07/23/15

Conférence par Hiroshi Yoshioka : ENJEUX de PARASOPHIA (Université Paris 8, TEAMeD × MCJP)

7月1日(水)にパリ日本文化会館にて吉岡洋さん(パラソフィア・アドバイザリーボード)のパラソフィア報告会が行なわれました。企画はパリ第8大学+パリ日本文化会館、パリ第8大学名誉教授であるジャン=ルイ・ボワシエを迎えてのセッションとなりました。私は通訳+モデレータとして講演会を企画させていただきました。

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本講演は、吉岡さんからのご講演(逐次通訳、パラソフィア報告・京都の街の歴史・銭湯芸術祭)に続いてボワシエさんからの大覚寺で2011年7月に開催された展覧会「Les Vigilambules」(« Les Vigilambules »はジル•ドゥルーズの「覚醒した状態」を意味するvigilambuleから着想を得た作品で大きな目を見開いて、決して眠ることなく、強く覚醒した状態を意味します。プロジェクトの詳細ははボワシエさんのサイト:http://www.vigilambule.net/blog/?page_id=2でご覧になれます)に関するご発表、そしてお越し頂いた皆さんとのディスカッションとなりました。

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ここには吉岡さんのカンファレンス内容とパラソフィア事務局からご協力いただいた画像、パリ日本文化会館から頂いた講演会風景を掲載いたします。

LES ENJEUX de PARASOPHIA
PARASOPHIAとの関わり

吉岡: »PARASOPHIA: International Festival of Contemporary Culture”というのは、今年(2015年)3月7日~5月10日に京都で開催された、現代美術の展示を中心とする催しです。京都府と京都市の財界人が後ろ盾となりました。会期は約2ヶ月ですが、この催しに関連したイベント、小規模なプレ展示、講演会、ワークショップなどは、オープニングの1年以上前から京都を中心に積み重ねられてきました。ぼく自身とこの催しとの関わりは、2年ほど前に、この展覧会のアーティスティックディレクターである河本信治さんから、Professional Advisory Boardの委員となるように依頼されたのがきっかけです。河本さんがぼくにそれを依頼した主な理由は、ぼくが今から13年前の2003年、「京都ビエンナーレ」という芸術祭のディレクターをしたからです。この催しはPARASOPHIAよりは小規模なもので、主として京都市がバックアップしたものですが、残念ながら1回だけで終わってしまいました。この内容については後で少し述べます。Professional Advisory Boardの第1回の会合で、河本さんから、”PARASOPHIA”という名称について聞きました。アートの介入によって現在の支配的な知(Sophia)とは別の知のあり方を求める、という基本的なコンセプトには共感しましたが、同時に日本語において”PARASOPHIA”という名称はその意味が直観的につかみにくく、難解なものとして敬遠されるのではないか?とも言いました。ではどうしたらしいのか?と聞かれたので、1年前から雑誌やペーパーを発刊して、PARASOPHIAという言葉やコンセプトを広めていけばいいのではないか?とアドバイスしました。「では吉岡さん、やってください。」ということになったので、学生たちと一緒に『パラ人』というフリーペーパーを5回発刊してきました。

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『パラ人』について À propos de PARAZINE
この出版物に関しては、印刷のための経費はフェスティバルから出ていますが、編集スタッフの学生たちはもちろん、執筆者も(いま通訳をしてくれている大久保美紀さんも執筆者の一人です)、編集長であるぼくも全員ボランティアで、謝礼は受けとっていません。このことは重要で、私たちはPARASOPHIAの宣伝をする義務はなかったのです。ソフィアとパラソフィアについて、幸福について、戦争について、そして京都について、気の向くままに話し合いました。こうした出版物を許容することは »PARASOPHIA »というコンセプトに合致しており、その意味で間接的にはフェスティバルのためになったと思います。これはPARASOPHIAの公式出版物ですか? という質問には、「半公式」であると答えました。「半」というのが重要な部分でした。

『パラ人』というのはPARASOPHIAの(MAGA)ZINEということですが、 »ZINE”という音は日本語で「人」という意味もあるので、モノやお金が中心に回っているかのような今の世界で、あえて人を中心にするという意味でこのように名付けました。また内容も、PARASOPHIAという美術展の紹介をするのではなく、集まった学生たちと、今の世界についての様々な議論をするということを中心に編集しました。現在の日本の大学は、学生に対するサービスという点では完備していますが、学生と教員がカリキュラムという枠組を離れて様々なことを話し合う場はほとんどありません。だから『パラ人』の編集部はまるでもうひとつの、オルタナティブな大学のようになりました。

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京都という場所(1)
吉岡:京都の経済界と行政がなぜ現代美術のフェスティバルに関心を持ったかというと、それはひとつには、京都という都市の将来についての心配があったからだと思います。ご存じのように、京都は平安時代以来の日本の古都であり、夥しい文化遺産や芸術文化の豊富な伝統を持っています。大学も多く、様々な領域の国際会議も頻繁に開かれる他、国内外から年間5千万人以上の観光客が訪れます。したがって、さらなる集客のために今さら新たな文化的プロジェクトを開始する必要はないようにも思えます。けれども京都の世界的な魅力の大半は、主としてその伝統文化に集中しています。もちろんそれは重要なものですが、伝統的文化というのは、ただ形を変えずに保存してゆけば存続するものではありません。伝統というのは、常に新しい世代によって受け継がれ、常に形を変えることを通じて存続してゆくものです。その意味で、伝統的な文化と革新的な文化とは単純に対立しているのではなく、互いに刺激しあいながら発展してゆくものです。

日本では2000年代以降、横浜トリエンナーレ、新潟の田園地帯に展開する越後妻有アートトリエンナーレ、愛知トリエンナーレ、瀬戸内芸術祭などの大規模な現代美術祭が開催される中で、京都にも新しい文化のイメージが必要だ、という判断があったと思います。さらに、ぼくの考えでは、京都には歴史の明るい側面ばかりではなく、行政や観光業界がふつうは眼を向けたがらない過去の歴史もあり、それが比較的眼にみえる形で現れており、このことは、京都で芸術祭を行う際の障害ではなく、むしろ利点となりうると思っています。ツーリズム的な京都のイメージでは隠されている、この都市の多様な側面をみることができるからです。 その意味で、表層的・産業的な文化商品としてだけではなく、より深い普遍的なレベルにおいて世界や人間のあり方について考察するためにも、京都という場所でアートプロジェクトを行うことには可能性があると考えています。

さまざまな意味で、PARASOPHIAの”Enjeux”とは、たんに日本にさらにひとつの国際美術展を増やすということではなくて、京都という場所とその歴史といかに関わるか、またそれを通して日本全体の問題や、近代社会全体の問題といかに関わるかという点にあると考えています。

京都という場所(2)
日本がかつて巨大な破壊行為の犠牲となった場所として、世界中の人々が広島・長崎を訪れます。それに対して、京都には貴重な文化的・芸術的遺産が数多く存在するので、アメリカは京都に大きな攻撃を加えなかったのだという「伝説」が今でも信じられています。しかしこれは作り話です。太平洋戦争の末期、京都は原爆投下の第一目標とされていたことが、アメリカ自身が1990年代に公開した軍事資料によって分かっています。その理由は、京都が日本の象徴的な中心であること、盆地なので核攻撃の破壊力が効果的であること、この破壊の威力を正しく認識し戦争継続を諦めるよう政府に進言できる知識層が住んでいること、などです。この計画は最終的に実行されませんでしたが、それは京都を破壊すると日本人への心的ダメージが大きすぎて、戦後反米的な感情が持続することを怖れたためだと推測されています。京都を、もっぱら伝統文化に守られた古都として想像するのは一面的だとぼくは思います。京都の文化とは70年前、戦略的な計算によってぎりぎりのところで存続を許された存在、もしかしたら消滅していたかもしれない、危うい存在なのです。

京都には日本の近代化に伴う様々な問題が現れています。京都の中心には巨大な御所がありますが、これは1868年の明治維新によって、天皇が首都である東京に移ったため、居所としては不在になったものです。都市の中心に巨大な空虚があるという構造になっています。保守的な政治家たちは日本が「単一民族国家である」(だから団結心が強い)ことを強調してきましたが、それは作り話です。たとえば京都には、朝鮮半島から移住した人々も住んでいます。また人間の平等性という近代的理想とは異なり、歴史的に差別され続けて来た部落の人々もいます。ぼくはたまたまそうした人々の居住区のすぐ近くで育ってきましたが、多くの場合そうした問題に触れることは、怖れられタブー視されてきました。

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京都ビエンナーレ2003
吉岡:2003年の秋、「京都ビエンナーレ」という国際芸術祭のディレクターをしました。そこでも、京都という都市の歴史に関わることが重要だと考えました。この2003年の展覧会のテーマは「Slowness」というものですが、その背景には、その2年前に起きた「9.11」とその後のイラク戦争があり、グローバル化と電子的な同時性というテクノロジー的環境や、その中で遂行される巨大な破壊行為に対して、何らかの抵抗意識を持つことを考えました。たんに速度に対立する「遅さ」ではなく、速度それ自体の中に遅さを見出して行く技術として、アートを考えられないだろうかと思いました。こうした問題に関わるアートの試みとして、2003年の京都ビエンナーレにおける例をひとつだけ紹介するなら、日本の美術家である高嶺格が行った「在日の恋人」という作品があります。これは京都の北にある、廃坑になったマンガン採掘抗で作品を制作・展示するものですが、この鉱山にはかつて、朝鮮半島出身の労働者たちが過酷な条件化で働かされていました。作品はそうした歴史を、現在はアーティストの妻である在日韓国人の恋人との和解という個人的なストーリーと重ね合わせて表現するものです。政治や歴史の重要な問題をあるがままに提示するのではなく、また避けるのでもなく、多くの人が想像力を駆使してそれを新しい角度から眺め、真剣に、しかし楽しく対話する可能性を模索することは、アートの重要な役割であると思います。

