03/24/13

におうものに対して / facing odors

におうものに対して

 

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いつのことだったかはっきりと思い出せないが、英語の子ども向けの短いストーリーを読んだ。主人公の少女が母のお使いでカマンベールチーズをどこかに持っていかなければならないお話である。カマンベールチーズとはカマンベール地方の人にとっても世界の人にとっても臭いものの代名詞である。日本で言うと常温で密閉されてない香る納豆みたいなものだろうか。とにかくそれで少女は、その日せっかく好きな少年に会う約束を楽しみにしているのに、そんな臭いものを身につけていなければならないという事実に絶望するのである。とにかくもお約束はお約束ということで少年に会うのだが、少女はお母さんのお使いのカマンベールチーズの凄まじい匂いをその小さな身体にまとうことになるのである。行く先で、本当はしあわせなはずの少年との時間はミルクの発酵した匂いによって台無しにされてしまう。すれ違う人は顔をしかめ、正直な人は鼻をつまんで露骨に嫌な顔をし、少女は悲しみでついには泣き出してしまう。

 

このお話は子どものためのお話なので、救いようのない結末で物語が締めくくられていて、それはつまり、この少年は決して少女に対して「おまえ超くっせえ」「みんな見てんじゃん、カマンベール女!」みたいなことを言わず、それどころか、カマンベールチーズの匂いだろうと納豆の匂いだろうと、キミはキミじゃないか、といった馬鹿馬鹿しいことを言うのである。そして少女は、道行く人がみんな彼女を臭がっても、愛する少年に全肯定され、受け入れられることによって、自分へのネガティブな心の働きからすっきりと救われるという、めでたしなお話なのである。

 

現実世界はもうちょっと厳しかろう。

臭うものに対して私たちは非常にプリミティブである。
つまり、視覚や聴覚あるいは触覚や味覚のような他の感覚と比較した時、我々は、環境における匂いを意図して取捨選択するシステム(人工的な手段を使ってすら)を持っていない。
見たくないものは見なければよく、うるさい人がいたら耳栓をすればよい。
触りたくない人には近寄らなければいいし、嫌いなもんは食わなければよろしい。
しかし、「におうもの」に対してはどうかというと、臭いはもちろん粒子であるので、粒から遠ざかればそれはそれは感じにくくなる。が、基本的には鼻栓というのもあまり一般化されていないし、我々は使い慣れておらず、何かが強烈な臭いを発した時、それはしばしば、受容者がそれを選択しないための努力の有無をまったく問うこと無しに、臭いを発している原因と同定される対象が一方的に攻撃の的となる。
これはなかなか面白いことで、なぜならば、嗅覚以外の他の感覚についても結局は刺激をキャッチするかどうかだけの違いなのだが、たしかに味覚は口に入れさえしなければよく、触覚は触りさえしなければ何事も起こらず、視覚は人間の視野が限られているお陰で見ずに済ますことができそうである。しばしば聴覚と嗅覚に関して、我々は環境的な制御を要求するような、つまりは自分自身でコントロールする術を持たないのですみませんがどうにかしてくださいと告白するような事態に陥る。

 

におうものに対して、我々は何ができるのか。それとも何もできないのか。
臭わなくするための努力がある。その一方で、臭う時、別のもっと強烈な臭いでごまかすための努力がある。
個人的な話しになるがわたしは殆どずっと同じ香水を使い続けているのだが、毎日使っているわけではない。何ヶ月も使わないときもあるし、一日に10回くらいスプレーしたこともある。それがオブセッションになるような時は、コートも車の中も、コップの中も(身体に悪い!)同じ臭いがする。おそらくこのような時、わたしは別に自分の体臭を感じたり必ずしもそれをカムフラージュしようとしているのではなくて、しかし、明らかに自分の回りにあるニオイよりも強烈な香りをまとうことによって外側の環境から自分を保護しようとしていたのではないかと思う。日本女子が真夏の太陽を避けるために、日傘や手袋をしたり、つばの大きい帽子を被って隙間無く日焼け止めクリームと日焼け止めリップクリームを塗るようなことと基本的には同じである。
一日に何回もスプレーしたようなときは、回りの人にとっては鼻栓に並んで効果的な環境制御が望まれるほどわたしは臭っていたに違いない。あるとき、一人の男性が「くさい」と発言した。しかし、残念ながら、その人の苦労に報いるほど、わたしは十分に傷つき反省するには至らなかった。なぜなら、それがわたしの体臭ではなく香水の臭いであることを誰もが知っているからである。

 

出来事はつい数日前起こった。クラスで生徒が喧嘩を始めた。体臭のきつい少年に対して、(ざっくりと要約するならば)、近寄ってほしくないのだがその明らかな態度を不愉快に思った少年がこれまたチャイルディッシュなパフォーマンスをしたために、少女がキレていた。少女は全力でキレていて、少年は不愉快に思っていて、わたしは誰かがキレているのをそのとき効果的に無視するための耳栓を不運なことに持ち合わせていなかったので、仲裁に入った。誰かがキレているのを、そのまま鼓膜と耳小骨に振動が伝わって、聴神経から脳に刺激が伝わり続けるイメージを想像するにつけ、わたしはそれが好きではないのである。わたしは常々思っていたいくつかのことを誰にむけるともなく話した。現実の物語は、幸せな少女のカマンベールチーズ事件とは全然違って、さらには体臭は、身体と分離可能なカマンベールチーズではないのであるから、体臭を「くさい」と言われたとしたら、十分に不愉快に感じる理由となるだろう。

 

わたしは、すべての生徒がわたしの授業に参加する権利があると言った。鼻栓を買いなさいとは言わなかった。
社会の中には、たくさんの人が嫌だけど我慢していることがあり、その一方でどちらかというとどうしようもないのにその対象を迫害するような態度がなんとなく支持されている現実もある。それを意図的にしているような場合はまだ正視することができるのだが、そうじゃない場合には、とても残念である。違うように見られるようなとき、わたしは少しうれしいと思うだろう。

02/21/13

ICOMAG 2013「批評」のテーマから考えたこと/reflexion on the aim of ICOMAG 2013

先日、文化庁主催のメディア芸術コンヴェンションが東京六本木で開催された。私は遠方におり、非常に関心があったにもかかわらず参加することが出来なかった。しかし、海外でメディア芸術に携わるアーティストや研究者からもこの会議のコンセプトについてのコメントをもらうという座長吉岡洋さんの提案のおかげで、第3回メディア芸術コンヴェンションのテーマ(icomag site)について、すなわちハイブリッドカルチャーにおける批評の可能性について、パリ第8大学のジャンルイボワシエさんおよび彼のセミナーに所属する数名の研究者と意見を交換することが出来た。日本で行われたリアル会議とは別の文脈であるが、日本のポピュラーカルチャーについての考察(あるいは、一般的に文化の越境という現象を考えること)にかんして、あくまで私自身が日頃抱いている問題をまとめながら、この議論のことをこのブログに記録したい思う。

今日よく知られているようにフランスは、世界的で日本に次ぐマンガの消費国である。パリでは毎年(昨年は20万人を動員)ジャパンエクスポや、大規模なコミケ、パリ•マンガサロンなどが盛況を収め、日本のマンガは、彼らのオリジナルカルチャーであるバンド•デシネ(Bandes desinées)を経済効果の点で遥かに上回って(しまって)いる。日本のアニメやゲームの人気も高い。その勢いは日本食、日本語教育、伝統文化も一緒くたに波及し、ジャポンは、所謂「クールジャパン」でプロモーションされてきたセクターのみならず全体的にクールである。こういったファンタジー的憧れは、ワンダーランドとしての遠き島国を思い描く想像力がいかにも簡単に紡ぎだしそうな物語のひとつである。そしてこのシステムは、日本に対してのみ向けられる特異な視点を裏付けるものでは全くないのであり、むしろ、日本のガールズが花の都パリ(死語?)に憧憬の念を抱く際の一生懸命さ(およびそれを支える日本のコマースとツーリズムの努力)のほうがよほど素晴らしいし、この程度のファンタジーは世界中に溢れている。ただ、日本を巡る物語についてやや驚くべきことがあるとすれば、そのファンタジーが今日においてもまだ機能するという日本のしつこいワンダーランド性である。

座長吉岡洋さんが昨年の3月にブログに掲載した「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか?」を先日フランス語に翻訳し、ウェブに掲載した。( text in French on salon de mimi, on blog by Hiroshi Yoshioka, original text in Japanese is here.) その記事の末尾は「「メディア芸術」をめぐる過去2回の国際会議の企画とはわたしにとっては、日本におけるポスト植民地主義を目指す文化的闘争であったのだ。」と結ばれている。このテクストは、1980年代に成熟し90年代には既に海外で積極的に受容されたマンガやアニメを、生みの親である日本がなぜ、2000年代後半になるまで自らのナショナルな文化と認め、外交戦略化しなかったのかをクリアーに説明する。(なるほど、そういえば精華大学におけるマンガ学部設置は2006年、京都マンガミュージアムの会館も2006年、外務省のポップカルチャー発信士/通称カワイイ大使任命は2009年である。)このテクストは、さらに、なぜ海外で日本人としてポップカルチャーを発信する際になんとなく後ろめたさが伴うのだろうという私個人の内省的体験にも、ひとつの解釈を提示してくれた。(このことは自分のブログでゴシックロリータの装いで文化レクチャーをすることを綴った記事や、高嶺さんの展覧会を論じた記事でも書いた。) 私はこのテクストを次の二つの点で重要と見なし、日本語以外の言語に訳される意義を見いだしている。一つ目は、日本人が日本のポップカルチャーをに対して抱いている「恥ずかしさ」(「恥ずかしい」というのはつまり、何らかの後ろめたさやそれを認めたくないとする気持ち)の存在を率直に肯定したこと。二つ目は戦後日本の植民地主義/意識を巡る問題について、日本社会がこの問題を隠蔽し直接対峙することなく現代まで先延ばしにしてきたという筆者の考えを通じて正面から文章化したことである。もちろんこの二つの点は互いに強く関係し合っていて切り離すことは出来ない。

