09/22/15

夷酋列像, the image of Ezo 北海道博物館 Hokkaido Museum

夷酋列像 the image of Ezo

『夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界』展が、現在、北海道博物館開館記念特別展で開催中です。本博物館は、北海道開拓の村http://www.kaitaku.or.jpという広大な敷地内にある1971年会館の北海道開拓記念館と道立アイヌ民族文化研究センターを統合し、2015年4月にオープンしたばかりの博物館である。http://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/about/アイヌの歴史や文化、北海道のあり方に関する研究組織であり、学芸員や研究職員が所属する国内でも重要なアイヌ文化の研究機関である。

ちなみに北海道開拓の村は、北海道百年を記念して設置された、極めて「和人」的な、つまり和人のフロンティア征服の栄光を讃える的な匂いのしそうな施設と思われるかもしれないが、私の幼少からの経験では、北海道という土地の人民は、なんというか、アイヌの文化に対して今日エキゾチズムの視線でこれを高覧することもないし、過度にうやうやしくこれを「保護」しようと胡麻をすることもないし、北海道民自身は、この歴史と文化について、現代ではごく自然なリスペクト以上のものを振りかざしはしない、というのが率直な印象である。

これには幾つかの理由がある。

アイヌ民族は、研究により、続縄文文化、擦文文化を継承して独自の文化(アイヌ文化)を作り上げた民族だが、和人は歴史上ご存知のように、15世紀(1457年)、志海苔(函館)での接触をキッカケに戦闘に発展したコシャマインの戦いや、数々の戦いで彼らと衝突し、武力によって彼らを利用したり殺害したりしてきた。17世紀(1669年)に十分に北海道内陸である日高の静内で起きた松前藩とアイヌ民族の戦闘であるシャクシャインの戦い、これ以降、和人はアイヌ民族を強制労働者として利用したり、経済的に困窮させたことにより、ついにはクナシリ・メナシの戦い(1789年、ちなみにこれはフランス革命と同じ年)、北海道東部までアイヌ民族を追いつめての戦争、後に紹介する12人のアイヌの偉人の一人であるクナシリ首長ツキノエの留守を狙って大規模な殺害を濃なった悲惨な事件である。あまりに残虐な歴史であり、彼らの歴史や文化を研究するといえども、今日、アイヌ民族の人口は非常に少ない。

そしてこの「和人」の運命自体も着目すべきである。松前藩廃藩以降の、1871年に明治政府により官庁として設置された開拓使では、「蝦夷地之儀ハ皇国ノ北門」、言うまでもなくロシアの脅威の北方の壁となるべく身体を張って<「内地」(皇国)を守る>ことが使命であった。歴史の中で、どんな運命をたどるか、どんな興亡を見るかという、かなりのパーセンテージが実は、その地理的要因に拠るのである。北海道は、北方四島と樺太以北をめぐって、そのマージナルな地理を抱え、アイヌを利用しながら、ロシアと向き合い、内国の和人のエスプリと少しずつ確執を深めながら、この地に一世紀と数十年の歴史を築いてきた。北海道の冬は冗談でないほど大変である。たとえば暖かい国からやってきた農民だとか、たとえ東北出身者でもそれほどの厳しい冬を知らない移住者であれば、冬を越すことができなかったでしょう。政府は、越境のためにあまりに予算を食い過ぎる予想外の事態に、そそくさと予算を打ち切って断念しています(嵯峨藩士島義勇の島の計画)。

内地(皇国)のために矢面になるという役割は大正、昭和を通じて変わることはなく、悪名高いスターリン政権が武装解除した軍人を強制労働させたシベリア抑留が最大で11年に渡って行なわれ、日本人も50万人が抑留されたが、これはヤルタ協定での千島列島・南樺太の占領のみならず北海道の一部占領を要求したスターリンへのトルーマンからの対策だったのではないかと見る説もある。

今でもとてもワクワクする記憶として鮮明に思い出すのが、小学校のときの社会科の学習の一貫で、北海道の歴史を学んだ経験である。そこでアイヌ文化の紹介があり、アイヌ語のいくつかの言葉の紹介がある。北海道の地名や言葉のアイヌ語における意味が説明される。初めて出会う外国語に限りなく近い、しかし日常生活に密着した言葉の数々である。
「アーント!蟻!」「ペン!ペン…」と唱えていた嘗ての英語学習に比べたら、「さっぽろ」が、つまり「サツ・ポロ・ペツ」渇いた大きな川(そうです、豊平川のことでした!)であると知ったときの、あの喜びはなんとも心が踊る経験である。

