11/17/13

Sarah Moon « Alchimies » @Musée Nationale d’histoire naturelle/ サラ•ムーン 『アルケミー』展

Sarah Moon
« Alchimies » – Récits pas très naturels du minéral, du végétal et de l’animal
Jusqu’au 24 novembre 2013
Muséum national d’histoire naturelle
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Sarah Moonは、1941年ユダヤ人家庭に生れ、生まれるとすぐナチスに侵攻されたフランスを離れ、家族と共にイギリスに移住する。そこで1960年から6年間ファッションモデルを務め、写真家として転身したのは1970年のことである。女性の視線を通じたモデルとの独特な関係性と世界観は、ファッション写真の領域ですぐに注目を集めるようになり、Sarah Moonがファッション写真家として評価していたGuy Bourdinが長く所属した雑誌『Vogue(パリ•ヴォーグ)』においても、シャネルやディオールといったメゾンから依頼を受けるようになった。アルル写真祭でもこれまで5回選出されている。
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Sarah Moonの作品で興味深いのは被写体と写真家の関係性であろう。ファッションモデルや若い女、子どもや動物、植物や鄙びた環境、遊園地、一見すると多種多様に見える彼女の主題は、Sarah Moon自身の明確な問題意識によって貫かれている。人々の記憶、遠い子ども時代の想い出、命あるものが滅びること、女という存在、そして生き物の孤独。
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Sarah Moonは写真家であるが彼女の写真はどれ一つとして見えるままに受け取ることを許さない。あるいは、そこに見えるものの語りに耳を傾けるような状況に我々を招き入れる。念入りに作り上げられた画面、小さな物があまりにも引き延ばされてみたことのない様相を示すもの、異化された色彩、見つめると眩暈をもよおすような動き、沈黙した生き物の呼吸すら感じられない静けさ。彼女が写真を通じて表現するのは、複数の「ものがたり」である。ものがたりは、彼女の側から提案されることもあれば、被写体によってもたらされるものもある。激しくピンぼけしたイメージ、その向こう側には何かがあるのだが、それはどれだけ見つめ続けても浮かび上がっては来ない。ただし、我々の目が時々ピンとを合わせることに成功するならば、絵画のような牡丹が出来事を話し始める。モノクロームの画面は我々の時の感覚を麻痺させる。息をひそめてこちらを見つめるライオンの血が通ってその身体が熱をもっていたのはいつの日のことなのか、歴史の中に吸い込まれるように遠ざかっていく。ネガについた細かな傷、それは引き延ばされて大きな斑点となり、それは日常目に見えない光の粒や空気の粒を可視化したそれのように、撮影されたその場所が本当らしくある一方でやはりそれは偽物であるのではないかと疑いを引き起こす。彼女はフィクショナルな状況を自身の表現に導入することを実験的に行い続けてきた。おとぎ話の世界観を作品にしのばせることなどもSarah Moonが得意とする手法である。
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さて、国立自然史博物館で行われた本展覧会 »Alchimies »は、その場所で開催するにふさわしい主題を集めた展示となっている。大きく細部まで露にされた植物、剥製であったり実際に生きている動物、植物園の環境やそこにある建造物の風景。Sarah Moonの提示するイメージには、生き生きとした艶やかな生命よりはむしろ、いつもどこかに乾燥した生命や死、沈黙した物質性が感じられる。植物たちはカラー写真で大きく見せられているが、その色彩はくすんで、ネガの斑点によって距離を保ち、それらが今このときにはすでに存在しなくなっていることを感じる。剥製の動物たちはやってくる光をその深い闇の中に全て吸収してしまう黒い目をして彼らが死んでもなおそこに沈黙していることを訴えている。剥製は、Sarah Moonにとって興味深いテーマである。それはその動物が既に死んでいるということと、そもそも生き物を写真に撮るという行為が一定の共通点を持つからだ。生き物は、瞬間の中に切り取られることによってある空間や媒体の中で凝結するのであり、そこに残るのは次の瞬間には消え失せてしまった何かなのである。
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展覧会タイトル »Alchimies »であるアルケミー(錬金術)は、中世〜16世紀のヨーロッパで盛んに行われた卑金属に化学的な反応を起こすことによって貴金属に作り替えよるための努力であり、現在の科学では勿論否定されているが、そのたゆまぬ探求によって蓄積した知識が17世紀以降の自然科学の発展の基礎を築いたとも言われている。アルケミーは本質的には、雑多な物質を完全な物質に変化させたいという人類の夢に関わっており、不完全な人間の霊魂を精錬して神のそれに近づけるといったような呪術的•宗教的なもくろみすら含んでいた。こう言ったわけで中世ヨーロッパにおける錬金術師はしばしば神話的で魔術的な存在に見なされた。Sarah Moonの織り成す「ものがたり」達は、中世のアルケミーが自らをもその魔法にかけてきた暗室での怪しげな企みを、彼女のひっそりとしたキャビネットの中で、現代の人類の目に再度可視化するような試みであるように思える。
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10/30/13

Pierre Huyghe @Centre Pompidou / ピエール•ユイグ展 @ポンピドー•センター

Pierre Huyghe, ラボラトリーとしてのエクジビション
Site Centre Pompidou Exhibition Pierre Huyghe
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Pierre Huygheの回顧展が2013年9月25日よりポンピドーセンターで行われている。先日レポートさせていただいた、マイク•ケリーの回顧展(Mike Kelley, Exhibition @Centre Pompidou, Salon de mimi past post Mike Kelley)が行われたのと同じギャラリーGalerie Sud全体をユイグのラボラトリーに作り変えてしまった。Pierre Hygheは、自分の回顧展に過去の展示の痕跡を潜ませる。先のMike Kelleyの回顧展の跡や、ギャラリーの壁の裏の雑多な物が置かれているスペース、屋外と屋内を鑑賞者が自由に行き来するような奇妙な作り。そこにはたくさんの生き物が、我々が生きたままそこに足を踏み入れているのと同様にして生活しており、犬がおり、魚がおり、虫たちがおり、パフォーマーがいる。我々はそこに、ユイグの「作品」と呼べるものを探しにきたのだが、辺りを少し歩いてみれば直ちに奇妙な感覚に襲われてしまう。たしかにそこには作品のような物はたくさん配置されており、我々はそれをまじまじと見つめ、読み、聴き、触り、通り抜けるのだが、そこには鑑賞者などいないという直観がやってくるのだ。我々はリラックスして会場をただよう観客ではなく、その辺をうろつく右腕がピンクの犬とか水槽の中の魚、鳥の頭を持つパフォーマーやスケートを滑る美女と同様にして、観察対象にされているのではないか、という直観だ。
それもそのはず、Pierre Huygheというアーティスト自身が「Exhibitionとは何か?」という問題に絶えず取り組んでいるのである。彼のつくった展覧会という空間に足を踏み入れることは、自ら罠にかかってラボラトリーに送り込まれるような行為なのである。

入り口で即座にその洗礼を受ける。大声であなたのフルネームが叫ばれる。あなたはもう匿名の鑑賞者ではなく、周囲が見守る中、番号を振られた個体としてその後の道程を辿ることを余儀なくされる。(Name Announcer, 2011)
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蜂の巣を被った女が、さぞ思いであろう巨大な頭部をどうにか持ち上げながら、少しだけ艶かしい様子でこちらを向いている。私はこの女をカッセルで見た。2012年のカッセルDocumenta13のメイン会場であるKarlsaue Parkのやや奥地、他の野外展示から身を隠すようにして、蜂の巣の頭を持つ女は、石や木の欠片が散らばる廃墟的な空間にその彫刻はあった。このプロジェクトは、ドクメンタ13の始まった6月中旬から3ヶ月ほどをかけてその彫刻を取り囲むエコシステム全体を巻き添えにした作品であった。右足をピンクに塗られた非常に痩せた犬。積み上げられた板。大雨の日の地面が洗い流される音。降り続く雨に溶かされるピンクの粉。生けるカビ。虫の大行進。夜の犬の光る目。次第に形成されて行く蜂の巣。動かない彫刻。大人になった蜂。死んでいく蜂。
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犬は会場を彷徨う。あまりにも痩せている犬は、彫刻の女に引けを取らないほど、ときどき全く動かなくなる。うつむき加減で、その視線もゆっくりしか動かない。背中や肋の骨が浮き出していて、あまりにも不思議な犬のことを道で愛され過ぎた飼い犬を発見するような目で見つめる人は誰もいない。

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会場には大きな蟻も歩いていた。蟻たちは壁に沿って住んでいるようであり、時々テリトリーを逸脱した蟻が鑑賞者に踏まれてしまう。(Umwelt) 蜘蛛もまた、気をつけながら、最良の場所を得て立派な巣をこしらえようと集中している。(C.C.Spider, 2011)

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Shore(2013)は、垂直に立ちのぼる壁の一部が緑色の砂を帯びており、その地面には岸としての水平な面が同様に緑色の砂で覆われた作品である。岸には一匹の亀がおり、亀は全く動かないので彫刻であることがわかるのだが、あまりにも本当らしいので覗き込んでしまう。本作品は、過去の痕跡を空間に残すユイグの方針に基づくGuy de Cointeの作品からの借用であるそうだ。

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ビデオ作品も所狭しとプロジェクションされる。The Host and the Cloud(2010)には顔面に長方形の板を二枚合わせたようなマスクをつけた人物のみが登場する。非日常的なコンディションにおかれた人間がどのように局面を切り抜けるのか、あるいは切り抜けないのか。実験的作品は、演じる者とユイグ自身のコミュニケーションやインタラクションによって生み出され、作られた話と現実に起こったことの間を行き来するような奇妙な印象を作り出している。

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Zoodram 4(2011) (After the Sleeping Muse by Constantin Brancusi, 1910)では、珍しく美しい蟹を育むエコシステム全体をかいま見ることができる。このカニは、Sea Spider(ウミグモ目)と呼ばれる種類で、この生態系の中では、コンスタンティン•ブランクーシ(Constantin Brancusi, 1876-1957)の眠れるミューズの中でひっそりと隠遁生活を送っている。

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真っ黒のスケートリンクに美女が舞っている(L’Expédition Scintillante, 2002)。

