05/1/13

新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。/ Newspaper Woman, Miyuki Nishizawa

本記事は、第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第三弾(最終!)、「新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。 」です。

「アートで私のこころが自由になった。それは師匠嶋本昭三もそうだし、いっしょにいるまわりの皆もそう。
だから、私たちが芸術を追い求めることで、いま苦しんでいる人たちのこころが少しでも、ひとときでも解放されてハッピーになったらいい。そして、仲間がいっぱい増えて、次の世代の人にもそれが伝わればいい。」
(西澤)

アーティスト西澤みゆきは、具体の精神を引き継ぎ、嶋本ミームを伝承する者として、芸術活動の本質を「精神の解放(/開放)」であると述べる。それはまさに西澤自身が、生きることの苦しみや困難、および長年にわたり心を縛ってきた重たい鎖を、芸術行為によってぶち壊し、粉々にしてしまうことに成功した張本人だからだ。
私の知る西澤みゆきは、いつもニッコニコしている。神戸の記号学会でお会いした際も、グッゲンハイムでも、あるいはSNS上で写真で見かけたりしても、とにかくいつも楽しそうだ。個人的な話だが、私自身は普段からあんまり機嫌が良くない。外出して人に会い、たった数時間頑張ってニコニコしているだけで帰宅すると顔が筋肉痛になってほっぺがプルプルする。だからこそ強く思うのだが、笑っている人はそこにいるだけで本当にハッピーを伝染する力がある。笑っている人は、いつもつまらなく悲しい顔をしている人よりも、個体として生きるエネルギーが断然高い。そして、そのポジティブなエネルギーこそが他の個体に伝染する価値のある唯一のものである。

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西澤みゆきが嶋本昭三のもとでパフォーマンスや制作などの芸術活動を始めたとき、彼女は肉親との関係や世間が強いてくる鋳型のようなものに苦しんでいた。それは、本当に大切なものの前ではひょっとして小さなことであるにも関わらず人が生きるのを息苦しくする、時には人から生きる力を根本的に奪ってしまうほど苦しくさせる、何かとても良くないものであった。身体に合わない服とか、胸から腰までを縛り付けるコルセットとか、刺すような痛みを日夜与え続ける歯列矯正器具の類いとか、目に見えはしないけれども、その良くないものはそれらに少しだけ似ている。

嶋本昭三の作品のひとつに、「女拓(にょたく)」がある。この素晴らしい作品は、彼の芸術行為を真っ向から受け止めることのできない人たちによって、しばしば不当な批難を浴び、日本社会ではスキャンダラスに扱われてきた。あるいはまた、イヴ•クラインの青絵の具を用いたパフォーマンス(Femme en bleuなど)と比較されることがあるが、イヴ•クラインのパフォーマンスが完全にコンストラクティッド(演出され、構成された写真)であるのに対して、女拓モデルの女たちが自由である嶋本の実践は全く性質が異なると言わなければならない。女拓は文字通り、魚拓の女バージョンである。女たちの裸の身体に墨を塗って、色々なポーズを紙に転写する。西澤はアパレル業界で十数年勤務したのち嶋本と再会すると、そこで女拓モデルをするために、全裸になった。女拓は嶋本昭三のアートスペースを利用して行われた。実は、「女拓が行われた」というのはやや語弊がある。実際にそれは生活のように自然に営まれたのである。もはやそれは一過性のパフォーマンスでも拓をとるための準備でもなく、裸で生活することそのものである。我々が作品として目にしてきた墨を塗られた女の裸体の様々な部分が紙の上に再表象されたものは、女拓という営みにおける最も物質的な結果にすぎない。女たちは、全ての纏うものを脱ぎ捨てた生活の中で、すこしずつ何も纏わないことに慣れていく。自分のものとは違う他人の裸、身体部位のかたちや色の違い、肉付きや骨格の違い、傷があったり老いたり子どもであったりする身体。魚拓がそうであるように(つまり、様々な種類や大きさの魚の記録であるように)、女拓もまた、女の生の記録である。それぞれの女たちの、異なる人生の記憶である。西澤はこの女拓生活を通じて、一人一人異なるはずの女たちの身体が、どの裸もおしなべて美しく、それがいわば全ての不要なものを脱ぎ去ったあとの魂のつきあいであることを発見し、それと同時にそれまで自らの心を覆っていた悪いものをバラバラに打ち砕いた。

著名なアメリカの写真家であるベン•シモンズ(Ben Simons)も女拓に関心を抱き、これを撮影した。墨で真っ黒になった裸の女たちの身体。彼は女に何のポーズも表情も要求もしない。女があるままに、裸でそこにいるままに撮った。彼は女拓の女たちの美しさを絶賛する。西澤みゆきはベン•シモンズがとりわけ愛した女拓モデルのひとりだ。生き生きとした命が発するひかりのようなもの。西澤は女拓の生活とベン•シモンズの写真を通じて、ハッピーを伝染するアーティスト「新聞女」となるための強い「たましい」を得た。

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時が過ぎた今、新聞女はいまや一人で立っているだろうか。
新聞女の最愛の師は、彼女と彼女と共にある者たちにチャンスと試練を残し、「現世での活動(を)引退」してしまった。(*「新聞女タイムズ」、特別号外より) 傷ついて繊細だったひとりの女拓モデルは、今やたった独り勇敢にクレーンに吊り上げられ、上空において人々の大喝采を全身で受け止める。彼女は、時にエレガントにまたあるときはゲリラのように人々の前に現れ、彼女自身の音楽を紡ぎ、彼女自身の舞を舞う。出会った人たちにハッピーを伝染するために。すべては、ひとりでも多くの出会い得る人々の「精神の解放(/開放)」と幸せのために。

芸術で精神が解放されました。だから芸術を追い求めてます(西澤)

心を封じ込めていた重い鎧は、再起不能なほどに完全に粉々に打ち砕かれ、もう二度と彼女を脅かしたりしない。そして人々が何かの偶然で悪い鎧を纏ってしまった時、それをどうやってぶち壊したらいいか知っている。新聞女はその芸術を、もう醒めることのない世界のなかでつたえ続ける。
(文:大久保美紀)

*「新聞女タイムズ」、特別号外は2013年3月9日のグッゲンハイム美術館でのパフォーマンスのために佐藤研一郎さんが作成した日本語および英語新聞である。

 

新聞女論vol.1, vol.2, vol.3をお読みいただいてありがとうございました。
お忙しい中メールでのインタビューにご協力いただいたみゆきさんに感謝します。
また新聞女ズひめさんのブログ「日々是ひめアート」を大変参考にさせていただきました。

04/30/13

新聞女論 vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。/ Newspaper Woman, liberating minds by arts

本記事は、第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第二弾、「新聞女論  vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。」です。

新聞女は、新聞紙を作品制作の材料として利用するアーティストある。彼女が役目を終えた新聞を作品の材料として大抜擢したのもそれでモノを作り始めたのも、運命みたいなものである。新聞は、ひとたび大量に刷られ、情報をぎっしり詰めて人々それを伝達するのに、その賞味期限はあまりに短命、翌日にはすぐにゴミになってしまう。毎日毎日大量に生み出されてすぐゴミになって捨てられる新聞紙たち。アーティスト西澤みゆきは、今日のように新聞でドレスやジャケットを制作し始める以前、大学でファッションを学び、デザイナーとして12年間企業に勤めた。彼女は消費の時代のファッション業界のあり方やそれを体現するような生活、つまり、溢れ返った物に囲まれ次々と新しく手に入れてはすぐに捨てる生活に疑問の念を抱く。なるほど、消費社会におけるハイスピードのアパレル産業と、物質性を伴ったマスメディアである新聞の置かれている境遇はそっくりである。彼女は、そんな不毛なサークルとも言える消費の輪をひょいと抜け出し、それまで捨て続けてきた物たちを救うかのように、役目を終えた新聞をメディウムとしてアーティスト活動を始めたのだった。

citée de The Morning Call

Newspaper Woman, citée de The Morning Call


嶋本昭三(1928.1-2013.1)は具体の創立メンバーの一人で(「具体」という名の提案者)、絵の具をキャンバスに投げつけたり、クレーンで吊られて上空から巨大な絵を描くパフォーマンス•ペインティングで知られる。晩年はAU(Art Unidentified)を組織するなどの活動を通じてたくさんの人々に芸術表現による精神交流のメソッドを伝達した。彼の芸術や生き方に触れた人々は「嶋本ミーム」(嶋本昭三文化的遺伝子)を伝承する者として、この遺伝子を世代を超えてさらにたくさんの人に拡散していくことができる。西澤みゆきもこの嶋本ミームをもつ者の一人だ。実は、嶋本昭三の絵画作品の中にゆくゆくは西澤のメディアとなる新聞を利用した作品がある。あの有名な穴のあいた絵画がそれだ。「作品」(1954年 芦屋市立美術博物館)のコンセプトは、前衛美術家嶋本昭三の誕生と同時に創り出されたアイディアである。美術を志すも、親に美大で学ぶことを許されなかった若き嶋本は1950年代始め、知人の紹介で吉原治郎(1954年に具体美術協会を結成)に弟子入りすることを試みる。毎日毎日絵を描いて見せに行くものの全く認められない。貧しかった嶋本は、木の枠に新聞紙を貼り、メリケン粉(戦後日本にGHQを通じて入ってきたアメリカで精製された真っ白い小麦粉)を炊いたものを塗り付けてその上に白いペンキを塗ったものをキャンバス代わりにしていたのだが、ある日それが濡れたまま急いで描いたところ穴の空いた絵ができてしまった。ー「穴の開いた絵なんか世界中にないんでは?」ー その絵が吉原治良に嶋本の才能を認めさせ、当時日本での厳しい評価をよそに海外では直ちに高い評価を得た。新聞が初期嶋本作品においてキャンバスの代わりに用いられ、それは時間が経つとカサカサになって割れたり穴が空いてしまうがその作品は今も幾つかの美術館に残り続けている(つまり、新聞は木枠と白ペンキで固定され、時の中に封じられることで、失った自由と引き換えに持続するいのちを得ている)。その一方で、新聞女の新聞は自在にかたちを変え、動き回り、刻まれ、破かれ、象られ、触れられ、纏われ、つかのまの時間を、それと遊ぶ人々とともに生きている。

