09/14/13

55th La Biennale De Venezia Part4 / 55th ヴェネチア•ビエンナーレ No.4

55th Biennale de Venezia  part 4

 part3では、Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceにおけるドローイングとペインティングに焦点を当て、Daniel Hesidenceの様々なスタイルを越境する抽象絵画、オーストリアの画家Maria Lassingが »Body Awareness Painting »と呼ぶところの奇妙な身体イメージの絵画、自らが手に取るように自然を再構成しながら描くLin Xue(林雪)の竹を使った繊細なドローイング、また、Hans Bellmerのサド侯爵の引用による版画では性倒錯の想像力と両性具有の自己充足的な身体が描かれている。Ellen Altfestは描かれ抜いてきた女の裸体に目もくれず、男の裸体を隅々まで描いて鑑賞者の目を奪った。

part4では、Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceを離れ、88カ国が参加した各国のパビリオン展示について、ダイジェストのダイジェストを紹介したい。ちなみに、フランス館(ドイツ館の建物を利用しての)におけるアンリ•サラのRavel Ravel Unravelは別の記事(アンリ•サラ、フランス館)において紹介しているので、そちらを参考にしていただければと思う。

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Greece Pavilion/ギリシャ

欧州債務危機まっただ中のギリシャでは、マネーに関わる映像作品が上映された。このことは様々な意味で真っすぐな問題提起であるのだが、そこには言うまでもなく、社会的あるいは政治的立場、利害関係、価値観、世代や出自によって支配される相異なる主張を持つ個人が重なり合いながら生きている。
ギリシャ館のアーティストに選ばれた、Stefanos Tsivopoulosは1967年から7年間続いた軍事政権や冷戦時代のギリシャを包み込んでいた世界的な文脈にもういちど疑問を投げかける。ある非常に豊かな環境にうまれた人間が一生涯にわたって大きな困難を経ずに豊かな生活を送り続けることがあるのと同様の理由で、一つの国が歴史の中でしばしば困窮し、破綻の危機に陥るようなことも、原因をその国の内側に求めるようなことは殆どが的外れである。
Stefanos Tsivopoulosは、3つの異なる部分から成る映像作品において、人間関係形成において金銭が演じる役割、そして金銭の所有を巡る政治的•社会的な諸要素について三人の人物の経験に焦点をあててこれを明らかにする。

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目に留まったのは500euro札を次々に折り紙にして、完成した折り紙の花に茎を付け、花瓶に追加して行く年老いた女のイメージだ。女はひたすら折り紙の花を折っていおり。丁寧に折っては、水の入っていない大きな花瓶に追加して行く。使っているのは500ユーロあるいは200ユーロ札という金額の大きな紙幣ばかり。女は熱中していて、花が出来上がると嬉しそうでもある。老女は城のような家に住み、家には人気も無く、家族もない。出来上がって行く花の山は、ただの折り紙の塊だ。女の価値観はひょっとすると既に破壊されていて、この女にはそのような物差しが無いのかもしれないとも思う。しかし、女は紙幣を大切に閉まってある場所から取り出す。あるいは不意の電話を受けたのち、急に切羽詰まった様子で丁寧に折ったたくさんの花束をゴミ袋に突っ込み捨ててしまう。この女は、それが金であるということはわからないにせよ、それが彼女の家を一歩出た世界では、尋常でなく重要な物で、それが自分の身に危機的状況を作り出しうるということをいずれにせよ、忘れることができずにいるのだ。

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Israeli Pavilion/イスラエル – Gilad Ratman

イスラエル館のアーティストに選ばれたGilad Ratmanは、盛大なパフォーマンスを行った。Ratmanは、言語や国籍、国家や政府によって規定され、一見それが普遍的な人間の行動パターンや現在性にまつわる強迫のモデルを形作っていることに対して疑問を投げかけるような表現を行っている。それらを取り去った原始的なジェスチャーやコミュニケーションのあり方に立ち戻ることによって、既存のシステムを異なる視点で見始めるための提案をしている。
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第55回ヴェネチア•ビエンナーレでは、人々のグループをイスラエルからヴェネチアに旅行させるというワークショップを提案した。洞窟の中を進んで行けば、それが地下深い洞窟ならば、言葉の壁も、国と国の境界線も無いはずである。そのときには、政治の壁も宗教の壁も、ない。文明以前の小さな人々の共同体として生きてみるというアイディアは、前社会的、前言語的な想像的世界において、普段当たり前でぬぐい去ることなどできないと信じていたものを人々が一斉に失うという経験を作り出した。
想像上のヴェネチアまでの旅行をした一段は、イスラエル館に到達し、そこで粘土でこしらえた自分の像に向かって、前言語的な声によって話しかける。それは直接的な感情や意志の本質のような音を奏でながら、だんだんと高揚して叫びのようになるものの、他者には共有されがたい。それは、しかし、重なり合うことによって「音楽」と呼べるものになる。
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Georgian Pavilion/グルジア Kamikaze Loggia/カミカゼ•ロッジア

