アート・スコープ 2012-2014 旅の後もしくは痕 / Art Scope – Remains of Their Journeys

「アート・スコープ 2012-2014 旅の後もしくは痕」

原美術館:http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
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原美術館では、2014年7月12日から10月13日より、四名のアーティスト:今村遼佑、大野智史、リタ・ヘンゼン(Rita Hensen)、ベネディクト・パーテンハイマー(Benedikt Partenheimer)による「アート・スコープ2012-2014」展が開催されている。本展覧会は、Daimler Foundation Japanの文化・芸術支援活動 »Art Scope »の一貫で海外での経験を経た四名のアーティストが、その交換プログラムの成果を、それぞれの異国での経験をもとに制作した新作によって発表する展覧会である。2012年、リタ・ヘンゼン(Rita Hensen)、ベネディクト・パーテンハイマー(Benedikt Partenheimer)はドイツより日本に召還され、今村遼佑、大野智史は2013年、日本より派遣された。

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大野智史の絵画には、具象的に描かれた植物の葉や実、それを取り巻く自然の景色を認めることができるが、そこに強烈な色彩の幾何学的で抽象的なフラグメントが挿入されている。背景の色もオレンジや白が用いられ、それはおよそ描かれた植物が生きる世界とは異次元であるにもかかわらず、時にカオティックに配置されるそれらは、飛び交い混ざり合う幾何学的欠片を通じて結びつきを持っている。
大野智史の絵画には21世紀のデジタル技術と絵画の融合の可能性を探る態度が見られる。デジタルイメージの転用、複数のイメージのレイヤーを重ねるということ、そういった表現は今日多くの表現者によって新たな可能性の追求が行なわれており、既視感とは恐ろしく、ときに我々の鑑賞を妨げ、瞬時に行なわれるステレオタイプな判断で我々を盲目にすらする。大野智史の大きな画面を何度も見つめながら、私は、現在のようにデジタルイメージで溢れ返る時代に、わたしたちがなお、絵画作品に向かい合う意味があるとすれば?という問題について考えていた。(もちろんその意味があると思っているから見るのだし、表現者が描き続けるのも同じ理由だと信じているのだが。)
画家の創り出す「表面」が非常に触覚的なものであるということが、これに向かう一つの理由になり得るだろう。どれほどデジタルイメージの解像度が上がり、3Dの再現性も進化したとしても、それでもなお、近づいて凝視する価値のある絵画であると私は呼ぶだろう。

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お盆を過ぎ、晩夏の蝉が力を振り絞って鳴き尽くし、原美術館は懸命な喧噪に取り巻かれていたのが、今村遼佑のインスタレーション作品が置かれた展示室に足を踏み入れると、そのような世界とはついにぷっつり切り離されてしまったかと一瞬思われたほどだった。「一瞬」と言ったのは、実際には彼の作品は、窓際の外界の雰囲気や、光や空気の射し込む様子とダイナミックに関係をもつものであり、その空間に身を置いて経過する時間を感ずることによって、切り離されたかのように感ぜられた外側の世界と内側の世界は再び一つに統合されることに気がつく仕組みになっている。
それにしても、一歩足を踏み入れたときの、鑑賞者を暖かく守るような繊細なで整然とした空間は、そのような強烈な印象を私に与えたのであった。
曖昧で奇妙な言い方だが、今村遼佑のインスタレーションを経験して感じたのは、それらのインスタレーションに取り巻かれている磁場と、それと無関係に存在し/存在した/存在し続けるところの外界との距離が揺らぎ、その中で持続的な眩暈を起こすような感じだ。その距離はゼロでも無限でもなく可変的で、そのメタ的な眩暈すら時と場所を変えても思い出される不思議な感覚なのである。ひとつの手がかりとして、映し出された映像はベルリンで撮影されたものであり、異なる場所に我々を接続するということと、それが加工を経ることによって虚構性を増すことがあげられるだろう。

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リタ・ヘンゼン(Rita Hensen)の「八丁堀」は結びついた和紙にフェルトペンによるドローイングであり、とても素敵な作品であった。絵画のそれぞれは糸で結びつけられていて、それはスッキリ解かれて離れているものもあれば、緩やかに絡まり繋がっているものもある。糸によって物理的に結びつけられるだけでなく、そもそもそれらは重ね合わされた和紙に滲みやすいフェルトペンで描かれており、一枚二枚下の紙にも同じ軌跡が認められるのは、そういったわけである。あるドローイングは、その下に置かれた数枚の和紙に浸透する。重なり合った和紙が同じ痕を共有し、それがたとえ旅のあとにバラバラになり、世界の離れた場所に散らばっても、彼らはその痕跡を留める。それはマテリアルである全てのものが持てる能力である。

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ベネディクト・パーテンハイマー(Benedikt Partenheimer)のビデオ作品「つかのまの記念」は、彼が日本滞在した2012−2013年の経験(日本という国の震災の傷痕とフクシマをめぐる国際社会情勢)を主題にしている。作品は、何かドラマチックなストーリーを展開するわけではない。25分間のビデオのなかに認めることが出来るのは、フクシマの原子力発電所の作業員のイメージを表すという真っ白のユニフォームを着た一人の人が、東京の人混みや交差点、様々な場所に立ち尽くしているの姿である。そこには何もおこらない。そのひとは非常に目立っているのに誰もが通り過ぎ、見られているのにそこに軋轢は起こらない。存在していないかのようであり、不穏でもある。ベネディクト・パーテンハイマー(Benedikt Partenheimer)が表現したのはその違和感かもしれない。

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