06/6/12

日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。part2

2012年5月13日(世間は日曜日)、この日の朝は早い。京大の加藤くんの発表が午前10時、9時半には機材チェックで集合。

この日一番ドキドキしたのは、個人発表のレジュメが足りなくなって、ファミリーマートに走った時だ。準備しているうちに、要旨に載せた作品分析の内容が思いっきりはみ出し、やむなく長々とレジュメに載せた部分があったし、心を込めて作ったレジュメでもあった。それに、せっかく日本で発表できる!!とワクワクやってきて、コピー代をケチってレジュメが足りないなんて、色々とおわってる(と思う)。せっかくファミマに行ったのに、ホワイトチョコ&クランベリークッキーを買い損ねたことには後悔の念が絶えない。

「なぜ人は外国のファッションに憧れるのか」は、二日目のシンポジウムのテーマである。コーディネートの高馬さんとは、スペインのコルーニャの学会で二人でフランス語で発表したという楽しい思い出がある。今回のシンポジウムでは、企画段階から当日まで、大変お世話になった。リトアニアからスカイプ電話をかけてくださったり、準備もとても楽しく勉強になった。いや、私なんかほとんど何も働けておらず、高馬さん、皆さんに感謝の気持ちでいっぱいである。

高馬さんがお話しされたエキゾチズムと未熟性への着目はとっても興味深い。西洋の日本のファッションへの憧れは、常にエキゾチズムの視点に立脚してきた。未熟性と無臭性を強調する日本のモードは、「アジアで最も西洋化した国」というアイデンティティーを西洋にもう一度突き返し、その価値を問う、盾であり矛であるのだ。

ジェシカさんの発表内容は、私自身もゴスロリとロリータカルチャーの海外輸出について色々調べたことがあるので、めずらしくちょこっと予備知識があった。だが、彼女の提示する視点は、さすが西欧の女性のものである。Yoji Yamamoto Comme des Garçons などの80年代以降パリのプレタ•ポルテで活躍したジャパンデザイナーが提案していた、クールでカッコいいファッションに憧れて日本にやってきた彼女が目にしたのが、少女というか人形というか子ども?!のようなフリフリ•ロリロリのスタイル。この流行を目に前にして、「日本のファッション界に騙された!!!」と思ったらしい。この発言はなかなかカッコいいなと惚れ惚れした。日本という国は、しばしば、小さくて美しい繊細な箱に入った、ノスタルジックなおとぎ話のように、ヨーロッパの人々に妄想されている。(日本人が、フランスに行けばマリー•アント•ワネットの世界が広がっていると妄想するように。) そう言われてみれば、Rei Kawakuboのギャルソンのスタイルは海外のアクティブで格好良くてオシャレなそしてやっぱりややギャルソンヌな女性に心から愛されているようだけれども、そのスタイルは、国内でティーンズやヤングのファッション雑誌のページの大部分を占めるような、いわゆる「はやりのスタイル」には成り得ない。ニッポンの女の子は、可愛くなきゃいかんらしい。

池田さんが見せてくださった映画の抜粋に登場する大正ゴスロリ少女は凄かった。少女というか、本来のゴシックの未亡人のようですらある。フリフリを軽く着こなすというのがいかに難しいかわかる。あまりに感動したので写真を撮った。

日本の映画に初登場のゴシックロリータ。

 

私自身は、「キャラ的身体とファッション」というテーマで、現代的なメディア環境に生きる中で、私たちのボディイメージとファッションへの感覚が変化しているのではないか、という話をした。アバターやアイコン、プロフィール写真で自分の顔を常に覆いながら、ネット上でのコミュニケーションに長い時間浸っていると、自分の生々しい肉体はほぼ意識の外に追放されて、二次元的のキャラ的イメージとして「わたし」を感覚してる状況に気がつく。このことが、テーマ「外国ファッションへの憧れ」にどうか関わるのかというと、つまり自分をキャラクター的に認識している身体意識は、リアルな外国人ボディを熱烈に目指していた身体意識とはまったく違うということを指摘した。

身体意識について、考え始めて久しい。そういえば以前は、身体イメージにより焦点を当てていた。このテーマについて語るとき、幾つか割り切れないエレメントがあって、それは、国(文化圏)と世代(年齢)だ。あまりに当たり前の要素で申し訳ないけれども、「キャラ的だよね!」なんて、一つのことを爽やかに言ってのけてみたいときに、これは大きなダメージを及ぼす。現象や文化はものすごく強烈に国や世代に結びつけられているとは言え、「キャラ的身体、なんて、日本社会内だけで通じる内輪ネタだよね!」とか、「二次元的に自己像を認識してるなんて、ネット世代だけでしょう」とかいう風に、希少動物保護地区に隔離されてしまうともう負けである。

いや、これはそもそも戦いではない。私たちがこれからすべきことは、国(文化圏)と世代(年齢)を越境できるちからをもった言葉で語ることだ。日本のネットが、日本のケータイが、日本のサブカルが、この先どこにも着地すること無く、ふわふわと漂って独自でガラパゴス的な伝説となるのなら、私たちはこれを語り、書き、残す必要は無い。少なくとも私はそんなことに興味がない。

学会の反省からやや脱線してしまった。だが、海外からの一部の視線によって形作られる、日本のファッションやアートに対するエキゾチズム風のちやほやモードの上で浮かれることなく、そんなものをむしろ突っ返すくらいパワーのある議論なり、書物なり、物語なりが、必要とされていると思うし、そういうものを発信していきたいと思う。

時間がほんとうにやばいと話をしているところ。室井先生有難うございました!!!

06/3/12

ゴスロリ衣装を外国で着ること。

Part2もお楽しみに!と見栄を切ったものの、Part1の次が必ずしもPart2でなければならないなんてことはなかろう。今回はただ、あることについて、長い間魚の骨が喉につっかかっているように、語り切らないはがゆさを少しでも拭い去るべくこの記事を書いてみる。

マンガ、オタク、クールジャパンの代名詞で語られる日本の現代文化は、多くの現象がそうであるように、当人の希望やコントロールの外で勝手に繁殖し、消費され、再生産されてきた。現代文化だけではない。いわゆる日本らしいイメージを喚起するもの、禅のエスプリや柔道・茶道、寿司を始めとする日本食、着物や和小物は、一度日本から旅立った後は、どのように享受され、発達させられるかは、日本人の意図にしばしば無関係だ。

某大先生が以前ご自身のブログに載せていらっしゃった、「”クールジャパン”はなぜ恥ずかしいのか」という凄い記事が私の喉に刺さった魚の骨をつるっと取ってくれる気がして、何回も読んだ。取れそうで取れなかった。そもそも、自分で考えようともしないで、先生の書いたものを読んで問題を解決しようなんて、安直な態度がいけないのだ。いや、この記事は凄いのだ。おかげで、なぜ「ゴスロリ衣装を外国できること」是非と意味を考えなければいけなくなってしまったのかは明確にわかったのだから。

私は人生で数えられる程度にゴスロリ衣装を着ている。一人で鏡の前で着たという極めてカウントしづらい状況を除くと、
1度目:京都大学交響楽団の定期演奏会後の打ち上げの席
2度目:大学4年生の時に京大で行われた日本記号学会大会
3度目:コルーニャで行われた国際記号学会
4度目:2010年のジャパン・エクスポ(パリ)
5度目:フランス国立東洋ギメ美術館で日本サブカルチャーについて講演した際
6度目:ニヨーという街で日本現代文化について講演した時
7度目:ランジスという街で日本文化と料理について講演した時
数えこぼしがあるかもしれないが、とにかくこんな程度である。
たしかに、日本で着ているより外国で着ている方が多い。

