06/6/12

日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。part2

2012年5月13日(世間は日曜日)、この日の朝は早い。京大の加藤くんの発表が午前10時、9時半には機材チェックで集合。

この日一番ドキドキしたのは、個人発表のレジュメが足りなくなって、ファミリーマートに走った時だ。準備しているうちに、要旨に載せた作品分析の内容が思いっきりはみ出し、やむなく長々とレジュメに載せた部分があったし、心を込めて作ったレジュメでもあった。それに、せっかく日本で発表できる!!とワクワクやってきて、コピー代をケチってレジュメが足りないなんて、色々とおわってる(と思う)。せっかくファミマに行ったのに、ホワイトチョコ&クランベリークッキーを買い損ねたことには後悔の念が絶えない。

「なぜ人は外国のファッションに憧れるのか」は、二日目のシンポジウムのテーマである。コーディネートの高馬さんとは、スペインのコルーニャの学会で二人でフランス語で発表したという楽しい思い出がある。今回のシンポジウムでは、企画段階から当日まで、大変お世話になった。リトアニアからスカイプ電話をかけてくださったり、準備もとても楽しく勉強になった。いや、私なんかほとんど何も働けておらず、高馬さん、皆さんに感謝の気持ちでいっぱいである。

高馬さんがお話しされたエキゾチズムと未熟性への着目はとっても興味深い。西洋の日本のファッションへの憧れは、常にエキゾチズムの視点に立脚してきた。未熟性と無臭性を強調する日本のモードは、「アジアで最も西洋化した国」というアイデンティティーを西洋にもう一度突き返し、その価値を問う、盾であり矛であるのだ。

ジェシカさんの発表内容は、私自身もゴスロリとロリータカルチャーの海外輸出について色々調べたことがあるので、めずらしくちょこっと予備知識があった。だが、彼女の提示する視点は、さすが西欧の女性のものである。Yoji Yamamoto Comme des Garçons などの80年代以降パリのプレタ•ポルテで活躍したジャパンデザイナーが提案していた、クールでカッコいいファッションに憧れて日本にやってきた彼女が目にしたのが、少女というか人形というか子ども?!のようなフリフリ•ロリロリのスタイル。この流行を目に前にして、「日本のファッション界に騙された!!!」と思ったらしい。この発言はなかなかカッコいいなと惚れ惚れした。日本という国は、しばしば、小さくて美しい繊細な箱に入った、ノスタルジックなおとぎ話のように、ヨーロッパの人々に妄想されている。(日本人が、フランスに行けばマリー•アント•ワネットの世界が広がっていると妄想するように。) そう言われてみれば、Rei Kawakuboのギャルソンのスタイルは海外のアクティブで格好良くてオシャレなそしてやっぱりややギャルソンヌな女性に心から愛されているようだけれども、そのスタイルは、国内でティーンズやヤングのファッション雑誌のページの大部分を占めるような、いわゆる「はやりのスタイル」には成り得ない。ニッポンの女の子は、可愛くなきゃいかんらしい。

池田さんが見せてくださった映画の抜粋に登場する大正ゴスロリ少女は凄かった。少女というか、本来のゴシックの未亡人のようですらある。フリフリを軽く着こなすというのがいかに難しいかわかる。あまりに感動したので写真を撮った。

日本の映画に初登場のゴシックロリータ。

 

私自身は、「キャラ的身体とファッション」というテーマで、現代的なメディア環境に生きる中で、私たちのボディイメージとファッションへの感覚が変化しているのではないか、という話をした。アバターやアイコン、プロフィール写真で自分の顔を常に覆いながら、ネット上でのコミュニケーションに長い時間浸っていると、自分の生々しい肉体はほぼ意識の外に追放されて、二次元的のキャラ的イメージとして「わたし」を感覚してる状況に気がつく。このことが、テーマ「外国ファッションへの憧れ」にどうか関わるのかというと、つまり自分をキャラクター的に認識している身体意識は、リアルな外国人ボディを熱烈に目指していた身体意識とはまったく違うということを指摘した。

身体意識について、考え始めて久しい。そういえば以前は、身体イメージにより焦点を当てていた。このテーマについて語るとき、幾つか割り切れないエレメントがあって、それは、国(文化圏)と世代(年齢)だ。あまりに当たり前の要素で申し訳ないけれども、「キャラ的だよね!」なんて、一つのことを爽やかに言ってのけてみたいときに、これは大きなダメージを及ぼす。現象や文化はものすごく強烈に国や世代に結びつけられているとは言え、「キャラ的身体、なんて、日本社会内だけで通じる内輪ネタだよね!」とか、「二次元的に自己像を認識してるなんて、ネット世代だけでしょう」とかいう風に、希少動物保護地区に隔離されてしまうともう負けである。

いや、これはそもそも戦いではない。私たちがこれからすべきことは、国(文化圏)と世代(年齢)を越境できるちからをもった言葉で語ることだ。日本のネットが、日本のケータイが、日本のサブカルが、この先どこにも着地すること無く、ふわふわと漂って独自でガラパゴス的な伝説となるのなら、私たちはこれを語り、書き、残す必要は無い。少なくとも私はそんなことに興味がない。

学会の反省からやや脱線してしまった。だが、海外からの一部の視線によって形作られる、日本のファッションやアートに対するエキゾチズム風のちやほやモードの上で浮かれることなく、そんなものをむしろ突っ返すくらいパワーのある議論なり、書物なり、物語なりが、必要とされていると思うし、そういうものを発信していきたいと思う。

時間がほんとうにやばいと話をしているところ。室井先生有難うございました!!!