さて12人の列像は、しかし「和人」によって描かれたものであるから、和人の文法を正しく使って、エンブレムを散りばめながら、作法に従って描かれたものである。例えば縄文人的な容貌、「一眉深眼、髪髭ながふして総身毛の生たる事熊のごとし」(坂倉源次郎が18世紀に記した『北海道随筆』における典型的描写)や、「三白眼」という黒目部分の非常に少ない眼の描き方、アザラシのブーツ、射た雀や鳥をベルトに結び、矢を引き、熊を犬のように連れ、仕留めた鹿を背負い…、彼らはそうやって、偉人(異人)伝説に登録されてきたのである。

げにいとめつらに気うときかたちしたり まゆは一文字につづきてまぶたのうへにおほひ ひげは三さかばかりありて口つきも見へず

なんてこった、昔の人の、異なる人を区別する視線は!
そんな風に、可笑しく思うかもしれないけれど、わたしたちは、
今日でも未だに、こんなことを世界のあちこちで、しています。

展覧会は巡回します。
日本のこと、和人と国の四隅で矢面になる各地の人々のこと、世界の異文化と異人のこと、考えるキッカケになると思います。

マウラタケ
ウラヤスベツ(斜里町)の首長。ポーズは仙人の図像集である『列仙図賛』を参考に描かれたもの。
ainu expo マウタラケ

チョウサマ
ウラヤスベツ(斜里町)の首長。同様に仙人図を参考にしたポーズ。アイヌの宝器を携えている。
ainu expo チョウサマ

ツキノエ
クナシリ(国後島)の首長。蝦夷錦の上に西洋の外套を纏っている。ポーズは中国三国時代の武将関羽に類似。
ainu expo ツキノエ

ションコ
ノッカマップ(根室)の首長。クナシリ・メナシの戦い終息のためにアイヌを説得したとされる。ノッカマップは、戦いに参加した多くのアイヌが処刑された場所である。
ainu expo ションコ

イトコイ
アッケシ(厚岸)の首長。紺の錦に赤い上着を羽織り、槍を携えている。
ainu expo イトコイ

シモチ
アッケシ(厚岸)の首長。弓術の名手として知られ、『和漢三才図会』はじめ多くの百科事典などに登場する弓をいるアイヌのモデルとなっている。
ainu expo シモチ

イニンカリ
アッケシバラサン(厚岸)の首長。白と黒の幼いヒグマを連れている。これは、弘法法師を高野山中で導いたとされる白と黒の犬を連れた狩人の図によると思われる。
ainu expo イニンカリ

ノチクサ
ノッカマップのシャモコタン(根室)の首長。鎌倉時代の武将、源平合戦の際に愛馬を担いで絶壁を駆け下りたという武士の怪力と野蛮さの象徴を象徴する畠山重忠の逸話を思わせる図である。
ainu expo ノチクサ

ポロヤ
ベッカイ(別海)の首長。右の襟を上に重ねる着方によって、和人の着物の着方との区別をしている記号的図像である。犬は洋犬として描かれている。
ainu expo ポロヤ

イコリカヤニ
ツキノエの末子。捉えた鴨を抱え、後ろに振り向いている。
ainu expo イコリカヤニ

ニシコマケ
アッケシ(厚岸)の首長。弓を抱えている。アザラシ皮の靴が、置かれることによって一層強調されている。
ainu expo ニシコマケ

チキリアシカイ
イトコイの母。ツキノエの妻という説もある。異国より手に入れた敷物のうえに毛皮を敷いて座っている。
ainu expo キチリアシカイ

蠣崎波響
蠣崎波響(1764−1826)は、松前藩主、松前道広の命を受け、クナシリ・メナシの戦いで功を奏したアイヌ首長12人の図を作成した。12人の絵に「夷酋列像序」という序文を持参して上洛し、多くの文人・貴族に披露した。さらに、光格天皇の目にも触れ、これらの列像は多く模写されることとなった。

