの始まりであり(ちなみに、アニマルとしてのナマケモノは素敵な生態で大好きなのだが)、限られた人生の時間を無駄にする悪いことなのだと思っていた。なぜだか分からないが眠ることへの罪悪感は殊の外深く、昼寝も出来なかった。学校の授業中、殆ど授業を聞いたことがないのは眠っていたからではなく内職(その授業の内容とは異なる単元あるいは教科の自習をすること)をしていたからであり、寝落ちしても自分を責めずに済んだのは、せいぜい、電車や地下鉄の中くらいである。もっぱら、移動手段は自転車だったので、こぎながら居眠りというわけにはいかず、したがってこれもあまり叶わぬルール違反だった。

 

この思い込みと習慣は大学に入って一人暮らしをするようになっても続き、私は引っ越すと凝りもせず実家で使っていたのと同じタイプのロフトベッドを買って、超低い天井なのにこれを組み立てて設置し、ロフトベッドというか、イメージとしてはカプセルホテルの域というか、寝台列車のいちばん低い等級の3段ベッドの真ん中というか、そんな寝床が十代終わりかけの私の日常だった。時々頭をぶつけたし、酔っぱらって帰ってきた日にはよじ登るのが一苦労だ。大学一年生の時いちど、自力で家に辿り着けなくなり友人が搬送してくれたが、さすがにカプセルホテル級の窮屈さを誇るロフトベッドまで私を運ぶことは諦めて、広々とした床に放置してくれたということもあった。(そうそう、いちばん自己への思いやりに欠けた、あるいは自己鍛錬に晒していた経験としては、インテリア的にとてもブサイクに思えて、ハシゴを設置をやめた時期であろう。これはかなりスポーティーな決断で、つまり眠るためには本格的に天井付近までよじ登らねばならない。もちろん、不可能ではないのだが。)この頃私は、それでも少しずつ、眠りを魅力的に語る人々に憧れを抱き始めていたように思う。自分は得体の知れない罪悪感のため、心おきなく眠ることができないので、友人や知人がうっとりしながら彼らの眠りの素晴らしさを語るのを聞くたびに、自分が辿り着けない至高の幸福がそこにあるように感じられて、純粋に、憧れた。

 

そういえば私が出会った人々のうち、かなり多くの人々は、友人、男友達も女友達も、眠るのが好きな人たちだった。眠るのがいちばん好きだと断言する人もおり、趣味は寝ることだと言い放つ人もおり、鼻血が出るほど驚いた。

 

いっぽう、私にも眠りに関して自慢できることがひとつだけあり、それは、私は今まで眠れなくて困ったことがないということだ。それは私に悩みがないからとか本気の心配事がないからだと言われそうだが、私にもそれなりに悩みくらいあり本気で心配している物事も幾つもある。でもぜったい眠れるのである。私は、猫の言葉も社会生活も、亀の欲望もサボテンの体調も手に取るように聴こえてくるのだが、不眠症の方々の苦しみはほんとうに未知なるものである。私はこのことを次のように考えている。

私は眠る時いつでも眠ることが出来る、なぜなら私は眠ってしまうときにならないと眠らないから。

 

。。。

 

人生の、少しずつではあるが、時間が経つにつれ、友人達が言い放った憧れの名ゼリフ、「眠るのは気持ちいい!」に実感を伴って賛同できるような気がしてきた。たしかに、カプセルホテル的ロフトベッドより、しっかりしたお布団とパリっとして同時にちょっとひんやりするシーツとか、固めのマットレスのごろごろ寝返りがうちまくれるベッドとか、身体が垂直から水平になったときに地球にしゅーっと吸い込まれそうになる感じとか、そういった感覚は、たしかに「気持ちいい」。それでもやっぱり私は眠ることそれ自体に興味がない。なぜなら、眠るためには眠る以外の意味が必要であり、その意味が充溢していると感じられるときにのみ、眠ることが幸せに思えるからだ。眠るのに眠る以外の意味があるというのは、たとえば、進まない仕事があって寝てしまえば明日フレッシュなアイディアが思いつくかもしれない、とポジティブに信じられる夜であったり、睡眠時間を確保することによって体調が維持できると思い込める時であったり、あるいは見たい素敵な夢の続きがあるとか、一緒に眠ることによって愛する人と過ぎ去っていく時間を共有することができるとか、そういったことである。常に意味は外側にあり、その何かに身を任せているときにしか、眠りの喜びを享受することが出来ないのである。

 

こういったことは、眠りだけに言えることではない。現代の私たちの生活では様々な行為ー生物的に本質的であるような行為ーがしばしばこのような方法で納得されており、このような方法でしか納得されていない。たとえば、食べることや、セックスをすることなどもその例にもれない。

 

なぜそれ自体に喜べず、なぜそのものの幸福を感じられないのか。あるいは、それをキャッチするレセプタが誰も知らないところでこっそりと破壊されているのかもしれない。

 

私は、すこし仲良くなった猫や犬であれば、どのように触ってあげると最も気持ちがいいかわかる。人間でもわりと、わかる。そうやって触ってもらって喉をごろごろ鳴らしている猫のとても繊細な表情の移り変わるのを見ていると、羨ましく思えた睡眠礼賛の精神も、あるいは、可哀想なアンチ睡眠主義の想い出も、つまりはその猫の細めた目の、切れ目の中に吸収されてしまって、そのディテールはもはや知ることができないということになる。それはほんとうのことで、それで、いい。

12/4/12

“leurs lumières” Exposition, Interview À Jean-Louis Boissier

この記事は、先日日本語版で載せたキュレーターインタビューのフランス語翻訳したものです。本展覧会は12月16日まで、サン•リキエで開催しています!12月の修道院の雰囲気は先月にもましてとても素敵になっているのでは、と想像してます。

“leurs lumières” Exposition, Interview À Jean-Louis Boissier

“leurs lumières”exposition du 13 octobre au 16 décembre 2012
Abbaye de Saint-Riquier Baie de Somme
site de l’exposition
Abbaye de Saint-Ruquier

 

Jean-Louis Boissier, commissaire de l’exposition de l’exposition  « leurs lumières » a rédigé un texte pour le catalogue de cette exposition, intitulé « Leurs lumières » : illumination et aveuglement.  (voici le lien de ce texte)

 

Dans la langue française, le mot « illumination » possède plusieurs sens. Premièrement cela va sans dire qu’elle signifie l’action d’illuminer ou bien l’ensemble des lumières disposées pour éclairer des choses. Ce sens-là est équivalent de « l’illumination en japonais/ イルミネーション » qui signifie principalement les lumières disposées pour éclairer et décorer les choses, voire les lumières « artificielles ». Lorsque l’on parle de la lumière, différencier la lumière naturelle ou artificielle, est important. Quant à l’illumination, il s’agit de la lumière produite artificiellement. Regardons toutes les lumières introduites par les artistes exposés dans cette exposition à propos de leur nature. Vous ne trouverez que trois œuvres en tant qu’illumination purement dans ce sens de lumière artificielle, tels Détecteur d’anges de Jakob Gautel & Jason Karaïndros, Fermer les yeux de Tomek Jarolim et Blind Test de Michaël Sellam . Dans les autres œuvres comme La petite fille aux allumettes de Mayumi Okura, par exemple, la lumière douce produite par le feu des allumettes est de la lumière naturelle, cependant, quand elle est projetée sur le mur pour éclairer le texte de « la petite fille aux allumettes », ce n’est plus du feu identique à celui de l’allumette. Dans « S’abstraire » de Donald Abad, la lumière joue un rôle véritablement important pour l’image du début jusqu’à la fin. Les spectateurs trouveront que le coucher du soleil, les ténèbres de la nuit et la lumière du jour entourent l’artiste et le chat aveugle de naissance. Eclipse II de Félicie d’Estienne d’Ovres que j’aborderai plus tard est aussi une œuvre de projection. En fait, la lumière projetée sur l’écran noir est évidemment artificielle bien que ce que représente cet écran rond et noir soit le soleil qui se cache. Cela possède contradictoirement un double sens. Que peut-on dire sur Lumière de Rousseau d’EMeRI ? Certes la lumière émise depuis l’écran de l’iPad est l’illumination au premier sens du terme, mais le texte de Rousseau même exprime souvent le jour et le rayon. Par exemple, un passage cité de l’Emile : les rayons du soleil levant rasaient déjà les plaines. La description du texte fait imaginer spontanément aux lecteurs la lumière de la nature.


