06/3/12

ゴスロリ衣装を外国で着ること。

Part2もお楽しみに!と見栄を切ったものの、Part1の次が必ずしもPart2でなければならないなんてことはなかろう。今回はただ、あることについて、長い間魚の骨が喉につっかかっているように、語り切らないはがゆさを少しでも拭い去るべくこの記事を書いてみる。

マンガ、オタク、クールジャパンの代名詞で語られる日本の現代文化は、多くの現象がそうであるように、当人の希望やコントロールの外で勝手に繁殖し、消費され、再生産されてきた。現代文化だけではない。いわゆる日本らしいイメージを喚起するもの、禅のエスプリや柔道・茶道、寿司を始めとする日本食、着物や和小物は、一度日本から旅立った後は、どのように享受され、発達させられるかは、日本人の意図にしばしば無関係だ。

某大先生が以前ご自身のブログに載せていらっしゃった、「”クールジャパン”はなぜ恥ずかしいのか」という凄い記事が私の喉に刺さった魚の骨をつるっと取ってくれる気がして、何回も読んだ。取れそうで取れなかった。そもそも、自分で考えようともしないで、先生の書いたものを読んで問題を解決しようなんて、安直な態度がいけないのだ。いや、この記事は凄いのだ。おかげで、なぜ「ゴスロリ衣装を外国できること」是非と意味を考えなければいけなくなってしまったのかは明確にわかったのだから。

私は人生で数えられる程度にゴスロリ衣装を着ている。一人で鏡の前で着たという極めてカウントしづらい状況を除くと、
1度目:京都大学交響楽団の定期演奏会後の打ち上げの席
2度目:大学4年生の時に京大で行われた日本記号学会大会
3度目:コルーニャで行われた国際記号学会
4度目:2010年のジャパン・エクスポ(パリ)
5度目:フランス国立東洋ギメ美術館で日本サブカルチャーについて講演した際
6度目:ニヨーという街で日本現代文化について講演した時
7度目:ランジスという街で日本文化と料理について講演した時
数えこぼしがあるかもしれないが、とにかくこんな程度である。
たしかに、日本で着ているより外国で着ている方が多い。

ちなみに私はコスプレイヤーではない。ゴシックロリータの衣装は一張羅だ。
コスプレイヤーではない、とは一体どういうことか。8回もコスプレをしているというのに。
私にとってのコスプレイヤーは、コスプレを楽しむ人であり、とりあえず利益を得るためでも、人に頼まれたわけでもなく自主的にコスプレをする人々だ。分析によると、私がコスプレをするのは、第一にリクエストがあった時、しかもそれが講演会などのお仕事の時、学会などで発表のテーマに関わるとき、打ち上げで絶対みんなにウケると確信を持っている時のみだ。この打算性は、コスプレイヤーの精神から程遠い。

しかし、文化現象が一度、元来のコンテクストを離れると、ふわふわと勝手に飛んでいってしまい、全く別の文化圏で異なった容貌に育ってしまうのと同様にして、私のこの堕落したコスプレは、それを目にする人にとって、私がコスプレイヤーであるか否か、私がホンモノかニセモノかの真偽とは別のレベルで、勝手に受容されてしまう。なるほど、外国でコスプレというコードを提示することは、いったい責任重大な行為なのだろうか?ニセモノコスプレイヤーの私がゴスロリを着てゴスロリを語ったら、それは人々を欺くことや、カルチャーを歪曲して伝達することになるだろうか。

私の答えはもちろん否である。

日本人であるアイデンティティを背負って、日本のサブカルチャーを語ることは無論、存在感のあることだ。一方で、ある文化現象について全くニュートラルな立場でありのままを伝えることが果たして可能だろうか。鑑賞者には、彼ら自身の関心を通じて、知りたい項目を選択し、勝手に理解し消化する権利がある。それと同様に、提示する者には、自身の目的とコンテクストに惹きつけて、バイアスを伴ってこれを語る権利がある。さらに言えば、私にとって、このことは権利の問題と言うよりも、「文化現象の越境」とは本質的にそういうものなのだ。完全に透明な文化紹介も、究極に無臭なカルチャー輸入も、存在しない。信じているとすれば、そんなものは、提示者の思い上がりである。提示者のアンバランスな語りを外から批評するのはたやすく無責任な行為だ。

