Manger, Boris Charmatz / 「食べること」をダンスする

Manger 

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2014年12月3日にThéâtre de la Ville, Parisでダンス作品「Manger」を鑑賞した。Boris CHARMATSによって構想された作品「Manger」(フランス語の動詞:「食べる」)は、そのタイトルの宣言する通り、人間の「食べる」行為に真正面から焦点を当てた作品だ。今日、非常事態を除いては飢餓による生命の危険に直面しない平和な食生活を送る人々にとって「食べる」とは、日常的で身近で、あえてとるに足らない行為と感じられるかもしれない。もちろん、食事を自由にとれない病気と共に生きている人、アレルギーのある人、止む負えず食事制限している人、その他あらゆる食のトラブルに出会ったことのある人々にとっては、「食べる」行為は自ずとグロテスクでつかみどころのない、奇妙な行為として立ちのぼるかもしれない。

だがじつは、そもそも、口からも異物を摂取し、内部に一時的にであれ一定の時間内包し、それを様々な消化酵素で消化し、吸収して、抽出されたものを自らの肉体の一部と成し、さらには、口から摂食したけれども不必要であり、廃棄できる内容を液体や固体として排泄するという一連のプロセスは、たとえば、植物が、道管と師管から水分や養分を吸収し、日光や二酸化炭素を利用して養分を生成していることに比べると、遥かに生々しく、インパクトある行為ではないだろうか。

異物を体内に受け入れたり、それを内部に同化しようとするのは、たとえば生殖行為にも通じる出来事であるし、つまり「食べる」行為は、よく見ると奇妙であり、もちろんとるに足らずつまらなく、それでもやはり分かりにくい行為なのである。

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「Manger」(2014) は、Boris CHARMATS(Dance Museumのdirector)によって構想された作品で、人間の口が持てる可能性を追求した作品である。口がかなでる音、それを作家は、噛むときのメロディーと表現する。食べものがすりつぶされるときの音や、それらが肌と奏でる音、そして食らう人の声。それらがダンサーの身体を通じて、彼らの感覚を経て、総合的な表現となって、舞台全体で動きのインスタレーションとして提示される。「食べる」人間の肉体と食べられる物との限りなく狭い境界線を具体化しようとしている。

舞台上で繰り広げられるのは、もはやなぜ舞台上でそれを見せ、見せられる観客は硬直してそれを見守らねばならないのか、わけの分からない出来事の塊である。10数名の演技者たちは、破れる際にいちいちよい音のする「白い紙」のようなものを何枚も手にもって、唇や歯、手で破り、それを口の中に含むことを繰り返す。繰り返される咀嚼、次々と破られた紙は口の中に送り込まれる。演技者たちは、異なる音をたて、異なる形でそれを食べ、異なる表情を浮かべて咀嚼する。やがて孤立していた演技者は、歩み寄り、絡み合ったり、影響し合い、食べることを続ける。ちぎりまくられて、口に入れられなかった白い紙は床に散らばり、それを舐めるように拾い集め、あるいは咀嚼の末をれを体外に放り出し、そしてまた、体内に送り込むことを繰り返す演技者がいる。

演技者の行為は、我々の「食べる」行為のあり得べき姿、あるいはあり得る姿をひとつずつ具現化しているようでもあり、しかし単に実験的であるようでもある。そのカオティックな様子は、なるほどリアルである一方、表現として理解されることを期待してもいないようだ。

この作品は、「食べる」行為の多様なesquisse(素描)として、非常によく表現されており、研究されているけれど、ならば「食べる」我々をもっとあるままに肯定するアクションを、私は観劇中ずっと探していたのかもしれない。

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