まずは、「恥ずかしさ」を切り開らくことから始めよう。

当たり前のことだが、我々日本人がクールジャパンを恥ずかしく思っているなどということは、特定の社会的コンテクストを共有しない外国人には知られておらず、この内実は理屈で理解されることは可能であれ、いささか複雑化され過ぎており、日本人自身が言語化しきれずにいるという事実がある。ともあれ、そんなことは彼らの日本現代文化への熱意を邪魔もしなければその魅力を傷つけもせず、つまりは比較的どうでもいいことですらある。つまり、日本の外(あるいは内)でサブカルで括られる表現活動を受容吸収する多くの若者(あるいは若くない人々)にとって、異種混交的文化(hybride culture)とは、ある程度国際的で一般的な状況に収集できる事態である。誤解を恐れず言うなら、大きな流れとして今日の世界は、日本でもヨーロッパでも共通の枠組みに置かれていると見なしうる。文化の商業化•脱政治化傾向もまた、国際的なコンテクストで語られ得る。

それはそれでよいのだと私は考えている。日本固有の社会•歴史的背景に基づき、日本的ハイブリッドの特殊性を分析し、それを語ることは繊細で丁寧な仕事であり、必要不可欠なプロセスである。一方、日本でしばしば議論されてきた「メディア芸術/Media Geijutsuとは何か?」に代表される問いはとても厄介である。なぜなら、「メディア芸術」という言葉をMedia ArtではなくMedia Geijutsuと英訳すること自体がややもすれば対話を拒絶する姿勢の表明であると解釈されかねないからだ。このことはもっと丁寧に説明されるべきであり、ひょっとしたら語弊があるかもしれないが、私は「メディア芸術とはなにか」とか「メディア芸術のどの点をもって芸術なのか」という命題の答えを定めることに重要性を感じていない。むしろ、芸術という日本語の言葉が予め持っている特性に関わりすぎることに拠って、もっと大きなものが見えなくなる恐れがある。こういうのこそ実は、潜在的にotaku-likeな言説の一つになりかねない議論であり、言語ゲームに終始するならばただのdis-communicationに陥ってしまう。

オタクは「彼らが属するコミュニティー内では社会的態度でふるまうが、その社会性はコミュニティー内部に限られる」という側面がその意味の核を作っており、オタク的○○あるいはotaku-likeな○○という表現に応用されることによって、マンガ•アニメのフィールドに関わらず、広く使用できる。たとえば、メディアートを語るための専門的でテクニカルな言葉、科学の研究者が使う一般人の理解を全く期待しない専門用語、あるいは、(言語の壁までもその対象になるとすれば)、日本人にしか理解しがたい議論、それをあたかも翻訳不能であるかのように努力もせずに語る態度はすべてotaku-likeである。じつは、日本のマンガやアニメ、ゲームの領域が自己再生産的に成長できる自給自足のシステムをもっていることが、この領域の批評の難しさの本質をついている。フィールドのオタク的なあり方それ自身が、自らが理解される可能性を自己閉鎖していると言えよう。専門化したフィールドに対話の可能性を見いだしていくのが批評だとすれば、そのプロセスは、そのフィールドの内側にある言葉を大切にし、その言葉を通じる言葉(もっと意味のある言葉)に言い直すことから始まるに違いない。

現代のハイブリッドカルチャーにおける批評可能性は、したがって、通じる言葉で語る人々とそれに心静かに対応するotオタクの人々のやりとりを活性化することにある。私はotaku-likeな言説それ自体を否定しない。なぜなら、otaku-likeな語りこそ、各々の表現活動の現場にもっとも違い場所で生まれて語られる言葉だからだ。それらはただ、開かれて相互理解可能になればいい。

また、マンガやアニメ、ゲームが堂々と日本文化の仲間入りするのを長年妨げた日本的思想に「文化や芸術を経済•産業に結びつけるなんて、なんだかはしたない!」という暗黙の了解がたしかにある。(「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか」で指摘された通りである。)マンガやアニメ、ゲームの強力な経済活動との結びつきに批判的な目を向ける考え方だ。この妙にエレガントで日本的な思想は話し合いの参加者を驚かせることとなり、いわゆるハイアートであっても本質的に経済活動のコンテクストから逃れられないのだから、その点をもってハイとローの文化•芸術を分けることは出来ないという結論に至らせた。このハイとローの価値観、カルチャーとサブカルチャーといった対比そのものが今日やや時代遅れの議論ではないかという率直な感想も上がった。

ポピュラーカルチャー(大衆文化)の意味するところは、4つある。大衆にさし向けられる文化、大衆が消費する文化、既存のものを覆すために大衆が生みだすアヴァンギャルド的な文化、そして、消費者の大衆が生産者も兼ねるような過渡段階に位置する文化。ポピュラーカルチャーと言う時、一般には大衆が消費する文化をさす場合が多いのだが、上述の4つの意味を考えるならば、なるほど、現在いわゆるハイカルチャーと考えられているフィールドだって一定時間よりも以前、オリジナルのものが大衆により「日本化」したこともあるし、既存のものを破壊する芸術運動から作り出されたものだって含まれる。そう思ってみれば、この区別も線を引くことに目くじらを立てずともよろしい。たしかに我々は、誰から教わったのか今となっては思い出せない超謙虚な姿勢を美徳として共有している。日本のハイカルチャーにはオリジナリティがなくていつも西洋の真似をしてきた、マンガとアニメくらいしかソフトパワーになってない、という考えがその典型だ。この考え方はいささかペシミスティックすぎる。

さて、otaku-likeなパロールの(悪)循環は、各々のフィールドのみならず、「日本語」という言葉すらその仕組みのなかにそのまま含むことができてしまう。どういうことか。特定の社会や文化についての共通知識を前提として要求するような話(存在する殆どの議論はもちろん何らかのコンテクストをもっているが)では、デリケートな内容はなかなか翻訳されにくいので、そこには高い言葉の壁があるように見える。あるストーリーが言語間を越境する困難はあっていい。それがうまく伝わらないのも、理解が難しいと受け止められるのも、いい。ただ、それを自己を防御し他者を攻撃する手段として利用するようなくだらないスタンスがあるとすれば、それは直ちに放棄するべきだと思う。非日本語話者に解らないからとインターネット上で日本語で誹謗中傷すること。水戸芸術館における高嶺さんの展覧会「高嶺格のクールジャパン」の「自由な発言の部屋」という大事な章は、日本社会のそういった問題にも焦点を当てる。ネットの言論は本来すべからく誰の目にも触れ、誰にも理解される可能性を孕む。今日明日ではなく、いつまでも。なぜなら、それはひとたび書かれたものだからで、ネットに接続された世界で生き、そして書き、そこで何かを語るクリティークという行為は、すべてそういう性質を請け負う。展覧会「天才でごめんなさい」の会田誠さんが、膨大なツイートを無許可転載し作品に利用したことがたいそう騒がれたようだが、そんなことに目くじらを立てることほどナンセンスなことはなく、現代における発言とはもはやそのようなものだと諦め認めて、むしろそれを慈しむ「おしゃべり/talkative」な語り手になることが、異種混交文化の中で「生きた」批評をすることに繋がるのではないかと今のところ信じている。

 

02/12/13

Pourquoi avoir honte du « Cool Japan » ? / « クールジャパン »はなぜ恥ずかしいのか(traduction en français du texte de Hiroshi Yoshioka)

このテクストは、「文化庁世界メディア芸術コンベンション」の座長をされている吉岡洋さんのブログに2012年3月6日に書かれた、「 »クールジャパン »はなぜ恥ずかしいのか」をフランス語訳したものです。第一回「メディア芸術の地域性と普遍性」、第二回のコンベンション「想像力の共有地(コモンズ)」について包括しながら、クールジャパン概念がどうして我々を不安にさせるのかを解釈したテクストです。きたる2013年2月16•17日は、そのコンベンションの第3回「異種混交的文化における批評の可能性」というテーマで開催されます。批評がテーマだそうです。

ネットに書いている以上、テキストは原理的にリンクやコピー・ペーストに開かれているのであり、やりたければ勝手にやればよろしい。(略)してほしいのはただ、著者名と出典(このブログのURL)をクレジットすること、明白な誤字脱字や誤変換の訂正以外は内容を改変しないこと、これは契約とかルールとかいう以前の、当たり前のことです。ぼくのテキストに関心を持つレベルの人は、当然そんなことはご承知だと信頼しています。

同ブログに先日掲載された記事で、上記のように書かれておられたので、繊細な内容を持つテクストですが、外国語話者にもぜひ読んでほしいと思って今回フランス語訳しました。フランス語読者でご興味を持たれる方には教えてあげていただければ幸いです。

 

Pourquoi avoir honte du « Cool Japan » ?

(sources: blog, hirunenotanuki , auteur: Hiroshi YOSHIOKA, traduit par Miki OKUBO)

 

La deuxième convention internationale du manga, de l’animation et du media art, «Commons, partage de l’imagination » s’est terminée. Cette fois-ci, grâce à l’appui de Jaqueline Berndt, professeur de l’Université Seika, nous avons invité des chercheurs internationaux sur le manga, d’Europe, de Corée, d’Indonésie. Les diverses discussions ont été très riches dans la durée limitée de la convention.
Comme je l’avais déjà décrit au début de l’article précédent de ce blog, intitulé « Que signifie le partage de l’imagination ? », en effet, le thème de la première convention de l’ICOMAG a été « le caractère local et universel des médias geijutsu » avec le sous-titre « au-delà du Cool Japan ». Voici ce j’ai déclaré en ouverture de l’abstract de cette deuxième édition :

 

Manga et Animation sont généralement considérés comme le secteur principal du « Cool Japan ». Cependant, en considérant certaines phrases employées pour présenter l’originalité et la subtilité de la culture japonaise à caractère industriel, je ne pense pas qu’elles sont COOL.