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京都市美術館
吉岡:PARASOPHIAにおいても、京都の歴史との関わりという点は明確に現れていると思います。まず、メイン会場となった京都市美術館という空間を、作品展示を通して新鮮な形で体験することができました。この美術館はもともと1933年に昭和天皇の即位を記念して建造された施設です。太平洋戦争が終了し、日本がアメリカの占領下にあった時代には、この建物はアメリカ軍によって接収されました。それは1952年まで続きました。この美術館の地下にはまだ占領時代の靴磨きの部屋などが残っています。吹き抜けのもっとも大きな展示室はバスケットボールのコートになりました。蔡國強はこの空間に7層の竹の塔を設置し、彼が行ってきたワークショップ「子供ダヴィンチ」や「農民ダヴィンチ」の作品を展示しました。ジャクソン・ポロックのように絵の具を飛び散らせてロボットが描いた「作品」が、飛ぶように売れて行くというやや皮肉とも思える現象も起こりました。日本のアーティスト田中巧起は、京都市美術館というこの場所の歴史そのものに関心を抱き、それをテーマにしたワークショップを行いました。1970年、この美術館には当時活躍していた評論家の中原裕介が企画した「人間と物質」という国際展が巡回します。これは海外から27名、国内から13名のアーティストを招いた日本最初の国際的現代美術展と言えるものでしたが、同じ年に開催された大阪万国博が6400万人という空前の入場者数を記録したのに対して、入場者数は伸びず興行的には赤字となり、これ以降日本における現代美術の大規模な国際展は、2001年の横浜トリエンナーレまで30年間行われませんでした。

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堀川団地
吉岡:さてPARASOPHIAでは、「堀川団地」と呼ばれる場所にも作品が展示されました。この場所もまた、日本の近代史を象徴的に示す地域のひとつです。「堀川」というのは京都の堀川通という道路の名前ですが、ここは太平洋戦争の前には、きわめて賑わった繁華街であり、様々な店舗が密集していました。戦争末期、アメリカ軍の空爆による火災が広がるのを防ぐための防火帯を作るため、多くの建物がとり壊されました。実際、東京や大阪をはじめ日本の大都市の多くが、戦争末期には空襲によって焼け野原になりましだか、皮肉なことに、京都は先ほど述べたように原子爆弾の投下目標になっていたので、その威力を測定するために大規模な空襲はなく、そのために古い建築物が残る結果になりました。戦争が終わり1950年代になると、住宅不足と商店街の復興を目指して新しい集合住宅を備えた店舗が建設されました。これが堀川団地です。一階が店舗で、2階以上は個室に水洗トイレと都市ガスが完備された、1950年代においては最新の集合住宅です。まだ個別の浴室はなく、銭湯が利用されていました。けれどもそれ以前の集合住宅はトイレと台所が共同のものも多かったので、きわめてモダンで個人主義的な住宅設備でした。けれどもそれも1980~90年代になると老朽化が進み、また新しい耐震基準からも問題があるので、この住宅をどうするかが議論されてきました。その過程で、この団地をテーマとするアートプロジェクトも参加しています。

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崇仁地区
吉岡:崇仁地区というのは、JR京都駅のすぐ近くにあるエリアで、周囲はきわめて賑やかな繁華街ですが、この場所だけ空き地のような場所が点在しています。それは、この地区が大規模な被差別部落だったからです。近代以前、処刑や屠殺などに従事する身分の低い階層がありました。近代に入ると、彼らは公式には平等な市民として認定されましたが、現実には依然として差別的な扱いは続き、行政がその場所を特別に配慮が必要な地区として指定したために、かえって差別的な構造は存続することになりました。それは現在でもまだ続いています。ぼくはたまたまこの近くで育ち、公立の学校に通っていたので、そこにはこの地区出身の生徒や職員の人たちがいて、それがどんな雰囲気であったか、大人たちがどんな態度をとり、それを子供に伝達していったかを、ある程度経験してきました。差別は日常生活のさまざまな細部まで入り込んでいるので、単純な正義や同情では解決できません。解決には広い意味での教育がきわめて重要であり、しかも長い時間がかかると思います。だから、アートプロジェクトがこの場所を積極的に利用するというだけでも、それが継続していくなら意味があると思います。それは、これまでこの歴史について知らなかった人も、そこを訪れるようになるからです。

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銭湯芸術祭
吉岡:最後に、PARASOPHIAそのものではなくて、PARASOPHIAと並行して開催された催しの中から、ぼくが直接関わった「京都銭湯芸術祭」という活動を紹介して、おしまいにしたいと思います。このプロジェクトもまた、別な仕方で場所とその歴史に関わる試みであると言えます。まず日本における入浴の考え方と、銭湯とは何かということについて、簡単に説明します。日本人の多くは入浴を非常に大切な生活の一部とみなしています。そこには、たんに身体を清潔に保つという純粋な必要性以外の要素があります。人類全体として考えてみると、入浴はけっして必要不可欠なものではありません。まったく入浴をしない文化は現在も存在するし、歴史的にも入浴をしない時代が存在しました。むしろ、日本のような入浴習慣や入浴についての考え方こそ、世界的にみてもきわめて独特なものであると言えます。日本のサブカルチャーが「クールジャパン」と言われるのなら、お風呂こそ「ホットジャパン」として売り出すべきなのかもしれません。日本の入浴習慣と言っているのは、お湯に身体を浸けるという行為を中心に考えるという意味です。身体を洗うという、清潔のために必要な行為は中心ではありません。入浴はお湯のぬくもりや圧力を全身で感じること、その場所と自分とが一体化しているという精神的な満足感があります。日本の共同浴場の歴史はそれ自体きわめて興味深いものですが、時間がないのでここでは近代の銭湯だけに話を限定します。それは、たいていは個人によって経営され、大人3ユーロ程度の料金を払って入る施設です。もちろん男女に分かれていますが、完全に仕切られているわけではなく、仕切りの壁の上方は開いているので、声は聞こえるし家族の間で石鹸などを受け渡しすることもできます。だいたい昼の3時頃から深夜まで開店しているものが多いです。脱衣場にはテレビや雑誌なども置かれ、冷たい飲み物を飲むこともできます。浴室は現代では複数の浴槽——ジャクジのように気泡を発生するものや薬草の入ったもの、弱い電気が通っているもの、サウナ、水風呂など——が用意されています。

銭湯は日本の都市生活において、1970年代まではきわめて一般的なものでした。先ほど「堀川団地」の話でも触れましたが、多くの庶民の住宅には個人用の入浴施設がなかったからです。したがって当時は、それは地域の人々のコミュニケーションの場としても機能していました。まあ、カフェのような役割を果たしていたわけですが、互いに裸であることが大きく異なっています。1980年代に入って、日本の住宅に内風呂が普及してくると、銭湯はどんどん減少してゆきました。けれども京都には比較的まだ残っています。「京都銭湯芸術祭」は、若いアーティストたちがこの銭湯に興味を持ち、そこにアート作品の展示やイベントを持ち込むことによって、そうした地域的なコミュニティのあり方を、それに属さない人々にも経験してもらおうという試みです。ぼくがなぜ「京都銭湯芸術祭」のようなプロジェクトに関わるようになったかというと、それは過去約30年間において、日本の歴史が一回転したと思うからです。銭湯が減少していったのは日本人の居住環境や生活様式が大きく変化したからですが、それはたんに豊かになったということではなく、地域の経済生活が破壊されたということでもあります。銭湯がなくなったことは、銭湯を含む商店街や地域の様相が一変したということです。つまり銭湯だけが問題なのではなくて、銭湯を含む生活や社会のあり方の変化が問題なのであり、銭湯の減少はそのことをはっきりと示す指標のひとつなのです。

粗っぽい言葉で言えば社会・経済のグローバル化ということですが、それが今、もうどうにもならない瀬戸際まで来ているということです。けれども、たんに昔に戻るということが重要なのではありません。アートを通じて関わることにより、たんなるノスタルジーとかエキゾティシズムではない形で、銭湯をより多くの人に経験してもらえることを目指しています。

日名舞子作品

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Ceci est le compte-rendu de la conférence par Hiroshi Yoshioka qui a eu lieu le 1 juillet 2015 à la Maison de la Culture du Japon à Paris grâce à la collaboration de l’Université Paris 8, l’AI-AC l’équipe de TEAMeD (Théorie Expérimentation Arts Médias et Design) et la MCJP. Voici le contenu de sa conférence. (En raison du temps, cet article n’a pas été corrigé. Merci beaucoup de signaler les erreurs et de proposer les corrections en français pour améliorer l’article.)