05/28/12

日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。part1

かれこれ2週間も経ってしまった。2つ前のポストで(here!)、あるいはblog de mimiにおいても、日本記号学会第32回大会について宣伝させていただき、発表要旨も掲載させていただいた。そんなわけで、日本へは5月11日の午前中に到着し、その日一日は、時間がないなりに最大限楽しもう!と、京都国立近代美術館にて村上知義の「すべての僕が沸騰するー村上知義の宇宙ー」展を訪れ、その足で引き続き、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAの展覧会を訪れた。12日お昼から学会の総会、セッション、パフォーマンスという一日目のプログラムが始まる。事前調査では、関西は暖かい予想で比較的薄着しか持ってきておらず、この日はかなり寒い目に遭った気がする。ファッションをテーマにした学会なのに、色のごちゃ混ぜもありえない重ね着も寛容するしかないほどに、寒かったことには参った。

セッションの前に、実行委員長の小野原教子さんから挨拶があった。小野原さんとは、数年前にスペインのコルーニャで国際記号学会のセッションでご一緒して以来、彼女がロンドンにいらっしゃった際にパリから訪れてお世話になるなど仲良くしていただいている。小野原さんらしい、衣服を纏うことと記号学へのパッションに溢れる素晴らしい挨拶にとても感動した。

一日目のセッションは「(人を)着る(という)こと」というテーマで、人が衣服を着るあるいは脱ぐというのはどういうことなのか、あるいはそもそも人は完全にまとっているものを脱ぎきって、裸になることができるのか、という纏う行為そのものの定義を揺さぶるような興味深い着眼点だった。このことは、もちろん、2日目の最後に行われた、鷲田先生と吉岡先生の対談「〈脱ぐこと〉の哲学と美学」の中で議論された内容にも関わる。つまり、人が裸になるとはいかなることか、完全なる裸になることは本質的に可能なのか、身体にまとわりつく沢山の意味から一体人は自由になることができるのか、といった問題だ。

2日目の最後、学会を締めくくる対談の中で、吉岡先生は〈脱ぐこと〉に関わる幾つかのパフォーマンスや作品を紹介された。島本昭三の女拓写真、あるいは高嶺格のワークショップで参加者の女性が実現した裸写真もそのうちのひとつだ。

私がとりわけ興味深く聞かせていただいたのは、1960年代から数あるハプニング作品の中で、先生がおっしゃったように人々は脱ぎまくっていたわけだけれど、その中の幾つかの作品においては、たしかに、身体が見たこともない、あるいは別の存在として提示され、その瞬間、私達は普段「裸」の身体をみつめるのとは全く異なる視線でこれを見つめる。まさにこの時、身体はひょっとして、生まれてから死ぬまでこれをがんじがらめにする多重の意味のネットから解放されて、「真の裸の美」みたいなものとして現れるんじゃないか、という話だ。(ひょっとしたらそういう話じゃないかもしれないが、私はそのようなコンテクストで理解した。)

お話を聞きながらずっと、意味の異化とは何か、ということを考えていた。見慣れていないもの、見たことがないようなもの、ありきたりのものがびっくりするような仕方で提示される時、たしかに、普段私達が馴染んでいる「意味」を脱いでいるのだろう。その一方で、見たことがない新しいイメージもまた、完全にニュートラルであるということはなくて、おそらく別の一つの「意味」をまとっているのだろう。女拓は見たことがないという点で明瞭な意味を与えるのが非常に困難だが、美術家の語る言葉や見る人の反響、個人的な印象といった様々な要素がからみ合って、曖昧な意味を構成していくだろう。こう考えてみると、ひょっとして意味を脱ぐことなんか決してできないんじゃないか、と思えてくる。

いや、ちょっと待って。意味と意味の隙間には何があるか。2つの隣りあう意味と意味の隙間とは、異なるものの間であるのだから、必然的に「空虚」な部分がある。一つの意味からもう一つの意味に着替えるとき、やはり一瞬でも意味のない瞬間がある。なぜかわからないが、こんなことを考えていたら、子供の頃見ていたTVアニメ、セーラームーンで月野うさぎが変身するシーンが頭に浮かんだ。月野うさぎは「ドジで泣き虫な普通の中学生」だが、街に妖魔が現れると人々を守るために「愛と正義の美少女戦士セーラームーン」に変身する。問題はこの変身シーンだ。彼女たちが変身するのは危機に際してであるので、言うまでもなくアニメで30秒近くにわたって描かれるこの出来事は瞬時に完了する事象の引き伸ばしである。変身の間、コスチュームとアイテムが順序良く装着され終わるまで、彼女の身体はなんと輪郭線だけで表現されている。輪郭線の中の彼女の身体はレインボーカラーでベタ塗りされていて、そこには何もない。(変身シーンを御覧ください。here!) この瞬間の少女の身体は月野うさぎでもセーラームーンでもなく、さらに言えば、何者でもなく、存在ですらないかもしれない様態だ。

おそらく、人は意味を脱ぐことができる。脱ぎっぱなしでいることはできないけれども、瞬間的に、意味を着替える瞬間に、私達は気が付かずともいちいち自己をリフレッシュすることができているのではないだろうか。私にとっての意味をまとう身体イメージは、十二単のようなものではなく、ヒーローの変身シーンのようなものである。

さて、新聞女の西沢みゆきさんのパフォーマンスはとても面白かった。参加者全員を巻き込むパワフルなパフォーマンスの場に居合わせたのは初めてのことだった。室井先生も吉岡先生も(吉岡先生は更なるオプション付きで)、一緒にパフォーマンスを見ていた楠本さんも、新聞だらけになった。彼女はパフォーマンスを始める前、アートがいかに人を幸せにするものであるべきかを語った。彼女の語った言葉と表現行為の力強さと裏付けのあるポジティブなエネルギーに感銘を受けた。

アートに限らず、人が人を巻き込んで何かをしようとするとき、それはポジティブなエネルギーに満ちていることが素敵だ。それも強い願いや信念によって貫かれているならなお素敵だ。私がこれからたくさんの人達と成していくであろう活動もまた、誰かが元気になるエネルギーを生み出すことに貢献していけたらいい。

パート2もお楽しみに!
(二日目のセッション、個人の発表について)

実行委員長の小野原さんと会長の吉岡先生(イヴェント後の。)

05/8/12

日本記号学会 第32回大会 2012.5.12-13

日本記号学会第32回大会 「着る、纏う、装う/脱ぐ」
開催日:2012年5月12日(土)・13日(日)

会場:神戸ファッション美術館 第一セミナー室/第二セミナー室/ギャラリー

1日目:5月12日(土)
13:00
会場・受付開始(学会員のみ)
13:30
総会(学会員のみ)
14:00ー16:45
実行委員長挨拶・問題提起 小野原教子(兵庫県立大学・現代ファッション)
セッション1「(人を)着る(という)こと」第一セミナー室
鈴木創士(フランス文学者/作家/音楽家)/幣道紀(曹洞宗近畿管区教化センター総監/妙香寺住職)/塩見允枝子(音楽家)/木下誠(兵庫県立大学・フランス文学)
17:00-17:45
企画パフォーマンス 西沢みゆき(新聞女)