SHIMAMOTO Shozo, Work, 1954

SHIMAMOTO Shozo, Work, 1954

 

さて、新聞はゴミであると上述したが、「ゴミとして捨てられてしまうものに命を与えます!」なんて言うと現代ではすぐにエコですね!とジャッジされる。いらなくなったものをアートのために再利用するという点で、エコ•アートというカテゴリを掲げられても勿論反駁はしまい。しかし、新聞を使うことの本当の意味をもっと丁寧に見るべきだ。メディアとしての新聞と新聞女の関係を考えること無しに、新聞女は語ることができない。彼女の作る美しい新聞ドレスを埋め尽くすのは、逆説的にも惨たらしい事件の報道や、戦争や紛争のこと、政治的不和や不況のこと。そこにある出来事を視線でなぞるならば、世界があたかも悲劇的な事柄で埋め尽くされているかのように感じざるを得ない。そして、それはある意味で真実なのだろう。

「新聞に書いてある内容はほとんど悲しいことや辛い目に遭った人のこと。テロや戦争、原発… 私に少しでも力があればぜんぶ解決したいがそれは叶わない。せめてその新聞紙を使って皆の心がすこし幸せになれたらいい。」(西澤)

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2004年6月の美術手帖に取り上げられた有名な新聞女のパフォーマンス作品がある。「Peace Road / 平和の道」は、新聞紙の中の9.11のテロに関する記事を選択的に使用して作られた作品だ。テロに関する記事の部分を、地球の色としての青、そして人々の肌の色である白•黒•赤•黄の計5色で塗りつぶし、神戸の元町駅から西元町駅までの1.2kmの道のりを一本の新聞の道として繋いだ。平和を祈り、人々の幸せに貢献したいというコンセプトは新聞女の表現活動の最も基本となる考えである。このプロジェクトは、ヴェネツィアのサンマルコ広場でもゲリラパフォーマンスで実践されている。こうして、異なる国や大陸で繋ぎ続けて行き、いつかは「地球をぐるっと一周peace roadでつなげたい」と彼女は述べる。
(参考 新聞女HP)

 

citée de The Morning Call

Crane Performance, citée de The Morning Call

新聞女のパフォーマンスのスケールの大きさとエネルギーを象徴する「クレーンパフォーマンス」を紹介せずにはいられない。クレーンパフォーマンスは、嶋本昭三氏が得意(?)とするパフォーマンスで、色とりどりの絵の具の入ったガラス瓶を上空から落下させて地上に広がる巨大なキャンバスに描くというもの。新聞女のクレーンパフォーマンスでは、彼女のホームページ(新聞女)をご覧頂けば一目瞭然であるが、上空に吊り上げられることによって、彼女自身が、超巨大(超ロング?)新聞ドレスを纏う新聞女という作品として完成するのだ。巨大なスカートはその真下にたくさんの人を含み込むことができ、人々はここでもやはり、下から新聞女のスカートを堂々と覗くことになる。風の噂やご本人の口から、新聞女が実は強度の高所恐怖症だという噓みたいな話を耳にした。あんなに格好よく、笑顔で新聞吹雪などを巻きながらぶら下がっていて、高所恐怖症とは何事だろうか。今回の2013年アーレンタウンでの初仕事もクレーンパフォーマンスであった。徹夜の作業。天気は大雪。遠足ではありませんので、悪天候決行。ご存知の通り新聞は水で強度を失い、簡単に破れてしまうはずである。地元メディアの取材陣、さらにはアーレンタウンの市長さんまでやってきた。亡き嶋本昭三に代わって上空に舞う新聞女に失敗は許されない。(参考、日々是ひめアート
パフォーマンスは地上から笑顔の大喝采を受けて真の大成功を収める。

「そのとき、不思議な感じがした。
いつもは上空の嶋本先生に下から拍手喝采していたのに、
その瞬間わたしがいつもの嶋本先生になって、地上のみんなを見ていた。」
(西澤)

アーレンタウンにおけるクレーンパフォーマンスの成功は、嶋本昭三研究所のメンバーおよび新聞女ズ、そして何より西澤みゆき自身にとって決定的に重要な意味を持つこととなる。

 

新聞女は明日、明後日も(4月30日ー5月2日)高の原AEON MALLに現れる!
(リンク http://www.aeon.jp/sc/takanohara/event/
・5月1日(水)
13:00~岡田絵里 はし袋でパレードしよう
15:00~新聞アーティストと一緒に新聞ドレスで館内パレード
・5月2日(木)
13:00~八木智弘 自分だけのミサンガ作り
15:00~巨大新聞こいのぼりを作ってトンネル遊び
場所:2F 平安コート他

 

「新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。」もお楽しみに!

04/29/13

新聞女論 vol.1 新聞女@グッゲンハイム美術館 – 新聞は纏うとあったかい。/Newspaper woman @guggenheim museum

本記事は、これより第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第一弾、 新聞女論 vol.1「新聞女@グッゲンハイム美術館- 新聞は纏うとあったかい。」です。

 

Newspaper Woman wearing  Shozo Shimamoto's painting

Newspaper Woman wearing Shozo Shimamoto’s painting

神様の偏西風が逆向きに吹いて、全く訳の分からないまま、私を乗せた飛行機はぐいぐいとニューヨークに引っ張られ、私がグッゲンハイム美術館の裏口に侵入したのは、19時半すぎ。「新聞女パフォーマンス@グッゲンハイム美術館 in NY」(Art after Dark, site )の開始時間の1時間以上前だ。本来JFK空港着予定が19時55分で、そこからうまく渋滞がなかったとしても、美術館に着くのは22時近くなりそうだったのだ。ミステリーである。私はその前日も飛行機でも寝ておらず神様の追い風のせいで頭の芯がしびれており、図々しいとはもちろん思いながら、準備中で確実に大忙しの西澤みゆきさん(新聞女, 新聞女HP)にコールしてもらった。新聞女はまだ新聞を纏っておらず、白いぴたっとしたカットソーを着ていた。彼女は私が着いたのを喜んでくれ、私はとてもわくわくし、三日分の荷物を詰めたちっちゃいスーツケースを引きずって、彼女が手伝わせてくださるという制作の現場にひょこひょことついていった。


kobe, 2012

kobe, 2012

私が新聞女パフォーマンスに出会ったのは昨年、2012年5月12日に神戸ファッションミュージアムで行われた記号学会においてである。小野原教子さんが実行委員長をされた『日本記号学会第32回大会 「着る、纏う、装う/脱ぐ」』(JASS HP)の学会第一日目、アーティスト「新聞女」が現れて、たくさんの研究者とか大学の先生とか学生さんで溢れる学会の会場がたちまち新聞で覆い尽くした。彼女は台の上で新聞一枚でぐるりと回りを覆われながら、そのなかで、全部脱いで、裸になって、ドレスを纏った。
(記号学会でのパフォーマンスの写真やコメントは以下ブログ うきうきすることが起こった。日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。Part1

after the performance, kobe, 2012

after the performance, kobe, 2012

ダンサーの飯田あやさんらによる新聞の舞にうっとりしている間に、周りの大人たちが笑顔で新聞だらけになっていく。みんなが楽しそうに、「私にもぜひ新聞巻き付けてくれ」と遠くにいた人たちもどんどん新聞女のほうに吸い寄せられていく。新聞の海のヴォリュームの中からわき上がるように高く高く登って、いつの間にかデコルテのロングドレスにエレガントな日傘を携えたの超笑顔の女が頂に姿を現し、パフォーマンスは完成した。纏った新聞はあったかくて私はとても幸福だった。彼女のパフォーマンスに初めて取り込まれた日のことだ。

 

グッゲンハイム美術館から直々のインヴィテーション。新聞女と新聞女ズ、そしてAU(Art Unidentified)の一団はニューヨークの郊外アーレンタウンを拠点に2013年2月初頭にアメリカに渡り、そこでFUSE Art Infrastructureの支援を得て寝食を共にしながら、 »Lollipop »(lollipop itinerary)という一連の企画でアーレンタウンとニューヨークで連日制作発表の多忙且つアーティスティックな日々を送っていた。グッゲンハイム美術館からのパフォーマンス依頼が届いたのは、彼女の最愛の師匠嶋本昭三さんが亡くなったその瞬間であったということを知る。全ては、小さな人間には手の届かない遥かに大きな「なにか」にうごかされた運命なのである。彼女たち数名は意を決して帰りの飛行機チケットをどぶに捨て、来る3月9日夜、嶋本ミーム*を共有する者たちのエネルギーでグッゲンハイム美術館を新聞で覆い尽くすことを誓ったのであった。私は突然の渡米を決めた。私はアメリカに行ったことが無い。自分がアメリカに行くというのはとても不思議に思えた。京都からは吉岡洋さんが具体と新聞女についてのインタビューを受けたりするため渡米する予定で、私もいっしょに新聞女のパフォーマンスを体験することにした。この記念すべきパフォーマンスのために、仙台の中本誠司美術館は嶋本氏の作品を西澤みゆきがグッゲンハイムのスロープで衣装として纏うことを許可し、当美術館からも当パフォーマンスへの協力者がかけつけ、ユタ州からは元新聞女ズの強力な助けがあり、フロアに設置された巨大新聞と新聞女号外の制作者やニューヨーク在住の知人協力者、そしてもちろん一ヶ月間連日制作発表を共にしてきた新聞女ズの中心に、笑顔で皆を率いる新聞女の姿があった。新聞女は、笑っている。舞台裏で制作に汗を流す仲間たちに指示を出し、自らも運び、走り、彼女のエネルギーがそれが遠くにいても感じられたりするなにかであるようにまばゆかった。

wearing her beautiful dress made of Shinbun

wearing her beautiful dress made of Shinbun

 