ポーランド出身の女性キュレーターであるJoanna Warszaが今回のグルジア館をオーガナイズした。Gio Sumbadzeがデザインしたこのロッジは、カミカゼ•ロッジアと名付けられている。作家たちによって作られ、生活できるよう家具も手作りされ、彼らがともに食事する場となり、オープニング時にはパフォーマンスも行われた。グルジア語でკამიკაძე(神風)だが、この名前についてKamikazeの-azeはグルジア人の名前に多いのだそうだ。だが、このグルジア館が、アルセナーレの多くの国のパビリオンが一通り並び終わった後に、1990年代末、ソヴィエトが崩壊した後に住居スペースを広げるために盛んに建てられた違法建築という形態をとって併設されていることを考えると勿論კამიკაძე(神風)のコノテーションを意識させるのが目的だと思われる。これまで、メイン会場の敷地内にパビリオンとしてではなくこのような建物を造った国は初めてである。ソヴィエト崩壊後、無法状態に置かれた国の記憶や、崩壊以前に中途半端に残された土地計画の遺物、様々な政治的、宗教的、民族的衝突の記憶を、十分に明確な形で訴えている。
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 Portugal/ポルトガル

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ポルトガルはメイン会場にパビリオンを持たない。パビリオンを構えることも、何ヶ月も続く会期中ヴェネチア内の展示空間を借り続けることも、大航海時代を制したポルトガルにとっては魅力の無いことであるに違いない。ポルトガルパビリオンは、海の上に浮かぶ。毎日クルージングにも出かける。ヴェネチア共和国は15世紀最強の海軍を持つ都市国家で、大航海時代のリスボンもまた多くの遠征隊を送り出し、交易の中心として栄えた港町であった。船全体に行き渡っているのはジョアンナ•ヴァスコンセロス(Joana Vasconcelos)の温かく不思議な世界だ。ヴァスコンセロスは、2012年、ヴェルサイユ宮殿の現代アート展示に最年少女性アーティストとして抜擢され、宮殿をオブジェで染めた。その時の様子はsalon de mimi過去記事にも記録している。ヴァスコンセロスは、ヴェルサイユでみたようにタンポンや料理用具、エクステンションといった女性的アイテムを作品に積極的に用いるし、その性の意味を描くのに長けた作家だ。この船も、外観は、港都市として反映したリスボンの歴史的威厳を感じさせるにも関わらず、その内部に一歩足を踏み入れると、くらい中に温かく丸い毛糸製のオブジェが光っており、その穏やかでぬくぬくした感じは、母の子宮につつまれた記憶を想起させる。
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Angora Pavilion/アンゴラ館

アンゴラ館はご存知のように、参加型の展示が高い評価を受け、ルアンダ•エンサイクロペディック•シティ展が金獅子賞受賞を獲得した。安定してパビリオンを構える豊かな国々が獲得することの多い金獅子賞受賞によって、当然メイン会場外であるにもかかわらず、アンゴラ館は予想を上回るヴィジターを迎え入れることに「なってしまった」。写真作品が大量にコピーされて、それを鑑賞者が自由に持ち帰れるというアイディア自体は無論ちっとも新しいアイディアではない。ポスターや新聞、ビラのような印刷物がインスタレーションになっていると同時に自由にそれを持って帰れるスタイルは今日なかなか人気がある。勿論、ルアンダ展が評価されたのはそれだけではないのだが、とにかくそういった「態度」に注目が集まったことは確かである。
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実はこのアンゴラ館、8月上旬には既にこのもてなしをやめてしまった。というか、ファイルも写真のコピーもすべて有料になってしまった。中の写真を全て持って帰ると総額40ユーロほどにもなるらしい。繰り返すが、コピーである。
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訪れた際アンゴラ館で働く人と少し話をする機会があったのだが、アンゴラ館の方針転換の理由は簡単で、予想外のヴィジターが詰めかけたことによって予算を上回って写真のコピーがはけてしまったのだ。
壁にはイタリアのルネッサンス絵画がギラギラとした額に収められて飾られている。そのパレスの床には、そのヒエラルキーと言おうか、経済的状況と言おうか、そういったことを象徴するようにして、ルアンダの街角で撮影された、置き去りにされたモノたちの写真の大きなコピーが積み上げられている。
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 Japan Pavilion/日本館