ちなみに私はコスプレイヤーではない。ゴシックロリータの衣装は一張羅だ。
コスプレイヤーではない、とは一体どういうことか。8回もコスプレをしているというのに。
私にとってのコスプレイヤーは、コスプレを楽しむ人であり、とりあえず利益を得るためでも、人に頼まれたわけでもなく自主的にコスプレをする人々だ。分析によると、私がコスプレをするのは、第一にリクエストがあった時、しかもそれが講演会などのお仕事の時、学会などで発表のテーマに関わるとき、打ち上げで絶対みんなにウケると確信を持っている時のみだ。この打算性は、コスプレイヤーの精神から程遠い。

しかし、文化現象が一度、元来のコンテクストを離れると、ふわふわと勝手に飛んでいってしまい、全く別の文化圏で異なった容貌に育ってしまうのと同様にして、私のこの堕落したコスプレは、それを目にする人にとって、私がコスプレイヤーであるか否か、私がホンモノかニセモノかの真偽とは別のレベルで、勝手に受容されてしまう。なるほど、外国でコスプレというコードを提示することは、いったい責任重大な行為なのだろうか?ニセモノコスプレイヤーの私がゴスロリを着てゴスロリを語ったら、それは人々を欺くことや、カルチャーを歪曲して伝達することになるだろうか。

私の答えはもちろん否である。

日本人であるアイデンティティを背負って、日本のサブカルチャーを語ることは無論、存在感のあることだ。一方で、ある文化現象について全くニュートラルな立場でありのままを伝えることが果たして可能だろうか。鑑賞者には、彼ら自身の関心を通じて、知りたい項目を選択し、勝手に理解し消化する権利がある。それと同様に、提示する者には、自身の目的とコンテクストに惹きつけて、バイアスを伴ってこれを語る権利がある。さらに言えば、私にとって、このことは権利の問題と言うよりも、「文化現象の越境」とは本質的にそういうものなのだ。完全に透明な文化紹介も、究極に無臭なカルチャー輸入も、存在しない。信じているとすれば、そんなものは、提示者の思い上がりである。提示者のアンバランスな語りを外から批評するのはたやすく無責任な行為だ。

世界でちやほやされてきた、クールジャパン・カルチャーは遅ればせに外国の人々に向けて日本人自身によっても語られるようになった。しかし、確かに多くの日本人がこの状況をどことなく不本意に感じているようだ。日本人です、と公表するやいなや、「マンガ!」「カワイイ!」と余りにも少ないキーワードで表象されてしまう現実に、屈辱に似た反感を抱いているようだ。

不本意に感じることや、誤解がある思えるならば、自らの言葉を使って直接コミュニケーションに乗り出すことができよう。提示する人それぞれが各々の目的に即してこれを語っているのと同様に。あるいは、例の「恥ずかしさ」を超えて、文化輸出とはこういうことだよね、と全ての結果に寛容になって達観することすらできよう。

私が外国でクール・ジャパンを語るとき、私は自分の目的に即して、語りたいことの文脈に引き付けてこれを提示する。それはニュートラルでも無臭でもないことを私は知っている。私はそのことに罪悪感を感じないし、それが私が語る意味だと確信している。ただひとつ、このような現場で、私は嘘を絶対つかないし、悪意で意味を歪曲させたりすることは、決して、ない。

なんとなく恥ずかしいと口を閉ざすよりも、それがどうして気になってしまうのか、知ろうとする態度を、私は選択する。

gothic lolita, 2010 summer, Paris

05/28/12

日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。part1

かれこれ2週間も経ってしまった。2つ前のポストで(here!)、あるいはblog de mimiにおいても、日本記号学会第32回大会について宣伝させていただき、発表要旨も掲載させていただいた。そんなわけで、日本へは5月11日の午前中に到着し、その日一日は、時間がないなりに最大限楽しもう!と、京都国立近代美術館にて村上知義の「すべての僕が沸騰するー村上知義の宇宙ー」展を訪れ、その足で引き続き、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAの展覧会を訪れた。12日お昼から学会の総会、セッション、パフォーマンスという一日目のプログラムが始まる。事前調査では、関西は暖かい予想で比較的薄着しか持ってきておらず、この日はかなり寒い目に遭った気がする。ファッションをテーマにした学会なのに、色のごちゃ混ぜもありえない重ね着も寛容するしかないほどに、寒かったことには参った。

セッションの前に、実行委員長の小野原教子さんから挨拶があった。小野原さんとは、数年前にスペインのコルーニャで国際記号学会のセッションでご一緒して以来、彼女がロンドンにいらっしゃった際にパリから訪れてお世話になるなど仲良くしていただいている。小野原さんらしい、衣服を纏うことと記号学へのパッションに溢れる素晴らしい挨拶にとても感動した。

一日目のセッションは「(人を)着る(という)こと」というテーマで、人が衣服を着るあるいは脱ぐというのはどういうことなのか、あるいはそもそも人は完全にまとっているものを脱ぎきって、裸になることができるのか、という纏う行為そのものの定義を揺さぶるような興味深い着眼点だった。このことは、もちろん、2日目の最後に行われた、鷲田先生と吉岡先生の対談「〈脱ぐこと〉の哲学と美学」の中で議論された内容にも関わる。つまり、人が裸になるとはいかなることか、完全なる裸になることは本質的に可能なのか、身体にまとわりつく沢山の意味から一体人は自由になることができるのか、といった問題だ。

2日目の最後、学会を締めくくる対談の中で、吉岡先生は〈脱ぐこと〉に関わる幾つかのパフォーマンスや作品を紹介された。島本昭三の女拓写真、あるいは高嶺格のワークショップで参加者の女性が実現した裸写真もそのうちのひとつだ。

私がとりわけ興味深く聞かせていただいたのは、1960年代から数あるハプニング作品の中で、先生がおっしゃったように人々は脱ぎまくっていたわけだけれど、その中の幾つかの作品においては、たしかに、身体が見たこともない、あるいは別の存在として提示され、その瞬間、私達は普段「裸」の身体をみつめるのとは全く異なる視線でこれを見つめる。まさにこの時、身体はひょっとして、生まれてから死ぬまでこれをがんじがらめにする多重の意味のネットから解放されて、「真の裸の美」みたいなものとして現れるんじゃないか、という話だ。(ひょっとしたらそういう話じゃないかもしれないが、私はそのようなコンテクストで理解した。)

お話を聞きながらずっと、意味の異化とは何か、ということを考えていた。見慣れていないもの、見たことがないようなもの、ありきたりのものがびっくりするような仕方で提示される時、たしかに、普段私達が馴染んでいる「意味」を脱いでいるのだろう。その一方で、見たことがない新しいイメージもまた、完全にニュートラルであるということはなくて、おそらく別の一つの「意味」をまとっているのだろう。女拓は見たことがないという点で明瞭な意味を与えるのが非常に困難だが、美術家の語る言葉や見る人の反響、個人的な印象といった様々な要素がからみ合って、曖昧な意味を構成していくだろう。こう考えてみると、ひょっとして意味を脱ぐことなんか決してできないんじゃないか、と思えてくる。