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ENJEUX de PARASOPHIA
PARASOPHIA et moi

HY: PARASOPHIA: festival international de la culture contemporaine est un événement qui a eu lieu à Kyoto du 7 mars au 10 mai 2015, qui a consacré aux expositions de l’art contemporain. Les sponsors principaux étaient la ville de Kyoto et les représentants des milieux économiques. Cet événement durait donc deux mois mais en anticipant plus d’un an, avant son ouverture, il y a eu des pré-expositions, des conférences, des workshops et d’autres pré-événements dans la ville de Kyoto. L’occasion de travailler pour ce projet était le fait que Monsieur Shinji Komoto qui est le directeur artistique de cet événement m’a proposé d’être membre du comité de conseils professionnels il y a 2 ans. La raison pour laquelle Monsieur Komoto me l’a proposé, c’est parce qu’il y a 13 ans en 2003 c’était moi-même qui ai été le directeur artistique de la Biennale de Kyoto qui est aussi un festival international de l’art contemporain. Cet événement, la Biennale de Kyoto était moins grand par rapport à Parasophia, financé par la ville de Kyoto, mais malheureusement nous n’avons pas pu faire la deuxième fois. Je reviendrai plus tard sur cette histoire. Lors du premier comité de conseils professionnels, Monsieur Komoto nous a expliqué la signification du « PARASOPIA » comme nom d’un événement. Explorer une nouvelle modalité de l’intellect (voire SOPHIA), qui est différent de celle qui domine notre société d’aujourd’hui, à travers l’intervention de l’art. J’ai été d’accord avec son opinion en principe, mais je lui a également dit qu’il était probablement difficile de populariser ce nom car le mot même « PARASOPHIA » ne dit rien, et difficile de faire comprendre au public. « Alors, qu’est-ce qu’on peut faire », m’a demandé Komoto. C’est à ce moment-là où j’ai proposé la publication d’un magazine gratuit afin de populariser le nom de PARASOPHIA et son concept pendant 1 an. Comme ça, on m’a nommé l’éditeur responsable de ce magazine qui s’appelle « PARAZINE » dont j’ai travaillé avec les jeunes étudiants pour les 5 publications.

À propos de PARAZINE
HY: « PARAZINE » est donc le magazine de PARASOPHIA. Mais « ZINE » (jin) signifie la personne en japonais. Dans ce monde actuel, on a l’impression que c’est des produits industriels et l’argent qui sont dominants, j’ai trouvé que ce n’est pas mal de donner à l’être humain une place importante en nommant ce magazine « PARAZINE ». Ce magazine ne présentait pas les expositions des beaux-arts, mais montrait de nombreuses discussions sur l’actualité avec les jeunes étudiants. Les universités japonaises d’aujourd’hui donnent à leurs étudiants de nombreux services très pratiques, mais il n’y a pas d’occasion qui permet aux enseignants et étudiants de discuter ensemble divers sujets en dehors des cours et du cursus. Par conséquent, la réunion de comité de rédaction de PARAZINE est devenue une sorte d’université alternative.

La publication de PARAZINE a été financé par ce festival mais les membres de comité de réduction, étudiants, moi, et Miki OKUBO qui est l’un des essayistes de ce magazine, personne n’a été payé. Nous sommes bénévoles. Le fait que notre activité a été bénévole est important, car grâce à cette condition non payée, nous avons pu rester libres de l’obligation de faire la publicité de PARASOPHIA. Ce que nous avons réalisé est parler librement des sujets variés tels le bonheur, la guère, la ville de Kyoto, etc. À mon avis, soutenir ce type de publications étranges convient parfaitement au concept de cet événement « PARASOPHIA » et je pense que ce magazine a pu quand-même contribuer au festivald’une façon indirecte. Quand quelqu’un nous demandait si PARAZINE est une publication « officielle » de PARASOPHIA, on lui a répondu « moitié-officielle ». Cette expression « moitié » est importante.

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Kyoto, comme lieu 1
HY: Pourquoi les milieux économiques et politiques de Kyoto sont-ils intéressées à tel festival de l’art contemporain? C’est d’une part parce qu’ils sont inquiets pour l’avenir de la ville de Kyoto. Comme vous le savez, Kyoto était la capital japonaise pendant plus de 1000 ans depuis l’ère Heian le 8 ème siècle. Cette ville embrasse de nombreux patrimoines culturels, industries et artisanats traditionnels et artistiques. Beaucoup d’universités y existent, attirant fréquemment des conventions internationales de différents domaines. Le nombre de touristes atteint plus 50 000 000 par an, soit du Japon, soit des autres pays. En constant ce chiffre, on peut penser qu’il n’est pas nécessaire de lancer de nouveaux projets culturels pour accueillir encore des visiteurs. Toutefois, l’attrait majeur de Kyoto du point de vue international se limite à sa culture traditionnelle. Certes elle est importante, mais la culture traditionnelle ne pourra pas continuer à être appréciée avec sa simple conservation. La tradition peut être conservée quand elle est héritée par la nouvelle génération, en ayant la modification incessante. À mon sens, la culture traditionnelle n’est pas opposée à la culture innovante mais elles se développent en se stimulant réciproquement.

Depuis 2000, le Japon a expérimenté de nombreux grands festivals internationaux tels la Triennale de Yokohama, la Triennale de l’art de Echigotumari réalisée en profitant la régions rizière de Nigata, la Triennale d’Aichi et le festival de l’art de Setouchi. Dans cette ambiance, la ville de Kyoto a été convaincu de la nécessité d’une nouvelle image culture pour le futur de Kyoto. Kyoto garde sa mémoire historique non seulement « positive » mais « négative », voire même « triste » qui est assez visible mais qu’en général le milieu politique et l’industrie touristique ne souhaitent pas trop montrer. À mon avis, ces traces historiques ne sont pas un obstacle pour organiser un festival de l’art mais ça peut être plutôt un atout. On s’intéressera à d’autres aspects cachés par les images stéréotypes montrés par le tourisme. Je crois, réaliser un projet artistique dans la ville de Kyoto possède une possibilité pour qu’on puisse réfléchir profondément sur la modalité de notre monde, la nouvelle relation humaine, allant au-delà de la compréhension superficielle fondée sur la société de la consommation.

Je pense que les Enjeux de PARASOPHIA, comme le titre de cette conférence, est non pas simplement de réaliser encore un festival international de l’art au Japon, mais de trouver une intervention possible de l’art contemporain dans cette ville, afin de réfléchir sérieusement sur des problèmes concernant tout le Japon ou concernant la société moderne.

Kyoto, comme le lieu 2
HY: Les deux villes, Hiroshima et Nagasaki, sont connues dans le monde entier comme lieux symboliques car ces deux villes ont été victimes des bombes nucléaire. En revanche, à propos de Kyoto, il existe une explication légendaire comme celle-ci : les Etats-Unis n’ont pas choisi Kyoto pour leur cible du bombardement grâce à leurs héritages culturels existant dans cette ville. C’est un mensonge total. Les documents militaires des Etats-Unis qui ont dévoilés dans les années 1990 montrent qu’à la fin de la Seconde Guère Mondiale (dit la Guère Pacifique au Japon), Kyoto était leur première cible pour la jetée des bombes atomiques. La raison de leur choix est variée : puisque Kyoto était le centre symbolique du Japon, puisque Kyoto est géographiquement une cuvette qui leur permettrait de mesurer clairement l’efficacité de la bombe atomique, puisque les intelligentsias qui jugeraient correctement la gravité de sa force destructrice pour conseillerait au gouvernement de capituler en renonçant la continuation de la guère, etc. La raison pour laquelle les Américains n’ont pas finalement réalisé ce projet est expliquée par la crainte, c’est-à-dire, si la ville de Kyoto était totalement démolie par les Etats-Unis, les Japonais garderaient leur sentiment d’anti-américa pendant une longue période. C’est pourquoi je ne suis pas d’accord avec une image typique de Kyoto comme ancienne capitale toujours protégée grâce à sa culture traditionnelle extraordinaire. En effet, il y a 70 ans, cette culture a risqué son existence. Sa disparition totale a été possible.

Kyoto montre les problèmes divers causés par la modernisation du Japon. Gosyo, l’habitation de l’empereur, se situe dans le centre de Kyoto, mais depuis la Restauration de Meiji en 1868, c’est-à-dire depuis que l’empereur a déménagé de Kyoto à Tokyo, la nouvelle capitale du Japon, cet espace Gosyo est un énorme vide du centre-ville. Les hommes politiques conservateurs insistent souvent le Japon comme nation constituée d’un seul peuple homogène, c’est pourquoi les Japonais partagent le sentiment de solidarité, mais c’est une fiction. Les immigrants de la péninsule coréenne aussi y habitent. Ou encore, malgré la belle idée moderne pour l’égalité des hommes, il existe historiquement un quartier des habitants discriminés. Dans mon enfance, j’ai habité près de ce hameau, et j’ai compris que parler de ce type de problèmes en haute voix était considéré comme tabou.