展覧会は2014年1月6日まで続いている。
Site Centre Pompidou Exhibition Pierre Huyghe

10/29/13

nouvelles vagues @palais de tokyo/展覧会『ヌーヴェル•ヴァーグ』@パレ•ド•トーキョー

Nouvelles Vagues @ Palais de Tokyo,
Exhibition of Curation 21人(グループ)のキュレーターによる21通りの展覧会
Palais de Tokyo site « nouvelles vagues »
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近年ますます、まとめ方や全体のコンセプト、配置や章立て、そういったことが一つの展覧会にとって重要な要素として見直され、語られ始めている。とはいえ、展覧会とはやはり、アーティストの作品を見に行くものではなかろうか?これは、素朴な反応である。見せ方がいくら素敵でも、作品が分からないのでは楽しめない。でもふと思い出してみると、全体的によく理解できた展覧会は、長い時間が過ぎた後にも、ストーリーとして、時には感覚的なものとして、それらが記憶されているということもある。
さて、パレ•ド•トーキョーで開催されたNouvelles Vagues(新しい波(複数形))という展覧会は、それはとりあえず、ビエンナーレとかトリエンナーレとかそういった集合展示を見に行くのと同様の心構えで行かないと途中でキレてしまう恐れがある。もちろんガイドブックを買う必要も無いし、つまらんもんは飛び越して行けばいいのだが、どうやって視るにせよ、入り口から出口までの行程自体が非常に長い。幾つかの作品の前で長く足を止めた私は、一番下の地下階から始まって、二回の会場でそれが終了して出口で日光に再び出会うまでに実に四時間弱かかっている。念のため付け加えるが、私は全ての作品を隅々まで入念に視るような几帳面さも持久力も持ち合わせていない、に関わらずである。
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展覧会Nouvelles Vaguesのコンセプトは以下である。
Palais de Tokyoでは、世界中13カ国から集まった21人の若きキュレーター(あるはキュレーション•グループ)による展覧会を開催する。Palais de Tokyoのギャラリー委員会は、この空間を30あまりのスペースに分割し、それぞれのキュレーターたちに一つの展覧会を構想するよう依頼した。この未聞の企画はパリのアート界でも初めての試みとして、現代アートが生れて発表されるこの街に新しい視線をもたらすだろう。このアート企画では、新しいタイプのキュレーターの存在が明らかになる。彼らはアーティストたちの最も近くにおり、そこで才能を発揮する。彼らは各々独立した存在であり、世界を股にかけて展覧会を作り出す。
それは、ギャラリストとも、学芸員とも全く違う。アート市場のルールや組織のルールを始めとする、全てのアカデミズムの規範から逃れて自由である。自由人、オフピストの冒険家、詩的•政治的•美的な環境変化を求めるノマド。彼(ら)は新奇を見つけ出し、即座に配置を創り、そこではまったく異なるアーティストたちが、ある一つの目的、アイディア、ヴィジョンのもとに集まることが可能になる。
何よりもまず、彼らを招待し、展覧会を創造してもらえることを光栄に思う。
今日、Nouvelles Vagues(「新たな波」)はアートの生態において生じつつある変容を明らかにするだろう。
(Nouvelles Vagues Cuide, Édito, Jean de Loisy, Président du Palais de Tokyoより)

さて、4時間分をダイジェストにするというのでなく、Salon de mimiのいつも通りの方法で、つまり、作品から何らかのおしゃべりが止めどなく溢れ出してしまうような表現について、ここに綴り、さらなるおしゃべりの可能性を開いてみたいと考えるのである。さらに今回は、キュレーションという小宇宙が複数存在している展覧会であることを踏まえ、ルートに従って作品を紹介して行きたい。

La Méthode Jacobson by Marc Bembekoff
第一の展覧会は、Palais de Tokyoの最下階にある。薄暗い通路にネオンの絵画、通路を抜けたやや明るい空間にFeiko BeckersのインスタレーションSafe and Sound(2013)がある。そこにあるのは、一辺が160cmもある分厚いコンクリートの板が2枚直角に並置されている、ミニマリストの彫刻風?のものである。その傍らにはアーティスト自らがアシスタントと共に熱心に作業をしている映像が放映されている。アーティストは、アリゾナ州に実験的に造られたユートピア都市Arcosantiの最も典型的なアーキテクチャフォームである、直方体のコンクリート建築への呼応として、手作りのコンクリートを丁寧に造る。Feiko Beckersは、その試行を通じて、現代の奇妙な都市生活:都市の中心で働き、バカンスには一斉に田舎の一軒家に移動して数ヶ月を過ごすという無駄で義務的な人々の大移動にたいして、人間は家の中で安全に過ごすことができ、生きるのに必要なのはたった一つの小さいステュディオだけでいいのだと語る。
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また、同キュレーション内で、Agnieszka Ryszkiewicsは、ポストカードのインスタレーションを発表する。パリに住む若い女性であるPamとTed Colemanというテキサスの牧場労働者の間の親密な手紙のやり取りを、鑑賞者に対して提示する。そこには、彼らの個人的な想い出や、身体性を伴う記憶や物語が綴られている。鑑賞者はそれを目で追いながら、この先も決して会うことのないであろう二人の人間の、語り合う声が聞こえてくるようなストーリーのなかに息をひそめる。
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The Black Moon by Sinziana Ravini
現在2013年9月よりCentre Pompidou(ポンピドーセンター)のGalerie Sudで回顧展を開催しているPierre Huygheもこの展示の中で重要な役割を担う。展示されたのは、Huygheが2009-2010年にかけて撮影したThe Host and the Cloudという映画のイメージである。この映画において、Huygheが描き出したのは、廃墟となった美術館における物語の迷宮、暗闇におけるミサ、ボロメオの分岐点、催眠術とミステリアスな出来事の続く不可思議な世界である。登場する人間たちは、顔面に四角い板のようなマスクをつけてロボットのように列を作っている。

ADA by Ken Farmer & Conrad Shawcross
産業ロボットを組み立てて生み出された、ADAというロボット。1977年生れのConrad Shawcrossは、19世紀ヴィクトリア朝期の数学者エイダ•ラブレス(Ada Lovelace)へのオマージュとして造られた。光と音楽を伴い、幾何学、科学、詩学、論理学に深い関心を抱いていたAda Lovelaceという19世紀の女性。彼女は、詩人バイロンの一人娘として育ち、チャールズ•バベッジとともに世界初のコンピュータプログラムを書いた(解析機関用プログラムのコードの記述が見つかっている)。若くして子宮癌を患ったエイダは、父バイロンと同様に36歳の時、瀉血によって死んだ。
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Artesur, Collective Fictions by Albrtine de Galbert, Isabelle Le Normand, Andrew Berardini, Jesse McKee & Anca Rujoiu
Collective Fictionsの展覧会では、Albrtine de Galbertが若いキュレーターグループに呼びかけを行い、彼らが独自にラテンアメリカの現代アーティストをセレクションして展覧会を構成するという入れ子の構造を作り上げている。それぞれが作品やアーティストを選び、それが最終的にどのように展覧会として完成するか。ここでは、選択する主体自体も複数の人間によって行われていると言う点で、キュレーションとは何なのか、コラボレーションとは何なのか、全体の選択と個人の主観的選択はどうネゴシエーションされるのかという問題を照らし出している。
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Leyla CardenasはPalais de Tokyoの白い壁に刃物で傷をつけて塗料を繊細に剥がしたり木の部分を露にすることによって、2.3m×3.5mの大きな絵画を生み出した。Removido (2008)

Eugenia CalvoのMore Heroic Work(2008)は、新聞女こと西澤みゆきさんのパレードに登場した、シュレッダー•モンスターがまとっていたコスチュームを彷彿とさせる、刻まれた紙の山である。西澤みゆきさんの制作においても、新聞や広告という本来の用途や内容、情報を乗せた媒体をシュレッダーにかけることには象徴的意味を伴う。Eugenia Calvoの場合にも、言葉の山をもはやつかみ取ることのできない細かなフラグメントにまで解体し、それを膨大なヴォリュームとして提示することによって、鑑賞者に途方も無い瞑想を喚起する。それらは解体されて自由になり、風が吹いたなら飛んでゆける可動性を得た。そして意味すらも失った。
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Concert Hall by Jean Barberis
コンサート•ホールと名付けられた巨大なインスタレーションは、足を踏み入れるのも躊躇するような奇怪な外観をしている。多くの音楽家やサウンドアーティスト、メディアアーティストのコラボレーションである本作品は、孤児院から譲り受けた廃品などで楽器を構成し、来客を歓迎して一斉にコンサートを開始する。オートマタや光の音楽装置、プログラミングされた精緻な演奏。細部に渡るまで、彼らが作り出す立体的なコンサートを見回すと、そこにはたった一人の人影もないのに、子どもの話し声や人々の生活の風景が感じられるような気がする。それは、このモンスターのようなコンサートホール全体が、人間の作り出した物やアイディアによって充溢しているからだろうか。
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Un Escalier D’Eau by Natalia Valncia (Curator), Felipe Arturo(Scenography)
Herz Frankが1978年に35ミリで撮影した10分間の映像作品は、闇の中に子どもたちの次々に移り変わる表情を捉える。子どもは大人のそれよりも潤った目を見開き、時には眉をひそめ、口を開け、頬の筋肉を強ばらせたり、唇をすぼめながら、大画面に映し出されるそれぞれの子どもは、誰一人として同じようには反応しない。このショートフィルムは、フランクが10分間のマリオネットの劇を見ている子どもたちの表情を撮影したものである。本来誰にも目にされるはずの無かった子どもたちの表情は、こうして35年後、我々の目に触れることになる。それぞれはもう40代の大人になり、それぞれの人生を送っている。
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Manon de Boerは即興ダンスを踊るCynthia Loemijを撮影した。ウジェーヌ•イザイ(Eugène Ysaÿe, 1858-1931)のヴァイオリンのための三つのソナタを聴く。イザイはベルギーのヴァイオリニストであり作曲家でもあった人物だ。Cynthia Loemijは10分間取り憑かれたかのように音楽を聴き、その音楽は彼女の身体に染み込んだかのように、ダンサーはインプロヴァィゼーション•ダンスを舞う。
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The Real Thing? by Antonia Alampi & Jason Waite
Real Snow White(2009)は、白雪姫のコスチュームを来て、ディズニーランド(ユーロ•ディズニー)を訪れる、という作品だ。アーティストのPilvi Takala(1981年生れ)は、全身完全なSnow White(白雪姫)のドレスをまとってパリの郊外にあるユーロ•ディズニーを訪れる。入場のためにその他の客と共に列を作っているところに係員がやってくる。彼女はフランス語が分からないというと、係員はたどたどしい英語で、白雪姫のコスチュームを来たままでは、他の客が「ホンモノの」白雪姫と混乱してしまうから入場できないと言う。子どもたちは、ヒロインたちのコスチュームを着てるじゃない、とまわりの少女たち(白雪姫のコスチュームを来た少女)を見ながら訴える。係員が苦心していると、彼女のまわりに子どもやその母親が集まってきて、「とてもキレイ、本物の白雪姫だ!」といって写真やサインを求める。彼女はそれに応じる。やがてもう別の女性スタッフが憤りをあらわにしながら、彼女に即座にトイレで着替えてくるように言う。するとまわりの子どもや家族連れは、「なんだ、偽物か」といって騙されたことに憤慨し、その場を去って行く。中にはそれでもサインを求めたり、写真を一緒に撮ろうとする者もいる。彼女は結局、訴えも虚しくトイレに連行されて、白雪姫のコスチュームで入場できなかった。それは彼女が、ディズニーランド内のどこかにいる、「本物の」白雪姫を脅かしてしまうからである。
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本キュレーション »The Real Thing? »は、1960年代、東京のギャラリーにおいて発見された風倉匠の全裸不動のパフォーマンス、その日本における前衛美術家の実験的表現に着想を得ており、とりわけ風倉匠が自身のアクションをしばしば »The Real Thing »と名付けていたことに由来する。ここでは、Pilvi TakalaのReal Snow Whiteを始めとして、リアルとフィクションの境界を可視化あるいは不可視化するような作品群が提示される。

