10/7/12

追記:添い寝/Soine論 少女達のぬくもりを、さがすなかれ。

追記:添い寝/Soine論 少女達のぬくもりを、さがすなかれ。

数日前、ソイネ屋という新たなニッポンの癒し産業についてテクスト(salon de mimi, soine)を書いた。「不穏に感じた」このサービスのまわりをウロウロする幽霊のような存在について、私自身が幽霊のようにしか言及できなかったことを残念に思ったし、そのことに関連して、いただいた感想のいくつかとコミュニケートしてみたいと感じた。私がここに、まだしつこく添い寝考を綴っているのは、そういうなりゆきである。

数日前に当ブログに掲載した添い寝論「添い寝 / soineがなぜ気になるのか」は、次のように締めくくられている。

我々は、あたたかく、やわらかく、いごこちがよく、おだやかで、へいわなものに向かって歩いているようだ。そこにむかう視野が極端に不明瞭であったとしても。

このことについて、ひとつ大切なことを付け加えたい。それは、「おだやかで、へいわな」添い寝は、何がどのように転ぼうと、明日目が覚めたら白亜紀の恐竜達が地球上に蘇っていようとも、そこにセックスの匂いはないということだ。添い寝サービスはとても不穏であるのだが、それは歪んだ欲望のかたちや本来ならば精神衛生上不自然な人と人との距離の均衡をつくりあげるからであって、それが「添い寝」という仮面を被った遊郭@秋葉原であるからでは、けっしてないのだ。

もう一度確認のために暗誦してみよう。
へいわなニッポンの癒しサービスである「添い寝」に、性の匂いを嗅ごうとするのは間違いである。今後まんがいち、このようなサービスをめぐって現実に性的な危機が立ちのぼってきたとしても、それは「添い寝」のほんとうの意味にとって、所詮文字揺れのようなものでしかない。

ニッポンの癒しである「添い寝」のお供は、ホイップクリームとイチゴやベリーがたくさん入った甘くてキレイなクレープみたいなものであり、あるいは、早く食べなきゃ溶けてしまうけれどスプンを入れるのが可哀想なほど素敵に盛りつけられたパフェのようなものである。添い寝にカクテルは必要ないし、ウイスキーの水割りを作る必要もない。私たちは甘いおやつでおなかを満たすのは自由だが、しらふでなければならない。

それから、彼女達が隣にいるからといって、あなたは「可愛い女の子がよこで寝ていて、緊張して眠れない」などと気の効いたセリフを言ってあげる義務もない。あなたは全力で眠ってよく、ワクワクするのもソワソワするのもあなたの自由であるが、その先には何もない。何もないというのは、その期待や欲望にたいして何らかの「行き止り」があるのではなく、文字通り「空虚」なのであるから、あなたの思いがどこかに跳ね返って戻ってきたり、あなた自身がどこかに衝突してしまうこともない。あるのは、ただ、「眠るあなたが独りぼっちではない」という事実だけである。誰かがそこにおり、あなたが眠ることができ、その瞬間あなたは物理的にその空間において独りぼっちではない。求めることができるのは、このことである。

彼女のぬくもりをさがすなかれ。あなたがそこで出会うのは、あなたが世界で一人にならないために、あなたの隣に静かに寄り添う「オンナノコ」なのである。彼女らにぬくもりはなく、その身体の触覚の深いところにある何かを求めても、あなたはもうどこにも行けない。

「少女達のぬくもりを、さがすなかれ。」それはあなたがいつかとても混乱してしまわないための、ひとつの魔法の呪文のようなものなのである。

10/5/12

Sophie Calle / ソフィカル:見えることと見えないことをめぐる3つの対話 1986〜2011年

ソフィカル:見えることと見えないことをめぐる3つの対話 1986年〜2011年

『盲目の人々/ Les Aveugles』(1986)

『最後のイメージ/La Dernière Image』(2010)

『海を見る/ Voir la mer』(2011)

 この短いテクストにおいて、ソフィカルが80年代以降引き続き取り組んできた、「見えること」と「見えないこと」にかかわる問題提起と、彼女なりの現時点での結論をあえて言語化してみることにより、美のイメージと人々のコミュニケーションの主題について考えてみたい。
ソフィカル(1953年生、パリ)は、1981年に写真とテクストで構成された『眠る人々/Les Dormeurs』(制作は1979年)を発表し、アーティストとしての活動を始める。物議を醸し出したストーカー行為の『尾行/À Suivre』(1978−)や、自身の想い出や物語を写真とテクストで綴った『本当の話/Des Histoires vraies』が国際的に評価を受ける。2008年の第52回ヴェネツィアビエンナーレでは、フランス代表のアーティストとして選出され、ダニエル•ビュランのキュレーション協力を得て、年齢も国籍も職業もさまざまである107名の女性達にカル自身が過去に交際男性から受け取った別れの手紙を朗読してもらうというプロジェクト『Prenez soin de vous』を発表した。現代では、フランスのみならず世界的のコンセプチュアルアーティストのうち、もっとも重要な作家の一人になっている。

30年間に及ぶ様々な表現行為のコンセプトから垣間見られるソフィカルのアート表現の特徴を確認しておこう。
1980年代前後から、自分のベッドに友人や知人を招待して眠っているところを撮影し(『眠る人々』)、街で見知らぬ人々を尾行して写真を撮影するという一風変わったコンセプチュアルな作品を作る(『尾行』や『ヴェネツイア行進曲/Suite Vénitienne』(1980))。彼女の制作のテーマは、しばしば偉大なアーティスト達がするような、人間の生死や人類全体の記憶という普遍的テーマに正面きって訴えようとする取り組みとは、きっぱりと対照的なアプローチをとる。きわめて個人的で親密な主題の選択。アーティスト自身の身の上話や想い出、見も知らぬ他人のとりとめのない語り、感傷に満ちた家族との想い出、恋人とのストーリー。それらは多くの場合、彼女自身による写真とテクスト、そしてその記憶を証明するオブジェとの組み合わせで展示される。ソフィカルアートにおける鑑賞者の態度の一つの典型は、アーティストの個人体験を追体験することだ。

本当のことと本当ではないことが混ぜこぜになっている事実を「どうでもよいこと」として受け止めるのが、ソフィカルアートに楽しく対峙するための第一歩でもある。どこまでが本当で、どこからがフィクションか思い悩む事は無意味だ。そもそも、彼女の作品の中で提示される写真の大半が後撮り(つまり、記憶からの再発見もしくは再構成)である。物語の真実性を裏付ける目的で挿入されるべき数々の写真はつまり、「証拠写真」でありながら、同時に、あからさまな噓であるのだ。彼女のコンセプトを作品として表現するプロセスにおいて、各々の物語やナラティブの真偽は本質的にどうでもよい。カメラのレンズを通して写真に収められたイメージが「リアル」でありえないのと同様に、ひとびとが思い出し語る物語というものは、いわゆる「たったひとつの真実」とは似ても似つかないものだからだ。

ソフィカル本人の経験を、追体験する事、これはソフィカルアートの一つの典型的方法であったのだが、『盲目の人々/Les Aveugles』(1986)のコンセプトとその実践は、この典型的方法をまったく逆の方向にたどるための試みであると言う事が出来る。盲目の人々の「ことば」によって再構築されたイメージ、これが彼女の唯一の創作であるわけだが、これを得るためのプロセスは、盲目の人々の想像力に基づく「ことば」を、カル自身が追体験しようとすることに依存しているのだから。

さて、『盲目の人々』(豊田市美術館展示2012年、salon de mimi みえるもの/みえないもの)はスキャンダラスな作品であった。この作品ではソフィカルが生まれつき盲目の人々に「美のイメージ」を尋ねる。その答えをもとにソフィカル自身がそのイメージを再構成する。イメージというのは、なるほど目で見るものである。好ましい、気持ちがいい、愛するといった感情や感覚のために視覚は要求されない。触りごこちのよいものが美しいものであるということも出来よう。しかし、「美のイメージ」といったとき、それは視覚的な像であり、一枚の絵画や写真のようなものなのだろう。インタビューから得られた盲目の人々の答えから出発し、一枚のイメージを再構築するという行為は、なるほど、アーティストと彼らの想像力を重ね合わせるという点で、素敵な協働作品であると言えないことはない。

ソフィカル作品において、したがって、盲目の人々との対話、あるいは見えることと見えないことをめぐる問題提起は多岐にわたるようにみえるアーティストの表現コンセプトの中でももっとも長い期間取り組まれているテーマの一つである。というのも、盲目の人々との対話は、今をさかのぼる26年前、1986年カルが27歳のときのインタビューに始まる。上述した、盲目の人々が語る美のイメージをヴィジュアル化するといういわば協働作品だ。