La Biennale de Kyoto 2003
HY: Comme je l’ai dit tout à l’heure, en 2003 j’étais le directeur artistique d’un festival international de l’art appelé « La Biennale de Kyoto ». J’ai déjà considéré qu’il était important de mettre en lumière l’histoire de la ville de Kyoto. Le thème de cette manifestation de 2003, « Slowness » (la lenteur en français) a été fondé sur la réflexion sur le choc du 11 septembre et de la guère d’Iraq et sur le globalisme et le développement technologique qui ont amené par conséquent une sorte de violence catastrophique. Il faut opposer une résistance à cette situation violente. Non pas la lenteur contre la vitesse qui domine notre monde, mais je voulais que l’art soit considéré comme sorte de façon de vivre pour trouver la lenteur dans la vitesse elle-même.
Pour vous montre un exemple concret, Je voudrais présenter juste une oeuvre de Tadasu Takamine conçue pour cette Biennale de Kyoto, intitulée « Mon amoureux de Zainichi » (Zainichi est ici coréens résidant au Japon). Cette oeuvre est été créée et exposée dans la mine du manganèse se situant au nord de Kyoto qui est abandonnée aujourd’hui. Dans le passé, c’était les ouvriers coréens qui ont travaillé pour l’extraction du manganèse dans des conditions misérables. L’artiste superpose ce qui s’est passé dans l’histoire sur son expérience personnelle telle la réconciliation avec sa femme qui est Zainichi, c’est-à-dire la deuxième génération d’immigrant coréen.

Je considère que le rôle important de l’art est non pas de montrer les problèmes politique ou historique tels quels, ni d’éviter de les traiter, mais de trouver des moyens possibles qui nous permettent de regarder ces problèmes sérieusement pour que nous puissions en parler et les discuter librement grâce à l’art.

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Musée municipal de la ville de Kyoto
HY: À mon avis, PARASOPHIA met en lumière l’histoire de la ville de Kyoto. Tout d’abord, les visiteurs peuvent découvrir l’espace du musée municipal de la ville de Kyoto d’une manière originale qui est le lieu d’exposition le plus important. Son bâtiment date de la cérémonie d’intronisation de l’empereur Showa en 1933. Après la Seconde Guère Mondiale, pendant l’occupation des États-Unis, ce bâtiment a été réquisitionné par les soldats américains jusqu’en 1952. Le mur se situant au sous-sol de ce musée garde toujours les traces de cette période. Par exemple, il y a un coin pour le cirage des chausseurs pour les soldats américains. La plus grande salle d’exposition a été utilisé en tant que cours de basketball. Un artiste chinois, Cai Guo-Qiang a présenté ses deux oeuvres « De Vinci des enfants » et « De Vinci des fermiers » réalisés par les workshops, sur une énorme structure des bambous construite dans ce grand espace. Mais parmi ses oeuvres, celle qui est la plus appréciée était « Robot dessine comme Jackson Pollock ». Les tableaux fait par le robot se sont vendus comme des petits pains, c’était ironique.

Koki Tanaka, artiste japonais, s’est intéressé à l’histoire du lieu du musée municipal de la ville de Kyoto et il a réalisé un workshop sur ce sujet. Lorsque l’exposition international intitulée « entre homme et matériel » (Between man and matter, 1970) est arrivée au Japon, Yusuke Nakahara, critique d’art actif à cette époque, a organisé la première exposition internationale de l’art contemporain du Japon accueillant 27 artistes étrangers et 13 artistes japonais. Mais malheureusement par rapport à l’Expo universelle d’Osaka qui a eu lieu dans la même année qui a accueilli 64 000 000, bien sûr le résultat sans précédent, cette première exposition internationale est gravement en déficit si bien qu’au Japon pendant 30 ans il n’y avait aucune exposition internationale de l’art avant la Triennale de Yokohama en 2001.

Horikawa Danchi
HY: PARASOPHIA a utilisé aussi Horikawa Danchi, habitation collective de Horikawa. Ce lieu est aussi important car il montre la mémoire de la vie moderne du Japon. Horikawa est le nom d’un boulevard Horikawa-Dori. Avant la Guère Pacifique, Horikawa était le quartier fréquent avec beaucoup de magasins. À la fin de la guère, pour construire des murs protecteurs contre l’incendie en cas des bombardements, on a démoli de nombreux bâtiments. C’est vrai que Tokyo, Osaka et d’autres grandes villes ont subi des attaques aériennes et ont été réduit en cendres, mais comme je l’ai dit tout à l’heure, Kyoto a été l’une des cibles pour la jetée de la bombe atomique, il n’y a pas eu d’attaques importantes, par conséquent, les anciens bâtiments sont conservés.

Après-guerre, dans les années 1950, pour résoudre le manque des habitations et pour reconstruire la rue commerçante, la nouvelle construction a été commencée. C’est Horikawa-Danchi, l’habitation collective de Horikawa qui existe aujourd’hui. Les magasins au rez-de-chaussé et les habitations aux étages équipés des toilettes à chasse d’eau et du gaz de ville, c’était l’habitation collective la plus moderne dans les années 1950. Il n’y avait pas de salle de bain individuelle mais on allait au bain commun appelé « Sento ». Mais en tout cas, par rapport aux habitations plus anciennes où on partageait la salle de bain et la cuisine, l’habitation collective de Horikawa est un exemple symbolisant la vie moderne et individualisme. Le temps passé, dans les années 1980 et 1990, le problème structural des bâtiments telle résistance aux tremblements de terre s’est levé. De nouveau, Horikawa-Danchi est devenu l’objet problématique. Quelques projets artistiques traitent cette habitation collective de Horikawa dans ce contexte-là.

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Sûjin-chiku
HY: Le quartier Suijin est près de la Gare de Kyoto. Autour de ce quartier, l’ambiance est très animée mais seul dans ce quartier il reste quelques terrains vides. C’est parce que ce quartier a été un important hameau discriminé. Avant la modernisation, il existait des classes sociales basses discriminées constituées des gens qui travaillaient pour l’exécution ou l’abattage. Depuis la modernisation du pays, ils ont été officiellement admis en tant que citoyens comme les autres mais en réalité ils étaient toujours discriminés. C’était l’administration qui a décidé ce quartier Sujin comme quartier pour ces gens discriminés pour leur sécurité mais cette décision a finalement mis en relief ce problème structural, qui dure d’ailleurs même aujourd’hui. J’ai grandi près de ce quartier et j’allais à l’école publique, donc j’ai témoigné l’ambiance autour de ce quartier, l’attitude des élèves, des personnels des écoles, comment les adultes l’expliquaient à leurs enfants, etc. La simple justice ou la pitié ne résout pas ce problème car la discrimination est quelque chose qui est présente partout dans la vie quotidienne. Ça prend beaucoup de temps, mais il est important d’éduquer dans le sens « profond ». Donc si les projets artistiques continuent avoir lieu à cet endroit régulièrement, ce sera significatif car ce type d’événements peuvent amener les gens qui ne connaissent pas l’histoire de ce lieu.

市川さんダンス

« Festival de l’art de bains communs »
HY: Pour finir, en s’éloignant un peu de PARASOPHIA, je voudrais vous présenter un autre festival de l’art « festival de l’art de bains communs » sur lequel j’ai travaillé. Ce projet essaie également de mettre en lumière le lieu et son histoire. 

D’abord, je vous explique la notion japonaise « se baigner » et ce qui est Sento, le bain commun. La plus part de Japonais considèrent que prendre un bain est une habitude très importante dans la vie quotidienne. Les Japonais donnent une signification beaucoup plus importante qu’un simple acte pour la propreté du corps. Quand on regarde le monde entier, prendre un bain n’est pas une coutume indispensable. Il existe des cultures où les gens ne prennent pas de bain, et il existait aussi la période où on se baignait pas. La coutume japonaise et l’idée obsessive à propos du bain sont plutôt originales selon les normes internationales. Si la pop-culture japonaise appelée « Cool Japan » tels Manga ou Japan-animé est très appréciée, il faudra lancer cette coutume du bain comme « Hot Japan » en tant que nouvelle culture compétitive. Cette coutume japonaise « prendre un bain » signifie « se baigner », « mettre notre corps dans l’eau chaude » et « se laver » ou l’acte pour la propreté du corps n’est pas très importante. Dans l’acte de « Prendre un bain », sentir le volume de l’eau qui permet de nous rassurer mentalement car on est couvert et soutenu par l’eau. L’histoire de bains communs au Japon est un sujet très intéressant, mais aujourd’hui, comme nous n’avons pas suffisamment de temps pour cela, je parlerai du bain commun du temps moderne. C’est des particuliers qui tiennent en générale la maison de bains communs et on peut prendre un bain en payant à peu près 3 euros. Le bain est bien sûr séparé pour les hommes et pour les femmes mais la séparation n’est pas complète. Il y a un mur au milieu mais au-dessus de ce mur il y a un espace ouvert continu. On peut entendre la voix de chaque côté et on peut prêter ou récupérer le savon entre les familles etc. Cet établissement est ouvert du 15h au soir tard. Dans la salle de déshabillage, il y a la TV, les magazines, et on peut boire un boisson frais. Dans la salle de bains, aujourd’hui, il y a des bains différents tels bains bouillonnant (jacuzzi), bain de plantes médicinales, bain électrique, sauna, bain froid etc.

