08/14/13

アンリ•サラ, ラヴェル @ヴェネチア•ビエンナーレ/ Anri Sala, Ravel Ravel Unravel @French Pavilion, la Biennale di Venezia 2013

Artiste : Anri Sala
Curator : Christine Macel
Titre : Ravel Ravel Unravel @French Pavilion

(ヴィデオはこちらでご覧になれます)
dans la pavillon/ パビリオン訪問のビデオ
youtube : http://www.youtube.com/watch?v=k5oOSPIoiZg
interview/ アーティストインタビューのビデオ
youtube: http://www.youtube.com/watch?v=foBKIlq_fPU

55th la Biennale di Veneziaでは、フランスとドイツがパビリオンを交換しての異例の展示となった。オープニング期間中は長蛇の列を作り、1.5時間の待たなければならない人気展示であったらしい。全パビリオンの中でも最も高い天井をもつドイツ館(Germania)を利用してのソロ展示を行ったのはアルバニア出身のAnri Sala、1974年生れ、Ecole Nationale des Arts Décoratifsで映像を学び、現在もパリ在住の映像音響作家である。また、キュレーターはChristine Macel、ポンピドーセンターのキュレーターで、2008年にはGalerie SudにおけるAnri SalaのSolo Exhibition, « Titre Suspended »のキュレーションを手がけている。

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まず、このGermania館は3つのパートに分けられている。入り口と出口に面した二つの部屋ではUnravelの第一プロジェクションと第二プロジェクション、そして中心の最も大きな空間ではRavel Ravelのプロジェクションが見られる。この真ん中の部屋では、二つの画面が上下に重ねられ、二つのフィルムが同時的に上映されている。この作品の主題となっているのは、20世紀を代表するフランスの作曲家モーリス•ラヴェル(Ravel Maurice, 1875-1937)がほぼ同時期に作曲した二つのピアノ協奏曲のうちの一つ、『左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調 op.82』(1930)である。(もう一つは1929年に作曲された『ピアノ協奏曲 ト長調』)有名な話であるが、この曲は、第一次世界大戦中にポーランド戦線で受けた戦傷により右腕を失ったピアニスト、パウル•ウィトゲンシュタイン(Paul Wittgenstein)が戦後になって左手のみで演奏活動を続ける事に決めた際、ブリテン、ヒンデミット、プロコフィエフらがしたように、Ravelも彼の要望に応じて作曲したのが、この『左手のためのピアノ協奏曲』である。実はこの曲、あまりに技巧上の難易度が高いため1931年の上演時、パウルは途中で演奏を断念(即興、変奏)してしまい、後にラヴェル自身が指名する形で、両腕のピアニスト、ジャック•フェヴリエ(Jacque Février)によりパリで上演されたのが完全な初演とされる。楽曲は一般的に3部構成でアナライズされる。おどろおどろしく始まる最初のパートは、徐々に加わって行く管楽器が高揚を極めたところで、突如ピアノのカデンツァに取って代わられる。二部はジャズライクな展開部で一部のテーマが随所に変奏として繰り返しちりばめられている。三部は超絶技巧のピアノのカデンツァを経て短いクライマックスが待っている。この曲では、非常にゆっくりなテンポと目もとまらぬ速いテンポ、それらを繋ぐムーブメントがもつリズムやエネルギーが重要な役割を果たしており、形を変えて繰り返されるモチーフが重なり合っていくことでそれはさらに強烈になる。ラヴェル自身の言葉では、死への思いや孤独への恐れを描いたとされているが、クライマックスに向けてパーカッションやオーケストラが高揚して行く様は没入的な興奮であり、暴力的なものすら感じさせる。

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さて、真ん中の部屋で上下に二つの画面を並べて上映されたRavel Ravelにおいて、この難曲を演じるのはLouis LortieとJean-Efflam Bvouzet、二人の両腕の名ピアニストである。(もちろんコンチェルトの演奏は左手のみにより行う。)オーケストラはOrchestre National de France、指揮はDidier Benettiによる。ここで目を鑑賞者の目をひくのは、飛ぶように動き回りテンポをとる左手の存在よりも、左手をしばしば隠すようにして不気味に画面に映り続ける右腕の存在である。「それぞれの映像では、鍵盤を網羅的にうごく左手とまったく動かない右手、という構図に焦点を当てるよう意図されています。」(アンリ•サラ) さらに興味深い事に、この映像はほぼ同時的に再生され、同じような部分を弾いているにも関わらず、意図的に一方が他方を追いかけるかのようにほんの僅かずらして上映されている。(これは、テンポの違いや解釈の違いと関係のない、意図的な「ずらし」である。)アーティストによれば、これはGermania館の音響効果を利用して、二つのパフォーマンスの時間的ギャップを持続的に実現するためであったという。つまり、空間の意味を破壊することなどがそれである。普通大きな空間で響き渡る音は、その残響を聴き、あるいは壁に反射するエコーを聴く事により、音と空間の関係は身体的に了解される。ここでは、残響とエコーが聴かれる前にもう一方の演奏がやってきて、そのもう一方の演奏の残響とエコーも、やはり他方の演奏によってキャンセルされることで、鑑賞者を包む環境を異化しようという試みであった。

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最初の部屋と出口へ続く最後の部屋で上映されたのは、Unravel(ラヴェルではない)である。ここでは、先ほどのように演奏シーンは見られず、一人の女性の顔のアップ、真剣に、時にヘッドフォンに手を当てて集中して音に耳を傾けている様子が見られるのみである。そこには音楽もなく、女性の表情があるのみである。出口のほうの部屋では、彼女の全身像がキャプチャーされて、彼女はDJを頼まれたChloéという女性で、二人のピアニストが演奏した二つの異なるラヴェルを、まさに会場となっているGerman Pavillonにおいてミキシングしていることが明らかとなる。さきほどのラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』のフレーズのとぎれとぎれにDJのミキシングで作られるスクラッチ音が聴こえてくる。この3つの部屋を通じてアンリ•サラは、二人のピアニストに更に三人目の解釈者としてのDJChloéの存在を加え、三人によるラヴェルを一つの音響として創り上げ、パビリオンに奏でることを目指した。それが観客の身体を通じてさらに異なる経験として産み直される事を期待しながら。

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わたしはこの展示について感じた印象は、構想された事や計算された事、時間をかけて理解されるべき事や知られなければならない事が山のようにあるのだろうという臭いは明らかに香っているだけれども、数十分音響をこの会場で聴いただけではそこまでよくわからないだろうな、というものだった。個人的に主題となった楽曲については知っているし、3つの部屋に関するディスクリプションも読んだので作者とキュレーターが意図するストーリーは理解したが、描かれたストーリーと作品経験が満足に結びつかないと言うほうが適切かもしれない。面白かったかどうかと鑑賞直後に聴かれたら、迷いなく、面白くはなかったと答えた後に、よく分からなかった、と付け足すと思う。国際展に出展する展示なので難しいコンセプトがあり、簡単にはその表現を受け取る事ができないのは果たして当たり前なのだろうか。たしかに、作品にはコンセプトがあり、コンセプトや作者の目的や意図は、見る人が探しに行くものでもあるし、作者から渡されるものでもある。その両方であろうと思う。だから、見る人に興味がなくてもいけないし、作り手に見る人への興味が欠如していてもいけないのである。この作品が、会場での作品経験に関わらず依然として魅力的なのは、アルバニア出身のAnri Salaがこれまでも行ってきたような、異なるスタイルやカルチャーをぶつけて対話させ融合させるということを音楽において実践してきた基本的なアイディアが、この作品にも通底しており、それが面白いからである。田中功起の『A Piano Played by Five Pianists at Once』(5人で一台のピアノを弾く)と少しだけ類似しているけれども、Anri Salaがやろうとしたのは、むしろもう一次元スケールの大きな事で、演奏者によるミキシングだけではなく、観客を取り巻く空間で起こる出来事までをミキシングして、まったく別の環境を創り出すことであったと、私は思うのである。それをサウンドに集中して挑戦し続けているのがこの作家である。

このように考えてくると、一つの結論が見えてくる。必要なのは、もっとうまく説明したいという事で、それはアートのための配慮であり、人が表現するものを人が享受するのに必要なプロセスである。それが自分の部屋のデコレーションでもなく、それがアートであるかぎり、それは人が関係し、人を関係させる事に関わるべきなのである。

参考:other reference Moma Miami, about A Spurious Emission
参考インタビュー:interview about A Spurious Emission
参考インタビュー:Curator interview, Christine Macel, Titre Suspended, Pompidou

08/9/13

艾未未 (アイ•ウェイウェイ)3つのストーリー/ Ai Weiwei 3 histoires à Venise

艾未未 (アイ•ウェイウェイ)3つのストーリー/ Ai Weiwei 3 histoires à Venise
June – September 2013

艾未未 (アイ•ウェイウェイ)のことを書くのは緊張感がある。それは、他のアーティストや他の展覧会、あるいは社会問題や現象についてのエッセイを書くことと比較して「相対的」に緊張するのではなく、艾未未について書く行為そのものが「絶対的」にしんどいのである。それでも書こうと私が感じているのは、彼がこの第55回ヴェネチア•ビエンナーレで鑑賞者に提示した3つのストーリーを全て目の当たりにしたからであり、私にとってはこうすること以外に選択肢がないからである。

艾未未 (アイ•ウェイウェイ)は1957年北京生まれの現代美術家、キュレーター、建築家でもある。世界各地で積極的に展覧会を行い、国際展に参加するほか、よく知られているように、多くの中国人に協力を仰ぎながら社会運動を繰り広げている。1980年代前衛芸術グループの活動に関わったが、政府圧力を受けて、ニューヨークに渡り、そこでコンセプチュアルアートの手法を学ぶことになった。艾未未は実に1981年から93年の12年間の間ニューヨークに滞在している。中国帰国後現在まで続くアトリエ•スタジオ「Real/Fake」を構える北京郊外の草場地芸術区(Caochangdi)を築いた。