En outre, l’illumination signifie aussi l’inspiration soudaine et le trait de génie, ou encore un état d’éveil dans l’expérience ascétique et mythique dans un sens métaphysique. Ce dernier semble être équivalent de « 天啓 en japonais » ( qui comprend la nuance « la voix de Dieu »). Quant à la voix de Dieu, il est possible que l’on considère que cette signification est positive puisque la voix de Dieu est une transcendantale. Cependant, la nuance de l’illumination n’est pas toujours positive car elle exprime un état d’éveil qui dépasse la limite, c’est-à-dire que l’excès de la lumière dans un sens religieux ne sera pas considéré comme un fait positif. Il y a un autre terme similaire : « l’édification / enlightment (en anglais)» qui signifie littéralement éclairer un endroit sombre grâce à la lumière. Ce terme est fondamentalement différent de l’illumination comme excès de la lumière. La lumière que Jean-Louis Boissier nous montre et interprète dans cette exposition concerne plutôt l’illumination. Ce fait suggère que les œuvres exposées dans cette exposition ne s’harmonisent pas tranquillement dans la nature, mais évoquent parfois le danger et l’inquiétude.

En ce qui concerne l’aveuglement (le mot utilisé dans le titre de son texte), la réflexion est beaucoup plus simple que celle suscitée par l’illumination. Dans cette exposition, il y a beaucoup d’ « aveuglements ». Light my Fire de Julie Morel ne nous montre pas en pleine lumière son texte écrit sur le mur. Lorsque la lumière est éteinte, le texte vert de George Bataille apparaît dans les ténèbres. Cette installation réfléchie semble nous transmettre un message de l’artiste : l’espace où nous vivons dans la vie quotidienne est excessivement lumineux.  En outre, comme je l’ai déjà écrit, le chat de Donald Abad est aveugle de naissance. Les spectateurs suivent la vidéo prise par le chat à travers ses yeux qui contradictoirement ne regardent rien. C’est là où nous nous trouvons dans la problématique entre le capable de voir et l’incapable de voir : nous, qui voyons, suivons notre expérience par l’image visuelle tandis que le chat qui a fait ce film est incapable de voir. Ensuite, devant l’œuvre intitulée Blind Test , il y a une note d’avertissement : « Il est recommandé de ne pas regarder directement… ». Que se passe-t-il ? Nous sommes dans une exposition d’art. Que faire s’il est interdit de voir une œuvre ? Même si vous posez ce type de questions, on vous recommandera toujours de ne pas jeter vos yeux sur ce rayon rouge malgré votre curiosité. Voici une image prise par mon appareil photo, sacrifié à la place de mes yeux et qui a capté une image inquiétante,

À propos de ces deux notions importantes : l’illumination et l’aveuglement, Jean-Louis Boissier conclut ci-dessous.

« Dans la majorité des cas où l’être humain perd sa vision, c’est à cause de la force de la lumière. La lumière excessive nous prive de visibilité. C’est souvent dans l’illumination que nous devenons aveugles. »

C’est pourquoi l’illumination et l’aveuglement sont en réalité les deux faces d’une même médaille.

 

Jean-Louis Boissier explique aussi l’œuvre symbolique grâce à l’affiche de l’exposition qui reprend l’image d’Eclipse II de Félicie d’Estienne d’Orves, en utilisant l’expression « oxymore romantique ». Le terme «oxymore » est une expression caractérisée par le rapprochement de deux mots qui semblent contradictoires, comme « Hâte-toi lentement. / Make haste slowly (en anglais) ». Dans cette œuvre présentant l’éclipse en tant que phénomène naturel, qu’est-ce qui fait oxymoron ? Le soleil est une entité primordiale et indispensable pour tous les êtres animés sur la terre bien que nous ne puisions pas le regarder directement sauf au moment où le soleil est caché : le moment de l’éclipse. À ce moment-là, il devient le soleil noir comme l’œuvre de Félicie d’Estienne d’Orves l’exprime bien. Ce soleil noir ressemble un trou noir qui absorbe toute la lumière de notre univers dans ses ténèbres. Si le soleil blanc qui nous donne la vie émet de la lumière, à l’inverse, le soleil noir dévore la lumière du monde. C’est pourquoi « le soleil noir » dans la littérature française est historiquement attribué à la métaphore de la mort.

 

Dans cette œuvre, le cercle noir est projeté délicatement sur l’écran rond également très noir. Il s’agit de la projection d’un film. Nous voyons déborder l’illumination qui n’est plus cachée sous l’écran rond. Cette dernière a des mouvements incroyablement lents et silencieux à peine visibles, jusqu’à dire que ce soleil est infiniment noir.

Il ne faut pas donc non plus regarder directement le soleil. Nous pourrions perdre notre vision à cause du soleil. L’éclipse totale est relativement le seul moyen d’observer fixement le soleil même s’il est le soleil noir symbolisant la mort. (En outre, dans ses conditions naturelles, l’éclipse totale dure à peine un instant et dans ce cas même, l’utilisation des lunettes est normalement recommandée.)

 

Poursuivant l’itinéraire, nous sommes invités à avancer vers une autre œuvre intitulée Blind Test qui nous alarme sur la perte de la vue. La lumière nous éclaire et nous fait vivre. Elle nous prive de vue dans son excès, en conséquence, elle peut nous laisser partir dans l’obscurité sans fin…

 

Or, l’Abbaye de Saint-Riquier où l’exposition a lieu est une des abbayes françaises historiques importantes. Cette abbaye a été construite sur le tombeau de Saint-Riquier au 7ème siècle lorsque Richarius a évangélisé le Ponthieu. L’Abbaye a connu l’apogée de son importance religieuse à l’époque carolingienne grâce à Charlemagne (régné 768-814). Depuis lors, elle a eu de nombreuses destructions dues aux incendies et aux pillages, mais reste aujourd’hui l’un des plus beaux édifices de France. Pendant la 2ème guerre mondiale, la salle où « l’éclipse » est exposée a été utilisée pour recevoir les soldats gravement blessés. Aujourd’hui, grâce aux activités du Centre Culturel de Rencontre (CCR), elle accueille les visiteurs internationaux pour divers objectifs.