2日目:5月13日(日)
10:00-12:45
研究発表(※詳細はサイトをご覧下さい)
13:45-16:00
セッション2「なぜ外国のファッションに憧れるのか」 第一セミナー室
高馬京子(ヴィータウタス・マグナス大学アジア研究センター・言語文化学)/池田淑子(立命館大学・カルチュラル・スタディーズ)/大久保美紀(京都大学大学院/パリ第八大学・美学)/杉本ジェシカ(京都精華大学国際マンガ研究センター・マンガ研究)
16:15-17:45
セッション3 「〈脱ぐこと〉の哲学と美学」 第一セミナー室
鷲田清一(大谷大学・哲学) VS 吉岡洋 (京都大学・美学)
17:45
閉会の辞 吉岡洋

日本記号学会ホームページはこちら(プログラムもこちらをご参照ください)

*上記研究発表内、第一セミナー室において
「モビリティ概念と身体意識 〜現代の自己表象行為を特徴づけるもの〜」
および、2日目午後のセッション「なぜ外国のファッションに憧れるのか」において、
「ファッションとキャラ的身体」というテーマで発表します。
発表要旨は以下★★★

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2012年5月 記号学会発表要旨

「モビリティ概念と身体意識 〜現代の自己表象行為を特徴づけるもの〜」

大久保美紀

本発表では、現代を生きる我々の身体意識とこれを特徴づけるモビリティ概念の関係について考察する。

モビリティとは文字通り可動的な性質であり、モバイル=可動性という言葉は、この20年間で瞬く間に技術的発展を遂げ、私たちの行動様式を再編成した携帯電話そのものをも意味する。また、エルキ・フータモは論文An Archaeology of Mobile Media(『モバイル・メディアの考古学』,2004)において、可動性を持ったメディア(ディバイス)をこれまでのメディア史において主として論じられてきた固定されたメディアと区別し、現代の速度論的社会(ポール・ヴィリリオ)の中で私たちの身体にいつも密着する形で移動するメディアとして定義した。

ウェアラブル・メディア、ポータブル・メディア、そしてモバイル・メディア。身体に密着し、いつも私たちの認識や経験と共にある新しいタイプのディバイスに対し、私たちは様々な呼び名を与えてきた。しかし、身体自体が運動し、メディアを介した情報コミュニケーションもまた潜在的なレベルで移動性を持っていることを鑑みれば、モバイル・メディアは適切な命名で、モビリティ概念こそが重要な意味をもつことが明らかになる。

さて、モバイル・メディアは身体意識(body consciousness)をラディカルに変質させた。ノートパソコン、タブレット、ケータイを通じてどこにいても常に外の世界に開かれ、そこに接続されている身体。 人々がディバイスをパーソナライズ化する行為はガラパゴス化した日本社会の特異現象と見なされてきたが、物質的な身体を離れた潜在的な身体のユビキタス的広がりを感覚する現代社会において、インターフェイスとなるディバイスを一つの身体の形代と見立てるのはむしろ自然なことですらある。

これらを踏まえるとき、現代の自己表象の特徴と傾向はどのように分析、理解されうるだろうか。表現方法は、テクスト、イメージ、パフォーマンス、オブジェ、それらを組み合わせたもの等様々である。今日では、絵画、小説、音楽、演劇、写真、服飾という芸術家の作品のみならず、ブログやmixiでの日記、写真共有サービス上でのアマチュア写真家のプレゼン、フェイスブックでの活動、ツイッターを介した交流もまた、現代的な自己表象行為を代表する重要な発表形態とみなすことができる。モビリティの時代における自己表象行為がどのような方法・形態で実践され、そしてそれは身体意識とどのように関係しているかという問題について取り組む。

本発表では、ハイ・アートの領域において身体をメディアとして扱ってきたオルランやぴゅ〜ピル、あるいはファッションにおける川久保玲らの活動を新たな観点から分析し、ウェブカムやデジカメ、インターネットの普及以降台頭したアマチュア・アーティストの活動やゲーム・コスプレの身体感覚にも言及し、その歴史的意味を読み解く。Mechanical Turkを利用した実験的作品の発表も行う。
以下、シンポジウム発表要旨
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キャラ的身体とファッション

 大久保美紀

人々は往々にして外国のファッションが好きだ。日本人は今昔フランスの老舗ブランドの重要な顧客であり、「パリ」「フレンチ」という言葉はオシャレで洗練されたイメージを想起させる。一方、フランスでは、日本語の形容詞「Kawaii」が未曾有のマンガ•アニメブームの中で堂々と市民権を獲得し、日本のKawaiiファッションもまたこの追い風を受けて熱心に受容されている。

さて、このように日本女子がヨーロピアンテイストを模倣し、パリジェンヌが着物やコスプレを愛好する今日の状況は、日仏の上流階級女性の間で19世紀後半に見られた洋装ブームやジャポニズムの流行と同様に「外国ファッションへの憧憬」であると見なされ得るのだろうか。本発表では、現代社会において経験される身体様態の変化に着目しながら、人々のファッションに対する今日的なスタンスがいかなるものかを明らかにする。

そもそも「憧れ」とは、理想とする物事や人物に心惹かれる有様である。また、自分自身が同一化したい対象、あるいは所有物として獲得したい対象を指す。現代社会を生きる人々は、ファッションに対して何を求め、どのような欲求実現を目指しているのかを具に分析すると、表層的にはかつての洋装模倣と同質で継続的に見える今日の外国ファッション受容は、従来とは全く異なる身体様態と対象意識に基づくものであるということが明らかになる。私たちは、一見外国ファッションを熱心に模倣し続けているかのようで実はそうではない。もはや「憧れ」てすらいない。

ゲームやヴァーチャルリアリティーという多様なシミュレーション体験、あるいは、既に日常的となったアバターや絵文字に依存するウェブ上のコミュニケーションを通じ、私たちの身体像は遍在的•虚構的で、極度に簡略化されたものとなった。シンプルで抽象的な図柄によって代表される自己イメージは「キャラ」的な身体様態を形成する。フェイスブックなどのソーシャル•ネットワーク•サービスに見られる特定のプロフィール写真は、アイコン化された自己認識を創り出し、ブログやミニブログのアイコンとそれを肉付けするテクストは、世界に「キャラとして私」をさらけ出すための自己演出を実践する。

キャラ化された身体は、自分自身の身体イメージを生々しいリアルな世界に置き続けながらも、他方でそれを記号的なモチーフとして作り直し、自分であり自分ではない別の存在として知覚する。このような身体的知覚を通じて得られるものが、ゲーム感覚的な人生観にもつながる、現実に対するある種の非直接的な意識である。自らと共にあるにもかかわらず、同時に無感覚なほど遠くにあるような身体。これが現在のファッションが依って立つところの身体様態の正体である。

