About the violence / 暴力について

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暴力について

豊かな生活や便利さ、平等や自由、さらには平和や幸福さえも、普段私たちが使う言葉においてそれらはちっとも絶対的なものではなく、あくまでも相対的で、頼りないものでしかない。
暴力も、勿論そのようなもののうちのひとつだ。

2013年7月30日、ちょうどポーランドから帰国し、買い物に行くため駐車してあった車を取りに行くと、フロントガラスが割れていた。ボディの部分には、大きな足跡がはっきりとついており、ボディ自体もかなりへこんでいた。フロントガラスの割れた中心は、真ん中の極めて強く殴打したと見られる部分と端のほうにももう一つ同じような同心円の中心が見られた。車内はもちろんガラスの粉だらけになっており、さらには、このように内側に数センチ以上くぼんだ形でひび割れている状態で走行して振動等がきっかけで完全にガラスが崩れる恐れがあったので、自動車は走行不能な状態と見なされた。

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30日にこの状態で発見したということ以外、いつこのガラスが破壊されたのか知る方法はないのだが、誰かがよじ登って、硬いもので殴ってフロントガラスを割ったのだ。車が駐車してあったのは、決められたスペースで、私が住む市では、市によって決められた場所に無料/有料(場所による)で駐車することができるので、車庫をもたない市民は自宅にできるだけ近い駐車スペースを選んで停める。このとき私が駐車した通りは、住宅地で両側が一軒家やアパートの並びである。大きな音や騒ぎがあったのならば住人が聞いている可能性があった。住人の話によれば、私が留守にした数日の間のある夜、若い男数名が酔っぱらった様子で叫びながら、通り沿いの駐車スペースに停まっている車のうえによじ登り走り回り、そして、私の車のフロントガラスを瓶のようなもので割ったということだった。運悪くあなたの車が選ばれたのね、御愁傷様、といったことをその住人は付け加えた。真夜中に車を飛び歩いてガラスを割るショーはさぞスペクタクルだっただろうが、いずれにせよ、注意したり通報してくれることなく、それを目撃していた住人の思考にも吐き気がした。

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ご存知のように、外国ではしばしば「バンパーはぶつけるためにある」と言われているくらいで、フランスでも日本のようには車をピカピカに大切に保つことは難しいし、多少へこんだりこすられたくらいで警察は来ない。むかつく人の車に一周ぐるりとくぎで傷をつけたとか、ガラスにいたずら書きしたとか、サイドミラーをへし折ったとか、そんなことは日常茶飯事である。私自身、昨年一度、歩行者通路側のサイドミラーがへし折られ(つまり、故意に壊されたもの)、つい先日、また歩行者側のサイドミラーの部品が折られており、方向が固定できなくなってしまった。

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普通に考えて、酔っぱらおうとイライラしようと、そんなことはしたことがないしするはずもない人が殆どだろう。物を破壊することは、先に「日常茶飯事である」と書いたが、その状況自体がおかしいと誰もが思うだろう。しかし、おかしな事態が現実であるとき、そのことをどのように思考して行けば良いのだろう?暴力は、あなたがするしないに関わらず、リアルなことであり、あなたがするしないにかかわらず、あなたやあなたの大切な人に降り掛かりうることである。それゆえ、暴力のことは実は、自分と関係ないことのようで、つまりは、自分が思考すべきことからシャットアウトしてしまいがちなことのようで、しかし、絶対に排除できないものである。

少し前、何人もの女性を強姦し、殺し、刑期に服していた犯罪者が大赦を受けて出所したというニュースがあった。この犯罪者は出所するなりすぐに強姦事件を起こした。よく聞く話である。しかし、あなたは、自分が強姦されたり、自分の彼女や娘や家族がこのような目に遭ったとしたら、「よく聞く話である。」とは言わない。重大な犯罪を犯した人は死刑に処される。死刑が廃止された、あるいは存在しない国では終身刑に処される。あるいは、社会に復帰することが可能であると見なされれば、刑期を終えて出所し、再び社会のなかで、人々と関係を持ちながら生活をする。個人的には、強姦を繰り返すような人間は、再び強姦を出来るような環境下で生活することは不可能だと考えている。つまり、そのような環境に置くことが出所することであるならば、二度と出所できないというのが当たり前の処置であると考えている。

暴力はおしなべて非常事態である。物にふるわれる暴力と人間にふるわれる暴力の間に大きな一線があると信じている人もいるかもしれないが、そんな一線は本当はどこにも存在しない。これは妄言ではない。いかなる状況でも、どのような目的を果たすためでも、暴力を使う人間は、つまり暴力を手段として持っている人間である。現世界でそれらを排除するシステムはないし、それから潜在的に逃げる手段も実はない。どんな人もそれと共存しているのみであり、するべきであると同時にできるたったひとつのことは、それに晒されたときにあなたが取りうる覚悟について、考えておくことなのである。

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