Sento, le bain commun était très courant dans la vie urbaine jusque dans les années 1970. Comme j’ai parlé de l’exemple de Horikawa Danchi, la plus part des gens ne possédaient pas une salle de bain dans leur habitation individuelle. C’est donc le bain commun Sento qui a joué un rôle important d’un lieu de la communication. On peut dire que c’est un type de café mais un café où on est tout nu, évidemment. Dans les années 1980, la salle de bain individuel ont commencé à généraliser, cela signifie le déclin de la culture de Sento. Mais Kyoto garde relativement beaucoup de bains communs. Le festival de Sento, « festival de l’art de bains communs » est un événement créé par les jeunes artistes qui sont intéressés par cette culture. Ces jeunes artistes souhaitent d’apporter leur contribution à l’exposition des oeuvres d’art dans les bains qui permet aux amateurs l’art qui ne connaissent pas la culture de Sento d’expérimenter cette culture. L’une des raisons pour laquelle je travaille pour ce projet, « festival de l’art de bains communs » est fondée sur l’importance de cette culture et la signification du déclin de Sento. Je considère que ces trente ans l’histoire japonaise a fait un tour complet. La disparition de bains communs en ville signifie le changement radical de l’environnement résidentiel et du style de vie au Japon. Cela signifie également la destruction de l’économie et de la vie locale. La disparition de Sento dévoile aussi le changement du paysage de l’ensemble des rues commerçantes comme environnement local. Autrement dit, ce n’est pas seul le problème de Sento, mais cela révèle le changement de la société.

Résumer cette situation comme globalisation sociale et économique est sans doute un peu violent, mais la situation atteint un point critique aujourd’hui. Toutefois, je ne crois pas qu’il faille revenir au passé. À travers l’art, ne pas tomber dans la nostalgie ou l’exotisme, les organisateurs visent à offrir une expérience de la culture de Sento aux nouvelles générations.

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(En raison du temps, cet article n’a pas été corrigé. Merci beaucoup de signaler les erreurs et de proposer les corrections en français pour améliorer l’article.)

05/16/15

日本記号学会 第35回大会「美少女の記号論」


日本記号学会 第35回大会「美少女の記号論」
2015年5月16日(土)~5月17(日)
秋田公立美術大学
「美術(史)の美少女たち/美少女の美術(史)たち―少女たちの行方」
実施日時:2015年5月17日(日)13:30-15:30 ※当日9:40-10:00の受付が必要
会場:秋田公立美術大学 大講義室
 美術のなかの少女たちはどこに向かうのか?
 2014年から2015年にかけて開催された展覧会『美少女の美術史』は、すでに江戸時代の「美人画」に見られる伝統的「美少女」像から、現代アートやマンガやアニメなどポップ・カルチャーに欠かせないモチーフとしての少女にいたるまで、日本社会において「少女」がどのように描かれ、演出され、鑑賞され、消費されてきたのか、その系譜を明らかにした興味深い試みであった。美術において少女は繰り返し隠れた焦点になっていたのである。それでは現在、彼女たちはどこに向かっているのだろうか? あるいは逆に、「美術」は「少女」を媒介にしてどこへ向かいつつあるのだろうか? これが第一の問いになる。
 もちろん、「美術(史)」と「少女」という問題圏においては、美術を作り出す側の「少女」も見逃すことができないだろう。「超少女たち」と呼ばれる女性アーティストたち、その多様で拡散していく表現はむしろ、先の試みとは逆方向から「美術(史)」という枠組みを揺るがす契機にもなっている。彼女たちはいったいどこへ向かおうとしているのか? 
 また、美術との境界がしだいに曖昧になりつつある広範な文化表象のなかでの美少女像を考えるならば、写真というメディアもこの議論に不可避的にかかわることになるだろう。往々にしてフィクショナルな存在にとどまる、だからこそ特権化されていたはずの美少女が、写真に写しとめられ、交換されるヴァナキュラーで散漫なアイコンになるとき、どのような変容を被っているのか。映像における美少女はいったいどこへ向かおうとしているのか。それは、ここまでの問いとどのように切り結ぶ可能性があるのだろうか。
 以上のような緩やかな枠組みで美術の美少女/美少女の美術を自由に議論してみたい。
登壇者:
工藤健志(青森県立美術館学芸主幹)
藤浩志(十和田市現代美術館館長/秋田公立美術大学教授)
大久保美紀(パリ第8大学非常勤講師)
佐藤守弘(京都精華大学教授)
司会:前川修(神戸大学教授)

 

シンポジウム! 美少女表象のこれからのために喋ります!
美少女表象の反復、変身、受肉–「実在しない《美少女》を追いかけるのは誰か」
現代美術において実践されている「美少女表象」には、典型的な二つの立場があります。それは、
(a)美少女崇拝的orポジティブなファム・オブジェ的表現
(b)女性性忌避的orフェミニズム的表現
のふたつです。発表の中では具体例を見ながらその存在と手法を確認します。

相異なる二つの立場から提案される美少女表象の方法について、その目的や効果を鑑みると、両者の間には意識的にも無意識的にも、「歩み寄り放棄/対話への不意志」が深い溝として横たわっていることに気がつきます。これが美少女表象の限界です。実例に基づいて検証し、このプロセスを通じて、現在の「美少女表象」が抱える問題を明らかにしていきます。

このような今日の「美少女」をめぐる状況=行き止り状況を打破するための案として、二つのオルタナティブな見方について提案します。理想少女ファンタジーの現実世界への連れ戻しおよび、女性によるヴァーチャル美少女の内面化という二つの案に焦点を当て、この有用性について考えます。

今日私たちはいい加減、美少女表象の新しい言説に向かっていくべきです。

さて、「実在しない《美少女》を追いかけるのは誰か」お楽しみに!
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03/26/15

新聞女 4月15日正午 パリ第8大学 / Intervention de Miyuki Nishizawa, Newspaper Woman, le 15 avril 2015 à Saint-Denis

Please walk under here, Guggenheim NewYork, 2013

Please walk under here, Guggenheim NewYork, 2013

J’ai le plaisir de vous inviter à l’intervention-performance de Miyuki Nishizawa, autrement appelée Newspaper Woman, dans le cadre du cours « Création littéraire » à l’Université Paris 8, le 15 avril 2015.
Miyuki Nishizawa, vit et travaille à Osaka et Kobe au Japon, est l’un des successeurs directs du mouvement artistique Gutaï. Miyuki Nishizawa a développé sa conception artistique avec son maître Shozo Shimamoto, artiste. Miyuki Nishizawa a été invitée pour une performance au Musée Guggenheim à New York en 2013 et a participé à de nombreuses manifestations culturelles non seulement au Japon mais aussi dans divers pays comme la France et l’Italie.

Elle utilise le papier journal, en tant que média, rempli souvent par de nombreux événements tristes, édité, imprimé et jeté quotidiennement. L’art de Miyuki réalisé en papier journal n’est pas qu’art écologique (car elle recycle le papier), mais transforme ces informations tragiques en énergie positive pour nous encourager à vivre, s’habillant d’une magnifique robe de papier journal. Porter bonheur et nous amener à la paix mentale à travers sa performance : ce sont les deux objectifs de l’art de Miyuki.

À cette occasion, elle nous racontera son idée artistique, son parcours original et ses projets en cours. Ensuite elle présentera une oeuvre intitulée « Peace Road » conçue après les attentats du 11 septembre. Il s’agit d’une performance pour souhaiter la paix dans notre monde où il peut y avoir différentes cultures, différentes religions, différentes racines. Cette oeuvre importante a été réalisé au Japon, en Italie et dans d’autres pays. À l’occasion de cette intervention, j’ai le plaisir de vous inviter à témoigner de cette nouvelle version réalisée à Saint-Denis, et à partager un moment significatif.

MIyuki Nishizawa suspendue, performance de la grue

MIyuki Nishizawa suspendue, performance de la grue

2015年4月15日正午、パリ第8大学における『現代的文学創作』の授業の一貫で、新聞女こと西澤みゆきさんをお招きし、講演−パフォーマンスを行ないます。

西澤みゆきさんは、大阪・神戸を拠点に日本全国で多彩な活動を繰り広げられているアーティストで、具体美術協会の直接の後継者でもあります。西澤さんは、具体設立メンバーのひとりである嶋本昭三さんの弟子であり、彼と共に世界を巡り、芸術的コンセプトを発展させてこられました。新聞女は、2013年3月ニューヨークグッゲンハイム美術館に招待され、1000人のヴィジターのためのパフォーマンスを実現するほか、日本のみならず、世界中で数多くの文化的行事や芸術イベントに参加しています。

西澤さんの利用するメディア「新聞」は、日々、多くの悲しい出来事を私たちに伝えます。それは毎日大量に印刷されてはすぐに捨てられてしまいます。新聞紙を利用する新聞女のアートは、しかし、単なるエコ・アートではありません。彼女は新聞紙からなる見事なドレスを纏うことで、その悲劇的なニュースの堆積をポジティブなエネルギーに変換し、私たちを元気づけ、生きさせてくれるのです。幸福をもたらすこと、平和を祈ること、これが彼女のアートの本質と言えるでしょう。

さて、4月15日の講演−パフォーマンスでは、西澤みゆきさんにこれまでの活躍、ちょっと変わった経歴、これからの野望などを語ってもらいます。それから、9.11以降世界中で平和を祈るために続けられているパフォーマンス作品『ピース・ロード』のサン・ドニ(フランス)ヴァージョンをお披露目します。世界は多元的で、異なる文化と、異なる宗教、そして異なる人種が入り交じっています。彼女のアートはそのような世界における平和を希求するものです。どうぞ、お友達、ご家族、ご近所の方と一緒にお越し下さい。いっしょに、『ピース・ロード』サン・ドニ版の目撃者となりましょう!

