05/1/13

新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。/ Newspaper Woman, Miyuki Nishizawa

本記事は、第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第三弾(最終!)、「新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。 」です。

「アートで私のこころが自由になった。それは師匠嶋本昭三もそうだし、いっしょにいるまわりの皆もそう。
だから、私たちが芸術を追い求めることで、いま苦しんでいる人たちのこころが少しでも、ひとときでも解放されてハッピーになったらいい。そして、仲間がいっぱい増えて、次の世代の人にもそれが伝わればいい。」
(西澤)

アーティスト西澤みゆきは、具体の精神を引き継ぎ、嶋本ミームを伝承する者として、芸術活動の本質を「精神の解放(/開放)」であると述べる。それはまさに西澤自身が、生きることの苦しみや困難、および長年にわたり心を縛ってきた重たい鎖を、芸術行為によってぶち壊し、粉々にしてしまうことに成功した張本人だからだ。
私の知る西澤みゆきは、いつもニッコニコしている。神戸の記号学会でお会いした際も、グッゲンハイムでも、あるいはSNS上で写真で見かけたりしても、とにかくいつも楽しそうだ。個人的な話だが、私自身は普段からあんまり機嫌が良くない。外出して人に会い、たった数時間頑張ってニコニコしているだけで帰宅すると顔が筋肉痛になってほっぺがプルプルする。だからこそ強く思うのだが、笑っている人はそこにいるだけで本当にハッピーを伝染する力がある。笑っている人は、いつもつまらなく悲しい顔をしている人よりも、個体として生きるエネルギーが断然高い。そして、そのポジティブなエネルギーこそが他の個体に伝染する価値のある唯一のものである。

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西澤みゆきが嶋本昭三のもとでパフォーマンスや制作などの芸術活動を始めたとき、彼女は肉親との関係や世間が強いてくる鋳型のようなものに苦しんでいた。それは、本当に大切なものの前ではひょっとして小さなことであるにも関わらず人が生きるのを息苦しくする、時には人から生きる力を根本的に奪ってしまうほど苦しくさせる、何かとても良くないものであった。身体に合わない服とか、胸から腰までを縛り付けるコルセットとか、刺すような痛みを日夜与え続ける歯列矯正器具の類いとか、目に見えはしないけれども、その良くないものはそれらに少しだけ似ている。

嶋本昭三の作品のひとつに、「女拓(にょたく)」がある。この素晴らしい作品は、彼の芸術行為を真っ向から受け止めることのできない人たちによって、しばしば不当な批難を浴び、日本社会ではスキャンダラスに扱われてきた。あるいはまた、イヴ•クラインの青絵の具を用いたパフォーマンス(Femme en bleuなど)と比較されることがあるが、イヴ•クラインのパフォーマンスが完全にコンストラクティッド(演出され、構成された写真)であるのに対して、女拓モデルの女たちが自由である嶋本の実践は全く性質が異なると言わなければならない。女拓は文字通り、魚拓の女バージョンである。女たちの裸の身体に墨を塗って、色々なポーズを紙に転写する。西澤はアパレル業界で十数年勤務したのち嶋本と再会すると、そこで女拓モデルをするために、全裸になった。女拓は嶋本昭三のアートスペースを利用して行われた。実は、「女拓が行われた」というのはやや語弊がある。実際にそれは生活のように自然に営まれたのである。もはやそれは一過性のパフォーマンスでも拓をとるための準備でもなく、裸で生活することそのものである。我々が作品として目にしてきた墨を塗られた女の裸体の様々な部分が紙の上に再表象されたものは、女拓という営みにおける最も物質的な結果にすぎない。女たちは、全ての纏うものを脱ぎ捨てた生活の中で、すこしずつ何も纏わないことに慣れていく。自分のものとは違う他人の裸、身体部位のかたちや色の違い、肉付きや骨格の違い、傷があったり老いたり子どもであったりする身体。魚拓がそうであるように(つまり、様々な種類や大きさの魚の記録であるように)、女拓もまた、女の生の記録である。それぞれの女たちの、異なる人生の記憶である。西澤はこの女拓生活を通じて、一人一人異なるはずの女たちの身体が、どの裸もおしなべて美しく、それがいわば全ての不要なものを脱ぎ去ったあとの魂のつきあいであることを発見し、それと同時にそれまで自らの心を覆っていた悪いものをバラバラに打ち砕いた。