09/21/15

BEACON 2015 Look Up! みあげてごらん, 空を仰ぐことの意味

9月13日、岐阜県美術館で開催中の「BEACON 2015」を体験してきました。BEACONは、1999年より断続的に名古屋や京都など、全国で発表・展示されている、映像・音響・理論・美術がひとつとなった作品である。伊藤高志さんの映像、稲垣貴士さんの音、吉岡洋さんのテキスト、小杉美穂子さん・安藤泰彦さん(KOSUGI+ANDO)が担当する美術が相互に影響し合って作り上げられた作品は、回転台の上で撮影された様々な土地の日常風景が展覧会場において同じく回転台の上で投影されるという形態を撮っている。

BEACONはいつも、人間の記憶に関わってきた。それはメディア環境における人間の記憶の問題であったり、日常を生きる我々の記憶の蓄積の比喩としてぐるりと連続する風景を回転台の上で投影することであったり。そこには人々の風景があり、声が聴こえ、光とオブジェがあり、今ここに居ないがいつか出会った人々の痕跡がある。

年のBEACON 2014は展示空間の特殊性が作品に極めて強くコミットしていた。東京都台東区の葬儀場を展示空間とする異例の作品展示、BEACON 2014は »memento »の副題がつけられ、インパクトある形で人間の生死を主題としていた。

今回のBEACON 2015は第7回目の作品発表となるそうだ。副題は »Look Up! みあげてごらん »。
作品中に登場する映像では、美術館のある岐阜、沖縄、福島の「日常風景」が回転しながら投影される。

« Look Up! みあげてごらん »、展覧会のチラシにも掲載された吉岡洋さんのテクストの中で、「みあげる」行為は以下のように説明される。

人はそもそも、どんなときに空を見上げるのだろうか?
 それはたとえば、この世の煩いから離れたいときであり、遠い存在に思いを馳せるときかもしれない。
 またそれは、希望を持とうとするとき、あるいは反対に、絶望したときであるかもしれない(見上げるという行為において、希望と絶望とはつながっている)。
 さらには乗り越えがたい障壁によって、突然行く手を阻まれたとき。それはつまり、自分は今まで閉じ込められていたのだと、知ったときだ。

ここには、みあげる行為の意味が明らかにされるだけでなく、なぜ混在する沖縄と福島と岐阜の日常風景を追体験するこのBEACON 2015という作品が「みあげてごらん」なのか、さらには、なぜBEACONがこんなにも直接的にフクシマの風景や沖縄の風景といったクリティカルな問題を映し出すにもかかわらず、そこに恣意的な声を潜ませることなく淡淡と回転台のプロジェクタが投影するイメージを届けるのか。

みあげることは単純な希望の象徴ではない。人は、絶望したときも空を仰ぐ。そこにはなるほど、「いま、ここ」の限界を痛いほど認識する「わたし」がいるが、そんなものは世界にありふれたことかもしれないし、また明日別の状況に出会うことかもしれないし、「わたし」を今たまたま取り囲んでいるその偶然に満ちた環境によってこれまた偶然にでっちあげられたハリボテみたいなドラマセットに過ぎないのかもしれない。そんなふうに、みあげることは切り離すことであり、あるいは繋がることである。

みあげることは、ある意味で孤独であり、ある意味で本質的に力強い。それは、頼りない表面的な結びつきとか駆け引きなんかに基づく脆弱な人間関係ではなくて、困難に打ち拉がれ途方に暮れて空を仰いだところからのインディペンデントな連帯だからである。

Look Up ! みあげてごらん。
この作品は10月12日まで見られます、そこで福島と沖縄と岐阜の日常を見ることは、いまここを断絶し連携し、今日の私たちの状況について考えに至るキッカケにもなると思う。

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09/21/15

鈴木理策「意識の流れ」展 / Risaku Suzuki Stream of consciousness

鈴木理策さんの個展「意識の流れ」は東京オペラシティーであと2日、9月23日まで開催中です。

ウェブサイト:http://www.operacity.jp/ag/exh178/

鈴木理策さんは80年代より大判の写真作品で知られ、とりわけ熊野を撮影した写真や海や山などの自然を限りなく鮮明に、しかしそれは絵画のようにも映像のようにも見える作品を制作しています。今回の展覧会では写真作品が100点、映像が3点と大きな規模の回顧展と言える展覧会だと思います。
写真はいつから、ボケていてはいけないことになったんでしょうね。隅々まで鮮明に、できるだけ遠くを、できるだけ近くを、っというオブセッション。しかし我々の視野はもっとざっくりとしたもので、見えているけど見ていないものだらけだったりします。ぼうっとながめているとき、それらはぼやけているでしょう。焦点があっていない時だってあります、だからこそ写真の展覧会ではそのつややかな表面に、『ウォーリーを探せ!』と言わんばかりに塗り籠められた細部を見るのに大変疲れてしまうのです。
鈴木理策さんの写真は、そのピンぼけと鮮明さの両極の特徴で知られています。たしかに、「自然」に感じられるイメージという印象がある。自然に、というのは、がんばったり抵抗を乗り越えたりしなくてもよい、というような意味です。
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07/28/15