艾未未の参加国際展は数多い。そしていつもセンセーショナルな評判を世界に轟かせた。とりわけ、2007年のドイツカッセルにおけるドクメンタ12では、 »Housing space for the visitors from China »という企画で会期中1001人の中国人をカッセルに招待し、会場に滞在させるというプロジェクトを行い、カッセルの街が中国人で溢れる事態を引き起こし、人々を驚かせた。あるいは同国際展の屋外展示であった »Template »という明時代の扉から成る建築が悪天候のため崩壊したのだが、自然現象の結果としてそのまま展示したことにより、人々は艾未未のコンセプトのスケールを理解した。

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2013年、現在会期中の第55回ヴェネチア•ビエンナーレでは、フランスパビリオンで行われているドイツ展(Susanne Gaensheimerのキュレーション)に招待され、 »Bang »というインスタレーション作品を出展している。文革後の何ものも顧みない超高速の近代化は、それまでの文化や歴史が一つ一つその足場を踏みしめるようにして築き上げてきたものを一瞬にしてゴミにした。インスタレーションは886台の三脚の木椅子からなっている。1966年に始まった文化革命は、この三脚の木椅子に代表される、どこの家庭にもあり、伝統的な物作りのマニュファクチュアー技術の賜物である家具や道具や物を、一夜にして時代遅れのみっともない代物におとしめた。家具はアルミやプラスチック製がオシャレで文化的な物だと画一的に信じさせられ、何世紀も渡り親から子へと引き継がれてきた年期の入った木椅子は「遅れの象徴」として追放された。艾未未は、このインスタレーションで、古い木椅子を再利用したのではない。今日では貴重となった木椅子の制作技術をもつ作り手に依頼して、この典型的オブジェをインスタレーションのために作ってもらったのだ。椅子は、大木の木の根が地中を繁茂するように広がって配置されており、それは目を見張る速さで広がったポストモダン世界の網の目と、その過剰な網の目の中に絡みとられて自由を失った「個人」の今日におけるあり方を象徴しているようでもある。

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「艾未未 (アイ•ウェイウェイ)はどこ?」という言葉が、ポスターやメッセージボード、インターネット上の記述が世界中を右往左往した2011年の4月から6月のことを記憶に留めている人も多いだろう。2010年11月より北京の自宅に軟禁されていた艾未未は、翌年4月3日、香港行きの飛行機に乗る手続き中に行方が分からなくなった。国際人権救護機構(Amnesty International)や、ドイツやイギリス、フランス外務省、さらにはアメリカの国務省もただちに艾未未を釈放することを求めたが、この拘留は81日にも及んだ。4月7日の中国外務省からの情報によると艾未未はスタジオ脱税容疑による経済犯であるとされたが、この原因が2008年5月に起こった四川大地震の被害の実態を明らかにし、犠牲の原因を明らかにする社会的活動を艾未未が主導していたことであるのは明らかであった。

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ヴェネチア•ビエンナーレでは、ビエンナーレメイン会場とは離れて二つの »Disposition »展が開催された。その一つがメディアでも話題になったが、81日の拘留生活の実態を再現した模型を教会で展示したS.A.C.R.E.Dである(2011−2013) 。彼が体験した81日間の監獄での「日常生活」の一部始終が6つのシーンとして再現されている。鑑賞者は、規則的に置かれた6つの大きな部屋を小さな窓穴から覗くか、あるいは上についているガラス窓越しに覗き見ることによって、艾未未の体験を知ることが出来る仕組みになっている。何もない部屋。薄汚いベッドや洗面所。食事、睡眠、排泄すべてにおける厳重な監視。

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もう一つの »Disposition »展の会場に行くためには船で本島の向こう岸に渡らなければならない。あるいはもちろんアカデミア橋を渡って迷いながらとぼとぼと歩くことも出来るだろう。とにかく、孤立した展示でなければならなかったのだ。その展示は、Chiesa di S.Antoninにある。150トンの鉄骨が真っすぐに整然と並べられて部屋一杯に敷き詰められている。長さもそろえられて、それは海の波にもオシロスコープで見る幾何学的な波にも見える。これは彼の2008年12月より様々な圧力にも屈せずに取り組み続けてきた艾未未とその協力者の一つの集大成とも言える。彼らの目的は、多くの子どもたちが人為的原因によってその命を落とすことになってしまった犠牲の全貌を明らかにし、その犠牲者名簿を明らかにして、被災者のために祈念することだ。命を落とした子どもたちはもはや彼の活動に関わらず戻ってこない。しかし、残された人々はもう一度このことが起こらないように、起こったことの原因を知り、そのことがこれからは起こらないよう世界を変えることが出来る。あるいは、そうすること以外に、死んだ人々に祈りを捧げる方法はない。

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当スペースで放映されるドキュメンタリービデオは、艾未未と彼らの協力者たちがどのようにしてこの150トンもの鉄骨を四川大地震に関わるモニュメントとして提示したかのプロセスとコンセプトを明らかにする。まず知らなければならないのは、このプロジェクトのせいで艾未未は脳内出血で手術を受けるまでの暴力行為を受けているし、上述したように81日の拘留に遭っている。アートは困難を越えて続ける必要のある行為であり、艾未未という個人を越えてその協力者と鑑賞者とそれに触れる者に影響を与えるべきものである。150トンのグニャグニャに曲がって折れた鉄骨は彼を支持する中国人たちの手作業によって、真っすぐに戻された。このめちゃめちゃに組み立てられて建物を支えるに至らなかった鉄骨こそが、子どもたちの命を奪った直接的原因であり、その苦しみの象徴である。鉄骨をいっぽんいっぽん真っすぐにする作業は何年もかかる。その間、どれほどにこの粗悪な鉄骨が地震で姿を変えたのか、その記憶を残すために曲がった状態でのレプリカも150トン全てについて制作された。

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4年に及ぶ年月は、原型を留めないほど曲がっていた全ての鉄骨をぴんと真っすぐにした。人間の一所懸命の作業は4年間を要したが、これを捻り曲げた震災の衝撃は一瞬のことであったのだ。

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鉄骨はその暴力性をもう我々の目の前に提示しない。4年間の艾未未とその仲間たちの仕事は、見る我々をただただ茫然とさせる。たしかに、生きることは繰り返すことで、人類の歴史は作って壊すことであった。しかし、それは、壊して、直すことでもあったのだ。

08/9/13

マーク•クイン展 / Marc Quinn @Giorgio Cini Foundation, Venice

Marc Quinn @Giorgio Cini Foundation, Venice

Solo Exhibition
29 May 2013 – 29 September 2013
@Fondazione Giorgio Cini, Venezia
Site of Cini Foundation click

The Giorgio Cini Foundation, Venice

The Giorgio Cini Foundation, Venice

55th la Biennale di Veneziaとほぼ会期をあわせて、Saint Marco広場のちょうど向かいのSan Giorgio Maggiore島のFondazione Giorgio Ciniでは、 »Marc Quinn »展が開催されている。キュレーションは、1988よりNYのグッゲンハイム美術館のキュレーターを務めGermano Celantによるものである。(Germano Celantは1967年、当時のイタリア前衛アートムーブメントを »Arte Povera »と命名したことで知られる。)Marc Quinnは1964年生れ(ロンドン)のアーティストであり、1988年の自主企画展覧会 »Freeze »を行ったことからその精力的な活動が世界に知られることとなる若手コンセプチュアルアーティストYoung British Artists(YBAs)の一人として数えられている。ケンブリッジのロビンソンカレッジで美術史を学び、これまでSolo Exhibitionでは、ロンドンのテイト•モダン(1995)、ミラノのプラダ財団(2000) テイト•リヴァプール(2002)、また国際展では、第50回ヴェネチア•ビエンナーレおよび2002年の光州ビエンナーレにも参加している。

Alison Lapper Pregnant, Breath(2013)

Alison Lapper Pregnant, Breath(2013)

夏のヴェニスの光は強い。空も海も底抜けに青く、褐色の煉瓦はカクテルのような色に輝く。あらゆる白っぽいものが真っすぐ目を当てられないほどに眩しい。そんな風景の中に、巨大な短髪の女の彫像がSan Giorgio Maggiore島の教会を守るかのようにして在る。あまりにも強いコントラストと強烈な色彩の中で、非常に意外なことなのだが、Alison Lapperが放つ薄紫色の表面は、世界にある全ての白いものより一層透き通り、我々の視線を捉えるのであった。11メートルもある両腕を持たず、極端に短い足を我々に投げ出して上体をすこし捻るようにして一点を見つめているその女性は、Alison Lapper、Marc Quinnと同世代の1940年生れのイギリス人アーティストである。彼女はPhocomediaつまりアザラシ肢症と呼ばれる身体的特性を持ってこの世に生まれてきた。彼女の両親も親戚もこれを奇形として遠ざけ、否定し、目をそらした。17歳の時、両親が人工四肢(義手、義足)を彼女に「表面的に普通の身体的外見を得るため」だけのために与えようとしたとき、彼女は家を出て独立することを決めた。運転免許を取得し、筆を口でくわえる方法でペインティングを学び、良い成績で美術学校を卒業した。33歳の時妊娠し、現在はもう中学生になっている息子と共に絵を描いている。