人々は、西洋人のボディラインを手に入れることや、外国人らしい顔立ちになること、それをたとえば整形手術によって手に入れようと熱心に追求するのをもうやめてしまった。一方で、それに取って代わるアニメキャラやお人形、アイコン化された自己イメージが新たな憧れの対象として台頭してきている。それは、簡略化と修正を経ているにせよ、本質的には自分自身が関与するアイコン的イメージに還元されるという点で、逆説的にも、深い自己愛に満ちた愛されるべき身体様態であると言えるのではないだろうか。

02/20/12

Zani, artiste intéressée

Zaniというマケドニア出身のアーティストの作品が好きだ。Zaniは1989年にマケドニアの美術学校を卒業し、マケドニア国内でたくさんの展覧会やアートプロジェクトで仕事をした後、現在はロンドンに渡り生活している。パリでではCARRÉ D’ARTISTESというフランス各地に支部を持つギャラリーに所属し、このギャラリーのコンセプトである正方形の絵画を数多く制作している。

GALERIE CARRÉ D’ARTISTEじたい、多くの注目の現代アーティストの作品を扱う面白いギャラリーで、なんといってもの強みは同じフォルマの正方形絵画はすべて同じ価格で販売していることである。私が以前購入したのはそのうちの最も小さなフォルマで、10×10cmと15×15cmのもの。作家によっては一点ものであったり、シリーズ作品を出展している場合もあるが、すべてもちろんCertificat d’authenticité(証明書)が添付されている。取り扱いアーティストはバラエティに富んでおり、正方形というフォルマはモダンなインテリアや白い壁と相性が良いので、多くのアマチュアを魅了する潜在的なパワーをもっている。

さて、私はまだ実際のZani本人に会ったことは無い。彼女が作品を制作する際のマテリアルは、アクリル絵の具と珍しい画材のコンビネーションであることが多い。彼女が題材とするのは、人々の日常的な生活やどこにでもあるありふれた出来事。その一コマ一コマからインスピレーションを得たアーティストは、強く率直に鮮やかな色彩を伴って独特の世界を表現している。

次の作品は、「The butterfly’s pond」である。一人の女性が背を向けて池の渕に腰掛けている。遠く、女性の向こう側には白い家が並んで建っており、さらにその向こうには山が連なっているのが見える。女性は右腕を自分の頭にまわしており、ややうつむいている。手前にあるのは蝶とそして池の水だ。青い蝶は赤色の光と濃い色彩の球体の中に守られているように見え、実は女性が腰掛けているのは池の渕などではなく、その超をはらむ球体の上であるようにも見える。あるいはまた、女性の身体からその世界の中心が産み出されているかのような構図にも見て取ることができる。遠くに見える世界は妙に平坦で生気無く描かれていて、こちらで産み出される新しい鮮やかな世界と死んだような世界を対照的に描き出している。

the butterfly's pond, 15*15cm

私がいつも魅了されるのはこのアーティストの女性身体の表象である。率直に言うと、かたちそのものに強く惹き付けられる。背中から尻の部分にかかるカーブもその白いアクリル絵の具の質感もつうっとなぞられた背筋の一本のラインも、とても素敵だと思う。

そして、「Two women」は、私が数ヶ月前リールにあるCARÉE D’ARTISTESで購入したもう一つの小さな作品である。二人の女性が向かい合い、片方の女性がもう一人をうつむきながら抱き寄せている。二人の女性は茂みのような場所に立っており、そこには静かであるけれど身に染み入るような大粒の雨が降っている。

two women 1, 10*10cm

彼女のテクニックのなかで、下の層にさきに施された彩色が白のアクリル絵の具に寄って隠され、削られた部分においてのみ姿を見せるというのがよく使われる。二人の女性のお互いの身体が寄り添った部分には暖色が、外の世界に触れている互いの右半身には寒色が施されていて、けずられたボディラインがそれを明るみに出している。とてもシンプルだけれども、暖かい作品であるように思う。

彼女の所属ギャラリー、CARRÉ D’ARTISTEのサイトは以下、またZANIについての紹介ページも以下に添付した。
GALERIE CARRÉ D’ARTISTE
ZANI, ARTISTE

02/16/12

Jeff Wall展, White Cube in London

White CubeというロンドンのギャラリーでJeff Wallの展覧会が開かれていたので訪れた。White Cubeはロンドンの中心に位置するギャラリーで、これまでも何度か訪れたことがあった。一見見逃しそうなパッサージュの中を進んでいくと、まさにホワイトキューブ!と誰もが確信するギャラリーに出会える。

Jeff Wallの写真は何度か自分の目で見たことがあるはずだ。しかしどこで何をどのように見たのか思い出せない。おそらくイギリスとフランスで見たのだろうと思うのだが、中途半端に作家の名前や作品を知った気になっているとしばしばこういった信じられないことが起こる。作品を直に目にする行為とカタログやデジタルイメージで得た経験が無意識に混同しているのはとてもコワいことだ。

 

私が個人的にJeff Wallという写真家の活動について興味を持ち、カタログなどを見たり批評を読んだりするようになったのは、アメリカ人の批評家であるマイケル•フリードが2005年のパリ近代美術館 »Cahier »においてJeff Wallの作品について論じているということを知ってからのことである。マイケル•フリードはクレメント•グリーンバーグのモダニズム美術論を継承し、1960年代のアメリカにおける抽象表現主義の流れにあったジャクソン•ポロックやフランク•ステラの絵画作品、そしてアンソニー•カロの彫刻作品を擁護してきた。その一方で、ドナルド•ジャッドやロバート•モリスといったミニマリズムの芸術を「演劇的な要素を含むもの」として激しく非難してきた。

マイケル•フリードのクラッシックな主張によれば、「演劇的なものは芸術を堕落させてしまう」。(『芸術と客体性』)(1967)ここで批判された演劇性とは、作品経験の際の鑑賞者の身体を巻き込んだ演劇セットのような作品展示のあり方と、その経験に強いられる時間制であった。さらに、作品経験の本質が鑑賞者と場が関係を結ぶことのみによって成立している点のことである。フリードの理論は1960年代から現在という長い長い時を経る中で積み上げられ、変化もしてきているので、私なぞが短時間で語りうることではないので、今回は、フリードが美術における演劇性を批判的に考えていたという一言でやめておき、Jeff Wallの作品の話に入りたい。