日本館では、田中功起さんの抽象的に話すことー不確かなものの共有とコレクティブ•アクト展が高い評価を受けた。協働とはなにか、抽象とはなにか、を問うパフォーマンス作品はその各々は非常に興味深いものである。キュレーターの蔵屋美香さんとともにアーティストがコンセプト「抽象的に語ること」の出発点とした震災との関わりは、非直接的体験であるそうだ。アメリカで活動するアーティストであること、日本の土壌で震災を経験していないということ。私自身、震災の2011年当時すでに海外での生活が2年目を迎えていたので、震災を日本という国の中でその瞬間もその後も経験していないということが如何なることか、分かっているつもりである。それがどのように問題を具体的に扱うことを自問させ、不安を掻き立てるかということも。
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この展示については、コレクティブ•アクトの意味である「協働」が重要な概念として照明が当てられ、それが重要なのは「一国では解決できないも問題が山積みの今日にふさわしい」からだと説明される。私は、抽象的なアプローチに対する、このあまりに安直な説明が嫌いである。先日開催が決まった東京オリンピックに関する、日本の最終プレゼンテーションをポジティブに評価する折に語られるロジックと同じものである。

抽象的に語るのは、問題を解決できないからではない。問題を解決するためである。

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09/8/13

55th La Biennale de Venezia part3 / 55th ヴェネチア•ビエンナーレ no.3

 55th Biennale de Venezia  part 3

 Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palace

パート2では、人形/彫刻とインスタレーションに着目し、Paweł Althamerによるプラスチックテープの90人のヴェネチア人、繊細な作風で想像上の生き物の世界を表すShinichi Sawadaの陶器彫刻、サイズやプロポーションを異化することによって見る人の印象を変える彫刻を作るCharles RayPaul McCarthyの子どもの解剖学のための巨大ぬいぐるみ、女性のアイデンティティや家庭での立場を問うCathy Wikesのインスタレーション、日常に潜む生と死を描いたRosemarie Trockelの表現、そして、小さな人形を作り続けたMorton Barlettの想像上の家族たちを紹介してきた。
パート3では、ペインティングとドローイングについて紹介したい。

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Daniel Hesidenceは1975年アメリカのAkronに生まれる。彼の抽象画にはArt Informel(アンフォルメル)からの強い影響が見られ、視覚的情報から意味を抽出し、彼独自の哲学的考察とそれを詩的な方法で表すということをテーマとしてきた。プリミティブな洞窟絵画からモダニストの抽象表現までを視野に収め、それらの重なりから浮かび上がるイメージは、時代も色も形も、ただ一つの意味において確定することができない。Il Palazzo Enciclopedicoでは、Untitled (Martime Spring)が提示された。そこには何層にも重ねられた距離や深さ、異なる固さが混在し、溶け合っているのだが、キャンバスの宇宙の中にもういちど再構成されて調和しているようでもある。

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Maria Lassingは1919年生れのオーストリアの画家である。ヴェネチア•ビエンナーレには1980年にも参加しているほか、1996年にはポンピドーで回顧展も行っている。彼女の絵画の特徴は、一貫して、肉体が持っている意識に着目して、セルフポートレートを描き続けているということなのだが、彼女自身はそれを »body awareness painting »と呼ぶ。絵の中の彼女はいつも裸で、髪の毛もなく、年老いた肉体として描き出されているのだが、色彩も表情も全く奇妙である。drastic paintingのシリーズであるDu oder Ichは両手に持った銃の一方を自分のこめかみに当てながらもう片方はこちら側にはっきりと向けているLassingが描かれている。あるいは、Mother Natureにおいて彼女は森や動物、虫たちを両手に持ち頭部の髪の部分が自然と一体化している。いずれの絵画も背景が描かれず、非常に静謐としたムードを持つ。