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Marc Quinnは、2005年、彼女の妊娠をテーマに »Alison Lapper Pregnant »(妊娠8ヶ月当時の彫像)をカララ大理石で制作し、2007年までロンドンのTrafalgar Squreに置かれた。さらにこの彫像は2012年ロンドン•パラリンピックにおいて、 »Disability »のイコンとして、彼女のメンタリティやポジティブシンキングを新しい一つの女性像と受け入れる多くの人々によって愛された。彼女は述べる。「子どもの時からあなたは一人で生きられないと言われた。すぐに障害者のための施設に入れられてまわりから可哀想な目で見られた。絶対に母親にもなれないと言われた。(略)私はどうやったら親が子どもを否定することができるのか分からない。私は自分の子どもをこんなにも愛しているから。」
San Giorgio Maggiore島のAlison Lapper像は、オリジナルのレプリカで »Breath »と呼ばれるヴァージョン作品で日の出と共に現れ日の入りと共に闇の中に消える。セキュリティー管理の事情から、膨らませるタイプの作品にしてあるそうだ。(参考ビデオがこちらに!click

"Self"

« Self »

Marc Quinnの表現のテーマはしばしば、Alison Lapperの像に見られるように人間の身体に関わるものや、生命の存続と死、生命の存続のシステムと我々の肉体との関係、もっと広くはアートとサイエンスの関係にまで及ぶ。著名な作品では、自身の血液を凍結させ一定温度環境の中で保存されている、 »Self »という血液による自己像の作品が有る。 »Self »はヴェネチアで今回展示されたもののほかにもいくつかバージョンが有り、かなり色鮮やかな赤を持つものもある。4.5リットルの血液を5年ほどかけて採血した。私の血液からなる私の頭部彫像が複数存在するという事態は興味深い。それはそのコンポジッションが実際にも血液から成るという客観的事実が有るからであろう。

Flesh Painting(2012)

Flesh Painting(2012)

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そして、2枚の大きな »Flesh Painting »(2012)は、遠くから見ると鮮やかな真っ赤な肉の写真にしか見えないのだが、近づくと、その赤い色がグラデーションされている様子や、脂肪や筋の部分にペインティングのタッチが見えることによって、それが絵画であることを認めざるを得ない。生肉は、我々のボディの一部分であり、血や皮膚と同じである。生肉にも美しさがある。それは、動物である我々が動物的本能で否応無しに知る直観であるところのもので、つまり、われわれは、くすんで脂肪部分が黄ばんだ生肉よりも、鮮やかな朱色とはっきりとした白い筋を見せる生肉を体内に取り込むことに魅力を感じ、それを喰らう。描かれたFleshはうっとりするほどに、美しい。 »The Way of All Flesh »(2013)は、モデルであるLara Stone(妊娠した女性)が生肉を背景に横たわっている絵である。その名前の通り、全ての生命の起源と運命を暗喩的に表している。

The Way of All Flesh (2013)

The Way of All Flesh (2013)

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10人の彫刻。タイトルがモデルの名前である。10人はそれぞれ、冒頭に言及したAlison Lapperの身体を彷彿とさせるように、身体の一部を欠いたり、大きすぎる乳房を持っていたり、男性的身体的特徴を有しながら妊娠している。

Thomas Beatie (2009)

Thomas Beatie (2009)

屋外のかつての船倉のスペースを利用して、 »Evolution »の展示がある。 »Evolution Series »(2005−2007)はさて、9体のピンクマーブルの彫刻および一つの巨大な岩石で構成される。9体の彫刻は、純粋なマテリアルとしての岩石の真向かいに置かれた人間の胎児と、8体の奇体な生き物。それら8体の生き物は時にはいつかバイオロジーのテクストで見た受精卵が数回分裂した後の胚や、は虫類の発生途中、種は分からないが何らかの動物の赤子のようにみえる。 »Evolution »は実は、われわれが世界に生まれるまでの初期胚から一ヶ月ごとの成長を10体の彫刻で表した作品である。つるっとした表面に一筋のくびれだけをもつ胚も、エイリアンのように見える胚も、かつての我々一人一人の姿だ。Alison Lapperもわたしたちも、一つの岩石が象徴する起源としての「母」から生れ、それは非常にシンプルな胚であった。

Evolution Series (2008)

Evolution Series (2008)

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« Evolution »というタイトルは明らかに今日では誰もが信じている「進化論」を連想させ、それは天地創造の世界観と共存しない。妊娠する女神像 »Alison Lapper Pregnant »は我々にとってリアルなものだが、San GIorgio Maggioreの教会周辺の保守的な人々の間には、この像の設置を批難する声もあるそうだ。Marc Quinnは言う。「歴史的に、障害者のDisability(不能性)は常にネガティブに表象されてきた。そうでないポジティブな表現をすることには意味が有ると信じる。」

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光の中にひときわ輝くAlison Lapper像は綺麗だ。人々は目を奪われる。ひとたび釘付けになった彼らの視線をみればわかる。それが哀れなものをなでるように見つめるような、あるいは恐れるような眼差しではなく、一つの命をそのおちついた腹部に伴って豊かで強い体躯のぬくもりを確かめるようにじっと見つめる眼差しであるということを。

われわれがそれを伴って生きる「身体」は、リアルにも潜在的にも、健かなのである。

06/17/13

Décongélations Prématurées @ Atelier Alain Lebras, Nantes / 展覧会「未成熟な解凍」,ナント

Décongélations Prématurées

Du 8 au 26 mai 2013
Atelier Alain Lebras, Nantes

http://decongelationsprematurees.overblog.com
video clip here

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未成熟な解凍?時期尚早の解凍? »Décongélation Prématurées »は、Anne-Sophie Yacono がキュレーターを務めるナント市美大出身の若いアーティストたちによる手作りの展覧会である。綺麗な脳ミソ(いったい何の?)がお皿の上で静かに解凍されているすてきな本展覧会のポスターをレストランに持っていくと、本来是非とも掲示していただき多くの人の目に触れて欲しい!!というアーティストたちの熱い願いとは裏腹に、悉く断られた。脳みそが解凍されているイメージの何がいけないか!もの申さぬそれは、我々の食卓に上がる鮮やかなタルタルや、美味しいハンバーグステーキの友達ではないか!…というのはあくまで私の個人的なコメントだが、そもそもこの展覧会、「未熟な解凍」と名付けられる前には、それは食に関わるコンセプトだったそうだ。下に幾つか紹介させていただく作品を見てみると分かるが、どうやら、 »Décongélation Prématurées »は、食(吸収•同化)すること、成熟(腐敗)すること、冷凍(仮死状態に)すること、それをもう一度解凍する(蘇らせる)こと、これらの一連のできごとをアーティスト達が様々な方法で取り組み表現した展覧会であったらしい。

Makiko Furuichi with a marionette of Memento Mori

Makiko Furuichi with a marionette of Memento Mori

5月7日幕を開けた本展覧会は中盤を迎えていた。5月18日、19日、展覧会も残すところあと一週間になり、様々なパフォーマンスやイベントが企画されていたその週末機会を得て、ナントのアトリエAlain Lebrasを訪れた。ナントの国鉄駅から歩いてすぐ、大きな通りから枝分かれする石畳の小道を突き当たりまで歩いていくと、オシャレでエネルギーに満ちた若者の群れが見える。パフォーマンスが行われたこの日の夜、スペースは賑わっていた。空間は広々としており、実に様々な作品形態、絵画、彫刻、ビデオ、ミックスメディアインスタレーション、写真、パフォーマンス空間等が互いにぶつかり合うこと無く共存しており、それでいて、全然異なる表現である作品同士が不思議とゆるやかに結びついているように感じられた。その様子は、会場の写真をご覧頂ければ明らかかと思う。さて、ここに参加アーティストのリストを記載しておく。

Boris Detraz, Evor, Makiko Furuichi, Emmanuelle Hardy, Heejung Kim, Laurence-Louise Landois, Benjamin Moutte, Angeline Rethore, Jean-Philippe Rykaert, Manon Maurios, Manon Rolland, Stéphane Menti et Romain Teule, Amandine Ronzier, Anne-Sophie Yacono, Ariane Yadan, Anne Carrique, Jérémy Segard
(参考 HP)

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まずはじめに、もう一度展覧会タイトル、Décongélation Prématuréesに込められた意味と展覧会コンセプトに戻ってみたい。この展覧会は前述したようにキュレーターを務めた美術家のAnne-Sophie Yacono声かけで、企画当初「食べること」をテーマにスタートした。多くの参加アーティストは本展覧会のための作品を構想した。「食べること」がテーマの展覧会。「食べること」とは何だろう。
第一に、一般的な意味において、それはもちろん食事のことだ。食事とは、生き物が生命の維持のために行う義務的な行為であり、行わなければ生き延びられない、と信じられているところのものである。それ故に食べることは生き物にとって本質的で、野性的•動物的でもある。野蛮であることを嫌うエレガントな人間たちは、古来より「食べる」という行為に様々な付加価値を与えてきた。例えば、美食。より良いものを食べれば人生が豊かになる、あるいは身体と精神が美しくなるような妄想。そして食の過剰と不足。現代の神経性/精神的な病の中で過食や拒食の問題は深刻さを増しており、フランスも日本も例に漏れない。動物的行為である食が、異なる意味を付与される事態である。または、流行のエコとかビオという言葉。エコで生きることが自然のためになる?ビオを食することはクリーンで優しい?だれがその確からしい結果を証明してくれるのか。そして、食べ物は腐敗し、腐敗を止めるために例えば冷凍し、細胞を仮死状態にすることができる。どんな季節にどんな国のモノも食べられる我々の超便利な世界は、冷凍食品に溢れている。さいごに、「食べること」は吸収•同化することであり、異物を飲み込み、それを砕いたり溶かして、自らの内側に取り込む行為だ。その行為はあたかも、捕えられた対象が捕らえたものの中に吸収される、つまり捕食者の勝利のように見えるけれども、被食者が捕食者を内側から侵食し、時間をかけて破壊するようなことかもしれないのだ。食べることは排泄することを招き、通常この方向性は一方通行であり狂わない。我々は皆、それは時間というものが一方的にしかすすまないので、このテーゼ「食べることは排泄することを招く」すら不変であると信じる。だが時々、時間が逆に進まないまでも、体調不良や薬物の使用により、非日常的な状況が創り出される際、我々は嘔吐する。嘔吐は、この確からしい矢印の方向すらひっくり返してしまう点で、偉大である。