最期に、Henrique Oliveiraによる、Baitogogoの麓を歩いてみることにしよう。サンパウロ在住の画家、彫刻家である Henrique Oliveiraの壮大なプロジェクト、巨大な木彫刻である。Palais de Tokyoの一部が、うごめき、変形する。それは確かにかつて見たことの無いもので、驚きと呼ぶものである。
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09/24/13

奇形魚のクッキーを食べて、食べ物のことなどを思う。/Deformed fish cookies @Société de Curiosité

奇形魚のクッキーを食べて、食べ物のことなどを思う。

audio « fish cookies short version »


fish cookies short version

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今週末、9月28日土曜日、夜、パリの北のほうでパフォーマンスをする。
パフォーマンスといっても私はバターを泡立て小麦粉を混ぜて、大きくのばした生地にこまった魚の型をとり、それらをオーブンに入れて魚のクッキーを焼いて、イベントを訪れる人々にクッキーはいかがですかと、たずね回るかあるいは、デフォルメされたお魚の下手くそな絵をクロッキー帳に描いてみるのみである。おどったり歌ったりすることもなければ、素敵な詩をフランス語や日本語で吟じたり、オカリナを吹いたりもしない。そこでおこるのは、ココアやお茶の香りのする、何よりもまずフランスの恵まれた大地でのっしりと育った牛の巨大な乳によるバターの臭いのする、焼き菓子がふるまわれ、それを手にした人々が食べるという、それだけのことである。

それだけのことであるゆえに、ぜひ来てほしいと思う。

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人生には、忘れたくても忘れられないことが時々起こる。たいていのことは、年齢を重ねるに連れてどうでもよくなって、完全に忘れてしまうか、無関心になる。その瞬間には非常に悲しかったことも、非常に大切だったことも、時が流れるというサラサラとしたその働きによって、悉くどうでもよくなる。それでも時には、時に流されない強烈な感情に出会う。矛盾したことのように思えるが、じつは、強い印象というのは、たったひとつの感情によっては決して引き起こされない。そういったものは、それが怒りであれ、悲しみであれ、実はだんだん遠のいて行ってくれる。消えないのはそれがなんであるか、いつまでもはっきりと分からないような感情なのだ。

2年前の3月に東北の震災があったとき私は既に外国で暮らして一年半くらいが経過していて、それはとても中途半端な時期であった。新しい生活の場で人間関係を築きつつもそれは依然としてしっかりとしたものではなく、フランスという国の生活をすこし理解したような気もするが一方で日本にいつでも帰りたいと思えるような、そんな引き裂かれた気分で鬱々と朝から夜、夜から朝を迎えていた。ある日震災がおこり、その後はどこに行っても誰に会っても、日本の被害の現状と放射能問題について情報と意見を求められた。来る日も来る日も異なる人から同じ質問を受け、ときには私が将来日本に戻る気があるのかどうかといった質問を真剣に投げかけてくる人も会った。私は疲弊して、外に出るのも人に会うのも嫌になった。そんな中、たくさんの人と協力して一回目のチャリティーコンサートをムードンの教会で実現した。司祭さんも承諾してくれ、日本人の多くの音楽家が一生懸命練習した。地元の方にも来てもらうことや一緒にコンサートを行おうと言う主旨で、地元合唱団が協力•参加してくれることになった。私はこの日、抹茶のクッキーを差し入れに焼いて持って行った。彼らは喜んでくれた。一人の年配の女性合唱団員が、クッキーを配る私のトレーが目の前にまわってきたとき、「このクッキーは、放射能汚染されてないの?」とたずねた。私はどのくらいのあいだ、言葉を失っていたか思い出せないが、おそらく数秒の思索ののち、その女性の質問にはウイ、ノンで答えなかったのではないかと思う。私は演奏会開始前にものすごい泣いた。演奏会は、弦楽器、管楽器の演奏者、ホルンアンサンブルのグループ演奏、どの演奏者もすばらしかった。合唱団の連れてきたオルガン伴奏と共演のトランペット奏者の演奏が誰の耳にも分かるほど際立ってめちゃくちゃで、演奏途中に止めようとしたくらいであり、私は演奏会終了後も疲れるまで泣いた。

この年配女性の放射能汚染クッキー疑惑は、耳を疑いたくなるのは私たちが感じやすい日本人であるからで、ちっとも珍しいことではない。(誤解しないでほしいのだが勿論、この女性の無神経さを批判するフランス人もたくさんいる。)先ほど、あまりに日本の状況を尋ねられるので疲弊したと言ったが、それには時々まともに受け止めきれないヘイトスピーチの類いも含まれていた。日本は綺麗な国だったけど、もう汚染されているので旅行できない、日本の製品は買わない、レストランのしょうゆは汚いのではないか、できるならせっかく外国にいるあなたたちは帰らないほうがいいのではないか。

奇形魚のクッキーは、美味しい。これらのクッキーは、フランスのバターと小麦、そして卵、および、フェアトレード製品のみで作られている。基本的にビオの品物からなり、一般的に身体にいいと信用されているものから作られている。食物の安全性と衛生、生産地がどこであるか賞味期限はいつまでか、どのようにどこでだれに加工され、どのようなルートで誰の手を伝わって、どんな風に保存され、洗われ、何と共に調理されて我々の体内に忍び込もうとしているのか。国産の商品は国によってそれを買うように奨励されており、フェアトレードの商品はフェアトレードのマークによってその安全性を保証されて、それを購入し食することは特定の国や人々を経済的に助けることに繋がるという意味を与えられて、購入するように奨められている。

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高嶺格さんの作品『ジャパン•シンドローム』の中に、非常に印象的な一節があった。福島産の桃には値がつかないというので、桃農家の人は仕方ないので非常に安い価格で販売されているのだが、あるいは、とれた桃は置いておいても腐ってしまうというので、ただで与えられており、一人の消費者が「お金を出してはぜったいに買わないが、ただなら」といって持って行ってしまうくだりだ。(うろ覚えの部分があって細部が厳密には違うかもしれない)買わないが、ただならもらってやるというのである。結局は、食べるということだ。この消費者は食に困るほど金がないわけではない。ここにきて、食の安全という前提と信じていたものが、いとも簡単に壊されるのを目の当たりにし、戸惑うのはとうぜんである。戸惑うのは、作品をみる我々だけではない、本当の情報というものがどこにあるのかあるいはどこにもないのか、分からないのは被災地の人々も同じだ。

日本を囲む海の周りで、奇形魚が増え始めていると言う情報、それらを我々がどこかで口にしているかもしれないという情報、それらが放射能被害であると言う情報、それらは養殖によるもので過去と比べて変化などしていないという情報、現にセシウム値が異常に高いという情報、そんなもんはデタラメだという情報。なせ我々は、こんなにたくさんのことを知り、たくさんの情報を受け止め、たくさんのことを学んでいるにもかかわらず、なにひとつ本当らしいことを知ることができないのだろう。

魚のクッキーはおいしいと思う。
だから、みんなで食べましょう。
28日の夜、イベント会場@Société de Curiosité, 123, rue de Clignancourt 75018, Paris でお待ちしています。

Je participe à l’événement Human Frames @Société de Curiosité, Paris le 28 septembre 2013. Venez nombreux pour partager le moment délicieux et inquiétant avec les cookies en forme des poissons déformés. Voici ma lettre.

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Deformed Fish Cookies

We are very sensible and nervous about
our foods’ safeness, hygiene and origin.
It sounds very reasonable for our health.
However,
Food production process is very visible to us ?
Not really.
It’s still in the darkness.
The fair trade is good
for helping developing countries financially.
These products are supposed to be well controlled, safe and delicious.

Radioactive contamination for foods in Japan is serious.
2 years after the Fukushima plants’ explosions,
deformed fishes are found in the sea.
You will reject buying these fishes.
Many fishers lost their jobs.
If they give you fishes,
will you have them ?
otherwise,
in order to help poor fishers,
can you purchase these deformed fishes ?

It’s a question.

What do you react
if someone ask you to buy strange foods
« to HELP PEOPLE IN DIFFICULTIES » ?