Peace Road, Venise

Peace Road, Venise

Pour plus d’info, merci de me laisser un commentaire.
詳細は、大久保美紀(@MikiOKUBO)までご連絡ください。あるいはこちらにコメントをお送りください。

09/13/14

「未熟性」のジャパン・ポップ : 海外における受容について / Development of Japanese-pop infantilism abroad – Observation of contemporary fashion and specialized makeup

「カワイイ」カルチャーで知られる日本現代大衆文化は、これまで、それらのあまりに目を引く流行現象としてのロリータ、コスプレ、ギャル文化についてはしばしば注目をあつめ、研究されて来ました。でも、今回はそのような誰が見ても特出した現象ではなく、「大衆文化」の「大衆」に立ち戻って、もっと一般的に受け入れられているスタイル(ファッションとメイク)について、そこに既に見られる未熟性への憧れと中途半端な大人っぽ願望に着目し、その背後にある、まさに「カワイイ・カルチャー」を流行に導くものについて考えてみることにしました。

9月17日に、ブルガリアの国際記号学会で、室井尚さんがチェアをするこちらのラウンドテーブル »SEMIOTICS OF POP-CULTURE Focusing on the analysis and effects of the JAPAN POP« で、参加されるみなさんといっしょに発表します。わくわく。
http://semio2014.org/en/semiotics-of-pop-culture-japan-pop

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Development of Japanese-pop infantilism abroad – Observation of contemporary fashion and specialized makeup

Introduction:
I will analyze Japanese contemporary fashion and makeup observed among today’s youth, especially on girls. Japanese-pop fashion characterized as « Kawaii » (“very cute” in Japanese) embraces an infantilism, or babyishness. Its influence has taken a profound hold in some European countries. I will present a theory of universal characteristics in Japanese contemporary fashion.

I am especially interested in the remarkable crossing over of bizarre Japanese pop culture into western populations who don’t share any cultural background. Foreigners who take special interest in this original culture have brought attention to it in their own countries, where it takes hold progressively and develops in different manners in different places. European countries have a completely different geological context in comparison to Japan. Japan is an isolated island while European countries are loosely connected to one other. This geological difference affects cultural issues. The surpassing of cultural frontiers and international acceptance of the specialized universe of Japanese pop means the potential to become something universal and ubiquitous.

Several years ago, in my class of Univesrity Paris 8 (France), I introduced emoticons (Kaomoji, in Japanese, ex.o(^-^)o ) along with a sociological analysis of the effect of frequent emoticon usage. I suggested that these typographic representations of human facial expressions meant to imitate real human expression and portray emotion could, in turn, affect human gesture and behaviour. To my surprise, at that time, European people found my suggestion ridiculous, declaring these effects relevant only to Japanese people, not to Westerners. However, today, I can point out clear influences from Japanese animations and mangas on various behaviours including gesture, facial expression and onomatopoeia. Emoticons have become very familiar and young people are influenced by their appearance throughout their activities on social medias.

In general, socio-cultural studies focusing on Kawaii culture and the infantility of Japanese contemporary fashion deal with extreme style such as Lolita or Gothique Lolita. Then there are studies of radical or eccentric cultures such as Cosplay. In my opinion, Japanese pop culture is something like “air” surrounding us daily and its penetration into foreign cultures is absolutely significant. In my report, I attempt to theorize a study of traversing cultural borders, focusing not only on extreme style but also a fashion loosely accepted and appreciated by ordinary people.

09/13/14

ジャン=ポール・ゴルチエのファッション / Aesthetic consideration of virtuality and physicality of human body With reference to the fashion designs of Jean-Paul Gaultier

 ジャン=ポール・ゴルチエ(Jean-Paul Gaultier, 1952-)のファションについて、とりわけ身体表象におけるヴァーチャル性とフィジカル性について発表します。9月19日のお昼の発表です!ぜひ聞きに来てください!マドンナ(Madonna)も身につけた歴史的なコーンブラ(Cone Bra)や裸に裸を纏うドレスについて考察します。 

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詳しくはこちら:http://semio2014.org 

Aesthetic consideration of virtuality and physicality of human body
With reference to the fashion designs of Jean-Paul Gaultier

Jean-Paul Gaultier, born in 1952, French Haute Couture and Pret-a-Porter couturier, never received formal training for his profession. His diverse, innovative, provoking fashion, radically explores critical issues like sexuality when putting up against conventional Haut Couture. Unfortunately his works have not been correctly evaluated partly because of an excessively provocative slogan. People lose sight of the most interesting aspects of Gaultier’s expression. What I attempt to revaluate is his designs concerns his manner of representing the human body as a way to radically influence our body consciousness.

In his work, the human body is often both abstracted and concretized. These strong, opposite expressions are present simultaneously. “Abstraction” means human body represented as numerical/digital information while “concretization” means vivid existence in a real, physical sense. Today, the human body seems to be becoming an increasingly informational object. People have very detailed numerical knowledge about the body. In addition, technological developments allow us to construct our body image in a way similar to androids or robots.Virtual images settle progressively in our mind. “Skin Series”, where Gaultier used three identical models, illustrate clearly this observation. Each piece represents muscle, blood vessels and bones. His illustration shows a kind of simplification to figure these organs and everyone will understand what he represents. However, in spite of their closeness, these organs will never be visually familiar to us. Our awareness is drawn to them only during specific occasions like an accident or an injury. Advanced medical knowledge and detailed anatomical knowledge have given us a typical human body image. In short, a reconstructed body through new technologies is very different from a real body, accompanied with smell, perspiration and weight.

Furthermore, Gaultier is one of the first couturier to appoint atypical/untraditional fashion models. Today, the an unusual body seen on the catwalk no longer causes sensation because we have become accustomed to this kind of surprise, seeing various models, large, small and different. However, at the time Gaultier first introduced this idea, it caused a scandal amongst the conservative realm of Haut Couture.

What I attempt to theorize in my presentation is the modern relationship between virtual image and the true, physical human body in order to understand the reality of contemporary fashion concerning body consciousness and physical perception.

09/13/14

エルヴェ・ギベールの文学創作について / Autofiction ou parler du « moi » : enjeux esthétiques pour la nouvelle création littéraire – les recherches à travers l’analyse des ouvres d’Hervé Guibert

フランス人のジャーナリスト/写真家/日記作家/小説家であるエルヴェ・ギベール(Hervé Guibert, 1955-1991)の文学について、現代の電子テキストによる私たちの書く行為を視野に入れて、日記を基軸にして私小説を書くという彼の文学創作の方法について、その着想や意味を考察します。9月18日に発表します!ぜひ聞きにきてください〜。

詳しくは:http://semio2014.org

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Autofiction ou parler du « moi » : enjeux esthétiques pour la nouvelle création littéraire – les recherches à travers l’analyse des ouvres d’Hervé Guibert

Quant à l’écriture contemporaine, nous sommes fréquemment témoins d’une attitude audacieuse de ceux qui écrivent, même plutôt exhibitionniste pour dévoiler leur vie personnelle, la confidentialité et l’intimité. Non seulement dans le domaine de la littérature mais aussi dans les activités des amateurs, cette tendance est très présente. Ce constat serait issu de la nouvelle situation environnementale dans notre société de l’information. Concrètement dit, nous avons souvent des moyens pour publier un texte sur un espace virtuel tels le blog et les réseaux sociaux, grâce à l’accès internet. Cette possibilité d’exposition de soi nous encourage de nous engager passionnément dans une activité à la fois ludique à la fois sérieuse : écrire sur le moi, ma vie et mon histoire intime.
Comme genres littéraires, le terme d’« autofiction » n’existait pas avant les années 1970. Ce fut Serge Doubrovsky, écrivain français, qui inventa ce nouveau genre littéraire pour définir sa propre œuvre, intitulée Fils (1977) dans laquelle l’auteur désira distinguer la fiction autobiographique d’avec l’autobiographie. Sa définition simple est celle-ci : l’auteur est aussi le narrateur et le personne principale. L’appellation du protagoniste peut être variée comme « je », « il » ou « elle ». Il y a toujours une complexité pour la déterminer puisque quand le récit basé profondément sur une vie réelle de quelqu’un, il est difficile de justifier si c’est une fiction ou une vérité, il n’est même pas important ni intéressant de le vérifier pour sa qualité littéraire. Dans tous les cas, la nature « autofictionelle » est toujours présente dans les expressions littéraires.
En France, Philippe Lejeune, théoricien de la littérature, notamment spécialiste de l’autobiographie, a réalisé ses recherches riches sur l’activité historiquement répandue en Europe, « tenir un journal intime » dans Le pacte autobiographique (1971). Il est évident que le journal intime n’est pas toujours un recueil des histoires vraies, comme démontra Sophie Calle, artiste française, à travers son ouvrage intitulée Des histoires vraies (2002). En jetant un regard sur les lieux de création littéraire, la relation entre l’écriture sur soi comme le journal intime et la littérature contemporaine est interactive et dynamique. À mon avis, il est temps de considérer une problématique : enjeux esthétiques de l’autofiction afin d’interpréter une dernière tendance puissante dans la littérature.
Dans cette communication, j’analyserai certaines œuvres autobiographiques d’Hervé Guibert son écriture expérimental de l’autofiction afin de réfléchir à la signification de la valeur esthétique de l’écriture de soi.

