ロン•ミュエック:あまりにも本当らしいその人たちは誰?/ Ron Mueck, who are the persons like someone ?

Ron Mueck Exposition : site here.

Fondation Cartier pour l’art contemporain
le 16 avril – le 29 septembre 2013

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ロン•ミュエックは1958年、オーストラリアのメルボルンに生まれた。現在はロンドンに住み、様々な大きさやかたちの身体の部分が並ぶストイックなアトリエで、数人のアシスタントとともに世界中の人々を驚愕させる作品を生み出し続けている。この有名な美術家が日本の人々によく知られるきっかけとなったのは、今からもう5年も前になる金沢21世紀美術館において開催されたロン•ミュエック展(site here.)である。あの、一躍有名になってしまった産み落とされたばかりの巨大な赤ん坊は、可愛らしいというよりもまだ血だらけで顔もしわくちゃ、一見そのへんの猿よりもサルらしい顔をしている。赤子なのに老けていて、おじさんのようなのにおばさんのようである。あの赤子にミュエックが与えたタイトルは、ア•ガール(A girl, 2006)。あまりのリアルさによく目を凝らさなければ産み落とされたばかりの男性器を見誤ってしまいかねない、立派なへその緒がぼっこりと生えている。どんな言い方をしようとも、大きささえちがうものの、たしかに、生まれたての我々はこんな風なのだ。覚えていないかもしれないけれど。

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今回のパリカルティエ財団現代美術館(Fondation Cartier pour l’art contemporain, Paris)でのミュエック展は、2005年のRon Mueck展につづく第2回目となる。あの大きな女性が窓越しに横たわって、黒めがちの静かな眼差しを外の世界に向けていた様子(In Bed, 2005)を記憶に留めているパリジャンも少なくないだろう。今回は、あのパラソルの下の老夫婦を含む3つの新作(Couple under an umbrella, Woman with shopping, Young couple) を携えての展覧会となった。

私はミュエックが好きだ。ミュエックの創り出す人々の顔やからだ、その表面とかたちが好きだ。嫌いなところをどうしても言ってくれと万が一頼まれたならば、「あの人たちに触れられないこと」と答えるだろう。(ミュエック自信に対する好き嫌いでもなんでもないが。)ただ単に、触りたい欲望から耐えるのに必死なだけである。しかしそれは切実である。丁寧に作られた繊細な代物なので、触ることが出来ないのは、大人なのでわかる。そうなのだが、「ちょっとだけ」「ひとり1回だけ」とかお願いしたい気分になるのである。だって、その表面は本当に素晴らしいんだもの。
人間の身体のかたちが芸術作品のなかでどのように表現されるかということ、そして、一体どのように人間の身体という物理的なオブジェクトが、ただのオブジェクトであるよりも作る人と見る人の記憶や感覚に刻印されるような印象を残すことがあるのだろうか、ということについて、そのことばかりをずっと考えてきた。ミュエックのつくる人々とその身体は、そのような文脈においてただのオブジェクトであるよりも、大切な意味を持った作品である。

ミュエックの彫刻がリアルなことは確かに人々を驚かせる。そしてそのあまりに本物らしいのに、等身大ではなく、もの凄く大きかったり小さかったりするサイズによっても一種の奇妙さや不安な印象を与える。「なぜ実物大にしなかったのだろう、こんなに本物らしいのに」と問うことはあまり意味がない。リアルマネキンを作るのではないというのが理由の一つだ。誰かに非常に似ていて本当らしい大きさをもつリアル彫刻は、ロンドンのマダムタッソーとかパリのグレヴァンなどで嫌というほど見られる。(そして、テレビ的有名人に疎い私にはそのありがたみが半分も分からない、と思って未だ行ってない。)あるいは、ミュエックの生み出すその人々は限界まで本当らしく、しかしその似ている曲線は漸近線にはどうやら届かないことになっているような人々らしい。彼らが誰か、ミュエックは知っているだろうか。