La Manie d’Abruti par Mike MaKeldey @la Galerie Da-End

Mike MaKeldey « La Manie d’Abruti »
La Galerie Da-End, du 8 janvier au 28 février 2015

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酷いタイトルの展覧会なのである。しかしそれも戦略的な。
La Manieは日本語で「マニア」と訳される言葉である。つまり偏執とか偏愛とかいう。Abrutiはオロカモノ、とかいう感じである。愚かしさへの偏愛とか、オロカモノへの偏執などといった雰囲気を感じていただければと思う。

1973年フランクフルト生まれの画家、Mike MacKedleyは独学の画家であり、伝統的ポートレートを(彼の展覧会タイトルを尊重するならば)愚かしさへの偏愛によって異化させる、そんな実験的絵画を模索している。

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ご覧頂けるように、ベースとなるのは極めて伝統的でクラシックな絵画である。その表面はブラシで一定方向に流されており、それゆえそのイメージはぼんやりとして、境界線が溶け出したような印象を与える。そこに、画家は場違いの存在、エイリアン的なものを描き込む。描き込まれる奇妙な生き物やオブジェ、言葉によって何であるか同定しづらい形態は、文脈を逸脱している点で「オロカモノ」の要素を構築しているに違いないのだが、境界線がとかされるリアリズムの絵画を自明のものとして観るのを止めるとき、つまりそこにあるヒエラルキーを一度なし崩しにするとき、その異物こそが画面において支配的であることを認めずにはいられない。

形態そのものを変形させているのではないにせよ、日常的なものに対する、我々のヴィジョンをラディカルに変容させる試みは、フランシス・ベーコン的なものの影響であるに違いない。

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重ね合わされるタブロー、つまり重ね合わされた存在と時間、重なり合ったそれらが境目を溶け合わせるとき、ひとつのヴィジョンは壊され、あたらしく別のヴィジョンが作り直される。あるいは、生成中の絵画を垣間みるかのような。

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07/28/15

Joan Jonas « They Come to Us without a Word » Venezia Biennale / ジョ—ン・ジョナス 彼らは言葉なく私たちのところにやってくる

Joan Jonas(United States Pavilion)
« They come to us without a word » (The 56th Venezia Biennale)

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ジョーン・ジョナス(1936年ニューヨーク生まれ)の作品に関心をもったのは、2012年のドクメンタ以来である。その後もパリのギャラリーYvons Lambert(past article here : salon de mimi)などで彼女のインスタレーションを観る機会があった。彼女はいつも、独特のデッサン、神話や口頭伝承の民話などに基づく謎めいた映像、自然や動物の要素に重要な役割を担わせ、それらを彼女の方法で結びつけて一つの世界として立ち上げる。作品は多数のエレメントを孕みながら、それでも統一的な物語を為していて、そこにあるのはいつも「Joan Jonasの世界観」と言えるものなのである。

2015年の第56回ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ館では、ジョーン・ジョナスは第6章に及ぶ世界を作り上げる。ビエンナーレのインスタレーションに先立ち、今年ニューヨークで幾つものワークショップを子どもたちと共に行ない、そのパフォーマンスが各部屋のビデオに映し出される。風景の映像には彼女がこれまでも好んで利用してきた幾つかの都市や田舎、Nova Scotia(カナダの東の島)、ニューヨークのブルックリンなど。

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各部屋の章立ては次のようになっている。
1 Bees, 2 Fish, Rotunda Mirrors, 3 Wind, 4 Homeroom and Courtyard Nine Trees.
各部屋にはスクリーンと、物語にまつわるオブジェ、たとえばBeeやFishの部屋にはジョナスのドローイングが、Windの部屋には日本製のカラフルな凧が、あるいはマスクやテクストがショーケースに展示されている他、鏡の部屋を飾る表面が波上になっている鏡はムラーノ島で製造されたものだ。

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口頭伝承の民話、自然、動物、パフォーマンス、立ち上げられた一つの世界観。インスタレーションを経験することは自ずと前述のdCUMENTA13(2012)のインスタレーション »Reanimation »を思い起こさせる。