著名なアメリカの写真家であるベン•シモンズ(Ben Simons)も女拓に関心を抱き、これを撮影した。墨で真っ黒になった裸の女たちの身体。彼は女に何のポーズも表情も要求もしない。女があるままに、裸でそこにいるままに撮った。彼は女拓の女たちの美しさを絶賛する。西澤みゆきはベン•シモンズがとりわけ愛した女拓モデルのひとりだ。生き生きとした命が発するひかりのようなもの。西澤は女拓の生活とベン•シモンズの写真を通じて、ハッピーを伝染するアーティスト「新聞女」となるための強い「たましい」を得た。

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時が過ぎた今、新聞女はいまや一人で立っているだろうか。
新聞女の最愛の師は、彼女と彼女と共にある者たちにチャンスと試練を残し、「現世での活動(を)引退」してしまった。(*「新聞女タイムズ」、特別号外より) 傷ついて繊細だったひとりの女拓モデルは、今やたった独り勇敢にクレーンに吊り上げられ、上空において人々の大喝采を全身で受け止める。彼女は、時にエレガントにまたあるときはゲリラのように人々の前に現れ、彼女自身の音楽を紡ぎ、彼女自身の舞を舞う。出会った人たちにハッピーを伝染するために。すべては、ひとりでも多くの出会い得る人々の「精神の解放(/開放)」と幸せのために。

芸術で精神が解放されました。だから芸術を追い求めてます(西澤)

心を封じ込めていた重い鎧は、再起不能なほどに完全に粉々に打ち砕かれ、もう二度と彼女を脅かしたりしない。そして人々が何かの偶然で悪い鎧を纏ってしまった時、それをどうやってぶち壊したらいいか知っている。新聞女はその芸術を、もう醒めることのない世界のなかでつたえ続ける。
(文:大久保美紀)

*「新聞女タイムズ」、特別号外は2013年3月9日のグッゲンハイム美術館でのパフォーマンスのために佐藤研一郎さんが作成した日本語および英語新聞である。

 

新聞女論vol.1, vol.2, vol.3をお読みいただいてありがとうございました。
お忙しい中メールでのインタビューにご協力いただいたみゆきさんに感謝します。
また新聞女ズひめさんのブログ「日々是ひめアート」を大変参考にさせていただきました。

04/30/13

新聞女論 vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。/ Newspaper Woman, liberating minds by arts

本記事は、第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第二弾、「新聞女論  vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。」です。

新聞女は、新聞紙を作品制作の材料として利用するアーティストある。彼女が役目を終えた新聞を作品の材料として大抜擢したのもそれでモノを作り始めたのも、運命みたいなものである。新聞は、ひとたび大量に刷られ、情報をぎっしり詰めて人々それを伝達するのに、その賞味期限はあまりに短命、翌日にはすぐにゴミになってしまう。毎日毎日大量に生み出されてすぐゴミになって捨てられる新聞紙たち。アーティスト西澤みゆきは、今日のように新聞でドレスやジャケットを制作し始める以前、大学でファッションを学び、デザイナーとして12年間企業に勤めた。彼女は消費の時代のファッション業界のあり方やそれを体現するような生活、つまり、溢れ返った物に囲まれ次々と新しく手に入れてはすぐに捨てる生活に疑問の念を抱く。なるほど、消費社会におけるハイスピードのアパレル産業と、物質性を伴ったマスメディアである新聞の置かれている境遇はそっくりである。彼女は、そんな不毛なサークルとも言える消費の輪をひょいと抜け出し、それまで捨て続けてきた物たちを救うかのように、役目を終えた新聞をメディウムとしてアーティスト活動を始めたのだった。

