Sophia Coppola あどけなさの美学 ユリイカ ソフィア・コッポラ特集

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『ユリイカ』の2018年3月号ソフィア・コッポラ特集に、論考を書かせていただいた。論考のタイトルは「ソフィア・コッポラ作品における(美/)少女表象ー少女プロパティとしての<あどけなさ>の美学、あるいはその希望と絶望」。詳しいことを言わないときは、スカーレット・ヨハンソンのあどけないパンツ姿の破壊力について書いた、とはしょって説明することにしている。実際にはもうちょっといろいろなことを書いたつもりだ。

こちら! http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3143

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ソフィア・コッポラ作品といえば、音楽がおしゃれだし、ファッションもおしゃれだし、女優が美人だし、さらには出演する女優たちが少女時代(10代前半とか半ばとか本当の少女時代)からいくつかの作品にまたがって異なる役を演じて行く間に大人になっていく様子を追うのもなかなか魅力的なのだが、実は、小説からの映画化とオリジナルのストーリーと、実話を基にした着想と、異なる性質のオリジンの作品を時代順に見ることで見えてくるものもあるし、やはり違うものとして考えないとわからないこともあるだろうと思う。

小説の映画化ではヴァージン・スーサイズもビーガイルドも本当に共通点が多い。というのもストーリーの性質上そこにソフィア・コッポラ性を織り込むのであればきっとそうだろうなと納得のシーンしかない。そういった意味でビーガイルドはソフィア・コッポラ作品として実はそんなに素晴らしいとは思えずにいる。もちろん、「らしさ」の点で爆発してはいる。

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「マリー・アントワネット」も「The Bling Ring」も実在の人物や実話に基いた話がコッポラ的解釈を通じて語られていくのだが、「マリー・アントワネット」におけるその時代的な王族女性の役割を描いているにも関わらず、それがあたかも今日的な女性の抱える様々な問題にもつながっていくように感じさせる描写は巧みだと感心してしまう。The Blign Ringでは、主人公でスター宅空き巣犯のリーダーであるレベッカの<On>(犯行がうまくいっている期間)と<Off>(身を隠している期間)の落差が素晴らしいと思った。

以上はほとんどユリイカの論考の中では口にしていない事たちだ。たくさんのことが言われることができるだろうし、実際、このユリイカ特集では他の執筆者の方の論考もとても興味深かった。
もしよかったら論考を読んでみていただけるととても嬉しい。
シャルロットのパンツ姿と半開きの口の破壊力についてのテクストであり、ファンタズムを暴いてぎゃふんというのを聞きたいなと思って書いているテクストである。

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