11/15/15

思うことのできること。

土曜日は閉鎖した大学が明日からまた門を明け、学生たちを歓迎します。私の勤める大学は、サッカー場のあるすぐ近く、サンドニにあります。サンドニに住んでいる学生ももちろんたくさんいます。「自由」がフランスの美徳であることを私は誇りに思っているし、これからも素晴らしいことであると思い続けるでしょう。異邦人である私は、この国のありとあらゆるものが「るつぼ」になっておりながら互いを懐柔し尊重する態度に眩暈を覚え、そんなリバティのあり方ががこの世界にもあったのか!と知ったのです。2006年のことです。そんな異国で先生になってしまってから4年が経ちます。マダム!と呼ばれると「誰やねん!」と思います。土曜からソーシャルメディアを介して何かを発話することを避けてきました。今も特に言いたいことはありません。ただただ、友だちの子どもや親戚の子どもや将来の自分の子どものように大切な学生たちが元気にポジティブに、明日からの世界を生き続けてほしいと、そのために自分もポジティブに生き続けようと思うだけです。

Je n’arrêtais pas de penser à tout ce qui s’est passé ces jours-ci, dans la réalité, sur les réseaux sociaux, à travers les médias de masse. Demain mon université réouvre sa porte à nos étudiants. C’est déjà quatre ans passés depuis que j’ai débuté mon enseignement en France. J’ai évité de m’exprimer sur les réseaux sociaux durant ce weekend et je n’ai toujours rien à dire mais seule chose que je voulais dire longtemps c’est que c’était la France qui m’a appris ce que la liberté est en 2006. Née dans l’archipel, j’ai souffert longtemps de certains intolérances et non-respects face aux gens « différents » dans mon pays. Je suis fière de mes sept ans vécus dans ce pays et heureuse d’avoir appris cette façon de vivre dans un grand creuset. Maintenant ce que je veux est que mes étudiants, mes jeunes élèves, que j’aimes comme mon enfant ou ceux de mes proches, puissent vivre positivement. Pour cela nous continuons à vivre positivement comme aujourd’hui et demain.

11/15/15

la vie continue

tant qu’on est en vie, la vie continue.

quand on ne voit plus rien quand on ne sent plus rien quand on pense à rien, l’être humain, en tant qu’animal affectueux, doit avoir une relation avec n’importe quoi, soit sociale soit physique; parler avec les autres, sortir de son coin, s’y mettre dans la nature, voir des plantes ou des animaux, marcher sans décider la destination, la vie continue.

la violence, la colère, l’angoisse, la stresse, la haine et d’autres sentiments négatives, ce sont des noms féminins bien que la conséquence de ces sentiments associent facilement une raison masculine. 

j’ai appelé à ma famille pour dire simplement que je suis en vie, je vais bien, il ne faut pas s’inquiéter car ce ne sont pas des lieux que je fréquente. de nombreux mensonges.

nous avons parlé des problèmes sociaux au Japon, notamment la pauvreté des jeunesses ainsi que la salaire souvent misérable des employées des maison de retraite.

le lendemain je suis partie pour en parler aux vaches qui ont toujours une bonne écoute…













11/12/15

À propos du paysage primitif

私が生まれ育ったのは、超住宅街で時々空き地くらいあるけれども割合都会らしき場所で、見渡すまでの果てしない向日葵畑が広がる景色とか、土のにおいのする野菜に触れることとか、真っすぐに続く田舎道を走行し続ける感覚とか、そんなものはまったく「原風景」ではないはずなのである。見たことのないものや大人になってから初めて見たものすらを「懐かしい」と感ずるとき、言うまでもなく、これまで読んだ全てのものや「観た」ものの影響を鑑みるが、それでもなおクリアーにならないこともあり、そんな時はあたかもある種普遍な原風景の存在をうたがうのであるが、真偽を知る以前に、もしも存在する原風景らしきものを思い浮かべることが素敵であり、人は不明瞭な記憶に基づいたとしても幸福を享受できることを知る。