いや、ちょっと待って。意味と意味の隙間には何があるか。2つの隣りあう意味と意味の隙間とは、異なるものの間であるのだから、必然的に「空虚」な部分がある。一つの意味からもう一つの意味に着替えるとき、やはり一瞬でも意味のない瞬間がある。なぜかわからないが、こんなことを考えていたら、子供の頃見ていたTVアニメ、セーラームーンで月野うさぎが変身するシーンが頭に浮かんだ。月野うさぎは「ドジで泣き虫な普通の中学生」だが、街に妖魔が現れると人々を守るために「愛と正義の美少女戦士セーラームーン」に変身する。問題はこの変身シーンだ。彼女たちが変身するのは危機に際してであるので、言うまでもなくアニメで30秒近くにわたって描かれるこの出来事は瞬時に完了する事象の引き伸ばしである。変身の間、コスチュームとアイテムが順序良く装着され終わるまで、彼女の身体はなんと輪郭線だけで表現されている。輪郭線の中の彼女の身体はレインボーカラーでベタ塗りされていて、そこには何もない。(変身シーンを御覧ください。here!) この瞬間の少女の身体は月野うさぎでもセーラームーンでもなく、さらに言えば、何者でもなく、存在ですらないかもしれない様態だ。

おそらく、人は意味を脱ぐことができる。脱ぎっぱなしでいることはできないけれども、瞬間的に、意味を着替える瞬間に、私達は気が付かずともいちいち自己をリフレッシュすることができているのではないだろうか。私にとっての意味をまとう身体イメージは、十二単のようなものではなく、ヒーローの変身シーンのようなものである。

さて、新聞女の西沢みゆきさんのパフォーマンスはとても面白かった。参加者全員を巻き込むパワフルなパフォーマンスの場に居合わせたのは初めてのことだった。室井先生も吉岡先生も(吉岡先生は更なるオプション付きで)、一緒にパフォーマンスを見ていた楠本さんも、新聞だらけになった。彼女はパフォーマンスを始める前、アートがいかに人を幸せにするものであるべきかを語った。彼女の語った言葉と表現行為の力強さと裏付けのあるポジティブなエネルギーに感銘を受けた。

アートに限らず、人が人を巻き込んで何かをしようとするとき、それはポジティブなエネルギーに満ちていることが素敵だ。それも強い願いや信念によって貫かれているならなお素敵だ。私がこれからたくさんの人達と成していくであろう活動もまた、誰かが元気になるエネルギーを生み出すことに貢献していけたらいい。

パート2もお楽しみに!
(二日目のセッション、個人の発表について)

実行委員長の小野原さんと会長の吉岡先生(イヴェント後の。)

05/23/12

Jean Dessirier : Artiste Scrupteur/ ジャン・ドゥシリエ

先週の土曜日、5月19日は »la nuit de musée »といってフランスを中心にヨーロッパ各地の美術館が夜間無料開館(深夜12時まで)し、普段はめったに美術館に行けないよ、という人にも色々な美術館を訪れてもらいましょう!という企画である。(様々な美術館が参加している site here)
この週末はしたがってアートイベントが夜通しで盛りだくさん。アトリエで制作する地元アーティストたちも自らのアトリエを公開し、コミュニケーションを図る。

この日は一度、blog de mimiでも展覧会を紹介したことのある、Jean Dossirierという彫刻家・画家のアトリエにおじゃまさせていただいた。(前回の展覧会の様子はこちら)この人の作品には動物たちが沢山登場します。さてさて、どんなアトリエなのだろうか。
アトリエが位置するのは、パリの隣町、メトロ12番線の終点mairie d’issyから徒歩15分ほど、静かな住宅街にある緑いっぱいの一軒家。こちらが彼のアトリエである。

この日は通りすがりのすべての人に門戸開放。
連休で休暇をとっているパリジャンも多く、人通りが多い場所でもないので、静かな土曜日だったようですが、それゆえに訪れればアーティストにかまってもらえるメリットがあったりする。

門を通って、風車や作品の彫刻が点在するお庭を抜けていくと、アーティストと奥様が出迎えてくれた。そして、こちらがオブジェで溢れるアトリエ!

木やブリキの彫刻が所狭しと並べられ、棚にもメザニンにもぎっしりと作品が並べられていた。
画家でもあるJean Dossirier。パステルのタッチが印象的な風景がも沢山。

彼の作風で最も典型的な、ブリキの彫刻たちがこちら。台座の上に、ブリキをフェイスあるいは半身像をに型どり、彩色したものが中心。ブリキの頭部は、彩色のせいなのか金属の質感がマットなせいなのか、全然メタルっぽい印象がない。むしろ柔らかくて常温の質感を感じるのが、私が彼の作品に惹かれる理由だと思う。加えて、彼の絵描く人々の顔をよく見てみると、似ているようで微妙に異なっており、視線をつぎつぎ滑らせていくと、始めは奥様の面影をどの顔も備えているような気がしたけれど、必ずしもそうとも言い切れない気もしてくる。無国籍な顔だ。

画家の窓。
画家の窓には光がたっぷりと差し込んで、干からびた絵の具も、鉛筆も、刷毛も、絵筆もすべてがいっしょくたになっている。彼が築いてきたアトリエでの制作の時間の集積を、見る者が一瞥した瞬間に悟らせる強烈なイメージがそこにあった。

画家の家は楽しい。
彼の作品を並べて、ドゥシリエの動物園っていう展覧会をやるのはどうだろう。子供も大人も純粋に楽しめるzooになるはずだ。そう、彼は動物が大好き。フクロウやその他の鳥たちは頻繁に彼のモデルになる。私が最も愛する動物であるカメはやはり芸術家にも愛されている。お魚も沢山いるし、伝説上の動物も必須だ。

すてきなカメたち。

Porte ouverte(アトリエ開放)の日ということもあり、数人のヴィジターが。
奥様の焼いたブルターニュ地方のりんごケーキを白ワインと共に頂いた。なんと、アトリエを訪れ放題の上におやつ付きだ。

さて、この方がクラマー(clamart)のブリキ彫刻家、ジャン・ドゥシリエさん。
前回の展覧会に出展した »oiseau »がお買上げされて旅立っていくので、丁寧に刷毛でお掃除してあげているところ。ちなみに彼の作品はサイズ様々、一般人にも購入可能なお値段である。

彼のオフィシャル・サイトはこちら his official site here
エクスポのオファー、作品の問い合わせなどあれば、このブログを通してご一報くだされば対応できるとおもいますので、お気軽にメッセージください。また、訪れた際にもレポートしますので、チェックしてみてくださいね。

05/18/12

Hundertwasser @ Kunst Haus Wien ,@ Hundertwasserhaus

Musique en Sorbonneオーケストラの演奏旅行でウイーンにも立ち寄った。朝8時にチェコのPribramを出発し、結構渋滞しており、ウイーン公演前に観光時間が3時間ほど辛うじて与えられるというハードスケジュール。ゲネプロに遅刻はできないけれど、機会は逃したくない。ミッテ駅からトラムに乗るなら、Radetzkyplatsで下車するとちょうどよい。私はミッテから走りました。一生懸命走れば15分強くらい。
というわけで、Kunst Haus Wienと目と鼻の先に位置するHundertwasser Hausの両方を見学してきた。

Hundertwasser(フンデルト・ヴァッサー)は、1928年ウイーン生まれの建築家・芸術家。ユダヤ系の両親を持つヴァッサーは、戦争中をユダヤ人街の地下室で過ごしながらそれでも幼い頃の創作への憧憬を忘れなかった。ヴァッサーは始め、画家を志して北アフリカに旅に出ている。彼が建築家として最初の作品を発表したのは1952年のことだ。彼が表明している芸術へのスタンスは、彼が幼い頃愛した自然の要素に基づくもの。彼の建築は独特な方法で人と環境の双方を有機的に結びつける。