2010年にはイスタンブールで13人の、かつて見えていたけれども今は見えない人々に出会う。(『La Dernière Image』,2010)彼らが最後に見たものは何か、という質問を投げかけ、その証言に基づいて、彼らの最後のイメージをヴィジュアル化する。彼らの答えは、しばしば強いエモーションやショックを我々に共感させるものだ。目の手術の医療ミスで見えなくなった人は、手術直前に見た医者の白衣を脳裏に焼き付けており、事故で見えなくなった人は物体が顔面に向かって飛んでくるまで見えていた緑色の風景を鮮明に語る。少しずつ見えなくなった人は、かつてぼんやりと見えていた家のソファや家具の様子を思い出すが、「私には、最後のイメージはありません」とはっきりと述べる。ここでもまた、カルは、彼らの最後のイメージを追体験しヴィジュアル化することを目指し続ける。

La dernière image, Aveugle au divan, 2010

La dernière image, Blind with minibus, 2010

2011年に舞台となったのは同じくイスタンブールの地で、人生の中で一度も海を目にした事のない人々に初めての海を見せるというプロジェクト『Voir la mer』を実現する。トルコの内陸からやってきた、これまで一度も海を見たことのない人々14人が海辺でその風と波の音に包まれたのち、自らのタイミングでこちらを振り返る、という数分間の短いヴィデオ作品14本である。最も長く見ていた人は4分、短い人は1分半ほど、噛み締めるように波の音と風と匂い、そして空と海の色で構成される環境としての「海」に包まれ、それを知り、振り返るときの表情をヴィデオは鮮明に捉える。

いったい彼らが目にしたのは、どんな海だろう。実は、かつて目にしたことがなく初めて海に臨む14人それぞれの見る海は、カル自身が見る海と同一ではない。我々は時間と空間を共有してもなお、同じ視野を持つことがなく、そこにはつねに齟齬がある。この事実はつまり、ディスコミュニケーションが「見えること」と「見えないこと」の間に横たわっているという言説を根本的に打ち消す。見える我々自身が見ていると信じる対象はそれぞれの視覚によって捉えられた主観的なものであり、本質的な意味でのディスコミュニケーションが内在するのはまさにこの段階においてである。我々は誰ひとりとして誰かと同じイメージを「見る」ことが出来ない、という人間の根本的な謎のようなものに接近する。

voir la mer, Jeune fille en rouge, 2011

voir la mer, Jeune fille en rouge, 2011

「私が美しいと思うもの、それは海です。視野の果てまで(視覚を失うまで)広がる海です。広がる海です。」
ひとりの盲目の男性のこのような言葉にインスパイアされて始まったカルのプロジェクトは、
「美しいもの、私はそれを断念しました。わたしは美を必要としないし、頭の中でイメージを必要ともしません。自分が美を鑑賞できないので、私はいつもそれを避けてきました。」
という美のイメージを拒絶した男性の言葉を手がかりに、表層を遠ざかることに成功する。最後のイメージを尋ねるその意味は、見えることと見えないことの境界をカルなりに探ろうとした実践でもあった。そして、最終的に、一枚のイメージ(海)の前に、見えていたカルと見えていなかった人々を並べ、そのイメージの共有を試みる事に行き着く。しかしながら、明らかになったのは、我々が一枚の美のイメージの前に、美の存在を共有できるという幸せな幸福ではなく、我々は誰ひとりとして、海という大きな存在を前にしてすら美のイメージを共有する事はないという、皮肉に満ちた本質的な結論であった。我々の認識は、我々自身もよくわからない内部を通り抜け、たとえそこに絶対的に在ると信じられる母なる海を前にしてすら、だれかと分かち合うことはできない。
そのことは、寂しいことでも辛いことでもなく、ごく当たり前であるが故に、とても平和なことである。カルの一連の歩みを追体験する鑑賞経験においてもまた、我々は、それが変奏的追体験のだと納得した上でなお、なにかを感じる。それは、心の深い部分がかすかに「共振」するのを感じるような、繊細な感触なのだ。

*Sophie Calle « Pour la dernière et pour la première fois »
本テクストで取り上げた、二つの作品『最後のイメージ/La Dernière Image』(2010)、『海を見る/ Voir la mer』(2011)は、現在、Galerie Perrotinで2012年9月8日〜10月27日にかけて開催中の展覧会においてご覧になれます。


Galerie Perrotin: 76 rue de turenne 75003 Paris
 / www.perrotin.com

Galerie Perrotin, Sophie Calle « Pour la dernière et pour la première fois », 2012

10/4/12

添い寝/Soine がなぜ気になるのか

image from http://soineya.net/

そうか、「添い寝」もサービスになったのか。Facebook上で東京のイベント情報をアナウンスするアカウントから発されたリンクが偶然目に飛び込んできて、ふとそう思った。秋葉原という立地、この周縁の文化的なものが築き上げてきたムードを思えば、目新しさも驚きもない、一見すると、既に存在する数々の日本的サービスのヴァリエーションのひとつに過ぎないと見なし、素通りすることもできた。これまでも、日本の風俗産業はおそらく世界のそれよりもクライアントの熱い要望に応えて「癒し」を重視するかたちで、今日まで試行錯誤を続けてきた。ラブホテルひとつとったって、利用者が主たる利用目的以外の部分でも様々な行き届いたサービスが受けられるように細かな気遣いがなされているし、いわゆる売春に関わらない飲食業(そもそも売春は禁止ですから)、たとえばメイドカフェのような空間でも「癒し」がなんたるか不明確なままに、キャッチコピー、およびイメージとしての癒しは追求され続けている。

この添い寝サービスにあえて私が注目したのは、これまでの癒し産業、メイドカフェの手を替え品を替えたあの種類とはどことなく異質で不穏な印象をキャッチしてしまったからである。

(ソイネ屋ウェブサイト→ http://soineya.net/)

添い寝サービスを提供するソイネ屋では、ウェブサイトに掲載されている情報によると、アダルトな行為は禁止されており、強制した場合は退場願われるらしい。このことは、各々のお昼寝部屋に落ち度なく監視カメラが設置されており、サービスを受けるお客様たちの行動は全て短期的にあるいは長期的に録画保存され、提供サービス以外の出来事が起こる事態を未然に防ぐ準備があることを明らかにする。お客様は添い寝の恩恵を受ける間中、それが「眠ること」に関わるある程度プライベートなシチュエーションであるにもかかわらず、他者から見つめられ、客観的な方法で管理されている。

サービスの内容を詳細に見てみると、そこには、「女の子と見つめ合う」「女の子になでなでしてもらう」といった添い寝と全く関係ない(横にならなくても可能、という意味で)サービス内容、あるいは「女の子に腕枕してあげる」「女の子の膝枕で眠る」などの身体的接触を伴うサービスも含まれている。
料金プランは特別なサービスを受けた場合に加算されるほか、基本的に添い寝の時間によって決定されていて、20分、30分という短いコース(これは、眠るためでなく、添い寝という恩恵を享受するためのプランと見なすべきである)。および2、3時間という、確かに人が眠ることが出来るであろうシエスタ級のプランもある。問題は、記載コースで最長の10時間というプランである(延長は可能だ)。人が普段眠るときですら、睡眠時間は6時間~8時間であるのだし、10時間という時間の長さは、変な言い方だが生物的におそらくは両者にとってある意味苦痛を伴う長さであるとすら思える。つまり、添い寝という目的で「癒し」効果を放つかわいい女の子と規定されたサービス内容に従って過ごすために、10時間は遥かに長過ぎる時間なのだ。

10時間がどんなふうに長すぎるか、少しだけ考えてみよう。

Les dormeurs, Sophie Calle, 1980

私が作品を調べたり分析しているアーティストに、Sophie Calleというフランス人の現代作家がいるのだが(another posts here, aveugles, salon de mimi)、彼女が1979年に行った変なパフォーマンスに『眠る人々(Les Dormeurs)』(publié en 1980)というのがある。この作品の中で、Sophie Calleは自分のアパートに8時間ごとに28人(母、自分を含める)を招待し、自分が毎日眠っているベッドで8時間、眠ってもらい、彼女はその間彼らの寝姿を撮影する。28人の招待者達は、人と決してすれ違わない日本のラブホテルとは違って、交代がしらお互いに顔を見合わせる。そして、彼らが寝ていたぬくもりの残るベッドに入り、8時間を過ごす。シーツを変えたのはたった数回であるらしいから、シーツも枕も共有することになる。
この作品において、Sophie Calleは彼らと添い寝している訳ではない。しかし、彼女はある意味で、添い寝を仕事として雇われる少女達のように他者として眠る人々の横(à côté)に存在し、彼らを見つめている。「見守っている(observe)」といった方がいいかもしれない。彼女は眠る人々と共にベッドに入ることなく、一定の距離を保ってプロジェクトを遂行するが、それでも、知らぬ人々(4人だけが知人で、見知らぬ人もたくさん含んでいた)の寝息を聴き、寝返りを打つ姿を眺めながら、狭い寝室で8時間という時間の長さを共有することは、「眠る」という行為が本質的にもつ親密さゆえに、奇妙な感情を呼び起こす経験であったことを証言している。

