遅すぎた手紙 / Lettre arrivée trop tard

遅すぎた手紙

フランス語でも日本語でも、《Jamais trop tard》 /「遅すぎることはない」という言い方をよくするが、たいていの楽観的な(あるいは本質的な)思考において、何事も遅すぎることはないというのは勇気づけられる言い方ではある。あたらしいことを始めるのに遅すぎることはない、恋愛するのに遅すぎることはない、物事を学ぶのに遅すぎることはない…、というふうに。ただし、いくつかの不可逆な事象をめぐっては、たしかにそれが遅すぎるということになることがある。

人の死、たとえばそれはそのような事象の一例だ。

昨年10月に日本へ送った手紙が戻ってきた。
「あて所に尋ねあたりません。」という赤いハンコが押してある。
この手紙は何ヶ月もの間、日本の郵便局の方が住所変更歴などを辿りながら、どこかにその軌跡が残っているかどうか丁寧に調べてくださった末、結局は見当たらないということで、ゆっくりとパリ郊外の私の家まで戻ってきたのだった。

高校のひとりの恩師に宛てた封筒であった。

私が高校を卒業したのは2003年の3月であるから今から11年前になる。文学部に行くことにしたのもこの人の異常なプッシュのせいだった気もするし、テクストの読む行為と内容あるテクストを書くことの意味について一つのアイディアをくれたのもこの人だったと思い出す。世の中に溢れる本は大抵素晴らしくないのだが、ときどきはよいあるものがあることを教えてくれたのもこの人だったろう。この人のせいで小林秀雄のテクストをさんざん読まされ、挙げ句に美学やりなさい!と奨められた。あまのじゃくの私は「やりなさい!」なんて言われると積極的にやりたくなくなるというのに。
東京大学で英文学を学んだコテコテの文学青年であったはずのこの人は、もっとずっと文学のなかにいたかったのだ。美学やりなさい!はこの人の希望だったのだ。

手紙が戻ってきたのはこの人が昨年の夏に死んでいたからで、彼がひとりで住んでいたアパート宛の手紙はどこにも行き着かずに戻ってきた。

手紙を書いたのは北海道を出てから初めてのことで、なぜ昨年の10月に突然手紙を送ったのかも明確な理由があったわけではない。ただ、私のことを気にしてくれていると何度か人伝いに耳にした。卒業してからその直後に一度会いに行ったきりである。

健康に恵まれない人で、10数年前すでに身体がよくなかった。彼の説明はいつも筋が通っていたが、私はしばしば心の中で異議を唱えて、それがクリアーに組み立てられてスラスラと口をついて出てこないのを知っていたので努力もせずにもみ消した。私は議論の努力を怠る。それは今も全く変わっていない性質の一つだ。

フランスまではるばる戻ってきた遅すぎた手紙を開封していない。お墓参りにいくつもりだがその際届けるべきなのか、私がいつか死ぬまで私の持ち物としておくべきなのか、今日はまだ心が決まらない。

私がもっとずっとあとに、いつの日か素敵な文章を書くようになり、この人に一つだけ書いたものを見せることが出来たとしたら、その時はひとつの詩を書くと思う。

lettretroptard

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