04/2/14

Young Pioneer’s Presentation vol.3

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Young Pioneer’s Presentation (YPP)Facebook YPP page

2014年3月22日、Young Pioneer’s Presentationに発表者として呼んでいただいた。この会は、京都大学交響楽団に所属していた折りお世話になっていた阿曽沼くんがオーガナイズしているこの会で、毎回複数の発表者(今回は二人)が自信の研究分野について話をし、共通ディスカッションを行っているそうだ。今回は、現代アートのコンセプトについて喋る私と、同期のヴァイオリニスト大谷くんの化学と折り紙の発表。阿曽沼くんが会の冒頭にも言っているように、私たちはなるほど、予想されている共通知識みたいなものを全く共有しない聞き手を前に話す機会にはそう恵まれてはいない。研究会も学会も、たとえば私のトピックでいえば、「芸術とは何か」、「作品とは何か」という問題そのものを話すことは稀であるし、それについて語るときにはそれに集中するかもしれない。しかし、具体的な作品について語りながら、それを捉える様々なシステムについても語るということはあまりない。感じると言うのがどういうことかそのものをあるレベルで定義しながら、ある特定の対象をどのように解釈するかを展開するのは、なるほど、七色に輝く小魚だらけの浅瀬の海の景色を3色の太いペンだけで描こうとするような、そんな思いがした。つまりは、相当悩んだ果てに、現代アートにおけるコンセプトと作品の鑑賞というトピックに関して、仕組みそのものを展開するよりは、普段わたしがこのブログを通じてお話しているようなことを、喋ることにした。

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さて、事前にFacebookのイベントページに掲載された私たちの発表内容は以下である。

【発表者】
・大久保美紀
パリ第8大学非常勤講師。美学。同大学大学院芸術学科博士後期課程、ニューメディア美学専修。批評のウェブサイト »salon de mimi »に展評•作家評•エッセイを多数掲載。研究テーマは現代の自己表象。ソーシャルメディアにおける自己語りと日記の関係性、現代アート、ファッションにおける身体意識・身体的表象に着目する。

・大谷亮
京都大学大学院工学研究科合成・生物化学専攻北川進研究室博士後期課程三回生。日本学術振興会特別研究員(DC1)。錯体化学、超分子化学。趣味は折り紙とヴァイオリン。餃子と寿司が好き。最近はピザも好き。前向き。小さじ1杯の悪意。笑う門には福来たるのかをこの人生で検証中。「何とかなると思うんだけどなー」が口癖らしい。

【発表内容】
大久保美紀
「コンセプチュアルなアートとその鑑賞 ー つくる人、みる人、かたる人」
皆さんは現代アートが好きですか?
現代アートは難しくて分からない、一体何がアートなの? ――私にもはっきりとは分かりません。
それらの疑問は、現代アートがしばしば概念的(コンセプチュアル)であることに由来します。
展覧会や作品のコンセプトは一般に、作品を理解するためのカギとして重要視されますが、 »提示された作品それ自体 »と »説明された複雑怪奇なコンセプト »があまりに隔たっている場合には、鑑賞者は困ってしまうでしょう。一方で、そんなふうに鑑賞者を煙に巻かない素敵な作品も必ずあります。本発表では、「難しくて分からない現代アート」のその不親切さを前に肩を落とさず、楽しく現代アートを体験する方法についてお話したいと思います。そこではつくる人とみる人、かたる人が相互に関わります。今日注目されている美術家の活動にも触れながら、現代アートについて一緒に考えてみましょう。

大谷亮
「趣味から始まるChemistry~折り紙と錯体化学、と私~」
皆さん、鶴は折れますか?
日本の文化、折り紙。小さい頃に遊びつつも次第に忘れられてしまう折り紙。しかし、現在「超複雑系」と呼ばれる折り紙が発展しています。知る人ぞ知る現代”折り紙”の一端に触れて頂きます。
更に、本発表者の専門である”錯体化学”とは。錯体は、ユニット折り紙のように構成分子を自在にくみ上げることで作られる物質群です。どのようなコンセプトから錯体化学研究が行われているのか、錯体化学研究の基礎から最新トピックスまで、ものすごーーーーくざっくりと分かりやすく説明します。

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紹介した作品は、ソフィ•カルの作品より『Les Dormeurs』『Prenez soins de vous』。ここでは、コンセプチュアルなアートの一つの例として、アーティストのつくるゲームのルールのようなものを第三者がパフォーマンスとして遂行した結果を、テキストや写真、ヴィデオなどの記録を通じて鑑賞者に総合的に追体験させるようなものを紹介した。(参考:添い寝がなぜ気になるのか)あるいは、作品としての「モノ」を作っているにも関わらずその主題や問題提起によってしばしば「なぜこれがアートなのか?」という問いを投げかけられる会田誠さんの作品『シリーズ:犬』について、私自身の解釈を提示し、『自殺未遂マシーン』についても考えた。(参考:会田誠「天才でごめんなさい」)最後に、1980年代をニューヨークで過ごし、コンセプチュアルアートの手法を研究したアイウェイウェイの最近の作品、ヴェネチアビエンナーレで公開された二つの『Dispositions』について論じた。(参考:アイウェイウェイ3つのストーリー映画『アイウェイウェイは謝らない』

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アイウェイウェイの作品を紹介するのは、Young Pioneer’s Presentationのように「現代アートとは何か?」という問題意識を持って話を聞きにきてくださった人の中には、現代アートは単に「コンセプチュアルで難しい」というだけでなく「奇異なもの」「突拍子のないもの」、更に、そうあらなければならない、と感じている人もおられたからである。現代アートは勿論複雑でなくていいし、分かり易くて構わないし、ヘンでなくてよろしい。つまり、力のある現代アートは眩しくないかもしれない、大切なことを伝える表現は必ずしも複雑怪奇な暗号に自らを隠してない。世界を良くするようなメッセージがミラーボールのような輝きを放っている義務などない。それは、くすんでさびていても、重苦しく目立たなくても、それらが現代アートというからには、現代の社会、現代の世界の問題に関わり、それに出会う私たちに何かを考えさせ、あわよくば勇気づけたり、生きることは良いと感じさせる。その意味で、表現をすることは意味があり、それを享受することにも意味があるのだと思う。私が考えていたのは、そのようなことである。

03/12/14

『異装』のモダリティ ー 充溢する意味, あるいは, ポスト•コスプレのファッション, Studies of « Post-Cosplay » Fashion

研究集会「コスプレの美学―コスプレ、ファッション、日本文化」

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日時:2014年3月16日(日)14時開場 14時30分開会 20時終了予定
会場:ウィンクあいち 1301会議室 http://www.winc-aichi.jp/(JR名古屋駅桜通口からミッドランドスクエア方面 徒歩5分)

内容:
第1セッション:コスプレ「コスプレの社会的意義と芸術的表現について」
座長:室井尚(横浜国立大学・教授)
講演:園田明日香(NPO法人コス援護会・理事長)

第2セッション:ファッション「『異装のモダリティ–充溢する意味、あるいは、ポスト・コスプレのファッション」
座長:吉岡洋(京都大学・教授)
講演:大久保美紀(パリ第8大学・非常勤講師・美学)

第3セッション:日本文化「コスプレをする・見る–オタク文化におけるパフォーマンスの記号と異文化」
座長:島本浣(京都精華大学・教授)
講演:ジュリアン・ブヴァール(リヨン第3大学・准教授・日本のポピュラーカルチャー研究)

入場無料、予約不要(定員80名)
主催:科学研究費基盤研究(A)ポピュラーカルチャーの美学構築のための基盤研究[研究代表者:室井尚(横浜国立大学教授)]

Facebook : https://www.facebook.com/events/409348502543982/?fref=ts

 こんにちは、大久保美紀です。さて、近づいて参りました、今週末は名古屋でお会いいたしましょう。〈コスプレの美学〉なのに、ポスト•コスプレなんて、一体どうなっちゃうんでしょう…。私の方からは、ファッションとしての「異装」にはどんなパワーがあるのか(歴史の中でどんなパワーがあったのか)、そして、これからのコスプレ実践はどんなもので有り得るのかを明らかにするため、「コスプレ」をスッパリ切り開きます!
 フランスのコスプレイヤーや研究者に行ったインタビューや対話の話もします。異装を通じたアート作品の分析もします。ぜひお越し下さい。

 さて、実はコスプレについてはこれまでも長ーいこと考えてきたのですが、長ーいトンネルを抜けて、この文化特有の“対話の難しさ”を越えて、これまでとは異なる考えに至りました。どうぞお楽しみに。

 