このことは、あなたがもし懐に余裕があって、極度の睡魔を抱えていて、秋葉原に立寄り、10時間コースのサービスを受けた後、10時間もあなたのすぐそばですやすやと寝息を立てていたかあるいはあなたを見つめていたとても若い女の子に、「ありがとう、良く眠りました、ばいばーい」っと言わなければならない瞬間を想像すれば、その奇妙さの類いが伝わるであろう。

添い寝それ自体について、私はこのテキストを夜中の2時に書いていてとても眠いので、当ウェブサイトに写真が掲載されているような、可愛らしい女の子が何も言わず添い寝してくれるなんて、なんと魅力的なサービスであろうかと、おおかた好意的な感想を抱いている。多分昼間に書いていたとしても状況はそう変わらず、依然として想像の範疇では、なんだか気持ち良さそうなものに感じてしまうだろう。添い寝を「癒し」の範疇でとらえるとき、それはウェブページに掲げられたキャッチコピーが象徴しているように、誰かがそばにいてくれるだけでいい、という一言に尽きるのである。「好意的な感想」と述べたことについて、もう少し詳しく説明しよう。

「添い寝」は、人が眠るためには必ずしも必要のないものである。そもそも人は、慣れ不慣れの問題を除けば本質的に、たった一人で立派に熟睡し「眠り」を全うすることが出来る。誰かと眠るということは、それが恋人や家族であれば、日々の繰り返しの中で、お互いのぬくもりと続く呼吸を聞きながら眠ることが一つの当たり前の「習慣」となるのである。したがって、このときはじめて、眠る行為は自分一人のものではなくなり、誰かと触れ合いながら、誰かの存在をすぐ近くに感じながら、あたかもそのことによって安心感を得るから眠ることが出来る、というふうに自分の境界線を越えて行く。

では、人間にとって、一人で眠ることと誰かと眠ることは、いったいどちらが「癒し」なのか。
身も蓋もない言い方だが、一日中獲物を探して走り回ったけれど餌にあり付けなくてボロ切れのように疲れきった動物がようやく行き着いた寝床でばたりと眠りこけてしまうように、人間もまた、言葉もでないくらい身体的にも精神的にも疲弊している時、重要なことは眠ることそのものであり、その疲れを気遣う誰かによって癒されることではない。
いっぽう、その疲れというのが »exhausted »まで到達していないその時、人は添い寝のような癒しをまっとうに享受するキャパシティがあるし、その恩恵を被りたいという希望を持つ。「添い寝」を人が欲する時、それは、ほんの少しであれ精神的肉体的エネルギーに余裕があり、自己と異なる個体であるはずの他者をすぐそばにおいて(se coucher à côté)、眠りを共有したいと思える瞬間である。つまり、添い寝はけっこうオシャレでソフィスティケートされた贅沢な楽しみなのだ。

ただし、人は本質的に一人で眠るという一見動物的なテーズを少しだけ不安にする事例がある。それは、「母の添い寝」である。赤子の時、本人の記憶はないにせよ母はしばしば添い寝をしてやる。赤子はそもそも母の中に生きていたのであり、10ヶ月という期間を母が眠るのを内部で共有し続けてきた。それがある日、突如別の一個体として世界に放り出されたからといって、その後もしばらく彼らが共に眠り続けることは少しも不自然ではないように思われる。添い寝が癒しであり、人は誰かと眠ることにより安心するのだとすれば、我々がその昔母の中におり、生まれてきた後にすらしばしば引きずられた「母の添い寝」によって、我々のソイネ屋利用願望が掻立てられてしまっていると主張しても怒られはしないのだろう。

添い寝に我々が惹かれるのは、ひとえに、その非暴力性と平和なイメージに拠る。添い寝をしてくれるのは、無力で無害な、ただひたすらに可愛らしい少女でなければならない。そこに性的に誘惑するグラマラスな女が介入すべきではない。それはまた異なる次元のおはなしである。
我々は、あたたかく、やわらかく、いごこちがよく、おだやかで、へいわなものに向かって歩いているようだ。そこにむかう視野が極端に不明瞭であったとしても。

09/21/12

Ré- White Drama / 白ドレスに犯される少女たちは幸福か?

Ré-White Drama
白ドレスに犯される少女たちは幸福か?

Comme des Garçons コレクションについての展評を昨日当ブログにアップした。その後、コレクションのうちの一着(写真上)、クリノリンを肩から足首まですっぽりとかぶり、名和晃平のヘッドドレスは奇怪なモンスターのように目元をのぞいて少女の頭部を覆っているこのドレスに関して、ある人から、「ここまでくると、もはや拷問かも」といった感想をいただいた。そのことについて、いくつか考えたことがあったので、ここにまとめてみる。

川久保玲の作品では、今回のWhite Dramaに限らず、「少女性」がしばしば重要な鍵をにぎる。リボンやフリルは女の子らしさを象徴するアイテムであり、それが同時に、身体の正面で結ばれることによって、着物においては帯の前結びの隠喩として娼婦を象徴し、少女の両手に結ばれたリボンを自由を奪う縄や手錠と見るならば奴隷的支配を意味する。あるいは、コルセットが女性の胴体を変形するまでに締め付けてきた歴史的事実や、肉体の物理的形状からかけ離れた「型」のクリノリンやパニエという造形用具が彼女らに与えてきた不自由さへの同情は、なるほど、身体をありのままに露出することもゆるされている現代の着衣行為を無条件に肯定する信仰を生み出したのであろう。

いったい女性達は、歴史の中で不幸せだったのだろうか?
ほんとうに?
彼女らがこれらの造形道具を脱ぎ捨てたがっていると言ったのはだれか?

少女の身体を覆うクリノリンをもう一度見てみよう。彼女は肩からストンと円錐状に広がるコートをまとっているようであり、彼女の身体が締め付けられている様子も、彼女の存在が蹂躙されている様子も微塵もない。それどころか、緩やかに彼女の身体にまとわりつくクリノリンの下には、柔らかな生地をたっぷり使った暖かそうなロングスカートが、彼女の歩調に合わせて揺れている。白いブーツは安定感があり、彼女の足下のバランスを危うくしたりすることはない。

彼女の顔は、よく見えない。彼女の長く豊かであるか、あるいは短く撫で付けられている髪の毛は、ぐるりと頭部を囲うヘッドドレスによって守られていて、埃っぽい空気にも強すぎる日差しにも晒されていない。我々は、彼女の表情がよくわからない。しかし、彼女には我々がとてもよく見えている。

不自由に見えることと、ほんとうに不自由であることは決して同一ではない。
幸せそうにみえることと、ほんとうに幸せであることも必ずしも一致させられない。

執筆者として参加させていただいている批評誌『有毒女子通信』の次号(第10号「特集:ところで、<愛>はあるのか?」)に、「貞操帯」についてエッセイを書いた。(近日中発行予定なので、何を書いたかはまだ秘密です。ぜひ、お読みください。)その中にもちょこっと紹介した話だが、「貞操帯」は十字軍出征する兵士の妻が、夫不在中の貞節を守るために装着させられるという用途で11世紀のヨーロッパにおいて使用されていたことが歴史的記述として残っているそうだ。

なんてことだ、留守を守る女だけが一方的に性的自由を奪われてしまうなんて。と、憤慨するのは浅はかである。
貞操帯は外部から女性器へ物体が侵入するのを妨げる。貞操帯を装着された女性達は、性的に去勢されており、レイプの対象になることができない。戦時の混乱の中で、女性が犠牲になるということは、ただ単に生命を奪われるという危険に加え、性的な暴力によって犯される可能性を抱えこむことでもある。「貞操帯」が外からやってくる暴力を無に帰す役割を果たすのであれば、これは、女を救い、生きさせる装置であると言うべきである。性の対象になることができないという状況は、ときどき、女の平和を意味しさえする。

ヘッドドレスが口元までを覆っていること、そのヘッドドレスは少女の頭部から外れないということ、このこともまた、少女を救うために神様の愛の表れである。本能的あるいは自発的発生の外にあるフェラチオやイマラチオの強制、これらの行為の残酷さは、人間が人間にできうる幾つもの悪行の中でも最も酷い振る舞いであるからだ。

さあもういちど、少女について、尋ねよう。
少女が自由になりたいと、誰がその声を聞いたのか。
少女がこの服を脱ぎすてることを欲していると、なぜそう思うのか?