世界でちやほやされてきた、クールジャパン・カルチャーは遅ればせに外国の人々に向けて日本人自身によっても語られるようになった。しかし、確かに多くの日本人がこの状況をどことなく不本意に感じているようだ。日本人です、と公表するやいなや、「マンガ!」「カワイイ!」と余りにも少ないキーワードで表象されてしまう現実に、屈辱に似た反感を抱いているようだ。

不本意に感じることや、誤解がある思えるならば、自らの言葉を使って直接コミュニケーションに乗り出すことができよう。提示する人それぞれが各々の目的に即してこれを語っているのと同様に。あるいは、例の「恥ずかしさ」を超えて、文化輸出とはこういうことだよね、と全ての結果に寛容になって達観することすらできよう。

私が外国でクール・ジャパンを語るとき、私は自分の目的に即して、語りたいことの文脈に引き付けてこれを提示する。それはニュートラルでも無臭でもないことを私は知っている。私はそのことに罪悪感を感じないし、それが私が語る意味だと確信している。ただひとつ、このような現場で、私は嘘を絶対つかないし、悪意で意味を歪曲させたりすることは、決して、ない。

なんとなく恥ずかしいと口を閉ざすよりも、それがどうして気になってしまうのか、知ろうとする態度を、私は選択する。

gothic lolita, 2010 summer, Paris

05/28/12

日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。part1

かれこれ2週間も経ってしまった。2つ前のポストで(here!)、あるいはblog de mimiにおいても、日本記号学会第32回大会について宣伝させていただき、発表要旨も掲載させていただいた。そんなわけで、日本へは5月11日の午前中に到着し、その日一日は、時間がないなりに最大限楽しもう!と、京都国立近代美術館にて村上知義の「すべての僕が沸騰するー村上知義の宇宙ー」展を訪れ、その足で引き続き、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAの展覧会を訪れた。12日お昼から学会の総会、セッション、パフォーマンスという一日目のプログラムが始まる。事前調査では、関西は暖かい予想で比較的薄着しか持ってきておらず、この日はかなり寒い目に遭った気がする。ファッションをテーマにした学会なのに、色のごちゃ混ぜもありえない重ね着も寛容するしかないほどに、寒かったことには参った。

セッションの前に、実行委員長の小野原教子さんから挨拶があった。小野原さんとは、数年前にスペインのコルーニャで国際記号学会のセッションでご一緒して以来、彼女がロンドンにいらっしゃった際にパリから訪れてお世話になるなど仲良くしていただいている。小野原さんらしい、衣服を纏うことと記号学へのパッションに溢れる素晴らしい挨拶にとても感動した。

一日目のセッションは「(人を)着る(という)こと」というテーマで、人が衣服を着るあるいは脱ぐというのはどういうことなのか、あるいはそもそも人は完全にまとっているものを脱ぎきって、裸になることができるのか、という纏う行為そのものの定義を揺さぶるような興味深い着眼点だった。このことは、もちろん、2日目の最後に行われた、鷲田先生と吉岡先生の対談「〈脱ぐこと〉の哲学と美学」の中で議論された内容にも関わる。つまり、人が裸になるとはいかなることか、完全なる裸になることは本質的に可能なのか、身体にまとわりつく沢山の意味から一体人は自由になることができるのか、といった問題だ。

2日目の最後、学会を締めくくる対談の中で、吉岡先生は〈脱ぐこと〉に関わる幾つかのパフォーマンスや作品を紹介された。島本昭三の女拓写真、あるいは高嶺格のワークショップで参加者の女性が実現した裸写真もそのうちのひとつだ。