最寄りの国鉄駅Abbeville

Abbeville駅

Le commissaire a choisi le bleu pour unifier la scénographie. L’intérieur de l’abbaye est un peu sombre et froid par l’effet de la construction en pierre dans laquelle les murs originellement blancs mais actuellement repeints en bleu séparent principalement les espaces. (Voici la scénographie sur le site). Les meubles comme la table et les supports sont aussi peints en bleus. Le bleu utilisé ici est précisé par le commissaire d’exposition : il s’agit du bleu de « l’écran bleu » de la vidéo. Autrement dit, ce bleu reconstruit les murs de l’abbaye comme un grand écran uni. Cette couleur joue aussi un rôle important en tant que signe de l’attribut informant que cette œuvre appartient à l’exposition « leurs lumières ».

Le texte rédigé par Jean-Louis Boissier traite aussi de « l’éloge de l’ombre » — le titre de l’essai de Junichiro Tanizaki (1933) et ensuite passe à la citation du texte de Yoko Tawada, écrivain japonaise, vivant en Allemagne.

 

« Ma mère allumait les lumières dès qu’il commençait à faire un peu sombre en fin d’après-midi, c’est ainsi que j’ai grandi dans un espace éclairé et uniformément blanc jusque dans les recoins. La moindre parcelle d’obscurité lui rappelait les souvenirs de la Seconde Guerre mondiale. L’économie japonaise s’est développée dans les années soixante-dix en effaçant à tout prix, par la lumière des ampoules, la mémoire de la guerre. Puis la crise est arrivée dans les années quatre-vingt-dix, sans pour autant assombrir l’éclairage de Tokyo […]. Mais peu de gens savaient que cette énergie illuminant Tokyo vingt-quatre heures sur vingt-quatre était produite à Fukushima et menaçait la vie humaine. » (Yoko Tawada, « Journal des jours tremblants »)

 

La lumière est un médium très utilisé par de nombreux artistes sur la scène de l’art contemporain. Lors de l’utilisation de ce médium, il y a indéniablement quelque chose de représentée en dehors de la lumière elle-même. L’interprétation du commissaire de l’exposition expliquant qu’il n’existe pas de lumière, à proprement parler, artificielle est liée fortement à ce fait.

 

(grand remerciement pour JL.B et pour L.T.)

11/30/12

PETITS RÉCITS SUR LE BONHEUR EPISODE 1 : RÉCIT SUR AMOUR ET SERRURE

このエッセイは、吉岡洋編集の批評誌『有毒女子通信』第10号 特集「ところで、愛はあるのか?」のために書かせていただいた、連載 《小さな幸福をめぐる物語》―第一話 「愛と施錠の物語」 のフランス語バージョン作りました!『有毒女子通信』購入ご希望の方は京都のVOICE GALLERY、あるいは吉岡編集長まで直接ご連絡ください。Twitterは@toxic_girls)(old posts of blog de mimi, salon de mimi)

(本文冒頭:「愛と施錠の物語」
愛とは、しばしば、お互いのセックスに錠を掛け合うことである。(ここでの「セックス」とは、性交渉だけでなく性器そのものや性的イヴェントなど、広義の性をさす。)
「貞操帯」というオ ブジェをご存知だろうか。「貞操帯」は被装着者の性交や自慰行為を管理するために性器を覆うように装着する金属製のオブジェである………)

Cette version française d’un article est une traduction d’un article japonais publié sur une revue « Toxic Girls Review » (Twitter account @toxic_girls) pour laquelle je travaille comme essayiste. 
Si vous vous intéressez à cette revues, contactez moi via ce blog ou via Twitter @MikiOKUBO.

PETITS RÉCITS SUR LE BONHEUR
EPISODE 1 : RÉCIT SUR AMOUR ET SERRURE

L’amour est souvent représenté par le geste commun des deux partenaires de fermer la serrure à une sexualité extérieure au couple. Ici, j’utilise le mot « sexe » qui comprend non seulement « faire l’amour » mais aussi « le sexe de l’homme et de la femme » et certains événement sexuels, bref, au sens plus large.

Connaissez-vous cet objet appelé « la ceinture de chasteté » ?

La ceinture de chasteté sert principalement à empêcher le rapport sexuel et la masturbation de celle (ou celui) qui porte cet outil en métal fermé autour de son sexe. Son apparence est bien intimidante : cette ceinture en métal ne possède qu’un trou de quelques millimètres qui permet d’uriner. À part ce trou, le sexe de cette personne est entièrement couvert pour empêcher ou plutôt pour interrompre l’envahissement de n’importe quel objet. Aujourd’hui, il existe la ceinture de chasteté pour les hommes, mais historiquement, dans la majorité des cas, cet instrument a été produit pour les femmes. Selon la recherche archéologique, il semble que l’origine de cet instrument se situe pendant les croisades du Moyen Age. Cette ceinture est apparue pour la première fois dans un dessin d’Adolf Willette, vers 1900. Certains soldats qui partaient pour de longues batailles et qui craignaient l’infidélité de leurs femmes les ont obligées à porter la ceinture de chasteté. Autres victimes ont été les jeunes filles de très bonne famille, équipées de cet outil par leurs parents pour protéger leur virginité.

French caricaturist Adolf Willette ca. 1900
Scanned from an early 20th-century book edited by Eduard Fuchs (probably Die Frau In Der Karikatur, 1907)

Pour enfermer le sexe, le fonctionnement de cet outil s’effectue en fermant la serrure physiquement. Cela va sans dire que la personne portant la ceinture ne pourra jamais elle-même ouvrir la serrure. C’est pourquoi une femme portant cet instrument qui ne possède plus de la liberté sexuelle de « faire l’amour » ou de « se masturber », n’a qu’à attendre le retour de la guerre de son mari avec patience, car c’est lui qui garde la clé. Si jamais il meurt à la guerre, la pauvre veuve est obligée de continuer sa vie castrée violemment de tous ses désirs sexuels.

Entre parenthèses, comme « la ceinture de chasteté » privatise violemment et unilatéralement la liberté sexuelle, de nos jours, elle est très présente sur la scène théâtrale des événements sexuels en tant que châtiment ou punition, afin de mettre efficacement en scène le sadomasochisme ou les rôles de « dominateur » et d’« esclave ». Au Japon, Nori Doi, artiste japonaise, plasticienne (sculpteur de poupées), a présenté les ceintures de chasteté pour les deux sexes en 1968. Son travail était véritablement scandaleux pour certains féministes et critiques, et pour cela, cette artiste a été gravement critiquée.

ceinture de chasteté, Nori Doi, 1968

« Revenons à nos moutons » sur le thème de l’amour et de la serrure. Pourquoi parle-t-on de la ceinture de chasteté dans ce numéro de Toxic Girls Review consacré spécialement à l’amour ? Ma réponse à cette question touche en effet à une intuition hypothétique sur l’amour qui pourrait s’exercer largement aussi bien en Orient qu’en Occident.

« La sexualité de l’être humain, ainsi que l’être humain lui-même, désirent être contrôlés par quelque chose comme une serrure et une clé. »

À Paris, quand vous passez sur le Pont des Arts sur la Seine, vous trouverez des milliers de cadenas accrochés sur ses rampes d’appui.  Si vous visitez Paris avec votre amoureux, qui que vous soyez (touristes ou parisiens), vous n’avez qu’à réaliser une seule chose : acheter un cadenas appelé « cadenas d’amour », l’accrocher sur la rampe d’appui, bien fermer la serrure, et ensuite, jeter la clé dans la Seine. Ainsi par ce geste, la seule clé qui permet de briser ce sceau DISPARAÎT de ce monde. Le cadenas restera éternellement fermé comme une trace du vœu d’amour et il existera toujours à Paris sur la Seine… Quelle belle histoire ! Certes, historiquement, la clé est employée en tant que symbole du vœu des amoureux dans de multiples situations romantiques. Cependant, le nœud de la relation amoureuse chez l’être humain se situe dans les règles du jeu : fermer la serrure réciproquement au sexe hors du couple. Ce que les visiteurs souriants en couple sur le Pont des Arts font en plein bonheur est équivalent à la fameuse cérémonie effrayante de privatiser la liberté sexuelle et de contrôler son sexe : la fermeture de la serrure de la ceinture de chasteté. L’espèce humaine ne peut avoir l’esprit paisible qu’avec ce vœu permanent, comme fermer le cadenas et ensuite jeter la clé.

