09/3/14

展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(2)

展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(2)

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ベルリンド・ドゥ・ブリュイケールの表現について話そう。ドゥ・ブリュイケールは(1)でも紹介した通り、ベルギーのゲントで制作するアーティストだ。彼女の表現は厳しい。彼女は表すべきものを誤摩化したりしない。その蝋彫刻は見る者にあまりにも強い印象を与えるし、造形は人間を含め、動物の生きている時間が終わって、それが変形したり存在がむき出しになったりする「あとの時間」を私たちに感じさせる。彼女の描くポートレートは真っ黒な輪郭に赤い眼孔がのぞくもの、あるいは蝋色の輪郭に両目から血を流す頭部、我々に向かって立っている髪の長い女のその赤い髪が全てこちら側に足れている絵など、画面に満ちあふれた作家の率直な不安が伝播してくる。
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彼女の見ているものは、我々が関心していることよりももっと遠くにあるのかもしれない。彼女の彫刻が表現する死せる姿であったり、動物たちの骨や人間にしても青白く朽ちて柔らかくなったような肌は、生きている我々が生き続けるためにふだん見ることを避けているものだが、たとえば世界が何万年も何億年もあるのだとしたら、そのうちのたった数年や数十年が動物や動物である我々が生きている時間だ。血が通い、瑞々しく、硬く強い時間はかぎりなく短い。

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そのようなとき、やはり彼女の一貫した関心である肉体や肉は、異なる有り得るかたちをもって、存在するかもしれないということを認めることができるような気がする。

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ジャナ・ステラバックは1955年チェコのプラハ生まれ、ソヴィエトの侵攻の68年、家族と共にヴァンクーヴァーに移住した。モントリオールでディプロムを得た後、ニューヨークとトロントで数年を過ごし、モントリオールに定住する。彼女はフランス語とカトリック文化圏のその地で、アメリカ大陸に居ながら彼女が生まれ育った欧州の文化を思い出す。自らのアイデンティティを問い、カナダ人でチェコ人であることを問う。そういった問題意識は、彼女をカフカ文学に導き、ジャナ・ステラバックは『変身』に明らかに参照した作品をいくつか表現している。

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たとえば、クリノリンで遠隔コントロールをする作品Remote Control II(1989)や、同様に、金属でできた起き上がり小法師のような構造に下半身を預けるSisyphus(1990) は、肉体は自分に所属するにも関わらず、想いのままにはならない客体であり、変容したり、変形したりするかもしれない奇妙なものである。

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また、金属の尾のようなものをつけるパフォーマンスは、カフカの『変身』を明らかに想起させる。大きな「部分」を伴った人の体は、脱皮途中の虫や異なる生き物のように見える。芋虫のように地面を摺ってすすむ新たなわたしの身体の「部分」は、以前から体の一部であったかのように振る舞い、また突如切り離されもする。

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アンデルセンの童話『Princesse au petit pois(エンドウ豆の上に寝たお姫様)』に基づいた作品もステラバックの子ども時代の記憶の中から何度も浮かび上がって来る表現である。

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髪の毛、パン、肉等多様な素材を利用して身体とアイデンティティを問う表現を続ける彼女が1984~85年に制作したThe Dressは、電流を流すと胴体部分を中心に数本の電熱線が光と熱を発する。ジリジリいう音はそこにある肉体が熱線によって痛めつけられるような鋭い感覚を覚えさせる。彼女にとって肉体は、アイデンティティの問題を抱える客体としても、自らが抱える肉や内蔵の塊としても、しばしば問題を抱えた存在として現れ続けるのである。

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展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(3)につづく。

09/3/14

展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(1)

展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(1)

LES PAPESSES : http://www.lespapesses.com

このテクストは、PARASOPHIAをもりあげるフリーペーパー『パラ人』第二号に掲載の記事:「パラソフィア・ア・アヴィニョン / Parasophia à Avignon
《女王たちの幸福》」の追記となるものです。まず、既にお読みいただいているかもしれないのですが、パラ人第二号の掲載記事冒頭一部を引用します。