I hope your deformed fish cookies please you.

Miki Okubo

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Cookies de Poissons malformés

Nous sommes tous très sensibles à
la sécurité, l’hygiène et l’origine des produits.
C’est logique pour notre santé.
Cependant,
Les processus de fabrication alimentaire sont-ils vraiment visibles ?
Non, pas vraiment.
Ils sont dans les ténèbres.
Les produits équitables sont bien
pour aider les pays en voie de développement.
Ces produits seront bien contrôlés, en sécurité et bons.

La pollution radioactive de l’alimentation au Japon est grave.
2 ans après les explosions nucléaires de Fukushima,
les poissons malformés se trouveraient à la mer.
Vous refuseriez d’acheter ces poissons.
Les pêcheurs ont perdu leur métier.
S’ils vous donnait ces poissons,
les vous-prendriez?
Sinon,
pour aider ces pauvres pêcheurs,
achèteriez-vous ces poissons malformés ?

Ceci est une question.

Que feriez vous
si quelqu’un vous demandait d’acheter la nourriture non-conforme
« pour AIDER LES PERSONNES EN DIFFICULTÉ » ?

J’espère que les biscuits de poissons vous plairont.

Miki OKUBO

09/14/13

55th La Biennale De Venezia Part4 / 55th ヴェネチア•ビエンナーレ No.4

55th Biennale de Venezia  part 4

 part3では、Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceにおけるドローイングとペインティングに焦点を当て、Daniel Hesidenceの様々なスタイルを越境する抽象絵画、オーストリアの画家Maria Lassingが »Body Awareness Painting »と呼ぶところの奇妙な身体イメージの絵画、自らが手に取るように自然を再構成しながら描くLin Xue(林雪)の竹を使った繊細なドローイング、また、Hans Bellmerのサド侯爵の引用による版画では性倒錯の想像力と両性具有の自己充足的な身体が描かれている。Ellen Altfestは描かれ抜いてきた女の裸体に目もくれず、男の裸体を隅々まで描いて鑑賞者の目を奪った。

part4では、Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceを離れ、88カ国が参加した各国のパビリオン展示について、ダイジェストのダイジェストを紹介したい。ちなみに、フランス館(ドイツ館の建物を利用しての)におけるアンリ•サラのRavel Ravel Unravelは別の記事(アンリ•サラ、フランス館)において紹介しているので、そちらを参考にしていただければと思う。

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Greece Pavilion/ギリシャ

欧州債務危機まっただ中のギリシャでは、マネーに関わる映像作品が上映された。このことは様々な意味で真っすぐな問題提起であるのだが、そこには言うまでもなく、社会的あるいは政治的立場、利害関係、価値観、世代や出自によって支配される相異なる主張を持つ個人が重なり合いながら生きている。
ギリシャ館のアーティストに選ばれた、Stefanos Tsivopoulosは1967年から7年間続いた軍事政権や冷戦時代のギリシャを包み込んでいた世界的な文脈にもういちど疑問を投げかける。ある非常に豊かな環境にうまれた人間が一生涯にわたって大きな困難を経ずに豊かな生活を送り続けることがあるのと同様の理由で、一つの国が歴史の中でしばしば困窮し、破綻の危機に陥るようなことも、原因をその国の内側に求めるようなことは殆どが的外れである。
Stefanos Tsivopoulosは、3つの異なる部分から成る映像作品において、人間関係形成において金銭が演じる役割、そして金銭の所有を巡る政治的•社会的な諸要素について三人の人物の経験に焦点をあててこれを明らかにする。

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目に留まったのは500euro札を次々に折り紙にして、完成した折り紙の花に茎を付け、花瓶に追加して行く年老いた女のイメージだ。女はひたすら折り紙の花を折っていおり。丁寧に折っては、水の入っていない大きな花瓶に追加して行く。使っているのは500ユーロあるいは200ユーロ札という金額の大きな紙幣ばかり。女は熱中していて、花が出来上がると嬉しそうでもある。老女は城のような家に住み、家には人気も無く、家族もない。出来上がって行く花の山は、ただの折り紙の塊だ。女の価値観はひょっとすると既に破壊されていて、この女にはそのような物差しが無いのかもしれないとも思う。しかし、女は紙幣を大切に閉まってある場所から取り出す。あるいは不意の電話を受けたのち、急に切羽詰まった様子で丁寧に折ったたくさんの花束をゴミ袋に突っ込み捨ててしまう。この女は、それが金であるということはわからないにせよ、それが彼女の家を一歩出た世界では、尋常でなく重要な物で、それが自分の身に危機的状況を作り出しうるということをいずれにせよ、忘れることができずにいるのだ。

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Israeli Pavilion/イスラエル – Gilad Ratman

イスラエル館のアーティストに選ばれたGilad Ratmanは、盛大なパフォーマンスを行った。Ratmanは、言語や国籍、国家や政府によって規定され、一見それが普遍的な人間の行動パターンや現在性にまつわる強迫のモデルを形作っていることに対して疑問を投げかけるような表現を行っている。それらを取り去った原始的なジェスチャーやコミュニケーションのあり方に立ち戻ることによって、既存のシステムを異なる視点で見始めるための提案をしている。
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第55回ヴェネチア•ビエンナーレでは、人々のグループをイスラエルからヴェネチアに旅行させるというワークショップを提案した。洞窟の中を進んで行けば、それが地下深い洞窟ならば、言葉の壁も、国と国の境界線も無いはずである。そのときには、政治の壁も宗教の壁も、ない。文明以前の小さな人々の共同体として生きてみるというアイディアは、前社会的、前言語的な想像的世界において、普段当たり前でぬぐい去ることなどできないと信じていたものを人々が一斉に失うという経験を作り出した。
想像上のヴェネチアまでの旅行をした一段は、イスラエル館に到達し、そこで粘土でこしらえた自分の像に向かって、前言語的な声によって話しかける。それは直接的な感情や意志の本質のような音を奏でながら、だんだんと高揚して叫びのようになるものの、他者には共有されがたい。それは、しかし、重なり合うことによって「音楽」と呼べるものになる。
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Georgian Pavilion/グルジア Kamikaze Loggia/カミカゼ•ロッジア

ポーランド出身の女性キュレーターであるJoanna Warszaが今回のグルジア館をオーガナイズした。Gio Sumbadzeがデザインしたこのロッジは、カミカゼ•ロッジアと名付けられている。作家たちによって作られ、生活できるよう家具も手作りされ、彼らがともに食事する場となり、オープニング時にはパフォーマンスも行われた。グルジア語でკამიკაძე(神風)だが、この名前についてKamikazeの-azeはグルジア人の名前に多いのだそうだ。だが、このグルジア館が、アルセナーレの多くの国のパビリオンが一通り並び終わった後に、1990年代末、ソヴィエトが崩壊した後に住居スペースを広げるために盛んに建てられた違法建築という形態をとって併設されていることを考えると勿論კამიკაძე(神風)のコノテーションを意識させるのが目的だと思われる。これまで、メイン会場の敷地内にパビリオンとしてではなくこのような建物を造った国は初めてである。ソヴィエト崩壊後、無法状態に置かれた国の記憶や、崩壊以前に中途半端に残された土地計画の遺物、様々な政治的、宗教的、民族的衝突の記憶を、十分に明確な形で訴えている。
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 Portugal/ポルトガル

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ポルトガルはメイン会場にパビリオンを持たない。パビリオンを構えることも、何ヶ月も続く会期中ヴェネチア内の展示空間を借り続けることも、大航海時代を制したポルトガルにとっては魅力の無いことであるに違いない。ポルトガルパビリオンは、海の上に浮かぶ。毎日クルージングにも出かける。ヴェネチア共和国は15世紀最強の海軍を持つ都市国家で、大航海時代のリスボンもまた多くの遠征隊を送り出し、交易の中心として栄えた港町であった。船全体に行き渡っているのはジョアンナ•ヴァスコンセロス(Joana Vasconcelos)の温かく不思議な世界だ。ヴァスコンセロスは、2012年、ヴェルサイユ宮殿の現代アート展示に最年少女性アーティストとして抜擢され、宮殿をオブジェで染めた。その時の様子はsalon de mimi過去記事にも記録している。ヴァスコンセロスは、ヴェルサイユでみたようにタンポンや料理用具、エクステンションといった女性的アイテムを作品に積極的に用いるし、その性の意味を描くのに長けた作家だ。この船も、外観は、港都市として反映したリスボンの歴史的威厳を感じさせるにも関わらず、その内部に一歩足を踏み入れると、くらい中に温かく丸い毛糸製のオブジェが光っており、その穏やかでぬくぬくした感じは、母の子宮につつまれた記憶を想起させる。
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Angora Pavilion/アンゴラ館

アンゴラ館はご存知のように、参加型の展示が高い評価を受け、ルアンダ•エンサイクロペディック•シティ展が金獅子賞受賞を獲得した。安定してパビリオンを構える豊かな国々が獲得することの多い金獅子賞受賞によって、当然メイン会場外であるにもかかわらず、アンゴラ館は予想を上回るヴィジターを迎え入れることに「なってしまった」。写真作品が大量にコピーされて、それを鑑賞者が自由に持ち帰れるというアイディア自体は無論ちっとも新しいアイディアではない。ポスターや新聞、ビラのような印刷物がインスタレーションになっていると同時に自由にそれを持って帰れるスタイルは今日なかなか人気がある。勿論、ルアンダ展が評価されたのはそれだけではないのだが、とにかくそういった「態度」に注目が集まったことは確かである。
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実はこのアンゴラ館、8月上旬には既にこのもてなしをやめてしまった。というか、ファイルも写真のコピーもすべて有料になってしまった。中の写真を全て持って帰ると総額40ユーロほどにもなるらしい。繰り返すが、コピーである。
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訪れた際アンゴラ館で働く人と少し話をする機会があったのだが、アンゴラ館の方針転換の理由は簡単で、予想外のヴィジターが詰めかけたことによって予算を上回って写真のコピーがはけてしまったのだ。
壁にはイタリアのルネッサンス絵画がギラギラとした額に収められて飾られている。そのパレスの床には、そのヒエラルキーと言おうか、経済的状況と言おうか、そういったことを象徴するようにして、ルアンダの街角で撮影された、置き去りにされたモノたちの写真の大きなコピーが積み上げられている。
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 Japan Pavilion/日本館