09/22/15

考えを述べる人の勇気を 浅はかだと嘲笑するのを止め 勇気づけることはできないだろうか。

私たちは、

他の人にどう思われるかとか、
他の人に迷惑がかかってしまうとか、
他の人はどう考えているのかとか、
他の人はどうすれば嬉しいのかとか、
私はヘンじゃないだろうかとか、
私の言ってることはマズくないかとか、
私は誰かから批判されないだろうかとか、
私のせいで家族が悪く言われないかとか、
会社に知られたら良くないだろうかとか、
学校では隠しておいたほうがいいのかとか、
就職に悪影響を及ぼさないかとか、
昇進に不利に働くことはないだろうかとか、

色々と気を配るデリケートな人民であり、
つい「そんな恐ろしい目に遭うくらいなら」
つい「そんな面倒なことになるくらいなら」
押し黙り、流れに身を任せてしまう
こころ優しい人民であるからこそ

敢えて何かを言おうとしている
無理をして声をあげ意見を述べようとしている
慣れない憤りなんかを露にしている
たとえ不自然でもポジティブシンキングを訴える
不安に耐えて思うことを伝える
人々をあざけることの無いように。

何も知らずに馬鹿なことを。
勉強して出直してこい。
まったく的を射ていない、浅はかな考え。
ああいうやり方は好きじゃない。

写真が晒されて誰か分かるよ。
あとでいろいろマズイんじゃない。

そうやって、口を噤ませて、
あとは雪崩のように、流れる川のように、
みんなで「歴史は繰り返す」を実感するのですか。

私たちはやはり民族として、
連帯しやすく相互監視をしやすい性質を持っている。
そのことは、良きも悪きも本当である。

そもそも確認しておかねばならないことは、
もちろん、主張する人は謙虚に学ぶべきである
ただし、誰もが一夜にして専門家になれはしない
門外漢が発言してはならないのか
だとすればそれは民主主義ではない

民主主義とは、
ーこれは民主主義のディレンマをまことに現しているだろうー
専門家ではないわたくしと、
専門家であり深い考えをお持ちのあなたとが、
同じ一票をもっているということなのである。

私は、我々の持つ性質である、
ーそれは良く機能することも悪く働くこともあるー
相互監視の末、発言する人をはじき出してしまう
そんなことは真面目に少し怖いのである。

何はともあれ、考えを述べるのは良いと、
黙ってムッツリしている人々よりも
あの子は発言するから少しは良いと
言おうじゃないか。

情報統制も 検閲も 非民主主義的諸処の出来事も
現実です、噂じゃなく、無視できないことです。

人類は繰り返すというのは歴史上真なのだが
歴史を知る我々が敢えて繰り返すのを避けられるのに
それを避けることを人々は「反省」と呼び
歴史を学ぶ意義であると認識してきました。

考えを述べる人の勇気を
浅はかだと嘲笑するのを止め
勇気づけることはできないだろうか。

09/21/15

BEACON 2015 Look Up! みあげてごらん, 空を仰ぐことの意味

9月13日、岐阜県美術館で開催中の「BEACON 2015」を体験してきました。BEACONは、1999年より断続的に名古屋や京都など、全国で発表・展示されている、映像・音響・理論・美術がひとつとなった作品である。伊藤高志さんの映像、稲垣貴士さんの音、吉岡洋さんのテキスト、小杉美穂子さん・安藤泰彦さん(KOSUGI+ANDO)が担当する美術が相互に影響し合って作り上げられた作品は、回転台の上で撮影された様々な土地の日常風景が展覧会場において同じく回転台の上で投影されるという形態を撮っている。

BEACONはいつも、人間の記憶に関わってきた。それはメディア環境における人間の記憶の問題であったり、日常を生きる我々の記憶の蓄積の比喩としてぐるりと連続する風景を回転台の上で投影することであったり。そこには人々の風景があり、声が聴こえ、光とオブジェがあり、今ここに居ないがいつか出会った人々の痕跡がある。

年のBEACON 2014は展示空間の特殊性が作品に極めて強くコミットしていた。東京都台東区の葬儀場を展示空間とする異例の作品展示、BEACON 2014は »memento »の副題がつけられ、インパクトある形で人間の生死を主題としていた。

今回のBEACON 2015は第7回目の作品発表となるそうだ。副題は »Look Up! みあげてごらん »。
作品中に登場する映像では、美術館のある岐阜、沖縄、福島の「日常風景」が回転しながら投影される。