Pont des Arts, Paris, photo by Miki OKUBO, 2010

Malheureusement, ou bien il faut plutôt dire « heureusement », personne ne croit sincèrement à l’éternité de ce cadenas, ainsi qu’à ce vœu. En 2010, il y a eu des nettoyages complets des rampes d’appui de ce pont pour le respect du paysage. Il semble que ce nettoyage a été effectué par la mairie de la ville de Paris. Les milliers de cadenas représentant des milliers vœux d’amour ont tous disparu en une nuit. D’autre part, il doit y avoir des gens qui viennent mettre un deuxième (ou un troisième) cadenas avec un autre amoureux. Evidemment, le sexe de ces couples , en réalité, n’est pas emprisonné comme avec la ceinture de chasteté. Ils restent donc physiquement toujours libres d’avoir une relation sexuelle et de se masturber. Il existe aussi la modalité d’amour « platonique » sans rapport sexuel. Lorsque l’on enarrive là, nous trouvons qu’il est difficile de définir clairement ce qu’est la signification du geste « fermer le cadenas pour protéger l’amour ».
Cependant, les rampes d’appui du Pont des Arts accumulent continuellement des cadenas d’amour. Les gens n’arrêteront pas d’y mettre leurs cadenas. C’est la même logique qui fait que, nous, êtres humains, n’abandonnerons jamais de nous engager pour le futur, et continuerons à croire à nos vœux d’amour réciproque.
En effet, « croire à l’amour » et « fermer la serrure de chacun » ne sont pas si nuls puisque c’est cela que nous désirons et ce pourquoi nous pouvons continuer à vivre. Autrement dit, cela peut être le seul moteur de la vie.
Même si ce vœu est très fragile et ambigu, l’énergie potentielle produite par l’amour est intense. Un petit truc dont nous avons besoin pour continuer à vivre, me semble-t-il, se cache tranquillement dans ces efforts quotidiens et dérisoires.

Miki OKUBO
(grand remerciement pour L.T. pour cette version française)

(日本語のエッセイは、『有毒女子通信』第10号 特集「ところで、愛はあるのか?」でお読みください。次回もお楽しみに!)

10/31/12

« leurs lumières », Exposition @ Abbaye de Saint-Riquier

« leurs lumières »
exposition du 13 octobre au 16 décembre 2012
Abbaye de Saint-Riquier Baie de Somme
site de l’exposition
Abbaye de Saint-Ruquier

 

Abbaye de Saint-Riquier, Baie de Somme

Jean-Louis Boissier が巨大なSaint-Riquierの修道院を、メディアアートの展覧会開場に作り変える。展覧会タイトルは「leurs lumière/ their lights」である。パリおよびアミアンやジュネーブで活躍するメディアアーティストたちがそれぞれ、「彼らの光」を自身の感性と経験に基づいて解釈、表現する。

Artistes de l’exposition « leurs lumières »

本展覧会でキュレーターを務めたJean-Louis Boissier(メディアアーティスト、パリ第8大学教授、国立高等装飾学院講師)によって書かれた展覧会についてのテクスト(本展覧会カタログ掲載)は、『彼らの光:照らし出すこと、光を失うこと』(« Leurs Lumières : illumination et aveuglement », texte on the site)。光がある場所には、必ず影が存在する。そして、光の届かない場所には闇があり、あるいは強すぎる光は私たちの目を失明させる。さらに、光がありすぎる場所では逆説的にもわれわれは、何も見えないと感じるだろう。これは、闇といったいどう異なるのであろうか。この展覧会では、参加アーティストのそれぞれがまさに彼ら自身の光とそれと共にあるものについて個性的な取り組みをしている。ボワシエ氏による全体のキュレーションのストーリー展開が秀逸であること、そして作品それぞれの視点が非常に興味深いこと、この両面から、とても素晴らしい展覧会であると思った。(私自身はカルチュラル•メディエータとしてレセプションツアーの企画などに関わらせていただいた, blog de mimi)

この展覧会コンセプトのもっと詳しいこと、およびキュレーター•インタビューは次回の記事に送ることとし、さっそく各々の作品を見てみよう。

 

 

 

天使探知機 /Détecteur d’anges

Détecteur d’anges, Jakob Gatel & Jason Karaïndros

ー沈黙して、光の中心を見つめてごらん。ほら、天使がとおり過ぎて行ったでしょう?ー
« un ange passe »はフランスのことわざで、沈黙が訪れた時、「天使がとおり過ぎた!」という。我々の忙しく雑然とした現代的な社会生活において、なるほど、沈黙はめったに訪れない。つまり、天使もめったにやってこなくなってしまった?このランプはその部屋にいる人がおたがいにシーッといいながら静寂を作らないと、決して光を灯さない。ひとたび静寂が訪れた時、ランプはそのあたたかい明かりの中に天使を誘い出すように静かにまたたく。

Visite pour les participants, le 12 octobre 2012

 

 

私を照らしだして/ Light my Fire

Light my Fire, Julie Morel, 2011-2012

クリーム色の壁にかかれた文字は部屋の蛍光灯がよい角度で当たるか、あるいは自分が壁に近づいて斜めから文字を眺めてみるか、とにかく黙っていては読めないようだ。このテクストはジョルジュ•バタイユのLa Part maudite(1949)からの引用でトートロジー的ディスクリプションを大文字•小文字、様々な字体が入り交じり、織り上げられたテクストである。周りの明かりが全てが静かに消えた時、Julie Morelが細心の注意を払って繊細に配置構成したバタイユのテクストが、緑色の炎のように浮き上がる。

 

マッチ売りの少女/ La Petite Fille aux allumettes

La Petite Fille aux allumettes, Mayumi Okura, 2007-2012

荘厳なサン•リキエの石造りの修道院での展覧会に際し、キュレーターのJean-Louis Boissierが演出全体を通じて選んだ色ははっきりとした青である。ところどころ欠けたりごつごつとしている石の壁の様子が時間の流れを感じさせることや、10月半ばとなれば夜になるとかなり寒いことなど、すべてのシチュエーションが、ずっと昔にどこかの国でとても貧しくひとりぼっちでマッチを売り歩いた、小さな女の子の少し心細くて身にしみる寒さを訪れる人に感じさせる。

Mayumi Okura(大蔵麻由美さん)は、物語とその世界観をもっとも繊細な方法で鑑賞者に追体験させる。彼女はこれまでも、メディアアートのなかでも、テクストの意味をどのように見せるか、あるいは見せないか、物語やテクストの意味はどのようにして新しく体験され、まったく異化された行為となりうるのか、ということに焦点を当てた素晴らしい作品を多く発表している。(artiste website)