citée de The Morning Call

Newspaper Woman, citée de The Morning Call


嶋本昭三(1928.1-2013.1)は具体の創立メンバーの一人で(「具体」という名の提案者)、絵の具をキャンバスに投げつけたり、クレーンで吊られて上空から巨大な絵を描くパフォーマンス•ペインティングで知られる。晩年はAU(Art Unidentified)を組織するなどの活動を通じてたくさんの人々に芸術表現による精神交流のメソッドを伝達した。彼の芸術や生き方に触れた人々は「嶋本ミーム」(嶋本昭三文化的遺伝子)を伝承する者として、この遺伝子を世代を超えてさらにたくさんの人に拡散していくことができる。西澤みゆきもこの嶋本ミームをもつ者の一人だ。実は、嶋本昭三の絵画作品の中にゆくゆくは西澤のメディアとなる新聞を利用した作品がある。あの有名な穴のあいた絵画がそれだ。「作品」(1954年 芦屋市立美術博物館)のコンセプトは、前衛美術家嶋本昭三の誕生と同時に創り出されたアイディアである。美術を志すも、親に美大で学ぶことを許されなかった若き嶋本は1950年代始め、知人の紹介で吉原治郎(1954年に具体美術協会を結成)に弟子入りすることを試みる。毎日毎日絵を描いて見せに行くものの全く認められない。貧しかった嶋本は、木の枠に新聞紙を貼り、メリケン粉(戦後日本にGHQを通じて入ってきたアメリカで精製された真っ白い小麦粉)を炊いたものを塗り付けてその上に白いペンキを塗ったものをキャンバス代わりにしていたのだが、ある日それが濡れたまま急いで描いたところ穴の空いた絵ができてしまった。ー「穴の開いた絵なんか世界中にないんでは?」ー その絵が吉原治良に嶋本の才能を認めさせ、当時日本での厳しい評価をよそに海外では直ちに高い評価を得た。新聞が初期嶋本作品においてキャンバスの代わりに用いられ、それは時間が経つとカサカサになって割れたり穴が空いてしまうがその作品は今も幾つかの美術館に残り続けている(つまり、新聞は木枠と白ペンキで固定され、時の中に封じられることで、失った自由と引き換えに持続するいのちを得ている)。その一方で、新聞女の新聞は自在にかたちを変え、動き回り、刻まれ、破かれ、象られ、触れられ、纏われ、つかのまの時間を、それと遊ぶ人々とともに生きている。

SHIMAMOTO Shozo, Work, 1954

SHIMAMOTO Shozo, Work, 1954

 

さて、新聞はゴミであると上述したが、「ゴミとして捨てられてしまうものに命を与えます!」なんて言うと現代ではすぐにエコですね!とジャッジされる。いらなくなったものをアートのために再利用するという点で、エコ•アートというカテゴリを掲げられても勿論反駁はしまい。しかし、新聞を使うことの本当の意味をもっと丁寧に見るべきだ。メディアとしての新聞と新聞女の関係を考えること無しに、新聞女は語ることができない。彼女の作る美しい新聞ドレスを埋め尽くすのは、逆説的にも惨たらしい事件の報道や、戦争や紛争のこと、政治的不和や不況のこと。そこにある出来事を視線でなぞるならば、世界があたかも悲劇的な事柄で埋め尽くされているかのように感じざるを得ない。そして、それはある意味で真実なのだろう。

「新聞に書いてある内容はほとんど悲しいことや辛い目に遭った人のこと。テロや戦争、原発… 私に少しでも力があればぜんぶ解決したいがそれは叶わない。せめてその新聞紙を使って皆の心がすこし幸せになれたらいい。」(西澤)

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2004年6月の美術手帖に取り上げられた有名な新聞女のパフォーマンス作品がある。「Peace Road / 平和の道」は、新聞紙の中の9.11のテロに関する記事を選択的に使用して作られた作品だ。テロに関する記事の部分を、地球の色としての青、そして人々の肌の色である白•黒•赤•黄の計5色で塗りつぶし、神戸の元町駅から西元町駅までの1.2kmの道のりを一本の新聞の道として繋いだ。平和を祈り、人々の幸せに貢献したいというコンセプトは新聞女の表現活動の最も基本となる考えである。このプロジェクトは、ヴェネツィアのサンマルコ広場でもゲリラパフォーマンスで実践されている。こうして、異なる国や大陸で繋ぎ続けて行き、いつかは「地球をぐるっと一周peace roadでつなげたい」と彼女は述べる。
(参考 新聞女HP)

 