« Look Up! みあげてごらん »、展覧会のチラシにも掲載された吉岡洋さんのテクストの中で、「みあげる」行為は以下のように説明される。

人はそもそも、どんなときに空を見上げるのだろうか?
 それはたとえば、この世の煩いから離れたいときであり、遠い存在に思いを馳せるときかもしれない。
 またそれは、希望を持とうとするとき、あるいは反対に、絶望したときであるかもしれない(見上げるという行為において、希望と絶望とはつながっている)。
 さらには乗り越えがたい障壁によって、突然行く手を阻まれたとき。それはつまり、自分は今まで閉じ込められていたのだと、知ったときだ。

ここには、みあげる行為の意味が明らかにされるだけでなく、なぜ混在する沖縄と福島と岐阜の日常風景を追体験するこのBEACON 2015という作品が「みあげてごらん」なのか、さらには、なぜBEACONがこんなにも直接的にフクシマの風景や沖縄の風景といったクリティカルな問題を映し出すにもかかわらず、そこに恣意的な声を潜ませることなく淡淡と回転台のプロジェクタが投影するイメージを届けるのか。

みあげることは単純な希望の象徴ではない。人は、絶望したときも空を仰ぐ。そこにはなるほど、「いま、ここ」の限界を痛いほど認識する「わたし」がいるが、そんなものは世界にありふれたことかもしれないし、また明日別の状況に出会うことかもしれないし、「わたし」を今たまたま取り囲んでいるその偶然に満ちた環境によってこれまた偶然にでっちあげられたハリボテみたいなドラマセットに過ぎないのかもしれない。そんなふうに、みあげることは切り離すことであり、あるいは繋がることである。

みあげることは、ある意味で孤独であり、ある意味で本質的に力強い。それは、頼りない表面的な結びつきとか駆け引きなんかに基づく脆弱な人間関係ではなくて、困難に打ち拉がれ途方に暮れて空を仰いだところからのインディペンデントな連帯だからである。

Look Up ! みあげてごらん。
この作品は10月12日まで見られます、そこで福島と沖縄と岐阜の日常を見ることは、いまここを断絶し連携し、今日の私たちの状況について考えに至るキッカケにもなると思う。

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08/17/15

完全なコンポジション 広さ / La composition absolue et la spatialité

とりわけ田舎暮らしを経験したこともないし、生まれ育ったのが自然環境が殊のほか豊かな地であったということもない。ただし、思うなら、広かったことは確かだ。
広かった。
広いというのは、向こう側が行き止りであるということが、たとえ本当はそうであったとしても、そのことに気がつかないほどに遠くまで見渡すことのできるような場所である。
どこを見ても視線が壁にぶつかるとか、外を見れば全ての辺がすぐに別の生活者の窓にぶちあたるとか、上も下も詰まっているとか、風がぐるぐる渦巻いてすぐにこちらに戻ってきてしまう感じとか。そういったことに、人はおそらく何十年経っても慣れることが出来ない。

アスパラ畑があり、アスパラは大きくなりすぎると実をつけて、木のようにニョキニョキ伸びていく様子とか、暑すぎもしないのに近くの木に止まった蝉が大きく鳴こうとしている気配とか、小さかったり、虫や鳥たちが味見したトウモロコシを包み込む葉やらひげやらを剥くのが度胸がいるのとか、ニラとタマネギの見分けがはっきりついたりつかなかったり、豆のツルがすばらしく巻き付いて横やら上やらに進んでいこうとする執拗な生命力をながめたり、奔放なきゅうりと鮮やかなナス、どうしてそんなに重い実に耐えることにしたのか茎の細胞の一つ一つの壁のかたさと耐え忍ぶ意志をかんじられるトマトの群。

あの畑のことを、いつか例えば簡単な数式とかシンプルな漢字の形とか行なってきた活動や出会ったことのある誰かを忘れるとしても、畑の土のすこし乾燥した粒のことや、トウモロコシの葉脈のこと、大根の葉が密集している緑色の表面のこと、すこしジャガイモが見えている部分が光合成を始めてしまっているなと思ったことなどを、忘れてしまったりしない。