舞台裏にはたくさんの仲間たちがさすがはプロの手早さで作業をしており、私なんかが急に邪魔しにやってきて説明していただく時間や労力を割いてもらうのすら恐縮だったので、見よう見まねで出来るだけ頑張った後はジャーナリストに徹して写真を撮りまくろう(つまりサボり!)とひとり決意し、それでも教えていただきながら皆さんの巧みな新聞さばき/はさみさばき/ガムテープさばきを盗み見しながら、作品のほんの一部だけ制作に貢献した(ような気もする)。それぞれの分担作業に取りかかる前に、ボス新聞女から皆にパフォーマンスの段取りの説明があった。このパフォーマンスはなんと、21時から24時までの3時間持久レース、幕開けはPlease walk under hereの裾が30mにも及ぶレースでできた新聞ドレスでの登場。その後グッゲンハイムの名物スロープを利用して様々な新聞コスチュームを纏ったパフォーマーがヴィジターを巻き込んでパレードする、パレードが終わるとフロアでは巨大テディベアがどんどんその実態をあらわし、その傍らシュレッダーされたモサモサの新聞を生やしたニュースペーパー•モンスターがそれをフサフサさせながら踊る。フロアにいる人は、演歌や新聞女のテーマというジャパン的BGMに乗って「半額」とか「30円」のレッテルをぺたぺたくっつけられながらそこにいるだけで面白くなってしまう。そして、スロープには大きな「gutai」の文字をバックに嶋本昭三作品をエレガントに纏う、みゆきさんの姿が…。

Newspaper Woman's newspaper, special edition

Newspaper Woman’s newspaper, special edition

 

Princess !

Princess !



フルで3時間続くパフォーマンスなんて、いったいどんな体力であろう。しかも彼女らは連日の制作•発表•制作•パフォーマンスの多忙の中で寝ずに今日の日に突入しているという。フロアは入場者で満たされていく。Please walk under here ! の長い裾を皆で丁寧に支え、スタンバイ状態に入る。ああ、なんて、皆を巻き込むパフォーマンスはただひたすらにワクワクし、そこに存在するだけで楽しいのだろう。Please walk under here ! は新聞女の師匠、嶋本昭三氏の「この上を歩いてください」(Please walk on here, 1955)のオマージュである。女の子のスカートの下(というか中?)を歩く。めくり上げられたスカートの内側をあなたは堂々と歩いてよい。その長い長いスカートの裾はとても繊細なレース模様が施されており、それをばっさばっさまくり上げながら、観客であるあなたは中に取り込まれるのだ。盛大なスカートめくりであり、あなたはそれを覗く者となる。

"Please walk under here" goes on

« Please walk under here » goes on

Newspaper Woman appears in public !

Newspaper Woman appears in public !

with 1000 visitors

with 1000 visitors

fantastic !

fantastic !

パレードでは写真家のヤマモトヨシコさんが撮影された素晴らしい作品がパネルとして掲げられ、新聞女と新聞ドレスを着た女たち、そして巨大ジャケットを着た普通のサイズの人たちが練り歩く。このデカジャケのコンセプトは「着てたのしい、見てたのしい」。ファッション科出身の西澤みゆきの手にかかりジャケットは新聞と言えどきちんと裁断され、(巨人使用だけど)リアルな洋服の作りとなっている。着るととにかく面白いこのジャケットは「吉岡洋が着てもアホに見えるところがポイント」だとかなんとか。このジャケットを着て改めて思ったのだが、新聞は普通の服や紙より明らかにあたたかい。それがただ何枚も重ねられたり文字が印刷されているためだけでなく、新聞女とその仲間たちが創り出すそのものたちは、纏うととてもあたたかい。

Yoshiko Yamamoto's picture works

Yoshiko Yamamoto’s picture works

in her famous giant jacket, Parade

in her famous giant jacket, Parade

Half price

Half price

 

これらの大量の新聞は、アーレンタウンで彼女らの活動を支援したFUSE Art InfrastructureのLolipop Co-Directorでアーティストのグレゴリー•コーツが現地で入手してくれたものだそうだ。素晴らしいディテールのレースのドレスも、労力を要求するシュレッダー•モンスターのコスチュームも、可愛い巨大テディベアも、その一夜限りのニュースペーパー•ドリームを演出するために生み出され、そして、処分される。新聞女の作品はダイナミックで、パフォーマンスはエネルギーに満ちている。それらが全て撤収されて、片付けられて、元の世界が舞い戻ってくるような瞬間は、なんだか奇妙にすら感じられる。しかしそこには、たとえば夏が終わったときのような哀愁や寂しさは漂わない。なぜなら、一度新聞女に出会った者はその日の出来事をもう二度と、忘れることが出来ないからだ。そのエネルギーは出会ったあなたの中に既に送り届けられ、それはより多くの人たちと「ハッピー」を共有するために、増殖を続けるのみである。

 

a big teddy bear after the performance

a big teddy bear after the performance

elegant lace dress after the performance

an elegant lace dress after the performance

「いま目の前にいるみんなが喜んでしあわせにいれるように。地球の誕生から様々な生命が繰り返されてきたように、その大きな生命体の一部として。作品は残らなくても、みんな(や地球)がニコニコはっぴーでいれることに貢献したい。」(西澤)

(グッゲンハイム美術館でのパフォーマンス、その他の写真はこちら
*嶋本ミーム ミーム(meme)とは人から人へと行動や考え方を伝達する文化的遺伝子のこと。京都ビエンナーレ(2003)では嶋本昭三と弟子の作品を集めた「嶋本昭三ミーム」展が開催された。

新聞女は明日から三日間(4月30日ー5月2日)、高の原AEON MALLに現れる。

(リンク http://www.aeon.jp/sc/takanohara/event/

日程 / 時間
・4月30日(火)
13:00~高田雄平 自分だけのブレスレット作り
15:00~新聞アーティストと一緒に巨大テディベア作り
・5月1日(水)
13:00~岡田絵里 はし袋でパレードしよう
15:00~新聞アーティストと一緒に新聞ドレスで館内パレード
・5月2日(木)
13:00~八木智弘 自分だけのミサンガ作り
15:00~巨大新聞こいのぼりを作ってトンネル遊び
場所:2F 平安コート他

 

「新聞女論  vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。」もお楽しみに。

 

04/8/13

ARRRGH ! HYBRIDE MONSTERS / ARRRGH ! 身体のハイブリッド性 @Gaîté Lyrique

ARRRGH! Monstres de mode / モードの怪物たち

あるとても寒い日、といっても世界の他の国々と同様に既に4月を迎えているのだが、郊外では雪すらうっすら降り積もったというその日、数日前まで最終日までに行けないのではと思っていた展覧会に思い立って行ってきた。展覧会は気になったら行ったほうがよく、人は気が向いたら会うほうがいい。

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ARRRGH! http://www.gaite-lyrique.net/theme/arrrgh-monstres-de-mode
du 13 février au 7 avril 2013
@Gaîté Lyrique
Arteの展覧会ビデオでも気になってたまらない、(ビデオはこちらです)黄色いスウェードの衣をまとった生き物は『千と千尋の神隠し』に登場し、その愛らしい動きと顔がないその顔によって一躍有名になった、あのカオナシ様に似ている。だが、なんだいジブリのパクリやないか、と勝手に一件落着してはならない。実はこの洗練された顔、IAMAS出身のグラフィック•アーティスト大石暁規さんの、あのキャラクターのお顔なのである。正面から見ても近寄っても横から見ても、たしかに愛嬌のあるこの有名なモンスターは、PICTOPLASMAのPICTOORPHANGE LES PETITS BONHOMMES (2008)である。PICTOPLASMAはアートにおけるキャラクター的なものやファッションのデザインと身体の関係に着目し、キャラクターデザインやタイポグラフィデザインを手がけるほか、アートブックの出版も行うドイツのグループである。こちらは、2010年に行われたハンブルグでのPICTOPLASMAの展覧会だが、こちらで大石暁規さんのタイポグラフィック・キャラクターが登場する。

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*大石さんのサイトはこちらAkinori Oishi

 

