05/18/12

Hundertwasser @ Kunst Haus Wien ,@ Hundertwasserhaus

Musique en Sorbonneオーケストラの演奏旅行でウイーンにも立ち寄った。朝8時にチェコのPribramを出発し、結構渋滞しており、ウイーン公演前に観光時間が3時間ほど辛うじて与えられるというハードスケジュール。ゲネプロに遅刻はできないけれど、機会は逃したくない。ミッテ駅からトラムに乗るなら、Radetzkyplatsで下車するとちょうどよい。私はミッテから走りました。一生懸命走れば15分強くらい。
というわけで、Kunst Haus Wienと目と鼻の先に位置するHundertwasser Hausの両方を見学してきた。

Hundertwasser(フンデルト・ヴァッサー)は、1928年ウイーン生まれの建築家・芸術家。ユダヤ系の両親を持つヴァッサーは、戦争中をユダヤ人街の地下室で過ごしながらそれでも幼い頃の創作への憧憬を忘れなかった。ヴァッサーは始め、画家を志して北アフリカに旅に出ている。彼が建築家として最初の作品を発表したのは1952年のことだ。彼が表明している芸術へのスタンスは、彼が幼い頃愛した自然の要素に基づくもの。彼の建築は独特な方法で人と環境の双方を有機的に結びつける。

クンスト・ハウスは4階建て、カフェ・レストラン、美術館、ショップを含む見応えたっぷりの異空間だ。ここに来ればヴァッサーの常設展作品が見られる。

正面入口はこんな感じ。界隈はドナウ運河から遠くない、本当に静かな住宅街。駅から近いけれど、雑然とした表通りから一本中に入っているのだ。

ヴァッサー旗発見。素敵だな。ヴァッサー建築のファサードはしばしばくっきりと真っ赤な血が流れ伝うようなペイントが有名なのだが、1991年にオープンし、彼の晩年の建築にあたるこのミュゼの外壁はもう血を流してはいない。

ミュゼの入り口のちょうど裏側にはカフェが。このカフェも隅から隅までデコレーションに余念がない。陶器タイル使いがとくに美しくて新しい印象を与える。

カフェの中。外も中も緑がいっぱい。植物たちはどれもとてもよく手入れされており元気で、中にもたっぷりの日が差し込む。

ここが私がもっとも愛した壁デコのポイントである。トイレである。白と黒のタイルデコを基調に、男の子と女の子の壁画。これは文句なしに素敵だ。誰がなんと言おうと素敵だ。

トイレの前でうっとりしている間に、ゲネプロの時間が近づいてきてしまった。私は走った。全力で走り抜けられる距離です。

さて、こちらはHundertwasser Haus。こちらは住宅なので内部見学はできない。ウイーンで最も奇抜な市営住宅と呼ばれているヴァッサーハウスは、1986年に完成した。1972年に当時のテレビ番組‘Wünsch dir was'(あなたの夢、叶えます的な番組)に出演した際、ヴァッサーは、植物と共存できる家の建築に対する夢を語った。5年後の1977年、ウイーン市長Leopold Gratzの提言をきっかけとして着工が決まった。まさに夢の家だ。

彼が植物と共存できる家と名付けた建築に必要な要素は、木々が地面に張り巡らせるしっかりとした根のような安定して力強い建築、窓から差し込むたっぷりの陽の光、ファサードはこの光を存分に得るために立派に構えること。噴水や実際の木々も植えられており、ヴァッサーの夢見た住宅を目にできた喜びは大きかった。

ヴァッサーハウスに実際に住んでみると、どのように植物との共生を実感できるのか。こんなお天気の良い日に朝日が差し込む様子や、風のある日や雨の降る日、この家はどんなふうに生きているのか。ヴァッサーハウスに住む友人を作らないと好奇心は欲求不満のままである。

ヴァッサー建築は、ウイーンにあろうが、日本にあろうが(大阪市環境局舞洲工場、2001年、および大阪市舞洲スラッジセンター、2004年)、あるいはものすごくモダンなデザインの界隈にあろうが何れにしても異色を放ち、異空間を創りだすだろう。なぜなら、それらは、何にも似ておらず、これまで見たことがない建築であるからだ。
ユニークであるということは、どこから出てきたかわからぬ突拍子のないもの、ということではない。分かりそうで分かり得ない、捉えたようで捉えきれていない興味深いものが見え隠れしており、人の心を強く惹きつけて離さない何かを持っている存在だ。
Hundert Wasserの残した植物と人と建築を含むその環境は、強烈な印象で訪れる人を迎え入れ続けるだろう。