クンスト・ハウスは4階建て、カフェ・レストラン、美術館、ショップを含む見応えたっぷりの異空間だ。ここに来ればヴァッサーの常設展作品が見られる。

正面入口はこんな感じ。界隈はドナウ運河から遠くない、本当に静かな住宅街。駅から近いけれど、雑然とした表通りから一本中に入っているのだ。

ヴァッサー旗発見。素敵だな。ヴァッサー建築のファサードはしばしばくっきりと真っ赤な血が流れ伝うようなペイントが有名なのだが、1991年にオープンし、彼の晩年の建築にあたるこのミュゼの外壁はもう血を流してはいない。

ミュゼの入り口のちょうど裏側にはカフェが。このカフェも隅から隅までデコレーションに余念がない。陶器タイル使いがとくに美しくて新しい印象を与える。

カフェの中。外も中も緑がいっぱい。植物たちはどれもとてもよく手入れされており元気で、中にもたっぷりの日が差し込む。

ここが私がもっとも愛した壁デコのポイントである。トイレである。白と黒のタイルデコを基調に、男の子と女の子の壁画。これは文句なしに素敵だ。誰がなんと言おうと素敵だ。

トイレの前でうっとりしている間に、ゲネプロの時間が近づいてきてしまった。私は走った。全力で走り抜けられる距離です。

さて、こちらはHundertwasser Haus。こちらは住宅なので内部見学はできない。ウイーンで最も奇抜な市営住宅と呼ばれているヴァッサーハウスは、1986年に完成した。1972年に当時のテレビ番組‘Wünsch dir was'(あなたの夢、叶えます的な番組)に出演した際、ヴァッサーは、植物と共存できる家の建築に対する夢を語った。5年後の1977年、ウイーン市長Leopold Gratzの提言をきっかけとして着工が決まった。まさに夢の家だ。

彼が植物と共存できる家と名付けた建築に必要な要素は、木々が地面に張り巡らせるしっかりとした根のような安定して力強い建築、窓から差し込むたっぷりの陽の光、ファサードはこの光を存分に得るために立派に構えること。噴水や実際の木々も植えられており、ヴァッサーの夢見た住宅を目にできた喜びは大きかった。

ヴァッサーハウスに実際に住んでみると、どのように植物との共生を実感できるのか。こんなお天気の良い日に朝日が差し込む様子や、風のある日や雨の降る日、この家はどんなふうに生きているのか。ヴァッサーハウスに住む友人を作らないと好奇心は欲求不満のままである。

ヴァッサー建築は、ウイーンにあろうが、日本にあろうが(大阪市環境局舞洲工場、2001年、および大阪市舞洲スラッジセンター、2004年)、あるいはものすごくモダンなデザインの界隈にあろうが何れにしても異色を放ち、異空間を創りだすだろう。なぜなら、それらは、何にも似ておらず、これまで見たことがない建築であるからだ。
ユニークであるということは、どこから出てきたかわからぬ突拍子のないもの、ということではない。分かりそうで分かり得ない、捉えたようで捉えきれていない興味深いものが見え隠れしており、人の心を強く惹きつけて離さない何かを持っている存在だ。
Hundert Wasserの残した植物と人と建築を含むその環境は、強烈な印象で訪れる人を迎え入れ続けるだろう。

05/8/12

日本記号学会 第32回大会 2012.5.12-13

日本記号学会第32回大会 「着る、纏う、装う/脱ぐ」
開催日:2012年5月12日(土)・13日(日)

会場:神戸ファッション美術館 第一セミナー室/第二セミナー室/ギャラリー

1日目:5月12日(土)
13:00
会場・受付開始(学会員のみ)
13:30
総会(学会員のみ)
14:00ー16:45
実行委員長挨拶・問題提起 小野原教子(兵庫県立大学・現代ファッション)
セッション1「(人を)着る(という)こと」第一セミナー室
鈴木創士(フランス文学者/作家/音楽家)/幣道紀(曹洞宗近畿管区教化センター総監/妙香寺住職)/塩見允枝子(音楽家)/木下誠(兵庫県立大学・フランス文学)
17:00-17:45
企画パフォーマンス 西沢みゆき(新聞女)

2日目:5月13日(日)
10:00-12:45
研究発表(※詳細はサイトをご覧下さい)
13:45-16:00
セッション2「なぜ外国のファッションに憧れるのか」 第一セミナー室
高馬京子(ヴィータウタス・マグナス大学アジア研究センター・言語文化学)/池田淑子(立命館大学・カルチュラル・スタディーズ)/大久保美紀(京都大学大学院/パリ第八大学・美学)/杉本ジェシカ(京都精華大学国際マンガ研究センター・マンガ研究)
16:15-17:45
セッション3 「〈脱ぐこと〉の哲学と美学」 第一セミナー室
鷲田清一(大谷大学・哲学) VS 吉岡洋 (京都大学・美学)
17:45
閉会の辞 吉岡洋

日本記号学会ホームページはこちら(プログラムもこちらをご参照ください)

*上記研究発表内、第一セミナー室において
「モビリティ概念と身体意識 〜現代の自己表象行為を特徴づけるもの〜」
および、2日目午後のセッション「なぜ外国のファッションに憧れるのか」において、
「ファッションとキャラ的身体」というテーマで発表します。
発表要旨は以下★★★

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2012年5月 記号学会発表要旨

「モビリティ概念と身体意識 〜現代の自己表象行為を特徴づけるもの〜」

大久保美紀

本発表では、現代を生きる我々の身体意識とこれを特徴づけるモビリティ概念の関係について考察する。

モビリティとは文字通り可動的な性質であり、モバイル=可動性という言葉は、この20年間で瞬く間に技術的発展を遂げ、私たちの行動様式を再編成した携帯電話そのものをも意味する。また、エルキ・フータモは論文An Archaeology of Mobile Media(『モバイル・メディアの考古学』,2004)において、可動性を持ったメディア(ディバイス)をこれまでのメディア史において主として論じられてきた固定されたメディアと区別し、現代の速度論的社会(ポール・ヴィリリオ)の中で私たちの身体にいつも密着する形で移動するメディアとして定義した。

ウェアラブル・メディア、ポータブル・メディア、そしてモバイル・メディア。身体に密着し、いつも私たちの認識や経験と共にある新しいタイプのディバイスに対し、私たちは様々な呼び名を与えてきた。しかし、身体自体が運動し、メディアを介した情報コミュニケーションもまた潜在的なレベルで移動性を持っていることを鑑みれば、モバイル・メディアは適切な命名で、モビリティ概念こそが重要な意味をもつことが明らかになる。

さて、モバイル・メディアは身体意識(body consciousness)をラディカルに変質させた。ノートパソコン、タブレット、ケータイを通じてどこにいても常に外の世界に開かれ、そこに接続されている身体。 人々がディバイスをパーソナライズ化する行為はガラパゴス化した日本社会の特異現象と見なされてきたが、物質的な身体を離れた潜在的な身体のユビキタス的広がりを感覚する現代社会において、インターフェイスとなるディバイスを一つの身体の形代と見立てるのはむしろ自然なことですらある。

これらを踏まえるとき、現代の自己表象の特徴と傾向はどのように分析、理解されうるだろうか。表現方法は、テクスト、イメージ、パフォーマンス、オブジェ、それらを組み合わせたもの等様々である。今日では、絵画、小説、音楽、演劇、写真、服飾という芸術家の作品のみならず、ブログやmixiでの日記、写真共有サービス上でのアマチュア写真家のプレゼン、フェイスブックでの活動、ツイッターを介した交流もまた、現代的な自己表象行為を代表する重要な発表形態とみなすことができる。モビリティの時代における自己表象行為がどのような方法・形態で実践され、そしてそれは身体意識とどのように関係しているかという問題について取り組む。