日本館では、田中功起さんの抽象的に話すことー不確かなものの共有とコレクティブ•アクト展が高い評価を受けた。協働とはなにか、抽象とはなにか、を問うパフォーマンス作品はその各々は非常に興味深いものである。キュレーターの蔵屋美香さんとともにアーティストがコンセプト「抽象的に語ること」の出発点とした震災との関わりは、非直接的体験であるそうだ。アメリカで活動するアーティストであること、日本の土壌で震災を経験していないということ。私自身、震災の2011年当時すでに海外での生活が2年目を迎えていたので、震災を日本という国の中でその瞬間もその後も経験していないということが如何なることか、分かっているつもりである。それがどのように問題を具体的に扱うことを自問させ、不安を掻き立てるかということも。
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この展示については、コレクティブ•アクトの意味である「協働」が重要な概念として照明が当てられ、それが重要なのは「一国では解決できないも問題が山積みの今日にふさわしい」からだと説明される。私は、抽象的なアプローチに対する、このあまりに安直な説明が嫌いである。先日開催が決まった東京オリンピックに関する、日本の最終プレゼンテーションをポジティブに評価する折に語られるロジックと同じものである。

抽象的に語るのは、問題を解決できないからではない。問題を解決するためである。

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09/8/13

55th La Biennale de Venezia part3 / 55th ヴェネチア•ビエンナーレ no.3

 55th Biennale de Venezia  part 3

 Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palace

パート2では、人形/彫刻とインスタレーションに着目し、Paweł Althamerによるプラスチックテープの90人のヴェネチア人、繊細な作風で想像上の生き物の世界を表すShinichi Sawadaの陶器彫刻、サイズやプロポーションを異化することによって見る人の印象を変える彫刻を作るCharles Ray、Paul McCarthyの子どもの解剖学のための巨大ぬいぐるみ、女性のアイデンティティや家庭での立場を問うCathy Wikesのインスタレーション、日常に潜む生と死を描いたRosemarie Trockelの表現、そして、小さな人形を作り続けたMorton Barlettの想像上の家族たちを紹介してきた。
パート3では、ペインティングとドローイングについて紹介したい。

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Daniel Hesidenceは1975年アメリカのAkronに生まれる。彼の抽象画にはArt Informel(アンフォルメル)からの強い影響が見られ、視覚的情報から意味を抽出し、彼独自の哲学的考察とそれを詩的な方法で表すということをテーマとしてきた。プリミティブな洞窟絵画からモダニストの抽象表現までを視野に収め、それらの重なりから浮かび上がるイメージは、時代も色も形も、ただ一つの意味において確定することができない。Il Palazzo Enciclopedicoでは、Untitled (Martime Spring)が提示された。そこには何層にも重ねられた距離や深さ、異なる固さが混在し、溶け合っているのだが、キャンバスの宇宙の中にもういちど再構成されて調和しているようでもある。

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Maria Lassingは1919年生れのオーストリアの画家である。ヴェネチア•ビエンナーレには1980年にも参加しているほか、1996年にはポンピドーで回顧展も行っている。彼女の絵画の特徴は、一貫して、肉体が持っている意識に着目して、セルフポートレートを描き続けているということなのだが、彼女自身はそれを »body awareness painting »と呼ぶ。絵の中の彼女はいつも裸で、髪の毛もなく、年老いた肉体として描き出されているのだが、色彩も表情も全く奇妙である。drastic paintingのシリーズであるDu oder Ichは両手に持った銃の一方を自分のこめかみに当てながらもう片方はこちら側にはっきりと向けているLassingが描かれている。あるいは、Mother Natureにおいて彼女は森や動物、虫たちを両手に持ち頭部の髪の部分が自然と一体化している。いずれの絵画も背景が描かれず、非常に静謐としたムードを持つ。

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Lin Xueは1968年生れ、香港出身の画家である。彼の特徴である細かいドローイングは、先を尖らせた竹に墨をつけて描くことによって実現する。生態系における動植物のあり方を自分自身が山に入って行く経験をもとに紡ぎだして行くためには、この方法がもっとも基本的で根源的なやり方であると作家は信じる。竹で描く選択も、非常にリアルな細部も、この作家の自然への態度を反映している。今回のヴェネチア•ビエンナーレに彼が発表した作品はNature’s Vibration(振動する自然)。彼が自分の肌で確かめた生ける自然の相互にネットワークを築き上げている様を想像的に描いている。自然は彼によって分断され、再度複雑な塊に再構成される。結びつき合ったあたらしい「自然」は、エネルギーをその中心に帯び、その波は視る我々にも届きそうだ。

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Hans Bellmerのドローイングについて、敢えて何かを言うのは滑稽であると感じて止まない一方、だとすればそれらはそんなに明らかなのかと言えば、そういうわけでもない。ハンス•ベルメールは1902年生れ1975年に亡くなった。1934年にナチス政権下のドイツで、等身大人形を発表し、その写真集『人形』を発行する。これがパリ•シュールレアリズムの芸術運動に受け入れられる。後にはそれを発展させて球体関節人形を作成し、1957年、著作『イマージュの解剖学』を記す。今回出展されたドローイングは1968年に作成された版画、Petit traité de moraleで、Marquis de Sade(サド侯爵)から着想を得た。ベルメールは日本では、現在も球体関節人形や、リアルドールのイメージがその上に重ねられてきたので著名であるが、身体の分解や部分的な複製、性倒錯の主題はベルメールの独創性を示す指標でも何でもない。傷ついた身体萌えや廃墟萌え的な想像力の普遍性をむしろ明らかにする。人形や版画という形での「作品」、そのオブジェとしての再現度の高さが彼を結局は著名にしたのではないか。

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Ellen Altfestは、ハイパー•リアリストの画家で、静物画は、風景画に加え、肉体労働者の男性の裸体を描き続けている。最近パリのFondation Cartier pour l’art contemporainで展覧会を行ったRon Mueck(Ron Mueck exhibition review)のように、彼女は肉体を毛穴と毛と皺の一本まで描く。ありのままに描くということは、逆説的なことで、飼いならされた鑑賞者である我々は、しばしば描かれない見慣れないものを見つけるとむしろそれに着目してしまう事態に陥る。産毛やホクロ、皺やシミ、膨らんだ腹部や垂れた皮に目がいく。それは彼女の戦略通りだ。歴史の中でさんざん描かれてきた女性の裸に人々は免疫と知識とステレオタイプな鑑識眼を持っており、その一方で、男性の裸体にはひょっとするとナイーブなのである。彼女は、アトリエで男の裸を描く。しばしば毛むくじゃらの胸部や腹部、背から尻、あるいは男性器をその細部まで描く。我々は目を開けながら実は殆ど何も見つめてはいない。

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 次回は、各国パビリオン展示について、ダイジェストのダイジェストを書きます。

 

09/1/13

Cheveux comme symbole de femme ? / 女たちの髪について

「髪は女の命」は、洋の東西を問わず、さらに古今も問わないらしい。だが、私自身、これまでの人生の中で「髪の毛」にはあまりいい想い出がなく、それをうまく手なずけたこともなければ、それを社会的•戦略的利用に成功したことも、それによって恩恵を受けたことも特にない。どちらかというとそれは、子どものときには「いい子だったら髪を伸ばしていい」とか「悪い子だからショートにしなさい」など、従属をコントロールさせるアイテムとしての役回りを果たし、あるいは思春期の時にはそれは、この世でお天気の次に手に負えないもの」として縮毛矯正だか脱色•染髪•トリートメントだかに金をつぎ込まされる。そして年齢を重ねてそんなことも全てどうでもよくなり、嫌いだった美容院にもついに殆ど赴かずに済むようになった現在ですら、社会生活におけるストレス(?)やおそらくは栄養状態に起因する過剰な抜け毛によって「いったいこんなに毛が抜けて、私は明日の朝にはどんな姿になってしまうのか」という脅迫に日々付きまとわれている。

私が述べたこれらの想い出や強迫など、過ぎ去った時代を生きた女性たちが経験した数えきれない暴力のまえにはゴミみたいなものだが、現代人が伴って生きている「髪の毛の意味」というのは、彼女らの生きた時代のそれとさほど変わらないのであり、なるほどたしかにそれは、人々が気にすれば気にするほど重要な意味を担い、皮肉なことに、それを転覆させようと執着すればするほど、決定的な存在となる。こうして髪の毛は現在もなお戦略的アイテムであり続けている。

セーヌ川沿いのプリミティブな美術を扱うケ•ブランリ美術館(Musée Quai Branly)は2006年に開館した新しい美術館で、アフリカ、アジア、オセアニア、ラテンアメリカの文化や芸術に関し、30万点にもおよぶコレクションを保持し、数々の企画展が行われている。そこで、2012年9月から2013年7月まで開催された展示『CHEVEUX CHERIS(愛しの髪の毛)』を見学した。Musée Quai Branlyが提示する「愛しの髪の毛」の意味はシンプルにカテゴリー分けされている。個人のアイデンティティとして、あるいは個人のスタイルを決めるものとしての髪型や髪の色は、人類学的な観点から重要である。個人主義の時代のオリジナリティの主張の役割を担うのはもちろんのこと、それは、日本のような民族的多様性に乏しい社会においてよりも、ヨーロッパやアメリカにおいてよりラディカルな意味を持ってきたのであり、現在もなお持っている。あるいは、それは時に、一人の人間が生の記憶として、長年にわたって遺族や恋人によって大切にされる。さらには、これらの意味を担った髪だからこそ、戦利品/トロフィー、あるいはその象徴として利用される運命に晒されてきたという事実もある。戦争でどれほどの敵を殺したかを量的にしめすこと、ある社会において女の重要なアイデンティティである髪を見せしめのために剃り落とすこと、さらに胸を悪くするのは、こうした意味を逆手に取った女性自身による自滅的なパフォーマンスを目の当たりにしたときである。

