やなぎみわ「寓話」の世界観をめぐって

2008年に書いたやなぎみわさんの寓話とmy grandmothersについての考察、リンクを貼っておくことにしましたー。
http://avcs.web.fc2.com/contents/okubo.pdf

やなぎみわ「寓話」の世界観をめぐって

はじめに
1 2つの先行作品と「寓話」の主題
2 「寓話」の世界観
3 少女と老女,老少女
おわりに

はじめに

1970 年代以降今日に至るまで、「消費される身体」というテーマは芸術表象行為における一つのモチーフとし て繰り返し表現されてきた。巨大な消費構造のなかに放り込まれた人間像という主題は、90 年代後半からの高 度情報化社会においては、ボードリヤールがそれもまた消費構造の中にあると指摘したように、「情報記号とし て消費される身体」という変形を経て、表現され続けた。そこでは、それまでの「モノや機械によって疎外され た空虚な身体」という表象に「純粋記号的で虚構的な身体」という視点を加えつつ、世界における人間存在のあ り方を問い続けるものであったと言える。
こういった傾向に注目し、1996 年には「身体と表現 1920-1980」展が東京と京都で行われ、「消費される身 体」あるいは「虚構の身体」の表現であると解釈される作品として、匿名的なアサンブラージュとも言えるレイ ス・マルシアルの「マダムV.D.Kの肖像」や抜け殻のような人間存在を表現したヨーゼフ・ボイスの「皮膚」 といった作品が紹介された。
松井みどりが著書『芸術が終わった後のアート』において指摘しているように、90 年代後半の芸術的傾向は すでにこういった「消費社会の虚構を模倣することによって批判する」という方法はあまりにも蔓延してドグマ 的になってしまっている。しかし、今日であってもなお「身体疎外」あるいは「身体の喪失」という言説(語り i)が繰り返され、世界と身体との関係を再編しようとする試みは「今まさに表現されるべき主題」としての位置 を占め続けている。
このような傾向のなかで、私はとりわけ 1980 年代以降の写真において「女性による女性の身体」がどのよう に表現されてきたかということに着目して研究を行ってきた。今回とりあげる「寓話」の作者であるやなぎみわの 作品は、これまでも「案内嬢」や「エレベーターガール」のインスタレーションにおいて顕著であったように、 消費社会における女性のステレオタイプに対する批判や風刺と解釈されてきた。現代の我々という存在が世界に どのように位置づけられているか、ということを主題のひとつとして制作を行ってきた作家である。その大きな 問いの中でさまよい、一つの視座を模索しているとも言えるような、彼女の足取りをたどり、そのような文脈で 「寓話」を解釈することを通して、アクチュアルな問題としての情報消費構造の世界と身体表象との関係を考察 してみたい。

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