 

Il n’est pas difficile d’imaginer que certains soupçonnent les organisateurs de cet événement, en dépit de leur préoccupation officiellement nationale, de détester paradoxalement le Cool Japan. (Car ces conventions sont organisées au nom du ministère de la culture.)

 

A mon avis, il y a pas mal de gens qui partagent une sorte de sentiment honteux pour le Cool Japan (pour le terme et pour le phénomène général) sans savoir pourquoi. A vrai dire, c’est moi qui ai présidé ces deux conventions internationales en les orientant audacieusement sur un message d’anti-Cool Japan. Il est donc logique d’ expliquer précisément moi-même, pas vaguement mais rigoureusement, pourquoi l’on a honte de cette notion de Cool Japan. C’est ce que j’essaie de développer ici.

 

Tout d’abord comme première raison vraisemblable, on se sent honteux du Cool Japan parce que cette expression a une odeur un peu trop commerciale. Autrement dit, elle est associée fortement à l’économisme et au mercantilisme, et elle est effectivement orientée par ces domaines. Á la base, il y a une sorte de foi traditionnelle qui rappelle aux gens ce sentiment d’infériorité (en même temps, je trouve cette « foi » elle aussi honteuse). Il ne faut jamais interpréter la CULTURE du manga et de l’animation du point de vue de l’économie. Dans le passé, ce credo a été souvent partagé par les intellectuels de gauche modérés. Certes, cette affirmation qui sépare la culture de l’économie n’est peut-être pas erronée. Cependant, il est irréfutablement évident que cette position n’est plus viable dans les conditions actuelles de la démocratie et de la globalisation. Puisque la réalité est que la culture a entièrement perdu son autonomie, ce serait une véritable duplicité que de trop insister sur l’existence abstraite d’une autonomie de la culture.

 

Dans une réunion que nous avons eue il y a quelques jours, M. Eji Oguma a remarqué cette vérité historique que la base sociale ayant permis au manga et à l’animation de franchir les frontières a disparu il y a très longtemps, et que cette infrastructure n’existe plus aujourd’hui. En effet, la puissante prospérité du manga et de l’animation résulte de conditions particulières de la société japonaise dans les années 1960 et 1970. Le Cool Japan est un simple héritage du passé. Non seulement le manga et l’animation, mais à vrai dire, la notion de « croissance économique » sont nées dans le même vieux contexte tout comme le Prix Nobel qui honorait les chercheurs japonais grâce à leurs positions libérales, il y a une trentaine d’années. Je vous assure qu’aujourd’hui il n’existe plus cette infrastructure qui nous a mené à toutes ces belles histoires de réussite, et il n’est plus d’optimisme pour croire qu’elle marche toute seule.

 

C’est aussi la raison pour laquelle, aujourd’hui, je ne considère absolument pas efficace d’encourager le peuple japonais en disant : « nous, les Japonais, avons beaucoup de qualités formidables, tout ira très bien, ne nous inquiétons pas ! » Promouvoir ce Cool Japan faisant partie du spiritualisme stérile qui est l’équivalent de l’esprit d’Yamato (Yamato Damashi : esprit national) symbolisant la période du totalitarisme et du militarisme n’est pas viable, puisque l’ensemble des conditions sociales n’existent plus.  Après toutes ces réflexions, on pourrait dire que le Cool Japan semble stupide aujourd’hui. Toutefois, en observant cette critique plus précisément, cela avoue simplement que le Cool Japan est démodé, mais n’accuse pas sa notion même.

 

À l’opposé de ce type de critique, je crois, personnellement que c’est l’idée même de Cool Japan qui contient quelque chose de très mauvais. Alors, qu’est-ce-que cela peut être ?

 

Chez Oguma que je viens de citer, il est relevé que les commentaires caractéristiques et assez fréquents des critiques occidentaux disant que la culture populaire du Japon est très intéressante alors que la haute culture japonaise serait sans originalité. Ainsi, la culture « populaire » du Japon, celle de l’Ukiyo-e (l’estampe de l’époque Edo), du manga et de l’animation contemporains est réellement impressionnante alors que la « haute » culture japonaise ne serait qu’une imitation de celle de la Chine antérieurement ou de celle de l’Occident depuis l’époque moderne. Il est vrai que, moi aussi, j’ai entendu plus d’une fois cette série de commentaires sur la culture japonaise non seulement de la part des Occidentaux mais aussi par les Japonais qui partagent leur opinion. Chaque fois, j’ai eu une forte répugnance pour ces compliments.

 

Pourquoi ? C’est parce que cette sorte de discours équivaut exactement au pire snobisme qui suppose que la culture « supérieure » apprécie une culture « exotique ». Imaginons des indigènes qui tentent désespérément d’assimiler à la culture occidentale, et face à eux, des Blancs qui chanteraient : « Ce que vous nous copiez est nul ! Le shamanisme et l’animisme de votre propre culture traditionnelle sont beaucoup plus extraordinaires ! C’est, en fait, votre culture qui arrivera à réveiller notre cœur perdu dans l’histoire. » Le Cool Japan est exactement sur le même principe. Pourquoi cette intelligentsia des Blancs serait-elle assez généreuse  pour tolérer cette étrange tradition ? Puisque ce fait se situe bien après l’élimination de la tradition de ces indigènes, qu’ils ne pourraient plus récupérer leur propre culture. La race supérieure n’a peur de rien car ces indigènes sont mentalement neutralisés et castrés en tant que peuple calme et obéissant aux Blancs.

 

Je n’ai aucunement l’intention ici d’agiter une antipathie contre l’Occident ni contre les Blancs. Toutefois, cette histoire a eu lieu dans le monde entier y compris au Japon  dans un contexte colonialiste (sans doute sous un processus moins douloureux que les autres). Nous ne pourrons jamais modifier le passé. Ce que je voudrais mettre en lumière en revenant sur le passé est le mécanisme préexistant et la mentalité colonialiste larvée qui soutiennent généreusement une culture exotique inférieure des subordonnés. Je vous signale cette vraie signification d’un point de vue tel que celui-ci : « La haute culture japonaise n’est qu’une copie, mais toute ses subcultures sont vraiment créatives ! ».

 

En effet, les dominants ont ce discours qui exprime une tentative de rédemption de la culpabilité liée au fait que ce sont eux qui ont détruit une autre culture. En revanche, quand les subordonnés le répètent, cela signifie autre chose, c’est le rêve qui répond à la motivation d’assimiler ce sentiment coupable pour fusionner avec les dominants. L’idée de base du « Cool Japan » doit être traduite comme « colonialisme incarné et assimilé ». C’est le vrai noyau du « Cool Japan » que j’appelais « quelque chose de très mauvais » et aussi le contenu authentique d’un sentiment insupportablement honteux enveloppant ce terme. J’exagère peut-être un peu, cependant, je considère ces deux conventions internationales qui s’engagent dans la problématique du « Média Art » (Media Geijutsu) comme des batailles culturelles sérieuses afin de parvenir à l’époque du post-colonialisme au Japon.

 

Remerciement:
mes sincères remerciements pour la correction du français
à Jean-Louis Boissier et à Liliane Terrier

01/28/13

高嶺格のクールジャパン/ TADASU TAKAMINE’S COOL JAPAN @水戸芸術館

高嶺格のクールジャパン/ TADASU TAKAMINE’S COOL JAPAN

2012/12/22 – 2013/2/17
水戸芸術館現代美術ギャラリー/Contemporary Art Gallery, Art Tower Mito

 

昨年末に帰国した折、幸運にも日程がぴったり合い、12月22日から始まったばかりの水戸芸術館における美術家高嶺格さんの展覧会、「高嶺格のクールジャパン(TADASU TAKAMINE’S COOL JAPAN)」(高橋瑞木さんによるキュレーション)を観た。これまでも高嶺氏の作品には非常に興味があって作品が見られる機会があればうかがわせていただいていた。また、展覧会タイトルであるクールジャパンにも惹かれたし、そして3.11以降に撮影された映像作品「ジャパンシンドローム」をどうしても見たかった。そして、長いあいだ戸芸術館はぜひ訪れてみたい場所でもあったので、ついに訪れることが叶った。京都から始発の新幹線に乗り、スーツケースが破壊するなどのアクシデントを経て上野からスーパー常陸に乗って水戸へ。駅からは気持ちよく晴れた空の下を歩き、堂々と魚を盗んでいる猫などを撮影し、水戸芸術館に辿り着いた。