この展覧会で展示されているマッチ売りの少女は、アーティストが2007年から継続的に取り組んできた主題のひとつである。鑑賞者は、マッチ箱から一本のマッチを取り出して、擦る。石の壁の少し肌寒い世界に、ぱっと橙色の火が灯る。鑑賞者はそれを大切にもう片方の手で守りながら、向かいに設置されたスクリーンに目をやる。すると、マッチの炎を中心にしてその明かりが灯った部分に、童話『マッチ売りの少女』のお話が、2行、3行、すこしずつ現れる。私たちは、それを読もうと目で追う。しかし、その物語の断片はふわふわとどこかへ遠くへ行ってしまうので、私たちはそれに追いつくことができない。やがて、小さなマッチの火は消えてしまう。

そのとき、私たちはもう一度マッチを擦るだろう。ちょうどマッチ売りの少女が、寒くて凍えるクリスマスの夜、天国に行ってしまった優しかったおばあちゃんを思い出して、その想い出を探しながら何度もマッチを擦るように。幸いにも、私たちは、マッチ売りの少女が彼女の最後のマッチをつかってそうしたように、大きな炎を得るためにマッチを束にして燃やす必要はない。私たちは、マッチをたくさん擦っても彼女に追いつくことはできない、ただそこにあるのは、小さな女の子の物語の断片なのである。
ー「その手は、かわいそうに、ほとんど寒さでこごえていました。」

 

カメラ1、ショット8

Caméra 1, Plan 8, Marion Tampon-Lajarriette, 2008

Marion Tampon-Lajarrietteは映像作品を数多く作ってきたメディアアーティストである。スクリーンいっぱいに映し出された海の様子は、一見するとほんとうの海のようだが、映像をよく見るにつれ、その波の様子に目をこらせば凝らすほど、何らかの法則や計算によって作り出された「イメージ」であることが明らかになる。したがって、この海は見たことがあるようでないような様相をしており、深く霧がかかっておりどんよりとした空に押込められている。波はかなりの高さを持って大きくうごめいている。波の高い部分や波同士がぶつかって打ち消された部分が白い筋となって見えているが、じっと見ていると描かれた写実的なタブローのようであり、あるいは彩色された写真のようでもある。

実はこのカメラワークは1948年に発表されたヒッチコックの映画『La Corde』のあるシーンに置けるカメラワークを下敷きにしてアーティストが修正を加えて作り上げたものである。そのシーンとは、この映画の冒頭でブランドンとフィリップはデイビッドをアパートの中で絞殺するシーンである。修道院の中に、銃声とデイビットの叫び声が響き、この映像作品は幕を閉じる。映画におけるカメラの目線と重層的に音声を重ねること、そしてその人間の営みに、関係もあるはずのない超自然としての海が共鳴してうごめくようなことは、なるほど鑑賞者を奇妙な思索に招き入れる。

 

気ままに気にせず/ S’abstraire

S’abstraire, Donald Abad, 2011

アミアンのボザールで教員をしているDonald Abadは2011年飼い猫と三日間の冒険に出た。三日間という時間は、獣医に相談した結果、アーティスト自身にも猫にも健康上負担がない限界の時間であることから定められた。冒険とは、三日間猫と二人(?)っきりで、できるだけ平で、向こうの向こうまで世界の水平線が見えるような場所にキャンプし、自炊し、歩き回るという冒険だ。あまりに何もない場所にいくので、猫がずっと遠くに行き過ぎてしまわないように、あるいは野良犬や他の山の動物に危害を加えられたりしないように、二人を結びつける長い長いロープが猫の首輪に結びつけられた。このロープはほんとうに長いので、猫は実に自由だ。アーティストは猫にお願いしてカメラマンになってもらう。冒険のビデオ映像は猫が撮影したものだ。猫の背の高さから撮影され、猫が歩くように左右に大きく揺れながら、右へ左へ「視線」が動いて行く。何もないだだっ広い場所なので、太陽が沈み、やがて太陽が昇る光を彼らは前身に受け止める。猫の撮ったビデオも、たくさんの光を収めている。

アーティストの猫は、生まれながらにして盲目である。右に左にゆらゆらと歩き、飼い主の居場所は音や匂いで確かめている。太陽が沈む景色に対峙し、だだっ広い草原の中を大きな目を開いて興味深く歩いて、この猫はビデオを撮影した。その映像を私たちはあたかも猫の視点を追体験するかのようにして目にしていた。しかし、ほんとうは猫は見ていない。猫の目は光を見ないし、飼い主の顔も、沈む太陽も見ていない。視線を共有したのは、猫と私たちではなく、鑑賞者としての私たち自身である。

 

 

目を閉じて/ Fermer les yeux

聴こえないものは聴きたくなり、触れないものは触りたくなる。見えないものは、どうしても見たくなる。Tomek Jarolimのインスタレーション「目を閉じてください」は、そんな押さえ難い欲求に訴えかける。鑑賞者は椅子に腰掛ける。正面には明らかに何色ものバリエーションのある照明の集合がある。そうか、これから何やら光のパフォーマンスを見せてもらえるのだと期待する。しかし、そこでは何も起こらない。もう一度、インストラクションに目をやる。
「目を閉じて。」

 

 

日食/ Éclipse Ⅱ(série Cosmos)

Éclipse Ⅱ ( série Cosmos ), Félicie d’Estienne d’Orves, 2012

真に丸いスクリーンが壁に浮かんでいる。この作品は、série Cosmosのなかの一作品、ビデオ彫刻である。アーティストがこの作品において問題にしているのは、人がものを見る時のプロセスと、視野を形成する上での条件である。不動に見える日食の円形スクリーンに映されたプロジェクションは絶えず回転し続けており、天体物理学的現象への思索を見る人に提案する。なるほど、鑑賞者がどこにいるかによって、この日食の光や影の有様が全く異なる。

 

 

ブラインド•テスト/ Blind Test

Blind Test, 2009, Michaël Sellam

2センチの赤レザー光線が、直径1.5センチの壁穴からのぞくという作品だ。二つの強烈なレザー光線は向かい合った壁に一つずつ隠すように配置された。壁には危険を示す注意書きが。
「これらの穴を決してのぞき見てはいけない。そのときあなたの目は標的になってしまうから。」

 

 

パラレル/ Parallèles

Parallèle, Marie-Julie Bourgeois, 2010-2012

8m四方の白い部屋に入ると、その中心に白い台と球が据えられている。このやや大掛かりな装置はインタラクティブ•エンヴァイロメントとして構築されており、鑑賞者が球体を動かすと白い部屋の外に設置されている照明装置がコンピュータ•プログラムを経て動き、部屋に差し込む光の角度や強さが変化する。白い部屋の中に差し込んでくる平行な光線は、ある瞬間における太陽のポジションから地球に注がれる光線に対応している。

 

 

ルソーの光/Lumières de Rousseau

Lumières de Rousseau, 2012, Emeri

ルソーのテクストからの80カ所の引用は、哲学的なもの、政治的なもの、あるいは自伝的なもの、様々な主題にわたる。タブレットの画面に映し出されるルソーの引用テクストを見れば、光に関する言葉ー光、太陽、影、照明、闇、きらめき、といった言葉ーが浮かび上がっている。鑑賞者はこれらのテクストを表示するiPadを手に取り、ちょうど本を読むように目の高さにこのディヴァイスを位置づけて、展覧会会場を歩きながら、このテクストを朗読するように期待されている。鑑賞者がiPadを手に取って朗読を始めると、もう一つのディヴァイスは朗読者の顔を映し出し、もっと別の鑑賞者にそのイメージを伝える。このコンセプトは、2011年7月京都の大覚寺で行われた展覧会および、2012年5月にジュネーブのルソーにまつわる通りや地区でコレージュ•ルソーの生徒達の協力により実現したプロジェクトにも先行されたものである。(Emeri website here)

Lumières de Rousseau, 2012, Emeri

本展覧会は、2012年12月16日まで開催中です。
今回は展示作品とアーティストをご紹介しました。次回は本展覧会キュレーションについておよびキュレーター•インタビューを掲載します。お楽しみに!

