ホメオパシー(同種治療)について 5 <個人化された医療><優しい医療>というイメージ

ホメオパシー(同種治療)について 5 
<個人化された医療><優しい医療>というイメージ
(9月9日)
ホメオパシー(homéopathie)は、代替医療(médecine douce)の一種であり、原材料から抽出した原液をかなり希釈した上で砂糖玉と合わせて仕上げているために副作用がほとんどなく、その処方は個人の体質、生活環境に対応している。ホメオパシーは、患者の<全体>(globalité)を見ることを原則とする。症状が観察できる部分だけでなく、患者がどのように症状を訴えているか、よく症状の周辺を観察するのはもちろんのこと、患者の精神的状況やこれまでの生活について、さらにはどのような生活環境で日々を送っているのか、患者の<全体>を見極めた上で最もあったリメディーを選択する。遺伝による病や、体質的にかかりやすい病気などの素質を熟知した上で、病になることを避けるための予防すら行うことが可能だ。この点は、現行の医療で処方される薬が基本的には予防ではなく治療を目的としているのと大きく異なる。(私が以前取り組んだmédecine personnaliséeのプロジェクトのことも思い出される。)

ホメオパシーの重要な特徴の一つは、個人化された医療であり、ありうる病を見極めてそれを予防しようとする医療だということである

この点がいかに魅力的であるか、現行の医療と比較すると直ちに明らかになる。現行の医療はしばしば、上に述べたように、症状が現れてから、あるいは病気になってからの治療を目的とした投薬や処置しか行うことができず、将来なるかもしれない病気に対して手を打つために医者にかかるというのはあまりない。さらには、もちろん体質に合わない薬や、飲んでいる他の薬と合わない薬を処方されるということは今日あり得ないにせよ、現行の医療においては患者が副作用を受け入れることはある程度当たり前の現状がある。「選択肢がない」と説明されてしまう場合には、相当キツイ副作用すら我慢してくださいということが当たり前のようにある。

そもそも、19世紀すでに怪しげだと言われていたホメオパシーを信仰していた人々が魅力を感じた理由が、ホメオパシーが「優しい医療」だったことは知られている。その当時は今よりもずっと、医療は痛みを伴う恐ろしい経験だったのだ。確かに、昔の治療は想像するだけで痛そうである。その当時、痛い治療や手術もせずに、微量の毒(しかも超希釈されていて害はない)を服用すれば病が良くなるとすれば実践しない手はない。それがきちんと効果を上げて病が治るのならば!

今日ホメオパシーを信仰するためには、もう少し別の理由があるだろう。

抗生物質のように、世界中で大量に処方されているけれど、副作用があったり、病の原因である細菌以外の最近にも作用してしまうことで体内常在菌にダメージを与えて、結果的に体調を崩すことがある投薬など、化学療法には、ある病を治療するために身体の何かしらが犠牲にされるか、ダメージを受けることを甘受するようなシチュエーションがよくある。また、乱用が耐性菌を生み出すことによる問題もある。化学的な経験により、我々の身体は<変容>してしまう。ある時は望まない意味で不可逆的な変化を遂げるかもしれない。治療の<前>と<後>では元の身体は戻ってこないかもしれないのだ。一方で、私たちの身体がもともと持っているという<記憶>に訴えかけ、これを呼び起こすに過ぎないホメオパシーでは、身体を象徴的な意味で<変化させ>、<傷つける>ことなく体調を整えることができることになる。

身体の自然治癒力を信頼すると同時に予防のための医療であることも重要だろう。ここでは、中国の医者にまつわる逸話を思い出すことができる。東洋医学や中医もまた、伝統的に<全体を看る>ことが重要視されており、問診は時間をかけて大変丁寧に行われ、病気や症状のある部分だけでなく患者の全体を見渡し、予期される病や症状が出ないようにするための気配り(ケア、治療、soins)を促す。逸話では、医者は患者が病にならずに健康を保っている間は報酬をもらえるが、一度体調を崩すと報酬を受け取らない。何故なら、患者が健康を維持することが医者の任務であるので、患者を病ませてしまったことが医者の責任であるという。興味深い話ではある。ホメオパシーも、<全体をみる>という点では、こういった東洋医学と共通する思想があるのだろう。

一方、ホメオパシーは現代ヨーロッパ(日本でも)コテンパンに言われることが多いが、東洋医学はなお重視されていたり、正当性が認められている。西洋でも中医を学ぶのはちょっとブームになってさえいるのはやや皮肉に思われる。何故なら、<科学的であるかどうか>というスタンダードでは、東洋医学の基礎となっている人体論や陰陽論は「科学的」ではないだろう。中医はそのエキゾチズムによって西洋人を魅了し続けることができている気がするが、東洋医学が今日も有効だとされているのはエキゾチズムのせいだけではない。となれば、違いは効果が認められているかどうかだろうか?

Laisser un commentaire

Votre adresse de messagerie ne sera pas publiée. Les champs obligatoires sont indiqués avec *