ARRRGH!は日本語でいえば、ギャー!といおうかウギャー!といおうか、そんな展覧会タイトルである(と思う)。残念ながらふざけてるわけではないのだが、さすがにタイトルだけではちょっと訳が分からないのでコンセプトを見てみよう。
ISABELLE MOISYによる解説によるとこうある。
——-
「ファッション•クリエーターが創造するハイブリッドなものたち。現代のヴィジュアル•クリエーションの中でも人間の身体や様々なコスチュームに関する作品を展示する。とりわけ、Atoposの創作活動と作品に焦点を当てながら、そのスタイリストやデザイナーが「モンスター」像を通じて浮き彫りにする、身体とアイデンティティーのハイブリッド化の過程をお見せする。」( D’une recherche étonnante sur la création visuelle contemporaine dédiée à la figure humaine et au costume, le collectif grec Atopos met en lumière l’univers de stylistes et designers qui explorent les processus d’hybridation du corps et de l’identité à travers l’image du monstre. )
ARRRGH!はしたがって、奇怪なモンスターたちに出会ってしまったときの、我々の驚きと恐怖と違和感に満ちた「叫び」をあらわす。この展覧会会場に所狭しと立ち尽くすマネキンやキャラクターたちはそんな我々の叫びに囲まれて日々を過ごしている。

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補足となるが、この展覧会と合わせて、PICTOPLAMAから出版されている一冊のカタログ »NOT A TOY. Fashioning Radical Characters »(Edited by V.Sidianakis,2011)についてもリンクを掲載させていただく。表紙は性同一性障害という長きにわたる自己の問題と向き合って去勢手術とそのほか幾つかの整形手術を行ったプロセス(2005ー2007年)をセルフポートレートで表した作品で著名のピューピルさんが制作した強い色のニットを纏って登場している。— http://www.atopos.gr/publications/not-a-toy/
また、覗かれるだけでも軽く眩暈がするけれども楽しいATOPOSのサイトもご覧になってみて頂ければと思う。ATOPOS

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さて、個人的にも、PICTOPLASMAの作品はこれまでも何度も目にしたことがある。たとえば、つい昨年、同Gaité Lyriqueでの展覧会PIctoplasma(http://www.gaite-lyrique.net/programmation/theme/festival-pictoplasma)が行われた際にも多くのキャラクターを目撃したし、Petite Salleでのインスタレーションパフォーマンス、The Missing Link(2011)もインパクトがあった。雪だるまというか雪男といおうか、しかしやはりどこかキャラクターらしく可愛らしい姿をした不思議な生き物が、真ん中のとりわけ大きな雪男にひれふし、からだに対して小さく細い腕を天にかざし、天啓を仰いでいるような、何かを祈り何かを求めているようなポーズ。

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それでは、数あるモンスターの中からその幾つかをご紹介しよう。フレークが詰まったタイツをたくさん被ったセクシーなモンスターは、ALEXISのTHEMISTOCLOEUS FREAKS (2011)である。ありとあらゆるマテリアルを挑戦的に使用したファッションモンスターの展覧会において、もっとも無意識に触ろうとしてしまいかけたコスチュームである。展覧会の入り口で見た「作品は非常にフラジャイルです」という注意をつい忘れてしまうところであった。細かいフレークがパンストにパンパンに詰められて、マネキンのボディを覆っている。マネキンのボディはつるっとしている一方で、ストッキングの表面に訴えかけるフレークのつぶつぶの質感は魅力的である。この形状は、月並みには有名な草間彌生のスカルプチュアや身体のフラグメントの表現のようだが、どうじに、それ自体が独立した別の生き物であるかのようにも見える。

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CHARLIE LE MINDU のヘア系スカルプチュアも一連のシリーズとして定評がある。髪の毛で作られた巨大な唇、長い髪の毛で身体を覆うようなコスチューム。髪の毛は、前述のフレーク入りの温かく柔らかそうなパンストの対極にあり、触りたく思いにくい代物である。モンスターと髪の毛の関係について思い起こしてみると、日本には、お人形さんの髪の毛が伸び続けるという怪談があるし、女の人の幽霊もたいてい皆長い長い髪の毛を垂らしている。だがそれらは決してすすんで触れたくなるようなものではない。そもそも、髪の毛というのが半分死んだ細胞であることは、我々は感覚的に知っているようだ。レストランのお料理の中に髪の毛が入っていたら、たいていの人は憤慨して不潔だと言ったりする。あるいは、ホテルに宿泊してお風呂や流しに見知らぬ人の髪の毛がたくさん落ちていたりしたら、不快に感じたりする。髪の毛は、なるほど我々を不安にさせるようなテクスチャーを持っている。それは彼らが死んでいるからでもあり、性器を本来保護する陰毛とも関係があるからである。髪の毛で造形された大きな唇は、もはやただの唇ではない。

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あるいは、Manon Kündigの風船服。我々の身体も時々こんなふうに深海を泳ぐフグのように、プウっと膨らんでは静かに縮んだりしたら面白い。あるいは、実は既にそのようであるのかもしれない。膨らんで膨らんで、破裂するすれすれにその表面が裂けていることにもなぜだろう、多くの場合ひとびとが気づくことが出来ないのは、我々が心外にもその痛みに鈍感であるからだろうか。

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またCHARLIE LE MINDU Kiss Freak(2011)は同様にヘア系スカルプチュアのうちの一つ。鏡を覗き込んで「世界で一番美しいのはだあれ?」と猫なで声で魔法の鏡に尋ねるうら若い女性の顔は唇だらけ。口はそう、身体と外界を繋ぐ管の境界部分として我々のからだに切れ目を生じさせている。彼女の顔を間違って覗き込んだりしてはならない。そのとき、我々もまた、その裂け目を自己身体の表面に意識せざるを得なくなるのだから。

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DIGITARIA(Collection Mind Over Matter en collaboration aver Hope)による2012年秋冬コレクションからは、やわらかい大きな抜け殻。暗闇の中にうかぶ真っ白な抜け殻はなんだか気持ち良さそうで、そこにからだを埋めれば今もまだ、見知らぬ生き物の温度を肌に感じることすらできそうである。これをみると、ああ我々はいつか映画で見たように宇宙からやってきたエイリアンかなにかで、カプセルの中に閉じ込められていて、時がやってきてその外に出ることが出来たのであり、われわれはそこをぬけだしてどこか自由になったのだと思うかもしれない。そのような幸福な想像力と同時にわたしはもうひとつの全く別のストーリーを想像することが可能だ。それは、これらの抜け殻は実は、もともと空っぽの抜け殻として準備されていたのであり、その空洞はなにかがその中に侵入してくるその瞬間を首を長くして待っているのだ。たとえば、あなたが迂闊にも、その中柔らかい内部に侵入してくるようなことを。

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03/16/13

新聞女@グッゲンハイム美術館 / Newspaper Woman @Guggenheim Museum

Photo album of Newspaper Woman’s performance @Guggenheim Museum, NY
March 8th, 2013, 21h-24h

Shinbunonna, Newspaper Woman, is a Japanese Artist, performer. Her master is Shozo Shimamoto, member of Gutai, Japanese artistic movement in 1950s-70s. She is invited for presenting the performance, and realized the event with her companies, artists, dancers, thanks to Fuse Art Infrastructure Allentown.

Shinbunonna HP
Fuse Art Infrastructure Allentown
Art After Dark
Guggenheim Museum, NY, Gutai Splendid Playground

Newspaper Woman's newspaper, special edition

Newspaper Woman’s newspaper, special edition

Newspaper Woman's bags

Newspaper Woman’s bags

Giant newspaper, special edition for the performance at Guggenheim Museum

Giant newspaper, special edition for the performance at Guggenheim Museum

wearing her beautiful dress made of Shinbun

wearing her beautiful dress made of Shinbun

preparing for the opening

preparing for the opening

on standby

on standby

on standby, her followers, too

on standby, her followers, too

Newspaper's fashion items

fashion items of newspapers

must be in bare feet !

must be in bare feet !

talking of her one-month experience in the U.S.A

talking of her one-month experience in the U.S.A to Hiroshi Yoshioka

Newspaper Princess' shoes

Newspaper Princess’ shoes

Princess !

Princess !

on a stepladder, followed by a crowd

on a stepladder, followed by a crowd

"Please walk under here" goes on

« Please walk under here » goes on

Newspaper Woman appears in public !

Newspaper Woman appears in public !

sophisticated lacework of her newspaper dress

sophisticated lacework of her newspaper dress

fantastic !

fantastic !

with 1000 visitors

with 1000 visitors

"Please walk under here" over

« Please walk under here » over

for next piece !

for next piece !

panels for Newspaper Woman Parade

panels for Newspaper Woman Parade

joyful mood

joyful mood

in her famous giant jacket, Parade

in her famous giant jacket, Parade

Half price

Half price

Special Price, 30 yen

Mr Yoshioka obtained a special price seal, 30 yen

Shred newspapers Monster is being born

Shred newspapers Monster is being born

Newspaper Woman wearing  Shozo Shimamoto's painting

Newspaper Woman wearing Shozo Shimamoto’s painting

Miyuki Nishizawa, artiste in her master's work

Miyuki Nishizawa, artiste in her master’s work

Next time, I’ll write the article about Newspaper Woman, Miyuki Nishizawa hopefully after interviewing with her !