少女を、この頑で執拗な、それゆえに暖かく平穏なシェルターから引き摺りだし、裸にしてしまおうとするのは、とても明瞭であるけれども同時に冷酷なアイディアであるということを心から伝えたい。

貝は、貝の中に生きているのであって、殆どの貝は一生その殻を脱がない。
そういえば、宿借が宿を代えるとき、彼らは怯え、命をかけている。

「かおなし」的フォルムのドレスを私が素晴らしいと思ったのは、すっぽりと包まれることによって、指先ほどしか見られることがなく、上手に歩くことができなくて、おそらくは自分自身で脱ぎ捨てることのできそうにない白ドレスが、その柔らかそうなレース編みや素材がとても温かくて心地よいものではないかと、感じられたためであろう。あの展覧会場で、あの白ドレスを目の当たりにイメージしたのは、たしかにそのようなぬくもりであった。

彼女らはそう、白ドレスに犯されてその内部に沈黙する。
少女たちが幸福か?
その声に耳を澄ますだけでいい。

09/20/12

コムデギャルソン 2012春夏 /Comme des Garçons, de la collection 2012 été @Dock en Seine

Hors les murs du Musée Galliera
Exposition de Comme des Garçon
du 13 Avril 2012 au 07 Octobre 2012
34 quai d’Austerlitz
75013 Paris

Docks en Seine

セーヌ川に浮かぶ、緑色の奇妙な建造物。ここはパリの東南、リヨン駅やベルシー駅そしてオーステルリッツ駅というフランス国鉄主要駅が集まっている、パリの東の玄関的界隈である。さて、このキリギリスの腹部みたいな建築は、JAKOB+MACFARLANEというグループによって設計され、デザインとモードのクリエイティブな活動を盛り上げるために、展覧会スペースを提供したり、アートイヴェントの会場となるほか、Institut française de la Mode/パリ•モード研究所(IFM)の校舎がある。

couloir de la Cité de la mode et du design

Dock en Seineは2008年にオープンしたのだが、そういえば2010年の秋に一度、Chic Art Fairというアートの催しの際にアーティストの古市牧子さんと訪れている。その際には、アートフェア会場が完全に屋内に限られていたため、こんなに風通しがよい空間があったことなども知らずじまいだった。ここでは、アートフェアやモード、デザインに関係する展覧会が開かれて、現在とりわけ閉館中(改装工事のため)の世界最大級の服飾美術館であるパリ市立ガリエラ美術館の離れMusée Galliera hors les mursとしての役割を果たしている。

今回訪れたのは、コムデギャルソンの2012年春夏コレクション(ガリエラ美術館所蔵品より)である。バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)の展覧会も同時開催されており、どちらも訪れたのだが、今回、2012年春夏コレクションを一挙に見られるということで、ビニールに反射する光のせいで写真の撮りにくいことは甚だしかったが、プレゼンの仕方もなかなか素敵であったので、こちらの展覧会について紹介したい。

初めて目にしたものを解読したり、楽譜を初見することをフランス語でDéchiffrageというが、ときどき自分が何も知らないということに感謝することができ、それは、何かを読み砕いていくDéchiffrageの楽しみゆえなのだ。コムデギャルソンのデザイナー、川久保玲は新たなコレクションに取りかかる際にはまず、その類希なインスピレーションによって毎シーズンのテーマを紡ぎだしている。テーマあるいはタイトルとしての作品コンセプトは、知ってしまうのがよいこともあればつまらないこともある。幸か不幸か何も知らずに足を踏み入れた今回の展覧会は、今まで見てきた川久保玲作品をヒントにDéchiffrageを楽しむよい機会となった。

Show video here!(youtube)

 

 

白のドラマ »White Drama » が、2012年春夏のプレタポルテコレクションに川久保玲が与えたタイトルだ。薄暗いランウェイに現れる、白いドレスを纏ったマヌカンたちは、胸を張ることも、腕を振ることも、大きな歩幅で歩くということも、つまりは、まったく誇らしそうな様子を欠片ほども見せず、とぼとぼ、うつむき加減にすら見える様子で、こちら側に歩いてくる。一つの服は「作品」と呼ばれながらもそれ自身で独り立ちして語られることがおぼつかないアイテムだ。私が展覧会会場で目にした白いドレス達はマヌカンの身体を離れて沈黙しており、このドレスをまとう少女達がいったいどんな足取りでこちらへ向かって歩んでくるのか、何を想いこちらへ視線を投げ掛けているのか、その解釈は鑑賞者が自由な想像力にまかされる。しかし、その勝手な妄想の中で、自身の想像力の脆弱さを常に問い続けなければならないという点で見る者は不安から逃れられない。あるいは、そもそもショーが唯一の答えでないと主張するなら、もっとも気が楽になる。

 

ひとり目のマヌカンは少女らしいふわりとしたドレス、手元に大きなリボンがアクセントとなっている。しかしよく彼女の歩きを眺めていると、非常に歩きにくそうだ。実はスカートはタイトであり、バランスをとって歩くために十分足が開かないのではないかと思う。そして正面に結ばれた大きなリボン。浴衣や着物の前帯の結び目のようにも、西洋のドレスのリボンにもみえるこの結び目は、少女の両手の自由を奪っている。

 

あまりに長過ぎてそれを纏うマヌカンの肩から重そうにぶら下がるしっかりとした膝までの袖は、なるほど、振り袖のシルエットを彷彿とさせないこともない。もちろん、振り袖において長いのは、腕の長さ自体でなく袖の袂(たもと)である。いずれにせよ、男性的ジャケットのスタイルでありながら、なぜマヌカン達はなおも不自由を抱え込まなければならないのだろうか。

花飾りは女性性に結びつけられ、それをカッコいいジャケットに添えることによって、たちまち中途半端なものになってしまう。


パニエ型のシリーズが進むにつれて、現代アーティスト名和晃平とのコラボレーションにより実現したヘッドドレスも加速度を増してくる。ヘルメットのように顔面を半分、目の部分以外覆うような造形。このマチエールの質感は、骨折したことのある人なら自分の身体にぴったりと寄り添ったまま何週間も人生を共にしたことがあるだろう、あの忌々しい石膏の感触を思い出させる。この髪彫刻といべきものは、これを被り続けたまま長い間を生き続けていると、いつの日かこの石膏が生き物のように成長して、やがてこの可哀想な少女の身体を顔面をすっぽりと覆ってしまうのではないだろうか。石膏の型のように、いや、生きたまま、ミイラにされてしまうかのように。箱(パニエ)に入れられて、彼女は既に、自由を失っているのだから。

 

見るからに重そうで、非常に背が高く、ビニル素材でできた奇妙な帽子。一瞬顔のようにも見えて不気味だが、そのエレガンス漂うドレスと、ヘッドドレスのシルエットだけを見ていると、マリーアントワネット時代の超豪華な船飾りの帽子のように見えないことも無いが、内実はそんなにさらりとしていない。これはセクシュアルなオブジェに見えないこともなく造形されているのであり、むしろそのものでしかない。これをセックスドール的オブジェと気がつかないふりをする大人を私は信用しない(!)(つまり、本質的なことはアーティスト本人の意図というよりはむしろ、White Dramaシリーズにおいて白ドレスを纏う少女達が支配されている性的コンテクストを読み下すということなのだ。)

 

私が最も素晴らしいと思ったのは、『千と千尋の神隠し』の「かおなし」的なフォルムのドレスだ(上)。このドレスは形の無駄の無さが素晴らしい。人は美しいフォルムのなかに自由の不在を見る。美しいと思えることと自由であることは両立しないのだろうか。纏うことの本質に関わる問題のようにも思える。
我々はふだん、好きな服を着て、そのなかでも出来るだけ「着心地の良い」服を選ぶと言ったりする。着心地がいいというのは、サイズが合うことかもしれないし、素材のことかもしれないし、自身の身体的特徴にとりわけうまくいく、と自分が信じられることかもしれないし、周りの人から格好良く見られると定評があるシルエットのことかもしれない。そのことは、いくら自由なつもりでも、「私は何者にも縛られていない」と主張することの不可能性を意味する。似合う服を着なければならないなら、いつも限られたタイプの服を来ているのだろう。素材の良さを優先するゆえに、デザインの好みをいつも妥協しているのかもしれない。しかし、服を着る、というのはひょっとしてそういうことなのだ。

展覧会におけるファッションは鑑賞するべきものだけれども、どうやってみるか、という難問はその存在すらを左右する問いであるといってよい。ナイロンのバルーンの中に規則正しく並べられて、なぜだかわからないが白と黒のブーツを脱がされた、33着の白ドレスの集合、あるいは、名和晃平によるヘアドレスを纏い、ランウェイをとぼとぼと歩き回るマヌカンの身体性を伴って提示されるドレス。両者では、それが与える印象が大きく異なる。印象が異なるとは、まったく違った言い方で語られ、分析され、議論される可能性を孕んでいると言うことだ。

今回のコレクションに限らず、川久保玲のデザインにおいて、自由と不自由、少女と大人、女性的なものと男性的なもの、西洋と東洋という二項対立は、通奏低音的な主題であり、これらを一つの身体上に交差させる手法はもはや定石である。今回の白のドラマもまた、この例に漏れないのかもしれない。ただしそれは、「白」という色のテリトリーを逸脱することはないのだが、むしろ激しく混乱している問題提起を目の当たりに、これまで以上に暴力的なクリエーターの焦燥感を感じ取ってしまう、ということを除くならば、である。

08/29/12

Louisiana Museum of Modern Art @Humlebaek, Denmark

世界で最も美しい環境に佇む美術館と言われている、ルイジアナ美術館/Louisiana Museumを訪れた。ルイジアナ美術館は、デンマークの首都コペンハーゲンから国鉄ローカル線でHelsingør行きに乗り、約35分、Humlebæk駅で下車し、そこからデンマーク情緒溢れる田舎道を10分強歩く。駅からの道はいたって簡単、案内板が丁寧に出ているし、だいたい皆目的地が同じであるので、迷うことは無い。海と緑に囲まれて、空気がひやり澄んだ北欧の地に静かに建っている。