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Lin Xueは1968年生れ、香港出身の画家である。彼の特徴である細かいドローイングは、先を尖らせた竹に墨をつけて描くことによって実現する。生態系における動植物のあり方を自分自身が山に入って行く経験をもとに紡ぎだして行くためには、この方法がもっとも基本的で根源的なやり方であると作家は信じる。竹で描く選択も、非常にリアルな細部も、この作家の自然への態度を反映している。今回のヴェネチア•ビエンナーレに彼が発表した作品はNature’s Vibration(振動する自然)。彼が自分の肌で確かめた生ける自然の相互にネットワークを築き上げている様を想像的に描いている。自然は彼によって分断され、再度複雑な塊に再構成される。結びつき合ったあたらしい「自然」は、エネルギーをその中心に帯び、その波は視る我々にも届きそうだ。

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Hans Bellmerのドローイングについて、敢えて何かを言うのは滑稽であると感じて止まない一方、だとすればそれらはそんなに明らかなのかと言えば、そういうわけでもない。ハンス•ベルメールは1902年生れ1975年に亡くなった。1934年にナチス政権下のドイツで、等身大人形を発表し、その写真集『人形』を発行する。これがパリ•シュールレアリズムの芸術運動に受け入れられる。後にはそれを発展させて球体関節人形を作成し、1957年、著作『イマージュの解剖学』を記す。今回出展されたドローイングは1968年に作成された版画、Petit traité de moraleで、Marquis de Sade(サド侯爵)から着想を得た。ベルメールは日本では、現在も球体関節人形や、リアルドールのイメージがその上に重ねられてきたので著名であるが、身体の分解や部分的な複製、性倒錯の主題はベルメールの独創性を示す指標でも何でもない。傷ついた身体萌えや廃墟萌え的な想像力の普遍性をむしろ明らかにする。人形や版画という形での「作品」、そのオブジェとしての再現度の高さが彼を結局は著名にしたのではないか。

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Ellen Altfestは、ハイパー•リアリストの画家で、静物画は、風景画に加え、肉体労働者の男性の裸体を描き続けている。最近パリのFondation Cartier pour l’art contemporainで展覧会を行ったRon Mueck(Ron Mueck exhibition review)のように、彼女は肉体を毛穴と毛と皺の一本まで描く。ありのままに描くということは、逆説的なことで、飼いならされた鑑賞者である我々は、しばしば描かれない見慣れないものを見つけるとむしろそれに着目してしまう事態に陥る。産毛やホクロ、皺やシミ、膨らんだ腹部や垂れた皮に目がいく。それは彼女の戦略通りだ。歴史の中でさんざん描かれてきた女性の裸に人々は免疫と知識とステレオタイプな鑑識眼を持っており、その一方で、男性の裸体にはひょっとするとナイーブなのである。彼女は、アトリエで男の裸を描く。しばしば毛むくじゃらの胸部や腹部、背から尻、あるいは男性器をその細部まで描く。我々は目を開けながら実は殆ど何も見つめてはいない。

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 次回は、各国パビリオン展示について、ダイジェストのダイジェストを書きます。

 

09/5/13

55th La Biennale de Venezia part2 / 55th ヴェネチア•ビエンナーレ no.2

55th Biennale de Venezia part 2

Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palace
パート1では、写真と映像作品に着目し、Camille Henrotの創世記の映像作品、Norbert Ghisolandの子どもの記念写真、Linda Fregni Naglerの隠された母親と子どもの没後写真、Nikolay Bakharevが撮影したソヴィエト抑圧下の家族写真、Laurie SimmonsAllan McCollumによる鉄道フィギュアのポートレート、そしてAutur Zumijewskiの盲目の人々が太陽を描く映像作品について紹介した。
part2では、同様にIl Palazzo Enciclopedicoから、彫刻/人形とインスタレーション作品についてそのいくつかを紹介したい。