04/15/12

松田有加里/Yukari Matsuda, 奏でられるイメージ

松田有加里(写真家)インタビュー

私が松田有加里の作品とはじめて出会ったのは、パリのバスチーユ広場の眼の前にあるギャラリー、メゾンダール・パリでの個展においてであった。その時展示されていた作品の中で、陽の光が差し込む草原風の緑色のなかに、ひとつの壊れかけた白っぽいベッドが佇んでいる。その一枚のイメージが鮮明に目の裏に焼き付いて、忘れることが出来なかった。

Yukari Matsuda, 2009, from limited copied post cards

パリでの個展のタイトルは »Fantasia »(ファンタジア)。展覧会に一歩足を踏み入れてみればわかる。彼女が提示する写真たちはそれぞれが、たしかにどこか妙なオーラを放っていて、同じものを今まで目にしたことがない。こわれたベッドの作品もそのうちの一つだ。いつどこでどんな季節に撮影されたものなのか、まったくわからない。それどころか、あらゆる属性を突き放して、ある日ある場所に陽のあたるジャングルがあって、そこには鮮やかな色彩の花が咲いていて、壊れた白いベッドがそこにありました、という物語だけがこの作品の真実であるようにすら思えてくる。実際に作品を目にして頂きたく思うが、光の捉え方が素敵な作品だ。

 

彼女の写真のモデルとなるのは、私たちが生を受けるずっと以前、父も母も生まれる以前から世界にひっそりと存在し、すこしずつ歳をとってその役割を終え、とても静かに世界から消えていってしまおうとしている古い古い建物やアパート、学生寮などである。昭和初期に竣工された京都市左京区の銀月アパートメント、東京の同潤会アパートメントハウス、さらに京都大学の吉田寮などが彼女の被写体となってきた。

Yukari Matsuda, 2009, from limited copied post cards

個人的な話だが、私は京都大学交響楽団の出身で、吉田キャンパスの南西端の空間を練習場所のひとつとしていた。松田有加里が今日まで10年以上にわたり撮影を続けてきた吉田寮を毎日視野にいれながら、「焼け跡」と呼ばれる吹きっ晒しの空き地(昔に火災があり、建造物が消失した後空き地のままであった)で楽器を練習していた。隣り合わせの集会場は交響楽団の練習場としても使用されており、構造を含めよく知っている。今思えばこの上なく残念だが、吉田寮自体に深く足を踏み入れた経験はなく、通過した程度だ。1913年に建てられ、いまや日本最古の学生寮である吉田寮は、昨年3月11日に東北地方を襲った震災以降の見直しのダメ押しを受けて、遠くない将来の取り壊しが囁かれているという、そんな話を耳にした。

 

吉田寮は人々の心をとらえるフォトジェニックな建造物であるらしい。通りすがりの旅行者が大きなカメラを構えて撮影にやってくるのをしばしば目にしたし、映画『コクリコ坂』の素敵なカルチェ•ラタンはまぎれもなく、この敷地内にあるサークル棟、「集会所」そのものである。しかし、実際にこの界隈を知る人が松田作品を目にしたなら、とにかくそのイメージの異化されように驚くのは約束された運命であろう。種明かしをされてからよくよく見れば、知っている建物であるに違いないのに、思わず、彼女の創り出す »Fantasia »の世界観にのみ込まれてしまうようだ。たしかにこんな写真は目にした経験がない。

 

「もうなくなってしまうものを、作品として残し、それを後世の人に伝えていきたい。そして出来るだけ多くの人に見てもらいたいと思う」、そのために作品をひたすらつくり続けていくのが自分の使命であると松田は語る。ただし、細部まで鮮明で物件資料として使えてしまうような、時と場所に縛り付けられたつまらない写真は一枚もない。あくまで自分の直感を信じて、見えた色や感じた光を一ミリの妥協も許さず再現していく。いずれ世界から消えていってしまうけれど、かつてはそこに存在したものたちの記憶の集積を、彼女の持つ色彩とリズムによって表現していく。これが、アーティストとしての松田有加里の活動の核である。