あの畑はもうない。

実家では数年前から小さな家庭菜園で野菜を育てている。何度か食べた、ここのトマトはとても美味しい。野菜の味はこうやって育てたものでないとほんとうのことをいうと、何を食べているのか思考停止状態になる。味のしない野菜は、味のしないのでなく、どうやって育ったのか食べる私が理解できないためにあるいはそのことなどを身体的に受け入れることのできないために、有効な食物として摂取することができない。とはいえ世界の食べ物工場はいまや大規模なシステムとしてすばらしく機能していて世界の人間を養おうとしているのだから、そういやって私たちは日々土をいじることに膨大な時間を割くことなく、本を読んだり、テレビを見たり、その他の労働をしたりすることができる。

農業もまた、食肉のための動物を大量生産するのと同様に非自然的なことである。植物がクローンであっても品質改良されても、「麦が六倍体にされてかわいそう」と泣き叫ぶ人がおらないので、大麦やら大きな野菜の便利な恩恵を享受している。これも大きなシステムであり、便利で効率がよいことを断念すると、わたしたちは、別の人間とおしゃべりをする時間も、明日着る服のことを考えるひまもなくなってしまう。

真っ赤なトマトと棘の影まで鮮やかなきゅうり、アントシアニンの弾けそうなほどまぶしいナスのコンポジションが世の中にありうるもっとも美しいイメージのように感じられた。小さな実家の家庭菜園で育った野菜だそうである。

美味しいそうだねというと美味しいよと母がこたえる。

実家の野菜

08/14/15

La paix souffre d’une remède dérogeant la Constitution: Manga de Shiriagari Kotobuki/ 平和(ひらかず)さん、70歳の談話

le lien officiel du manga se trouve : http://politas.jp/features/8/article/427

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pour la suite : http://politas.jp/features/8/article/427

Ce manga réalisé par un auteur manga-ka Shiriagari Kotobuki parle d’une situation difficile d’aujourd’hui à propos de la PAIX de son pays le Japon qui dure quand même 70 ans depuis le 15 août 1945. Le personnage qui s’appelle Hirakazu (comme un prénom mais en fait c’est une autre façon de lire les kanjis signifiant la paix, heiwa, en japonais), âgé, un peu fatigué, souffre des nouvelles lois risquant la paix du pays. Il refuse de prendre un médicament proposé par une fillette, un remède appelé « anpo-nantoka » C’est bien sûr une métaphore des lois de sécurité qui ne respectent pas la Constitution, notamment son fameux 9ème chapitre.
Aujourd’hui le 15 août 2015, nous les Japonais, donc fêtons le 70ème anniversaire de ce personnage important « Hirakazu », c’est-à-dire, la paix (heiwa) de notre pays tout en souhaitant que ça dure.

l’auteur de ce manga Shiriagari Kotobuki a son blog et le compte de Twitter :
http://www.saruhage.com/blog/index.html
https://twitter.com/shillyxkotobuki

08/5/15

発症前と発症後の治療ー傷を負った軍人の職業移行と戦争に行かないこと

ちかごろ、医療のことについて考えることがあり、とりわけ、いわゆる「治療」と「発症前の治療」について考えている。
お腹が痛くなって初めてお腹の存在に気がつく、とは良く言ったもので、なるほど調子がよいとき人は身体のことを考えない。
フランス語に »soin »という言い方があって、たとえば、「お大事に」(« Prenez soin de vous »)とか、「だれかの面倒をみる」(« prendre des soins de qq’un »)とか、つまり、世話や気配りのことを指すこともあれば、「美容」(« Soin de beauté »)だとか「医療行為」(« soins médicaux »)など、医療の分野で治療という意味でも用いる。
« Soins »はすなわち、なるべくよい状態のために気を配る、という意味なのだが、それは何らかの徴候が出た後に施すのが治療であり、そうなる以前に未然に防ぐために行なうのが気配りであったり世話であったりすると言える。