私がとりわけ興味深く聞かせていただいたのは、1960年代から数あるハプニング作品の中で、先生がおっしゃったように人々は脱ぎまくっていたわけだけれど、その中の幾つかの作品においては、たしかに、身体が見たこともない、あるいは別の存在として提示され、その瞬間、私達は普段「裸」の身体をみつめるのとは全く異なる視線でこれを見つめる。まさにこの時、身体はひょっとして、生まれてから死ぬまでこれをがんじがらめにする多重の意味のネットから解放されて、「真の裸の美」みたいなものとして現れるんじゃないか、という話だ。(ひょっとしたらそういう話じゃないかもしれないが、私はそのようなコンテクストで理解した。)

お話を聞きながらずっと、意味の異化とは何か、ということを考えていた。見慣れていないもの、見たことがないようなもの、ありきたりのものがびっくりするような仕方で提示される時、たしかに、普段私達が馴染んでいる「意味」を脱いでいるのだろう。その一方で、見たことがない新しいイメージもまた、完全にニュートラルであるということはなくて、おそらく別の一つの「意味」をまとっているのだろう。女拓は見たことがないという点で明瞭な意味を与えるのが非常に困難だが、美術家の語る言葉や見る人の反響、個人的な印象といった様々な要素がからみ合って、曖昧な意味を構成していくだろう。こう考えてみると、ひょっとして意味を脱ぐことなんか決してできないんじゃないか、と思えてくる。

いや、ちょっと待って。意味と意味の隙間には何があるか。2つの隣りあう意味と意味の隙間とは、異なるものの間であるのだから、必然的に「空虚」な部分がある。一つの意味からもう一つの意味に着替えるとき、やはり一瞬でも意味のない瞬間がある。なぜかわからないが、こんなことを考えていたら、子供の頃見ていたTVアニメ、セーラームーンで月野うさぎが変身するシーンが頭に浮かんだ。月野うさぎは「ドジで泣き虫な普通の中学生」だが、街に妖魔が現れると人々を守るために「愛と正義の美少女戦士セーラームーン」に変身する。問題はこの変身シーンだ。彼女たちが変身するのは危機に際してであるので、言うまでもなくアニメで30秒近くにわたって描かれるこの出来事は瞬時に完了する事象の引き伸ばしである。変身の間、コスチュームとアイテムが順序良く装着され終わるまで、彼女の身体はなんと輪郭線だけで表現されている。輪郭線の中の彼女の身体はレインボーカラーでベタ塗りされていて、そこには何もない。(変身シーンを御覧ください。here!) この瞬間の少女の身体は月野うさぎでもセーラームーンでもなく、さらに言えば、何者でもなく、存在ですらないかもしれない様態だ。

おそらく、人は意味を脱ぐことができる。脱ぎっぱなしでいることはできないけれども、瞬間的に、意味を着替える瞬間に、私達は気が付かずともいちいち自己をリフレッシュすることができているのではないだろうか。私にとっての意味をまとう身体イメージは、十二単のようなものではなく、ヒーローの変身シーンのようなものである。

さて、新聞女の西沢みゆきさんのパフォーマンスはとても面白かった。参加者全員を巻き込むパワフルなパフォーマンスの場に居合わせたのは初めてのことだった。室井先生も吉岡先生も(吉岡先生は更なるオプション付きで)、一緒にパフォーマンスを見ていた楠本さんも、新聞だらけになった。彼女はパフォーマンスを始める前、アートがいかに人を幸せにするものであるべきかを語った。彼女の語った言葉と表現行為の力強さと裏付けのあるポジティブなエネルギーに感銘を受けた。

アートに限らず、人が人を巻き込んで何かをしようとするとき、それはポジティブなエネルギーに満ちていることが素敵だ。それも強い願いや信念によって貫かれているならなお素敵だ。私がこれからたくさんの人達と成していくであろう活動もまた、誰かが元気になるエネルギーを生み出すことに貢献していけたらいい。

パート2もお楽しみに!
(二日目のセッション、個人の発表について)