 

Yukari Matsuda, 2009, from limited copied post cards

松田有加里という写真家は、写真家である以前に一人の明瞭な表現者である。ピアニストであり、オルガニストである。詩も書く。ライブで演奏され、時間の中に消えていってしまう音楽とマテリアルとして残り続けていく写真。写真という手段は、音楽の領域で様々な問題に出会いながら、伝えるものを最もベストな形態で表すためにたどり着いた表現手段の一つに過ぎない、と語る松田は、音楽において養ってきた身体訓練と集中力、芸術的直感をもって、表現を実現するための様々な写真のテクニックをほぼ一年間で集中的にマスターしたという。いくら表現すべきものをもつ表現者であったとしても、メディウムを変えるというのはものすごくエネルギーのいることで、誰もが実現できることではない。彼女は、自分が写真という表現手段に向いているのだという事実を、これもまた直感で感じ取っていたに違いない。

 

「タイマーは使いません。テンポは自分の中にあるし、撮影したときからつくりたいイメージは出来上がっています」
松田は暗室の中で自分の身体の中にあるメトロノームのテンポを基準にイメージを紡ぎだしていく。作品は時に幻想的な色をおび、フルーでピンぼけであるものすらある。写真はリアルを写し取るメディアではあり得ないということを作品は語っている。視野に入っているものと見ているものは同一ではない。

 

Yukari Matsuda, 2009, from Fantasia Ⅰ

(略)ファンタジアが鳴りやむその日には、降るはずのない季節外れの雪がそっと舞うだろう。(松田有加里)

 

「文章をつけることで、解釈の幅を狭めるかもしれないということは危惧しました。でも、見る人というのは自分の経験や感情に引きつけて見ているので、意外とテクストに左右されないことに気がつき、それからは詩も付けて発表しています」
鑑賞者に解釈をゆだね、作品が一人ひとりの人間の中で消化されることを受け入れながら、出来る限りコミュニケーションをとっていこうとする態度を持ち続けている。とりわけ現在彼女が取り組んでいる作品を集めた「本」づくりも、様々な事情で展覧会会場へ足を運ぶことができない潜在的鑑賞者を考慮してのことでもある。

 

彼女の今まで創ってきた、そしてこれから創っていくであろうイメージが、後々多くの人々の目に触れるように伝えられていけばよいと思う。彼女が語るように、どこのなんと言う名前の建物であるとか、何年の竣工であるとか、必ずしも時と場所の情報に縛られるのではなく、人々の生きた物語の記憶として、いろいろな国の様々な人々に受け取られてゆけば、とても素敵であると思う。

インタビューに快く応じてくださり、お時間を割いてくださったご好意に心より感謝したい。
(2012年3月14日、大阪にて)

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04/8/12

みえるもの/みえないもの(visible / invisible) 豊田市美術館

みえるもの/みえないもの
豊田市美術館 HPはこちら
2012年1月7日~3月25日

豊田市美術館に訪れたのは初めてのことであった。3月半ば、とても晴れた暖かい日で、駐車場の向かいの民家のお庭には梅が咲き誇っていた。1995年にオープンしたこの美術館は江戸末期の七州城の跡地に当たるらしい。少しだけ上り坂になっている道を進んでいくと、谷口吉生の代表的建築の一つである豊田市美術館の建物が見えてくる。乳白色と反射すると淡い緑色に見えるガラス張りがとても印象的な建築で、メインエントランス前の広場には噴水があり、陽の光を照り返す水しぶきが殊の外美しく感じられた。

3月25日まで豊田市美術館で行われていた「みえるもの/みえないもの」展は本美術館のコレクション展であり、現代アーティストの中でも写真を手法として活躍する15人の作家の作品によって構成された。写真というメディアがもつリアルな側面とフィクションの側面、あるいは写真にはじまる新しいメディアが常に含有している複製可能性や模倣性の問題を浮き上がらせる重要な作品を目にすることができた。