身体のことを話せば、いつしかは綻びて、さまざまな器官も少しずつ機能が果たせなくなって行く人間の運命みたいなところはある。もちろん、200年生きる個体は今のところいないし、80年くらい経つと個体差はあれどもさまざまな機能の不調が目立ってくる。生活における身体に良いことや悪いことは、なるほど情報が錯綜していて、気にし過ぎたなら脅迫的ですらある。現在は、生物学と医学の交差点における研究も進んで、遺伝子分析によって病の発症前にそれらを未然に防ぐという画期的とも言える解決策が打ち出されてもいる。いつしか遺伝子にマークされた将来の病の発症をある程度明確に分析し、事前に対策することが可能なとき、我々は単に、老衰によってのみ死を迎えるのだろうか。

この、「発症後の治療」と「発症前の治療」というふたつのアイディアは重要である。

実は今日、もう一点考えざるを得なかったメディアの報道があり、それは、アフガニスタンに派遣されて身体的・精神的に厳しい傷を負ったベテラン(アメリカ兵)の転職のことだ。軍人としてもはや働くことの出来ない肉体的・精神的な傷を負ったベテランは、専門の施設において、新たな人生を歩むための職業訓練と社会生活の訓練を受ける。たとえば、料理を学びシェフになるとか、軍隊での規律とは全くべつの「ふつうの生活」のため、社会とのコンタクトの仕方を習得することができる訓練を受ける専門施設に滞在する。精神を病み、あるいは手足を失い、ハンディを背負った絶望や殺戮の罪悪感から自殺する者も数多い。

施設には、心理カウンセラーや精神科医、多数の精鋭の専門家がいて、傷ついた彼らをケアするのだ。セラピー、治療、訓練、transition(移行)。

必要なことである。彼らが生き直すために。

だが、なぜ生き直さなければならないのだろうか? 「発症後の治療」と「発症前の治療」があるといったのは、この問題について言えば、つまり、傷を負ったベテランを国を挙げてケアするのは国の責任であり、そのためには最大の »soins »を尽くすというわけだ。

だが、だれも「そもそも、傷を負わなければよかった」とは言わない。

何年も、何十年もたってすら、悪夢にうなされて一生を苦しむ、彼らのその経験がなければよかったと、なぜ言わないのか。既に傷を負った彼らを慰めるのは良い。だが、これから生み出される次のベテランを、生み出す必要がないと、言っても構わないのではないか。

身体を壊して、それを治療することは、素晴らしいことであるし、そのことは多くの人を助ける。

そのことをじゅうぶんに認めるとともに、それでもなお、発症の前の »soins »がたいせつであると、思ってやまないのだ。

07/21/15

N’a-t-on pas peur des feux d’artifice ?

Feu d’artifice
N’a-t-on pas peur des feux d’artifice ?
Moi, j’ai peur. Je trouve ça violent.
Oui, c’est artistique, coloré et même très sophistiqué.
Avec beaucoup de couleurs, techniques incroyables, tout en s’évoluant avec nouvelles technologiques.
Il me semble que c’est le bruit qui me gêne.
C’est un genre de bruits que je ne supporte pas.
C’est une explosion ou des bombardements, qui pourra être à l’aise dans cette ambiance ?
Personne.
Ceux qui n’ont pas peur de feux d’artifice ne sont-ils pas gênés ?
Si, ils sont gênés.
En réalité, ils sont stimulés.
C’est la raison pour laquelle on apprécie des feux d’artifice lors de tels événements.
Dans le monde partout.
Feu d’artifice, c’est une bombe métaphorique.

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06/15/15

AYAKOさんの「パリの朝 〜 エールフランスのパンと一期一会」と親切を申し出ること

次の文章は、パリ在住の画家のAYAKOさんが6月5日にご自身のフェイスブックに載せていらっしゃった記事をご本人の許可を得て転載させていただいたものです。
***

「パリの朝 〜 エールフランスのパンと一期一会」

エールフランスでフランス人の乗務員に「明日の朝のために、少しパンを分けてくださいませんか。夕方ブランジェリーに行けないの。」とおねがいしたら、「近所にパン屋さん、ないの?」と聞かれた。
「私、目が見えないので、夕方買い物するのはちょっと無理なんだ。」と答えると、乗務員は私が目が見えないことに気づいておらず、少し驚いたようだった。離陸のとき、杖をたたんでくださいと言われて、しまっておいたから。