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まずは、アルセナーレ会場で注目を集めたPaweł Althamerのインスタレーションを見てみることにしよう。ちなみに、前回part1に登場した、映像作家のAutur Zumijewskiは彼のコラボレーターで、しばしば協働作品を作っている。
ワルシャワ出身のPaweł Althamerは、身体や精神の問題を扱って彫刻、ビデオ、パフォーマンス作品を作ってきた。とりわけ、身体の「もろさ」や「感じやすさ」に関心を抱き、その境界を探るような実験的作品をしばしば自身の肉体を通じて問うている。以前は髪や腸などのマテリアルを利用した彫刻を作ったこともあるが、最近では、彼の父がプラスチック製造会社を営んでおり、その協力を得て、帯状のプラスチックを利用した彫刻を制作している。本作品では、90人のヴェネチア人に実際にモデルになってもらい、顔と手の型をとった。身体の部分はプラスチックの帯状ヒモで、実物大の人間を造形した。作られた彫像はリアルな人間サイズで、それが90体も様々なポーズで配置された空間は、圧倒的なインパクトを持っていながら、一体一体の人間の身体の中は空虚で脆弱である。我々の肉体もまた、ただ魂を匿う「乗り物」(vehicule)でしかないことを表している。
(ヴェネチアを訪れるほんの少しまえ、偶然ワルシャワ現代アート美術館(Museum of Modern Art in Warsaw)にて、こちらは白いプラスチックを利用したPaweł Althamerの作品を見た。この彫刻では、人々が巨大な物を協力して引いている様子が表されている。実はChristian Kerezによって設計された現代アート美術館を建てるという壮大なプロジェクトを人々が大変な努力をして引っ張っている様子を表している。(Burłacy, 2012))

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テラコッタ製の彫刻群(2006-2007)は、「モンスター」というのが時々はばかられるが、身体の表面に小さなとげのような陶器の欠片をびっしりと纏って様々な形をした想像上の生き物たちの集合である。作者であるShinichi Sawadaは、1981年滋賀県生まれ、自閉症と知的障害を持つ。2001年より陶芸を始め、クリアーなプランを繊細な手作業によって実現し、世界的に高い評価を受けている。2010年には、モンマルトルでの展覧会Art Brut Japonais に出展し、私も会場で展示作品を見たのを覚えている。フランスでは展覧会名が示すように、Art Brut(英語でいうアウトサイダー•アート)というカテゴリーに入れられていたが、ヴェネチア•ビエンナーレのIl Palazzo Enciclopedicoでは、むしろ、想像上の生き物たちの百科事典的なヴァリエーションの一ページとして澤田の作品が位置づけられているように思える。

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さて、Charles Rayは、初期はアンソニー•カロやデヴィッド•スミスらモダニズムの彫刻家に影響を受けるが、その後1970年代にはミニマリストのムーブメントに着想を得ている。様々なマテリアルを用いて作品を作ってきたが、人間を模した彫刻は特徴的である。彼は、非常に大きな女性や子どもと大人の大きさが全く均一な家族など、見る者を困惑させるような彫刻を作る。展示されたFall(1991-1992)は、高さ243cm、厚さ66cm、幅91cm。巨大なキャリアウーマンである。普通のサイズであったなら、ただのマネキンである典型的なコスチュームを着て真っ赤なルージュを引いたブロンド女が、どうしても人々の注意を引いてしまうのはなぜだろう。(撮影禁止のため、イメージはありません。)

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Paul McCarthyは先日パリのポンピドーセンターで行われた個展にかんしてレヴューを乗せた(http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/?p=2297)Mike Kelleyと親交が深く、昨今の展覧会では、Mike Kelleyとのコラボレーション作品Heidi(ビデオ作品)が展示された。ロサンゼルスで学び、前衛的でラディカルなでボディ•アートやパフォーマンスを展開する。Paul McCarthyは、自身が述べているように典型的なアメリカン•カルチャーの影響のもとに育ってきた。ディズニー、B級映画、コミック、消費社会のマスメディアの要素を進んで作品に取り入れる。その一方で、彼が同様に強烈な影響を受けたのは、フルクサス、ハプニング、パフォーマンス、ボディ•アートといったヨーロッパにおけるアヴァンギャルド芸術で、とりわけウイーンにおけるアクション•アートに最も影響を受けたのだが、これに対してはある種、自分は部外者であるコンプレックスのもとに受容したのであり、それがMcCarthyの特徴を形作ったとも言える。展示作品、Children’s Anatomical Educational Figure(1990)は、巨大なぬいぐるみの腹部が裂けて、臓物が飛び出している。子どもの顔はアニメ的な笑顔を崩さず、胸部の心臓がある場所にも「ハートマーク」が描かれている。身体への暴力や衛生概念を混乱させるような一貫した試みが見られる。