実行委員長の小野原さんと会長の吉岡先生(イヴェント後の。)

04/8/12

みえるもの/みえないもの(visible / invisible) 豊田市美術館

みえるもの/みえないもの
豊田市美術館 HPはこちら
2012年1月7日~3月25日

豊田市美術館に訪れたのは初めてのことであった。3月半ば、とても晴れた暖かい日で、駐車場の向かいの民家のお庭には梅が咲き誇っていた。1995年にオープンしたこの美術館は江戸末期の七州城の跡地に当たるらしい。少しだけ上り坂になっている道を進んでいくと、谷口吉生の代表的建築の一つである豊田市美術館の建物が見えてくる。乳白色と反射すると淡い緑色に見えるガラス張りがとても印象的な建築で、メインエントランス前の広場には噴水があり、陽の光を照り返す水しぶきが殊の外美しく感じられた。

3月25日まで豊田市美術館で行われていた「みえるもの/みえないもの」展は本美術館のコレクション展であり、現代アーティストの中でも写真を手法として活躍する15人の作家の作品によって構成された。写真というメディアがもつリアルな側面とフィクションの側面、あるいは写真にはじまる新しいメディアが常に含有している複製可能性や模倣性の問題を浮き上がらせる重要な作品を目にすることができた。

「みえるもの/みえないもの」は反射的に興味がそそられる展覧会タイトルだ。その訳はひとつには、現象学を発展させて両義性の哲学を大成し、興味深い身体論を展開したモーリス•メルロポンティ(Maurice Merleau-Ponty)の重要な著作のタイトルが「見えるもの、見えないもの」(Le visible et l’invisible, 1964)という事情がある。そしてもう一点は、この展覧会の主旨で述べられているように、写真というメディアの現実であるようで虚構であるような性質、オリジナルとコピーの境界が溶けていくような性質、これらは写真以降の現代芸術を考える上でとても重要な問題を投げかけ続けており、「みえるもの/みえないもの」は確かにこのような問題提起にぴったりなタイトルであるように思われる。

したがって、この展覧会では、
窃視症:ミケランジェロ•ピストレット、アルマン
私写真:ナン•ゴールデン、荒木経惟
日常性:中西伸洋、川内倫子
時間•記憶:クリスティアン•ボルタンスキー、ボリス•ミハイノフ、ローマン•オパルカ
永遠•巨視的視点:杉本博司、松江泰治
みえるもの/みえないもの:中川幸夫、志賀理恵子、ソフィ•カル、曽根裕
……という顔ぶれで構成されたのだから、どうにか3月末に間に合って訪れることができて良かった。個々の作家や作品は別の機会に目にしたことがあるものがほとんどであったが、展覧会としてこのような形でストーリーづけられ、そのコンテクストにおいて作品を見ることは、別の体験であるということを実感した。

 

Christian Boltanski, 聖遺物箱,1990

クリスティアン•ボルタンスキーの《聖遺物箱(プーリムの祭り)》(1990)も幾度かこれまで出会ってきた作品の一つである。
クリスティアン•ボルタンスキーは、1944年パリ生れユダヤ人として、人間の命と記憶に関わる強いメッセージをもった作品を数多く発表してきた。美術の正規教育を受けていないが(ギャラリーでのインタビューについてはこちら)、15歳の頃には既にアーティストになることを決意していたという。クリスティアン•ボルタンスキーが用いる方法はもちろん写真だけではない。匿名のポートレートは、殺されたユダヤ人の顔写真や子どものポートレート写真で使われた手法だが、同様に人間の生死とその記憶に関わる作品を制作する中で、着古された衣服を用いたこともあった。さらには、日本でも2010年7月に開催された瀬戸内国際芸術祭において発表された心音プロジェクトは心音を録音したデータがメディアなのである。