頑張って10分間歩いたら、向こう側にはすぐにスウェーデンが見えるという海岸沿いでかつ小高い丘で緑が鮮やかな一画に佇むルイジアナ美術館に到着する。
ルイジアナ美術館は近現代アートの美術館で、3000点以上のコレクションを所有する、スカンジナビア諸国最大級の美術館である。1945年頃のピカソの絵画を初め、ジャコメッティ、デュビュッフェ、ルイーズ•ブルジョワ、バゼリッツ、イヴ•クラインといったヨーロッパのアーティストの作品から、アンディー•ウォーホル、ラウシェンベルグのようなアメリカの絵画までを網羅している。年間4回〜6回ほどの企画展を開催し、北欧の地元アーティストやスカンジナビアならであの展覧会や、一挙にはとても並べきれない豊かなコレクションの中から、様々な表現形態を横断するようなコンセプトで鑑賞者に芸術における表現様式の問題について問いかけるような展覧会を行っている。

Lundgaard & Tranberg Arkitekter, Installation shot, a pavillon

コペンハーゲンから35分、駅から10分以上歩かなければならないという立地は、日本であるとヨーロッパであろうと、不便とは言わないまでも、交通の便がよいとは言えない。にもかかわらず、日々こんなにもたくさんのヴィジターを世界中から招き入れ、魅了し続けている美術館は世界に例を見ないのではないだろうか。ルイジアナ美術館が産声を上げたのは1958年、いまから半世紀以上も前のことだ。当初、美術館はデンマークアーティストの作品をコレクションし展示することを目的として開館された。しかし、後にニューヨークで大成功を収めたMOMAにインスピレーションを受けて、国際的な美術館へと方針転向したということだ。ルイジアナ美術館の名前は、1855年に現在の美術館のもとになるお屋敷が建てられた時の家主Alexander Brunが彼の生涯のおいて結婚した3人の女性がすべて「ルイーズ/Louise」といったことから名付けられたそうだ。(なんと!)

Alexander Brun邸が原型となっているmuseum house

皆さんは北海道は札幌の南にある、「札幌芸術の森」という施設をご存知だろうか。個人的な話だが、私は札幌出身なので、こういった自然とアートの融合というコンセプトを聞くと、自ずとこちらの野外美術館の森に囲まれた風景などを思い浮かべる。(札幌芸術の森、野外美術館)あるいは、以前訪れた霧島アートの森(霧島アートの森HP)のイメージも近いかもしれない。どちらも豊かな自然に囲まれた野外スペースを彫刻や大きな作品に当てて、四季の営みや時間の流れを肌に感じるような異空間を作り上げている。とはいえ、ルイジアナ美術館が見事なのは、何と言っても海があることだ。スウェーデンを間近に臨む海岸線は空の青と混ざるようだが、よく目を凝らすとくっきりと独立しており、良く手入れされた芝生に腰を下ろし、それを眺めることには飽きがこない。

café, belle vue de la colline

アメリカ人人アーティスト、カルダー/Alexander Calderの例の彫刻がカフェの向かいに。カルダー/Calder(1989-1976)は、若い頃機械工学を学び、エンジニアとして働いたがパリに移り住んでからは、針金彫刻を作ったり、サーカスのパフォーマンスを行うなどして表現活動を始めた。動く彫刻、モビールというアイディアはそれまで動かないのが当たり前であった彫刻にまったく新たな可能性を付与した点で高く評価された。丘の上で森と海からの風を独り占めするルイジアナ美術館のモビールもまた、世界中に佇むモビールと同様にして、それ固有の時間を生きている。

vue face à la mer

Henry Mooreの彫刻。ヘンリー•ムーア/Henry Spencer Moore(1989-1986)は、イギリスの彫刻家である。モダニズム美術をイギリスに紹介し、「横たわる像」のような特徴あるフォルムの彫刻を多数制作した。Reclining Figure(横たわる像)のフォルムを追求することを通じて、既存のFormから自由になり、そして新しいFromを手に入れることを目指していた。多作であった彼の作品は日本でもたくさんの美術館のみならず、なんと、パブリックスペースにおいても出会うことが出来る。

Sculpture, Henry Moore

アーウィン•ワーム/Erwin Wurm(1954-)は、オーストリアの彫刻家。インパクト絶大の滑稽な彫刻を発表し続ける。実はウィーン•クンストアカデミー絵画科への入学を拒否され、彫刻に転向したというキャリアを持っている。後に両親の死に大きなショックを受け、1996年からは精力的に「一分間彫刻」と呼ばれるユーモア溢れるパフォーマンス(と呼ぶべきだろうか)をドローイングして展覧会場で展示するというアプローチをとった。一分間どんなことをするかというと、2つのメロンの上にバランスよく立ち続ける、とか、鼻の穴にキノコを入れてそれを一分間保つ、とか、敷き詰めたテニスボールの上に横になってバランスをとる、とかそういった行為である。写真は、ルノー社と1960年代からコラボレーションした後に実現した、斜めにプレスされたR25。これは、実際に走ることが出来る。

Renault 25/1991, Blue, 2009-2010, Erwin Wurm

ロニ•ホルン/Roni Horn(1955-)、アメリカ人女性アーティストである。30枚のポートレート写真に収められているのは、年齢も性別も職業も様々な人々、しかしよく見ると非常に良く似た眼差しをもっている人々。30人の人々は言うまでもなく、変装したロニ•ホルン彼女自身だ。

a.k.a., 2008-2009, Roni Horn

2008-2009年の作品だが、ポートレートの時代設定は古そうだ。ロニ•ホルンは彫刻、写真を経て、現在はヴィジュアルアートも手がけている。変装ポートレートと言えば、シンディー•シャーマンや森村泰昌が著名中の著名であるが、彼らとさほど年齢の変わらないロニ•ホルンが現代あえてこのクラシカルな主題を引き出してきた背景には、情報化時代のアイデンティティのあり方への興味が深く関わっている。インターネットである人の名前を入力し、画像検索すると、実にたくさんの写真の集合を目にすることが出来る。同姓同名の全くの他人もいるし、色々な折にどこかのサイトに掲載された自分自身の写真であることもある。ロニ•ホルンは、このような時代にひとりの人間をその人と認識し、同定するのはいったい何を意味するのか、という問題について思索する。

Roni Horn

 

ソフィ•カル/Sophie Calle(1953-)はフランス生まれの女性アーティスト、現実とフィクションを織り交ぜたような、日記のようなドキュメンタリーのような作品を作ることで知られている。日本を旅したせいで愛する人に振られてしまった、という悲劇的な幕開けから、出会った人々に彼ら自身の人生における最も辛かった経験を語ってもらうことによって失恋の傷が癒えていく課程を写真と短い日記で記録した「限局性激痛/Douleur Exquise」(1997)は東京の原美術館で2000年に行われた展覧会において注目を集めたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない。

Kampfgruppendenkmal, 1996, Sophie Calle

今回展示されていたのは、1996年に彼女が発表した一連の写真と本の断片。「そこにあったモノ/ヒトの記憶」は彼女の表現に貫かれているテーマである。かつての東ドイツに存在していた– 今は消滅したものたちーの記憶。モノがなくなった後には、その跡が残っている。その跡が残っていないように見える場合にすら、それについて書かれたテクストが何かを語り続けるということがある。壁に吊るされた「不在のイメージ」は、それらがどれだけ時間が経って、一見歴史から洗い流されたように見えようとも事実は事実として残り続けるのだ、ということを静かに語る。

Square Bisected by Curve, 2008, Dan Graham

さて、ダン•グラハム/Dan Graham(1942-)のパビリオン、ガラスの壁とそれによって分けられた空間だ。ダン•グラハムは1960年代ニューヨークでドナルドジャッドやソルウィットらの影響を受けてミニマリズムに傾倒していた。後に、写真、ビデオ作品、そしてパフォーマンスを経て、建築ーとりわけ空間の「虚無/nothingness」について考えるような彫刻を作っている。ギャラリーのホワイトキューブではなく、庭という要素の多い空間に置かれたこのガラスの壁は、全く異なる印象を与える。

Temporary Exhibition « NEW NORDIC – Architecture & Identity »

Temporary Exhibitionの »NEW NORDIC »の展示の様子。ルイジアナ美術館では、コレクション展の他に年間に幾つかのこのような特別企画展示を行っている。

Alberto Giacometti collection

そして、ジャコメッティのお部屋。もはや、ジャコメッティをこんなに持ってるんですか、なんて野暮な感嘆をする気にはならない。そうこうしているうちに、日は暮れて、絶対に行きたかった美術館カフェは閉まってしまった。なんてことだろう。
22時半頃の、Humlebaek駅の様子。電車は20分に1本はあった。コペンハーゲンからの往復については、さすがに美術館訪問者のことを考慮しているのだろう。