本発表では、ハイ・アートの領域において身体をメディアとして扱ってきたオルランやぴゅ〜ピル、あるいはファッションにおける川久保玲らの活動を新たな観点から分析し、ウェブカムやデジカメ、インターネットの普及以降台頭したアマチュア・アーティストの活動やゲーム・コスプレの身体感覚にも言及し、その歴史的意味を読み解く。Mechanical Turkを利用した実験的作品の発表も行う。
以下、シンポジウム発表要旨
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キャラ的身体とファッション

 大久保美紀

人々は往々にして外国のファッションが好きだ。日本人は今昔フランスの老舗ブランドの重要な顧客であり、「パリ」「フレンチ」という言葉はオシャレで洗練されたイメージを想起させる。一方、フランスでは、日本語の形容詞「Kawaii」が未曾有のマンガ•アニメブームの中で堂々と市民権を獲得し、日本のKawaiiファッションもまたこの追い風を受けて熱心に受容されている。

さて、このように日本女子がヨーロピアンテイストを模倣し、パリジェンヌが着物やコスプレを愛好する今日の状況は、日仏の上流階級女性の間で19世紀後半に見られた洋装ブームやジャポニズムの流行と同様に「外国ファッションへの憧憬」であると見なされ得るのだろうか。本発表では、現代社会において経験される身体様態の変化に着目しながら、人々のファッションに対する今日的なスタンスがいかなるものかを明らかにする。

そもそも「憧れ」とは、理想とする物事や人物に心惹かれる有様である。また、自分自身が同一化したい対象、あるいは所有物として獲得したい対象を指す。現代社会を生きる人々は、ファッションに対して何を求め、どのような欲求実現を目指しているのかを具に分析すると、表層的にはかつての洋装模倣と同質で継続的に見える今日の外国ファッション受容は、従来とは全く異なる身体様態と対象意識に基づくものであるということが明らかになる。私たちは、一見外国ファッションを熱心に模倣し続けているかのようで実はそうではない。もはや「憧れ」てすらいない。

ゲームやヴァーチャルリアリティーという多様なシミュレーション体験、あるいは、既に日常的となったアバターや絵文字に依存するウェブ上のコミュニケーションを通じ、私たちの身体像は遍在的•虚構的で、極度に簡略化されたものとなった。シンプルで抽象的な図柄によって代表される自己イメージは「キャラ」的な身体様態を形成する。フェイスブックなどのソーシャル•ネットワーク•サービスに見られる特定のプロフィール写真は、アイコン化された自己認識を創り出し、ブログやミニブログのアイコンとそれを肉付けするテクストは、世界に「キャラとして私」をさらけ出すための自己演出を実践する。

キャラ化された身体は、自分自身の身体イメージを生々しいリアルな世界に置き続けながらも、他方でそれを記号的なモチーフとして作り直し、自分であり自分ではない別の存在として知覚する。このような身体的知覚を通じて得られるものが、ゲーム感覚的な人生観にもつながる、現実に対するある種の非直接的な意識である。自らと共にあるにもかかわらず、同時に無感覚なほど遠くにあるような身体。これが現在のファッションが依って立つところの身体様態の正体である。

人々は、西洋人のボディラインを手に入れることや、外国人らしい顔立ちになること、それをたとえば整形手術によって手に入れようと熱心に追求するのをもうやめてしまった。一方で、それに取って代わるアニメキャラやお人形、アイコン化された自己イメージが新たな憧れの対象として台頭してきている。それは、簡略化と修正を経ているにせよ、本質的には自分自身が関与するアイコン的イメージに還元されるという点で、逆説的にも、深い自己愛に満ちた愛されるべき身体様態であると言えるのではないだろうか。

04/15/12

松田有加里/Yukari Matsuda, 奏でられるイメージ

松田有加里(写真家)インタビュー

私が松田有加里の作品とはじめて出会ったのは、パリのバスチーユ広場の眼の前にあるギャラリー、メゾンダール・パリでの個展においてであった。その時展示されていた作品の中で、陽の光が差し込む草原風の緑色のなかに、ひとつの壊れかけた白っぽいベッドが佇んでいる。その一枚のイメージが鮮明に目の裏に焼き付いて、忘れることが出来なかった。

Yukari Matsuda, 2009, from limited copied post cards

パリでの個展のタイトルは »Fantasia »(ファンタジア)。展覧会に一歩足を踏み入れてみればわかる。彼女が提示する写真たちはそれぞれが、たしかにどこか妙なオーラを放っていて、同じものを今まで目にしたことがない。こわれたベッドの作品もそのうちの一つだ。いつどこでどんな季節に撮影されたものなのか、まったくわからない。それどころか、あらゆる属性を突き放して、ある日ある場所に陽のあたるジャングルがあって、そこには鮮やかな色彩の花が咲いていて、壊れた白いベッドがそこにありました、という物語だけがこの作品の真実であるようにすら思えてくる。実際に作品を目にして頂きたく思うが、光の捉え方が素敵な作品だ。

 

彼女の写真のモデルとなるのは、私たちが生を受けるずっと以前、父も母も生まれる以前から世界にひっそりと存在し、すこしずつ歳をとってその役割を終え、とても静かに世界から消えていってしまおうとしている古い古い建物やアパート、学生寮などである。昭和初期に竣工された京都市左京区の銀月アパートメント、東京の同潤会アパートメントハウス、さらに京都大学の吉田寮などが彼女の被写体となってきた。

Yukari Matsuda, 2009, from limited copied post cards

個人的な話だが、私は京都大学交響楽団の出身で、吉田キャンパスの南西端の空間を練習場所のひとつとしていた。松田有加里が今日まで10年以上にわたり撮影を続けてきた吉田寮を毎日視野にいれながら、「焼け跡」と呼ばれる吹きっ晒しの空き地(昔に火災があり、建造物が消失した後空き地のままであった)で楽器を練習していた。隣り合わせの集会場は交響楽団の練習場としても使用されており、構造を含めよく知っている。今思えばこの上なく残念だが、吉田寮自体に深く足を踏み入れた経験はなく、通過した程度だ。1913年に建てられ、いまや日本最古の学生寮である吉田寮は、昨年3月11日に東北地方を襲った震災以降の見直しのダメ押しを受けて、遠くない将来の取り壊しが囁かれているという、そんな話を耳にした。

 

吉田寮は人々の心をとらえるフォトジェニックな建造物であるらしい。通りすがりの旅行者が大きなカメラを構えて撮影にやってくるのをしばしば目にしたし、映画『コクリコ坂』の素敵なカルチェ•ラタンはまぎれもなく、この敷地内にあるサークル棟、「集会所」そのものである。しかし、実際にこの界隈を知る人が松田作品を目にしたなら、とにかくそのイメージの異化されように驚くのは約束された運命であろう。種明かしをされてからよくよく見れば、知っている建物であるに違いないのに、思わず、彼女の創り出す »Fantasia »の世界観にのみ込まれてしまうようだ。たしかにこんな写真は目にした経験がない。

 