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今回の記事では、残念ながら全てのアーティストの作品に言及することは叶わず、6名の作家の作品を選ばせていただいた。ではさっそく見てみよう。

Fièvre ou Fontaine ou Ce que j'ai vu avant de vomir, Ariane Yadan

Fièvre ou Fontaine ou Ce que j’ai vu avant de vomir, Ariane Yadan

Fièvre ou Fontaine ou Ce que j’ai vu avant de vomir, Ariane Yadan (熱狂あるいは噴水、はたまた嘔吐の前に見たもの)
Ariane Yadanの作品Fontaineは、オープニングイベントのために作られたのだが、その彫刻から滴る真っ赤な液体が床などに飛び散ることもあり、その後の会期では展示されなかった。陶器で作られた精巧な頭部の上部が破壊され、そこから血の噴水がほとばしっている。壊れた頭部を持つ人物の表情は、作家が名付けたように、Fièvre興奮しているようであり、自らの内部を本来満たしていた体液が放出する様子に驚きを覚えているようでもある。幸いにも人間の感覚はそれぞれ独立して働くことができ、我々は目を閉じて静かにその噴水から液体が止めどなく流れてくる音に耳を傾ける時、それはまるで、我々の肉体を満たし、生き物を満たし、地球を満たす水の静かな流れを聴くことができる。

 

Scenes, Makiko Furuichi

Scenes, Makiko Furuichi

Scènes, Makiko Furuichi
Makiko Furuichiは、今回私にこの展覧会を教えてくれたアーティストで、水彩、油彩、コラージュで高い評価を受けるほか、パフォーマンスやビデオも制作している。彼女の作品に焦点をあてた記事は以前インタビューをした際に書かせていただいたのでどうぞお読みください。(salon de mimi, Makiko Furuichi)さて、この展覧会では体液や性器、腐敗や嘔吐という明瞭なアプローチが見られる中、Makiko Furuichiの「食」の捉え方はもっと総合的なものであった。彼女が描いたのは、生き物の相互作用の結果としての身体、「肉」である。様々なポーズをとり、多様な色と形をもつ肉体は、それらがもつエネルギーを世界に及ぼしているが、そのエネルギーは光合成を行う植物においてさえもじつは、外側からもたらされたものなのだ。彼女の描き出す世界では、そういった、人間と動物、動物と植物、内側と外側、世界と個体という、自明の区別が非常に自然に無に帰される。区別の無い世界は再度彼女の方法で統合され、表象されるのだが、その世界には、以前存在したような理不尽な選別や絶望的な差異の影はもはや見当たらない。むしろ、理想的な調和のイメージがそこにある。

 

Messagers sordides, Boris Détraz

Messagers sordides, Boris Détraz

Messagers sordides (Ange à la banane, Combat d’anges saouls, Ange nu), Boris Détraz
Boris Détrazは、本展覧会に我々が目にしたことも無い天使が描かれる3枚の大きなタブローを出展した。バナナをもった天使、酔った天使の争い、裸の天使がそれらである。彼らはいったい天使なのか?天使とは神の使いで、いたずらもするがピュアな心を持っていて、可愛らしい子どものイメージで描かれ、少なくとも我々は、そのような天使としか出会ったことが無い。直に会ったことがないにせよ、彼らは酔って乱闘するなど聞かないし、バナナをほおばらないし、淫らな意味で裸で描かれたりしない。赤と黒を基調に描かれたことも無ければ、顔面から水平に突き出す、ピノキオの鼻あるいはサギのくちばしのような突起物を持っていたりしない。Boris Détrazは伝統的な西洋絵画の中で天使の身体の真髄まで染み付いたステレオタイプをどこまで脱色、脱臭、解体することができるのか試みる。

 

Memento Mori,Benjamin Mouette

Memento Mori,Benjamin Mouette

Memento Mori, Benjamin Mouette
「食べ物を粗末にしちゃいけません」とはよく言ったものだ。誰のために?世界には食べられない人々がたくさんいるから。貧しくてお腹をすかせている人がいるから。作った人の心を踏みにじることになるから…。「人を殺しちゃいけません」という大前提が、突如拠り所を失ってしまう瞬間があるのと同様に、「食べ物を粗末にしちゃいけない」大前提はいとも簡単に崩れてしまうようなことがある。今日、スーパーに物が溢れ、総菜屋もレストランも、消費する量ぴったりを購入することなどあり得ず、常に過剰である。賞味期限が過ぎた大量の食物はそれを食べたい人の存在と独立して廃棄される。それがいかに理不尽に思えても、個人としての消費者には手に負えない大きなことであり、我々が捌かれたガチョウの胸肉の最も美味しいところだけを食べて残りをゴミ袋に入れようとも、あるいは隅々までキレイに食し、ガチョウに心からお礼を言おうとも、所詮は自己満足の問題である、言い換えると、それによって世界は変わらない。Benjamin Mouetteのビデオ•インスタレーション作品メメント•モリは、彼が生み出したマリオネットが狂ったように食事を貪る。暴食の様子を撮影したショート•フィルムが、その惨事の後のままに放置された汚れたテーブルの上のテレビ画面を通じて放映されている。壁にはvanitasの静物画が淡々と、生きているものは皆やがて腐って死んでいくという儚さ(vanité)を語っている。

 

The cherry on the top,Manon Rolland

The cherry on the top,Manon Rolland

The cherry on the top,Manon Rolland

The cherry on the top,Manon Rolland

The cherry on the top,Manon Rolland(Performance)
ヘンゼルとグレーテルは、森の中で迷子になっても、森の声が怖くても、お菓子の家を見つけて喜んだと思う。お菓子の家に心をときめかせない子どもはいない。カラフルなお菓子で組み立てられた彫刻に私たちはいつまでもワクワクさせられてしまう。クールなブラウス、エプロン、前髪をまとめる大きなブルーマリンのリボン、赤すぎる口紅にちょっとだけパントマイムを思わせる身振り。Manon Rollandのパフォーマンスは、展覧会のムードを突然パティシエのアトリエに変えてしまう。大きなテーブルに店開きしたアイテムを次々に積み上げていく。黄色、抹茶色、紫、ピンク、色とりどりのカステラや蒸しパン、パウンドケーキたちはうずたかく詰まれ、動物の飾りやロウソクと花火で飾り付けられて、さあ出来上がり。一見すごい色に見える全てのケーキは、彼女の手作りであり自然の色素や素材にこだわって作られ、所謂化学的な着色料のようなものを使用していないのだそうだ。ケーキはパフォーマンスを見守った人々によってたちまち切り崩され、貪られ、倒されてしまう。

 

Les portes de Chatteland, Anne-Sophie Yacono

Les portes de Chatteland, Anne-Sophie Yacono

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Les portes de Chatteland, Anne-Sophie Yacono
本展覧会のキュレーションも務めたAnne_Sophie Yaconoは、パフォーマンス、絵画、彫刻など様々なメディウムを操る表現者であり、メディウムの特徴と向き合い、それらを自らの明確な目的に向かって産み直す彼女の作品には、強烈な性のコンプレックスがいつも影を潜めている。Les portes de Chattelandは、その陶器彫刻の精巧な色彩と形も、インスタレーションも、それがもつ小宇宙たるムードも、非常に素晴らしい作品である。彼女のリトグラフに、ダンテの神曲の地獄篇の一場面を描いた作品があるが、このフィクショナルな世界Chattelandの門(Les portes)という言い方も、我々のこの世界とは似つかぬ異世界への入り口としての門を想起させる。この「門」としての彫刻には穴があいていて、筒のような穴もあれば真ん中が裂け目のように細く開いたものもあり、切り株に据えられて固定されたものの他に、地を這う原始生物のような生命体が自由に動き回る。それぞれの彫刻は彼女の言葉では貯金箱(Tirelires)という存在から着想を得たそうだ。貯金箱とはその内部に異物をのみ込んで溜めたいだけ溜めることの出来る存在だ。私たちは、そこにお金以外のものも突っ込むことが出来る。そして蓄えて、ある日それがいっぱいになったら、金槌で破壊する。貯金箱の陶器彫刻はバリエーションある形態を持っているが、それらはすべて、中心にある最も立派な彫刻の子どもたちである。女性器の裂け目。我々はこれらの貯金箱がそのメタファーであったことを理解する。しかし実は、Chattelandの平和を保っているのは男性器の不在なのだ。貯金箱は自己充足していて、男性器を必要としない。Anne_Sophie YaconoはChattelandを女性性が優位に立つ世界として創造する。ただし、我々はその彼女の引き裂かれた欲望と悔悛をはっきりと目にすることになる。我々が中心にそびえる最も大きな女性器の裂け目を、その真後ろからのぞいたその瞬間に。

 

Les portes de Chatteland, Anne-Sophie Yacono

Les portes de Chatteland, Anne-Sophie Yacono

展覧会 Décongélations Prématurées
site is here.