citée de The Morning Call

Crane Performance, citée de The Morning Call

新聞女のパフォーマンスのスケールの大きさとエネルギーを象徴する「クレーンパフォーマンス」を紹介せずにはいられない。クレーンパフォーマンスは、嶋本昭三氏が得意(?)とするパフォーマンスで、色とりどりの絵の具の入ったガラス瓶を上空から落下させて地上に広がる巨大なキャンバスに描くというもの。新聞女のクレーンパフォーマンスでは、彼女のホームページ(新聞女)をご覧頂けば一目瞭然であるが、上空に吊り上げられることによって、彼女自身が、超巨大(超ロング?)新聞ドレスを纏う新聞女という作品として完成するのだ。巨大なスカートはその真下にたくさんの人を含み込むことができ、人々はここでもやはり、下から新聞女のスカートを堂々と覗くことになる。風の噂やご本人の口から、新聞女が実は強度の高所恐怖症だという噓みたいな話を耳にした。あんなに格好よく、笑顔で新聞吹雪などを巻きながらぶら下がっていて、高所恐怖症とは何事だろうか。今回の2013年アーレンタウンでの初仕事もクレーンパフォーマンスであった。徹夜の作業。天気は大雪。遠足ではありませんので、悪天候決行。ご存知の通り新聞は水で強度を失い、簡単に破れてしまうはずである。地元メディアの取材陣、さらにはアーレンタウンの市長さんまでやってきた。亡き嶋本昭三に代わって上空に舞う新聞女に失敗は許されない。(参考、日々是ひめアート
パフォーマンスは地上から笑顔の大喝采を受けて真の大成功を収める。

「そのとき、不思議な感じがした。
いつもは上空の嶋本先生に下から拍手喝采していたのに、
その瞬間わたしがいつもの嶋本先生になって、地上のみんなを見ていた。」
(西澤)

アーレンタウンにおけるクレーンパフォーマンスの成功は、嶋本昭三研究所のメンバーおよび新聞女ズ、そして何より西澤みゆき自身にとって決定的に重要な意味を持つこととなる。

 

新聞女は明日、明後日も(4月30日ー5月2日)高の原AEON MALLに現れる!
(リンク http://www.aeon.jp/sc/takanohara/event/
・5月1日(水)
13:00~岡田絵里 はし袋でパレードしよう
15:00~新聞アーティストと一緒に新聞ドレスで館内パレード
・5月2日(木)
13:00~八木智弘 自分だけのミサンガ作り
15:00~巨大新聞こいのぼりを作ってトンネル遊び
場所:2F 平安コート他

 

「新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。」もお楽しみに!

04/29/13

新聞女論 vol.1 新聞女@グッゲンハイム美術館 – 新聞は纏うとあったかい。/Newspaper woman @guggenheim museum

本記事は、これより第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第一弾、 新聞女論 vol.1「新聞女@グッゲンハイム美術館- 新聞は纏うとあったかい。」です。

 

Newspaper Woman wearing  Shozo Shimamoto's painting

Newspaper Woman wearing Shozo Shimamoto’s painting

神様の偏西風が逆向きに吹いて、全く訳の分からないまま、私を乗せた飛行機はぐいぐいとニューヨークに引っ張られ、私がグッゲンハイム美術館の裏口に侵入したのは、19時半すぎ。「新聞女パフォーマンス@グッゲンハイム美術館 in NY」(Art after Dark, site )の開始時間の1時間以上前だ。本来JFK空港着予定が19時55分で、そこからうまく渋滞がなかったとしても、美術館に着くのは22時近くなりそうだったのだ。ミステリーである。私はその前日も飛行機でも寝ておらず神様の追い風のせいで頭の芯がしびれており、図々しいとはもちろん思いながら、準備中で確実に大忙しの西澤みゆきさん(新聞女, 新聞女HP)にコールしてもらった。新聞女はまだ新聞を纏っておらず、白いぴたっとしたカットソーを着ていた。彼女は私が着いたのを喜んでくれ、私はとてもわくわくし、三日分の荷物を詰めたちっちゃいスーツケースを引きずって、彼女が手伝わせてくださるという制作の現場にひょこひょことついていった。


kobe, 2012

kobe, 2012

私が新聞女パフォーマンスに出会ったのは昨年、2012年5月12日に神戸ファッションミュージアムで行われた記号学会においてである。小野原教子さんが実行委員長をされた『日本記号学会第32回大会 「着る、纏う、装う/脱ぐ」』(JASS HP)の学会第一日目、アーティスト「新聞女」が現れて、たくさんの研究者とか大学の先生とか学生さんで溢れる学会の会場がたちまち新聞で覆い尽くした。彼女は台の上で新聞一枚でぐるりと回りを覆われながら、そのなかで、全部脱いで、裸になって、ドレスを纏った。
(記号学会でのパフォーマンスの写真やコメントは以下ブログ うきうきすることが起こった。日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。Part1

after the performance, kobe, 2012

after the performance, kobe, 2012

ダンサーの飯田あやさんらによる新聞の舞にうっとりしている間に、周りの大人たちが笑顔で新聞だらけになっていく。みんなが楽しそうに、「私にもぜひ新聞巻き付けてくれ」と遠くにいた人たちもどんどん新聞女のほうに吸い寄せられていく。新聞の海のヴォリュームの中からわき上がるように高く高く登って、いつの間にかデコルテのロングドレスにエレガントな日傘を携えたの超笑顔の女が頂に姿を現し、パフォーマンスは完成した。纏った新聞はあったかくて私はとても幸福だった。彼女のパフォーマンスに初めて取り込まれた日のことだ。