『異装』のモダリティ ー 充溢する意味, あるいは, ポスト•コスプレのファッション

(要旨)
本発表は、これまで多くの日本人および外国人が研究してきた「コスプレ」という現象を、人類の自己表現の手段の一つとして新たに捉え直し、「コスプレ」の行為者が「コスプレ」を介して何を実現し、その行為にどのような意味を与えているのかという問題を再考する。したがって、本発表では、「コスプレ」を、今日まで一貫して守ってきたコンテクスト:現代日本大衆文化(ポップカルチャー、しばしばクールジャパンと呼ばれる)から生まれたものであること、その代名詞であるアニメ•マンガのキャラクターを模倣したコスチュームを身につけた特定の集団がコミケやイベントに参加すること、という定義への固執を一度放棄する。これら固有の文脈から切り離された「コスプレ」とは何か。世界からも着目を集める奇異な文化現象としての「コスプレ」をという重苦しい仮装を脱いで、人類が今日まで、異なる文明、文化、国、宗教、社会の中で実践してきた、自己表現の行為の一つととらえたとき、抽出されるエッセンスは何だろうか。そこに残るのは、とてもシンプルだが、状況を逸脱した着衣行為である。私はこれを「異装」と呼ぶ。本発表では、「異装」のモダリティについて考えること―-つまり、「コスプレ」という行為の中核を担う「逸脱した着衣行為」がどのような目的でどのように実現されるのかを明らかにすること―-によって、日本的な「コスプレ」が蔓延し、希釈され、変容し、全く別のものとして生まれ直してしまう世界においても、なお楽しく逸脱した着衣を繰り返すことのできる「ポスト•コスプレのファッション」を提案したい。
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05/22/13

Mobilisable 2013 au Labo de l’édition, 30 et 31 mai 2013

Mobilisable 2013 au Labo de l’édition, 30 et 31 mai 2013

Mobilisable 2013, ouvrages expérimentaux pour écrans mobiles
Deux journées au Labo de l’édition*, jeudi 30 et vendredi 31 mai 2013, de 14h à 18h.
展覧会 « Mobilisable 2013 » @Labo de l’édition, 2013年5月30日、31日(14時−18時)
ラウンド•テーブル『モバイル•スクリーンのための実験的エクリチュール』、5月31日18—20時、同会場にて。入場自由。ぜひお越し下さい!

(texte cité de site « mobilisable 2013 »)
On le sait, en l’espace de peu de temps, l’écran est devenu fondamentalement mobile. S’il vient du téléphone, installé sur les réseaux, il est à la fois un ordinateur et une  page. Ce qu’il affiche, et ce sur quoi il permet d’agir à la fois intuitivement et selon nos habitudes culturelles, est aussi bien de l’ordre du livre et de la carte, du film et de la télévision, de l’outil et du jeu. Ne pourrait-on pas regarder ce que l’écran nous offre comme une entité qui serait plus ou moins tout cela à la fois, et même dans une version « augmentée » ? C’est ce type d’« ouvrage pour écran mobile » qu’il est passionnant d’explorer aujourd’hui, sans se poser nécessairement la question de sa nature ou de son destin. Ce sont un certain nombre de prototypes de ces ouvrages expérimentaux qu’expose « Mobilisable 2013 » au Labo de l’édition, sur une proposition du laboratoire EnsadLab de l’École nationale supérieure des Arts Décoratifs, associé à l’Université Paris 8 et à la Haute école d’art et de design-Genève. À l’exposition et à la démonstration s’adjoint bien sûr la discussion : des rencontres et une table ronde.

La table ronde « Une écriture expérimentale pour écrans mobiles » (jeudi 30 mai, de 18h à 20h) invite des designers et chercheurs à témoigner et à débattre des nouvelles formes de consultation et de lecture, mais d’abord des questions d’expérimentation et de formation attachées à une écriture propre aux ouvrages pour écrans mobiles.
Liste des intervenants :

Jean-Louis Boissier, chercheur à l’Université Paris 8 et à EnsadLab
Dominique Cunin, artiste, chercheur à EnsadLab
Jean-Michel Géridan, professeur de design graphique et interactif à l’ESAD-Le Havre
Anette Lenz, graphiste, professeur à la HEAD-Genève
Camille Pène (Labo de l’édition, modératrice)
Étienne Mineur, designer, professeur à l’EnsAD et à la HEAD-Genève
Daniel Sciboz, graphiste, professeur de design interactif à la HEAD-Genève
Douglas Edric Stanley, professeur de design interactif à la HEAD-Genève

* Labo de l’édition
http://www.labodeledition.com/
2, rue Saint-Médard, 75005 Paris
Tél : +33 1 83 64 89 00
contact@labodeledition.com

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05/10/13

Conférence de Hiroshi YOSHIOKA / 吉岡洋 講演会 @Ensad, Paris

Conférence (en anglais) par Hiroshi YOSHIOKA

EnsadLab/EMeRI, en coopération avec l’Université Paris 8 — Cycle « Le Japon des nouveaux médias »
Mercredi 29 mai 2013, 18h30, amphi Rodin, EnsAD, 31 rue d’Ulm, Paris 5e (site d’Ensad, plan ici)

*Entrée libre, sans réservation! Vous êtes tous les bienvenus !!!

2013年5月29日、パリのエンサッド(Ensad)において、エンサッド•パリ第8大学主催、ジャン=ルイ•ボワシエの紹介による吉岡洋講演会を行います。入場自由、18時30分開始、是非お越し下さい。講演は英語、ディスカッションは英語、フランス語、日本語(など)可です。ご質問などございましたらこのブログを通じてご連絡ください。

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When Interaction Reaches the Critical Point
The development of media technology normally parallels with the sophistication of the artificial world. In my thought, however, the most potentially significant impact of media technology on our worldview is that it radically refreshes our understanding of « nature, »  by blurring a conventional borderline which seems to have been sharply drawn between the natural and the artificial. The use of the computer in the science of complex systems, for example, does not aim at creating the exact simulation of a natural phenomenon, but it means to lead us to a deeper understanding of nature by revealing limitations of the numerical simulation. The important thing is not to overcome limitations but to focus on an interaction between nature and our intelligence. This is also the case with artistic attempts employing media technology. What we usually call « interactivity » actually means an accelerated (or « real-time ») chain of actions and reactions, which specifically cannot be distinguished from traditional understanding of « (re)action. » How, then, can we describe what we should call truly « interactive, » a framework to understand a human activity merged with media technology?  In my presentation, I will try to describe such a conceptual framework in the context of contemporary Japanese society and culture after the Great Tohoku Earthquake and the Fukushima Nuclear Disaster.

 

Quand l’interaction atteint un point critique
Le développement de la technologie des médias est vu comme parallèle à la sophistication du monde artificiel. Selon moi, cependant, l’impact potentiellement le plus significatif de la technologie des médias sur notre vision du monde est qu’il renouvelle radicalement notre compréhension de la notion de « nature » en brouillant la limite conventionnelle qui semble nettement tracée entre naturel et artificiel. L’usage de l’ordinateur, notamment dans les sciences des systèmes complexes, ne vise pas à créer la simulation exacte des phénomènes naturels, mais nous conduit à une compréhension plus profonde de la nature en révélant des limites de la simulation numérique. La chose importante n’est pas de surmonter ces limitations mais de se concentrer sur une interaction entre la nature et notre intelligence. C’est aussi le cas des tentatives artistiques qui emploient les technologies des médias. Ce que l’on nomme ordinairement « interactivité » signifie une chaîne accélérée (ou « en temps réel ») d’actions et de réactions, qui ne peut pas être spécifiquement distinguée de la compréhension traditionnelle d’une (ré)action. Comment, dans ces conditions, décrire ce que nous pourrions véritablement nommer « interactif » ? Un cadre pour comprendre les activités humaines confondues avec la technologie des médias ? Il s’agit alors de tenter de décrire un tel cadre conceptuel dans le contexte contemporain de la société et de la culture japonaises, après le grand séisme du Tôhoku et le désastre nucléaire de Fukushima.

 

pastedGraphicHiroshi Yoshioka

Born in Kyoto in 1956. Professor of Aesthetics and Art Theory at the Graduate School of Letters, Kyoto University.  He is the president of Japanese Association of Semiotic Studies.  His books(Japanese) include The Present Tense of Thought: Complex Systems, Cyberspace, and Affordance Theory, Kodansha, 1997 and Information and Life: The Brain, Computers, and the Universe, with Hisashi Muroi, Shinyosha, 1993.  As well as being involved in the planning of exhibitions, such as Kyoto Biennale 2003 and Ogaki Biennale 2006, he has served as ICOMAG (The International Convention on Manga, Animation, Game and Media Art) Chair for three consecutive years.

Hiroshi Yoshioka
Né à Kyoto en 1956. Professeur d’esthétique et de théorie de l’art à l’École doctorale de la Faculté des lettres de l’Université de Kyoto. Il est président de l’Association japonaise d’Études sémiotiques. Ses ouvrages (en japonais) incluent : Le Temps présent de la pensée : Système complexe, cyberespace, et affordance, Kodansha, 1997 et L’Information et la vie : Cerveau, computers et univers avec Hisashi Muroi, Shinyosha, 1993. Il s’est occupé de divers projets d’expositions, comme la Biennale de Kyoto en 2003 et la Biennale d’Ogaki en 2006. Il a présidé trois années consécutives l’ICOMAG (Convention Internationale des mangas, animations, jeux et arts des médias) à Tokyo.