Ré- White Drama / 白ドレスに犯される少女たちは幸福か?

Ré-White Drama
白ドレスに犯される少女たちは幸福か?

Comme des Garçons コレクションについての展評を昨日当ブログにアップした。その後、コレクションのうちの一着(写真上)、クリノリンを肩から足首まですっぽりとかぶり、名和晃平のヘッドドレスは奇怪なモンスターのように目元をのぞいて少女の頭部を覆っているこのドレスに関して、ある人から、「ここまでくると、もはや拷問かも」といった感想をいただいた。そのことについて、いくつか考えたことがあったので、ここにまとめてみる。

川久保玲の作品では、今回のWhite Dramaに限らず、「少女性」がしばしば重要な鍵をにぎる。リボンやフリルは女の子らしさを象徴するアイテムであり、それが同時に、身体の正面で結ばれることによって、着物においては帯の前結びの隠喩として娼婦を象徴し、少女の両手に結ばれたリボンを自由を奪う縄や手錠と見るならば奴隷的支配を意味する。あるいは、コルセットが女性の胴体を変形するまでに締め付けてきた歴史的事実や、肉体の物理的形状からかけ離れた「型」のクリノリンやパニエという造形用具が彼女らに与えてきた不自由さへの同情は、なるほど、身体をありのままに露出することもゆるされている現代の着衣行為を無条件に肯定する信仰を生み出したのであろう。

いったい女性達は、歴史の中で不幸せだったのだろうか?
ほんとうに?
彼女らがこれらの造形道具を脱ぎ捨てたがっていると言ったのはだれか?

少女の身体を覆うクリノリンをもう一度見てみよう。彼女は肩からストンと円錐状に広がるコートをまとっているようであり、彼女の身体が締め付けられている様子も、彼女の存在が蹂躙されている様子も微塵もない。それどころか、緩やかに彼女の身体にまとわりつくクリノリンの下には、柔らかな生地をたっぷり使った暖かそうなロングスカートが、彼女の歩調に合わせて揺れている。白いブーツは安定感があり、彼女の足下のバランスを危うくしたりすることはない。

彼女の顔は、よく見えない。彼女の長く豊かであるか、あるいは短く撫で付けられている髪の毛は、ぐるりと頭部を囲うヘッドドレスによって守られていて、埃っぽい空気にも強すぎる日差しにも晒されていない。我々は、彼女の表情がよくわからない。しかし、彼女には我々がとてもよく見えている。

不自由に見えることと、ほんとうに不自由であることは決して同一ではない。
幸せそうにみえることと、ほんとうに幸せであることも必ずしも一致させられない。

執筆者として参加させていただいている批評誌『有毒女子通信』の次号(第10号「特集:ところで、<愛>はあるのか?」)に、「貞操帯」についてエッセイを書いた。(近日中発行予定なので、何を書いたかはまだ秘密です。ぜひ、お読みください。)その中にもちょこっと紹介した話だが、「貞操帯」は十字軍出征する兵士の妻が、夫不在中の貞節を守るために装着させられるという用途で11世紀のヨーロッパにおいて使用されていたことが歴史的記述として残っているそうだ。

なんてことだ、留守を守る女だけが一方的に性的自由を奪われてしまうなんて。と、憤慨するのは浅はかである。
貞操帯は外部から女性器へ物体が侵入するのを妨げる。貞操帯を装着された女性達は、性的に去勢されており、レイプの対象になることができない。戦時の混乱の中で、女性が犠牲になるということは、ただ単に生命を奪われるという危険に加え、性的な暴力によって犯される可能性を抱えこむことでもある。「貞操帯」が外からやってくる暴力を無に帰す役割を果たすのであれば、これは、女を救い、生きさせる装置であると言うべきである。性の対象になることができないという状況は、ときどき、女の平和を意味しさえする。

ヘッドドレスが口元までを覆っていること、そのヘッドドレスは少女の頭部から外れないということ、このこともまた、少女を救うために神様の愛の表れである。本能的あるいは自発的発生の外にあるフェラチオやイマラチオの強制、これらの行為の残酷さは、人間が人間にできうる幾つもの悪行の中でも最も酷い振る舞いであるからだ。

さあもういちど、少女について、尋ねよう。
少女が自由になりたいと、誰がその声を聞いたのか。
少女がこの服を脱ぎすてることを欲していると、なぜそう思うのか?

少女を、この頑で執拗な、それゆえに暖かく平穏なシェルターから引き摺りだし、裸にしてしまおうとするのは、とても明瞭であるけれども同時に冷酷なアイディアであるということを心から伝えたい。

貝は、貝の中に生きているのであって、殆どの貝は一生その殻を脱がない。
そういえば、宿借が宿を代えるとき、彼らは怯え、命をかけている。

「かおなし」的フォルムのドレスを私が素晴らしいと思ったのは、すっぽりと包まれることによって、指先ほどしか見られることがなく、上手に歩くことができなくて、おそらくは自分自身で脱ぎ捨てることのできそうにない白ドレスが、その柔らかそうなレース編みや素材がとても温かくて心地よいものではないかと、感じられたためであろう。あの展覧会場で、あの白ドレスを目の当たりにイメージしたのは、たしかにそのようなぬくもりであった。

彼女らはそう、白ドレスに犯されてその内部に沈黙する。
少女たちが幸福か?
その声に耳を澄ますだけでいい。

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