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06/12/13

Keith Haring « The Political Line » @ Musée d’art moderne, Paris/ キース•へリング

Keith Haring

The Political Line
19 Avril – 18 Août 2013
Musée d’Art Moderne de la ville de Paris
www.mam.paris.fr

Keith Haringは、1958年生れ、ニューヨークでストリートアートの先駆的アーティストとして活動した。コラボレーションしたアーティストには、Warhol、Lichtenstein、Rauschenbergという当時のニューヨークのポップアートの巨匠たちや、あるいはアウトサイダーアートのBasquiatらがいる。

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彼の名が知れ渡ったのは、1980年、ニューヨークのメトロ構内の広告掲示板を彼自身のキャンバスに作り変えてしまうことによって始まったサブウェイ•ドローイングによってである。シンプルで明快、アニメーションやバンド•デシネのようなコミカルなデッサンはメトロ利用者(通勤者)の目にとまり、注目を集めた。
ストリートアートは彼にとって、誰の目にも触れる、もっとも平凡だがもっとも強力なマスメディアとして、彼の掲げる政治的であったり人道的であったりする様々なスローガンのプロパガンダのため有効だったのである。
パリ市立近代美術館(MAM)での回顧展となる今回の展覧会では、Keith Haringの多岐に渡った制作と関心のなかでも、展覧会のタイトル通りポリティカルなメッセージに着目して構成された。

参考までに、MAMのKeith Haring展 »The Political Line »のチャプターを以下に記しておく。
⁃ The individual against the state
⁃ Capitalism
⁃ Works in the public space
⁃ Religion
⁃ Mass Media
⁃ Racism
⁃ Ecocide, nuclear threat, apocalypse
⁃ Last works : Sex, AIDS and death

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国家と個人の章において見られる作品にはしばしば、国民を搾取し脅かす存在としての「犬」が悪役として描かれる。Keith Haringは個人の自由が最大限尊重されることが理想国家の姿であるといわば盲目的に信じていた。ドローイングの中には、自由を主張して牢獄にいれられる人々、人々を痛めつけて苦しめる暴れ犬のほかにも、棒のようなものを持ち指導的立場にあるが実は国家に心を売ったロボットのような存在、そしてさらには、個性を失い無思慮のまま国家に追随する匿名的存在が登場する。

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彼の生きた1960年代ー80年代、大量消費社会と経済成長のまっただ中、多くの表現者が様々に彼らの視野を示したようにKeith Haringもまたこのテーマに惹かれた。あるいは、公共空間の広告掲示板を自らの作品発表の場とするアイディアはこの大量消費社会とマスメディアに扇動され、豊かな生活を求めて毎日メトロで通勤するサラリーマンや労働者たちの目に触れることが前提である。したがって、そのナイーブな理想に水を差すようなメッセージは、通勤者の目を楽しませる以上の意味を持つことになる。

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Keith Haringは伝統的カトリックの家に生まれ育ち、宗教が扇動した植民地支配の歴史や、現世の生活にそぐわない習慣の数々に反感を抱きながら生きてきた。そういったわけで彼の作品の中にしばしば現れる神の姿は、一人一人の人間を支配し、自由を奪い、牢獄に押し込める時代遅れなものとしてネガティブに描き出される。そして、人種差別主義、アパルトヘイトを批判し、「悪者」としての白人が黒人を奴隷化し、彼らを貧困に陥れたのだというストーリーを繰り返し描く。

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また、1988年、広島の原爆ドームを見学したKeith Haringは大きな衝撃を受け、 »We know that ‘humans’ determine the future of this planet. We have the power to destroy and create. »と述べて、非核のための活動を精力的に始める。そして、1980年代よりアメリカでその脅威をふるい始めたAIDSの存在は、1985年に発表された顔中に赤い斑点を伴った自画像「ポートレート」に見られるように、彼の作品に姿を現してくる。1988年、自身がHIVウイルスに感染したことを知り、その2年後ニューヨークでその短い生涯を閉じた。

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Keith Haring の作品はこうしてポリティカルな文脈で整理されてみると、当時のニューヨークのムードの中で、政治や民族や宗教の問題に取り組み、マスメディアの浸透をシニカルに捉え、非核や非エイズのためのメッセージを精力的に送り続けた、主題は多岐にわたるけれどもとても明解だと、あまりにスッキリ納得されてしまいそうである。しかし、それだけではなさそうだと、私には感じられる。最後に、彼のペイントにおいて私が気になっている二つのことについて記しておきたい。一つ目は、Keith Haringの表現におけるセックスの意味、二つ目は、彼の絵の中にしばしば見られる穴の空いた身体をもつ人の意味である。

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ホモセクシュアルであったKeith Haringにとって、性行為は必ずしもアニマルとして生を再生産する「生殖」の含意に留まらなかったと思われる。さきほどの国家と個人の衝突の章であげた、匿名者が犬を犯するデッサンをもう一度見てみたい。犬に挿入した人間は、犬のオーラを得て、さらに無個性な人民によって崇められるセックスを獲得している。あるいは別のドローイングでは、抵抗する個人を征服しようとする棒を持った牢屋の番人は、彼らを支配するため彼らを犯す。Keith Haringにとっての男性器は、ある意味で凶器のように野蛮なものであり、理解不能なものでもあり、しかしある事柄の手段となるような存在であったのではないだろうか。彼の絵に見られる男性器挿入の意味を考えることは、避けて通れないように思える。

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また、胴体の真ん中にぽっかりと空洞をもったキャラクターが頻出する。彼らは、怪我をしている様子もその穴によって苦しんでいる様子も全くなく、むしろ、その他の普通の人間よりも何かが吹っ切れた存在であるように描かれている。身体に穴が穴があいていること、その中を自由に空気や犬などが通り抜けていくことは、彼らにとってどのような意味をもつのか。Keith Haringの残した言葉によれば、初めてこのイメージの着想を得たのは1980年、ジョン•レノンが殺されたことを知った日見た夢の中にこのようなイメージが現れたのだそうだ。彼は、他の多くの作品がそうであるように、この作品にこれ以上の説明も与えておらず、タイトルも与えていない。あるいはまた、口から肛門(あるいは女性器)に棒が貫通したキャラクターもしばしば登場する。これもまた、「穴の空いた人」であり、そのような身体の描き出しに見られる人間の感覚といったものが、Keith Haringの作品全体に充満する、空虚なようでしかし決して耳を塞ぐことのできない不穏な通奏低音を奏でている気がしてならないのである。

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*本展覧会は、8月13日までMusée d’Art Moderne, Parisで開催されている。

06/12/13

Joan Jonas « Reanimation » @Galerie Yvon Lambert, Paris / ジョーン•ジョナス « Reanimation »

Joan Jonas

Reanimation
April 27-May31 2013,
Galerie Yvon Lambert, Paris

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Joan Jonasは1936年ニューヨークに生まれ、彫刻を学ぶ傍ら、現代詩および中国文化とギリシャ神話やその伝承に興味を持つ。コロンビア大学でファインアートの修士号を取得すると、60年代半ばより、Warhol、John Cage、Allan Kaprow、あるいはフルクサスのメンバーたちやBruce Naumanらが精力的に活動を繰り広げるニューヨークの前衛的なムードの中にジョナス自身も参入し、これらの新しい芸術から得た刺激が、彼女をパフォーマンス•アートへと導いた。

Joan Jonasはそれまで一貫してポップ•アートとミニマリズムにもっとも強い影響を受けてきたのだが、1970年代始めの作品ーMirror Piece (1971)ーにおいて、女性の身体を見たことのないような仕方で描き出すと同時に、空間と音の可能性を探るような実験的でコンセプチュアルな方法を模索する。あるいは同年に発表された最も重要な作品、Organic Honey’s Visual Telepathy(1971)では、表現のコンセプトをプロセスとて淡々と鑑賞者に見せることを徹底し、ミニマリズム的枠組から完全に脱出した。「女性によって演じられる女性イメージ」を探求するため、Joan Jonas自信が奇妙なドール風マスクをまとって、フィクションとしての別のパーソナリティーを演じる。親密さとナルシシズム、イデアとしての女性のジェスチャーやコスチューム、それらがときに主観的に、あるときは皮肉なまでに客観的に描き出される。Joan Jonasは、フェミニズムのアーティストとして、しばしば自らを見つめ、語りかけるようにして、女性のイメージ、身体とアイデンティティの問題に取り組み、ある一つの文化や社会の女性像を越えていくような新しく不思議なディメンションをもった女性像を表明している。彼女は、民族伝承や中国や日本などアジアの文化、あるいは神話や歴史など幅広いソースから得たインスピレーションを、ヴィデオ、デッサン、写真、オブジェクト、音楽、パフォーマンスという多様なメディアを組み合わせることによって作品として織り成す。
Joan Jonasのパフォーマンスについてはまた別の機会に改めて、他の作品にも言及しながらお話しすることにしたい。

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さて、今回Galerie Yvon Lambertで2013年4月より展示されたインスタレーション作品 « Reanimation 2 »(2012)は、実は昨年、六本木のギャラリー WAKO WORKS OF ARTにおいて2月から1ヶ月間に渡り展示会が行われたので、そちらでご覧になった方もいらっしゃるだろう。そもそも、この作品« Reanimation » は、2012年6月−9月のdOCUMENTA(13)(Kassel)のメイン会場の一つであるKarlsaue Parkで展示された。公園内に設置された木小屋は、dOCUMENTA(13)のキュレーターであるCarolyn Chritsov-Bakargiefの提案でアーティストに与えられたのだが、彼女はその小屋の窓をスクリーンとして作り直し、4面のスクリーンを通じてヴィデオ作品« Reanimation »(In a Meadow)ヴァージョンを創り出した。

photo by Nils Klinger (Hyperallergic)

photo by Nils Klinger (Hyperallergic)

この作品は、アイスランドの作家Hallfor Laxnessの小説« Under the Glacier’に着想を受けて2010年より制作が始められた。人間には触れえない絶対的な自然の姿や動物たちの命を描くLaxnessの小説と、しかしそのGlacierは今日の世界において溶け出し、地球全体に異変を及ぼしつつあるというJonasの想像力を混ぜ合わせ、その世界観を彼女の解釈によって再表象したものだ。