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さて、展示された「髪」のいくつかを見てみよう。一つ目は、有名なエクアドルのヒバロ族のShuar(ツァンツァ)。これは、首狩りの風習にしたがって、殺した敵の首級を持ち帰り、乾燥させる(乾首)にしたもの。ヒバロ族の乾首には本来的に宗教的意味があり、殺された人間の頭部を束縛することによって、霊魂を鎮め(復讐の霊はムシアクと呼ばれる)、ヒバロ族に服従させる意味を持っていたとされる。

Tête réduite Jivaro, Shuar, Equateur

Tête réduite Jivaro, Shuar, Equateur

Jean-Jacques LebelのコレクションであるEmma(1900年ころ)で、André Breton(アンドレ•ブルトン)がSaint-Ouenの蚤の市で購入し、友人のLebelにプレゼントされたものである。見も知らぬ一人の若い女Emmaが死んだ時(あるいは何かのきっかけで)、おそらくはその形見として彼女の家族に与えられたものであろう。髪はここでEmmaのヒトガタのように在る。

Emma, relique, circa 1900

Emma, relique, circa 1900

また、荒木経惟の『無題』(1940年)では、荒木の写真において女たちがしばしばそうであるように、あたかも我々の知る世界ではないような奇妙な様子で一人の女が提示されている。長く美しかったであろう黒髪は、湿ったまま容赦なく切り刻まれて、裸の女の体中にまとわりつき、女は表情をひとつ変えていないが、あるいはもはや生きていないかのように見える。一方で散らばった黒髪は、その塊が女の身体を這うようにしてうごめいているようにすら見える。

Nobuyoshi Araki, Untitled

Nobuyoshi Araki, Untitled

 

Robert Capa, 1944

Robert Capa, 1944

次の写真は、フォトジャーナリストであるRobert Capa(ロバート•キャパ, 1913-1954)の撮影した写真のうちでもっとも重要な仕事のひとつで、1944年8月18日、シャルトル(Chartres, France, パリ南西)における出来事の一部始終を収めたものである。赤ん坊を抱えた一人の若い女(当時22歳)が、軍人によって、多くの観衆が見つめる広場の方に連行されている。広場の地面には黒っぽい塊が、幾つも落ちているのが見える。この日ここで行われたのは、ドイツ軍人と関係を持ち、ドイツ軍人との子どもを出産した女たちの「剃頭」という「見せしめイベント」である。女たちはここで人々が残忍な好奇心で見つめる中、丸坊主にされて、彼女らの幼い子ども共にシャルトルを追われた。当時の女性たちにとっての髪がいかなる意味を持っており、それを人前に晒されて剃り落とされることがどれほどの辱めであるか、敢えて言うまでもない。二枚目の写真には、剃髪後、足早に歩く彼女を囲む、人間の残忍性が克明に写されている。ののしるもの、惨めな剃髪姿をあざ笑うもの、憐れな者を見て見ぬ振りしようとする者、その全てがこの一枚の写真に現れているのである。

Robert Capa, 1944

Robert Capa, 1944

この女性は、ドイツ軍人の子どもを産んだ罪によって二年間のシャルトル滞在権の剥奪ののち、この地に戻り、その20年後の1966年に亡くなった。女性は精神を病みアルコール中毒に苦しみ、44歳の若さで生涯を閉じた。女性が公衆の面前で受けた辱めは、ドイツ軍人の子どもを産んだことに由来する。それ以上でもそれ以下でもない。その妊娠が女性の望むものであったのか、社会はそのことを全く問わなかった。女は、誕生した新しい生命を中絶せずに産み落としたということによって殺されたのだ。

まだ記憶に新しいことだが、日本のアイドルグループAKBのうちの一人、峯岸みなみがグループの暗黙のルールである「恋愛禁止」に違反して、異性と関係を持っていたことについて、「坊主頭」によって「ファンや関係者にたいする謝罪」を行ったことがたいそうスキャンダルになった。断髪後に撮影されたビデオがyoutubeなどにアップロードされ、その様子はマスメディアを通じて報道された他、動画の再生回数は合わせると数十万回に及ぶと見られ、ウェブでもテレビでも多くの人がこれについて議論した。この「謝罪」が尋常でない拡散力をもっていたのは、上のシャルトルの女の最悪な「見せしめイベント」を、多くの観衆が残忍な好奇心によって見つめた人間の性質とまったく同じ構造をこの「謝罪」が利用しているからである。私はこの行為自体については、純粋に、戦略的であると思う。その一方で、Robert Capaがカメラに収めた「見せしめ」は言うまでもなく氷山の一角で、歴史上数えきれない。それを憐れに思うにせよ、無関心であると言うにせよ、こんな「謝罪」のビデオを見入るという行為はまさしく、おしなべて、そういったシステムに支配されているその証拠なのだ。

08/26/13

Mike Kelley @Galerie Sud, Pompidou / マイク•ケリー @ポンピドー

MIke KELLEY
2 mai 2013 – 5 août 2013
Galerie sud – Centre Pompidou, Paris

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Mike Kelly マイク•ケリーは、アメリカの現代美術家である。1954年にデトロイトで生まれた。1976年、ロサンゼルスのCalArts(California Institue of the Arts、カリフォルニア芸術大学:実験的で前衛的なアプローチとJohnMaldessariやLaurie Andersonなどの教員がおり、国際的に高い評価がある)にて学ぶ。また、カウンター•カルチャーの精神に基づき、パンクやパフォーマンスアートに興味を持つ。1977年、トニー・アウスラー(Tony Ousler)とThe Poeticsというグループを立ち上げる。1980年代以降、ぬいぐるみを利用したオブジェとインスタレーション、その後ビデオ作品で著名になり、ドクメンタ10(Documenta10, Kassel)に出展する。日本では、1996年には東京のワコウ・ワークス・オブ・アートで個展(新作展)が開催されたほか、2008年には横浜トリエンナーレにも招かれ、トニー・アウスラー(Tony Ousler)とのコラボレートによるインスタレーション The Poetics Projectを発表した。2000年代末以降Kandor 15(スーパーマンの空想都市)に関する作品を精力的に制作し続け、昨年、2012年1月、ロサンゼルスで57歳で亡くなった。

from Tony Oursler, The Poetics Project, 1977-1997

from Tony Oursler, The Poetics Project, 1977-1997

マイク•ケリーの表現手段は多様だった。彼のラディカルで時にスキャンダルであった表現はしばしば、彼なりの哲学的考察や心理学的な問い、文化的博識であったことに基づく。デッサン、絵画、彫刻、インスタレーション、パフォーマンス、オブジェやビデオ作品。そこに散りばめられたエッセンスははっきりとそれがマイク•ケリーのものと同定できる印象を与えながらも、一義的説明を拒絶するように、それらは混沌として立ち現れる。大衆文化と対抗文化が入り交じる。社会をブラックユーモアを通じて描き出す。子どもの世界におけるタブー、そして、セクシュアリティにおけるタブー、あるいは、既存の学校教育への強烈なアイロニー。記憶の片隅にあるトラウマ、抑圧された想い出は、断片化されて、文脈も秩序もなく提示される。それらはおそらく「不気味なもの」(Das Unheimliche)と呼ぶにふさわしい。なぜ人々は、彼が1980年代以降しきりに制作し始めた、使い古しのぬいぐるみをつかったオブジェやインスタレーションを、「フェティッシュ」あるいは倫理に反するといって批判したのか。その声は90年代にはスキャンダラスなまでに高まったのだ。ひとまずは、タブーを扱い続けるマイク•ケリーの表現に対して、目を当てることの出来ない偽善的市民の正直な声であったと言っても良いだろう。偽善的市民と言ったのは、現代社会がそれまでの社会とは異なるフェーズに直面していることを知っているにも関わらず、彼らの子どもを取り巻く世界に、まるでこれまで通りのルールが通用するかのように、それを押し付けたのが彼らだからである。しかし、彼らが血眼になってマイク•ケリーをバッシングした本当の理由は、隠すことによって噓の心の平安を得ていた「ひずみ」を彼がつぎつぎに浮き彫りにすることを恐れたからだ。その「ひずみ」は、彼らが子どもに見せたくなかったものでもあり、彼ら自身が子どもであった時分に親との関係の中で「タブー」として必死に見てみない振りをしてきたものだったのだ。人々は「不気味なもの」を恐れる。

Extracurricular Activity Projective Reconstruction #25 (Devil's Door), 2004-2005

Extracurricular Activity Projective Reconstruction #25 (Devil’s Door), 2004-2005

さて、本展覧会は大規模な回顧展であり、2012年に死んだアーティストに代わって、必ずしも時間軸を真っすぐ辿るのではなく、彼が関心を示したトピックに沿って、7つの章に分かれている。

-The langage of object/LES LANGAGES DES OBJETS
-A composite work/UNE OEUVRE COMPOSITE
-Rehabilitating « minor » histories/RÉHABILITER LES HISTOIRES « MINEURES »
-Of stuffed animals and men/DES PELUCHES ET DES HOMMES
-Education and ordinary traumas/EDUCATION ET TRAUMATISMES ORDINAIRES
-Energy and the formless/L’ÉNERGIE ET L’INFORME
-Representing the unrepresentable : Kandors/REPRÉSENTER L’IRREPRÉSENTABLE:KANDORS

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ぬいぐるみを使って作品を作る作家といえば、ルイーズ•ブルジョワやアネット•メサジェを思い出す。あるいはポール•マーキュリーの大きなぬいぐるみを思い出すかもしれない。ルイーズ•ブルジョワの作るぬいぐるみは、既製品のぬいぐるみを使っているのではなく、つぎはぎしながら最終的には大きな人間のボディに到達している点で、グロテスクな「人形」というべきものですらある。それを介して表現されるのは、セクシュアリティの問題であり、人間の生殖と誕生に関わることだ。あるいは、アネット•メサジェにおけるぬいぐるみは、擬人化されて、人間の記憶に関わるものとして提示されたり、個体を代替するものとして提示される。それらは可愛いオブジェとしてのぬいぐるみという存在から別の文脈に連れて行かれ、不穏な世界にいる。しばしば、ぬいぐるみは分断され、頭や腕、胴体に切り離されてしまったり、動物の剥製にぬいぐるみの頭部を持つか、ぬいぐるみの身体にロボットとしての部分を持つなど、それらは生き物としての境界を揺さぶるように、そこにいる。