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世界の変わりゆく様相を、人間の伝統、自然や動物、都市の生活に焦点を当てながら思考するジョナスの作品では、ジョナス自身の言うように彼女から積極的な答えを明示されることはないが( »Althought the ideas of my work involves the question of how the world is so rapidly and radically changing, I do not address the subject directly or didactically, rather, the ideas are implied poetically through sound, lighting, and the juxtaposition of images of children, animals, and landscape. »)、そのことをそもそも我々の目にしたことのないような方法や観点から、本質的に問題提起する。というか、恐らく、重要なのは気がつくことそのものであって、どうするか、何をするか、ということは、その思考が明瞭ならば自ずと続くプロセスなのである。

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ジョナスのインスタレーションの体験は非常に魅力的である。それは、同一の世界の、しかし我々の見知らぬ世界の音楽と光を我々が生きてみることを許してくれるからである。

Ref. Joan Jonas « Reanimation » @Galerie Yvon Lambert, Paris / ジョーン•ジョナス « Reanimation »

Ref. Joan Jonas in Venice official

07/27/15

Jesper Just « Servitudes » @Palais de Tokyo / ジェスパー・ジャスト 隷属

Jesper Just   »Servitudes »
Katell Jaffrès (Commissaire)
@Palais de Tokyo du 24 juin au 13 septembre 2015
Website : http://www.palaisdetokyo.com/fr/exposition/jesper-just

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« Servitudes »と題されたインスタレーションは、パレ・ド・トーキョーの地下空間を利用した大規模なミクストメディアの展示で、地下という場所の親密さ、あまりにも広い空間の工事途中であるような構造がのぞく落ち着かないムード、無骨なようすで組まれた階段や廊下を歩きながら移動する作品鑑賞経験の効果はあまりに上手く、 »Servitudes »の演出に貢献する。

ジェスパー・ジャスト(Jesper Just, 1974年ニューヨーク生まれ、2013年第55回ヴェネツィア・ビエンナーレのデンマーク館にて展示)は、印象的な音楽と音響、気がかりな登場人物によって観る者の関心を喚起する物語を紡いできた。本展示では、足元の悪い、薄暗いパレ•ド・トーキョーの地下空間をおぼつかなく歩みながら鑑賞する幾つかのビデオ作品と、空間を満たすÉliane Radigueのエチュード作品17番が通奏低音のような役割を果たしながら、鑑賞者をジャストの物語に招待する。エチュードは、通常のテンポに照らせば、とまりそうなくらい、ゆっくりと響く。

« Servitudes »(隷属、あるいは何者かの拘束する対象となること)。

インスタレーションの入り口の大きなスクリーンにのぞくのは、両手に装具を着けた若い女がこちらを時々睨むように見据えながら、懸命にトウモロコシを食べている映像。女は思い通りにならない両手で、その両手を覆う装具はかろうじて役に立っているのかそれともむしろ動きを邪魔しているのか分からない。鮮やかな黄色のシャツに青白い肌、半サイボーグ的な姿をこちらに晒しながら、何度もかじりかけのトウモロコシを落としては拾いあげ、かじりつく。

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その地下に続く大きく開かれた空間とは別個に、親密な一室がある。ひとりの少女がやはり思い通りにならない両手をぎこちなく操りながら前述の、テーマとなる音楽エチュード作品17番を演奏しているヴィデオである。少女の指は様々な方向に曲がっていて、少女の頭の中で自由に鳴り響く流暢な音楽とは裏腹に、紡がれる音列はでこぼこして、丁寧な音色はひと粒ずつゆっくりと鳴り響く。

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ハンディキャップをもった登場人物は、トウモロコシをかじる女とこの少女の他に、おそらく身体の自由のきかない状況か空間で動き回る一人の人物や、ニューヨークの高層ビルを一望する貿易センタービルの上層階で時々吃りながら発話する女性など、繰り返し現れる。