10/28/12

« livre comme thème artistique »/ 「本」に関わる作品 dOCUMENTA(13) @Kassel

カッセルで行われた第13回ドキュメンタを訪れた。2012年6月9日~9月16日の会期(100日間)であったのだが、私が訪れたのは9月14日~16日の最終三日間にかけて。3ヶ月も続くアートイベントの最後の三日間というのも、もはや作品がくたびれているのでは!なんて予想するが、ドキュメンタに関わる様々な人たちの努力故であろうけれど、まったくそんな印象もなく作品はぴしっとしていた(と思う。)私はざんねんながらドイツ語を話さないし読まないが、基本的には全て英語でも説明されている。しかし、作品によっては、たとえばいちいち字幕が表示されないビデオ作品やテクストを主要な意味として構成した作品等においては、たとえアーティストが個々のテクストや会話内容の不理解が全体としての作品理解に致命的に作用しないと主張したとしても、それでもなお、そこにあるはずの「意味」をキャッチできないという点で、言葉の壁を感じざるを得ず、そのことが作品鑑賞にとってややざんねんな結果を生じさせていたように思う。もちろん、この難しさというのは、何をどこまで説明する必要があるかというレベルの問題に帰着できるに違いないし、このことは、何らかの媒体で表現されたすべてのものが、作り手から受け手に伝わるプロセスの中で本質的に含有する「非理解性」みたいなものである。

 

ヨーロッパにいながら、ビエンナーレ的なものや国際的なアートイベントに積極的に足を運んだこともなく、カッセルのドキュメンタを訪れたのも勿論初めてである。パリのギャラリーやアートフェア、アートイヴェンとには足を運んでいるものの、なかなかヴェネチアビエンナーレに行ったり、カッセルのドキュメンタを訪れたりできなかった。したがって、まず広大な敷地と膨大な作品の量に驚き、カタログの厚さ(というよりむしろ、各々のアーティストについての言及は少ないのに、こんなにページがあるという事実)に驚き、まあ到底ぜんぶ見ることはできないし、見ようと思わないのがよいということがよく解った。

先に既にアルバム化させていただいた写真群(album1, album2)ですら出会った作品のごく一部なのであるが、今回はその中からさらに恣意的に選択、「本」に関係する作品を発表したふたりのアーティストについて書こうと思う。

 

Paul Chan, Why the Why?, 2012

一人目は、Paul Chan ( born in 1973, Hong Kong, lives in New York)。カッセルで発表されたのは、 »Why the Why? » (2012) という作品である。この作品は、作者であるPaul Chanがある日、床に落ちていたショーペンハウアーの著書『余録と補遺』/ Parerga und Paralipomena (1851年)を拾い上げ、突然衝動に駆られてハードカバーの表紙を中のページとびりびりと切り離し、その汚れて埃にまみれたハードカバー表紙を破り割いてしまおうとした。引き裂こうとカバーに手をかけたところで、ふと、このカバーを90℃回転させて、縦長に持って目の前にかざしてみると、それはもう本のカバーではなく、乾燥して埃っぽくガサガサの人の皮膚みたいにみえた、という日常的におけるしかし非常に奇妙な気づきからスタートしている。

 

その後、彼はこの90℃回転させたカバーをキャンバスに見立てて山を描き始める。描かれた山々はこれまで一度も見たことがない様子をしており、それはひとつには、彼がその山を自分の想像に任せて描いたからであり、もうひとつには、描かれるべきでない本のカバーに特別にもうけられた枠組みの中にその山々が描き込まれることで、それらはあたかもキャンバスの表面にゆらゆらと浮かび、そこから逸脱してしまいそうな印象を与えるからであると、Paul Chanは説明する。

次々と本を壊し、カバーをページから引き剥がして行くうちに、山のようなカバーのキャンバスがアトリエを埋め尽くしていく。このときに明らかになったのは、キャンバス(つまり、カバー)によって、表現主義的な絵画作品となったり、自然主義的であったり、モノクロームであったり、様々な表情が生み出されるという。

 

そして、彼はいう。「私はこれら私が引き裂いた本を、一度も読んだことがない。」

Paul Chanというアーティストは、近年むしろメディアアートの領域で活躍し(2009年 Biennale de Venise etc.)、今回のようなマテリアリスティックな作品制作と平行して、デジタル作品を多く制作していた。その彼のキャリアの中でも、「本」というオブジェクトに対する関心は特筆に値する。Paul Chanは2010年、Badlands Unlimitedというアート本としてのデジタルブックを発表した。(この作品についてのインタビューはこちらで読めます。)アーティストが、電子書籍として作品を発表するということについて、安価であること、インターネットアクセスさえあれば遍在的にダウンロードできるということ、ハードカバーの紙媒体の本よりも半永久的に保存されること、そして、紙の本よりも人々にシェアされ、保存される可能性をもっているということを明言した。

 

“the body as a reader, focus as space” and “time as a medium.”

この言葉は、これまでアートブックをe-book化することに取り組んできたアーティストが、本を読む行為の現代的な新たな可能性を含意して述べた言葉である。読書行為そのものが鑑賞者にとって、いまここではない潜在的な芸術体験をつくりだすアートブックは、今日、ページをスライドするような新たなジェスチャー、アニメーションや音声の挿入やウェブサイト的な重奏構造を構築することも可能となり、根本的に異なる経験をもたらす。たとえば、2010年に編集された »Wht is ? »は10冊のオリジナルブックのテクストをもとに写真とテクストがモンタージュされている。(iPad Kindleのデジタル版および、PDF版(無料)はこちらからダウンロードできる)

本はなるほど写真に見られるようにタテに平にしてキャンバスにして壁に貼られれば、哲学書も子どもの絵本もスタンダールの小説もフラットになり、ケイオスをつくりだすのかもしれない。このことは確かに、アーティストのe-bookへの関心を知る以前にも、今日のウェブ2.0の世界でショーペンハウアーと検索すれば、有名な先生によるありがたいご説明とwiki様による説明、そして誰かがブログにちょこっと書いた感想文がごちゃ混ぜに引っかかってくる状況を思い出させる。アーティストがこれらの本を決して読んだことなく、カバーからページを破り捨てて表紙だけになった本の中に、意味を失ってかさかさになってしまった皮膚のような幻想を見ながらこれをコレクションするのも、共感できなくはない。

 

 

さて、もう一人のアーティストは、Matias Faldbakken ( born in 1973, Hobro, Denmark, lives in Oslo)、本彫刻(Book Sculpture)を世界の至る所で作り続けるアーティストだ。もちろん、本彫刻パフォーマンスだけが彼の仕事ではないので、彼のコンセプトを以下に少しだけ見ることにしよう。彼も本や書かれたものの「意味」について問題を提起するがそのアプローチはPaul Chanのものとは大きく異なる。

 

Ecrire […] est la violence la plus grande car elle transgresse la loi, toute loi et sa propre loi. (書くこと、それは最も強力な暴力である。なぜなら、それは法に背く。あらゆる法に背く。ひいては、書くことそのものの法すらも無視する。)(Maurice Blanchot)