Mike Kelley, Ahh… Youth!, 1991

Mike Kelley, Ahh… Youth!, 1991

マイク•ケリーにおけるぬいぐるみも、アネット•メサジェと同じではないにせよ、生物と非生物の意味を問いかけるような作品がある。 Ahh… Youth! (1991)では、8枚の写真がポートレイト風に並べられており、7枚はぬいぐるみで1枚が人である。ぬいぐるみはそれぞれ、古めかしく部分が壊れ、目が片方ないなどの憐れな姿を晒しており、それは彼らの遺影とすら言えるものである。右上の若い男は、思春期のころの繊細で若かったマイク•ケリー本人で、これも1991年当時もはや世界には存在しなかった過去の自己である。ここでは、ボロボロになって葬られるものとしての8枚の写真が、一見ポップで可愛らしく提示されるのだが、その様子はやはり不穏なものだ。一人人間であるマイク•ケリーはなんの違和感もなく捨てられる使い古しのぬいぐるみの中と共存し、画面は限りなく均一化されている。

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また、ぬいぐるみは多数合わさって人間の大きなボディになることもできるし、二つの頭部を持ったり、合体することができる。壁に立てかけられたぬいぐるみの集合は、お腹の中に収めるべきものを構成していたのだが、それらは全体として一つの個体に統合されているようで、内部において崩壊を始める。大きな蛇が導くのに付き従って、それらは母体を破壊しながら外の世界へ出てゆく。両性具有あるいは性倒錯のイメージも、マイク•ケリーが繰り返したテーマのひとつだ。デッサンにおいて、女性らしい身体には男性器があり、向かい合う男性らしい身体にはそれを受け入れる女性器が用意されている。倒錯や交換は、ここでも、差異の無化とヒエラルキーの均一化の手段である。

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オブジェの集合を埋め込んだ絵画は記憶の集合である。物には記憶がある。人が物に想い出を持っていることは、物が記憶することと同義だ。画面を眺めれば、誰もがどこかで目にしたことのあるような小さな物を発見する。マイク•ケリーは、教育の問題を語りながらしばしば、「自分自身が、自分固有のものと信じている文化的背景や個人的な記憶は、他の人間のそれとたいしてかわらない」ことを指摘する。「わたしの想い出」と信じているものは、しばしば、映画や雑誌、流行っている本だとか文化を共有する人が皆共通に持っている知識に由来している。それは所詮、そういったモデルにあわせて鋳造されたものでしかないのだ。それゆえ、マイク•ケリーの作るオブジェの集合は常に、純粋な個の記憶など存在せず、それが集合的な記憶であるというメッセージを発している。

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人々が彼の仕事によって気分を害したり、何やら良くないものと感じて遠ざけたり、あるいは批判したり、恐れるのは、つまりはそれがあなたにも関わる記憶のことに触れているためだ。あなた自身が見て見ぬ振りをしていること、忘れようとして、それが上手くいったはずの子どもの頃の心傷、考えても仕方ないものと納得してきたつもりであった様々な矛盾、露にすることは無益に思えて抑圧してきた心の隅にある欲望。それらを敢えて蒸し返したくはないからだ。マイク•ケリーは57歳の若さで死んだが、彼の思惑は、多岐にわたる表現にカムフラージュされて矛盾に満ちているかのように語られる一方で、非常に明確であったと考えられる。他によって、明るみに出すことの出来ない問題をそれによって露呈する試みを続けることこそ、アートの存在意義であると私は信じる。

Kandor 2B, 2011

Kandor 2B, 2011

08/25/13

ロイ•リキテンスタイン@ポンピドー/ Roy Lichtenstein @Centre Pompidou

Roy Lichtenstein
3 juillet 2013 – 4 novembre 2013
Centre Pompidou
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限定詞とは、便利で強力で、そして簡単だ。「”アメリカン・ポップアート”のロイ・リキテンスタイン」という説明は、一見疑いようなくわかりやすく、他にがんばって言葉を見つけるまでもない。当展覧会キュレータであるMnam/CcioとCamille Morineau が、この大規模な回顧展を通じて目指したのは、このあまりにもステレオタイプな限定詞を塗り替えることであった、といえばなるほど、アンビシャスでカッコイイ。しかし、私は彼らの説明に関わらず依然として、彼らがこの展覧会を通じて提示したのは、「アメリカン・ポップアートのキャパシティの重層性」に留まるのではないかと思う。

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さて、ロイ・リキテンスタインは、1923年、マンハッタンで生を受ける。両親はユダヤ系の上位中産階級の家庭。母親はピアニストで父親は不動産業を営む。子どもの頃とくに芸術教育を受けたことはないが、アポロシアターのコンサートに頻繁に通っており、ジャズに興味を持っていた。美術を専門的に学んだのは、高校卒業後にアートスクールに行ったころからで、オハイオ大学に進学するも1943年から3年間、第二次世界大戦下の兵役に服する。実はその間、ロンドンで幾つか展覧会を見ることが出来、フランス各地、ベルギー、ドイツ、ルクセンブルグと移動しながら描き続けた。1945年、終戦の際、パリで学ぼうとフランスに腰を落ち着けた矢先、父親が病に倒れ、翌年亡くなってしまう。それ以降、G.I.Bill(The Servicement’s Readjustment Act, 1944、つまり第二次世界大戦に従軍した軍人の兵役解放後の就職援助や学業継続援助を行うとりきめ)のおかげで、オハイオ大学の美術学科に復学し、1949年学位を取得した。その後教員等を経て、1960年代に、ポップアートの処女作としたのLook Mickeyやマンガ的手法、広告のエレメントへの関心を反映した作品を多数作るようになる。今回力点をおかれた静物画やキュビズム絵画やマチスのダンス等近代絵画の借用を始めたのは1970年代になってからである。そして、彫刻作品は1980年代を中心にブロンズやプラスチックで制作されている。1997年、肺炎をこじらせてニューヨークでなくなった。生涯にわたって制作した作品数は4500点にのぼる。

Look Mickey, 1961 oil on canvas

Look Mickey, 1961 oil on canvas

Look Mickeyは、リキテンスタインの息子たちの部屋にプロジェクションされたミッキーマウスとドナルドダックのイラストに着想を得て制作されたことはよく知られている。もちろんミッキーだけでなく、1950年代の終わり、リキテンスタインは消費社会の広告やバンド•デシネの手法に強い興味を抱き、1956年にはプレ•ポップアートとでも言えるリトグラフ作品Ten Dollar Billeを作っている。この頃、話し相手でありお互いに影響を与えてきたアラン•カプロー(Allan Kaprow,パフォーマンス•アートの先駆者)と、どうやって学生に色彩の意味を教えるかといった議論をしていた際、カプローが言い放った、「セザンヌの色彩を例にとるより、バゾッカ(Bazooka, アメリカのチューインガム)を例にとったほうがよっぽどよく伝わる」というのを聞き、リキテンスタインは自身の方向性に確信をもつ。今後は、主題を当時の日常の中に求めることが可能なのだ。たとえば、広告、日々目にする変哲のないモノ、そしてマンガといったものの中に。この会話を機に、リキテンスタインはいわゆるリキテンスタイン的なスタイルを立ち上げたと言われる。

Magnifying Class, 1963 oil on canvas

Magnifying Class, 1963 oil on canvas

1963年に描かれたMagnifying Classは、「手仕事によるものだというメッセージを極力隠す」というコンセプトのもとに制作された、完全にManualな絵画である。したがって「グラフィックとして最もシンプルに、かつ即効性のあるインパクトをもたらすミニマルな絵画」(Christophe Averty)と言われる。ポップアートの展覧会が世界中で大変賑わっている事実を耳にする際、そしてもちろん自分も足を運んでしまう際いつも思うのが、それなら写真や雑誌で見ればいいのではないか。しかしポップアート展は人気だ。それはもちろん、アメリカンアート界の影響力が非常に強いことや、ポップアートはなんていったってオシャレであること、ヴィジュアルがわかりやすく、楽しく眺められることなどの原因はある。しかし、人々はやはり、いくらシンプルだったりミニマルだと言われても、そこに覗く手作業の後が見たいのではないかと思う。そこにあった画家の手や画材がまだ乾いていなかったときのことをそれらの絵はイメージさせるために、人々はこの絵に歩み寄り、ドットのひとつひとつを眺めるのだと思う。そういったわけで、この絵はまさに、画家の手によって丁寧に描かれた素晴らしい油彩画である。

We rose up slowly, 1964 oil and magna on canvas

We rose up slowly, 1964 oil and magna on canvas

キャリアを通じて、リキテンスタインは女をたくさん描いてきた。ロマンチックなシチュエーションやロマンティックなワンシーンをリキテンスタイン的なスタイルでラインとドット化した絵画。80年代以降作られた2D的な彫刻にも女はたくさん登場する。アート•マーケットにおいて、彼の絵が高値で売れて人気を博したのも、彼が描いた美女たち(しばしばステレオタイプでB級映画くさく、涙を流したりけなげだったりする女たち)が鑑賞者の心をつかんだからである。その一方で、我々はこの美女たちをオシャレなイラストとか形として愛でることはできても、直接的な意味でのセクシーさや生々しさといったものは感じえないのではないだろうか。画家自身もこう述べている。
「私が描く女は基本的に黒いラインと赤いドットで構成されている。私は抽象的なやり方だと思っている。だから、私はそれらには誘惑されない。それらの生き物は私の目にはリアルでない存在なのだ。」(ロイ•リキテンスタイン)
興味深いのは、リアルでないので惚れてしまうことはあり得ない、と言い放たれた、黒いラインと赤いドットから成る女は、70年代からもう30年、40年経つ今日、マンガ的あるいは広告的表現が珍しくもなく、女の表象も多様化した現在においては実は、リアルさを増しているという現在の事態である。

Oh, Jeff...I Love You, Too...But..., 1964 oil and magna on canvas (zoom)

Oh, Jeff…I Love You, Too…But…, 1964 oil and magna on canvas (zoom)