複数のスクリーンに映し出される映像は、互いに結びついている。たとえば、この貿易センタービル上層階の女性に呼応する映像が、ピアノを弾く少女を通じて表される。ピアノを弾く少女は上述のように曲がった両手の指をもち、思い通りにならない両手に隷属する自己の受け入れ方を模索している。少女は見上げきれない貿易センタービルの根元で小さな石ころを片手に、それをびくともしない貿易センタービルの壁に、コツン、コツン、と打ち付け続ける。やがて少女は自分の片手を貿易センタービルのガラス張りになっている部分の隙間に挿入し、分厚いガラスを通じて見える自分の手がぼんやりしてその曲がった指の様子など分からないのをながめながらすこし幸せそうな表情を浮かべる。トウモロコシを食べる女の向かい側、下に位置するスクリーンは、ひたすら開閉を続ける数台のエレベーターの様子を映し出す。いくら見ていても、そこから誰かが降りて来ることはないし、誰かが乗るのでもない。エレベーターは必ずその階に止まり、扉を開け、閉めて去って行く。

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作品のキーワードとなるのは、タイトルの如く »Servitudes »で、登場人物は、内容は違えども何かしら本人にとっては深刻なハンディキャップを抱えて、しかしそのような身体の隷属するところのものとなる個人に焦点が当てられる。あるいは、隷属は肉体を抱える個人にあるというよりもむしろ、生きる存在として取り巻く世界に隷属していることを指すのかもしれない。見上げきれないビルが空を覆う大都会の小さな人間の弱さと感じやすさを強調しながら。

07/27/15

Henry Darger (1892-1973), La violence et l’enfer / ヘンリー・ダーガー その暴力性と地獄

ヘンリー・ダーガー その暴力性と地獄

Exposition du 29 mai au 11 octobre 2015 @Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris
Web: www.mam.paris.fr

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ヘンリー・ダーガーのことについて、何か書くことが残されているだろうか?
あまりに有名で、ディスコースが確立しているようで、少なくとも日本ではヘンリー・ダーガーを新しく語る言葉をもはやだれも探していないように思える。構造主義的な作家解釈が力を持つ今日、(少なくとも彼の世界観については)彼の謎めいた私生活、社会と隔絶した奇妙な行動、女性を知らないまま生きて死んだという生い立ち等々の要素が組み合わさって、自ずと『非現実の王国で』は、現実世界に十分にコミットする手段と場所を得なかった一人の人間が、自分の理想的な想像世界にひきこもることによって紡いだ妄想旅行の集積であると見なされている。とりわけ少女がしばしば全裸であることや股間に男性器が見られることなどには関心が集まり、特定の文脈での引用が今日も盛んに行なわれる。

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しかし、この一ヶ月、三回パリ市近現代美術館に通い、その度にコレクション展示の中に特設されたヘンリー・ダーガーの作品の中をウロウロした。何回も同じ絵の前を通り、同じ抜粋テクストを読み、同じビデオを見た。ダーガーの創造したダーガーと7人の美少女戦士の物語。作品に対峙するほどに、彼はその“非現実の王国”の妄想において、ちっとも自由ではなかったということが痛々しく語られてくる。

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ヘンリー・ダーガーは、芸術訓練を受けた所謂「プロ」のアーティスト(インサイダー?)がアート市場のメインストリームを築き、名声を得るというスタンダードに反し、「アウトサイダー・アート」の表現者としてカテゴライズされている。というか、アウトサイダー・アートというカテゴリーをわざわざ創設したのすら70年代のことなのだから、ダーガーの仕事が行なわれていた1910〜60年代には勿論、アートだろうとアートでなかろうと問題でなかった表現行為なのである。ダーガーは、19歳のときに執筆を始め、死ぬ前年までこれを書いていた。1973年にダーガーは死ぬが、72年に彼が貧窮院に入った際、シカゴの自宅で膨大な「作品」が発見されたというわけだ。

ダーガーの60年に渡る創作がアートであるかどうかを議論することには個人的に興味がない。なぜならそれは表現されたものであり、表現することによって80年間を生き続けた一人の人間の行為の結果であると言う事実があり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。

ただし、これまでのダーガー解釈はやはりお花畑のヴィヴィアン・ガールズのイメージに引っ張られすぎて、誤解を通り越して、むしろ皮肉ですらあるように思える。彼の物語にあてられるキーワード、イノセンス、夢、パラダイス、純真、そんなものは恐らくもっとも遠くにあるもので、ダーガーの生きた半生は、残りの全ての人生をかけて、セルフ・セラピーに時間を費やすことのみが必要であるような、トラウマティックなものだったと予測される。