なるほどクリスティアン•ボルタンスキーの制作において、いつも一貫しているのは表現するべきテーマの方であり表現方法ではないのだろう。だが敢えて今回彼の写真に注目してみるとき、これらのポートレートは戦前にユダヤ人の祭りであるプーリム祭にたまたま集まった子どもの写真であり、彼らが果たして虐殺にあったのかその前に何らかの原因でなくなってしまったのか、生き延びたかわからないのだが、祭壇の前に遺影のようにして彼らのイメージが飾られることによって、彼らの肖像はもはや個人のものでも日常を切り取ったイメージでもなく、ひとりひとりの人間の生を超越した、もっと普遍的なイメージとして現れることになる。創り出された写真の意味は嘘かもしれないのだが、彼がここで行った最も重要なことは、イメージの意味を普遍化したということであるのだと思う。

 

Sophie Calle, 盲目の人々,1986

もうひとり、同じくパリ生まれ(1953年)のフランス人作家ソフィ・カルの《盲目の人々》(1986)という作品をみてみよう。ソフィ•カルは1980年前後から自分のベッドに友人や知人を招待して眠っているところを撮影したり、街の人々を尾行して写真を撮影するという、一風変わったコンセプチュアルな表現活動を開始する。彼女の作品は、ボルタンスキーが人間の生死や人類全体の記憶といった普遍的なテーマを目指したのとは対極的に、きわめて個人的でインティミットな主題が選ばれる。ソフィ•カル自身の想い出話、他人のとりとめもない語り、家族との幼少期の思い出、恋人とのストーリー。それらは多くの場合、写真とテクスト、思い出の品などと合わせて展示され、人々は個人的な体験を追体験するように作品を鑑賞する。

彼女の表現を理解する上で重要なのは、本当であることと本当でないことがまぜこぜになっていて、物事の虚実を明確にすることがまったくもって重要ではないということではないだろうか。写真はリアルを映し出すだろうか。答えは勿論否である。物語の真実性をうらづける証拠写真のように逐一提示される写真は、誰がいつどこでどのように撮影したか、わからない適当なものだ。実は写真とはそういうものなのだ。いや、もっと言えば、ひとびとの物語や想い出などというのは本質的に、うそでもほんとうでもない、いわゆる「たったひとつの真実」と呼ばれるものとはまったく似ても似つかないものなのではないだろうか。私は彼女の物語はそのようなことを私たちに伝えてくれるものだと理解している。

さて、《盲目の人々》はスキャンダラスな作品であった。1986年につくられたこの作品は、ソフィ•カルが生まれつき盲目の人に「美のイメージとはなにか」と質問し、彼らに答えてもらったことばをもとにソフィ•カルが写真を撮影するという一連のやりとりである。

J’ai rencontré des gens qui sont nés aveugles. Qui n’ont jamais vu. Je leur ai demandé quelle est pour eux l’image de la beauté.
私は生まれつき盲目の人々に出会った。生まれてから一度も見たことのない人々だ。私は彼らに、彼らにとって「美」のイメージとは何かをたずねた。

どこまでも続く海のイメージを語る人や、見たことがないけれど美しいと思う自分の子どもや家族が自分にとっての美のイメージだと答える人々がいた。たしかに、イメージというのは目で見るものなのだと改めて気がつく。好ましいとか気持ちがよいとか、愛しているとか、嫌いだとか、何かを感じるために視覚は必ずしも必要条件ではない。触りごごちで美しいものだと感じることもできるに違いない。しかし、「美のイメージ」はなるほど、きわめて視覚的なものなのかもしれない。彼女がインタビューを行った結果得られた彼らの答えから出発し、一枚のイメージを撮影したという行為は、けっこう素敵な協働だと思う。たしかにそれは彼らが想像したものとは同一であるはずがないし、その点で彼らの美のイメージとしては「噓」の写真であるけれども、視覚も触覚や聴覚や嗅覚と同様に絶対的でない感覚の一つとして還元することが出来るのなら、みえるかみえないか、それがどう見えたかそれが真実であるかなんて、ちっとも重要じゃないのではないかと思える。《盲目の人々》は「美」について考えるための小さな足がかりを私たちに提案する。