このブランショの書く行為に関する言及をもとに2001年から2008年にかけて »Scandinavian Misanthropy »という3部作を書いている。あるいは、「サイコロ一振りは決して偶然(不確定なもの)を排さないだろう」というマラルメの詩集において告白された不確定の非排除性に関して、言葉それ自体よりもむしろ言葉と言葉の間にあるものに注目するために、一貫性のないイメージとあらゆる読みやすさの考慮を排除した空間配置を追求した作品制作も行った。

 

さて、dOCUMENTA(13)では、グーグル検索の結果を利用してまとめた »notebook »、ここではあるテーマについてMatias Faldbakken自身の興味関心による検索がどのようなアルゴリズムを介して成し遂げられたかをたどることができる。

 

Matias Faldbakken, notebook, 2012

 

 

さいごに、ハプニング的な本彫刻のイメージを見てみよう。

私はこの作品が好きである。最初見たときはよくわからなかったが、そしてこのブランショとマラルメのコンセプトとの影響の説明に基づいてもなお理屈として腑に落ちない部分は残されているのだが、ただ純粋に、このパフォーマンスが好きなのである。せっかくなので、少しだけ言葉で説明を試みてみよう。図書館においてきちんと内容とタイトル順に整然と整理されていた本を本棚から根こそぎ引っ張りだして、あるスペースにぐちゃぐちゃに(見えるように)再配置するというのは、なるほど暴力的な行為だ。しかしこのとき起こっているのは、床の上に無造作に重ねられた本がカバーの色彩や厚みや埃っぽい質感や、本がこれまで置かれていたコンテクストや意味を破壊されて、紙やボール紙や布の山としてそこに塊になっているという状況だ。これらの書物は無意味であり読まれることができない。

 

なぜじわじわこの作品が心地よく感じられたかというと、それはひとえに梶井基次郎が短編小説『檸檬』で描写した、丸善に突如出現した「奇怪な幻想的な城」をとてもクリアーに想像させたためだ。このあと主人公はこの奇怪な城の上に、果物屋で買ったとても美しい紡錘形の檸檬を配置して、「黄金色に輝く恐ろしい爆弾」を完成させる。Matias Faldbakkenの作る本彫刻は、まさにこの檸檬を据えられる前のガチャガチャとした混沌とした色と意味の集積であると同時に、檸檬を仕掛けた主人公のもくろみが成功したならば大爆発を起こして吹っ飛んだはずの「気詰まりな丸善」の棚が粉葉みじんになった後に残された残骸のようにも見える。

 

この本彫刻を目にした鑑賞者の心も少なからず、『檸檬』の主人公が「何喰わぬ顔をして外へ出る」心境に似ている。棚からどさどさと落とされた本は、静謐な図書館の中で明らかに異質であり、本来ならば棚に丁寧に連れ戻されることが予期される。わたしたちは、それを何食わぬ顔で、あるいはこの調子でわたしたちが他の本を一冊二冊、そこに加えたとしても、いや、もっとやる気があるのなら別の棚で思い切り100冊くらい本を棚から引きずり落して逃げてきても、アートなのかと思うと、少しだけ、楽しい気分になるのではないか。

 

そして私は活動写真の看板がが奇体な趣で街を彩っている京極を下って行った。(梶井基次郎 『檸檬』)

(わたしの檸檬がすきなことはblog de mimi old postをご覧下さい)

10/27/12

Toxic Girls Review / 有毒女子通信 vol.10

Toxic Girls Review 有毒女子通信 vol.10

吉岡洋編集の批評誌<有毒女子通信>第10号
「特集:ところで、愛はあるのか?」ついに刊行!!
発行が大幅に遅れましたことを深くお詫びいたします。
本号より36ページに増大・表紙付.中綴です。
勝手ながら年4回の季刊発行、1部¥250に変更させていただきます。
・新刊=第10号「ところで、愛はあるのか?」(2012年10月発行)をご希望の方は、本体*+メール便料金=¥330分の切手をお送りください。あるいはギャラリーにてお求めになれます。

MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/wbr />
〒601-8005京都市南区東九条西岩本町10 オーシャンプリントビル/OAC1階
MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY

Photo by JLB, October 26th 2012, Paris, from blog de JLB

salon de mimi, 大久保美紀も
連載 《小さな幸福をめぐる物語》ー第一話 愛と施錠の物語
というエッセイを書かせていただきました。

とてもデリケートなデザインで中をひらくとちょっとピンク色です。ぜひご覧下さいませ。
(ご質問ございましたらサイトを通じてご連絡いただければお返事します)

10/16/12

Sophie Calle : à propos du «capable de voir» et de l’«incapable de voir»

ce texte a été publié dans le site d’ednm, l’exposition « leurs lumières »
« leurs lumières »
Au Centre Culturel de Rencontre de Saint-Riquier – Baie de Somme 
du 13 octobre au 16 décembre 2012

Dans ce texte, j’aborderai la problématique de Sophie Calle qui concerne le «capable de voir» et l’«incapable de voir», traitée depuis les années 80 dans son activité artistique. A travers ce challenge contradictoire, elle tente de résoudre par le langage la question de l’image de la beauté et de la communication humaine.

Sophie Calle, née en 1953 à Paris, a commencé son expérience en tant qu’artiste avec une œuvre intitulée Les Dormeurs, réalisée en 1979, exposée en 1981, constituée de textes et d’images. Elle a été appréciée comme artiste internationale par une œuvre polémique À suivre, entièrement vouée à des actions de filature envers des personnes, au mépris du respect de leur vie privée, ou encore, par une autre œuvre Des Histoires Vraies, dans laquelle Sophie Calle raconte sa propre histoire et les souvenirs intimes de son enfance. Lors de la 52e Biennale de Venise en 2008, en tant qu’artiste représentante de la France, Sophie Calle a présenté son projet très remarqué Prenez soin de vous, avec une scénographie de Daniel Buren. Partant d’un mail de rupture de son amant, se terminant par la formule Prenez soin de vous, elle a réalisé un ensemble de 107 films où l’on voit chacune des 107 femmes choisies par elle, de différentes générations et de différentes métiers, en faire une relecture orale assortie de leur commentaires personnel.

Examinons les caractéristiques de l’art de Sophie Calle que nous pouvons découvrir en regardant une grande variété des œuvres et des expressions artistiques d’une trentaine années de sa carrière. Dans sa première œuvre Les Dormeurs, l’artiste invite ses amis et des inconnus à venir dormir chez elle dans son propre lit afin de filmer des moments de sommeil. Ensuite, elle réalise une série d’œuvres conceptuelles très originales, tels À suivre et Suite Vénitienne en suivant des personnes rencontrées par hasard dans la rue. Son approche artistique se situe complètement à l’opposé des grands artistes qui travaillent sur les sujets fondamentaux et universels comme la vie, la mort, la mémoire de l’humanité, etc. Contrairement à ce type d’approche directe, Sophie Calle choisit une manière très personnelle et intime. Elle nous montre souvent ses histoires et souvenirs personnels, les longues proses d’un inconnu, les souvenirs sentimentaux de son enfance, ou encore, des histoires amoureuses. Ces dernières sont souvent constituées de textes qu’elle écrit et d’images photographiques, et parfois d’objets-témoins des faits et des histoires. L’attitude typique d’appropriation des spectateurs qui découvrent l’art de Sophie Calle les conduit à faire une ré-expérience de celle de l’artiste, voire, «une expérience simulée vécue par l’artiste».