01/31/13

石内都「絹の夢」/ Miyako ISHIUCHI « Silken Dreams » @MIMOCA

石内都 絹の夢 / Miyako ISHIUCHI « Silken Dreams »

丸亀市猪熊源一郎現代美術館(MIMOCA)
2012/10/07→2013/01/06

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2013年1月6日、石内都さんの展覧会「絹の夢」を訪れた。この日は本展覧会の最終日で、美術評論家の光田由里さんと石内都さんとの対談も予定されていた。石内都さんの作品は、おそらく中学生か高校生の時だと思うが、1995年に出版された『手・足・肉・体』の写真集をどこかで目にしたのが初めての出会いであったと記憶している。はっきりと覚えているのは『キズアト』(2005年)以降の作品、『マザーズ』や『ひろしま』には、見たことのないものを目にしたときに感じる強い衝撃を受けたし、彼女が被写体を選択するその方法や切り取り方というものに心を動かされた。とはいえ、写真集を見ることは何度もあったが、展覧会に実際に足を運ぶ機会には頻繁には恵まれなかったので、今回初めて丸亀のMIMOCAに訪れ、ここでの石内さんの展覧会を観ることができ、ましてやご本人のお話を拝聴することが出来たのはものすごく幸せなことだった。

展覧会のタイトルは「絹の夢」。本展覧会では石内さん自身が幼少期を過ごされた群馬県桐生市(織物の産地)で2010年から撮影した織物工場や製糸工場の写真とともに、明治•大正•昭和にかけて日本の若い女性たちがお洒落に纏った一代限りの絹織物である「銘仙」に焦点が当てられていた。『ひろしま』から『マザーズ』をへて『絹の夢』にいたる石内さん自身の経験や物語が絹の道にやさしく導かれながら、その奇跡を感じ取ることができるような展覧会であった。

「ひろしま」から始まった、あるひとつの絹の道。(略)広島で出会った絹織物は故郷の土地を呼びおこし、導かれるように桐生に向かう。
遠い日に聞いた蚕が桑の葉を食べる音、蚕棚がびっしりと天井まである部屋の空気の匂い、赤黒い桑の実の甘ずっぱい香り、機械織機の規則正しい音のする小道、そんな土地に生まれたことを初めて意識する。そして銘仙というきもの。… (「石内都:絹の夢」青幻舎、2012年)

「ひろしま」で石内さんが撮影した被爆した女性たちの遺品はその八割が絹製であったそうだ。ワンピースやブラウス、花柄のスカートに美しいドレス。彼女の撮影する広島は、もちろん血痕が刻印され、爆風でちぎれてしまっているが、その衣服たちは今日もなお色鮮やかで美しい。この絹で作られた遺品たちが、彼女を故郷の桐生へ赴かせ、製糸工場に足を運ばせ、そして銘仙の撮影に至らせたという。蚕が桑の葉を食べる音とはどんな音だろう、むしゃむしゃという音の一つ一つが重なり合うように広がって聞こえてくるのだろうか。そして、蚕棚の部屋の匂いや、桑の実の香りを私は知らない。私が生まれ育った北海道では、屯田兵入植の明治20年代当初、養蚕が奨励され札幌農学校(現北海道大学)にも養蚕学を学ぶ授業があったそうだが、今よりもずっと寒い気候だった当時の北海道には養蚕はなかなか定着しなかった。私にとって、養蚕にまつわる描写、クワノハ、カイコ、マユといった言葉の響きは、ただそれだけで、見知らぬ関東の農村のある晴れた夏の日、子どもが遊んでいたり母親たちが仕事をしていたりするような、いつも小説で読むたび熱心に想像した風景を私に思い描かせた。

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彼女がこの展覧会で光を当てた「銘仙」という絹織物について、少しだけお話ししたい。絹の着物がふつうは代々受け継がれるものであるのに対して、銘仙は一代限りの絹織物であると言われる。経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に組み合わせる平織りの織物で、その歴史は亨保・文政年間に遡り、伊勢崎の太織り(ふとり)という屑絹糸を使った手織りのざっくりした庶民の普段着として愛用された。明治になると糸屋・染屋・機屋などさまざまな専門業者もあらわれ、銘仙となる。織り方に様々な工夫が加わり、生地も丈夫になっていくが、本格的に女性のお洒落普段着として大流行したのは大正時代のことである。大正の時代、女性は前時代に比べて大変お洒落になった、というより、やっと普通の女も時々はおめかしして外に出かける時代になったようだ。銘仙は実は、洋服がもっともハイカラだった大正末期、銀座のギャルズに最も着られていたとする調査もある。こんなにもヴァリエーション豊かで、自由で、想像力豊かな着物がけっして次の世代に受け継がれなかったというのは、一見不思議な気さえする。石内さんは、彼女の母親の遺品の中に銘仙は一枚もなかったことや、着物を彼女に譲った女たちも持っていたに違いないのに絶対に手渡されなかったという事実から、銘仙は、一般的な絹織物のコンテクストにおいて、日本の伝統の本流になったものからおそらく最も遠いところにある着物であったと解釈している。そしてそれが当時の生きた女達による最も本当らしい絹のあり方だったのだろうともおっしゃられた。つまり、元々は屑繭糸で織られた安物で、色や柄は過剰なほど個人趣味で、世代を超えて受け継ぐに値しないもの、と女たちが思ってきたのが銘仙であり、しかし同時にその繊細で大胆な色や柄、そして儚い運命はまさに「絹の夢」と呼ぶにふさわしい存在なのだということが、私の中ですっきりと納得された。

石内さんの凄いのは、彼女の写真それ自体なんですといきなり言ったのでは慕ふ者失格である。私としては、まず被写体が凄いと言わなければならない。彼女の被写体はいつも凄いのである。それは私が石内さんの作品を観るようになってから一貫して変わらない印象の一つだ。写真集が出版されてから何度も見た『キズアト』では、女性の身体に刻まれた時間の記憶としての傷は、古い傷でありそれ自体は傷むことはないのに、その身体が苦しみ、それでもずっと生きて時間を重ねてきたことを物語る。刻まれた傷は少しも風化せず、あたかも傷ついた瞬間をそのまま観るものの目の前に突き出すかのような迫力。それでいて、傷をもつ女性たちの身体は写真の中で美しい。女性たちは、印画紙上で写真として物質化される以前にそもそも、その生きている様が石内都の直観を惹き付けた女性たちなのである。傷ついた身体を被写体に選び取る作品は世界に数えきれないほど存在する。しかし、石内さんの『キズアト』はそれらのどれにも似ていない。

(略)彼女はヒラリと羽衣を天空から引き寄せ、自分のからだにフワリと巻きつけた。何も着ていないからだにまとわりついた羽衣は、しだいに皮膚の一部となり、肌理を整え、からだに染みて、きれいな表層を作り出す。それがいつだったのか思い出すのをやめてしまうと、羽衣が傷だったことも忘れ、そのわずかな痕跡からにじみ出る体液のような密度のある力によって、黒いひと粒の粒子が生まれる。粒子は粒子を呼びおこし、光と影の無彩色が白い印画紙に焼き付き、羽衣は写真の中によみがえる。…(「キズアトの女神たち|石内都」あとがきより)

石内都さんは、1970年代後半に生れ育った横須賀の町を撮影し、『絶唱•横須賀ストーリー』を発表、78年に第四回木村伊兵衛賞を受賞した。この頃から一貫して、35ミリ、自然光、手持ち撮影を貫く。写真は、曖昧なイメージでなく、物質的であることを明確に意識して写真を作ってきた。彼女が写真を語る言葉には、例えば上記のような「黒いひと粒の粒子」という表現がよく登場する。そしてその粒子は「わずかな痕跡からにじみ出る体液」に由来することから解るように、同じくマテリアルである被写体から放たれる生き生きとした力に深く関係があるのである。彼女は撮影よりも暗室作業が好きだときっぱり言う。できるだけ写真は撮りたくないが、暗室で粒子を数え、粒子と粒子の間にあるものを観るのが好きだと語る。この作業の意味するところは、被写体が持つ何らかの力と石内さん自身が暗室で対話することであり、つまりは写真を媒介にした被写体と自己との関係を結ぶ、もっとも本質的な作業なのである。

「絹の夢」において撮影された数々の銘仙も、実はそういった対話の中で生まれてきたマテリアルとしての写真が鑑賞者に提示されているに他ならない。石内さんが撮影した銘仙とは、それをかつて個人趣味で一代限りの絹織物として纏っていた女たちの身体そのものであり、着こなしであり、今は亡き彼女たちの生き物としての質量や温度や、匂いである。石内さんの写真がしばしば、物を撮りながらもそれを観る私たちに別の存在を想起させるのは、そういったわけである。生き物は死に、物はそこに残り、彼女の撮ろうとしているものは、しかし、もうそこには存在しない。

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石内さん自身が述べているように、「絹の夢」は、「ひろしま」から続く絹の道である。そして、第11回宮崎ドキュメンタリー「Mother’sからひろしまへ」という展覧会が象徴しているように、この二作品も一本の道で繋がっている。「マザーズ」は石内さんが自身の母親の遺品を2000年から2005年に渡って撮影した作品で、第51回ヴェネツィア•ビエンナーレで発表した作品である。真っ赤な口紅がつややかに浮かび上がる一枚の写真は、母親の遺品と聞いて普通連想するような「想い出」とか「亡くなった人への思い」というキーワードが全く似合わない。今まさに物を残したその人が、観る人の前で紅を引き、その深紅の瑞々しい唇を微笑ませるでもなく静かにこちらに向けているような、どきっとする写真だ。撮影者が語っているように、化粧品や下着という身体にとても近い物たちを撮影することは、亡くなった母親の「皮膚の断片」を感じる行為である。そして、ここに浮かび上がるのは、「失われた身体ー物」ではなくて、「撮影者ー物の所有者」。つまり、「マザーズ」は、遺品を仲立ちに母との関係を切り取った作品なのだ。この作品は、ヴェネツィア•ビエンナーレおよび国内の展覧会を通じて鑑賞者によって、それぞれに視られ、語られ、解釈され、そしてまた観られることを繰り返す。遺品は、ある娘が撮影したひとりの母の遺品であることを離れ、ある種の普遍的な「遺品」となる。私写真としての私のお母さんの遺品は、共有されるなかで皆の母の遺品、さらには遺品そのものになり、個別性を越えていく。ここにこそ、「マザーズ」から「ひろしま」へ、そして「絹の夢」にまで繋がる主題「遺品」の意味があり、石内都さんの表現する作品がたとえ文脈から切り離されてひとりぼっちで投げ出されたとしても、しっかり自立して存在する表現であることの理由なのだと、私は考えている。さらに、このことは、しばしば個人的な記憶や想い出、個別的な動機から端を発する芸術における表現活動(あるいは、芸術領域におけるそれに限らない)の存在意義それ自体に深く関わると私は考えている。人々は、自分の抱えているとてつもなく大きくて強いものを、物質化し、可視•可触化し、それを独り歩きさせる。そのプロセスを通して、これを表現した人は、別の誰かによって(あるいは何かによって)、救われたり、共感されたり、非難されたりするだろう。しかし、表現活動には当然ながら、表現されたものをうけとった人にとっての意味が生じなければならない。このことは表裏一体かと思われるかもしれないが、決してそうではない。