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(引用:パラ人第二号)
 ある作品と出会い、それを鑑賞する。芸術を体験する〈場〉はときに、我々の中に深く刻印される。空間の持てる意味は、表現の解釈をも左右し、それゆえ、ある展覧会に足を運び、その空間・作品・鑑賞行為の相互関係に思いを馳せることは、我々の作品享受の可能性を開くのだ。例えば、美術館やホワイトキューブ、コレクターの邸宅、ハプニングやパフォーマンス、流転する自然環境下、地方のアートイベントでしばしば見られるような産業工場など歴史的建造物を再利用した空間。いずれの場合も、作品が鑑賞者に与える印象は潜在的に異なる。それは、作品を創り手の意図によらず、その意志を超越した何かによって施される恩寵とでもいうべきものである。(中略)展覧会Les Papesses(「複数の女教皇ヨハンナ」)は、歴史において明確に政治的・社会的権力の象徴であった巨大なアヴィニョンの修道院という砦を、まるで沈黙のまま平和的に譲渡することを可能にしたのである。
 展覧会タイトルの「パペス(Papesse)」とは、歴史上ただ一人存在したとされる女教皇ヨハンナ(在位855−858)のことである。少女時代、愛人の服を纏ってローマに連れてこられたヨハンナはとても聡明で全ての科目に精通し教鞭をとり、豊かな知性は肩を並べる者がいなくなり、ついには教皇に選出されるが、愛人の子を身籠って大聖堂への移動中の路地で出産してしまう。即座に馬の尻尾に括り付けられ、引きずられて拷問を受けて死亡、その場で葬られた。この出来事が起こった通りや出来事そのもの、女教皇の存在は忌み嫌われ、以来教皇は厳格に男のみに限られ、ヨハンナはその「汚れた」物語から教皇のリストには加えられていない。(引用)

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アヴィニョンには初めて訪れた。写真フェスティバルで有名なアルルの町から近いが、演劇フェスティバルにこの5年間で訪れたこともなく、今回のパペス展はかねてから着目していた展覧会だったので、二カ所を一日がかりでじっくりと見てきた。青空しか有り得ないのではないかというほどの、絶対的な青と、若いオリーブの実が健康的に輝いて、機嫌のいい町だった。

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 「栄光の階段(Escalier d’Honneur)」にはカミーユ・クローデル(1864-1943)へのオマージュである袖の閉じた服が楽しそうに戯れている。同じインスタレーションがCollection Lambertの階段にもある。クローデルは30年間に渡り、精神病院で入院生活を送った。両手の自由を妨げる「袖の閉じられた服」は、高い天井に向かってふわふわと漂い、生きている間、自宅へ帰ることを認められず病院に留まらねばならなかったクローデルの魂が時を経て解放されたかのような幸せなインスタレーションである。

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ルイーズ・ブルジョワ(1911-2010)は自身の性的なトラウマやオブセッションを反映する作品を生涯表現し続けた作家で、蜘蛛のモチーフや男根のスカラプチュアはよく知られているし、男性と女性の接合、女体からひりだして来る怪獣のような赤子のイメージを一貫して反復する。彼女にとって女の身体は性交や赤子の出産によって引き裂かれるものである。

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Ode à la Bièvre, 2007 は、24ページからなる生地を刺繍したりアップリケしたり、パッチワークすることによって作られたビエーヴル川にまつわるオードである。アントニーに住んでいたことのあるブルジョワの想い出をファブリック・ワークで表した作品は、過ぎし日の懐かしさが穏やかに滲みだしてくる。

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The Fragileシリーズは、ニューヨークで目にすることができた。私はこの作品が好きだ。そこには一貫したモチーフとしての蜘蛛や妊娠する大きな複数の乳房が描かれているのだが、2007年に晩年のブルジョワが表した青を貴重にしたパレットとフォルムには、恐れや恨みのような感情が塗り籠められていない。

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また、20枚の赤いドローイングであるThe coupleや、パラ人でも言及したA man and a woman、Pregnant Woman(ともに2008年の作品)は、ブルジョワのオブセッションの一つの完成型として表されている。オブセッションは、セラピーによって緩和したり、リアクションを弱めたりすることはできても、完全に忘れることはできない。ブルジョワにおいて、妊娠は生涯を通じて取り組まれたテーマであったが、胎児は赤い肉の中で、包まれて育って行くことが、叫びを伴うことなく描き出されている。

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Cell XXV (The View of the Wold of the Jealous Wife)と名付けられた作品は、鉄編みの中に、中上級階級の裕福な男の妻が着ていそうな作りの良いワンピースが展示されている。彼女らは檻の中に入っていて、外には出られないのだが、執拗な感じで外側の世界を見つめ返しているように、その三体のトルソーは配置されている。

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ベルリンド・ドゥ・ブリュイケールの彫刻がCollection Lambertの窓際でひときわエネルギーを発していた。ベルリンド・ドゥ・ブリュイケールは1964年生まれのベルギー人アーティストで現在もゲントで制作している。5名のアーティストの中ではカミーユ・クローデルと一世紀を隔てて生きているアーティストだ。彼女の作品を見たのはヴェネチア・ビエンナーレのベルギー館を占拠した巨大な彫刻を目にしたときのことなのだが、蝋彫刻は、そこで途方もない生き物の死だとか、生き物の骨を覆う皮や筋肉が朽ち果てた後にはこのような艶やかな彫刻が現れるのではないかとおもわれるような、外見と存在感を放つ作品であった。本展覧会でも、骨や動物の角の塊のような彫刻が多数展示されていた。

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展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(2)につづく。

 

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