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「高嶺格のクールジャパン」はインパクトのあるタイトルであるが、このパブリシティのデザインも凄い。クールジャパンという言葉は、1990年代のクールなイギリスカルチャーを盛り上げようとブレア首相が名付けたクールブリタニアという言葉がもとになっているらしい。(Wikipediaによる)クールジャパンは、日本のポップカルチャーを « Oh, it’s so cool !! » と手放しに褒めちぎる態度で、それは日本の外側にいる人々がその内側を覗き込む視線によって作り上げたイメージみたいなものだと私は考えてきた。もちろんこの10年間、日本の大人たちが隣国の「パンダ外交」並みに真面目な顔をして、現代日本文化を代表しうるこのソフトパワーを国益のための外交戦略に利用してきたのは人々の知る通りである。ただし、それはフィードバックの一つの結果に過ぎず、外で騒がれている出来事の実態が分からないまま、どこを歩きどこに行くかも決めないまま、現在までなんとなく来てしまったのではないかというのが私の言いたいことである。「かわいい大使」とか、世界コスプレサミットとか、マンガ•アニメ、ケータイ、アイドル、そして、アート。数えきれない雑多で瑣末な物事も、それがともかく日本のタグをつけたポップな存在ならば、なんの熟考を経る必要もない。とにかくクールな現代日本文化の枠組みに突っ込まれればそれだけでうまくいく。19世紀の西欧におけるジャポニズムの大盛況以来の黄金時代を純真無垢に享受し、日本文化と言えばちやほやしてもらえるハッピーな10数年間を我々は眺めてきた。私はこの間、フランスに住んだ4年近くの期間とそれ以前も何度かヨーロッパで知人に会う度に、「クールジャパン効果」というべき無条件なちやほやを体験してきた。以前はそれを、大陸の人たちが小さ過ぎて見えない島国日本の文化の上にロマンティックな幻想色の絵の具を塗り付けた結果に過ぎず、所詮は自分たちの知らないエキゾチックなものを崇め奉るようなものに過ぎないのではないかと、距離を置いて考えていた。一方で、その熱狂的なラブコールは未だ収束するわけでもなく、一次的な流行でもなければ無視してやり過ごせるものでもないことに否が応でも気づかざるを得ない。しかし、それが何であるのか、それを目の当たりに私はどうしたらいいのかについては一向に考えがまとまらぬまま生活を送っていた。

 

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私にとって、この思考の単なる堂々巡りから少しズレるきっかけを与えてくれた文章に、吉岡洋さんがブログに掲載された「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか?」という記事がある。これは非常に多くの人に関心をもって読まれたようで、このことからも、かなりの人々が「クールジャパン」という現象と言葉の響きに対してうまく説明できない不愉快さや気持ち悪さを感じていたことが分かる。私自身、昨年に本ブログに掲載した「ゴスロリ衣装を外国で着ること。」というテクストにおいて、クールジャパン(あるいはジャパン•ポップ)の記号の一つであるコスプレ(ゴシックロリータ)を自分自身が纏うとは何を意味するのかについて書いた。しかし、実はこれは、クールジャパンをどう考え、それとどう向き合うのか、という自分自身への問いであったのだ。(余談だが、この当時私はこれをやはり多少なりとも「恥ずかし」く「不愉快」に感じ、同時にそれを言語化も他の手段でも表現化できないことに焦っていた。とりわけ、私はこのポップカルチャーにかんし、海外でプレゼンする誘いを引き受けて何度かこれについてレクチャーしていたし、2009年にはスペインのコルーニャにおける国際記号学会で、 »Cool Japan »と題されたセッションにも参加した。(Semiotix Cool Japan in Coruna )そういったわけで、この問題について、それがなんであるかを知らないまま無視し続けることはもはやできなかった。)

 

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「高嶺格のクールジャパン」に話を戻そう。そうそう、パブリシティのデザインの話である。アニメ文化のオノマトペ感が骨の芯まで染み渡った世代の人々なら、このレタリングをながめると自ずと、同じ音を内耳に響かせてくださるのではないかと思う。

シャキーン! とか ピキーン! とかいう音である。

シャキーン!もピキーン!も何かが瞬時に凍り付く様子を表すオノマトペであるが、ピキーン!に至ってはものすごく硬くて厚みのある氷がキラリとするような様子を読者に想像させる音である。この「クールジャパン」の字体はつまり、シャキーンとかピキーンの音が聴こえるようになっており、ものすごく平たく言うと、クロネコヤマトの「クール宅急便」的な字体である。この展覧会で問題化される「クールジャパン」は、したがって上述したような、海外からちやほやされ愛されてホカホカのクールジャパンではなくて、美術家高嶺格が自国の問題として、彼の視線を通じて静かに距離をもって観察するクールジャパンなのだと判る。それは中途半端に冷えているのではなく、凍り付いて溶けないほど「クール」なのである。

 

この展覧会のコンセプトについて高嶺格さん本人が書かれたテクストをここに転載したい。(水戸芸術館、高嶺格のクールジャパン

「女は、女に生まれるのではない。女になるのだ」という、ボーヴォワールの有名な言葉があります。自意識が形成される過程で、個人に対しいかに社会の集団意識が影響するかを端的に言い表したこの言葉は、現在の日本でますます大きな意味を持つのではないかと思います。「日本人は、日本人に生まれるのではない。日本人になるのだ」あまりに身近にあったため、意識に上ることのなかった物事。あるいは巧みに操作され、意識に上がることを妨げられてきた物事。これらの物事に対し、私たちがついに当事者となったのが現在の状況だと言えるのではないでしょうか?

自分の中になにがあるのか?自分はどう作られてきたのか?3.11のあと、煙に燻されるように出てきたのはその問いだったように思います。「人はなんのために生きるのか?」古代から途切れることなく思想されてきたこの問いを、自分の生きてきた時間と重ねて、鑑賞者と共に考えてみようと思います。 高嶺格

 

展覧会は、上のコンセプトに従って8つの部屋に分かれていて、一つの部屋から別の部屋へ通過するためには、黒いビニールテープのフサやカーテンをくぐって行かねばならない。フサもカーテンも、其れ自体は一方通行ではないのだが、隣り合う部屋は分厚いフサや重たいカーテンでしっかりと区切られている。とりわけこの黒いフサの厚みは、通り抜ける途中、このままどこにも辿り着かないのではないかと一瞬鑑賞者を不安に陥れるような厚さなのだ。以下が8つの部屋の構成である。

 

クールジャパンの部屋
敗訴の部屋
標語の部屋
ガマンの部屋
自由な発言の部屋
ジャパン•シンドロームの部屋
核•家族の部屋
トランジットの部屋

 

まだご覧になっていない方もいらっしゃると思われるし、具体的な展示物についての言及は必要がないかと思う。何点かだけ、印象や記憶を付け加えさせていただきたいと思う。隣り合う部屋はしっかりとその二つの世界を隔てながらロジックに強く繋がっており、鑑賞にパワーを要する。

標語の部屋では、すべてが皮肉というよりはむしろ空虚に響いてくるように感じられる。日本社会はアナウンスや張り紙や標語だ大好きだが、それは言葉にすればするほど真実から離れていき、言えば言うほどそれが決して実現され得ない何かに変わっていく。よどみなく流れてくるたくさんの標語は、この国にはこんなにもできないことがあったのかと、静かに気がつき納得する。ガマンの部屋では、人々は色々な理由で色々なものを我慢していることが描き出される。他者にあるいは自分に色々なニュアンスで「我慢しなさい!」と言われたり言いながら私たちは生きている。実は、ここで光が当てられるひとつのことは、「我慢しなさい!」と言う人々自身が、さらに何かを我慢しているという冷たい事実だ。その声は苦痛に満ちていて、くるしい。じつは、我慢しているのは、そうするよう言われている子供や弱者などではなく、日本社会に属するすべての人がその中に、相対的な上位者も会社もみんなを取り込み、集合的に我慢をしいるような構造をとっている。それはなぜでそれからどうしようというのか?自由な発言の部屋は、いつも海外でニコニコしている私たちの他者への攻撃性が非常に工夫された方法で提示されていたのだが、やはりその意味するところのあまりの強さに、ジャパンシンドロームの部屋に辿り着く前に、少しだけ呼吸をととのえる必要があった。

トランジットの部屋に身を置いた時、とてつもなくはっきりしたデジャヴュ感に襲われた。その理由はわからない。私はこの直後美術館の階段をものすごい早さで駆け上がっていく高嶺さんの姿を目にした。あまりに驚いて、自分が会釈したかどうかもよく覚えていない。実はこの日、一時間の滞在が予定されている日であったらしい。

01/19/13

現在住んでいる家の隣に当たる敷地は土木工事関係の仕事をしている個人企業を経営している男性が住んでおり、日頃から作業の騒音と3頭もいる猟犬の吠える声に悩まされている。彼はもっと若い時には、とても活字には出来ないような悪いことを沢山したらしく、そのことをときどき誇らしげにご近所に語っている。罪というのはシステムで決められた方法で償いさえすれば、その後の人生において底抜けに楽しく生きることが出来るという奇妙であるが、そのようである。

 

さて、その男性は犬を連れて狩りにいくのが趣味だそうだ。フランスでは免許を持っていて、申告していれば銃を問題なく所持できる。私は釣りには時々行ったが狩りには行ったことが無い。たぶん生涯行かないのではないかと予想している。家族も狩りにいく人はいなかった。ただ、父方の叔父が時期になるとやはり犬を連れて、シカやイノシシなどを捕っていたようだ。記憶の限りで私はそうやって叔父が捕ってきたシカやイノシシを口にしたことはなく、そもそもシカとイノシシは食べたことがないのではないかと思う。馬はある。馬刺というのが非常に貴重であるとか美味いとかいうことで、いつかの新年に親戚が叔父の家で集まっていた折に馬刺を食すという経験をしたのを、味も食感も全く覚えていないにも関わらず、肉の色とその表面が鮮やかに瞼の裏側に蘇ってくることによって、その事実が存在したということが裏付けられる。ちなみに、私はこの8年くらいの間、ほとんど肉を食べていないのだが、それは宗教上の理由にも動物愛護の理由にも体質的な理由にも拠っておらず、なんとなく、ということなのである。合理的な理由はない。なぜなら、私にとって、羊の肉と鯖の肉とイカの肉の間には本質的な違いが何もないのであり、子羊も子鯖も子イカもちっとも可哀想ではない。あるいは、どなたもおしなべて可哀想である。つまり、鯖とイカは食べて羊を食べない理由は、なんとなくでしかないのである。

 

昨年の11月はパリは寒い日が続いた。そんなひんやり澄み渡ったある日、事件は起こった。いや、事件などそうそう起こるものではないので、包み隠さず、一階から大家さんの悲鳴が聞こえた、とでも描写しておこう。悲壮な声である。いやむしろ、この世の悲痛を寄せ集めてしぼったような声である。私はとりあえず、ドキュメントをセーブしてから椅子から立ち上がった。階段から眺めおろすと、身体的に全く異変のない大家さんの姿があったが顔がへんである。というか、殆ど泣いている。これはただ事ではないと思ったのだが、よくみるとポーズも変である。かかしのように立ち、右腕が胴体から全力で離れるような格好になっている。右腕が、激しくつったのであろうか?