「みえるもの/みえないもの」は反射的に興味がそそられる展覧会タイトルだ。その訳はひとつには、現象学を発展させて両義性の哲学を大成し、興味深い身体論を展開したモーリス•メルロポンティ(Maurice Merleau-Ponty)の重要な著作のタイトルが「見えるもの、見えないもの」(Le visible et l’invisible, 1964)という事情がある。そしてもう一点は、この展覧会の主旨で述べられているように、写真というメディアの現実であるようで虚構であるような性質、オリジナルとコピーの境界が溶けていくような性質、これらは写真以降の現代芸術を考える上でとても重要な問題を投げかけ続けており、「みえるもの/みえないもの」は確かにこのような問題提起にぴったりなタイトルであるように思われる。

したがって、この展覧会では、
窃視症:ミケランジェロ•ピストレット、アルマン
私写真:ナン•ゴールデン、荒木経惟
日常性:中西伸洋、川内倫子
時間•記憶:クリスティアン•ボルタンスキー、ボリス•ミハイノフ、ローマン•オパルカ
永遠•巨視的視点:杉本博司、松江泰治
みえるもの/みえないもの:中川幸夫、志賀理恵子、ソフィ•カル、曽根裕
……という顔ぶれで構成されたのだから、どうにか3月末に間に合って訪れることができて良かった。個々の作家や作品は別の機会に目にしたことがあるものがほとんどであったが、展覧会としてこのような形でストーリーづけられ、そのコンテクストにおいて作品を見ることは、別の体験であるということを実感した。

 

Christian Boltanski, 聖遺物箱,1990

クリスティアン•ボルタンスキーの《聖遺物箱(プーリムの祭り)》(1990)も幾度かこれまで出会ってきた作品の一つである。
クリスティアン•ボルタンスキーは、1944年パリ生れユダヤ人として、人間の命と記憶に関わる強いメッセージをもった作品を数多く発表してきた。美術の正規教育を受けていないが(ギャラリーでのインタビューについてはこちら)、15歳の頃には既にアーティストになることを決意していたという。クリスティアン•ボルタンスキーが用いる方法はもちろん写真だけではない。匿名のポートレートは、殺されたユダヤ人の顔写真や子どものポートレート写真で使われた手法だが、同様に人間の生死とその記憶に関わる作品を制作する中で、着古された衣服を用いたこともあった。さらには、日本でも2010年7月に開催された瀬戸内国際芸術祭において発表された心音プロジェクトは心音を録音したデータがメディアなのである。

なるほどクリスティアン•ボルタンスキーの制作において、いつも一貫しているのは表現するべきテーマの方であり表現方法ではないのだろう。だが敢えて今回彼の写真に注目してみるとき、これらのポートレートは戦前にユダヤ人の祭りであるプーリム祭にたまたま集まった子どもの写真であり、彼らが果たして虐殺にあったのかその前に何らかの原因でなくなってしまったのか、生き延びたかわからないのだが、祭壇の前に遺影のようにして彼らのイメージが飾られることによって、彼らの肖像はもはや個人のものでも日常を切り取ったイメージでもなく、ひとりひとりの人間の生を超越した、もっと普遍的なイメージとして現れることになる。創り出された写真の意味は嘘かもしれないのだが、彼がここで行った最も重要なことは、イメージの意味を普遍化したということであるのだと思う。

 

Sophie Calle, 盲目の人々,1986

もうひとり、同じくパリ生まれ(1953年)のフランス人作家ソフィ・カルの《盲目の人々》(1986)という作品をみてみよう。ソフィ•カルは1980年前後から自分のベッドに友人や知人を招待して眠っているところを撮影したり、街の人々を尾行して写真を撮影するという、一風変わったコンセプチュアルな表現活動を開始する。彼女の作品は、ボルタンスキーが人間の生死や人類全体の記憶といった普遍的なテーマを目指したのとは対極的に、きわめて個人的でインティミットな主題が選ばれる。ソフィ•カル自身の想い出話、他人のとりとめもない語り、家族との幼少期の思い出、恋人とのストーリー。それらは多くの場合、写真とテクスト、思い出の品などと合わせて展示され、人々は個人的な体験を追体験するように作品を鑑賞する。