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dOCUMENTA(13)では、Glacierから二つのビデオ、もう一面にはFishのビデオを展示。残りの一面、最も大きなスクリーンには2012年に制作されたばかりの、Reanimation(2012)を展示した。氷と黒インクを使ったドローイング、氷は徐々に溶けていって黒インクはのばされながら、しかしどこまでのばされても決して透明にはならない。吊り下げられた無数のクリスタルがキラキラするフォトジェニックなスクラプチュアがアイスランドの秘境を彷彿とさせる。また、雪の粒というよりもむしろ氷の粒といえるほど透明な地面に黒インクで描き、そのインクが一瞬にしてその表面で冷たい粒と化すさまは、言語描写の限界を超えて、あまりにも美しい。

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Joan Jonasの展覧会を訪れる楽しみは、もちろん作品を前にパフォーマンスを伴っていれば彼女の身体のムーヴメントとヴィデオインスタレーションが生み出す生きた物語であるのは言うまでもない。純粋に展覧会について述べるなら、それは彼女のインスタレーションの空間に応じた様々な変化である。たとえば、Galerie Yvon Lambertでの展覧会« Reanimation 2 »と、dOCUMENTA(13)(Kassel)は、そのプレゼンテーションの仕方がまったくことなる。dOCUMENTAでは、鑑賞者は小屋の内側に入ることは出来ず、窓の外からスクリーンを覗き、さらにその家の中に展示されたデッサンやクリスタル彫刻を覗くことによって、極北の秘境を内側に向かってのぞき見する形をとっていたが、Galerie Yvon Lambertでは、鑑賞者はあたかも、物語の禁忌を犯すような大胆なシチュエーションに投げ出される。Laxnessの小説の内部、人間が足を踏み入れてはならない秘境にこっそり侵入し、本来見ることの出来ないはずの自然の営みや命の姿を盗み見る。そして、その大切なものが溶け出し、破壊されている様子すらも目の当たりにすることを強いられる。われわれは、温かく平和で、危険の無い「内側の世界」で、彼女が「外側の世界」のことを問いかけているのに耳を傾けるだろう。そして、その親密な語りは、我々の「内側」をとおりぬけて、それぞれの物語としてあつまり、やがて静かな音楽のように響き渡るだろう。

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*WAKO WORKS OF ARTのインスタレーションからGalerie Yvon Lambertでの展示を行うにあたり、Jonasは木枠と和紙で作ったスクリーンを利用し、日本の障子のような演出を施した。これは、より構造の内部にいるかのような鑑賞効果を高め、鑑賞者がダイレクトに映像に出会うためのアイディアである。

*dOCUMENTA(13) Reanimation (In a Meadow)
*WAKO WORKS OF ART Reanimation

 

05/15/13

Gilles Ouaki « I lock you and more »/ジル•ウアキ 愛の南京錠を集めよ! @moretti & moretti

Exhibition « I lock you and more »
Guilles Ouaki
du 19 avril au 22 juin 2013
Gelerie moretti & moretti ( site of gallery here)
(artist HP here)

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われわれは、夢を見ない。あたかも繊細で非常に傷つきやすいフリをしているが、裏切られ驚かされても、深いところでは実は痛くも痒くももない。愛はデリケートで感傷的、多くの人の人生の中でとりわけ大切な主題である。人々は愛を得るために、そして、ひとたび得た愛をもう決して失わないために、じつに努力家である。ちぎりをむすぶ(精神的に、肉体的に、法的に、社会的に)、目印をつけてアイデンティファイ可能にする、最終的に戻るべき場所を約束する、あるいは、お互いがお互いからひと時も離れたり忘れたりできないようにつなぎ止めておく。「嫉妬」という感情は、対象は違うにせよ小さな子どもでも抱くことの出来るプリミティブな感情であるにもかかわらず、人の一生において多大なエネルギーと時間を費やす、いわゆる「愛」の領域を支配する最も中心的な感情である。嫉妬の物語は何を具体的に思い出すでも引用するでもなく、一様にして、愚かしく悲惨である。それをあたかもエレガントでロマンティックな衣を着せてお洒落に表現する事によって「素晴らしい作品」とか「人間の本質を巧みに絵が描き出した名作」などと崇められる場面に出会うたび、むしろ、生き物としての人間の限界にぶちあたってしまったようで、胸が悪くなってしまう。このよからぬ感情が制御を失って悲惨な結果を招くことを予め防ぐため人間が考えたのが数々の約束事だ。鍵と錠は、その愛の約束の忠誠さを象徴するモチーフを代表するものだ。鍵と錠によって愛がどこかへ行かないようにつなぎ止めようとする愚かしく愛らしい努力については以前、貞操帯とパリのポンデザール橋を飾る無数の「愛の南京錠」についてのエッセイでとりあげたことがある。この「愛の南京錠」について簡単に説明しておこう。パリにはポンデザールの他にもいくつか愛の錠を括り付けるのにゆかりの橋がある。この習わしは、有名な遺跡や観光名所に自分と恋人の名前を彫りつけたり、日本であれば縁結び神社に願掛けをしにいくようなものだ。このような名所はおそらく世界中にあるのだろう。さて、そのエッセイの冒頭はこのように始まる。

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 愛とは、しばしば、お互いのセックスに錠を掛け合うことである。(ここでいうセックスとは、性交渉だけでなく性器そのものや性的イヴェントなど、広義の性をさす。)愛と施錠の物語パリのセーヌ川に架かる橋、Pont des Arts(ポンデザール)には無数の南京錠が付けられている。(写真3) パリジャンのカップルも観光客も、愛する人とパリに来たならば、二人のイニシャル入りの南京錠(愛の南京錠/Cadenas d’amourと呼ばれる)をこの橋に括りつけ、しっかりと錠を閉めた後、その鍵を川に投げ捨てる。こうして、錠を解くことのできる唯一のアイテムである鍵は、世界から消え失せてしまった。二人の愛の証である南京錠は永遠に解錠されることはなく、パリのセーヌに存在しつづけるだろう、というとっても素敵な話だ。
 鍵は、様々なシチュエーションで、愛しあう恋人同士を象徴するモチーフとしてロマンティックにふるまい続けてきた。しかし、「愛しあうこと」のゲーム・ルール(règle de jeu)は、相手のセックスをお互いに施錠することである。ポンデザールを訪れる恋人たちがはにかんだ笑顔で遂行しているのは、相手の性交渉の決定権を所有し管理しあうための、あの恐ろしい貞操帯の施錠の儀式と本質的に変わりない。人々は、こうやって錠をして、その鍵を破棄することによって、永遠の誓いの成立に安堵する。(…)
(
批評誌『有毒女子通信』第10号 特集「ところで、愛はあるのか?」連載 《小さな幸福をめぐる物語》―第一話 「愛と施錠の物語」より。フランス語版全文はこちら)

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« I lock you and more » 展のアーティストGuilles Ouakiは、恋人たちが心と願いをこめて括り付けた愛の錠をこっそりもぎ取ってコレクションし、それを自分の作品として販売/発表しているアーティストだ。実は、あまり公に知られていないことだが(隠してもいないとは思うが)、パリ市は定期的にこのcadenas d’amourを掃除していて、一定量(景観として美しいと見なさす事の出来る錠の量)を越えた錠は、錠切りの悪魔の道具により、いとも簡単に切り取られて捨てられる。Gilles Ouakiそのパリ市による清掃の直前にいつも愛の錠コレクションを探しにやってくる。どうせ清掃が来たら無作為にもぎ取られてしまうので、Gillesは念入りにお気に入りの素敵な愛の錠を選ぶ。素敵なデザインの錠、メッセージが掘られている錠、愛の深い事がそこから伝わってくる特別な錠…。彼はその錠を様々な方法で作品化する。このオブジェの一つ一つは、重たい。重たいというべきか、しつこいというべきか不吉というべきか。壊された錠のおのおのには個別の恋人たちの物語が託され、その臭いがぷんぷんする。切られた錠はもう二度と閉じない輪を描いており、無造作に行われた切断や、その痛々しい切り口と対照的に名前や絵が描かれた部分などを併せ持ち、不穏な存在である。

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大判のオリジナルプリントの裏側には、大きく引き延ばされた写真に写っているものと同じ南京錠(実物)が留められている。この作品を購入するということは、どこの恋人のものかも知らぬ愛の南京錠(しかも破壊されてしまった)の運命を請け負ってやることだ。持ち主の恋人たちがどんなカップルなのか、どんな顔でどのくらい愛し合っていて、今現在どこにいるかなどということに想いを寄せることもあるかもしれない。さらには、ある時アーティストがとりわけ目的も使い道の見通しもなく手に入れた生地サンプルのカタログのページに、その生地の色や質感にマッチする錠を一つないしふたつ選び、貼付けたアサンブラージュの作品群。このように額に入れて作品化されると、なるほど、Gillesに選びとられることがなければパリ市の清掃員によってゴミとして回収されて一瞥すらされることなく廃棄されたのに、チャンスを得て芸術作品として救われた幸運な南京錠たちだ、と思うかもしれない。そもそも南京錠は鍵を廃棄することによって恋人たちの永遠の契りの象徴となり得たにも関わらず、いとも簡単に切断され、誰かのオフィスや家の壁に飾られる運命かもしれないのだ。

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私はこの愛の南京錠を馬鹿にしているわけでも嫌っているわけでもない。こんなエッセイを書くくらいだから、むしろ気になっている。しかし、なぜ愛し合う感情の継続のため橋に錠を結びつけるのかという問題が脳裏をかすめる。愛する気持ちのモチベーションは、ここにおいて内部充溢しておらず、その外側のもっと大きなものに頼ろうとしている。明日には変わってしまうかもしれない燃え上がった気持ちやいずれ果ててしまう命よりもずっと確からしくて不朽のもの。実は、愛する事に限らず、人々の活動はこのような外在する動機づけで満ちているとすら言える。それがたとえ非常にナイーブに行われていたとしても、いかに愚かしく見えても、それは依然としてひとの本質のかけらである。この展覧会 »I lock you and more. »は、愛の南京錠を破壊を見せながら、ひとびとの根拠なき安堵を打ち砕き、それは確かに少しだけ気持ちいい。