 

冗談はこれくらいにしておくが、要するに彼女は例の隣に住む前科者のおっさんから一羽の雉を、撃ち落とされたままプレゼントされたらしかった。雉の羽というのは間近で観るととても美しい。そしてさっきまで元気でいらっしゃったためにやはりつややかに感じられた。彼女は私に殆ど泣きながら雉を袋に入れてくれるように懇願した。私はそのことが非常に滑稽に感じられ、あなたはこの雉を食べるのかとたずねると、彼女は右手に雉を持ちながら、雉は美味しいと答えたので、私はさらに驚いて自分の仕事部屋に戻り、カメラを探してきて記念撮影した。タイトルは、雉とかのじょである。写真はとても良く撮れており、いい表情である。さんざん撮影して満足した後に私は雉を丁寧に袋に入れて、手渡した。あたりまえだが、すでに温かさはなかった。

 

私は魚はさばくが鳥やほかのほ乳類も解体する技術は身につけておらず、羽もむしったことはない。羽をむしれるかと聞かれたので、やったことは一度もないと答えた。彼女は、事件より一時間半くらいたってやっと平常心を取り戻しながら、そういえば友人に出来る人がいるからやってもらって調理してもらうと話した。

 

私は昔から、少しくらいならアニマルに関わるグロテスクなものは平気である。魚を初めてさばいたのも子どもの頃であったが、もちろん平気であった。食べ物はどこからくるの?的なドキュメント番組も凝視しても平気、小学校の理科の実習で牛の眼球の解剖をして、カッターでかなりアグレッシブに切り開かなければならないプロセスなどがあったがこれも平気、猫が捕ってきてしまう鳥を片付けるのも平気。というか、食べるのであれば、それが半身で海を泳いでいないことや、ハムが草原を走っていないことを知っているのは当然だし、そのプロセスを凝視しないまでも、最低限無視しないというか、存在は認めてあげるというか、そのレヴェルのことは感じてしかるべきであるように思ってきた。フランスでは毎年2月ころSalon d’Agriculture というのがあり、その一画で、最優秀賞に選ばれた1600キロくらいある肉牛が誇らしげに(あるいは迷惑そうに)メダルを下げて立派な衣を引っ掛けられて一週間ぼーっとしているのであるが、そのすぐに横ではお肉の販売もしているというタイムスリップ感満載のイベントである。このイベントは、普段食べているステーキがどんなアニマルか予想もつかない都会の子ども達に、これがその牛さんですよ、っていうのを見せてあげることも目的としているらしいのだが、それならばもう少しうまく間をつなぐことが出来そうであると残念にも思う。

 

さて、雉は翌々日幸いにもこれを扱い調理してくれる彼女の友人のおかげで3人の大人に美味しく食されたようである。私は捕られたアニマルがまっとうに被食されるのならそれでいいと思っている。それ以上でもそれ以下でもない。アニマルと食にまつわる、矛盾するようなことやすっきりと割り切れないことなどはヌーの群れの数よりも多く存在するのであろうから、多少滑稽なことや、奇妙なことがあろうとも、プロセスを割愛した断片化した知識であれども、とにかく、それでもいいと思っている。ひとつだけ、望むことがあるとしたら、撃ち落とされた雉は、あなたを襲ったり食べたりしないので、そんなに怖がらないでほしい。それらは少しもあなたを脅かすものではない。

 

kiji copy

11/30/12

PETITS RÉCITS SUR LE BONHEUR EPISODE 1 : RÉCIT SUR AMOUR ET SERRURE

このエッセイは、吉岡洋編集の批評誌『有毒女子通信』第10号 特集「ところで、愛はあるのか?」のために書かせていただいた、連載 《小さな幸福をめぐる物語》―第一話 「愛と施錠の物語」 のフランス語バージョン作りました!『有毒女子通信』購入ご希望の方は京都のVOICE GALLERY、あるいは吉岡編集長まで直接ご連絡ください。Twitterは@toxic_girls)(old posts of blog de mimi, salon de mimi)

(本文冒頭:「愛と施錠の物語」
愛とは、しばしば、お互いのセックスに錠を掛け合うことである。(ここでの「セックス」とは、性交渉だけでなく性器そのものや性的イヴェントなど、広義の性をさす。)
「貞操帯」というオ ブジェをご存知だろうか。「貞操帯」は被装着者の性交や自慰行為を管理するために性器を覆うように装着する金属製のオブジェである………

Cette version française d’un article est une traduction d’un article japonais publié sur une revue « Toxic Girls Review » (Twitter account @toxic_girls) pour laquelle je travaille comme essayiste. 
Si vous vous intéressez à cette revues, contactez moi via ce blog ou via Twitter @MikiOKUBO.

PETITS RÉCITS SUR LE BONHEUR
EPISODE 1 : RÉCIT SUR AMOUR ET SERRURE

L’amour est souvent représenté par le geste commun des deux partenaires de fermer la serrure à une sexualité extérieure au couple. Ici, j’utilise le mot « sexe » qui comprend non seulement « faire l’amour » mais aussi « le sexe de l’homme et de la femme » et certains événement sexuels, bref, au sens plus large.

Connaissez-vous cet objet appelé « la ceinture de chasteté » ?

La ceinture de chasteté sert principalement à empêcher le rapport sexuel et la masturbation de celle (ou celui) qui porte cet outil en métal fermé autour de son sexe. Son apparence est bien intimidante : cette ceinture en métal ne possède qu’un trou de quelques millimètres qui permet d’uriner. À part ce trou, le sexe de cette personne est entièrement couvert pour empêcher ou plutôt pour interrompre l’envahissement de n’importe quel objet. Aujourd’hui, il existe la ceinture de chasteté pour les hommes, mais historiquement, dans la majorité des cas, cet instrument a été produit pour les femmes. Selon la recherche archéologique, il semble que l’origine de cet instrument se situe pendant les croisades du Moyen Age. Cette ceinture est apparue pour la première fois dans un dessin d’Adolf Willette, vers 1900. Certains soldats qui partaient pour de longues batailles et qui craignaient l’infidélité de leurs femmes les ont obligées à porter la ceinture de chasteté. Autres victimes ont été les jeunes filles de très bonne famille, équipées de cet outil par leurs parents pour protéger leur virginité.

French caricaturist Adolf Willette ca. 1900
Scanned from an early 20th-century book edited by Eduard Fuchs (probably Die Frau In Der Karikatur, 1907)

Pour enfermer le sexe, le fonctionnement de cet outil s’effectue en fermant la serrure physiquement. Cela va sans dire que la personne portant la ceinture ne pourra jamais elle-même ouvrir la serrure. C’est pourquoi une femme portant cet instrument qui ne possède plus de la liberté sexuelle de « faire l’amour » ou de « se masturber », n’a qu’à attendre le retour de la guerre de son mari avec patience, car c’est lui qui garde la clé. Si jamais il meurt à la guerre, la pauvre veuve est obligée de continuer sa vie castrée violemment de tous ses désirs sexuels.

Entre parenthèses, comme « la ceinture de chasteté » privatise violemment et unilatéralement la liberté sexuelle, de nos jours, elle est très présente sur la scène théâtrale des événements sexuels en tant que châtiment ou punition, afin de mettre efficacement en scène le sadomasochisme ou les rôles de « dominateur » et d’« esclave ». Au Japon, Nori Doi, artiste japonaise, plasticienne (sculpteur de poupées), a présenté les ceintures de chasteté pour les deux sexes en 1968. Son travail était véritablement scandaleux pour certains féministes et critiques, et pour cela, cette artiste a été gravement critiquée.

ceinture de chasteté, Nori Doi, 1968

« Revenons à nos moutons » sur le thème de l’amour et de la serrure. Pourquoi parle-t-on de la ceinture de chasteté dans ce numéro de Toxic Girls Review consacré spécialement à l’amour ? Ma réponse à cette question touche en effet à une intuition hypothétique sur l’amour qui pourrait s’exercer largement aussi bien en Orient qu’en Occident.

« La sexualité de l’être humain, ainsi que l’être humain lui-même, désirent être contrôlés par quelque chose comme une serrure et une clé. »

À Paris, quand vous passez sur le Pont des Arts sur la Seine, vous trouverez des milliers de cadenas accrochés sur ses rampes d’appui.  Si vous visitez Paris avec votre amoureux, qui que vous soyez (touristes ou parisiens), vous n’avez qu’à réaliser une seule chose : acheter un cadenas appelé « cadenas d’amour », l’accrocher sur la rampe d’appui, bien fermer la serrure, et ensuite, jeter la clé dans la Seine. Ainsi par ce geste, la seule clé qui permet de briser ce sceau DISPARAÎT de ce monde. Le cadenas restera éternellement fermé comme une trace du vœu d’amour et il existera toujours à Paris sur la Seine… Quelle belle histoire ! Certes, historiquement, la clé est employée en tant que symbole du vœu des amoureux dans de multiples situations romantiques. Cependant, le nœud de la relation amoureuse chez l’être humain se situe dans les règles du jeu : fermer la serrure réciproquement au sexe hors du couple. Ce que les visiteurs souriants en couple sur le Pont des Arts font en plein bonheur est équivalent à la fameuse cérémonie effrayante de privatiser la liberté sexuelle et de contrôler son sexe : la fermeture de la serrure de la ceinture de chasteté. L’espèce humaine ne peut avoir l’esprit paisible qu’avec ce vœu permanent, comme fermer le cadenas et ensuite jeter la clé.