「もうなくなってしまうものを、作品として残し、それを後世の人に伝えていきたい。そして出来るだけ多くの人に見てもらいたいと思う」、そのために作品をひたすらつくり続けていくのが自分の使命であると松田は語る。ただし、細部まで鮮明で物件資料として使えてしまうような、時と場所に縛り付けられたつまらない写真は一枚もない。あくまで自分の直感を信じて、見えた色や感じた光を一ミリの妥協も許さず再現していく。いずれ世界から消えていってしまうけれど、かつてはそこに存在したものたちの記憶の集積を、彼女の持つ色彩とリズムによって表現していく。これが、アーティストとしての松田有加里の活動の核である。

 

Yukari Matsuda, 2009, from limited copied post cards

松田有加里という写真家は、写真家である以前に一人の明瞭な表現者である。ピアニストであり、オルガニストである。詩も書く。ライブで演奏され、時間の中に消えていってしまう音楽とマテリアルとして残り続けていく写真。写真という手段は、音楽の領域で様々な問題に出会いながら、伝えるものを最もベストな形態で表すためにたどり着いた表現手段の一つに過ぎない、と語る松田は、音楽において養ってきた身体訓練と集中力、芸術的直感をもって、表現を実現するための様々な写真のテクニックをほぼ一年間で集中的にマスターしたという。いくら表現すべきものをもつ表現者であったとしても、メディウムを変えるというのはものすごくエネルギーのいることで、誰もが実現できることではない。彼女は、自分が写真という表現手段に向いているのだという事実を、これもまた直感で感じ取っていたに違いない。

 

「タイマーは使いません。テンポは自分の中にあるし、撮影したときからつくりたいイメージは出来上がっています」
松田は暗室の中で自分の身体の中にあるメトロノームのテンポを基準にイメージを紡ぎだしていく。作品は時に幻想的な色をおび、フルーでピンぼけであるものすらある。写真はリアルを写し取るメディアではあり得ないということを作品は語っている。視野に入っているものと見ているものは同一ではない。

 

Yukari Matsuda, 2009, from Fantasia Ⅰ

(略)ファンタジアが鳴りやむその日には、降るはずのない季節外れの雪がそっと舞うだろう。(松田有加里)

 

「文章をつけることで、解釈の幅を狭めるかもしれないということは危惧しました。でも、見る人というのは自分の経験や感情に引きつけて見ているので、意外とテクストに左右されないことに気がつき、それからは詩も付けて発表しています」
鑑賞者に解釈をゆだね、作品が一人ひとりの人間の中で消化されることを受け入れながら、出来る限りコミュニケーションをとっていこうとする態度を持ち続けている。とりわけ現在彼女が取り組んでいる作品を集めた「本」づくりも、様々な事情で展覧会会場へ足を運ぶことができない潜在的鑑賞者を考慮してのことでもある。

 

彼女の今まで創ってきた、そしてこれから創っていくであろうイメージが、後々多くの人々の目に触れるように伝えられていけばよいと思う。彼女が語るように、どこのなんと言う名前の建物であるとか、何年の竣工であるとか、必ずしも時と場所の情報に縛られるのではなく、人々の生きた物語の記憶として、いろいろな国の様々な人々に受け取られてゆけば、とても素敵であると思う。

インタビューに快く応じてくださり、お時間を割いてくださったご好意に心より感謝したい。
(2012年3月14日、大阪にて)

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04/8/12

みえるもの/みえないもの(visible / invisible) 豊田市美術館

みえるもの/みえないもの
豊田市美術館 HPはこちら
2012年1月7日~3月25日

豊田市美術館に訪れたのは初めてのことであった。3月半ば、とても晴れた暖かい日で、駐車場の向かいの民家のお庭には梅が咲き誇っていた。1995年にオープンしたこの美術館は江戸末期の七州城の跡地に当たるらしい。少しだけ上り坂になっている道を進んでいくと、谷口吉生の代表的建築の一つである豊田市美術館の建物が見えてくる。乳白色と反射すると淡い緑色に見えるガラス張りがとても印象的な建築で、メインエントランス前の広場には噴水があり、陽の光を照り返す水しぶきが殊の外美しく感じられた。

3月25日まで豊田市美術館で行われていた「みえるもの/みえないもの」展は本美術館のコレクション展であり、現代アーティストの中でも写真を手法として活躍する15人の作家の作品によって構成された。写真というメディアがもつリアルな側面とフィクションの側面、あるいは写真にはじまる新しいメディアが常に含有している複製可能性や模倣性の問題を浮き上がらせる重要な作品を目にすることができた。

「みえるもの/みえないもの」は反射的に興味がそそられる展覧会タイトルだ。その訳はひとつには、現象学を発展させて両義性の哲学を大成し、興味深い身体論を展開したモーリス•メルロポンティ(Maurice Merleau-Ponty)の重要な著作のタイトルが「見えるもの、見えないもの」(Le visible et l’invisible, 1964)という事情がある。そしてもう一点は、この展覧会の主旨で述べられているように、写真というメディアの現実であるようで虚構であるような性質、オリジナルとコピーの境界が溶けていくような性質、これらは写真以降の現代芸術を考える上でとても重要な問題を投げかけ続けており、「みえるもの/みえないもの」は確かにこのような問題提起にぴったりなタイトルであるように思われる。

したがって、この展覧会では、
窃視症:ミケランジェロ•ピストレット、アルマン
私写真:ナン•ゴールデン、荒木経惟
日常性:中西伸洋、川内倫子
時間•記憶:クリスティアン•ボルタンスキー、ボリス•ミハイノフ、ローマン•オパルカ
永遠•巨視的視点:杉本博司、松江泰治
みえるもの/みえないもの:中川幸夫、志賀理恵子、ソフィ•カル、曽根裕
……という顔ぶれで構成されたのだから、どうにか3月末に間に合って訪れることができて良かった。個々の作家や作品は別の機会に目にしたことがあるものがほとんどであったが、展覧会としてこのような形でストーリーづけられ、そのコンテクストにおいて作品を見ることは、別の体験であるということを実感した。

 

Christian Boltanski, 聖遺物箱,1990

クリスティアン•ボルタンスキーの《聖遺物箱(プーリムの祭り)》(1990)も幾度かこれまで出会ってきた作品の一つである。
クリスティアン•ボルタンスキーは、1944年パリ生れユダヤ人として、人間の命と記憶に関わる強いメッセージをもった作品を数多く発表してきた。美術の正規教育を受けていないが(ギャラリーでのインタビューについてはこちら)、15歳の頃には既にアーティストになることを決意していたという。クリスティアン•ボルタンスキーが用いる方法はもちろん写真だけではない。匿名のポートレートは、殺されたユダヤ人の顔写真や子どものポートレート写真で使われた手法だが、同様に人間の生死とその記憶に関わる作品を制作する中で、着古された衣服を用いたこともあった。さらには、日本でも2010年7月に開催された瀬戸内国際芸術祭において発表された心音プロジェクトは心音を録音したデータがメディアなのである。

なるほどクリスティアン•ボルタンスキーの制作において、いつも一貫しているのは表現するべきテーマの方であり表現方法ではないのだろう。だが敢えて今回彼の写真に注目してみるとき、これらのポートレートは戦前にユダヤ人の祭りであるプーリム祭にたまたま集まった子どもの写真であり、彼らが果たして虐殺にあったのかその前に何らかの原因でなくなってしまったのか、生き延びたかわからないのだが、祭壇の前に遺影のようにして彼らのイメージが飾られることによって、彼らの肖像はもはや個人のものでも日常を切り取ったイメージでもなく、ひとりひとりの人間の生を超越した、もっと普遍的なイメージとして現れることになる。創り出された写真の意味は嘘かもしれないのだが、彼がここで行った最も重要なことは、イメージの意味を普遍化したということであるのだと思う。