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Couple under an umbrellaは、二人の大きな人がパラソルの下で寄り添っている作品だ。おじいさんとおばあさんは海辺でひときわカラフルなパラソルを伴って、のんびりと太陽の恩恵に授かる。老いた人々の、たるんだ肉、皺の寄った皮膚は非常に肌理細かい。肌全体にはうっすらと細かいシミが広がっており、血がゆっくりと通う静脈の血管がその表面に、皮膚の色に本当の色調を変容させられながらぷくっと浮かび上がる。
おばあさんの足下に寝転んで眩しそうに目を細めるおじいさんの眉の毛は、長い。耳の穴からはやや伸び過ぎた毛が見えている。彼らの毛穴はときどき開いたり、閉じたりしており、長い長い人生の時間を歩き疲れた足の裏はくたびれて、おばあちゃんの足の指は軽く外反母趾の変形した親指の根元が在り、多くの人が時々悲鳴をあげるか涙ぐむような事態を引きおこす巻き爪もある。それにしても、足の裏の皮膚というのは、二の腕だとかお腹のフワフワの皮膚に比べてたいそう硬く、毎日の歩行によってある程度形状が固定されており、たった数時間裸足になってそれを自由にしたところで、生まれたての足には二度と戻らない。mueck_atelier_1 言うまでもないが、私たちの身体は、常に完璧に手入れの行き届いた代物ではないし、完全なるフォルムやプロポーションをもつ個体は、ない。ヴィーナスの像のようでもあり得ない。おばあさんの肩は、ひどくなで肩、頭部に対してやや貧弱で左右の高さが違うし、背筋もやや歪曲しているようだ。そもそも、からだはスポーツ選手やモデルなら最上級に手入れするのだろうが、そうでもなしに放っておくとどこか歪んだりして左右対称ではなくなる。これは、病気でもなんでもなく、普通のことだ。
ひざやひじの皺の感じや皮膚の肌理までもがあまりにも本物の身体、といっても私たちが日々目にするような、取るに足らない身体に似ているので、サイズを覗けば違和感がない。臭いがしないのが不思議なほど、そのふくらはぎに手を伸ばしたならばきっと老人の肌のようにふわふわと弾力を欠き、やわらかく、そして、温かいに違いないと感覚する。

Still life (2009-2010) :
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つりあげられたニワトリの顔の安らかな様子は、死のことに対する我々の印象を一蹴する。死は安らかである。それが巨大なニワトリのものであっても。

Woman with sticks (2009-2010) :
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薪を精一杯運ぶ小さな働く人。お腹や二の腕の内側など、肌の弱くやわらかい部分が薪に傷つけられてかすり傷だらけになっている。持ちきれないほどの薪をいっぺんに抱えて、その身体は後ろに反り返り、険しい顔をしている。なるほど、女性の身体には力がみなぎっているようにも見えるが、働くべき小さな諦めのようなものも併存している。あるいはそのことに疑問を唱えない強さというべきか。縮れた豊かな陰毛はふさふさに茂ってカッコいい。それらはエナジーを感じさせる力強い身体であると同時に、普通の人のありそうなからだである。酷使も過保護でもなく、無理に矯正も受けていない、生まれて普通に育ってきた働く身体。肉体は傷だらけで、踏ん張る力強い足、ゆたかな陰毛は美しく温かい。

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Woman with shopping (2013) :
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両手にスーパーの買い物袋を下げた女性。女性の両手は買い物袋で塞がっておりその小さな身体にはいささか荷が重いと言うふうに、どことなくしんどそうである。コートの前方の空いている部分に目をやると、赤子の小さすぎる頭が覗いている。疲れているのだろう、顔がこわばって、その視線は遠くを見ている。赤ん坊のことなどちらりとも見ない。かわいそうな赤ん坊の頭部は異様に小さく異様に細長い。洗物や掃除のせいで手は乾燥しているのか。買い物袋を覗けば、缶詰やソースなど普通の食べ物がちらりと見える。(写真は制作過程)

Mask Ⅱ (2001)
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巨大な頭部としてのマスクⅡ。あまりに巨大なのでどんな細部も見えすぎる。とりわけ、このひげは素晴らしい。色の細かく違う、白髪や黒や灰色の色の違うひげがいっぽんいっぽん丁寧に皮膚に埋まっている。毛とは、あるいは毛根とは奇妙なものである。ひげ抜きとは非常に面白いものだが、これを見ていると耐えられないほどにひげ抜きたい願望を掻き立てて止まない。欲望を刺激する皮膚であり、もはや訴えるようなひげである。(写真は部分)

Man in a boat (2002) :
船に乗った人は照明のせいだろうか、その表情のせいだろうか。肌は透明で凍り付くようであり、死神が存在し、万が一人間らしい容貌をしていたのならこんなおじさんではないかと思える。向こうを、のぞきこんでいるが、そこはもう世界の外側である。ただし、裸の死神というのも奇妙だ。

Young couple (2013) :
カップルは若い。ハーフパンツの少年が少女の手を掴んでいる。手を握っていると言うよりも、はっきりと手首を掴んでいる。ふたりの若者の顔には、幸せとか安らかさというよりも、何かしらの緊張が見て取れる。少女の腕を掴む力のある腕には筋があり、ある程度力を込めて彼女の手首を握っているということが見て取れる。女の子は半分くらい少女であるのに、目は遠くを見つめてうごかず、その表情のせいだろうか、どことなくおばあちゃんのように見えてしまう。

そして、壁一面の静かな水面に浮かぶ、一人の男がいる。Drift(2009)がそれだ。Driftは、壁一面、一室にその一点だけが展示されているという、贅沢な空間利用によって、これまでのホワイトキューブの空間とはまったく別の世界観を演出している。このサングラスの男がどんな目で、いったい誰なのか、サングラスよりも遠くのことは私たちにはよくわからない。ニワトリよりもおばあちゃんよりも、作者に似ていない気がしなくもないが、近づくとやはり違う。

あまりにも本当らしいその人たちは誰?

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