Le fait que la vérité se mêle avec la fiction n’est pas important dans l’art de Sophie Calle. Autrement dit, il faut bien comprendre l’indifférence entre vérité et mensonge qui domine dans son expression artistique, ce sera un premier pas pour apprécier joyeusement ses œuvres. Il ne faut surtout pas chercher la frontière entre le fait et la fiction. Dans tous les cas, les images dans ses œuvres sont reconstituées après l’événement concerné —c’est une reconstruction à partir de la mémoire. Ces images qui sont principalement témoins, insérées dans l’œuvre pour montrer la preuve, sont de manière contradictoire un vrai mensonge. En effet, la véracité d’une histoire ou d’une narration n’a aucune importance dans la constitution de l’œuvre et la réalisation du concept. Comme l’image prise par l’appareil de photo ne représente jamais une seule vérité, l’histoire racontée par une personne ne ressemble guère à un seul vrai récit.

Les Aveugles (1986)
Comme nous l’avons constaté plus haut, l’expérience simulée est une approche modèle pour comprendre l’art de Sophie Calle. Cependant, dans Les Aveugles (1986), l’artiste prend un itinéraire tout à fait opposé. La seule création de l’artiste dans cette œuvre est l’image reconstituée après l’interview des aveugles. Elle a cependant réalisé cette création en poursuivant un processus dans lequel elle fait la ré-expérience —au sens de revivre une situation d’après une expérience vécue par quelqu’un— des histoires racontées par les aveugles.

Les Aveugles est une œuvre polémique dès le départ. L’artiste a demandé à des aveugles de naissance quelle était pour eux une image de la beauté. A partir de leurs réponses, ce fut à l’artiste de recomposer une image de la beauté. Certes, pour sentir le toucher «agréable», ou pour avoir certains sentiments, tel «aimer», nous n’avons pas besoin de la vision «visuelle», mais quant à «l’image de la beauté», il s’agit d’une image visuelle et visible, tel un tableau, ou une photographie. Il est possible d’attribuer le mot «beauté» à une chose agréable au toucher, mais l’image est toujours «visuelle». L’acte de Sophie Calle de reconstruire une belle image à partir du dialogue avec eux est une superposition de l’imagination de l’interlocuteur et de l’artiste, voire, une belle collaboration artistique.

Dans les œuvres de Sophie Calle, le dialogue avec les aveugles, ainsi que la réflexion sur le «capable de voir» et l’«incapable de voir» sont des sujets que l’artiste travaille depuis longtemps. En effet, le dialogue avec les aveugles commença par l’interview réalisée en 1986 quand l’artiste avait 27 ans. Il s’agissait d’une œuvre de collaboration de la visualisation d’images de la beauté.

La Dernière Image (2010)
En 2010, elle rencontra 13 aveugles qui auparavant voyaient puis qui ont perdu la vue, à Istanbul. (La Dernière Image, 2010). Elle leur demanda quelle était la dernière image qu’ils avait vue et a visualisé cette image selon leur témoignage. Leur réponse donne souvent une impression puissante et une émotion violente. Une aveugle qui a perdu la vue à cause d’une erreur médicale témoigne de la couleur blanche du costume porté par son oculiste juste avant l’opération. Un aveugle à la suite d’un accident voit toujours un paysage vert très net qu’il voyait jusque avant l’événement. Un autre aveugle qui a perdu petit à petit la vue se souvient de la salle de séjour de sa maison, du canapé et des meubles, mais affirme clairement qu’il n’a pas de dernière image. Ici, encore Sophie Calle, à travers l’expérience vécue par les aveugles essaye de visualiser leur image «dernière».

 

La dernière image, Aveugle au divan, 2010

 

La dernière image, Blind with minibus, 2010

 

Voir la mer (2011)
En 2011, toujours à Istanbul, une œuvre véritablement significative intitulée Voir la mer a été réalisée, dans laquelle des personnes, qui n’avaient jamais vu la mer, font leur première expérience: voir la mer. Les 14 participants, venus de la région intérieure du Turquie, s’emplissent de l’air marin, du vent et de la musique de la vague, de la couleur du ciel et de la mer, et tournent leur tête vers une caméra qui les filme après ce moment satisfaisant pour chacun. La caméra capte leur expression faciale et même corporelle qui nous transmet leur impression après cette première expérience.

Quelle image de la mer ont-ils saisi? Il est en effet certain que «chacune de leur image personnelle de la mer» saisie lors cette première expérience et «mon / notre image de la mer» (comme Calle la saisit) ne sont pas identiques même si nous partageons le temps et l’espace: ici et maintenant. L’existence de ce décalage absolu met en lumière le fait que la limite de la communication ne se situe pas dans la limite communicative entre le «capable de voir» et l’«incapable de voir». Chaque vision de ce qui est devant nous est une vue subjective propre à chaque individu. De ce fait, la dis-communication ou l’impossibilité de la communication est fondamentalement immanente dans ce niveau-là (cette situation). Nous, êtres humains, ne voyons jamais une image identique avec une autre personne. Ceci semble être une énigme de notre être.

 

voir la mer, Jeune fille en rouge, 2011

voir la mer, Jeune fille en rouge, 2011

 

Ce projet artistique de Sophie Calle a été inspiré par la réponse d’un des aveugles :

«Imaginer la beauté, j’y ai renoncé. Je n’ai pas besoin de la ‘beauté’ et de son image dans ma tête non plus. Je ne peux pas voir la beauté, donc j’évite d’y penser jusqu’ici.»

À partir de cette parole d’un aveugle, elle a réussi à approfondir cette problématique en s’éloignant de sa surface pour aller plus loin. Pour elle, le fait qu’elle demande une dernière image s’est fait comme une recherche sur la frontière entre «voir» et «ne pas voir». Par conséquent, l’artiste, qui a déjà vu la mer, arrive à amener au bord de la mer les personnes qui ne l’avaient jamais vu auparavant, afin de partager un même paysage avec eux en temps réel: la mer. De manière contradictoire, l’artiste a compris qu’il est impossible pour l’être humain de partager une image identique de la beauté avec une autre personne au lieu de se contenter du bonheur de pouvoir voir la même chose. En effet, même devant la mer en tant qu’existence absolue, personne ne partage une seule image sur la beauté. Cela est très ironique mais essentiel. Notre perception, passant dans notre système nerveux qui reste toujours un mystère, diffère de celle des autres même si l’on est «ici et maintenant» littéralement ensemble.

Cette conclusion ne nous rendra ni triste ni ne nous donnera un sentiment de solitude profonde, mais juste un sentiment de paix car ce fait est tout à fait logique. À travers la notion de revivre l’expérience de Sophie Calle, nous, en tant que spectateurs, serons impressionnés par son œuvre, tout en sachant que nous faisons une expérience de la variation. Autrement dit, nous entendrons une résonance très faible au fond de notre cœur, comme si cette résonance touchait et faisait vibrer délicatement la corde sensible de notre cœur et celui des autres.

Galerie Perrotin, Sophie Calle « Pour la dernière et pour la première fois », 2012

 

Deux œuvres traitées dans ce texte : La Dernière Image (2010) et Voir la mer (2011), sont actuellement exposée à la Galerie Perrotin (du 8 septembre au 27 octobre 2012). http://www.perrotin.com

 

Rédigé par Miki Okubo, doctorante en esthétique à l’Université Paris 8

Remerciement pour Liliane Terrier pour la correction en français