Jeff Wallの写真はコンストラクテッド•フォト(構成された写真)である。一見自然なシーンを撮影したようであるが、実は何時間も何週間も時間をかけてよくよく構成されて、さらにはデジタル処理をほどこされ、モンタージュされて出来上がった写真である。『演劇性』とは「演劇的な性質」という意味であることからすれば、スナップショットのように偶然性を追求する写真に対して、しばしば綿密に演出されて、合成されて、よくシナリオが熟考されて、大きなフォルマで提示されて鑑賞者を引き止めてしまうJeff Wallの作品は「演劇的な」写真なのではないかと思ってしまいがちだが、先に述べた当のマイケル•フリードはJeff Wallの作品を高く評価する。このことについては、また別の機会に『演劇性』の定義とともに考えてみたい。

とにもかくにも今回、White Cube Galleryで紹介されたJeff Wall作品は大きく二つのシリーズに分けられる。一つ目はギャラリーのファーストフロアに展示された巨大な風景写真シリーズ、Siclly 2007である。

 

Ossuary headstone, 2007

ドキュメンタリー•ピクチャーズにカテゴライズされるこの作品は、墓石を取り巻く世界が刻々と年を取っていく時の流れを物語的に描いており、墓というもののもつ物質的な非永遠性と人の死の永遠的な事実をいわば対置することにより、つよいコントラストで描き出しているようにもみえる。えんじ色のタイルは剥がれ、その底から緑の草が芽吹いている。ちょうど上の方に見える別の墓石には一時的でその場しのぎでしかない非常に美しい花々が飾られている様がみえる。

Hillside near Ragusa, 2007

こちらは非常に大きな画面で構成された作品であり、ずっと向こうまで続いていく坂の向こう側は見えないが一番高くなっているところまでですら、かなりの距離があるのがわかる。丘の方に見える細かな石や手前に点々とした草花のひとつひとつが息をのむほどはっきりと写し取られている。

 

もう一つのシリーズは、New photographesというシリーズからの出品だ。あたかも日常生活における一コマを切り取ったようなシーン選択であるが、実は隅々まで綿密に計算され、演出され、準備され、合成されている。こちらからの作品を3つほど見てみよう。

Ivan Sayers, costume historian, lectures at the University Women's Club, 2009

1910年モノのイギリスの伝統的なドレスを身にまとった女性。写真はその瞬間に行われた出来事、その瞬間にそこに存在したものを記憶するが、この作品において、写真は過去と現在の間で混乱している。綿密なまでに過去の演出を施された現代写真は、もしそれが見抜けぬまでに完璧な出来映えで過去のものとして提示されたとき、一体何者になりうるだろうか。

Boy falls from tree, 2010

私がもっとも長い時間ぼーっと眺めていた作品がこちらだ。少年が木から落ちる、という作品名であり、その通り一人の少年が木から大胆に落ちている瞬間を劇的に記録した……というはずもなく、巧みに練られ、洗練された合成写真である。これを目にして考えていたことは、偶然の瞬間に潜む美を熱心に追求することで芸術活動を行っている写真家と、Jeff Wallのように計算され尽くした構成で物語を写し取っていく写真家の手法の違いについてである。前者の写真家が風景を撮影する写真家には圧倒的に多いのではないかと思うが、つまり、最高のオーロラの写真を撮るために何時間も何日もその待ちに待った瞬間を狙っている写真家がいる一方で、念入りに画面を構成し、イメージを合成し、色彩に手を加えてしまう写真家がいる。彼らはもちろん同じレースを走っているわけではないあまりに異なる手法を持っているが、普段我々が芸術を「作品」という単に我々の目の前に提示される結果として認識し、鑑賞していることを鑑みれば、このことは十分に興味深い違いであろう。

Boxing, 2011

さいごに、ボクシングをする少年を表現したこの作品もConstructed Photographesである。二人の少年の腕や身体のポジションはたしかに「本当の動き」という文脈を微妙に逸脱し、切り取られたかのようであり、不思議な印象を受ける。この印象が魅力でもあり、Jeff Wall作品の面白さなのだろうと感じる。

この展覧会は、2011年11月23日から2012年1月7日まで、ロンドンのWhite Cube Galleryにて開催された。すべての作品イメージは以下ギャラリーサイトからお借りした。

White Cube Gallery

02/6/12

Chiharu Shiota « Infinity »

Chiharu Shiota
« Infinity »
2012年1月7日〜2月18日
Galerie Daniel Templon, Paris

塩田千春の »Infinity »がパリで見られる。Centre Pompidouよりすぐのギャラリー、ダニエル•タンプロンにて2月18日までの展示が予定されている。塩田千春は現在ベルリンで活動するアーティストであり、パリでは2011年にメゾン•ルージュにおいて »home of memory »のインスタレーションを行っている。その際には、大きなドレスと部屋中に張り巡らされた黒い糸、そして400個のスーツケース作品が展示されていた。

maison rouge, home of memory
(アーティストインタビュービデオも見られる)

インタビューでも述べているように、彼女が表現の主題とするのは、不在の記憶、マテリアルが語るぬくもりや想い出、生や死や人間の感情の繊細さや普遍性であろう。つり下げられたドレスは、もうその場には居ない袖を通した人間の存在を想起させる。400個のスーツケースにはひとつひとつにそれぞれの人の旅の想い出が込められており、持ち主を失って空っぽにされて展示された400個のスーツケースは、400人の人々が過ごした旅の記憶を静かに語る巨大なアーカイブとして現れる。

塩田千春は、糸をマテリアルとして使用するアーティストである。糸は、結んだり、張ったり、切ったり、編んだりすることができ、彼女は、糸というマテリアルのこれらの性質について、人のさまざまな感情を移す鏡として認識している。

黒い糸で張り巡らされた部屋は、古い家にごく自然に時間が流れていき、そこに住んでいた人ももう居なくなってしまったけれど、その記憶とともに取り残されてしまった部屋という印象を与える。誰もおらず、何も無いのに、気配を感じざるを得ないような、強い印象を見る者にもたらす。

一方で赤い糸は全く別の印象だ。2008年、国立国際美術館で行われたインスタレーション作品『大陸を越えて』では、遺品を含む2000足の靴を赤い毛糸に結びつけた迫力ある展示を行っている。靴を使った作品では2004年の『DNAからの対話』があるが、『大陸を越えて』においては、2000足の靴それぞれに対して持ち主の靴への思い入れを綴った手紙が結びつけられているために、よりいっそう人々の思い出の集積を印象深く表現している。