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Cathy Wikesのインスタレーション作品Untitled(2012)では、二人の子どもと、おそらくはその母親が、一人の男が酒の瓶のあるテーブルの前でうなだれて、しかし今にも暴力をふるいそうな恐ろしい様子が設定されている。男はもちろん、子どもたちの父親であり女性の夫であろう。Cathy Wikesは、資本主義社会における女性のあり方や、家事労働、社会における母親という立場を浮かび上がらせるような作品を作ってきた。平凡でありふれた感じのする家具や壁紙、キッチン用具、そこに静かな緊張があり、不条理があり、誰にも聴かれない声がある。

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Rosemarie TrockelFly me to the Moonは静かでありふれた日常に潜む恐ろしい物語を浮かび上がらせる。赤ん坊は宙づりにされたゆりかごにふわふわ揺られ、すやすやと眠っているようだ。その赤子のすぐ横には毛むくじゃらの動物、丸くなっている犬か猫らしきものが共におり、同じ部屋の床には若い女が下着姿でテレビを見ている。女が見ている映像は、人間が初めて着きに上陸したあのシーン。女は自分の平凡で途方もない日常とはほど遠いファンタスティックな映像に夢中だ。したがって、女はまったく赤ん坊に無関心だ。ひょっとすると、母親ではないのかもしれない、とするとベビーシッターだろう。女は更にテレビに熱中し、毛むくじゃらの動物ははっきりと身体を上下させて寝息を立て、生命の存続をアピールする。もう一度、おそるおそる赤ん坊に目をやる。顔にとまっている大きな蠅はじつは、その子どもが既に死んでいるというサインだったのだ。

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Morton Barlettはしばしば、ヘンリー•ダーカー(Henry Darger)と引き合いに出される、生前は人形を作っていたことは知られていなかったアーティストである。というのも、1992年、彼が亡くなった時、自宅に大量の解剖学的に正確なプロポーションをもった手作りの人形が、30年物の新聞に丁寧に包装されて、さらには手作りの服を着せられて(あるいは、中には服を着ていないものもあった)、発見されたのである。彼が死ぬまで、Barlettがこんなに人形に執着があるとは知られていなかった。可愛らしい人形は実物の少女の二分の一くらいのサイズで作られており、どの少女も美しく、あどけない表情をしている。Barlettはダーカーと同じように孤児院で幼い頃を過ごすが、ダーカーと違って8歳のとき、裕福な家庭に引き取られ、孤児院をあとにする。ハーバード大学を中退し、写真家として働く。
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さて、Barlettがたくさんの人形を制作していたことについて、彼の知られざる趣味や想像にかんして、さまざまに議論されてきた。彼が人形や少女に対して、フェティッシュでロリコン的な趣味を持っていたことなども疑われるのだろう。一方で、もう少し別の視点から作品そのものに着目してみてはどうか。この作品が人目をひくのは、ひとえに、各々の人形が発しているオーラのようなものよると私は感じている。人形たちは、不幸で悲観的ではないにせよ、生きることの難しさを少なくとも、少しは知っている少女たちなのである。少女たちの纏っている衣服は、かならず一部分が壊れている。帽子をかぶった少女が、なぜ座っているのかご存知だろうか。彼女の靴が破れているからである。彼女は、ほころびたぼろぼろの靴を履いていることを隠すために、座っているのだ。別の少女はスカートのホックもファスナーもない。襟がほつれている、極端に短いTシャツを着ている。彼女たちは、楽しそうに笑っているけれど、寂しいことや辛いことを知っている。人形たちは、孤児院で育ったMorton Barlettが生涯忘れなかった子ども時代の寂しい気持ちを少しでも穴埋めしようと創り出した、想像上の家族たちであった。
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次回は、ペインティングとドローイングについて書きます。