 

Sophie Calle, 盲目の人々,1986

もうひとり、同じくパリ生まれ(1953年)のフランス人作家ソフィ・カルの《盲目の人々》(1986)という作品をみてみよう。ソフィ•カルは1980年前後から自分のベッドに友人や知人を招待して眠っているところを撮影したり、街の人々を尾行して写真を撮影するという、一風変わったコンセプチュアルな表現活動を開始する。彼女の作品は、ボルタンスキーが人間の生死や人類全体の記憶といった普遍的なテーマを目指したのとは対極的に、きわめて個人的でインティミットな主題が選ばれる。ソフィ•カル自身の想い出話、他人のとりとめもない語り、家族との幼少期の思い出、恋人とのストーリー。それらは多くの場合、写真とテクスト、思い出の品などと合わせて展示され、人々は個人的な体験を追体験するように作品を鑑賞する。

彼女の表現を理解する上で重要なのは、本当であることと本当でないことがまぜこぜになっていて、物事の虚実を明確にすることがまったくもって重要ではないということではないだろうか。写真はリアルを映し出すだろうか。答えは勿論否である。物語の真実性をうらづける証拠写真のように逐一提示される写真は、誰がいつどこでどのように撮影したか、わからない適当なものだ。実は写真とはそういうものなのだ。いや、もっと言えば、ひとびとの物語や想い出などというのは本質的に、うそでもほんとうでもない、いわゆる「たったひとつの真実」と呼ばれるものとはまったく似ても似つかないものなのではないだろうか。私は彼女の物語はそのようなことを私たちに伝えてくれるものだと理解している。

さて、《盲目の人々》はスキャンダラスな作品であった。1986年につくられたこの作品は、ソフィ•カルが生まれつき盲目の人に「美のイメージとはなにか」と質問し、彼らに答えてもらったことばをもとにソフィ•カルが写真を撮影するという一連のやりとりである。

J’ai rencontré des gens qui sont nés aveugles. Qui n’ont jamais vu. Je leur ai demandé quelle est pour eux l’image de la beauté.
私は生まれつき盲目の人々に出会った。生まれてから一度も見たことのない人々だ。私は彼らに、彼らにとって「美」のイメージとは何かをたずねた。

どこまでも続く海のイメージを語る人や、見たことがないけれど美しいと思う自分の子どもや家族が自分にとっての美のイメージだと答える人々がいた。たしかに、イメージというのは目で見るものなのだと改めて気がつく。好ましいとか気持ちがよいとか、愛しているとか、嫌いだとか、何かを感じるために視覚は必ずしも必要条件ではない。触りごごちで美しいものだと感じることもできるに違いない。しかし、「美のイメージ」はなるほど、きわめて視覚的なものなのかもしれない。彼女がインタビューを行った結果得られた彼らの答えから出発し、一枚のイメージを撮影したという行為は、けっこう素敵な協働だと思う。たしかにそれは彼らが想像したものとは同一であるはずがないし、その点で彼らの美のイメージとしては「噓」の写真であるけれども、視覚も触覚や聴覚や嗅覚と同様に絶対的でない感覚の一つとして還元することが出来るのなら、みえるかみえないか、それがどう見えたかそれが真実であるかなんて、ちっとも重要じゃないのではないかと思える。《盲目の人々》は「美」について考えるための小さな足がかりを私たちに提案する。

 

other pictures

荒木経惟, 冬の旅, 1989-90

中西伸洋, Layer Drawing, 2004-2005

志賀理恵子, カナリア, 2006

04/7/12

Jardin d’Acclimatation, Jardin Japonais

Bois de Boulogne
Jardin d’Acclimatation
Jardin Japonais
7 avril 8 mai 2012
ホームページはこちら HP

パリの西の方、凱旋門よりももっと西にいったところにブローニュの森がある。
ジャルダン•ダクリマタションは自然を楽しみながら遊園地的乗りものも備えている公園。
今日2012年4月7日はこのブローニュのジャルダン•アクリマタシヨン内にジャルダン•ジャポネがオープンする初日であった。

昨年2011年4月29日、ムードンロータリークラブの協力を得てチャリティーコンサートを企画•実現した。(チラシはこちらで見られます PUB)たくさんの方々に協力して頂き、たくさんのお客様にお越しいただき、たくさんのミュージシャンがすばらしい演奏をしてくれ、いただいた義援金はロータリークラブの震災基金にへコンサート後すぐに送られた。日本でも、パリでも、世界中でも多くの人が様々な方法で震災復興支援について考え、行為し、継続し、新しいことに取り組んで、一年と一ヶ月の時間を過ごしてきた。パリでもたくさんのイベントが行われ、コンサートが行われ、呼びかけが行われるのを目にしてきた。私が出すことが出来たのは、僅かな結果であるに違いないが、昨年4月29日、ムードン•ノートルダム教会でしたスピーチの中で、続けていきましょうということを、私は最後に語った。

私たちが行った活動を国際ロータリー財団のHPで取り上げてくださったことなどのおかげで、今回フランス日本大使館の方がジャルダン•ジャポンの開会式のセレモニーに招待してくださった。コンサートを企画したということで招待してくださるのなら、演奏してくださった皆さんにもぜひその旨をお伝えしたいと思い、開会式の様子をふだんより5割増しくらいで集中して眺めていた。演奏してくださった、すべての演奏者の方々、今もパリで頑張っている日本人の演奏家の方にとても感謝している。

セレモニー•デュ•テ(茶道)のプレゼンテーションの前にみんなで黙祷をした。入り口から出店がびっしり並んでいて、いわゆるニッポンのお祭りの雰囲気が演出されていて、移動も順々にという感じだったので、ぴたっとみんながそろってしーんと黙祷をするということが叶わなかった。後の人が来るまでしっかり待ってあげればよいのに、一分間を共有することくらい、せっかくのこのような催しの場で実現しないなんて、なんとも言えなかった。

赤と白のものがたくさんあった。入り口には日の丸のちょうちんが飾られていたし、真っ赤な大きな鳥居のもとで、開催のしるしに空へと解き放たれた風船もやはり赤と白だった。風船は風に吹かれて真上というより少し横に逸れながら飛んでいき、ぐんぐんと空の方へ吸い寄せられていってやがて見えなくなった。風船は一体どこに行ったのだろう。風船を大量に飛ばすシーンをたまに目にするけれど、よくわからないのだ。風船を飛ばす行為はどんな願いやどんな結果に繋がっているのだろう、あるいは繋げたいというのだろう。

ジャルダン•ダクリマタションのM.Marc-Antoine JAMET、パリ市長にかわり第一補佐のマダム、そしてフランス日本大使館のM.Ichiro KOMATSUからスピーチがあった。パリという街がこれまでも3.11以降もいかに京都や広島、東京、その他日本の各都市とよい関係を築いてきたか、パリに住む日本人、パリにおける親日のコミュニティーでどんな活動が行われてきたか。そしてこれからどうするのか。

ジャルダン•ダクリマタションは5月8日まで、ジャルダン•ジャポンを開催中。
出店が華やかに並ぶ大きな通りをひときわ鮮やかに彩る桜の木々は作り物である。現在桜が真っ盛りで、作り物なんか飾らなくともすばらしい木々を見ることが出来るのに。でも作り物でなければならないのかもしれない。一ヶ月だけブローニュの森に突如出現したジャパン•テーマパークは夢のように楽しくて、わくわくして、鮮やかでなければならないのかもしれない。