Pont des Arts, Paris, photo by Miki OKUBO, 2010

Malheureusement, ou bien il faut plutôt dire « heureusement », personne ne croit sincèrement à l’éternité de ce cadenas, ainsi qu’à ce vœu. En 2010, il y a eu des nettoyages complets des rampes d’appui de ce pont pour le respect du paysage. Il semble que ce nettoyage a été effectué par la mairie de la ville de Paris. Les milliers de cadenas représentant des milliers vœux d’amour ont tous disparu en une nuit. D’autre part, il doit y avoir des gens qui viennent mettre un deuxième (ou un troisième) cadenas avec un autre amoureux. Evidemment, le sexe de ces couples , en réalité, n’est pas emprisonné comme avec la ceinture de chasteté. Ils restent donc physiquement toujours libres d’avoir une relation sexuelle et de se masturber. Il existe aussi la modalité d’amour « platonique » sans rapport sexuel. Lorsque l’on enarrive là, nous trouvons qu’il est difficile de définir clairement ce qu’est la signification du geste « fermer le cadenas pour protéger l’amour ».
Cependant, les rampes d’appui du Pont des Arts accumulent continuellement des cadenas d’amour. Les gens n’arrêteront pas d’y mettre leurs cadenas. C’est la même logique qui fait que, nous, êtres humains, n’abandonnerons jamais de nous engager pour le futur, et continuerons à croire à nos vœux d’amour réciproque.
En effet, « croire à l’amour » et « fermer la serrure de chacun » ne sont pas si nuls puisque c’est cela que nous désirons et ce pourquoi nous pouvons continuer à vivre. Autrement dit, cela peut être le seul moteur de la vie.
Même si ce vœu est très fragile et ambigu, l’énergie potentielle produite par l’amour est intense. Un petit truc dont nous avons besoin pour continuer à vivre, me semble-t-il, se cache tranquillement dans ces efforts quotidiens et dérisoires.

Miki OKUBO
(grand remerciement pour L.T. pour cette version française)

(日本語のエッセイは、『有毒女子通信』第10号 特集「ところで、愛はあるのか?」でお読みください。次回もお楽しみに!)

10/7/12

追記:添い寝/Soine論 少女達のぬくもりを、さがすなかれ。

追記:添い寝/Soine論 少女達のぬくもりを、さがすなかれ。

数日前、ソイネ屋という新たなニッポンの癒し産業についてテクスト(salon de mimi, soine)を書いた。「不穏に感じた」このサービスのまわりをウロウロする幽霊のような存在について、私自身が幽霊のようにしか言及できなかったことを残念に思ったし、そのことに関連して、いただいた感想のいくつかとコミュニケートしてみたいと感じた。私がここに、まだしつこく添い寝考を綴っているのは、そういうなりゆきである。

数日前に当ブログに掲載した添い寝論「添い寝 / soineがなぜ気になるのか」は、次のように締めくくられている。

我々は、あたたかく、やわらかく、いごこちがよく、おだやかで、へいわなものに向かって歩いているようだ。そこにむかう視野が極端に不明瞭であったとしても。

このことについて、ひとつ大切なことを付け加えたい。それは、「おだやかで、へいわな」添い寝は、何がどのように転ぼうと、明日目が覚めたら白亜紀の恐竜達が地球上に蘇っていようとも、そこにセックスの匂いはないということだ。添い寝サービスはとても不穏であるのだが、それは歪んだ欲望のかたちや本来ならば精神衛生上不自然な人と人との距離の均衡をつくりあげるからであって、それが「添い寝」という仮面を被った遊郭@秋葉原であるからでは、けっしてないのだ。

もう一度確認のために暗誦してみよう。
へいわなニッポンの癒しサービスである「添い寝」に、性の匂いを嗅ごうとするのは間違いである。今後まんがいち、このようなサービスをめぐって現実に性的な危機が立ちのぼってきたとしても、それは「添い寝」のほんとうの意味にとって、所詮文字揺れのようなものでしかない。

ニッポンの癒しである「添い寝」のお供は、ホイップクリームとイチゴやベリーがたくさん入った甘くてキレイなクレープみたいなものであり、あるいは、早く食べなきゃ溶けてしまうけれどスプンを入れるのが可哀想なほど素敵に盛りつけられたパフェのようなものである。添い寝にカクテルは必要ないし、ウイスキーの水割りを作る必要もない。私たちは甘いおやつでおなかを満たすのは自由だが、しらふでなければならない。

それから、彼女達が隣にいるからといって、あなたは「可愛い女の子がよこで寝ていて、緊張して眠れない」などと気の効いたセリフを言ってあげる義務もない。あなたは全力で眠ってよく、ワクワクするのもソワソワするのもあなたの自由であるが、その先には何もない。何もないというのは、その期待や欲望にたいして何らかの「行き止り」があるのではなく、文字通り「空虚」なのであるから、あなたの思いがどこかに跳ね返って戻ってきたり、あなた自身がどこかに衝突してしまうこともない。あるのは、ただ、「眠るあなたが独りぼっちではない」という事実だけである。誰かがそこにおり、あなたが眠ることができ、その瞬間あなたは物理的にその空間において独りぼっちではない。求めることができるのは、このことである。

彼女のぬくもりをさがすなかれ。あなたがそこで出会うのは、あなたが世界で一人にならないために、あなたの隣に静かに寄り添う「オンナノコ」なのである。彼女らにぬくもりはなく、その身体の触覚の深いところにある何かを求めても、あなたはもうどこにも行けない。

「少女達のぬくもりを、さがすなかれ。」それはあなたがいつかとても混乱してしまわないための、ひとつの魔法の呪文のようなものなのである。

10/4/12

添い寝/Soine がなぜ気になるのか

image from http://soineya.net/

そうか、「添い寝」もサービスになったのか。Facebook上で東京のイベント情報をアナウンスするアカウントから発されたリンクが偶然目に飛び込んできて、ふとそう思った。秋葉原という立地、この周縁の文化的なものが築き上げてきたムードを思えば、目新しさも驚きもない、一見すると、既に存在する数々の日本的サービスのヴァリエーションのひとつに過ぎないと見なし、素通りすることもできた。これまでも、日本の風俗産業はおそらく世界のそれよりもクライアントの熱い要望に応えて「癒し」を重視するかたちで、今日まで試行錯誤を続けてきた。ラブホテルひとつとったって、利用者が主たる利用目的以外の部分でも様々な行き届いたサービスが受けられるように細かな気遣いがなされているし、いわゆる売春に関わらない飲食業(そもそも売春は禁止ですから)、たとえばメイドカフェのような空間でも「癒し」がなんたるか不明確なままに、キャッチコピー、およびイメージとしての癒しは追求され続けている。

この添い寝サービスにあえて私が注目したのは、これまでの癒し産業、メイドカフェの手を替え品を替えたあの種類とはどことなく異質で不穏な印象をキャッチしてしまったからである。

(ソイネ屋ウェブサイト→ http://soineya.net/

添い寝サービスを提供するソイネ屋では、ウェブサイトに掲載されている情報によると、アダルトな行為は禁止されており、強制した場合は退場願われるらしい。このことは、各々のお昼寝部屋に落ち度なく監視カメラが設置されており、サービスを受けるお客様たちの行動は全て短期的にあるいは長期的に録画保存され、提供サービス以外の出来事が起こる事態を未然に防ぐ準備があることを明らかにする。お客様は添い寝の恩恵を受ける間中、それが「眠ること」に関わるある程度プライベートなシチュエーションであるにもかかわらず、他者から見つめられ、客観的な方法で管理されている。

サービスの内容を詳細に見てみると、そこには、「女の子と見つめ合う」「女の子になでなでしてもらう」といった添い寝と全く関係ない(横にならなくても可能、という意味で)サービス内容、あるいは「女の子に腕枕してあげる」「女の子の膝枕で眠る」などの身体的接触を伴うサービスも含まれている。
料金プランは特別なサービスを受けた場合に加算されるほか、基本的に添い寝の時間によって決定されていて、20分、30分という短いコース(これは、眠るためでなく、添い寝という恩恵を享受するためのプランと見なすべきである)。および2、3時間という、確かに人が眠ることが出来るであろうシエスタ級のプランもある。問題は、記載コースで最長の10時間というプランである(延長は可能だ)。人が普段眠るときですら、睡眠時間は6時間~8時間であるのだし、10時間という時間の長さは、変な言い方だが生物的におそらくは両者にとってある意味苦痛を伴う長さであるとすら思える。つまり、添い寝という目的で「癒し」効果を放つかわいい女の子と規定されたサービス内容に従って過ごすために、10時間は遥かに長過ぎる時間なのだ。

