ガブリエル・アセベド・ベラルデ《舞台》/ Gabriel Acevedo Velarde, « Escenario »

世界の秘密を知ってしまったような、ーそれも、けっして知るべきではなかった類いの、そうでありながら、確認などする前からおよそ明らかであった類いのー、ばつの悪い瞬間だった。一人でそれを眺めていても十分に「良心の呵責」たるものを感じ得るのに、こともあろうにそこは東京の六本木の美術館の開かれた一室で、そこにはイノセントな子どもはもちろんさらにナイーブな大人すら出入りし、スクリーンに目をやって、そこには短い行為が反復されていることを認めると納得したようにその空間を去って行く。

《舞台》(Escenario, 2004)と題された映像作品は、ペルーのリマ出身のガブリエル・アセベド・ベラルデ(Gabriel Acevedo Velarde)の作品である。ガブリエル・アセベド・ベラルデは1976年生まれ、これまでビデオ作品を始め、ドローイングやインスタレーションを手がけているが、2011年にフランスのリヨン・ビエンナーレに本映像作品《舞台》を発表し、国際的な評価を受けたのである。

《舞台》は奇妙な作品である。
本作品は、六本木の森美術館の展示室において2014年5月6日までご覧いただけるが、こちらの一応こちらのウェブリンクも紹介しておく。3分程度のショート•アニメーション作品である。
video here 

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何が起こっているのだろうか?
このステージで繰り広げられるシナリオはいったい、何を意味しているのだろうか?

ガブリエル・アセベド・ベラルデは、そのドローイングやビデオ作品において、個人の人間と公的なるもの(大きな組織や集団)が、明確な衝突に至らずにそれが一見日常的で平和的状況のなかで対峙する場面においてうごめいている「なにか」を可視化しようとする。

作品《舞台》では、無個性の個人が観衆となって一つのステージの前にひしめく。登場人物はおよそ、それら無個性の個人と、彼らを選別し、整列させ、「舞台」に連れてゆき、光線を当てる、彼らがつよい光線によって変性したのちに集団にもどす一連の働きをする役人たちがいる。役人たちは、無個性の個人たちよりも体格がよく、身長も大きい。言って見れば、選別されるべき個人は半ズボンを履いた子どもで、役人は小学校の先生のようである。子どもは舞台に連れ出され、大砲のような装置で強烈な光と音を浴びて倒れてしまう。一見暴力的なシーンに思われるが、次の瞬間観客はその悪い予感を拭い取られ、安心する。なぜなら、倒れた子どもは役人に抱きかかえられた後にすぐに自力で歩いて集団にもどり、他の子どもと元気にステージを鑑賞しはじめるのだ。表面上、誰も傷つかず、何も壊れず、そのムーブメントはひたすらに繰り返され、私たちは鳴り響く光線大砲の音とその強烈な光の断続の中に、映像の物語を追う動機を見失うだろう。

だが私たちは全てを見せられている。

光線大砲で気絶させられるのは、世界が見えるようになってしまった子どもたちなのだ。無個性な個人は、時間が経つに連れて目を開き、見てはならないものを目にしてしまう。見てはならないものを見ることは、役人の意図に反するばかりか、個人の身を脅かす危険すらある。だから、個人は逃げたりしない。無意味に長い整列の道筋に列をつくり、黙って並び、審判を待つ。光線大砲を受けることになれば、覚悟はできているというふうにまっすぐにステージに登って、もう一度盲目となる。溢れる光の中に全てはホワイトアウトし、これでもう、世界の秘密を目撃せずにすむ。これでもう、集団から切り離されてひとりぼっちにならなくて良い。見えないことは幸せとなり、彼らはもういちど、見ることを奪われることによって自由を得た集団の中に身をうずめる。しかしその幸せも長くは続かない。光線大砲の魔法は少しずつ溶けてゆき、そこでは世界はたちまち不穏なものとなってしまう。そのことをだれかに密告される前に、自己申告し、整列するべきなのだ。もういちど盲目になるために。

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世界の秘密は見えてはならない。それは見えることによって、脆弱な個人を脅かすだろう。
大きく見える役人も、自分の目をしっかりと守っている。彼らはそれがあることを知りながら常に瞼を半分下ろし、そちらに目をやらないことによって、自分自身が存続する世界を守っていると信じ込んでいるのだ。

盲目となることによって、あるいはまた、見てみない振りをすることによって束の間の幸せを享受する個人たちは、共通した思い込みがある。

それは、その世界を囲む塀はとうてい超えられないほど高く、高く、彼らを閉じ込めていて、そこからは出られないのだ、だから、そこにいて、繰り返しながら、従うのだ。

ガブリエル・アセベド・ベラルデはこのことに対し、明確な異論を唱えている。
彼らの小さなステージと、慎ましいコミュニティを囲む柵はたとえようなくお粗末で、その外側には言うまでもなくずっとひろい外側の世界が広がっており、簡単に飛び越えられる、ということを。

主催: 森美術館
企画: 荒木夏実(森美術館キュレーター)
会場: 森美術館 六本木ヒルズ森タワー53階
http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/project020/

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