Humlebæk Station

今回主に紹介させていただいたのは、3000点あると言われているルイジアナ美術館のコレクションに2009−2011年の間新しくアキジッションされた150作品56人のアーティスト作品展示風景からの一部だ。ルイジアナ美術館はスカンジナビア一の近現代アート美術館として、コレクションは美術館のDNA鎖である、という信念のもと新しい作品の購入、新しいアーティストとの出会いに熱心である。インドのグプタや中国のアイウェイウェイ、日本の草間彌生といった欧米のみならずアジアの芸術家も視野に入れている一方で、ここでしか見られない充実したコレクションとして、地元であるHumlebaek、デンマークおよびスカンジナビア諸国のアーティストたちの貴重な作品群をとっても大切にしているということも忘れてはならないだろう。そうでなければ、ヴィジターをはるばる電車に乗せて、海と丘のある素晴らしい場所に彼らを招待する意味は半減してしまうに違いない。

07/16/12

Exposition « Joue le jeu » @Gaîté Lyrique, Paris

ゲームの展覧会がアートの領域で市民権を得るのが難しいなんて議論は、もはや時代遅れですらある。ゲームやメディア・アートを芸術の中にどう位置づけるか、それが従来のアートカテゴリーに対してどのような存在であるか、難しい議論を繰り広げているうちに、アーティスティックなゲームは多くの人の目に触れ、経験され、いずれは当たり前のものになってゆく。そう、こういったものは、人がどうにかして収まるべき場所を与えるというよりもむしろ、現象として蔓延し、浸透するなかでむしろ我々が中に取り巻かれていくというふうに、肩の力を抜いて受け止めたほうが楽ちんだ。

ゲームは、任天堂などの大手の世界的活躍や携帯ゲームの目を見張る発展の具体例をあげるまでもなく、日本が世界の注目を集めながら今日まで飛躍的にヴァリエーションを作りあげてきた分野である。日本でゲームがアートとして認められようと、そうでなかろうと、世界が各国のゲーム史のなかで、日本の果たした重要な仕事を最大限にリスペクトしながら受け止めていることは事実として間違いないのである。その日本で、学術的視点を豊かに備えた大規模な「ゲームの展覧会」が未だ実現されてこなかったことは、ある意味、奇妙なことであるようにすら感じられる。

パリでは昨年(2011年)11月から、グランパレで開かれたGame Story( site here )という、どちらかというと歴史的・回顧展的な大規模な展覧会が2ヶ月に渡って開催され、5.7万人の鑑賞者を集めた。(はっきりいって、この入場者数は、たとえばParis Game Weeksが5日間で18万人、ジャパン・エクスポが4日間で20万人を動員することを鑑みれば勿論微妙な数字ではある。) TVゲームの始まりの、非常にプリミティブなゲームカセットがその場で遊べるようになっており、歴代のゲーム機やコントローラの展示、ゲームボーイやもっと簡単なポータブルゲーム機がコレクションされていた。あるいはたまごっちのような変わり種、戦士モノやポケモンのフィギュアもちゃっかり展示され、そこは自分の子供時代過ごしたゲーム環境がくまなく復元されているかのような空間であった。ふと我に返ってみると、化石のような古めかしいルールに難色を示す現代の子供たちを尻目に、夢中になっているのはもちろん懐かしいオブジェに数十年ぶりに対面した大人たちの方だ。(blog de mimi)

 

game, street fighter 2で遊ぶ少年とわたし。

この展覧会は全体として、歴史、思い出、ノスタルジーを大人のヴィジターが共有し、子供たちがその隙間を走り回りながら、設置されたゲーム機で遊びまくるような展覧会であった。

 

さて、今回2012年6月21日~8月12日、パリのGaîté Lyriqueで開催される展覧会”Joue le jeu »はどうだろう。Gaîté Lyriqueはパリの中心、Arts des métiersの近くにある非常に新しいメディア・アートのための展示空間。現代アートのポンピドゥー・センターからも歩いていけるくらいよい場所に、昔のテアートルを改装する形で昨年オープンした。petite salleやgrande salleといった独立した展示室・イヴェントルームの他、図書館やオープンゲームスペースでは会館中常にゲーム機が開放されており、そこで遊ぶこともできる、まだまだ若くて注目の施設である。


7月には子供たちが夏休みに入ってしまうフランスなので、この展覧会はもちろん、子供の夏休みアトラクションを念頭に構成されている。展覧会のサブタイトルはParcours(小旅行)、スタンプラリー的な4つのアトラクションが用意されており、子供たちはそこで、Gaîté Lyriqueという擬人化された巨大な構造物と電話をしたり、音楽を奏でたり、見つめたり、触れたりする。子供たちのパフォーマンスがどれくらいGaîté Lyriqueをわくわくさせることができたかによって、ポイントが与えられ、次のステージに進んでいく。展覧会自体を一つのゲームコースに見立てるという発想だ。

parcoursを攻略するために渡されるカード。

上述の、グランパレにおける展覧会が、テレビゲームとディヴァイスの歴史をたどるゲームの回顧展であったとすれば、今回のjoue le jeuはゲームの中でもまだ市場に発表されていないもの、実験的なもの、アーティスティックな色彩が強いもの、あるいは複数の人が参加することの出来るインタラクティブ・インスタレーションとしてのゲームなどにポイントを絞って作品選びがなされたようだ。(blog de mimi:more pictures)

Gaîté Lyriqueに電話してみる?

Parcours一つ目のインタラクティブゲームはGaité Lyriqueに電話をかけ、何か言葉を投げかけるというもの。個人の携帯電話から定められた電話番号に電話する。最近、アートと名乗ったり、名乗らなかったりだが、ソーシャルアプリといってメールアドレスをその場で簡単に登録させたり、smsで画像がゲットできるといって携帯電話番号を登録させたり、Gaîté Lyrique内に来ているというのに、Gaîté Lyriqueに電話をかけろというのは何事か。とは言わず、仕方ないのでかけてみる。

さて一番下の階には、Fred & Companyの光と音のインタラクティブ作品が。光のプロジェクションと音楽が、鑑賞者の足が触れた場所によって反応する。動きの速さや性質によって反応するのではなく、それぞれのプロジェクションの前に敷かれたカーペットが幾つもの正方形に区切られており、それぞれが音楽のリズムと光り方に対応している。未来的なイメージのインタラクティブ楽器を構想したようだ。

Electricity Comes From Other Planets, Fred & Company

繰り返しになるが、今回の展覧会のあるべきところは、展示されたゲームがまだ市場にでていないということ。ゲーム市場に出ることを目前にエンジニアがパブリックオピニオンを得て、改善・修正するために展示しているものや、どちらかと言うと非商業的な実験的インタラクティブ作品として、鑑賞者を歓迎しているゲームもあった。下の写真のゲームは、4人用。4人のキャラクターがそれぞれシステムに認識されると、動物の被り物がとれて、人間になる。この状態でやっとキャラクターを自分の動きとシンクロさせることができるようになる。この4人のキャラクターのうちの一人は、ブロックにつっかかっていて前に動くことができない。4人で力を合わせて一旦後ろに下がり、彼の動きを自由にしてやらなければならない。なるほど、2Dのパズルよりも肉体的で、面白そうではある。この他にも、一人や二人でできるTVゲームも幾つかは並べられており、自由に体験できるようになっている。

Games of Interactivity for 4 persons

一番下の階の、音と光のインスタレーションのすぐ近くに、Petite Salleの入り口がある。ここは、音とプロジェクションのインスタレーションをやるのに最も適した部屋となっており、天井も高く、すべての壁は格子状に区切られているので、ピクセル的にも使用出来るし、全面スクリーンとして利用できるようになっている。パフォーマンスなどもここでしばしば行われてきた。今回は、Opéretteのインスタレーションだ。実は歴史的にGaîté Lyrique、1862年に劇場としてオープンした。沢山のお芝居やオペラがここで上演された。その歴史にインスピレーションを受けたDaily tous les joursとKrista Muirは、この会場内を体験オペレッタ劇場に作り変えてしまった。鑑賞者はもはや鑑賞者ではなく、役者となり、舞台でダンスをし、コスチュームを身につけ、歌い、オペレッタを構成する一員となるのだ。
このインスタレーションでは、アイテムが多く、場所も広いため、10人以上で同時に体験することが可能になっている。(もちろん鑑賞するためには何十人も入ることができる。)

Opérette/ Daily tous les jours

体験する展覧会。展覧会の一つの在り方が変わっていく、その途中に私達はいるのかもしれない。これを見ろと言われるのでもなく、このビデオを3分間じっと鑑賞しろ押し付けられるのでもなく、触らないでくださいと怒られるためのマテリアルもなく、必要なルールを与えられることなく。いや、本当は、ゲームのルールは私達のどうすることもできない根本的な段階で、すでに与えられているのかもしれない。私達が、あたかも自由であるなどと錯覚してしまうほどに。

07/16/12

ひとびとの距離/ la distance entre personnes

良くも悪くも、驚きのすくない時代になったようだ。はじめて誰かと会うという時に、その人の容貌は愚か、これまでどんなことをしてきた人なのか、何を作り、どんなことを書き、どこで仕事してきた人なのかということをだいたい知っていることが多いのが、こんにちの初対面の真実である。