私にとって、表現行為の存在意義はごく単純でありうる。個別性を越えてそれが共有されること、そしてそのことが表現者と鑑賞者を深い場所で関係させるようなこと。
私が石内都さんの表現されるものが好きなのは、きっとそれらが閉じた孤独の中ではなく開かれた場所にあり、そのことを感じた瞬間、ある種の救いや幸福ともいうべき何かを直観的に感じるためなのだと思う。

 

*「遺品」という被写体について、書きたいこと等もあったのだが、長くなってしまったので、このことについては次回に改めて書きたいと思う。

2013.1.6 MIMOCAにて。興奮し過ぎて手がグーになっています

2013.1.6 MIMOCAにて。興奮し過ぎて手がグーになっています

 

11/30/12

PETITS RÉCITS SUR LE BONHEUR EPISODE 1 : RÉCIT SUR AMOUR ET SERRURE

このエッセイは、吉岡洋編集の批評誌『有毒女子通信』第10号 特集「ところで、愛はあるのか?」のために書かせていただいた、連載 《小さな幸福をめぐる物語》―第一話 「愛と施錠の物語」 のフランス語バージョン作りました!『有毒女子通信』購入ご希望の方は京都のVOICE GALLERY、あるいは吉岡編集長まで直接ご連絡ください。Twitterは@toxic_girls)(old posts of blog de mimi, salon de mimi)

(本文冒頭:「愛と施錠の物語」
愛とは、しばしば、お互いのセックスに錠を掛け合うことである。(ここでの「セックス」とは、性交渉だけでなく性器そのものや性的イヴェントなど、広義の性をさす。)
「貞操帯」というオ ブジェをご存知だろうか。「貞操帯」は被装着者の性交や自慰行為を管理するために性器を覆うように装着する金属製のオブジェである………

Cette version française d’un article est une traduction d’un article japonais publié sur une revue « Toxic Girls Review » (Twitter account @toxic_girls) pour laquelle je travaille comme essayiste. 
Si vous vous intéressez à cette revues, contactez moi via ce blog ou via Twitter @MikiOKUBO.

PETITS RÉCITS SUR LE BONHEUR
EPISODE 1 : RÉCIT SUR AMOUR ET SERRURE

L’amour est souvent représenté par le geste commun des deux partenaires de fermer la serrure à une sexualité extérieure au couple. Ici, j’utilise le mot « sexe » qui comprend non seulement « faire l’amour » mais aussi « le sexe de l’homme et de la femme » et certains événement sexuels, bref, au sens plus large.

Connaissez-vous cet objet appelé « la ceinture de chasteté » ?

La ceinture de chasteté sert principalement à empêcher le rapport sexuel et la masturbation de celle (ou celui) qui porte cet outil en métal fermé autour de son sexe. Son apparence est bien intimidante : cette ceinture en métal ne possède qu’un trou de quelques millimètres qui permet d’uriner. À part ce trou, le sexe de cette personne est entièrement couvert pour empêcher ou plutôt pour interrompre l’envahissement de n’importe quel objet. Aujourd’hui, il existe la ceinture de chasteté pour les hommes, mais historiquement, dans la majorité des cas, cet instrument a été produit pour les femmes. Selon la recherche archéologique, il semble que l’origine de cet instrument se situe pendant les croisades du Moyen Age. Cette ceinture est apparue pour la première fois dans un dessin d’Adolf Willette, vers 1900. Certains soldats qui partaient pour de longues batailles et qui craignaient l’infidélité de leurs femmes les ont obligées à porter la ceinture de chasteté. Autres victimes ont été les jeunes filles de très bonne famille, équipées de cet outil par leurs parents pour protéger leur virginité.

French caricaturist Adolf Willette ca. 1900
Scanned from an early 20th-century book edited by Eduard Fuchs (probably Die Frau In Der Karikatur, 1907)

Pour enfermer le sexe, le fonctionnement de cet outil s’effectue en fermant la serrure physiquement. Cela va sans dire que la personne portant la ceinture ne pourra jamais elle-même ouvrir la serrure. C’est pourquoi une femme portant cet instrument qui ne possède plus de la liberté sexuelle de « faire l’amour » ou de « se masturber », n’a qu’à attendre le retour de la guerre de son mari avec patience, car c’est lui qui garde la clé. Si jamais il meurt à la guerre, la pauvre veuve est obligée de continuer sa vie castrée violemment de tous ses désirs sexuels.

Entre parenthèses, comme « la ceinture de chasteté » privatise violemment et unilatéralement la liberté sexuelle, de nos jours, elle est très présente sur la scène théâtrale des événements sexuels en tant que châtiment ou punition, afin de mettre efficacement en scène le sadomasochisme ou les rôles de « dominateur » et d’« esclave ». Au Japon, Nori Doi, artiste japonaise, plasticienne (sculpteur de poupées), a présenté les ceintures de chasteté pour les deux sexes en 1968. Son travail était véritablement scandaleux pour certains féministes et critiques, et pour cela, cette artiste a été gravement critiquée.

ceinture de chasteté, Nori Doi, 1968

« Revenons à nos moutons » sur le thème de l’amour et de la serrure. Pourquoi parle-t-on de la ceinture de chasteté dans ce numéro de Toxic Girls Review consacré spécialement à l’amour ? Ma réponse à cette question touche en effet à une intuition hypothétique sur l’amour qui pourrait s’exercer largement aussi bien en Orient qu’en Occident.

« La sexualité de l’être humain, ainsi que l’être humain lui-même, désirent être contrôlés par quelque chose comme une serrure et une clé. »

À Paris, quand vous passez sur le Pont des Arts sur la Seine, vous trouverez des milliers de cadenas accrochés sur ses rampes d’appui.  Si vous visitez Paris avec votre amoureux, qui que vous soyez (touristes ou parisiens), vous n’avez qu’à réaliser une seule chose : acheter un cadenas appelé « cadenas d’amour », l’accrocher sur la rampe d’appui, bien fermer la serrure, et ensuite, jeter la clé dans la Seine. Ainsi par ce geste, la seule clé qui permet de briser ce sceau DISPARAÎT de ce monde. Le cadenas restera éternellement fermé comme une trace du vœu d’amour et il existera toujours à Paris sur la Seine… Quelle belle histoire ! Certes, historiquement, la clé est employée en tant que symbole du vœu des amoureux dans de multiples situations romantiques. Cependant, le nœud de la relation amoureuse chez l’être humain se situe dans les règles du jeu : fermer la serrure réciproquement au sexe hors du couple. Ce que les visiteurs souriants en couple sur le Pont des Arts font en plein bonheur est équivalent à la fameuse cérémonie effrayante de privatiser la liberté sexuelle et de contrôler son sexe : la fermeture de la serrure de la ceinture de chasteté. L’espèce humaine ne peut avoir l’esprit paisible qu’avec ce vœu permanent, comme fermer le cadenas et ensuite jeter la clé.

Pont des Arts, Paris, photo by Miki OKUBO, 2010

Malheureusement, ou bien il faut plutôt dire « heureusement », personne ne croit sincèrement à l’éternité de ce cadenas, ainsi qu’à ce vœu. En 2010, il y a eu des nettoyages complets des rampes d’appui de ce pont pour le respect du paysage. Il semble que ce nettoyage a été effectué par la mairie de la ville de Paris. Les milliers de cadenas représentant des milliers vœux d’amour ont tous disparu en une nuit. D’autre part, il doit y avoir des gens qui viennent mettre un deuxième (ou un troisième) cadenas avec un autre amoureux. Evidemment, le sexe de ces couples , en réalité, n’est pas emprisonné comme avec la ceinture de chasteté. Ils restent donc physiquement toujours libres d’avoir une relation sexuelle et de se masturber. Il existe aussi la modalité d’amour « platonique » sans rapport sexuel. Lorsque l’on enarrive là, nous trouvons qu’il est difficile de définir clairement ce qu’est la signification du geste « fermer le cadenas pour protéger l’amour ».
Cependant, les rampes d’appui du Pont des Arts accumulent continuellement des cadenas d’amour. Les gens n’arrêteront pas d’y mettre leurs cadenas. C’est la même logique qui fait que, nous, êtres humains, n’abandonnerons jamais de nous engager pour le futur, et continuerons à croire à nos vœux d’amour réciproque.
En effet, « croire à l’amour » et « fermer la serrure de chacun » ne sont pas si nuls puisque c’est cela que nous désirons et ce pourquoi nous pouvons continuer à vivre. Autrement dit, cela peut être le seul moteur de la vie.
Même si ce vœu est très fragile et ambigu, l’énergie potentielle produite par l’amour est intense. Un petit truc dont nous avons besoin pour continuer à vivre, me semble-t-il, se cache tranquillement dans ces efforts quotidiens et dérisoires.