09/3/13

55th Biennale de Venezia part1/ 55th ヴェネチア•ビエンナーレ No.1

55th Biennale de Venezia part 1

Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palace

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今回アルセナーレ•ジャルディーニの両メイン会場で150人の作家が参加する企画展Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceのキュレーションを行ったのは、イタリアのMassimoliano Gioni(マッシミリアーノ•ジオーニ)である。1973年生れ、最年少でのヴェネチア•ビエンナーレ総合ディレクターだ。展示の共通テーマは百科事典的であること。作品のそれぞれが百科事典的な小宇宙を構成していると同時に、あまりにも異なる世界中の作家が一同に集うIl Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceの空間そのものが全体としての百科事典的な場となる。そこでは、芸術家とそうでない人の差を根本的に疑うような試みがあり、人類が表現とか芸術とか呼んできたものの起源にまで遡ろうとする試みがあり、現実や夢、目覚めていることと無意識であることの間をさまよう試みがあり、そもそも、形やイメージはなんであったのかを問うような試みすらある。
そのIl Palazzo Enciclopedicoのページを繰りながら、我々が思うのは、そのあまりにも巨大な百科事典に綴られた全ての知恵と知識を「身」に付けるのが大事なのではなくて、そこを、さまよってすり抜ける中で世界を目撃することこそが重要なのだということである。

パート1では、写真と映像作品に着目した。

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Camille Henrotは1978年パリ生まれの若手作家である。日本で生け花を学んだこともあるこの作家は、数々の植物を用いたインスタレーション作品を作ってきたほか、ドローイング、写真、映像作品も手がける。salon de mimiにおいては以前、パリのGalerie Rosascapeで行われた展覧会、“Jewels from the Personal Collection of Princess Salimah Aga Khan”についてレヴュー「Camille Henrot/カミーユ•アンロ, ジュエリーは押し花に敷かれて」と galerie kamel mennourでの展覧会「Est-il possible d’être révolutionnaire et d’aimer les fleurs ?」の写真をこちらに掲載している。今回ヴェネチア•ビエンナーレの百科事典的展示のために彼女が構想した作品はGrosse Fatigue(大いなる疲労)である。創世記の神話をもとにしたストーリーを、世界中の国立博物館のアーカイブを現代的な方法で提示する。多様な種が歴史の中でどのように変わって来たのか、あるいは人間もまた生物としてどのように歩んできたのか。地球の始まり、いや、宇宙の始まりにも遡って、そこから今日までの、人間の知っている全ての「知識」をコンピュータのスクリーン上にまとめあげようとする。だが、そこで気がつくのは、次々に開かれたたくさんのウィンドウの集積が表すのは客観的でただ一つの真理ではなくて、人々の思想が様々な角度から光を当てられた局面のようなものだということだ。

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Norbert Ghisolandが我々に見せるのは、第二次世界大戦中に彼のフォトスタジオで撮影されたこどもたちの記念写真である。こどもたちは今も昔も、誕生や入学や、あるいは様々な節句の折に、一人や他の兄弟姉妹と共に、非日常的で非現実的な衣装をまとわされて、カメラの前に立たされる。ここで作家は、親の夢を叶えるためにこの大変な仕事をまかされたこどもたちが、イメージの中でまったく不釣り合いな表情で立ち尽くしている様子。そこにある、ある種の滑稽さや不気味さを浮き彫りにしている。Norbert Ghisolandは1878年生れ、ベルギー出身の写真家である。10代から写真家として働き続けたGhisolandは生涯19000枚のイメージを残している。

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引き続き、子どもの記念写真にかかわる作品を見てみよう。広告写真やスナップショット、マジックランタンやタブロー•ヴィヴォンの写真など、19世紀から20世紀に渡る数々の写真のコレクターとして知られるLinda Fregni Naglerが今回展示した997枚の一連の写真には、思わず足を止め、その様子を一枚一枚確認したくなるような共通点がある。それは、隠された母親の存在である。The Hidden Mother (2006-2013)は、ご存知のように露光時間が長かったダゲレオタイプの写真撮影ならではの困難の結果しばしば見られた奇妙な習慣を伝える。撮影の際、非常に小さな子どもを動かずじっとさせておくことは難しく、子どもだけの記念写真を撮るのは至難の業だった。そこで考えられたのが、母親がすぐそばで支えていれば子どもはじっとしているという当たり前のアイディアであったのだが、写真をみてみると、「写る必要のない」母は、黒い布を被って自らを隠している。(写真 下)そこには明らかに誰かがおり、その存在は誰の目にも明白なのだが、それでも、母は姿を現してはいけないのである。この種類の写真には、子どもを安心させ、じっとさせるためのものと、子どもの「没後写真」の二種類がある。(上のように、子どもの背を後ろから支えているものは没後写真。) 写真が発明され、人々が肖像画を撮るようになった頃、写真が提示するまったく本物らしいイメージは、あたかも死んでしまった人が生き返ったかのように、あるいは、生き返ってくれたらいいとう人々の願いを喚起することになり、生前のような服と姿勢で撮影する没後写真が盛んに撮影されるようになる。生命力の強くない子どもはしばしば幼くして命を落とし、かれらもまた、可愛らしいドレスを着せられ、隠された母親に抱かれ、撮影されている。(展示写真は1840年代から1920年代にわたって撮影され、ダゲレオタイプ、アンブロタイプ、フェロタイプが混在している。)

