展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(2)

展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(2)

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ベルリンド・ドゥ・ブリュイケールの表現について話そう。ドゥ・ブリュイケールは(1)でも紹介した通り、ベルギーのゲントで制作するアーティストだ。彼女の表現は厳しい。彼女は表すべきものを誤摩化したりしない。その蝋彫刻は見る者にあまりにも強い印象を与えるし、造形は人間を含め、動物の生きている時間が終わって、それが変形したり存在がむき出しになったりする「あとの時間」を私たちに感じさせる。彼女の描くポートレートは真っ黒な輪郭に赤い眼孔がのぞくもの、あるいは蝋色の輪郭に両目から血を流す頭部、我々に向かって立っている髪の長い女のその赤い髪が全てこちら側に足れている絵など、画面に満ちあふれた作家の率直な不安が伝播してくる。
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彼女の見ているものは、我々が関心していることよりももっと遠くにあるのかもしれない。彼女の彫刻が表現する死せる姿であったり、動物たちの骨や人間にしても青白く朽ちて柔らかくなったような肌は、生きている我々が生き続けるためにふだん見ることを避けているものだが、たとえば世界が何万年も何億年もあるのだとしたら、そのうちのたった数年や数十年が動物や動物である我々が生きている時間だ。血が通い、瑞々しく、硬く強い時間はかぎりなく短い。

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そのようなとき、やはり彼女の一貫した関心である肉体や肉は、異なる有り得るかたちをもって、存在するかもしれないということを認めることができるような気がする。

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ジャナ・ステラバックは1955年チェコのプラハ生まれ、ソヴィエトの侵攻の68年、家族と共にヴァンクーヴァーに移住した。モントリオールでディプロムを得た後、ニューヨークとトロントで数年を過ごし、モントリオールに定住する。彼女はフランス語とカトリック文化圏のその地で、アメリカ大陸に居ながら彼女が生まれ育った欧州の文化を思い出す。自らのアイデンティティを問い、カナダ人でチェコ人であることを問う。そういった問題意識は、彼女をカフカ文学に導き、ジャナ・ステラバックは『変身』に明らかに参照した作品をいくつか表現している。

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たとえば、クリノリンで遠隔コントロールをする作品Remote Control II(1989)や、同様に、金属でできた起き上がり小法師のような構造に下半身を預けるSisyphus(1990) は、肉体は自分に所属するにも関わらず、想いのままにはならない客体であり、変容したり、変形したりするかもしれない奇妙なものである。

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また、金属の尾のようなものをつけるパフォーマンスは、カフカの『変身』を明らかに想起させる。大きな「部分」を伴った人の体は、脱皮途中の虫や異なる生き物のように見える。芋虫のように地面を摺ってすすむ新たなわたしの身体の「部分」は、以前から体の一部であったかのように振る舞い、また突如切り離されもする。

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アンデルセンの童話『Princesse au petit pois(エンドウ豆の上に寝たお姫様)』に基づいた作品もステラバックの子ども時代の記憶の中から何度も浮かび上がって来る表現である。

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髪の毛、パン、肉等多様な素材を利用して身体とアイデンティティを問う表現を続ける彼女が1984~85年に制作したThe Dressは、電流を流すと胴体部分を中心に数本の電熱線が光と熱を発する。ジリジリいう音はそこにある肉体が熱線によって痛めつけられるような鋭い感覚を覚えさせる。彼女にとって肉体は、アイデンティティの問題を抱える客体としても、自らが抱える肉や内蔵の塊としても、しばしば問題を抱えた存在として現れ続けるのである。

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展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(3)につづく。

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