10時間がどんなふうに長すぎるか、少しだけ考えてみよう。

Les dormeurs, Sophie Calle, 1980

私が作品を調べたり分析しているアーティストに、Sophie Calleというフランス人の現代作家がいるのだが(another posts here, aveugles, salon de mimi)、彼女が1979年に行った変なパフォーマンスに『眠る人々(Les Dormeurs)』(publié en 1980)というのがある。この作品の中で、Sophie Calleは自分のアパートに8時間ごとに28人(母、自分を含める)を招待し、自分が毎日眠っているベッドで8時間、眠ってもらい、彼女はその間彼らの寝姿を撮影する。28人の招待者達は、人と決してすれ違わない日本のラブホテルとは違って、交代がしらお互いに顔を見合わせる。そして、彼らが寝ていたぬくもりの残るベッドに入り、8時間を過ごす。シーツを変えたのはたった数回であるらしいから、シーツも枕も共有することになる。
この作品において、Sophie Calleは彼らと添い寝している訳ではない。しかし、彼女はある意味で、添い寝を仕事として雇われる少女達のように他者として眠る人々の横(à côté)に存在し、彼らを見つめている。「見守っている(observe)」といった方がいいかもしれない。彼女は眠る人々と共にベッドに入ることなく、一定の距離を保ってプロジェクトを遂行するが、それでも、知らぬ人々(4人だけが知人で、見知らぬ人もたくさん含んでいた)の寝息を聴き、寝返りを打つ姿を眺めながら、狭い寝室で8時間という時間の長さを共有することは、「眠る」という行為が本質的にもつ親密さゆえに、奇妙な感情を呼び起こす経験であったことを証言している。

このことは、あなたがもし懐に余裕があって、極度の睡魔を抱えていて、秋葉原に立寄り、10時間コースのサービスを受けた後、10時間もあなたのすぐそばですやすやと寝息を立てていたかあるいはあなたを見つめていたとても若い女の子に、「ありがとう、良く眠りました、ばいばーい」っと言わなければならない瞬間を想像すれば、その奇妙さの類いが伝わるであろう。

添い寝それ自体について、私はこのテキストを夜中の2時に書いていてとても眠いので、当ウェブサイトに写真が掲載されているような、可愛らしい女の子が何も言わず添い寝してくれるなんて、なんと魅力的なサービスであろうかと、おおかた好意的な感想を抱いている。多分昼間に書いていたとしても状況はそう変わらず、依然として想像の範疇では、なんだか気持ち良さそうなものに感じてしまうだろう。添い寝を「癒し」の範疇でとらえるとき、それはウェブページに掲げられたキャッチコピーが象徴しているように、誰かがそばにいてくれるだけでいい、という一言に尽きるのである。「好意的な感想」と述べたことについて、もう少し詳しく説明しよう。

「添い寝」は、人が眠るためには必ずしも必要のないものである。そもそも人は、慣れ不慣れの問題を除けば本質的に、たった一人で立派に熟睡し「眠り」を全うすることが出来る。誰かと眠るということは、それが恋人や家族であれば、日々の繰り返しの中で、お互いのぬくもりと続く呼吸を聞きながら眠ることが一つの当たり前の「習慣」となるのである。したがって、このときはじめて、眠る行為は自分一人のものではなくなり、誰かと触れ合いながら、誰かの存在をすぐ近くに感じながら、あたかもそのことによって安心感を得るから眠ることが出来る、というふうに自分の境界線を越えて行く。

では、人間にとって、一人で眠ることと誰かと眠ることは、いったいどちらが「癒し」なのか。
身も蓋もない言い方だが、一日中獲物を探して走り回ったけれど餌にあり付けなくてボロ切れのように疲れきった動物がようやく行き着いた寝床でばたりと眠りこけてしまうように、人間もまた、言葉もでないくらい身体的にも精神的にも疲弊している時、重要なことは眠ることそのものであり、その疲れを気遣う誰かによって癒されることではない。
いっぽう、その疲れというのが »exhausted »まで到達していないその時、人は添い寝のような癒しをまっとうに享受するキャパシティがあるし、その恩恵を被りたいという希望を持つ。「添い寝」を人が欲する時、それは、ほんの少しであれ精神的肉体的エネルギーに余裕があり、自己と異なる個体であるはずの他者をすぐそばにおいて(se coucher à côté)、眠りを共有したいと思える瞬間である。つまり、添い寝はけっこうオシャレでソフィスティケートされた贅沢な楽しみなのだ。

ただし、人は本質的に一人で眠るという一見動物的なテーズを少しだけ不安にする事例がある。それは、「母の添い寝」である。赤子の時、本人の記憶はないにせよ母はしばしば添い寝をしてやる。赤子はそもそも母の中に生きていたのであり、10ヶ月という期間を母が眠るのを内部で共有し続けてきた。それがある日、突如別の一個体として世界に放り出されたからといって、その後もしばらく彼らが共に眠り続けることは少しも不自然ではないように思われる。添い寝が癒しであり、人は誰かと眠ることにより安心するのだとすれば、我々がその昔母の中におり、生まれてきた後にすらしばしば引きずられた「母の添い寝」によって、我々のソイネ屋利用願望が掻立てられてしまっていると主張しても怒られはしないのだろう。

添い寝に我々が惹かれるのは、ひとえに、その非暴力性と平和なイメージに拠る。添い寝をしてくれるのは、無力で無害な、ただひたすらに可愛らしい少女でなければならない。そこに性的に誘惑するグラマラスな女が介入すべきではない。それはまた異なる次元のおはなしである。
我々は、あたたかく、やわらかく、いごこちがよく、おだやかで、へいわなものに向かって歩いているようだ。そこにむかう視野が極端に不明瞭であったとしても。

08/9/12

Joana Vasconcelos /ジョアンナ•ヴァスコンセロス@ヴェルサイユ宮殿

Joana Vasconcelos/ ジョアンナ•ヴァスコンセロス

過去と現代の女たちへのオマージュ
@Château de Versailles
du 19 juin au 30 septembre 2012
site: http://www.vasconcelos-versailles.com/

ジョアンナ•ヴァスコンセロス/ Joana Vasconcelos はリスボン在住のアーティスト、現在41歳、世界で最も精力的に活動している女性アーティストの一人だ。1971年生の彼女は、2005年のヴェネツィアビエンナーレにおいて発表した、La Fiancéeという25000個の生理用タンポンをシャンデリア風に構築した作品で一躍脚光を浴び、2006年以降は、スカートや洋服などの衣類や毛糸、レースなどのマテリアルを使用した作品を数多く制作している。

村上隆がヴェルサイユ宮殿をクール•ジャパン的ポップでマンガなワールドに作り替えた2010年の9月の展覧会(site) が記憶に新しいが、ルイ14世の全盛期に建立され、フランス絶対王政の富と権力の象徴であるヴェルサイユ宮殿で、現代アーティストとのコラボレーションが始まったのは2008年のジェフ•クーンズ/ Jeff Koons (site)
から、実に最近のことなのである。

ご存知のように、ヴェルサイユ宮殿は今日、ルーブル美術館と並んで、パリの旅行者には知らない者のない観光スポットであり、時期と曜日にもよって異なるとはいえ、日々多くの旅行者が長蛇の列を作り、庭園も含めると25ユーロほどの入場料を支払って城を見学している。なるほど、たしかに一生に一回のヴィジット、と意気揚々に宮殿に足を踏み入れたところ、鏡の間に見も知りもしない現代アートの彫刻がどすんと置かれていたり、王妃の寝室に何やら不気味な髪の毛のお化けが佇んでいたりしたら、文句をいう者や批判する者が出てくるのは想像に難くない。現に、第一回目のJeff Koonsの時はもちろんのこと、村上隆の展覧会の際にも、アニメやマンガから着想されたキャラクターたちに城が侵略されることを良く思わない一部の保守的な人々から厳しい批判の声が上がった。

ヴェルサイユ宮殿のような不朽の歴史的建造物はもちろん、ただ現状を維持し、改修•保存し続けるだけでもおそらく世界中からの観光客を呼び続けることができるのかもしれない。しかし、宮殿を毎年ひとりのアーティストの作品によってまったく新しい展示空間に作り替えてしまうことは、歴史的建造物であるのとは別の次元で非常に面白い試みなのだ。ヴェルサイユ宮殿のゴージャスな外装•内装からして、たしかに展示すべき作品の華やかさやスケールの大きさが求められることは間違いない。しかし、個人的にはアイディアとして素晴らしい試みであると高く評価すべきだと思っている。展覧会が美術館やギャラリーで行われることが多い今日、無地の壁でない、しかも政治的だったり社会的だったり性的であったりと、多様なコンテクストをまとった空間で作品に対峙するという体験はとても貴重だ。

La Fiancée 2005

ポルトガル出身のジョアンナ•ヴァスコンセロスは、ヴェルサイユ宮殿における現代アート展示第5回目にして、ようやく初めての女性アーティストとして宮殿に招かれた。会場である宮殿内と庭園には16点の作品、そのうちの8点がこの展覧会のために制作された作品だ。彼女がこれまである種、フェミニスト的なメッセージを掲げて制作してきたことはまず押さえておくべきだろう。前述した最も有名な作品、La Fiancéeとその相棒のCarmenはそれらが生理用品であるタンポンで作られているとかセクシュアルな意味を含有する作品はヴェルサイユ宮殿にふさわしくないとかいう理由で、宮殿の方針によって却下されてしまったのだ。そのことについて、アーティストは失望しながら以下のように述べている。

「まず最初に問題になったのは、La Fiancéeを宮殿に展示するかどうかでした。私はLa Fiancéeと対の作品であるCarmenを鏡の間に、具体的にはLa Fiancéeをあるべき位置(つまり鏡の間の内部)、Carmenをその外側に位置づけるという構図を夢見ていました。白いタンポンでできたLa Fiancéeは純真を表し、黒いCarmenは娼婦を表しているの。これらの作品は性的であるという解釈のもと、ヴェルサイユ宮殿にそぐわないものと判断された。あたかも、ヴェルサイユ宮殿には女性もセックスの話も存在しなかったかのように!」