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05/10/13

「わたしの母」がアートになるときー1.ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)/ »Ma mère » en tant qu’art – 1. Sophie Calle « Rachel, Monique » 

この記事は、二回続く『「わたしの母」がアートになるとき』の第1回である。
第1回 ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品)

 

じつに幅広い主題が「アート」になりうる今日この頃、「母がアートになってたまるか!」と文句を言う人はもう誰もいない。そもそも現代アートはアーティストのありとあらゆる私事で占拠されている。愛する恋人とのラヴ•ストーリー、赤裸々な独白、個人の政治主張やスローガンのアート化、芸術的手法で綴る自伝。その様々な私事の中に家族を扱ったアートがある。家族は言うまでもなく自分という存在の最も近くにいる人たちであり、「私」について考え取り組むアートがそれを主題にすることは自然な成り行きなのであろう。自分と家族のストーリー、あるいは子どものこと、祖父母のこと、両親と自分の関係のこと、そして、父のことと母のこと。世界にたった一人であり、その人でしかない「わたしの母」がアートになる事態について考えてみることは、現代アートにおける私物語の実態を理解するためにも重要である。

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

当ブログでもしばしば参照されているパリ生まれのフランス人アーティスト(1953年生れ)ソフィ•カルもまた、母をアートにした作品を発表したことのあるアーティストの一人である。現在ソフィ•カルは東京品川区の原美術館で「ソフィ•カルー最後のとき、最初のとき」という展覧会(盲目の人が最後に見たイメージを質問し、その証言に基づいてソフィ•カル自身が写真やテクストでその時の物語を再構成した「最後に見たものの」とイスタンブールに住みながら海を見たことのない内陸の人が初めて海を眺めこちらを振り返った表情を捉えた写真という独立した二つの部分で成る)を行っており、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれない。(本作品については、パリのギャラリーEmanuel Perrotinにおいて展覧会が行われた際、本ブログでもレビューを書いた。記事は日本語とフランス語で掲載されている。(Sophie Calle / ソフィカル:見えることと見えないことをめぐる3つの対話 1986~2011年, Sophie Calle : À Propos Du «Capable De Voir» Et De L’«Incapable De Voir») 本記事で取り上げるのは別の作品、2012年7月、アヴィニョンのアートフェスティヴァルにおいてセレスタン教会で行ったパフォーマンス•インスタレーション作品『ラッシェル、モニック』(Rachel, Monique, Eglise des Célestins, Avgnon, 2012)である。彼女の母は2006年に亡くなった。亡き母の残したたくさんの日記帳の中から選ばれた16冊の日記を娘であるカルがヴィジターを前にして朗読する。(当インスタレーションは2010年10-11月にパリのパレ•ド•トーキョーで先行して行われた。)

16冊の日記帳は1981ー2000年の20年間にわたって彼女の母親自身によって付けられたものである。それぞれのテクストは多くの人の日記がそうであるように、短く断片的で、親密であり、熟考して書かれたものではない。インスタレーションのタイトル『ラッシェル、モニック』は彼女の名だが、彼女は3つの名前の他にも、Calle, Sindler, …複数の名前を持っていた。ラッシェル、モニックの他にもたくさんの名前で彼女は存在し、全てが彼女の名である一方、あたかもある日は異なる人物としてその日を生き、また別の日は別の人物であるかのように、生きた記録を日記帳に綴っていた。その複雑な人格は娘のソフィ•カルにとっても必ずしも理解可能なものではなかったと思われる。彼女の母親は、日記の中だけでなく現実に恋多く忙しい人生を送っていたようだ。教会には日記の朗読をするアーティストの他に、ヴィデオや写真が展示され、あるいは遺品であるオブジェや彼女の残したテクストも公開された。教会の床には墓石をイメージした大きなフォルマの長方形のプリントが一列に並べられた。実は、このインスタレーション自体がヴィジターである赤の他人を巻き込む大掛かりな葬送プロジェクトなのである。

Eglise des Cléstins

Eglise des Cléstins

なぜ「わたしの母」の葬送の事をアヴィニョンのフェスティヴァルを訪れるたくさんの観客とシェアする必要があるのだろうか。そして、2006年に亡くなった母の葬送の事を2010年にパリで行い、なぜもう一度(あるいは今後も)繰り返さなければならないのだろうか。その答えは実はとてもシンプルである。そのことをアーティストのソフィ•カルが自分のために必要としており、同時に、鑑賞者がその儀式を覗き見る喜びはそれをアートとして成立させるために十分なのである。(ちなみに、彼女の母の本当の墓は、パリのモンパルナス墓地にあり、その墓碑銘には »Je m’ennuie déjà./もう退屈。 »と綴られている。なんてこった。)

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

いったい、死者の日記を読むという機会があるものだろうか。その本来ならば決して知られることのない他愛の無い日常の情動を事細かに生き生きと耳にする機会があるだろうか。ないことはない。我々は普段から、著名人の書簡や歴史の重要資料としての手記や手紙を本の中で、美術館で、図書館の書庫で、あるいはドキュメンタリー番組で、常日頃盗み見、盗み聞きしているではないか。なるほど、たしかに我々は日々プライバシーとか○○権と目くじらをたてながら、著名な人々の私生活にはさほど配慮しなくても良いらしいことを常識として共有している。ラッシェル、モニックと呼ばれたソフィ•カルの母の日記が朗読されること、そしてしばしばロマンチックなその内容に羞恥心を覚えたり、あまりに直接的感情の吐露に対してばつの悪いと感じるのは、ソフィ•カルの母が我々と同じ「ふつうの」女であり、今日ではインターネット上に直接公開されるブログというスタイルを知っている我々でさえ、紙媒体にこつこつ綴られた匿名の個人の「日記」は、まさか持ち主が亡くなったからといって大勢の前で突如は暴露されるまいという私たちの無邪気で可愛らしい信仰をソフィ•カルがざっくり裏切るからである。

日記帳に綴る日記は、通常こっそりと綴られ、公開も出版も目的としない。したがって、それがたとえ娘の口を通じてであれ亡き本人の意志を介さず暴露されている現場に遭遇すると否応無しに覗き見の心情が掻き立てられる。聴いてはならないものを聴く居心地の悪いエクスタシー。ソフィ•カルが母の日記を暴露することで目指しているのは、彼女の未だ分からない母親のその空白を探しに行くという途方もない作業であり、その不安を掻き立てるエクスタシーの代償に、彼女が一人で持ちきれない作業を人々に共有させることなのである。母をアートにするというのは、自己の外側にあるラインを明確化する行為なのだが、その試みは本質的に失敗するよう運命づけられており、終わりのないループ映像に似た反復サイクルがそこにある。母は子どものときから最も近く、我々は彼女を通じて世界に現れたにもかかわらず、今や絶対的な他者となり、身体のどの部分も繋がってはいない。親が子どもに自分の欲望を投影したり、彼らを通じて自己実現しようとする親の心理的な働きはよく知られているが、子どもから親に向かうベクトルではどうか。子どもは親を作り直すことは出来ないので、親の参照に基づいて終わりなき自己の彫像が繰り返す。ソフィ•カルのたった一人の必要はこの果てしないサイクルの中にあり、「彼女の母」はこの大きな枠組みに行き着いて初めて、全ての人にとっての普遍的な「母」になる。一人の女の日記は、こうして読まれ続けるのであり、それは女の望みには関係のない、綴られた何かなのである。
(イメージ参考:Festival d’Avignon Archive
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品) は次回書きます。

05/6/13

Julio Le Parc rétrospective / ジュリオ•ル•パルク回顧展 @palais de tokyo

Links:
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Julio Le Parc

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Julio Le Parc Soleil Froid展における Julio Le Parcの回顧展は2013年2月27日より5月13日までパリのパレ•ド•トーキョー(Niveau 2)で開催されている。フランスでこれほど総合的に彼の作品を目にすることが出来る回顧展が企画されたのは初めてのことだ。Julio Le Parc(1928 -)はアルゼンチンのブエノスアイレス出身のメディアアーティスト、いわゆるメディアアートのパイオニア的存在である。とにかく、彼のアイディアの時代とのかけ離れ方は驚きである。1958年、ブエノスアイレスで美術学校を卒業したJulio Le Parcは、フランス政府奨学金を得てパリにやってくる(現在は郊外のCachanで制作を続けている)。そこで伝統的な美術の方法はキッパリと捨てて、光や物体の動き、そしてシネマに影響を受けたスクリーンを使った作品など、コンセプチュアルな作品に傾倒して行く。アート•シネティックやオプ•アートなどのアーティストがメンバーとなったG.R.A.V(Groupe de Recherche d’Art Visuel)の創立者であり、1968年にはヴェネツィア•ビエンナーレでグランプリを受賞している。

Julio Le Parcの作品は、それが1960年代や70年代に考え出され、作られたという時代的なコンテクストを見るものの脳裏から奪い去ってしまうような新しさと楽しさを秘めている。あるいは、ひょっとするとメディアアートは日々目が回るような早さで一新され続けているかのように見えて、実はそれほど本質的に一新されてはいないということを、この感覚は物語っているのだろうか。

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Julio Le Parcの表現において最も楽しいのは、アートにおけるメディウムを抜本的に変えてしまったというのは言うまでもないが、その新しい媒体である光、それが持つ性質やそれが創り出す「動き」なのである。「動き」とは予定されたものと展示される環境によって規定されるもの、あるいは鑑賞者が何らかのインパクトを及ぼすことが許されるものを含む。Julio Le Parcの作品においてはしばしばどのように展示されるかが作品経験の大部分を決定する。たとえば、無数の正方形の鏡が高い天井の壁を埋め尽くすように垂れ下がっている作品。これは非常に大きな作品なのだが、それらが壁近くに設置されているために別の場所でなら容易く起こるはずである風による揺れや、それによる反射する光の動きが見られない。