Miki OKUBO
(grand remerciement pour L.T. pour cette version française)

(日本語のエッセイは、『有毒女子通信』第10号 特集「ところで、愛はあるのか?」でお読みください。次回もお楽しみに!)

09/21/12

Ré- White Drama / 白ドレスに犯される少女たちは幸福か?

Ré-White Drama
白ドレスに犯される少女たちは幸福か?

Comme des Garçons コレクションについての展評を昨日当ブログにアップした。その後、コレクションのうちの一着(写真上)、クリノリンを肩から足首まですっぽりとかぶり、名和晃平のヘッドドレスは奇怪なモンスターのように目元をのぞいて少女の頭部を覆っているこのドレスに関して、ある人から、「ここまでくると、もはや拷問かも」といった感想をいただいた。そのことについて、いくつか考えたことがあったので、ここにまとめてみる。

川久保玲の作品では、今回のWhite Dramaに限らず、「少女性」がしばしば重要な鍵をにぎる。リボンやフリルは女の子らしさを象徴するアイテムであり、それが同時に、身体の正面で結ばれることによって、着物においては帯の前結びの隠喩として娼婦を象徴し、少女の両手に結ばれたリボンを自由を奪う縄や手錠と見るならば奴隷的支配を意味する。あるいは、コルセットが女性の胴体を変形するまでに締め付けてきた歴史的事実や、肉体の物理的形状からかけ離れた「型」のクリノリンやパニエという造形用具が彼女らに与えてきた不自由さへの同情は、なるほど、身体をありのままに露出することもゆるされている現代の着衣行為を無条件に肯定する信仰を生み出したのであろう。

いったい女性達は、歴史の中で不幸せだったのだろうか?
ほんとうに?
彼女らがこれらの造形道具を脱ぎ捨てたがっていると言ったのはだれか?

少女の身体を覆うクリノリンをもう一度見てみよう。彼女は肩からストンと円錐状に広がるコートをまとっているようであり、彼女の身体が締め付けられている様子も、彼女の存在が蹂躙されている様子も微塵もない。それどころか、緩やかに彼女の身体にまとわりつくクリノリンの下には、柔らかな生地をたっぷり使った暖かそうなロングスカートが、彼女の歩調に合わせて揺れている。白いブーツは安定感があり、彼女の足下のバランスを危うくしたりすることはない。

彼女の顔は、よく見えない。彼女の長く豊かであるか、あるいは短く撫で付けられている髪の毛は、ぐるりと頭部を囲うヘッドドレスによって守られていて、埃っぽい空気にも強すぎる日差しにも晒されていない。我々は、彼女の表情がよくわからない。しかし、彼女には我々がとてもよく見えている。

不自由に見えることと、ほんとうに不自由であることは決して同一ではない。
幸せそうにみえることと、ほんとうに幸せであることも必ずしも一致させられない。

執筆者として参加させていただいている批評誌『有毒女子通信』の次号(第10号「特集:ところで、<愛>はあるのか?」)に、「貞操帯」についてエッセイを書いた。(近日中発行予定なので、何を書いたかはまだ秘密です。ぜひ、お読みください。)その中にもちょこっと紹介した話だが、「貞操帯」は十字軍出征する兵士の妻が、夫不在中の貞節を守るために装着させられるという用途で11世紀のヨーロッパにおいて使用されていたことが歴史的記述として残っているそうだ。

なんてことだ、留守を守る女だけが一方的に性的自由を奪われてしまうなんて。と、憤慨するのは浅はかである。
貞操帯は外部から女性器へ物体が侵入するのを妨げる。貞操帯を装着された女性達は、性的に去勢されており、レイプの対象になることができない。戦時の混乱の中で、女性が犠牲になるということは、ただ単に生命を奪われるという危険に加え、性的な暴力によって犯される可能性を抱えこむことでもある。「貞操帯」が外からやってくる暴力を無に帰す役割を果たすのであれば、これは、女を救い、生きさせる装置であると言うべきである。性の対象になることができないという状況は、ときどき、女の平和を意味しさえする。

ヘッドドレスが口元までを覆っていること、そのヘッドドレスは少女の頭部から外れないということ、このこともまた、少女を救うために神様の愛の表れである。本能的あるいは自発的発生の外にあるフェラチオやイマラチオの強制、これらの行為の残酷さは、人間が人間にできうる幾つもの悪行の中でも最も酷い振る舞いであるからだ。

さあもういちど、少女について、尋ねよう。
少女が自由になりたいと、誰がその声を聞いたのか。
少女がこの服を脱ぎすてることを欲していると、なぜそう思うのか?

少女を、この頑で執拗な、それゆえに暖かく平穏なシェルターから引き摺りだし、裸にしてしまおうとするのは、とても明瞭であるけれども同時に冷酷なアイディアであるということを心から伝えたい。

貝は、貝の中に生きているのであって、殆どの貝は一生その殻を脱がない。
そういえば、宿借が宿を代えるとき、彼らは怯え、命をかけている。

「かおなし」的フォルムのドレスを私が素晴らしいと思ったのは、すっぽりと包まれることによって、指先ほどしか見られることがなく、上手に歩くことができなくて、おそらくは自分自身で脱ぎ捨てることのできそうにない白ドレスが、その柔らかそうなレース編みや素材がとても温かくて心地よいものではないかと、感じられたためであろう。あの展覧会場で、あの白ドレスを目の当たりにイメージしたのは、たしかにそのようなぬくもりであった。

彼女らはそう、白ドレスに犯されてその内部に沈黙する。
少女たちが幸福か?
その声に耳を澄ますだけでいい。

09/20/12

コムデギャルソン 2012春夏 /Comme des Garçons, de la collection 2012 été @Dock en Seine

Hors les murs du Musée Galliera
Exposition de Comme des Garçon
du 13 Avril 2012 au 07 Octobre 2012
34 quai d’Austerlitz
75013 Paris

Docks en Seine

セーヌ川に浮かぶ、緑色の奇妙な建造物。ここはパリの東南、リヨン駅やベルシー駅そしてオーステルリッツ駅というフランス国鉄主要駅が集まっている、パリの東の玄関的界隈である。さて、このキリギリスの腹部みたいな建築は、JAKOB+MACFARLANEというグループによって設計され、デザインとモードのクリエイティブな活動を盛り上げるために、展覧会スペースを提供したり、アートイヴェントの会場となるほか、Institut française de la Mode/パリ•モード研究所(IFM)の校舎がある。

couloir de la Cité de la mode et du design

Dock en Seineは2008年にオープンしたのだが、そういえば2010年の秋に一度、Chic Art Fairというアートの催しの際にアーティストの古市牧子さんと訪れている。その際には、アートフェア会場が完全に屋内に限られていたため、こんなに風通しがよい空間があったことなども知らずじまいだった。ここでは、アートフェアやモード、デザインに関係する展覧会が開かれて、現在とりわけ閉館中(改装工事のため)の世界最大級の服飾美術館であるパリ市立ガリエラ美術館の離れMusée Galliera hors les mursとしての役割を果たしている。

今回訪れたのは、コムデギャルソンの2012年春夏コレクション(ガリエラ美術館所蔵品より)である。バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)の展覧会も同時開催されており、どちらも訪れたのだが、今回、2012年春夏コレクションを一挙に見られるということで、ビニールに反射する光のせいで写真の撮りにくいことは甚だしかったが、プレゼンの仕方もなかなか素敵であったので、こちらの展覧会について紹介したい。

初めて目にしたものを解読したり、楽譜を初見することをフランス語でDéchiffrageというが、ときどき自分が何も知らないということに感謝することができ、それは、何かを読み砕いていくDéchiffrageの楽しみゆえなのだ。コムデギャルソンのデザイナー、川久保玲は新たなコレクションに取りかかる際にはまず、その類希なインスピレーションによって毎シーズンのテーマを紡ぎだしている。テーマあるいはタイトルとしての作品コンセプトは、知ってしまうのがよいこともあればつまらないこともある。幸か不幸か何も知らずに足を踏み入れた今回の展覧会は、今まで見てきた川久保玲作品をヒントにDéchiffrageを楽しむよい機会となった。

Show video here!(youtube)

 

 

白のドラマ »White Drama » が、2012年春夏のプレタポルテコレクションに川久保玲が与えたタイトルだ。薄暗いランウェイに現れる、白いドレスを纏ったマヌカンたちは、胸を張ることも、腕を振ることも、大きな歩幅で歩くということも、つまりは、まったく誇らしそうな様子を欠片ほども見せず、とぼとぼ、うつむき加減にすら見える様子で、こちら側に歩いてくる。一つの服は「作品」と呼ばれながらもそれ自身で独り立ちして語られることがおぼつかないアイテムだ。私が展覧会会場で目にした白いドレス達はマヌカンの身体を離れて沈黙しており、このドレスをまとう少女達がいったいどんな足取りでこちらへ向かって歩んでくるのか、何を想いこちらへ視線を投げ掛けているのか、その解釈は鑑賞者が自由な想像力にまかされる。しかし、その勝手な妄想の中で、自身の想像力の脆弱さを常に問い続けなければならないという点で見る者は不安から逃れられない。あるいは、そもそもショーが唯一の答えでないと主張するなら、もっとも気が楽になる。