 

other pictures

荒木経惟, 冬の旅, 1989-90

中西伸洋, Layer Drawing, 2004-2005

志賀理恵子, カナリア, 2006

03/24/12

Yayoi Kusama/草間彌生 ー『永遠の永遠の永遠』

2012年1月7日〜4月8日、大阪の国立国際美術館で行われている草間彌生の『永遠の永遠の永遠』展を訪れた。
草間彌生展は回顧展的なエクスポをパリのポンピドーで12月に見たところであった。←草間彌生展レポートはこちら。(ヤヨイラッシュはとどまることを知らず、現在ロンドンのテート・モダンでもYayoi Kusama展が6月5日まで開催中である。tate modern London )だが今回、最新の140枚を超える「わが永遠の魂」のシリーズや、それに先行して2004〜2007年製作された50点の絵画作品が一挙に展示されるということで、ぜひとも訪れたいと思っていた。
一時帰国の終盤の、よく晴れて京阪電車の旅が素敵な日和に、大尊敬する美学の先生とこの展覧会に訪れることができたのは非常にハッピーなことであった。

 

この展覧会のスタートである地下3階まで下ってくると、外のお天気などどうでも良いと思えるほどに外界と隔絶される。さきほども述べたように、今回の展覧会は草間彌生の2004年以降の絵画作品を一挙に公開することに主眼が置かれており、パリのポンピドー・センターで展示されたようなソフト・スカルプチュアや大きな彫刻の展示やパフォーマンスビデオの放映などはあまりない。絵画以外の作品では、「チューリップに愛をこめて、永遠に祈る」(写真)と「魂の灯」がインスタレーションとして展示されている。そして、最後には草間彌生制作中の場面を収録したドキュメンタリー・ビデオが展覧会を締めくくる。

 

絵画作品のエリアでは写真撮影はおしなべて禁止。チューリップのお部屋と光のお部屋、地下2階の南瓜の彫刻など、一部作品に関して撮影が可能であり、鑑賞者は撮影エリアに達した瞬間にあたかも義務か使命であるかのようにしてバッグからデジカメを取り出す。そういえば鑑賞者はダントツ女性が多かった。

 

チューリップに愛をこめて、永遠に祈る

 

ヤヨイ・クサマはオノ・ヨーコについで今日海外で高い評価を受けている日本女性アーティストであるだろう。そして海外でのクサマ評価には日本人アイデンティティに結び付けられたものが少なくない。モチーフの執拗な反復や非常に細かい模様を丁寧に実現したペインティングは、日本人のきめ細やかさやクオリティーの高い仕事を連想させるらしい。さらには、赤や黄色のビビッドなドットのスカルプチュアやペインティングは、ジャパン・ポップの代名詞である「Kwaii」らしさを鑑賞者に想起させるらしい。このことは、彼女の執拗な反復の表面を見つめるたび目眩や吐き気をもよおしかけている私としては驚嘆せざるを得ないのだが、たしかに、コマーシャルな日本のアートシーンにおいて、ヤヨイグッズは可愛い物として販売され、草間彌生は可愛いおばあちゃんだったりもするし、とにかくそういった作品イメージが流通しているのだから、そういうものなのだろうと諦められないこともない。

 

永遠の永遠の永遠

 

草間彌生はアウトサイダーアーティストではない。そういうことになっているし、現代アートの専門家の答えによっても草間彌生はインサイダーアーティストであるらしい。今日やや論争のある「アウトサイダー・アート」について議論することはたしかに興味深いく面白くもあるのだが、その一方でひょっとしたら無意味であり何も生み出さない行為であるかもしれないなどと、悩んだりしているため、今ここでアウトサイダーとヤヨイの関係性について言葉遊びをするのはやめておく。

 

