書くことと話すことのモダリティ / Modalités d’ « écrire » et « raconter »

書くことと話すことのモダリティ

かつては「口頭」のみで行なわれた人々の様々な発話は、物語の伝承がそうであったように、だれかが語り、それを聴いた誰かがまた別の誰かに語ることを続けて、そうやって伝わってきた言葉がのこって、いつの日にか、文字でそれを記そうと思いついた人々の手によって、あたかもそれが「オリジナル」のお話であったように魔法をかけられて、それが書かれたことによって何らかの特権的で絶対的な存在様態を獲得したかのようにして、大切にされてきたし、現在でも非常に貴重な資料として大切にされている。しかし、あるときに突如、書く事によって切り出された「それ」は、それ以前どんな形であったかはもはや分からない。たまたま、発話が持っていた時間軸とは寄り添わない別の時間軸「書くこと」が現れて、発話の時間軸をある時点でつっつくことによって、そこに「偶然」あったものを取り出したのだ。

今日既に様々な言い方で気づかれてきているように、新しいメディアの登場は、そこにあった方法を置き換えるのではなく、相互に影響し合ってその両方が変化することを通じて時間を重ねていく。たとえば、話すことの刹那的な性質に嘆き、これを保存することに可能にする魅力的な手段として、書くことは実践され、もてはやされ、普及し、世界を覆ってきた。このキャパシティを追求し、まるでまわしっぱなしのウェブカメラが生きている時間を全て記憶する夢を叶えるように、書くことのメモリーも拡張され続け、考えが言語化されるのかタイプする指がそれを具体化するのか、といった疑問がふと脳裏をよぎるほど、私たちは身体的にも訓練されている。

現在私たちが経験しているのは、書くことが話すことにある意味で近づくという、運命的な変遷である。逆説的なことに、書くことのキャパシティが途方もなく広がったとき、それは、結果的には無に帰されてしまう。つまり、私たちの行動を24時間監視し続けるウェブカムが収録した24時間分の映像を、我々は同時に進む時間を生きながら追体験することが出来ないという当然の結果と同じことが、途方もないメモリーによって収められた書かれたものを見直すことが出来ないという結果に認めることができるのだ。

書かれたものが話されたものに近づいていく事態。それは様々な点で本質的な差異を含む。また、歴史が不可逆であるのと同様に、この変遷も不可逆であった。そして、これは「書かれたものが話されたものに近づいていく事態」であって決して、「戻っていく」でも「再び近づいていく」でもない。

そのように考える時、それでも、敢えて、ていねいに選ばれた言葉によって語られた発話や、素敵なことばによって紡がれた文章と言うものの有難さや輝きみたいなものの存在を嬉しく思う。

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