Artist's Studio "The Danse", 1974 oil and magna on canvas

Artist’s Studio « The Danse », 1974 oil and magna on canvas

リキテンスタインがマチスのダンスを自身の絵画のなかに登場させたのは必然の共鳴であると感じられる。マチスの描く肉体はしばしば、彼がいうような輪郭で取り囲まれていた。
「私が創るもの、それは“かたち”である。マンガは、わたしが意味するところの“かたち”を持たない。マンガはたしかに輪郭を持っているが、描かれたものをひとつのものとして描き出すことに何の注意も払っていない。目的は違うところにある。マンガは、再現しようとしており、私は、ひとつにしようとしているのだ。」

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近代絵画からの借用、その際に複数の絵画を一枚の絵の中に共存させた。あるいは彫刻はしばしばイラスト的な2D世界をいかにして3Dに再現するかという試みとして面白い。いくつかの風景画の中に見られる異なるテクニックの混在は、その他の絵画とは全く別の印象を与える。既に述べたがこの展覧会では、すでに広告のデザインやマンガ的スタイルで知られてきたロイ•リキテンスタインの「アメリカン•ポップアートを超える」側面を浮き彫りにすることを狙っていた。ポップアートで何が悪いのか?ポップアートは素晴らしいのだ。むしろ、巨匠絵画をパスティーシュし、かつてなかった構造に挑戦し、平面の彫刻を創造し、生々しくない女を描いて世界を魅了したことによって、ポップアートの底力を見せつけてくれたことこそが、ロイ•リキテンスタインの面白さであると信じる。

Landscape with Philosopher, 1996 oil and magna on canvas

Landscape with Philosopher, 1996 oil and magna on canvas

08/14/13

アンリ•サラ, ラヴェル @ヴェネチア•ビエンナーレ/ Anri Sala, Ravel Ravel Unravel @French Pavilion, la Biennale di Venezia 2013

Artiste : Anri Sala
Curator : Christine Macel
Titre : Ravel Ravel Unravel @French Pavilion

(ヴィデオはこちらでご覧になれます)
dans la pavillon/ パビリオン訪問のビデオ
youtube : http://www.youtube.com/watch?v=k5oOSPIoiZg
interview/ アーティストインタビューのビデオ
youtube: http://www.youtube.com/watch?v=foBKIlq_fPU

55th la Biennale di Veneziaでは、フランスとドイツがパビリオンを交換しての異例の展示となった。オープニング期間中は長蛇の列を作り、1.5時間の待たなければならない人気展示であったらしい。全パビリオンの中でも最も高い天井をもつドイツ館(Germania)を利用してのソロ展示を行ったのはアルバニア出身のAnri Sala、1974年生れ、Ecole Nationale des Arts Décoratifsで映像を学び、現在もパリ在住の映像音響作家である。また、キュレーターはChristine Macel、ポンピドーセンターのキュレーターで、2008年にはGalerie SudにおけるAnri SalaのSolo Exhibition, « Titre Suspended »のキュレーションを手がけている。

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まず、このGermania館は3つのパートに分けられている。入り口と出口に面した二つの部屋ではUnravelの第一プロジェクションと第二プロジェクション、そして中心の最も大きな空間ではRavel Ravelのプロジェクションが見られる。この真ん中の部屋では、二つの画面が上下に重ねられ、二つのフィルムが同時的に上映されている。この作品の主題となっているのは、20世紀を代表するフランスの作曲家モーリス•ラヴェル(Ravel Maurice, 1875-1937)がほぼ同時期に作曲した二つのピアノ協奏曲のうちの一つ、『左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調 op.82』(1930)である。(もう一つは1929年に作曲された『ピアノ協奏曲 ト長調』)有名な話であるが、この曲は、第一次世界大戦中にポーランド戦線で受けた戦傷により右腕を失ったピアニスト、パウル•ウィトゲンシュタイン(Paul Wittgenstein)が戦後になって左手のみで演奏活動を続ける事に決めた際、ブリテン、ヒンデミット、プロコフィエフらがしたように、Ravelも彼の要望に応じて作曲したのが、この『左手のためのピアノ協奏曲』である。実はこの曲、あまりに技巧上の難易度が高いため1931年の上演時、パウルは途中で演奏を断念(即興、変奏)してしまい、後にラヴェル自身が指名する形で、両腕のピアニスト、ジャック•フェヴリエ(Jacque Février)によりパリで上演されたのが完全な初演とされる。楽曲は一般的に3部構成でアナライズされる。おどろおどろしく始まる最初のパートは、徐々に加わって行く管楽器が高揚を極めたところで、突如ピアノのカデンツァに取って代わられる。二部はジャズライクな展開部で一部のテーマが随所に変奏として繰り返しちりばめられている。三部は超絶技巧のピアノのカデンツァを経て短いクライマックスが待っている。この曲では、非常にゆっくりなテンポと目もとまらぬ速いテンポ、それらを繋ぐムーブメントがもつリズムやエネルギーが重要な役割を果たしており、形を変えて繰り返されるモチーフが重なり合っていくことでそれはさらに強烈になる。ラヴェル自身の言葉では、死への思いや孤独への恐れを描いたとされているが、クライマックスに向けてパーカッションやオーケストラが高揚して行く様は没入的な興奮であり、暴力的なものすら感じさせる。

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さて、真ん中の部屋で上下に二つの画面を並べて上映されたRavel Ravelにおいて、この難曲を演じるのはLouis LortieとJean-Efflam Bvouzet、二人の両腕の名ピアニストである。(もちろんコンチェルトの演奏は左手のみにより行う。)オーケストラはOrchestre National de France、指揮はDidier Benettiによる。ここで目を鑑賞者の目をひくのは、飛ぶように動き回りテンポをとる左手の存在よりも、左手をしばしば隠すようにして不気味に画面に映り続ける右腕の存在である。「それぞれの映像では、鍵盤を網羅的にうごく左手とまったく動かない右手、という構図に焦点を当てるよう意図されています。」(アンリ•サラ) さらに興味深い事に、この映像はほぼ同時的に再生され、同じような部分を弾いているにも関わらず、意図的に一方が他方を追いかけるかのようにほんの僅かずらして上映されている。(これは、テンポの違いや解釈の違いと関係のない、意図的な「ずらし」である。)アーティストによれば、これはGermania館の音響効果を利用して、二つのパフォーマンスの時間的ギャップを持続的に実現するためであったという。つまり、空間の意味を破壊することなどがそれである。普通大きな空間で響き渡る音は、その残響を聴き、あるいは壁に反射するエコーを聴く事により、音と空間の関係は身体的に了解される。ここでは、残響とエコーが聴かれる前にもう一方の演奏がやってきて、そのもう一方の演奏の残響とエコーも、やはり他方の演奏によってキャンセルされることで、鑑賞者を包む環境を異化しようという試みであった。

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最初の部屋と出口へ続く最後の部屋で上映されたのは、Unravel(ラヴェルではない)である。ここでは、先ほどのように演奏シーンは見られず、一人の女性の顔のアップ、真剣に、時にヘッドフォンに手を当てて集中して音に耳を傾けている様子が見られるのみである。そこには音楽もなく、女性の表情があるのみである。出口のほうの部屋では、彼女の全身像がキャプチャーされて、彼女はDJを頼まれたChloéという女性で、二人のピアニストが演奏した二つの異なるラヴェルを、まさに会場となっているGerman Pavillonにおいてミキシングしていることが明らかとなる。さきほどのラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』のフレーズのとぎれとぎれにDJのミキシングで作られるスクラッチ音が聴こえてくる。この3つの部屋を通じてアンリ•サラは、二人のピアニストに更に三人目の解釈者としてのDJChloéの存在を加え、三人によるラヴェルを一つの音響として創り上げ、パビリオンに奏でることを目指した。それが観客の身体を通じてさらに異なる経験として産み直される事を期待しながら。

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わたしはこの展示について感じた印象は、構想された事や計算された事、時間をかけて理解されるべき事や知られなければならない事が山のようにあるのだろうという臭いは明らかに香っているだけれども、数十分音響をこの会場で聴いただけではそこまでよくわからないだろうな、というものだった。個人的に主題となった楽曲については知っているし、3つの部屋に関するディスクリプションも読んだので作者とキュレーターが意図するストーリーは理解したが、描かれたストーリーと作品経験が満足に結びつかないと言うほうが適切かもしれない。面白かったかどうかと鑑賞直後に聴かれたら、迷いなく、面白くはなかったと答えた後に、よく分からなかった、と付け足すと思う。国際展に出展する展示なので難しいコンセプトがあり、簡単にはその表現を受け取る事ができないのは果たして当たり前なのだろうか。たしかに、作品にはコンセプトがあり、コンセプトや作者の目的や意図は、見る人が探しに行くものでもあるし、作者から渡されるものでもある。その両方であろうと思う。だから、見る人に興味がなくてもいけないし、作り手に見る人への興味が欠如していてもいけないのである。この作品が、会場での作品経験に関わらず依然として魅力的なのは、アルバニア出身のAnri Salaがこれまでも行ってきたような、異なるスタイルやカルチャーをぶつけて対話させ融合させるということを音楽において実践してきた基本的なアイディアが、この作品にも通底しており、それが面白いからである。田中功起の『A Piano Played by Five Pianists at Once』(5人で一台のピアノを弾く)と少しだけ類似しているけれども、Anri Salaがやろうとしたのは、むしろもう一次元スケールの大きな事で、演奏者によるミキシングだけではなく、観客を取り巻く空間で起こる出来事までをミキシングして、まったく別の環境を創り出すことであったと、私は思うのである。それをサウンドに集中して挑戦し続けているのがこの作家である。

このように考えてくると、一つの結論が見えてくる。必要なのは、もっとうまく説明したいという事で、それはアートのための配慮であり、人が表現するものを人が享受するのに必要なプロセスである。それが自分の部屋のデコレーションでもなく、それがアートであるかぎり、それは人が関係し、人を関係させる事に関わるべきなのである。

参考:other reference Moma Miami, about A Spurious Emission
参考インタビュー:interview about A Spurious Emission
参考インタビュー:Curator interview, Christine Macel, Titre Suspended, Pompidou