思考はとどまることを知らず、公園の中に特別もうけられた震災と津波被害からの復興を記録した写真や被災地で実施された仮設住宅プランなどをまとめたエクスポのテントの中で、いつからか知れずこらえていた水分が目元にじわっと迫ってきた。ストレートでシンプルで、逃げることの出来ない写真とキャプションがたくさんあった。

いろいろなことを考えたり、話をしたり、非難されたり、抗議したり、動き回るからだがあるのなら、何でも出来るといつも思っていて、何かをするなと言うよりも、したいと思うことを実現まで持っていくことの方がはるかに意味のあることだと思っていて、「あれはよくない」と10回言う暇があったら、僅かでもよい結果の得られることを実行することのほうが私のしたいことなのだと私は知っている。

今年の秋の終わり頃に、もう一度、たくさんの方々と共にコンサートを通じて人々の想いを束ねたい。

04/2/12

Ai Weiwei/ Entrelacs, 艾未未

Ai Weiwei
Entrelacs
Jeu de Paume (Concorde)
21 février- 29 avril 2012
Jeu de Paume HP

ルーブル美術館からチュイルリー公園へ抜けて、芝生で太陽をたくさん浴びて憩っている人々の様子を見ながら、コンコルド広場の方まで歩いていくと南側にオランジュリー美術館、北側にジュ•ド•ポーム美術館がある。このJeu de Paumeは現代アートを中心にエクスポを開催していて、最近記憶に新しい展覧会では、Dian Arbusの回顧展が大盛況を収めていた。そして、現在開催されているのがAi Weiweiの展覧会、Entrelacsである。Entrelacsはフランス語で「絡み合うこと」「交錯するもの」といった意味。この展覧会では、建築家、彫刻家、写真家、コンセプチュアルアーティストとして活躍する一方、ブロガーでありツイッターでの活動家であり、政治的活動も行ってきた、Ai Weiweiの1983年以降の写真作品やビデオ作品、多様なプロジェクトと彼が中国と世界に向けたメッセージがJeu de Paumeの展示空間を越えて、交錯しながら発信されてゆく、そんな展覧会だ。

 

Ai Weiweiは1957年に北京に生まれる。北京でシネマアカデミーを卒業した後、1978年から数名のアーティスト達とともに星星画会を結成し、ソーシャル•リアリズムに反対し、芸術的個人主義と実験主義を打ち立てて文革後初の前衛芸術グループとして活動するが、政府の弾圧を受ける。1983年にはニューヨークに渡り、Andy WarholやMarcel Duchampといった重要なアーティストの活動に刺激を受ける。とりわけDuchampが彼のコンセプチュアル•アートに後々まで与えた影響はとても大きく、この頃に彼のキャリアの中で初めてのレディメイド作品と、ニューヨークでの中国人コミュニティーにおける彼や彼の友人撮影した何千枚ものドキュメンタリー写真を制作している。

 

彼をとりわけ有名にした作品のうちの一つに、《鳥の巣/Bird Nest》がある。2008年の北京オリンピックのために建設された北京国家体育場は、2002年に中国政府によって開催された国際建築設計競技において優勝したHerzog & de Meuronの案が採用され、デザインにAi Weiweiが芸術家として協力している。Ai Weiweiの作品の中には、今回展示された、《鳥の巣/Bird Nest》の建設中の経過を撮影した大きなフォーマットの写真の他にも、《北京空港ターミナル3/Beiging Airport TErminal 3》においてこれもまた北京オリンピックのために国を挙げて途方もなく大規模で現代的なターミナルを建設している経過の写真や、自分自身がデザイン•建築プロジェクトに関わったすばらしい建物がたてられ、まもなく弾圧によって取り壊されてしまうまでの記録写真、さらに2008年の四川大地震の実態を明らかにする多数の写真(ブログで公開されていたもの)も展示されていた。

 

Ai Weiwei の建築に関わる写真には、築造途中から完成までを記録した写真と崩壊を記録した写真がある。彼の仕事が伝える強烈なメッセージは、その双方に、始まりも終わりも、始まる前も終わった後も、すべてが二重写しされているという事実なのである。すばらしい北京空港のターミナル3は、永久に存続するはずはなく、いつかは取り壊されてしまうだろう。四川大地震で崩壊した建物のがれきはかつて、家族が住む小さな家の壁であり、子ども達が勉強する学校の教室の天井であった。人々はモノを作っては壊し、壊れては作るのであるが、Ai Weiweiの写真にはその完成と崩壊を喜ぶのでも悲しむのでも諦めるのではない、時の流れや自然の力を受け入れるという姿勢を感じさせる。

 

その一方で、四川大地震の建物崩壊について、Ai Weiweiは中国政府がうやむやにしてきた欠陥建築や安全性を欠く校舎のせいで多くの犠牲者が出た現実を許さなかったし、被害者の家族の抗議を無視して正しい情報を開示しない政府の対応を許さなかった。彼は2008年5月の地震発生直後より、2010年4月に中国政府によって自宅で軟禁されるまで、途中ブログの内容を強制的に削除されるなどの困難に遭いながらも、犠牲者のために情報を明らかにし、責任追及を行う活動を積極的に続けた。2011年4月3日には再び拘束され、6月22日に保釈された。

 

ここで少し別の作品を見てみよう。この展覧会では、2007年にKassel Documenta 12で発表されたFairytaleという大規模なプロジェクトの記録であるドキュメンタリービデオ(インタビュー)とKasselにつれていく人々を選ぶためにAi Weiweiが一人一人に面接を行ったのだが、その場所で撮影されたポートレートが壁一面いっぱいに展示された。Fairytaleは驚くべきプロジェクトであった。第12回ドキュメンタに招待されたAi Weiweiは人口20万人程度のKasselの街に1001人の中国人をつれていって、「生けるインスタレーション」を展示しようという試みであった。そもそも中国では海外旅行のためのビザの獲得はきわめて困難であるし、彼が連れてきた人々の中には少数民族地区に住むとても貧しい人々もおり、このプロジェクト自体が現実味を帯びていないむしろ「おとぎ話」とか「夢」のたぐいのもの。Ai Weiweiはこの小さな町に1001人の中国人を連れ込んで、一種の文化交流をしてやろうと目論んだ。

 

インタビューを聞けば明らかであるように、カッセルの街に1001人の中国人というのはそれだけで街の雰囲気を変えてしまったらしい。ドキュメンタ会場にはもちろん、町中にも市場にもどこにでも、カメラと地図を携帯した中国人の姿があるのだ。アートに関わらず、ドキュメンタの開催をしらない市民たちもこの変化に気がついていたほどである。インタビューの中で印象的だったのは、カッセルの人々が中国人のイメージが変わったと口々に語る場面である。礼儀ただしかったし、きちっとしていたし、レジデンスも綺麗に使っていたし、ということを述べるカッセルの人々の姿が映される。どれだけ海外を活発に動き回り評価されているアーティストであっても「わたしは何人であるか」というアイデンティティーのTatooを誰しも刻まれており、それは無視することが不可能な何かだ。Ai Weiweiのプロジェクトは色々な条件で生きている同じ祖国をもつ人々に異国Kasselの地で一生ものの想い出Fairytaleを経験させるとともにKasselでの出来事を通して自国の国民をポジティブに紹介するというハートフルな作品である。こういった多くの人々の人生すらも動かしうる作品を実現することは、芸術の中でも最も重要な活動であると思うのだ。

 

Shanghai Studio which Ai Weiwei worked for, was demolished just after its construction.

Shanghai Studio

 

Chinese people’s bed room for their stay in Kassel Documenta 12

Kassel Documenta 12 in 2008