 

グッゲンハイム美術館から直々のインヴィテーション。新聞女と新聞女ズ、そしてAU(Art Unidentified)の一団はニューヨークの郊外アーレンタウンを拠点に2013年2月初頭にアメリカに渡り、そこでFUSE Art Infrastructureの支援を得て寝食を共にしながら、 »Lollipop »(lollipop itinerary)という一連の企画でアーレンタウンとニューヨークで連日制作発表の多忙且つアーティスティックな日々を送っていた。グッゲンハイム美術館からのパフォーマンス依頼が届いたのは、彼女の最愛の師匠嶋本昭三さんが亡くなったその瞬間であったということを知る。全ては、小さな人間には手の届かない遥かに大きな「なにか」にうごかされた運命なのである。彼女たち数名は意を決して帰りの飛行機チケットをどぶに捨て、来る3月9日夜、嶋本ミーム*を共有する者たちのエネルギーでグッゲンハイム美術館を新聞で覆い尽くすことを誓ったのであった。私は突然の渡米を決めた。私はアメリカに行ったことが無い。自分がアメリカに行くというのはとても不思議に思えた。京都からは吉岡洋さんが具体と新聞女についてのインタビューを受けたりするため渡米する予定で、私もいっしょに新聞女のパフォーマンスを体験することにした。この記念すべきパフォーマンスのために、仙台の中本誠司美術館は嶋本氏の作品を西澤みゆきがグッゲンハイムのスロープで衣装として纏うことを許可し、当美術館からも当パフォーマンスへの協力者がかけつけ、ユタ州からは元新聞女ズの強力な助けがあり、フロアに設置された巨大新聞と新聞女号外の制作者やニューヨーク在住の知人協力者、そしてもちろん一ヶ月間連日制作発表を共にしてきた新聞女ズの中心に、笑顔で皆を率いる新聞女の姿があった。新聞女は、笑っている。舞台裏で制作に汗を流す仲間たちに指示を出し、自らも運び、走り、彼女のエネルギーがそれが遠くにいても感じられたりするなにかであるようにまばゆかった。

wearing her beautiful dress made of Shinbun

wearing her beautiful dress made of Shinbun

 

舞台裏にはたくさんの仲間たちがさすがはプロの手早さで作業をしており、私なんかが急に邪魔しにやってきて説明していただく時間や労力を割いてもらうのすら恐縮だったので、見よう見まねで出来るだけ頑張った後はジャーナリストに徹して写真を撮りまくろう(つまりサボり!)とひとり決意し、それでも教えていただきながら皆さんの巧みな新聞さばき/はさみさばき/ガムテープさばきを盗み見しながら、作品のほんの一部だけ制作に貢献した(ような気もする)。それぞれの分担作業に取りかかる前に、ボス新聞女から皆にパフォーマンスの段取りの説明があった。このパフォーマンスはなんと、21時から24時までの3時間持久レース、幕開けはPlease walk under hereの裾が30mにも及ぶレースでできた新聞ドレスでの登場。その後グッゲンハイムの名物スロープを利用して様々な新聞コスチュームを纏ったパフォーマーがヴィジターを巻き込んでパレードする、パレードが終わるとフロアでは巨大テディベアがどんどんその実態をあらわし、その傍らシュレッダーされたモサモサの新聞を生やしたニュースペーパー•モンスターがそれをフサフサさせながら踊る。フロアにいる人は、演歌や新聞女のテーマというジャパン的BGMに乗って「半額」とか「30円」のレッテルをぺたぺたくっつけられながらそこにいるだけで面白くなってしまう。そして、スロープには大きな「gutai」の文字をバックに嶋本昭三作品をエレガントに纏う、みゆきさんの姿が…。

Newspaper Woman's newspaper, special edition

Newspaper Woman’s newspaper, special edition

 

Princess !

Princess !