La Fiancée en détail

女性アーティストを招き、しかも奇しくもフェミニズム的作品を制作することで知られるジョアンナを招いておきながら、25000個のタンポンによるLa Fiancéeが鏡の間に誇らしげに吊り下げられなかったことに、現在のヴェルサイユ宮殿と現代アートとの関係性の限界を感じざるを得ない。どうなっていくべきなのか、どうなっていくのか、まだその結論は出ていないのだ。

Marilyn(PA), 2012

そういった訳で、鏡の間には、Marliyn(マリリン)が展示された。鍋と鍋の蓋で信じられないほど精密に構築された巨大なハイヒールは、女性の性的アピールとしての魅力を象徴すると同時に、依然として女性の仕事であり続ける料理や掃除といった家事仕事のモチーフ(鍋)を意味している。さらにこの巨大な寸法は、ルイ14世が宮殿を建てさせた17世紀から今日に至るまで、全ての女性たちが努力の末獲得してきた権利や自由の大きさを象徴している。この展覧会のタイトルも、 »Hommages aux femmes du passé et aux femmes modernes »(過去と現代の女性たちへのオマージュ)である。

Marilyn (PA), back

この展覧会を訪れて一番最初に出会う作品、Mary Poppinもまた、Pamela Traversの小説に現れる女性へのオマージュであり、女性参政権と女性の自由のために戦った登場人物なのである。

Mary Poppin, 2010

このMary Poppinのマテリアル使いと大きくて奇怪な生き物のようなスタイルは、展覧会後半に現れる3つのワルキューレ彫刻にまで引き継がれている。レースやカラフルな布を使い、毛糸で鉤針あるいは棒針編みされた装飾が施されている。ワルキューレは北欧神話において、「戦場における生死を決定する女」であり、女性の神性の象徴的存在とアーティストによって捉えられている。

Walkyrie Trousseau, 2009

二つの向き合った手長エビは、Le Dauphine et La Dauphine(ドーファンとドーフィンヌ)と名付けられており、テーブルの上に向き合って配置されている。ポルトガルレースが施されており、ドーファンが雄でドーフィンヌが雌である。

Le Dauphin et La Dauphine, 2012

Gardesは文字通り、番をする2頭のライオンだ。勇ましく、好戦的で、強さの象徴である2頭のライオンを、ウエディングドレスに使うレースで装飾してしまうというアイディアの背後には、戦争を好む男性性を嘲笑するようなアイロニーが見え隠れする。

Gardes, 2012

Lilicoptèreはもちろんヘリコプターをかわいくもじった、ピンクのヘリコプターの作品だ。大量のダチョウの羽毛で飾り付けたヘリコプターは、王妃マリー•アントワネットが王宮をダチョウの羽で飾りたいと述べたという言い伝えから着想を得ているそうだ。

Lilicoptère,2012

さて、ご存知のように、フランスの歴代王妃は公開出産を強いられてきたのであり、ハプスブルク家から嫁いだマリー•アントワネットも例外ではなく、Chambre de la Reine(王妃の寝室) において公開出産した。La Fiancéeはむしろ、王妃の寝室に展示されても良かったのではないかと思うが、実際にはPerruque(カツラ掛け)がこの部屋のための作品として選ばれた。Perruqueは、赤褐色の卵形の立体からたくさんの突起が出ており、その各々から様々な色の髪の毛が垂れ下がっている、どう見ても奇異でグロテスクな様相をしたオブジェだ。ジョアンナ•ヴァスコンセロスは、このPerruqueの展示をめぐって再度宮殿側と衝突することになる。この作品を展示できないのなら、展覧会は無かったことにする、と言うことによってようやく展示が認められたという。

Perruque, 2012

Perruqueが物議を醸したのは、このオブジェがただ単に、あまりにロマンティックでフェミニンな王妃の部屋に似ても似つかぬグロテスクな形をしていたというだけが理由なのではない。細長い楕円の立体はまぎれも無く、女性の子宮の中に放り出される「卵(らん)」なのである。卵に纏われた多数の突起は、固くなったたくさんの男性器のようにも見えるし、何らかの暴力的なコンテクストによって歪められ、奇形化してしまった可哀想な卵子のようにも見える。 歴代王妃の公開出産が行われたとされる「王妃の寝室」において、この作品を展示しなければならないアーティストの主張は最もであるし、それを防ごうとした宮殿側の方針が存在することも理解できる。(突起と髪の毛は実際には19個取り付けられており、それは王位に就いた子どもも含めこの部屋で出産された全ての王室の子の数に相当する。)

 純真性を象徴するLa Fiancéeと娼婦であるCarmenが鏡の間の入り口を挟んで対面する、その劇的な瞬間を体験することの出来るもうひとつのヴェルサイユ宮殿現代アート展示とはいかなるものだったのだろう。私たちはそれを、残された16個の手がかりから推測し、深い想像に身を浸すほかなく、それは悔しさにも諦めにも似た感情である。それでもアーティストは作品を作っているし、彼らは議論している。変わって行くことも、たくさんあるのである。

07/16/12

ひとびとの距離/ la distance entre personnes

良くも悪くも、驚きのすくない時代になったようだ。はじめて誰かと会うという時に、その人の容貌は愚か、これまでどんなことをしてきた人なのか、何を作り、どんなことを書き、どこで仕事してきた人なのかということをだいたい知っていることが多いのが、こんにちの初対面の真実である。

 

たった数年前にはまだ、所属先やキャリアなどを含む個人情報がウェブ上に流出してしまうことや、顔写真がネット上にアップされることはひとえにネガティブに捉えられ、迂闊にそんなものを駄々漏れさせてしまう人は、自己管理の行き届いていない人であるかのように見なされる傾向があったに違いない。

ところが現在ではだいたい、人に会うのも、お店に行くのも、旅行に行くのですら、いつもなんとなくデジャヴュである。デジャヴュというのは、必ずしも否定的なニュアンスではない。たとえば、私は初対面の人と、とりわけエライ人とか面接とかで誰かと会うようなとき、だいたい始めものすごく楽しみにして、その後非常に緊張して、しまいには定期考査の試験問題を予想するように、面接シミュレーションをしてしまったりするのだが、事前に多くの情報を知っていれば知っているほど、シミュレーションのシナリオが作りやすいのは事実だ。対面の恐怖みたいなものが軽減されるのも事実だし、写真を通じて顔や姿のイメージが何となくあるので、待ち合わせ場所で通りすがるすべての人に対してそわそわしなくてよいというのも素晴らしい点だ。ただしこのストラテジーの最大の弱点は、変化球に対して、情報開示されていない場合よりもさらにビビってしまう可能性が多いということだ。そして、人との出会いとは往々にしてそういうことが起こりやすくできている。

自分が安心するためという極めて小規模な幸せの追求を除けば、こんなにつまらない試験問題予想の方法はないように思える。与えられた材料からの、話題の再構築。例外的にアクティブな性質をもつ個体を除いて、人はみなある程度平穏な物事の成り行きを好むにしても、である。

デジャヴュ的出会いのもう一つの特徴は、そのつまらなさに比べものにならないほどクリティカルな問題である。それは、デジャヴュ感の一方通行性だ。ある人のブログを長年に渡って愛読しており、その人が日々綴る日常の出来事、家族の話、仕事の悩みや小さな愚痴、感傷的なことばの端々を通じて、読者は十分にその人を知っている錯覚に陥ることができる。ブログというのは(ブログにもよるが)、日記の盗み読みなのである。ウェブ上に、読まれるために書いておいて、盗み読みとは何事か、と思われる人もいるかもしれないが、世の中の多くのブロガー(職業的肩書きを背負ったブログであったとしても)が綴っているのは、本人は露出に無頓着なつもりでもそれが現実にどういうことかを真摯に受け止めていない程度に、限られた読者しか、実は想定していないのである。

そんなわけで、この親密な言葉で書かれた日記を、その人を思いながら長年読み続けてきた読者と、勝手な想定のもと言葉を発し続ける作者の間に、平行な2つのベクトルがあらわれることになる。平行なベクトルは決して交わることのできないベクトルだ。こんなふうにしてかわいそうな読者は、長年見守ってきてよく知っている書き手に対して、つい、非常に馴れ馴れしい言葉をかけ、ゼロから人間関係を築く代わりに、これまで一方的に積み上げてきた個人経験をもとにして、関係を築こうとしてしまうのだ。

この悲劇的なシナリオは、小説家とその読者の間では決して起こらない。小説家は自分が出版という特別な段取りを通して、自分の手から書いたものが世界に旅立っていく過程を意識的に経験しているし、小説の読者は、それが間違っても自分に当てて書かれたものではなく、本を手に取れば誰にでも受け取る事のできる客観的な媒体であることを知っているからだ。したがって、こっそりと作者の言葉を盗み読んでいるという感覚がここには介在し得ない。

 

なるほど、ひとびとの距離を図ることが、とてもむずかしいというのは、色々な原因を伴って、どうやらあながち嘘ではないようだ。たしかに誰かに出会う際、その人がどんな風かを少しだけ知っているのとそうでないのとでは、心にかかる負担が違うのは事実だろう。しかし一方で、ひとりの人間ともう一人の人間の間で築かれるべき「関係」というものに対して、自分の勝手な枠組みを押し付けるのはとても暴力的な行為だ。ひとびとがどうやって出会って、つまらない試験問題予想をするのではなく、おたがいが面白くぶつかり合えるのか。

知らない誰かとせっかく出会った時、わたしが彼(彼女)に対して同じ事を思い、彼(彼女)がわたしに、「思ってたとおりの人ですね」と言うほど、つまらなすぎて嫌気がさすことはないのだ。