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それに対して同じコンセプトであるが、もっと小さな正方形の鏡が下から光を受けて強く反射し、もっと自由に動く仕組みになっている作品では、先ほどのものとは全く違った印象を与える。光を扱う作品が多いためにもともと展示会場は全体としてキャプションが殆ど読めないほど暗いのだが、その暗がりの中で非常によく動くこの鏡はそれらのうちの何枚かがうごく度にそれを反射して四方の壁に映る光もまた生き物のように動くので、我々はここが深い海の底で、太陽の光はかすかにしか入ってこないのだが、その光をキラキラと受けて動き回る生き物の様子を不動のまま目にしているような不思議な感覚に教われる。アクアリウムよりも照明は暗いのだが、あたかもそこで発光するクラゲが浮遊するのを眺めているような、妙なヴィジョンだ。

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これは点滅し続けるように見えるライトがそのインスタレーションに入り込む人の思考をかき乱し、おかしくしてしまう装置である。実はこの光は点滅しているのではなく、インスタレーションの中に幾つかある光源が上下に機械的に運動し続けているだけのシンプルな仕組みなのだが、そのまわりを迷路のように覆っている布の素材と目によって錯覚が起こる。たしかに、身体のコンディションによっては乗り物酔い状態になり気分が悪くなる人もいるかもしれない。点滅する光の中に長い時間留まるのに似たトランス状態に陥る人もいるだろう。あるいは、その機械的なリズムが逆説的な平安を与えてくれることすらあるかもしれない。

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Julio Le Parcの絵画作品。点描は光の色が丁寧に分布している。彼の光の捉え方をペイント化するとこのようになることは納得できる。そしてこの絵画もやはりよく見つめていると動的であり、光の色を分けて表された様々な色の点はすこしも留まってはいない。

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そして、「冷たい太陽」という展覧会タイトル(彼の展覧会のみならず総合タイトルである)を思わせる赤のプレートで形成された大きな太陽。

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この展覧会の最後のコーナーにはJulio Le Parcのたくさんのインタラクティブ作品で埋め尽くされた。驚くべきことに、これらの作品は今日でも鑑賞者が自由に触れて遊んでよく、そうすることによってしか彼の狙いは体験することができない。実際に遊べることは非常に有り難いことである。ずらりと並べられたサングラスをかけると、いつも見ているものはもう見えなくなり、何も見えないということはなく、必ず何かをどうにか目にすることが出来る。Julioグラスをかけたメディア考古学者を発見。Erkki Huhtamoさんは「メディア考古学」という新しいメディア論の提唱者である。この日は仕事でパリおられたので展覧会場でお会いした。Julio Le Parcの作品が本来の動的環境を不十分にしか伴っていないとき、(さすがに触れてはならないので)思い切りブロウして、作品に命を吹き込む。その効果は素晴らしかった。(効果のほどは下のビデオをご覧ください…)

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if you can’t watch it, click here (video on youtube)

展覧会は、13日まで開催されている。

05/1/13

新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。/ Newspaper Woman, Miyuki Nishizawa

本記事は、第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第三弾(最終!)、「新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。 」です。

「アートで私のこころが自由になった。それは師匠嶋本昭三もそうだし、いっしょにいるまわりの皆もそう。
だから、私たちが芸術を追い求めることで、いま苦しんでいる人たちのこころが少しでも、ひとときでも解放されてハッピーになったらいい。そして、仲間がいっぱい増えて、次の世代の人にもそれが伝わればいい。」
(西澤)

アーティスト西澤みゆきは、具体の精神を引き継ぎ、嶋本ミームを伝承する者として、芸術活動の本質を「精神の解放(/開放)」であると述べる。それはまさに西澤自身が、生きることの苦しみや困難、および長年にわたり心を縛ってきた重たい鎖を、芸術行為によってぶち壊し、粉々にしてしまうことに成功した張本人だからだ。
私の知る西澤みゆきは、いつもニッコニコしている。神戸の記号学会でお会いした際も、グッゲンハイムでも、あるいはSNS上で写真で見かけたりしても、とにかくいつも楽しそうだ。個人的な話だが、私自身は普段からあんまり機嫌が良くない。外出して人に会い、たった数時間頑張ってニコニコしているだけで帰宅すると顔が筋肉痛になってほっぺがプルプルする。だからこそ強く思うのだが、笑っている人はそこにいるだけで本当にハッピーを伝染する力がある。笑っている人は、いつもつまらなく悲しい顔をしている人よりも、個体として生きるエネルギーが断然高い。そして、そのポジティブなエネルギーこそが他の個体に伝染する価値のある唯一のものである。

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西澤みゆきが嶋本昭三のもとでパフォーマンスや制作などの芸術活動を始めたとき、彼女は肉親との関係や世間が強いてくる鋳型のようなものに苦しんでいた。それは、本当に大切なものの前ではひょっとして小さなことであるにも関わらず人が生きるのを息苦しくする、時には人から生きる力を根本的に奪ってしまうほど苦しくさせる、何かとても良くないものであった。身体に合わない服とか、胸から腰までを縛り付けるコルセットとか、刺すような痛みを日夜与え続ける歯列矯正器具の類いとか、目に見えはしないけれども、その良くないものはそれらに少しだけ似ている。

嶋本昭三の作品のひとつに、「女拓(にょたく)」がある。この素晴らしい作品は、彼の芸術行為を真っ向から受け止めることのできない人たちによって、しばしば不当な批難を浴び、日本社会ではスキャンダラスに扱われてきた。あるいはまた、イヴ•クラインの青絵の具を用いたパフォーマンス(Femme en bleuなど)と比較されることがあるが、イヴ•クラインのパフォーマンスが完全にコンストラクティッド(演出され、構成された写真)であるのに対して、女拓モデルの女たちが自由である嶋本の実践は全く性質が異なると言わなければならない。女拓は文字通り、魚拓の女バージョンである。女たちの裸の身体に墨を塗って、色々なポーズを紙に転写する。西澤はアパレル業界で十数年勤務したのち嶋本と再会すると、そこで女拓モデルをするために、全裸になった。女拓は嶋本昭三のアートスペースを利用して行われた。実は、「女拓が行われた」というのはやや語弊がある。実際にそれは生活のように自然に営まれたのである。もはやそれは一過性のパフォーマンスでも拓をとるための準備でもなく、裸で生活することそのものである。我々が作品として目にしてきた墨を塗られた女の裸体の様々な部分が紙の上に再表象されたものは、女拓という営みにおける最も物質的な結果にすぎない。女たちは、全ての纏うものを脱ぎ捨てた生活の中で、すこしずつ何も纏わないことに慣れていく。自分のものとは違う他人の裸、身体部位のかたちや色の違い、肉付きや骨格の違い、傷があったり老いたり子どもであったりする身体。魚拓がそうであるように(つまり、様々な種類や大きさの魚の記録であるように)、女拓もまた、女の生の記録である。それぞれの女たちの、異なる人生の記憶である。西澤はこの女拓生活を通じて、一人一人異なるはずの女たちの身体が、どの裸もおしなべて美しく、それがいわば全ての不要なものを脱ぎ去ったあとの魂のつきあいであることを発見し、それと同時にそれまで自らの心を覆っていた悪いものをバラバラに打ち砕いた。

著名なアメリカの写真家であるベン•シモンズ(Ben Simons)も女拓に関心を抱き、これを撮影した。墨で真っ黒になった裸の女たちの身体。彼は女に何のポーズも表情も要求もしない。女があるままに、裸でそこにいるままに撮った。彼は女拓の女たちの美しさを絶賛する。西澤みゆきはベン•シモンズがとりわけ愛した女拓モデルのひとりだ。生き生きとした命が発するひかりのようなもの。西澤は女拓の生活とベン•シモンズの写真を通じて、ハッピーを伝染するアーティスト「新聞女」となるための強い「たましい」を得た。

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時が過ぎた今、新聞女はいまや一人で立っているだろうか。
新聞女の最愛の師は、彼女と彼女と共にある者たちにチャンスと試練を残し、「現世での活動(を)引退」してしまった。(*「新聞女タイムズ」、特別号外より) 傷ついて繊細だったひとりの女拓モデルは、今やたった独り勇敢にクレーンに吊り上げられ、上空において人々の大喝采を全身で受け止める。彼女は、時にエレガントにまたあるときはゲリラのように人々の前に現れ、彼女自身の音楽を紡ぎ、彼女自身の舞を舞う。出会った人たちにハッピーを伝染するために。すべては、ひとりでも多くの出会い得る人々の「精神の解放(/開放)」と幸せのために。

芸術で精神が解放されました。だから芸術を追い求めてます(西澤)

心を封じ込めていた重い鎧は、再起不能なほどに完全に粉々に打ち砕かれ、もう二度と彼女を脅かしたりしない。そして人々が何かの偶然で悪い鎧を纏ってしまった時、それをどうやってぶち壊したらいいか知っている。新聞女はその芸術を、もう醒めることのない世界のなかでつたえ続ける。
(文:大久保美紀)

*「新聞女タイムズ」、特別号外は2013年3月9日のグッゲンハイム美術館でのパフォーマンスのために佐藤研一郎さんが作成した日本語および英語新聞である。

 

新聞女論vol.1, vol.2, vol.3をお読みいただいてありがとうございました。
お忙しい中メールでのインタビューにご協力いただいたみゆきさんに感謝します。
また新聞女ズひめさんのブログ「日々是ひめアート」を大変参考にさせていただきました。