 

たった数年前にはまだ、所属先やキャリアなどを含む個人情報がウェブ上に流出してしまうことや、顔写真がネット上にアップされることはひとえにネガティブに捉えられ、迂闊にそんなものを駄々漏れさせてしまう人は、自己管理の行き届いていない人であるかのように見なされる傾向があったに違いない。

ところが現在ではだいたい、人に会うのも、お店に行くのも、旅行に行くのですら、いつもなんとなくデジャヴュである。デジャヴュというのは、必ずしも否定的なニュアンスではない。たとえば、私は初対面の人と、とりわけエライ人とか面接とかで誰かと会うようなとき、だいたい始めものすごく楽しみにして、その後非常に緊張して、しまいには定期考査の試験問題を予想するように、面接シミュレーションをしてしまったりするのだが、事前に多くの情報を知っていれば知っているほど、シミュレーションのシナリオが作りやすいのは事実だ。対面の恐怖みたいなものが軽減されるのも事実だし、写真を通じて顔や姿のイメージが何となくあるので、待ち合わせ場所で通りすがるすべての人に対してそわそわしなくてよいというのも素晴らしい点だ。ただしこのストラテジーの最大の弱点は、変化球に対して、情報開示されていない場合よりもさらにビビってしまう可能性が多いということだ。そして、人との出会いとは往々にしてそういうことが起こりやすくできている。

自分が安心するためという極めて小規模な幸せの追求を除けば、こんなにつまらない試験問題予想の方法はないように思える。与えられた材料からの、話題の再構築。例外的にアクティブな性質をもつ個体を除いて、人はみなある程度平穏な物事の成り行きを好むにしても、である。

デジャヴュ的出会いのもう一つの特徴は、そのつまらなさに比べものにならないほどクリティカルな問題である。それは、デジャヴュ感の一方通行性だ。ある人のブログを長年に渡って愛読しており、その人が日々綴る日常の出来事、家族の話、仕事の悩みや小さな愚痴、感傷的なことばの端々を通じて、読者は十分にその人を知っている錯覚に陥ることができる。ブログというのは(ブログにもよるが)、日記の盗み読みなのである。ウェブ上に、読まれるために書いておいて、盗み読みとは何事か、と思われる人もいるかもしれないが、世の中の多くのブロガー(職業的肩書きを背負ったブログであったとしても)が綴っているのは、本人は露出に無頓着なつもりでもそれが現実にどういうことかを真摯に受け止めていない程度に、限られた読者しか、実は想定していないのである。

そんなわけで、この親密な言葉で書かれた日記を、その人を思いながら長年読み続けてきた読者と、勝手な想定のもと言葉を発し続ける作者の間に、平行な2つのベクトルがあらわれることになる。平行なベクトルは決して交わることのできないベクトルだ。こんなふうにしてかわいそうな読者は、長年見守ってきてよく知っている書き手に対して、つい、非常に馴れ馴れしい言葉をかけ、ゼロから人間関係を築く代わりに、これまで一方的に積み上げてきた個人経験をもとにして、関係を築こうとしてしまうのだ。

この悲劇的なシナリオは、小説家とその読者の間では決して起こらない。小説家は自分が出版という特別な段取りを通して、自分の手から書いたものが世界に旅立っていく過程を意識的に経験しているし、小説の読者は、それが間違っても自分に当てて書かれたものではなく、本を手に取れば誰にでも受け取る事のできる客観的な媒体であることを知っているからだ。したがって、こっそりと作者の言葉を盗み読んでいるという感覚がここには介在し得ない。

 

なるほど、ひとびとの距離を図ることが、とてもむずかしいというのは、色々な原因を伴って、どうやらあながち嘘ではないようだ。たしかに誰かに出会う際、その人がどんな風かを少しだけ知っているのとそうでないのとでは、心にかかる負担が違うのは事実だろう。しかし一方で、ひとりの人間ともう一人の人間の間で築かれるべき「関係」というものに対して、自分の勝手な枠組みを押し付けるのはとても暴力的な行為だ。ひとびとがどうやって出会って、つまらない試験問題予想をするのではなく、おたがいが面白くぶつかり合えるのか。

知らない誰かとせっかく出会った時、わたしが彼(彼女)に対して同じ事を思い、彼(彼女)がわたしに、「思ってたとおりの人ですね」と言うほど、つまらなすぎて嫌気がさすことはないのだ。

06/23/12

近藤佑子/kondoyuko ーセルフ・プロモーションの手法とパフォーマンスー(self promotion and performance)

近藤佑子/kondoyuko:京大工学部卒、現在東京大学大学院生。彼女の26歳の誕生日に開設した就活サイトが3日で1万いいね!、アクセスは10万PV/日を記録。Twitterでは個人名でトレンド入りし、ネット界のセレブリティとなる。彼女の大胆な就活態度とSNSを利用した新しいタイプの自己実現は、プロフェッショナル・一般人を問わず高い関心を集めた。

もはやヤバすぎて手がつけられなくなってしまった近藤佑子/kondoyuko(ちなみに私は今でも彼女を”ゆうこりん”と呼び続けている)は、京都大学交響楽団の後輩だ。京大オケの金管パートは、私達が在籍しているころ、京大が誇る吉田寮の目の前を練習場所として構えており、霧雨の日も、灼熱の日も、はたまた銀杏が降る日も、私達はそこで楽器を吹き鳴らしていた。私が美学を専攻している話した折に、学部で建築をやっているけど、現代アートや美学に高い関心があるんだといつぞやの酒の席で熱心に語っていたのを覚えている。ドクターマリオを愛してやまないことも聞いたことがある。ひょっとすると気のせいかもしれないけれど。

個人的な話だが、私自身は、彼女がメチャヤバのサイト(メチャクチャにヤバイ就活生 近藤佑子を採用しませんか?)で第一で最大の目的(おそらく!)として掲げている「就職活動」については、プロセスにも経験にも情報にも明るくない人間である。それに、確かに、日本社会における就活システムの在り方の理解は前提条件であるけれど、「就活サイトとしてとしてのメチャヤバがバズったのはなぜか」という視点ではもはや読み切れないほど沢山の素晴らしい記事が世間に発信されてしまったので、私としては、別の切り口から、近藤佑子のセルフ・プロモーションについて分析してみたい。

extrait du site "mechayaba" (kondoyuko.com)

私の彼女の表現活動への関心は、メチャヤバのサイトだけに限定されない。SNSもブログも、そしてリアル世界における彼女の社会生活へのスタンスのようなものも、トータルに見ることなしに、現象の本質をつかむのは不可能というものだ。近藤佑子は、「アマチュアの自己表現の可能性」というテーマに関わる現代のアクティヴィストであり、実験的パフォーマーでもある。

無論、彼女のウェブ上での活動は、メチャヤバずっと以前からとても活発であった。ツイッターやフェイスブックのアクティブユーザーであり、これらのメディアを単なる友人とのコミュニケーションツールとして捉えるのではなく、もっと開かれた可能性やリアルで生き生きとした関係性を追求し、文字通り積極的にこれらのメディアに向き合っていたように思う。

日本社会のSNS史を語る上で、スマートフォンの超速普及とほぼ同時にやってきたmixiからFacebook・Twitterへの移行現象(2009-2010年)を無視することはできない。近藤佑子も漏れなくmixiユーザーの一人である。mixiはこの世代の多くの日本人に、人に読まれることを前提とした日記のような、エッセイのような、ある程度の長さのあるテクストを日常的に書きまくる訓練をさせたメディアだ。彼女自身も、mixiをひとつのきっかけに、人に読まれるものを書く経験をしたことをインタビューの際に認めている。近藤佑子の発信する(広義の)メッセージの中で、彼女の語る印象的な「ことば」が果たす役割がとても大きいことは自明だろう。

extrait de la page de Twitter, kondoyuko, 2012.6

テクストをおよそ、その目的と長さに応じてカテゴライズすると、ブログがエッセイ調で最も長く、Facebookが文字数に自由度があり報告的内容やリンクを伝え、Twitterは日常的な出来事や個人感情や意見などを選ばれたことばで端的に表現することが求められる。(勿論その他にも沢山のメディアがあるが、今回はこの3つ+mixiを念頭に話をすすめる。より詳細な議論は別の機会に文書化したいと思う。) これらテクストを通じた自己表現に関して、近藤佑子のバランス感覚は卓越している。頻度と印象が重要であるTwitter、コミュニケーションの有用性が問われるFacebook、そしてまとまった思考をわかりやすくかつ話題性をもって表現することが問われるブログ。それぞれのメディアの特性と強みを生かし、しかし一個人としてナチュラルに、ネット上でのヴァーチャル・アイデンティティを確立していたといってよい。