彼女の表現を理解する上で重要なのは、本当であることと本当でないことがまぜこぜになっていて、物事の虚実を明確にすることがまったくもって重要ではないということではないだろうか。写真はリアルを映し出すだろうか。答えは勿論否である。物語の真実性をうらづける証拠写真のように逐一提示される写真は、誰がいつどこでどのように撮影したか、わからない適当なものだ。実は写真とはそういうものなのだ。いや、もっと言えば、ひとびとの物語や想い出などというのは本質的に、うそでもほんとうでもない、いわゆる「たったひとつの真実」と呼ばれるものとはまったく似ても似つかないものなのではないだろうか。私は彼女の物語はそのようなことを私たちに伝えてくれるものだと理解している。

さて、《盲目の人々》はスキャンダラスな作品であった。1986年につくられたこの作品は、ソフィ•カルが生まれつき盲目の人に「美のイメージとはなにか」と質問し、彼らに答えてもらったことばをもとにソフィ•カルが写真を撮影するという一連のやりとりである。

J’ai rencontré des gens qui sont nés aveugles. Qui n’ont jamais vu. Je leur ai demandé quelle est pour eux l’image de la beauté.
私は生まれつき盲目の人々に出会った。生まれてから一度も見たことのない人々だ。私は彼らに、彼らにとって「美」のイメージとは何かをたずねた。

どこまでも続く海のイメージを語る人や、見たことがないけれど美しいと思う自分の子どもや家族が自分にとっての美のイメージだと答える人々がいた。たしかに、イメージというのは目で見るものなのだと改めて気がつく。好ましいとか気持ちがよいとか、愛しているとか、嫌いだとか、何かを感じるために視覚は必ずしも必要条件ではない。触りごごちで美しいものだと感じることもできるに違いない。しかし、「美のイメージ」はなるほど、きわめて視覚的なものなのかもしれない。彼女がインタビューを行った結果得られた彼らの答えから出発し、一枚のイメージを撮影したという行為は、けっこう素敵な協働だと思う。たしかにそれは彼らが想像したものとは同一であるはずがないし、その点で彼らの美のイメージとしては「噓」の写真であるけれども、視覚も触覚や聴覚や嗅覚と同様に絶対的でない感覚の一つとして還元することが出来るのなら、みえるかみえないか、それがどう見えたかそれが真実であるかなんて、ちっとも重要じゃないのではないかと思える。《盲目の人々》は「美」について考えるための小さな足がかりを私たちに提案する。

 

other pictures

荒木経惟, 冬の旅, 1989-90

中西伸洋, Layer Drawing, 2004-2005

志賀理恵子, カナリア, 2006

04/2/12

Ai Weiwei/ Entrelacs, 艾未未

Ai Weiwei
Entrelacs
Jeu de Paume (Concorde)
21 février- 29 avril 2012
Jeu de Paume HP

ルーブル美術館からチュイルリー公園へ抜けて、芝生で太陽をたくさん浴びて憩っている人々の様子を見ながら、コンコルド広場の方まで歩いていくと南側にオランジュリー美術館、北側にジュ•ド•ポーム美術館がある。このJeu de Paumeは現代アートを中心にエクスポを開催していて、最近記憶に新しい展覧会では、Dian Arbusの回顧展が大盛況を収めていた。そして、現在開催されているのがAi Weiweiの展覧会、Entrelacsである。Entrelacsはフランス語で「絡み合うこと」「交錯するもの」といった意味。この展覧会では、建築家、彫刻家、写真家、コンセプチュアルアーティストとして活躍する一方、ブロガーでありツイッターでの活動家であり、政治的活動も行ってきた、Ai Weiweiの1983年以降の写真作品やビデオ作品、多様なプロジェクトと彼が中国と世界に向けたメッセージがJeu de Paumeの展示空間を越えて、交錯しながら発信されてゆく、そんな展覧会だ。

 

Ai Weiweiは1957年に北京に生まれる。北京でシネマアカデミーを卒業した後、1978年から数名のアーティスト達とともに星星画会を結成し、ソーシャル•リアリズムに反対し、芸術的個人主義と実験主義を打ち立てて文革後初の前衛芸術グループとして活動するが、政府の弾圧を受ける。1983年にはニューヨークに渡り、Andy WarholやMarcel Duchampといった重要なアーティストの活動に刺激を受ける。とりわけDuchampが彼のコンセプチュアル•アートに後々まで与えた影響はとても大きく、この頃に彼のキャリアの中で初めてのレディメイド作品と、ニューヨークでの中国人コミュニティーにおける彼や彼の友人撮影した何千枚ものドキュメンタリー写真を制作している。