Over the Continents, 2008, shoes, wool, yarn

ART IT 塩田千春インタビューより借用

 

さて、現在パリで行われているインスタレーションは、 »Infinity »、ギャラリーの空間をそのまま彼女のマテリアルである黒い糸で覆い尽くしてしまった。

古い家の不気味な蜘蛛の巣であるようで、繊細に張り巡らされた黒い糸は不気味でありながら美しく、蜘蛛の巣の中に静かに輝く3つの電球が床や壁に神秘的なまでにきめ細やかな影をつくりだしている。

3つのランプのうちの一つが他の2つのランプに対してリズムを与えているのだそうだ。ランプの点灯のリズムは、ランダムであるようにも感じられるし、言われてみればインタラクティブであるようにも見える。心臓の鼓動や脈拍が静かに空間全体にリズムを与えるかのよう。あるいは静寂の中で繰り返される呼吸であるのかもしれない。

もう一点今回展示されていた『トラウマ』という作品。これは2007年に東京のケンジタキギャラリーにおける個展『トラウマ/日常』で展示された立体作品、子どもの純白のドレスや靴といったオブジェが非常に細い黒い糸によって宙づりにされ、絡み付けられ、束縛されている。糸自体は細くてもろい存在であるのに、無数に何重にも絡み付いた糸は純白のドレス、そしてそこに秘められた記憶をその中に拘束し、そこから自由になることを許さない。

ギャラリーの一室をまるまる黒い糸で覆い尽くすインスタレーションは作家自身にとアシスタントによって3日がかりで制作されたそうだ。3つのランプが代わる代わる静かに点灯する様子をながめていると、蜘蛛の巣のような不気味な印象が遠のいてゆき、なにやら懐かしい気持ちになってくる、不思議な空間がそこにある。

01/31/12

書くことの現在

大学のレポートや小論文、学位論文に至るまで、アカデミックな現場での「書く」行為にはたくさんのルールがある。この言い方はあまりぴったりとこない。つまり、アカデミックな文章を書くにはそれ専用のルールがあり、小説には小説のルールがあり、批評には批評のルール、雑誌記事には雑誌記事のルールがあるといったほうが、きっとよい。
ここ数日、フランスのニュースで学生のレポートや論文をめぐるコピペの問題が何をきっかけにか爆発したように紙面をにぎわしている。何を今更、若者のテクストの独自性のなさを嘆く意味があるのだろうと嫌気がさしながら、記事を斜め読みしていると、コピペ探知ソフトが開発され、その使用実施によって、コピペをした学生に処分を下したり、論文を否認するというフィルターがかけられるようになるといった展望についての、ホットな話題であるということがわかった。

そもそも、コピペをフィルターで発見するということが現実的にどれほど可能なのだろうか。コピペなのかコピペじゃないのかという線引きは一体どこでなされるべきなのか。
文字通り文章をコピーしてペーストし、一字一句が同一であるならば、それを自分の書いたものとして提出した場合、盗作と呼ばれるだろう。カギカッコのなかにいれて、引用と注釈をつけて、ソースを相手につたえて、これは私の作った文章じゃありませんと断ることがルールだからだ。ほんの少し言い回しを変えた場合は?品詞の順番を変えたり、文体を変えたり、少し意訳するというかたちで原文に手を加えるということは、ある言語を自在に操る能力のある人にとって、全く困難なことではない。この場合もこのコピペ探知ソフト(あるいは将来のコピペ探知ソフト)は、大学教員に向かって、親切にも何らかの警笛を鳴らしてやることができるのだろうか。

そもそもオリジナルな文章なんてあるのだろうか。きっとあるのだろう。どこにも見たことが無く、言葉が異化され続けているような、新鮮な文章がきっとどこかにはあるのだろう。
しかし、多くの場合、大学やあるいは教育機関によって求められているレポートや小論文と言ったものは、決められた課題が与えられて、その十分に限定された問題について作文することを要求されている。誰にもわからないような、見たことも無いような文章が求められていないことは明らかであるが、私がここで言いたいのは、そのように、すでに課題として出題されうるほど既に多くの人々によって考え抜かれ、書き尽くされてきた内容に対して(メタファーとしてのコピペを含む)コピペをすることなしに、「私の考え」を編み出すことなど、不可能であるということなのだ。いや、可能だとか可能じゃないかいうことではなくて、それ自体に価値があるのかすらわからない。

新しいことを書くことができないのなら、なぜ人はそれでも書かなければならないのか。
自分の書いていることが斬新であると信じることのできる人は、これまでの人生でよっぽど何も読んだことがないか、あるいは自他をポジティブに差異化する能力に優れていてそのうえそれを信仰することのできるナルシストである。
なぜ書き続けるのだろう。それは、ひとつには文章というかたちで思考を集積することにより、それはいずれ集積としてまったく別の何かを創りだすことにつながるかもしれないからだ。
生命には創発性という性質がある。ひとつひとつの細胞や組織はきわめて単純な化学反応や生命活動を行っているけれど、それが一つの器官という集積として働いたとき、神経細胞のあつまりである脳はその細胞の単純さからは予想もつかないような複雑な機能を果たす。
人が書き続ける理由はこれに似ている。集積された思考は、それまでの断片が単体では果たさなかった役割を果たすことがある。
これは全くもってオリジナリティーとは関係のない話なのだ。

大学生のコピペ事情から、遠いところに来てしまった。
そもそも、このコピペ探査ソフトは誰の為なのだろうか。
大学側は、若者の考える力や構成力の低下を指摘し、物事に関する基本的な知識や教養の不足を嘆いている。だから、コピペレポートは探査ソフトで発見されて、レポートを作成した学生は退学になり、学生達は恐怖におびえながら、興味があまりないテーマだけれども山のように積まれたレポート課題を、インターネットなんてなるべく使わないで、図書館の湿った本のページを繰りながら、すこしずつ言い回しを変えたり、引用を明記したりしながら、膨大な時間を使えばいいというのだろうか。
あるいは、こうも言える。大学の先生たるもの、生徒がいとも簡単にコピペしてきたものくらい、どうしてそれが彼ら自身で考えた文章ではなくて有名な理論家(批評家、研究者)のページから持ってこられたものだということを、見抜けないのですかと。
これはこれで不可能なのは明らかだ。そもそも現代、どれくらいの書かれたものがインターネット上にもっともらしく存在しているのか、想像して頂ければわかる。「読むべき本」や「共通知識としての云々」なんか、もう存在していない。あるいは、サイクルが早すぎて、すべてをさばききる前に、それは古いものになってしまっている。だから、星の数ほど散らばっている文章から、学生がどこをのなにをコピペしてきたかなんて言うことを、血眼になって探すだけの元気があるのはコンピューターだけである。