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Nikolay Bakharevが撮影した家族写真や若い女やカップルの写真において、人々はすこしためらいを表情に浮かべながら、しかしどちらかといえば嬉しそうな様子を見せている。ソヴィエト抑圧下の厳しい統制があった時代、「裸」を写したイメージは厳しく禁止され、それを現像することも所有することも重大な犯罪とされていた。家族や恋人と、肌の露出を伴った写真を頑に禁じられていた当時、人々に唯一許されていた機会は、ビーチで撮影した水着姿くらいであった。人々はとても幸せそうに、唯一の自分の若かった身体、子どもである身体、年をとった肉体をBakharevの向けるレンズに見せてくれた。我々の今日の肉体は、今日しかそこにない。

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Laurie SimmonsAllan McCollumは共にアメリカのアーティストである。Laurie Simmonsは、1949年ニューヨーク生まれ、ユダヤ系の家庭に育ち、70年代より独自の主題をシリーズ化した写真を撮り続けている。人形の家を撮影した初期の作品から一貫して、人形や人形の家を使った状況設定はSimmonsの写真に繰り返し見られる。人形に様々なコスチュームを着せた作品や、人形が世界中の観光名所を旅しているようなシリーズ« tourism »もあれば、« Ballet »もやはり踊る人形がバレエの写真や絵画と重ね合わされている。さらにもっとも最近の作品The Love Doll(2009-2011)では、リアルドールが着物や鵜ウェディングドレスなどを纏って、化粧を施され、リアルな背景や家具の中に身をおかれた写真を撮影している。一方、McCollumは、30年間にわたって、物の公共性とプライベート性についての問題提起を、大量生産される日用品をインスタレーションとして提示することによって続けている。そもそもMcCollumは、俳優を目指し一度イギリスに渡り、帰国の後飲食店の経営やキッチン用品の産業に興味を持って技術系のカレッジに通っている。その後、航空会社で飲食関係の仕事についたが、フルクサスや初期構造主義に影響を受けてアーティストになることを決意する。このような経緯から、大量生産のプロセスとその産物が彼の一貫したテーマの一つなのである。さて、ここでは1984年にAllan McCollumの協力によって実現したActual Picture(1985)が展示された。さて、映し出された人形はしばしば目や鼻がなく、そもそも身体の形も不自然である。表面がざらざらしていたり、鼻のあるべきところがつるっとしていたりする。これらは全て、それは人々のポートレートと同じような一定の大きさの写真に提示されている。ところが実は、この人形のそれぞれは小さな消しゴムほどの大きさしかないフィギュアなのである。一つ一つ肖像画風に提示されるとそれぞれの「人形」は、奇妙な存在感を帯びる。

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Autur ZumijewskiBlindly(2010)において、集まってもらった全盲の人々が太陽を描くところをビデオに収めている。それぞれは筆は使わずに、指や足を使って絵を作って行く。そのうちの一人の男性は途中で、筆を使うことを選ぶ。なぜなら、彼が描きたい太陽の光線の一本一本が、指などを使っていては到底表すことが出来ないからだ。Zumijewskiはワルシャワに1966年に生まれた。ホロコーストの記憶や、Ability(できること)とDisability(できないこと)のボーダーに触れ、歴史的あるいは身体的なトラウマを描き出し、強い感情を引き起こすような表現を行っている。Sumijewskiの作品におけるDisabilityはそれが強い感情を引き起こすものの、それは単純な同情や見ることの拒絶ではなく、人々にそれに見入ることを促すように働く。

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次回は、彫刻とインスタレーションについて書きます。