La Saisie du Modèle, Rodin 300 Dessins

オーギュスト・ロダンは「考える人/penseur」を製作した彫刻家、パリとムードンにはロダン美術館があり、彼の製作した圧倒されるほど沢山の彫刻作品を目にすることができるのだ。私がパリのロダン美術館を訪れるのは3回目か4回目。今回は特別展「ロダンの300のデッサン 1890 – 1917」を訪れた。

Musée Rodin
79, rue de Varenne 75007 Paris
http://www.musee-rodin.fr/ (仏・英)

このデッサン展では、1890年から1917年の間に製作されたロダンの様々なタイプのデッサンを目にすることができる。彫刻家として有名なロダンは生涯に10000点ものデッサンを残しており、そのうちの7000点がパリのMusée Rodinによって所蔵されている。エチュードのためのデッサン、彫刻のプランとしてのデッサン。紙に描かれたデッサンは保存の都合上、なかなかまとめてお目にかかることができないので、今回こんなにも多くのデッサンがテーマに沿って公開されているのは、ロダンの身体の捉え方を知る上で非常に逃すことのできないチャンスと言える。

ロダンのデッサンは生の真なる姿というものを、できるだけ親密な方法でで描写したい、という欲望に基づいて制作されている。たいていのデッサンは、繊細な鉛筆の線で一筆書きされ、たったの数分で完成されてしまったものが多いのだ。その輪郭線は限りなく洗練されており、生の躍動感を巧みに表現している。鉛筆によるデッサンの上から水彩画材で彩りを与えられて、ロダンのデッサン作品は完成する。人間の身体をどのように捉え、表現の中でどのようにその動きを表すことができるのか、これがロダンデッサンの確信である。

この展覧会は、おおよそ年代順にロダンが取り組んだテーマと方法について章立てが構成されていた。自然=女性の裸体を生の姿として描く姿勢は、ロダンのキャリアの中で一貫して変わらない。展覧会はしたがって、自然をテーマとしたデッサンから始まり、即興的なデッサン、トレーシングペーパーを使用したデッサン、切り絵と貼り絵のデッサン、そして1900年以降のデッサンへと進んでいく。この前半の展開で興味深いのは、ロダンが彫刻の視点をあらゆる芸術表現行為に対しても貫いているということが見て取れる点である。女性の身体のラインは決してぼかされてはいないにもかかわらず、非常に繊細である。うっすらと白く一色塗りされ、限りなく簡略化されたかたちは、身体のかたちを独自の視線で追求したまったく新しい表現である。境界がはっきりとして極限まで単純化された美しいかたちは、マチスがめざした形態の単純化とも似ている。

後半のデッサンは、繰り返される幾つかのテーマ、例えばブルーのチュニックを着た女が紹介される。あるいはまた、動きをどう描くのかという問題意識に基づき、ダンスの主題がとりあげられ、1907年以降はさまざまな神話的逸話やメタモルフォーズをテーマにしたデッサン、愛を司るプシュケを数多く描いている。そして、親密な関係にあったモデルの存在がロダンに多様なポジションでのエチュードを可能にした、性の描写のデッサン群が提示される。

avant la création

グスターヴ・クールベの「世界の起源/L’ORIGINE DU MONDE」(1866)をイメージさせる、AVANT LA CRÉATIONは、つまり女性の露出された性器を鮮明に描き出している。ロダンはこの他にも数多くの女性の性器を描いたデッサンを残している。しばしばこのように露出したポジションで、あるときはモデルの手によって部分が隠された状態で。この女性の性器を描くというテーマは、ロダンにとって、最もミステリアスで秘められており、それゆえに我々の身体をもっとも本質的に表現するための主題であった。

deux femmes nues

このような色彩感がロダンのデッサンを印象づける典型的なものである。輪郭を綺麗に切り取ることができそうなほど完成されたフォルムの上に、よくのばされた水彩絵具で飾られている。不思議な印象と強さを感じる。ロダンはこの色彩をモデルの身体から即時に感じ取り、そのデッサンの輪郭線に素早く色をおいていった。生き生きとした色彩は自由自在に鉛筆の線の上で遊び、独特の雰囲気を作り上げている。

fleur de sommeil. jeune mère embrasse son entant

こちらは1900年の作品。かなりのばされた水彩絵具をデッサンに重ねてある。その散り方は水墨画のそれを思わせる。このデッサンは、 »Fleur de Sommeil » の彫刻作品のもととなったものである。見るものの目を奪ってしまう、女性の顎から胸にかけての大きなシミは、ロダン自身によって意図的に与えられたものであると解釈されている。芸術家としての制作過程における偶然性を重要視を鑑賞者に暗示するためである。
ロダンの作品は彫刻においてもデッサンにおいても、しばしばタイトルが後付けされている。周りの者によってつけられることすらある。ロダンにとって本質的なのは、名前を与えて作品を作ることではなく、もともとそこに存在するnatureから正確に意味を読み取ることであるという。この点は、ロダンが彫刻の複製やデッサンにおける偶然性や即興性を重視し、近代的芸術概念からの飛躍を感じされる一方で、やはり依然として近代的なものを感じてしまう。
 今度またゆっくり考えてみよう。

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