コピペを見抜けない教育者のも不幸であるし、コピペレベルの仕事しか求められていない学生達も同様に不幸である。

これが書くことの現在であると、認識した上で、コピペ問題についての生産的な議論が行われているのであれば、そういった話は大いに聴きたいと思う。

01/7/12

Art Brut, les dessins d’hiver

アール•ブリュットは現代アートにおける新しい動きや芸術的な傾向を語る上で非常に重要なカテゴリーである。なぜなら今日、型にはまった芸術的教育を受けていない芸術家の活躍が注目されたり、テクノロジーの発展によって素人であるにもかかわらず写真や音楽を簡単に加工したりすることができるようになった結果、そもそも、「プロフェッショナルな芸術」とは一体何か、という根本的な問いが投げかけられるようになってきている為である。

芸術的教育を受けていないけれど彼らの制作が芸術領域で重要なものとして注目されている作家たちを「アウトサイダー」と呼んだりもする。遡れば、彼の死後に大量のデッサンが自宅から発見されて有名になったヘンリー•ダーカー/Henry Darger(1892年生)は日本的な「かわいい感性」に合致する為か日本で大変有名である。

ヘンリー•ダーカーは自身の中にある子どもの王国のイメージを制作し続けた。裸の少女にはしばしば男性器が見受けられる。それらは彼が19歳から構想を練っていた大長編小説、非現実の王国にて(In The Realms of the Unreal : The Story of the Vivian Girls, in What is Known as the Realms of the Unreal, of the Glandeco-Angelinnian War Storm, Caused by the Child Slave Rebellion)の本人による挿絵である。

彼が引きこもってこの長編物語を執筆していたことは知られている。
彼のイラスト的な絵画を当時のものとして斬新と捉えたり、大きな文脈での重要性を発見することは自由だが、彼はおそらく自分の持ちきれないイメージを体現化するためのひとつの手段として、この長編小説を執筆していたのだろう。そして、目に見える風景を挿絵として描いていたのだろう。

アウトサイダーアートとして彼が有名になることはアウトサイダーアートというカテゴリーを必要とする現代のアートムードの都合でしかないのだ。

先日、アール•ブリュットを専門とするパリのギャラリーであるgalerie christian berstにおいてクリスティアン•ボルタンスキーとギャラリスト、フィリップ•ダジェンによる鼎談が行われた。テーマは、「アール•ブリュットは現代アートのなかにとけ込むことができるのか?/L’art brut est-il soluble dans l’art contemporain?」。議論は全体として、ボルタンスキーが自分自身を現代アートの文脈の中にどう位置づけているか、そしてアウトサイダーアートと自分自身の制作をどう位置づけているか、というラインを軸に進められた。

そもそも今日あいまいであるプロフェッショナルなアーティストとアマチュアの境界線。さらにはもっと曖昧であるアウトサイダーの定義。美大のディプロム、アーティストとしてのフォーメーションを経ていないと言う点でボルタンスキーは自身をアウトサイダーであると言わざるを得ないようだ。しかし、2010年のドキュメンタ、数々の展覧会に代表されるアート界第一線における活躍はいわゆるアウトサイダーアートの典型的な姿ではもちろんない。

もう一方にあるアウトサイダーアートの強烈なイメージは知的障害者や精神障害者によるアート、あるいは彼らの治療としてのアートセラピーという形。ボルタンスキーはこのことに引きつけて、付け加える。自分自身が精神的に大きな問題を抱えていたこと、芸術作品の発表という形でその問題を外側へ向けて解放してきたことによって、作品を制作する以前に比べて幸福な人生を送っているということ。必要不可欠な行為としての芸術表現行為を明言するのである。

アール•ブリュットはパリにもこのジャンルを専門にしているギャラリーが複数存在するほどに、現在モードのアートジャンルの一つである。しかし、その発見と発表については、彼らを大きなコンテクストの中に巧みに位置づけ、イントロデュースするギャラリストやキュレーターといった第三者の貢献が大部分を占めているように思える。

たしかに、さまざまな芸術的コンテクストを知らなければまったく理解することのできないような複雑きわまりない作品に頭を悩ませる状況からすれば、しばしば、子どもの絵やアウトサイダーの絵は非常に新鮮であり、斬新である。なぜだろう。それはしばしばストレートであり、またあるときは秘密無く「意外」だからである。

ここに、60歳を持って初めて定期的に絵を描き始めた私のよく知る一人の男性の一連の作品をあげる。絵というよりは、クロッキー帳になにげなく描かれたイラストのようだ。
私にとって、組み合わされたイラスト的要素や、多視角的な描写、色彩の組み合わせ方は非常に興味深い部分であるが、そのことについて論じることが大切である気はあまりしない。名作とアウトサイダーの作品、素人の作品と子どもの絵、これらにどのように言葉を与え、評価することができるのか、と考えてみることはわくわくするが同時にとても難しい。

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01/1/12

Edvard MUNCH, L’oeil moderne

Edvard Munch
L’oeil moderne
21 septembre 2011 – 9 Janvier 2012
Centre Pompidou

エドワード•ムンク展を訪れた。
パリのポンピドー美術館で2011年9月から開催されていたのだが、ぼうっとしていたら見逃してしまいそうだったので、年が明ける前にと慌てて訪れた。実は草間弥生展も平行して開催中である。こちらの展覧会については別の記事でご紹介したい。

エドワード•ムンクは1863年に生れ、1880年頃から絵を描き始めている。象徴主義や前表現主義の枠組みの中で捉えられ、20世紀の画家というよりはむしろ19世紀末の画家として認識されることが多いのだが、彼の著名な作品の多くは1900年以降に制作されている。1944年に没するまでの長い芸術家人生の中で、エドワード•ムンクは絵画の他にさまざまなジャンルを広く越境しながら、彼の主要なテーマである人生の孤独や愛というものを多様に表現してきた。

今回のポンピドーセンターにおける展覧会 »L’Oeil Moderne »では、ムンクの絵画作品だけではなく、彼が興味を持っていた映画製作や写真、雑誌やラジオという多岐にわたる表現活動も視野に入れることにより、ムンク作品のモダニティの性質と彼の問題意識について我々を考察に誘うことになる。