フルで3時間続くパフォーマンスなんて、いったいどんな体力であろう。しかも彼女らは連日の制作•発表•制作•パフォーマンスの多忙の中で寝ずに今日の日に突入しているという。フロアは入場者で満たされていく。Please walk under here ! の長い裾を皆で丁寧に支え、スタンバイ状態に入る。ああ、なんて、皆を巻き込むパフォーマンスはただひたすらにワクワクし、そこに存在するだけで楽しいのだろう。Please walk under here ! は新聞女の師匠、嶋本昭三氏の「この上を歩いてください」(Please walk on here, 1955)のオマージュである。女の子のスカートの下(というか中?)を歩く。めくり上げられたスカートの内側をあなたは堂々と歩いてよい。その長い長いスカートの裾はとても繊細なレース模様が施されており、それをばっさばっさまくり上げながら、観客であるあなたは中に取り込まれるのだ。盛大なスカートめくりであり、あなたはそれを覗く者となる。

"Please walk under here" goes on

« Please walk under here » goes on

Newspaper Woman appears in public !

Newspaper Woman appears in public !

with 1000 visitors

with 1000 visitors

fantastic !

fantastic !

パレードでは写真家のヤマモトヨシコさんが撮影された素晴らしい作品がパネルとして掲げられ、新聞女と新聞ドレスを着た女たち、そして巨大ジャケットを着た普通のサイズの人たちが練り歩く。このデカジャケのコンセプトは「着てたのしい、見てたのしい」。ファッション科出身の西澤みゆきの手にかかりジャケットは新聞と言えどきちんと裁断され、(巨人使用だけど)リアルな洋服の作りとなっている。着るととにかく面白いこのジャケットは「吉岡洋が着てもアホに見えるところがポイント」だとかなんとか。このジャケットを着て改めて思ったのだが、新聞は普通の服や紙より明らかにあたたかい。それがただ何枚も重ねられたり文字が印刷されているためだけでなく、新聞女とその仲間たちが創り出すそのものたちは、纏うととてもあたたかい。

Yoshiko Yamamoto's picture works

Yoshiko Yamamoto’s picture works

in her famous giant jacket, Parade

in her famous giant jacket, Parade

Half price

Half price

 

これらの大量の新聞は、アーレンタウンで彼女らの活動を支援したFUSE Art InfrastructureのLolipop Co-Directorでアーティストのグレゴリー•コーツが現地で入手してくれたものだそうだ。素晴らしいディテールのレースのドレスも、労力を要求するシュレッダー•モンスターのコスチュームも、可愛い巨大テディベアも、その一夜限りのニュースペーパー•ドリームを演出するために生み出され、そして、処分される。新聞女の作品はダイナミックで、パフォーマンスはエネルギーに満ちている。それらが全て撤収されて、片付けられて、元の世界が舞い戻ってくるような瞬間は、なんだか奇妙にすら感じられる。しかしそこには、たとえば夏が終わったときのような哀愁や寂しさは漂わない。なぜなら、一度新聞女に出会った者はその日の出来事をもう二度と、忘れることが出来ないからだ。そのエネルギーは出会ったあなたの中に既に送り届けられ、それはより多くの人たちと「ハッピー」を共有するために、増殖を続けるのみである。

 

a big teddy bear after the performance

a big teddy bear after the performance

elegant lace dress after the performance

an elegant lace dress after the performance

「いま目の前にいるみんなが喜んでしあわせにいれるように。地球の誕生から様々な生命が繰り返されてきたように、その大きな生命体の一部として。作品は残らなくても、みんな(や地球)がニコニコはっぴーでいれることに貢献したい。」(西澤)

(グッゲンハイム美術館でのパフォーマンス、その他の写真はこちら
*嶋本ミーム ミーム(meme)とは人から人へと行動や考え方を伝達する文化的遺伝子のこと。京都ビエンナーレ(2003)では嶋本昭三と弟子の作品を集めた「嶋本昭三ミーム」展が開催された。

新聞女は明日から三日間(4月30日ー5月2日)、高の原AEON MALLに現れる。

(リンク http://www.aeon.jp/sc/takanohara/event/

日程 / 時間
・4月30日(火)
13:00~高田雄平 自分だけのブレスレット作り
15:00~新聞アーティストと一緒に巨大テディベア作り
・5月1日(水)
13:00~岡田絵里 はし袋でパレードしよう
15:00~新聞アーティストと一緒に新聞ドレスで館内パレード
・5月2日(木)
13:00~八木智弘 自分だけのミサンガ作り
15:00~巨大新聞こいのぼりを作ってトンネル遊び
場所:2F 平安コート他

 

「新聞女論  vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。」もお楽しみに。