 

ひとり目のマヌカンは少女らしいふわりとしたドレス、手元に大きなリボンがアクセントとなっている。しかしよく彼女の歩きを眺めていると、非常に歩きにくそうだ。実はスカートはタイトであり、バランスをとって歩くために十分足が開かないのではないかと思う。そして正面に結ばれた大きなリボン。浴衣や着物の前帯の結び目のようにも、西洋のドレスのリボンにもみえるこの結び目は、少女の両手の自由を奪っている。

 

あまりに長過ぎてそれを纏うマヌカンの肩から重そうにぶら下がるしっかりとした膝までの袖は、なるほど、振り袖のシルエットを彷彿とさせないこともない。もちろん、振り袖において長いのは、腕の長さ自体でなく袖の袂(たもと)である。いずれにせよ、男性的ジャケットのスタイルでありながら、なぜマヌカン達はなおも不自由を抱え込まなければならないのだろうか。

花飾りは女性性に結びつけられ、それをカッコいいジャケットに添えることによって、たちまち中途半端なものになってしまう。


パニエ型のシリーズが進むにつれて、現代アーティスト名和晃平とのコラボレーションにより実現したヘッドドレスも加速度を増してくる。ヘルメットのように顔面を半分、目の部分以外覆うような造形。このマチエールの質感は、骨折したことのある人なら自分の身体にぴったりと寄り添ったまま何週間も人生を共にしたことがあるだろう、あの忌々しい石膏の感触を思い出させる。この髪彫刻といべきものは、これを被り続けたまま長い間を生き続けていると、いつの日かこの石膏が生き物のように成長して、やがてこの可哀想な少女の身体を顔面をすっぽりと覆ってしまうのではないだろうか。石膏の型のように、いや、生きたまま、ミイラにされてしまうかのように。箱(パニエ)に入れられて、彼女は既に、自由を失っているのだから。

 

見るからに重そうで、非常に背が高く、ビニル素材でできた奇妙な帽子。一瞬顔のようにも見えて不気味だが、そのエレガンス漂うドレスと、ヘッドドレスのシルエットだけを見ていると、マリーアントワネット時代の超豪華な船飾りの帽子のように見えないことも無いが、内実はそんなにさらりとしていない。これはセクシュアルなオブジェに見えないこともなく造形されているのであり、むしろそのものでしかない。これをセックスドール的オブジェと気がつかないふりをする大人を私は信用しない(!)(つまり、本質的なことはアーティスト本人の意図というよりはむしろ、White Dramaシリーズにおいて白ドレスを纏う少女達が支配されている性的コンテクストを読み下すということなのだ。)

 

私が最も素晴らしいと思ったのは、『千と千尋の神隠し』の「かおなし」的なフォルムのドレスだ(上)。このドレスは形の無駄の無さが素晴らしい。人は美しいフォルムのなかに自由の不在を見る。美しいと思えることと自由であることは両立しないのだろうか。纏うことの本質に関わる問題のようにも思える。
我々はふだん、好きな服を着て、そのなかでも出来るだけ「着心地の良い」服を選ぶと言ったりする。着心地がいいというのは、サイズが合うことかもしれないし、素材のことかもしれないし、自身の身体的特徴にとりわけうまくいく、と自分が信じられることかもしれないし、周りの人から格好良く見られると定評があるシルエットのことかもしれない。そのことは、いくら自由なつもりでも、「私は何者にも縛られていない」と主張することの不可能性を意味する。似合う服を着なければならないなら、いつも限られたタイプの服を来ているのだろう。素材の良さを優先するゆえに、デザインの好みをいつも妥協しているのかもしれない。しかし、服を着る、というのはひょっとしてそういうことなのだ。

展覧会におけるファッションは鑑賞するべきものだけれども、どうやってみるか、という難問はその存在すらを左右する問いであるといってよい。ナイロンのバルーンの中に規則正しく並べられて、なぜだかわからないが白と黒のブーツを脱がされた、33着の白ドレスの集合、あるいは、名和晃平によるヘアドレスを纏い、ランウェイをとぼとぼと歩き回るマヌカンの身体性を伴って提示されるドレス。両者では、それが与える印象が大きく異なる。印象が異なるとは、まったく違った言い方で語られ、分析され、議論される可能性を孕んでいると言うことだ。

今回のコレクションに限らず、川久保玲のデザインにおいて、自由と不自由、少女と大人、女性的なものと男性的なもの、西洋と東洋という二項対立は、通奏低音的な主題であり、これらを一つの身体上に交差させる手法はもはや定石である。今回の白のドラマもまた、この例に漏れないのかもしれない。ただしそれは、「白」という色のテリトリーを逸脱することはないのだが、むしろ激しく混乱している問題提起を目の当たりに、これまで以上に暴力的なクリエーターの焦燥感を感じ取ってしまう、ということを除くならば、である。

06/13/12

マネキン(パレ•ド•トーキョー)/Mannequins au Palais de Tokyo

マネキンが好きだ。ボディの質感も好きだし、マネキンのボディが結構精密に複数のパーツから構成されているところも(その関節具合も)大好きだ。こんなに好きなのに、マネキンの製造過程を見学したことがないのはつくづく残念なので、機会があったらぜひぜひ見学したいと日々思っている。

マネキンの身体は匿名的だと言われる。身体はおろか、彼らの顔も特徴というものが無い。マネキンというのは、誰でもありそうで誰でもないように作られた人形であり、もちろん洋服かっこうよく着こなす目的上、程よく謙虚なナイスプロポーションを誇っている。誰からしくて誰でもないというのは、ミステリーな感じがしてとても素敵である。

大きな人形だからといって、実物っぽいのは好きではないのだ。たとえば蝋人形館で有名な、パリのミュゼ•グレヴァンやロンドンのマダム•タッソー館は行ったことがないので、何がどれだけすばらしいか知らずにいい加減なことは言えないが、どうにも興味を持つことが出来ない。誰かをモデルにした人形というのは、それ以上の解釈の可能性は無いし、ミステリーも秘密も、何にもない。あるべき姿が決まっていて、それに似せられただけだと思うと魅力が半減してしまう。

とにかく、10代の頃からマネキンが好きで、見よう見まねでちょこっとミシンをかけて洋服を作るのも好きなので、トルソーも好きである。気になるマネキンがいたら写真を撮るし、ショーウィンドーで裸のまま放っておかれているマネキンのやりきれない感じもたまらなく愛おしい。(持っていないし、あまり関係ないけれど、サラサラした生地で作られた身長くらいある大きな抱き枕もきっと好きだと思う。)

mannequin au Bon Marché, Paris

そうそう、せっかくなので、マネキン人形の控えめな歴史をこの場をかりてお話ししよう。
何を隠そうマネキンはその昔、私が嫌いなセレブを集めた蝋人形館の人形達のように、蝋で作られていた。重くてどうしようもなく、熱に弱くて壊れやすい、蝋人形。制作のコストも大きいので、1928年、島津製作所(現在の七彩マネキン)が洋装マネキンをファイバーで制作するようになり、改良が進んだ。戦後の1950年代には、FRP製のマネキンが制作されるようになり、低コスト軽量化が実現。

日本のマネキン史の中で重要な役割を担ったのは、1968年に渋谷西武百貨店に導入された「ツイッギーモデル」である。ツイッギーは当時大流行したイギリスのカワイイアイドル歌手で、マネキン人形のボディラインを大きく変えた。日本人体型だったマネキンは輸入マネキンに取って代わられる。このことは、ファッションを纏う身体の形が、日本人のものから西洋人のものになったことを意味する。理想ボディイメージのシフトとそのイメージの徹底した普及はハイピッチでなされたといえよう。

マネキンのフォルムは歴史とともに進化してきた。身体自体の形の変化とマネキンの形の変化には密接な関係がある。とはいえ、身体自体の形の変化には長い時間を要するいっぽう、マネキンボディはもっと軽やかに自らを作り替えることができる。それはもちろん、彼らが人形だからであり、彼らの形は人によって作られるからだ。マネキンの高速なフォルムチェンジが表しているのは、人々の「なりたいからだのかたち」である。マネキンは、全ての人の理想をうけとめて変化し続ける、鏡のような存在であり、そこに映し出されているものは必ずしも捉えきれない矛盾を孕んだ、ミステリアスな存在だ。

Florence NIEF "REGARDS", Galerie haute, Palais de Tokyo

本当は、今回パレ•ド•トーキョーで三日間だけ行われたマネキンを使用した展示を紹介しようと思っていたのだが、前置きが甚だ長くなってしまった。(Florence NIEF « Regards » du 8 au 10 juin 2012) 会期中はアーティストから話を聞くことができた。マネキンをマテリアルとして使用するのは初めてと述べる彼女が表現したのは、我々の現代的日常生活のあり方。腸とも脳みそとも、あるいは糞のようなものとも見て取れる無数のひもに絡めとられて、身動きが取れないマネキン達。彼らはそれぞれヘッドフォンを付け、ケータイを持ち、その思索はタブレットにイメージとして映し出される。マネキンの中には部分的にパーツを失ったものがあり、別の場所には断片化されたパーツが同じくひものようなものに絡めとられている。

私たちはこれを彼女が言うように現代生活として解釈しながら、彼らの足下をがんじがらめにする腸のような存在を、ネットワークとして読むことができる。そして、その中に断片化された身体の破片を、納得しながらももがいて生きている現代の生として見なすことは行き過ぎた考えではないだろうと思う。

Florence NIEF, Palais de Tokyo ( du 8 au 10 juin 2012)