この展覧会の門をくぐると、我々はまず最初に、ムンク自身の撮影による映像作品を目にすることになる。

展覧会は、『叫び』とそのほか僅かの作品しかムンクの世界としてイメージを持たない鑑賞者にも丁寧に多様な作品世界を開くようにしてスタートする。

『思春期』は原題で文字通り「変わり目」。少女の背後には不定形のしかしはっきりとした影がある。ムンクはこのテーマをのちにも描いているが、やはり暗色で少女の内なる変化を具現化した形でのなにかを絵画上にはっきりと描いている。

『二人の人間、孤独』(1905)、一人の男と女が距離を保ったままお互いの足で地面に経っている。後ろ姿からはその二人の視線は見えない。二人の人間は男女であるけれどもその二人の間にはなんの関係性も会話も聞こえてこない。向こう側には渦の巻く海のような世界が見え、二人を取り囲む空気は不安定で心もとないニュアンスがある。ムンクは孤独をテーマにした作品を後にも作っているが、この作品は後のものに比べて背景や地面のタッチに質感が感じられる。孤独であるけれども描かれた空気や地面の質感によって少し救われている感じがするのだ。

主要なテーマの反復はムンクの回顧展を一周すれば明らかである。たとえば、孤独、嫉妬、病む少女といったテーマは何十年にわたりしばしば繰り返されている。テーマの反復は、アーティストの関心の深いことを表しているのだが、別の見方をすることもできる。テーマの反復性は作品の複製可能性も意味する。10年後に同じテーマに着いて別の視点で全く新しい作品を制作するというのではなく、構図や色彩がほぼ同じものとしてのテーマの反復は、ムンクが写真や映画というメディアに関心を持っていたことを鑑みれば、19世紀末ロダンがすでに彫刻を鋳型で量産することで実施していたような芸術作品の量産への関心を期待させる。

繰り返されるテーマの作品をまとめた第一章「反復」を終えると第二章は写真メディアを通じたムンクの「自伝」へと導かれる。

病める少女

ムンクは自画像も多く撮影しているが、私にとって興味深かったのは、自己の展覧会の様子を多く撮影していることである。展覧会場に人が居ない様子や、額におさめられた「病める少女」など絵画作品を撮影し、写真メディアという形で記録をのこしている。とりわけこの写真では、会場の様子や訪問者を含めて撮影したのではなく、作品をフレームいっぱいに収めている。つまり、現代であればカタログを制作する際にすべて作品はイメージ化されるというプロセスが、アーティスト自身により行われたという点で興味深い。アーティストは自身の絵画が写真となることによってより軽やかな記録となることを知っていたのだ。

ムンクは若いとき美男子であったらしい。「通りかかったら人が振り返るほどの」なんてステレオタイプな形容がフランス語でされてあった。それだから、か、それなのに、なのかムンクは幸せな恋をあまりしなかったらしい。この裸婦の絵は、部屋いっぱいに彫刻を含め、さまざまなフォーマットで展示されていた。よく見れば、女性は涙を流していた。

ドラキュラ

吸血している女性も反復されたテーマの一つである。ムンクは神経を病み、入院生活を送ったこともあるそうだが、吸血鬼の絵を何度も反復してみせられると、その絵の具を運ぶタッチも生々しく感じられる。このようにウエイトのあるテーマをもって描かれた作品は再び描かれても、やはり重々しく辛いのであり、ここでは、テーマの反復はアーティストの世界を明確に描き出しており、上述したような作品の複製性とはほぼ関係がないようにすら思える。

嫉妬

彼の自画像における表情の描き方には特色がある。とりわけ、何らかの感情をテーマとしている作品において、彼自身が登場するけれど、はっきりと悲しいとか怒っているとか、そのような単純な表現ではないのだ。そこにあるのは、「放心」の類いであり、「欠落」の表現である。かの有名な「叫び」を見て、感情を述べよと言われても述べづらい。それは欠落しているゆえにそこに取り巻くすべての暗色を担うことのできる表情だからである。
ここに嫉妬のムンクがいる。彼は怒っているのではない。泣いているのでもない。ただ、部屋の隅にどうにか居続けることができているけれどもうすこしのところでなにかが壊れていきそうな、そんな頼りないオーラを感じさせるのだ。

後年に彼が描いた自画像。ちなみにやはり空虚な表情をしている。

時計とベッドの間の自画像

老年期のムンクの自画像だ。掛け時計とベッドの間に自分の老いた姿に望みを失ったかのような彼自身が居る。時計は言うまでもなく時間を刻むものだ。彼に残された時間を歯に衣を着せることなく刻々と告げていく。ベッドは彼が息を引き取るべき場所だ。そこには時間の終わりがある。

この展覧会に「叫び」はやってきていない。「叫び」がなくとも、ムンクの制作の全体像が小説を読むように丁寧に構成されているような展覧会であった。とりわけ、彼の写真や映画、雑誌という20世紀メディアへの強い関心と作品への影響について考えてみることは興味深い経験となった。

展覧会はあと8日間、2012年1月9日までの開催である。

10/25/11

秋の落ち葉の風景

耳の奥でシーンと速いけれど鋭くはない何かが響き、
きゅうに敷き詰められた落ち葉がカサカサと音を立てる。
落ち葉はどこに行くでもなく、人々が目にとめるわけでもなく。

空が晴れているということはそれだけで無条件に素晴らしく
雲におおわれて寒いということはそれだけで絶望的な気分を演出する。

黄色い落ち葉が敷き詰められた道を目にすると想い出す風景がふたつあり、
一つは大学生の時に楽器をたくさん練習していた場所の記憶。
もう一つはどことも限定できないのだけれど、高校生の時の通学路のある道の風景。

通っていた高校は家から自転車で20分くらいの場所にあり、
雪が降るまでは自転車、冬の間はJRか地下鉄で通っていた。

制服を着るのがたまらなく嫌で、よくわからずに日本の画一的教育を批判していた。
生きることや人生について考えたり、アンハッピーなふりをしたりしていた。
眠らないで頑張ろうと思ったり、できないことは全部できるようになろうとしていた。

何かを我慢して我慢して我慢して、次の日のこと次の年のことを考えれば
いつかとても幸せになれるのではないかとどこかで本気で思っていた。

考えなくてもよいことを考えすぎるのはおそらく無駄だということに気がつくのは
果たして素敵なことなのか、当たり前のことなのか、それとも誤解なのか

以前たくさん考えていたことは、ふと気がつけば今全然考えもしないことになっている。
時間がたくさん経ってしまうことはまだ怖いけれど、いつかそれすらも辛くない時が来るのだろう。