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ダーガーの描く、子どもを蹂躙する男たちも、それをながめる人々も、戦う大人と子どもも、攻撃し合う兵士たちも、命令する権力者も、すべて、本当に彼が目にしたものに過ぎない。物語は非常に暴力的で、立ち向かう美少女戦士とそれを応援するダーガーという物語の骨組みは、「非現実の王国」における自慰の手段と言えないことはないが、それよりももっと深い、一人の人間の表現する切迫した必然性を感じさせて止まないものである。

①表現する切迫した必然性。

これは表現行為に人を突き動かす本質的なドライブである。

②芸術の有用性。

それはその表現されたものがどの程度まで他者に対して応用力を持つかである。

ダーガーの表現したものは後者において分かりやすいものではないために、その解釈の点で疑問を残す。しかし、前者(表現のための切迫した動機)を人々が感じ取ってしまう、その強烈な表現としての力にこそ、ダーガーの人生とその経験、その結果としての表現されたものが人々の関心の的となり続ける理由がある。

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ダーガーの作品は過剰にリアルである、というのが現在の私のダーガー観である。

「地獄とは、地の底にのみ存在するものだろうか?」(Henry Darger)

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07/21/15

Beauté CONGO 1926-2015 CONGO KITOKO

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7月11日に開幕したばかりのFondation Cartier pour l’art contemporain で開催中の展覧会Beauté Congo 1926-2015に行ってきました。地下が歴史的展示、地上階は現代アーティスト(1970年代から現代)そして庭ではサウンド・インスタレーションがありました。

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JP Mikaは1980年生まれの画家で、本展覧会展示アーティストの中でも最も若い。
キンシャサのボザール出身でChéri Chériのアトリエで学んでいる人気画家。

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絵画にはティシューを使っています。典型的な大柄の布にペインティングをするというものも多い。

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風刺画が非常に多い。カリカチュアの文化があります。
避難所に逃げ込みたい人々が列を作っている(上)
プレジデントに話し合いに応じるよう訴える(中)
動物たちが議会を開いているがそこにはPolitiqueをもじってPourritique(Pourriは腐ったという意味です)(下)

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このバンドデシネ的なタッチの絵画は1970年代から活躍したChéri Sambaの貢献に拠る所が大きい。ポピュラー絵画のジャンルをコンゴで立ち上げた先駆者でもある。

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母の腹から出てこないUn vieil enfantのカリカチュア。
国家の独立とは何か、というシビアな問題に関する作品です。

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興味深かったのは1990年代から2000年代のコンゴの雑誌のコレクション。
バンドデシネ文化が分かる。

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地下の階では1920年からのヨーロッパがコンゴ美術と出会ってからの歴史的作品。
1926年にベルギーのGeorge ThiryがBukamaやKatangaで様々な職人と出会い、水彩画に必要な画材などを伝えたようです。
1946年以降のフランスのPierre Romain Desfossésが作ったElisabethville学校というのは、通称Atelier du Hangarと呼ばれて、もっとコンゴ美術に深い影響を与えています。画法も強制せず、イマジネーションも自由に、ということだったようですが、国際的な展示や交流機会は、コンゴの美術家たちに大きな影響を与えたことは間違いないと思います。

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展覧会は11月15日までです!
http://fondation.cartier.com/fr/art-contemporain/26/expositions/1771/en-ce-moment/1789/beaute-congo/

05/31/15

Exposition Pierre Bonnard @musée d’orsay

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オルセー美術館で開催中のPierre Bonnardの回顧展に行ってきました。世界中で展覧会が行なわれ、ナビ派の画家でもよく知られているPierre Bonnardですが、オルセー美術館での回顧展は大規模なもので、大きな絵画、結構面白い肖像画や静物画、そして彼の好んだ水のテーマ(バスタブの中の女性)、寝室での親密な絵画など、数多く見ることが出来ました。
ナビ派はご存知ゴーギャンの大胆な色彩指導に影響を受けたBonnardやPaul Sérusier やMaurice Donisらがそれまでの印象派に対して提案した斬新で明るく強い、そして比較的平らなイメージを創った画家たちです。

«Il y a une formule qui convient parfaitement à la peinture : beaucoup de petits mensonges pour une grande vérité.»
(絵画とは、一つの大きな真実のための小さな噓の集積だ)

とPierre Bonnardが述べたのはよく知られています。
最近縁が会ってMusée Marmottan Monetで開催中の展覧会La toilette, naissance de l’intimeにおいてもやはり親密な行為を数多く描いたBonnardの絵画を拝見することが出来ました。細部が本当でなくても良いという指摘は、なるほど多くのことに通じている気がします。音楽もまた然りですしね。