ただし、この展覧会の第一ページを構成する白カンヴァスにモノクロのシルクスクリーンの一連の作品について、これらが草間彌生らしいとか草間彌生にしか描けないとか、そんな風に評価することは不可能だ。少なくとも私には。一緒に展覧会を訪れてくださった先生がおっしゃっていたが、ヤヨイペインティングを埋め尽くしていた、反復する顔や目のイメージ、模様、どこがはじまりどこでおわるともない画面構成は、統合失調症の精神病患者の絵描く絵のなかに一般的によく見られるイメージだそうだ。ここ数年は特に、アウトサイダーアートが注目を浴び、特定のギャラリーや美術館においてこれらを目にすることが珍しくないせいか、デジャヴの印象がぬぐいきれないのが正直な印象だ。

 

さらに展覧会は正方形を基調としたカラーのペインティングの章へと進むが、状況はさして変わらない。強烈な色彩を帯びながらしかし似通ったイメージが繰り返される。「愛はとこしえ」と「わが永遠の魂」シリーズで構成される2つの大きな部屋の作品は、ぜひ展覧会に足を運んでいただいて直接ご覧頂きたい。類まれと思われるか、デジャヴと感じられるか、二者択一であると思うからだ。

 

新作ポートレートの3枚の大きな絵画はいずれも227.3×181.8cmとかなり大きなサイズであり、2011年に製作された草間彌生の自画像である。素晴らしい存在感を放ってそこにあり、いずれも少女であるかかなり若い時分の自己が描かれている。いや、これらは過去の自画像などではなく、現在の自画像、草間彌生はこの青春であり純真である心象をなおもっているのかもしれない。

 

鑑賞者をいたたまれない気分にするのがこの展覧会の締めくくり、展覧会としていたってまっとうな構成であるけれど、製作過程とインタビューを収録したドキュメンタリー・ビデオの放映である。いったい何がそんなにいたたまれないのか。1929年生の彼女が生き続けるためになおも作り続けている姿なのか、もはや作らされているようにも見える姿なのか、これを見た直後はなかなかピンとくる言葉が見つからなかった。しかし、今、一言で言うなら「終末のイメージ」を目にした辛さみたいなものなのかもしれない。どんなにエネルギッシュであった表現者もいつかは限定された方法に閉じ込められ、他人の力を借りながら、他者の意思に侵されながら、妥協がいかなるものかを知るのではないか。それを人は「大成」とか「まとまり」とかしょうもない言葉を選んで語るのではないか。

 

大の字を3つ付けたいほどに大好きな画家にアンリ・マチスがいるが、彼が晩年、絵を描くことができなくなり、貼り絵などアシスタントが代行する制作を行なっていたことを知っても、ここまでつらい気持ちにはならなかった。それはおそらく、草間彌生という一人の女性に対する女性としてシンパシーのせいであり、同時代を生きる者として彼女の生き続けるためのエネルギーに対するシンパシーのせいでもある。

 

展覧会後。 先生、ヴィジットありがとうございました♫

02/9/12

Nomadという概念

Nomad/ノマドはギリシャ語のnomas(放牧中の家畜)を表す語幹から来た言葉であるらしい。現在でもノマドはもちろん「遊牧民」のことであるけれども、数年前から、「遊牧民のように生きる人たち」に対してもノマドとかノマド族といった表現が使われるようになった。昔からそういった比喩は存在したのかもしれないが、現代ちょっと特殊なニュアンスを込めて使われるようになったのである。

 

社会問題にもなった漫画喫茶難民とか家に帰らないで放浪する若者の生き方も、ノマドのカテゴリーに入る。一定の場所にとどまる安定した生き方ではなく、右から左へ、北から南へ、定まらずふらふらしているのがノマドの定義みたいな言い方。遊牧民は決して無計画にウロウロしているわけではないのだから、これは非常に失礼な気さえしてくる。

 

さらには、パラサイトシングルとかニートとかいう言葉で象徴されるように、若者の仕事に関する感覚が変化し、彼らの人生設計、すなわち家庭を持ち安定した生活を築いていくという理想も典型的なものではなくなってしまい、多くの人がふらふらするようになってきた。就職して、それを手放して転職して、結婚して、離婚して再婚して、今日人生はオープンに自由になってきたようにすら語られている。こういったこともノマド的要素であるようだ。