先ほど言及したmixiとFacebookの関係であるが、日本社会では、Facebookが実名制であり、リアルの人間関係をあからさまに持ち込むという性質から、なかなか流行らなかった。身分を明らかにした上で、個人的で他愛ないことをつぶやく習慣がないという文化的背景から、Twitterにも腰が重かった。対して、私の印象では、近藤佑子というセルフ・プロモーターは、かなり早い時期から、この日本的な「もじもじした秘密主義」から脱皮していたのだろうと確信する。

例えば、チェックイン。自分がどこで何をしているのかを、一つには自分のメモリーとして、もう一つには他人と有用な情報をシェアするためにこれをマークする。あるいは、企業説明会のTogetter実況。これも端的にノートを取りながら、それを必要としている誰かとその内容を共有することを意図しての実践であろう。彼女は、自身のブログ、kondoyukoのカルチュラル・ハッカーズにおいて述べているように、「自分の生きづらさの解消」の手段としてのWebやSNSを通じた交流・コミュニケーションへの可能性を実に前向きに認識している。そしてそのモチベーションは、彼女のSNSを介した自己表象に非常に明確に現れている。現代のネット社会において、秘密を守ろうと徒労にも似た努力をするよりも、開き直って正面から世界に対峙し、これらの表現手段を自分のものにするほうがどれだけ面白そうな人生が送れそうかは、言うまでもない。

autoportrait de kondoyuko, photo profil sur Facebook

さて、長くなったがここで近藤佑子分析を終わるわけにはいかない。彼女のセルフ・プロモーションを「成功」させた鍵を握っているのは、実はテクストよりもむしろイメージのほうであるとはっきり述べておこう。

彼女のネットアイデンティティの特徴は、セルフ・イメージの一貫した管理にある。彼女のセルフ・イメージとして知られているのはメチャヤバサイトにあるiPhone自己取り写真が一枚と、メガネをくいっと持ち上げているアップの写真が一枚。それ以外は、例えばブログにおいては毒キノコ風アイコンを使用するなどしており、このたった2つのイメージよりもリアルな近藤佑子について想像できるイメージデータはWebの向こうにいる読者には与えられていない。本人により公表されている誕生日サイト企画案(この企画案はぜひチェック!)を見ると、企画段階ではストリップの写真と近藤佑子の合成写真を織り交ぜたり、ソープランドのぼかした写真を挿入したりと楽しいアイディアがあったことが伺えるが、結果としては、イメージ露出への潔癖な姿勢を保ったことが功を奏した。個人的な見解だが、このイメージに対するハングリー状態が、彼女の心を込めて制作したひとつの作品ともいうべきメチャヤバのサイトの大ヒットに一役を買ったことを忘れてはならないと思う。

「シェア」は近藤佑子を読み解くために一番大切なキーワードだ。彼女はシェアハウスについて日々考えているそうだし、お湯をわかちあう日本の素敵な文化である銭湯を愛している。もちろんWeb上で、思考や情報を共有することは日々ナチュラルに実践している。

最後に、東京・京都を一晩で結ぶゆうこの宅急便で有名なゆうこりんに、超遅配達便となること確実のsalon de mimiにフランスから配達してほしいものを聞いてみた。答えは香水。ナチュラルだけどあの毒キノコのイメージに合うような香水を見つけたいな、なんて考え始めると、夜も眠れなくなりそうであるが、兎にも角にも、これからも近藤佑子が繰り広げる面白い表現の可能性を、愛をこめて詮索していきたいと思う。

謝意:京都滞在中にも関わらず、夜中の1時半まで時差を超えてフランスとのスカイプインタビューにお付き合い頂いた近藤佑子りんに心から感謝いたします。どうもありがとう。(インタビュー:2012年6月20日0:21~1:29)

06/6/12

日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。part2

2012年5月13日(世間は日曜日)、この日の朝は早い。京大の加藤くんの発表が午前10時、9時半には機材チェックで集合。

この日一番ドキドキしたのは、個人発表のレジュメが足りなくなって、ファミリーマートに走った時だ。準備しているうちに、要旨に載せた作品分析の内容が思いっきりはみ出し、やむなく長々とレジュメに載せた部分があったし、心を込めて作ったレジュメでもあった。それに、せっかく日本で発表できる!!とワクワクやってきて、コピー代をケチってレジュメが足りないなんて、色々とおわってる(と思う)。せっかくファミマに行ったのに、ホワイトチョコ&クランベリークッキーを買い損ねたことには後悔の念が絶えない。

「なぜ人は外国のファッションに憧れるのか」は、二日目のシンポジウムのテーマである。コーディネートの高馬さんとは、スペインのコルーニャの学会で二人でフランス語で発表したという楽しい思い出がある。今回のシンポジウムでは、企画段階から当日まで、大変お世話になった。リトアニアからスカイプ電話をかけてくださったり、準備もとても楽しく勉強になった。いや、私なんかほとんど何も働けておらず、高馬さん、皆さんに感謝の気持ちでいっぱいである。

高馬さんがお話しされたエキゾチズムと未熟性への着目はとっても興味深い。西洋の日本のファッションへの憧れは、常にエキゾチズムの視点に立脚してきた。未熟性と無臭性を強調する日本のモードは、「アジアで最も西洋化した国」というアイデンティティーを西洋にもう一度突き返し、その価値を問う、盾であり矛であるのだ。

ジェシカさんの発表内容は、私自身もゴスロリとロリータカルチャーの海外輸出について色々調べたことがあるので、めずらしくちょこっと予備知識があった。だが、彼女の提示する視点は、さすが西欧の女性のものである。Yoji Yamamoto Comme des Garçons などの80年代以降パリのプレタ•ポルテで活躍したジャパンデザイナーが提案していた、クールでカッコいいファッションに憧れて日本にやってきた彼女が目にしたのが、少女というか人形というか子ども?!のようなフリフリ•ロリロリのスタイル。この流行を目に前にして、「日本のファッション界に騙された!!!」と思ったらしい。この発言はなかなかカッコいいなと惚れ惚れした。日本という国は、しばしば、小さくて美しい繊細な箱に入った、ノスタルジックなおとぎ話のように、ヨーロッパの人々に妄想されている。(日本人が、フランスに行けばマリー•アント•ワネットの世界が広がっていると妄想するように。) そう言われてみれば、Rei Kawakuboのギャルソンのスタイルは海外のアクティブで格好良くてオシャレなそしてやっぱりややギャルソンヌな女性に心から愛されているようだけれども、そのスタイルは、国内でティーンズやヤングのファッション雑誌のページの大部分を占めるような、いわゆる「はやりのスタイル」には成り得ない。ニッポンの女の子は、可愛くなきゃいかんらしい。

池田さんが見せてくださった映画の抜粋に登場する大正ゴスロリ少女は凄かった。少女というか、本来のゴシックの未亡人のようですらある。フリフリを軽く着こなすというのがいかに難しいかわかる。あまりに感動したので写真を撮った。

日本の映画に初登場のゴシックロリータ。

 

私自身は、「キャラ的身体とファッション」というテーマで、現代的なメディア環境に生きる中で、私たちのボディイメージとファッションへの感覚が変化しているのではないか、という話をした。アバターやアイコン、プロフィール写真で自分の顔を常に覆いながら、ネット上でのコミュニケーションに長い時間浸っていると、自分の生々しい肉体はほぼ意識の外に追放されて、二次元的のキャラ的イメージとして「わたし」を感覚してる状況に気がつく。このことが、テーマ「外国ファッションへの憧れ」にどうか関わるのかというと、つまり自分をキャラクター的に認識している身体意識は、リアルな外国人ボディを熱烈に目指していた身体意識とはまったく違うということを指摘した。

身体意識について、考え始めて久しい。そういえば以前は、身体イメージにより焦点を当てていた。このテーマについて語るとき、幾つか割り切れないエレメントがあって、それは、国(文化圏)と世代(年齢)だ。あまりに当たり前の要素で申し訳ないけれども、「キャラ的だよね!」なんて、一つのことを爽やかに言ってのけてみたいときに、これは大きなダメージを及ぼす。現象や文化はものすごく強烈に国や世代に結びつけられているとは言え、「キャラ的身体、なんて、日本社会内だけで通じる内輪ネタだよね!」とか、「二次元的に自己像を認識してるなんて、ネット世代だけでしょう」とかいう風に、希少動物保護地区に隔離されてしまうともう負けである。

いや、これはそもそも戦いではない。私たちがこれからすべきことは、国(文化圏)と世代(年齢)を越境できるちからをもった言葉で語ることだ。日本のネットが、日本のケータイが、日本のサブカルが、この先どこにも着地すること無く、ふわふわと漂って独自でガラパゴス的な伝説となるのなら、私たちはこれを語り、書き、残す必要は無い。少なくとも私はそんなことに興味がない。

学会の反省からやや脱線してしまった。だが、海外からの一部の視線によって形作られる、日本のファッションやアートに対するエキゾチズム風のちやほやモードの上で浮かれることなく、そんなものをむしろ突っ返すくらいパワーのある議論なり、書物なり、物語なりが、必要とされていると思うし、そういうものを発信していきたいと思う。

時間がほんとうにやばいと話をしているところ。室井先生有難うございました!!!