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03/26/15

新聞女 4月15日正午 パリ第8大学 / Intervention de Miyuki Nishizawa, Newspaper Woman, le 15 avril 2015 à Saint-Denis

Please walk under here, Guggenheim NewYork, 2013

Please walk under here, Guggenheim NewYork, 2013

J’ai le plaisir de vous inviter à l’intervention-performance de Miyuki Nishizawa, autrement appelée Newspaper Woman, dans le cadre du cours « Création littéraire » à l’Université Paris 8, le 15 avril 2015.
Miyuki Nishizawa, vit et travaille à Osaka et Kobe au Japon, est l’un des successeurs directs du mouvement artistique Gutaï. Miyuki Nishizawa a développé sa conception artistique avec son maître Shozo Shimamoto, artiste. Miyuki Nishizawa a été invitée pour une performance au Musée Guggenheim à New York en 2013 et a participé à de nombreuses manifestations culturelles non seulement au Japon mais aussi dans divers pays comme la France et l’Italie.

Elle utilise le papier journal, en tant que média, rempli souvent par de nombreux événements tristes, édité, imprimé et jeté quotidiennement. L’art de Miyuki réalisé en papier journal n’est pas qu’art écologique (car elle recycle le papier), mais transforme ces informations tragiques en énergie positive pour nous encourager à vivre, s’habillant d’une magnifique robe de papier journal. Porter bonheur et nous amener à la paix mentale à travers sa performance : ce sont les deux objectifs de l’art de Miyuki.

À cette occasion, elle nous racontera son idée artistique, son parcours original et ses projets en cours. Ensuite elle présentera une oeuvre intitulée « Peace Road » conçue après les attentats du 11 septembre. Il s’agit d’une performance pour souhaiter la paix dans notre monde où il peut y avoir différentes cultures, différentes religions, différentes racines. Cette oeuvre importante a été réalisé au Japon, en Italie et dans d’autres pays. À l’occasion de cette intervention, j’ai le plaisir de vous inviter à témoigner de cette nouvelle version réalisée à Saint-Denis, et à partager un moment significatif.

MIyuki Nishizawa suspendue, performance de la grue

MIyuki Nishizawa suspendue, performance de la grue

2015年4月15日正午、パリ第8大学における『現代的文学創作』の授業の一貫で、新聞女こと西澤みゆきさんをお招きし、講演−パフォーマンスを行ないます。

西澤みゆきさんは、大阪・神戸を拠点に日本全国で多彩な活動を繰り広げられているアーティストで、具体美術協会の直接の後継者でもあります。西澤さんは、具体設立メンバーのひとりである嶋本昭三さんの弟子であり、彼と共に世界を巡り、芸術的コンセプトを発展させてこられました。新聞女は、2013年3月ニューヨークグッゲンハイム美術館に招待され、1000人のヴィジターのためのパフォーマンスを実現するほか、日本のみならず、世界中で数多くの文化的行事や芸術イベントに参加しています。

西澤さんの利用するメディア「新聞」は、日々、多くの悲しい出来事を私たちに伝えます。それは毎日大量に印刷されてはすぐに捨てられてしまいます。新聞紙を利用する新聞女のアートは、しかし、単なるエコ・アートではありません。彼女は新聞紙からなる見事なドレスを纏うことで、その悲劇的なニュースの堆積をポジティブなエネルギーに変換し、私たちを元気づけ、生きさせてくれるのです。幸福をもたらすこと、平和を祈ること、これが彼女のアートの本質と言えるでしょう。

さて、4月15日の講演−パフォーマンスでは、西澤みゆきさんにこれまでの活躍、ちょっと変わった経歴、これからの野望などを語ってもらいます。それから、9.11以降世界中で平和を祈るために続けられているパフォーマンス作品『ピース・ロード』のサン・ドニ(フランス)ヴァージョンをお披露目します。世界は多元的で、異なる文化と、異なる宗教、そして異なる人種が入り交じっています。彼女のアートはそのような世界における平和を希求するものです。どうぞ、お友達、ご家族、ご近所の方と一緒にお越し下さい。いっしょに、『ピース・ロード』サン・ドニ版の目撃者となりましょう!

Peace Road, Venise

Peace Road, Venise

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詳細は、大久保美紀(@MikiOKUBO)までご連絡ください。あるいはこちらにコメントをお送りください。