その乗務員がエレガントで親切で、親しみ深く、朗らかだったこと。間食にお菓子をたっぷり持って来てくださったりと、サンパティックだった。彼女がなぜ、私が失明者だと知らなかったのかというと、もともと私のシートは、日本人の乗務員の仕事のエリアだったためだ。その日本人の乗務員も既に充分に親切にしてくれていた。話したところ、私の友達の乗務員の知り合いだし、とてもリラックスしてた。

少しして、フランス人の乗務員が、余った小さなフランスパンを袋に入れて私に下さった。チーズやバターも入れてくださったとのこと。後でその日本人乗務員に、彼女の親切を伝えると、チーフパーサーなのだという。飛行中は、ファーストクラスやビジネスクラスの仕事で忙しいはず。ホスピタリティーを全ての人に分け隔てない、そのスピリットはすばらしく、素敵である。

飛行機は無事着陸する。今度はフランス人のアシスタントの手引きでトランクを取りに行き、出口に向かう。
私のトランクは年季が入りすぎて、ほとんど壊れかけているのですぐわかる。空港出口で、前もって予約していた乗り合いタクシーの運転手をさがす。家の前の通りに着いたら運転手がドアのところまで荷物を運んでくれる。住民に見つけられ、トランクをエレベーターに乗せてもらう。1996年から住んでいるアパート。小さなアトリエ。

翌朝、もらったフランスパンがひとつずつティッシュに包まれているのに気づく。そのチーフパーサーはめったに日本行きには乗らないのだと言っていた。パンに霧吹きで少し水分を含ませてオーブンで焼きながら、見えぬ一期一会を感じる。

***
他者に親切にすること、あるいは親切を申し出ることについて、時々思うことがあります。レベルの違う話や時と場合によること、一概に言うことが出来ないトピックでもあります。私はお祖母さんが大きな荷物を引きずって歩いていたり階段を登れずにいたら声をかけます。私自身が大きなスーツケースを持って、エスカレータのない駅で立ち往生してしまった時、大抵誰かが助けてくれます。それは男の人が軽々とスーツケースを持ち上げてくれることもあるし、女の人が声をかけてくれ、一緒に運んでくれるときもあります。言うまでもないことですが、基本的に独りで移動できない荷物は持ってはならないのが鉄則なので独りでも切り抜けることは勿論可能なのですが、手伝ってもらえば肉体的にとても助かるのは言うまでもありません。無論いつでも人を助けることが出来る訳でなく、自分がとても具合の悪いときなど、急いでいるときなど、どうしても出来ないこともあるのは事実です。

あるとき日本に帰国して、時々はエスカレータのない長い長い階段を30キロ近いスーツケースを持って一段一段上がっていると、ジロジロ見られるのですが、お願いしない限り相手のほうから声をかけてくれるということはないことに気がつきました。お願いすると、迷惑そうな顔をされたり、無視されたことももちろんありますが、手伝ってくれることもあります。どうして声をかけないの? と知人に訊ねてみたことがあります。すると、男性が女性に声をかけたり、手伝いを申し出ると不審に思われたり、警戒されたりしてしまうから、そういった反応を受けるのが嫌だから、困っていそうだとしても他者には話しかけないのだ、と。

文化的な違いは勿論大きい。パン屋でもレストランでも展覧会でもわりとそこら中話しかけるフランスと、店や飲食店は愚か、マンションのエレベータで隣人と出会っても会話をしない日本では、親切を申し出るためのハードルが全然違うのかもしれない。

そうはいっても、誰かにとってとてもたいへんなことは、別の誰かにとって全く簡単であることもあるし、独りで引きずるとしんどい荷物は、二人で持てば軽いかもしれないのだから、やはり残念なことだなあと思う。

AYAKOさんのお話では、最近では日本でも親切を申し出る人が多くなってきたというお話もお聴きした。親切を申し出て、その人が必要じゃないならそれで別にいいじゃないか。それを必要としている人のたいへんさが、時々は物凄く助かったりすれば、それでいいじゃないか。そう思う。自分が少し元気で究極に急いでいないとき、親切を申し出ることは、とてもよいことだとおもう。それが例え、迷惑だ、と投げ捨てられても、時々は、ありがとう、と言われることがあるかもしれないから。
takashi voyage paris 17