 

さらには、2010年8月に出版されたflick!というガジェット特集を組んでいる雑誌の中で、Nomad Working Styleというかっこいい仕事スタイルが松村太郎によって紹介されている。現在だれもがかっこいいと思っている、クラウドとシェアを有効に利用した場所にしばられない仕事スタイルのことだそうだ。(松村氏はDeleuze Gillesが »Mille Plateaux »のなかで提唱した »nomadologie »という概念を参照している)

また、メディア関連で多数本を出している佐々木俊尚の『ノマドワーキングのすすめ〜仕事をするのにオフィスはいらない』のなかでも、デバイスを効果的に使って、身軽に自由に働くスタイルが現代的でかっこいいと賞賛されている。たくさんの本や重いパソコンを持って会社に行って仕事をするのではなく、スタイリッシュなiPadと最小限のBluetoothで、データはすべてクラウドで管理し、どこにいても仕事ができるというあれである。

 

小学生の頃、国語の授業でことわざを習ったとき、[転がる石に苔は生えぬ]の意味について、二通りあると教わった。
1 いつもちょろちょろと動き回っている人は、じっくりと何かを習得することがない。
2 いつも動き回っている人は、身軽で余計なものを身につけていない。

1が本来の意味で、2が時代の変化の中で誤解から生じた新しい意味なのだそうだ。1において、苔はじっくりと身を据え置いていなければ身につけることのできない重みのあるものをさしている。苔が日本の庭を象徴する繊細で風情のあるものであること、そして、じっくり落ち着いて取り組むことによってこそ物事を習得できるというのは、日本らしい精神論であるように感じられる。それに対して、2において、苔は余計なもの、やっかいなものと捉えられており、動き回っている方がよいという新しい価値観に支えられた解釈が見られる。

近年ノマドという言葉を聞くたびに、そして自分がまさに色々な意味でいわゆるノマド的生活を送っているという事実を意識するたびに、小学生のとき教わったこのことわざの意味変化について思う。現代の人が、このことわざの意味を知らずに聞いたならば、ほぼ9割型、苔なんかつけない方がいいと思うのではないだろうか。マイホーム、マイカー、大きなテレビや食器棚、立派な家具に、ピアノ。持ってても大変である。人数分欲しいのはパソコンくらいである。車ですらシェアがかっこいい世の中になってきて、そういう「かっこいい」がメディアによって強制的に浸透させられている。

 

たしかに私たちは身軽になったのかもしれない。自由になったのかもしれない。何も持っていないと、そうか、何も必要なかったのか、ということに気がつく。家中を埋め尽くす本棚と本を所有し続けなくても、アマゾンで注文すれば明日届くし、図書館に行けばすぐに読むことができる。クローゼットにおさまりきらない素敵な洋服をコレクションしなくても、今年の冬の流行を安く購入し、着回せばよいのだし、古着屋も洋服のレンタル屋もあるので飽きたら売れば良い。新聞や雑誌を購入して情報を収集しなくたって、インターネットで検索すれば良い。

 

私たちは、身軽で、そして自由に、ウェブ上を歩き回る。手紙を書かないけどメールをするし、電話はおっくうなのでメッセージのやり取りをする。言いたいことは掲示板に書き、友人との会話はツイッターかFacebookですませ、プライベートな写真を公開し、思いつくことをブログに綴る。その繰り返しである。私たちの日々ウェブ上に残す形跡は膨大である。データがかさばらないと思ったら嘘である。
私たちは何も持っていないかもしれないが、日々たくさんのテキストをウェブ上に残し続け、イメージをアップし続けている。すべての記録が保存され、たわいないやりとりも、心が重くなるような会話も消えてはいない。私たちは、自分の記憶よりもずっと物質的で絶対的な記憶によって取り憑かれてしまう人生を生きている。

 

転がりながら苔なぞつけないはずであった身軽な石は、そもそも転がることなんかできない泥の中でふと我に返るかもしれないのだ。