 

彼をとりわけ有名にした作品のうちの一つに、《鳥の巣/Bird Nest》がある。2008年の北京オリンピックのために建設された北京国家体育場は、2002年に中国政府によって開催された国際建築設計競技において優勝したHerzog & de Meuronの案が採用され、デザインにAi Weiweiが芸術家として協力している。Ai Weiweiの作品の中には、今回展示された、《鳥の巣/Bird Nest》の建設中の経過を撮影した大きなフォーマットの写真の他にも、《北京空港ターミナル3/Beiging Airport TErminal 3》においてこれもまた北京オリンピックのために国を挙げて途方もなく大規模で現代的なターミナルを建設している経過の写真や、自分自身がデザイン•建築プロジェクトに関わったすばらしい建物がたてられ、まもなく弾圧によって取り壊されてしまうまでの記録写真、さらに2008年の四川大地震の実態を明らかにする多数の写真(ブログで公開されていたもの)も展示されていた。

 

Ai Weiwei の建築に関わる写真には、築造途中から完成までを記録した写真と崩壊を記録した写真がある。彼の仕事が伝える強烈なメッセージは、その双方に、始まりも終わりも、始まる前も終わった後も、すべてが二重写しされているという事実なのである。すばらしい北京空港のターミナル3は、永久に存続するはずはなく、いつかは取り壊されてしまうだろう。四川大地震で崩壊した建物のがれきはかつて、家族が住む小さな家の壁であり、子ども達が勉強する学校の教室の天井であった。人々はモノを作っては壊し、壊れては作るのであるが、Ai Weiweiの写真にはその完成と崩壊を喜ぶのでも悲しむのでも諦めるのではない、時の流れや自然の力を受け入れるという姿勢を感じさせる。

 

その一方で、四川大地震の建物崩壊について、Ai Weiweiは中国政府がうやむやにしてきた欠陥建築や安全性を欠く校舎のせいで多くの犠牲者が出た現実を許さなかったし、被害者の家族の抗議を無視して正しい情報を開示しない政府の対応を許さなかった。彼は2008年5月の地震発生直後より、2010年4月に中国政府によって自宅で軟禁されるまで、途中ブログの内容を強制的に削除されるなどの困難に遭いながらも、犠牲者のために情報を明らかにし、責任追及を行う活動を積極的に続けた。2011年4月3日には再び拘束され、6月22日に保釈された。

 

ここで少し別の作品を見てみよう。この展覧会では、2007年にKassel Documenta 12で発表されたFairytaleという大規模なプロジェクトの記録であるドキュメンタリービデオ(インタビュー)とKasselにつれていく人々を選ぶためにAi Weiweiが一人一人に面接を行ったのだが、その場所で撮影されたポートレートが壁一面いっぱいに展示された。Fairytaleは驚くべきプロジェクトであった。第12回ドキュメンタに招待されたAi Weiweiは人口20万人程度のKasselの街に1001人の中国人をつれていって、「生けるインスタレーション」を展示しようという試みであった。そもそも中国では海外旅行のためのビザの獲得はきわめて困難であるし、彼が連れてきた人々の中には少数民族地区に住むとても貧しい人々もおり、このプロジェクト自体が現実味を帯びていないむしろ「おとぎ話」とか「夢」のたぐいのもの。Ai Weiweiはこの小さな町に1001人の中国人を連れ込んで、一種の文化交流をしてやろうと目論んだ。

 

インタビューを聞けば明らかであるように、カッセルの街に1001人の中国人というのはそれだけで街の雰囲気を変えてしまったらしい。ドキュメンタ会場にはもちろん、町中にも市場にもどこにでも、カメラと地図を携帯した中国人の姿があるのだ。アートに関わらず、ドキュメンタの開催をしらない市民たちもこの変化に気がついていたほどである。インタビューの中で印象的だったのは、カッセルの人々が中国人のイメージが変わったと口々に語る場面である。礼儀ただしかったし、きちっとしていたし、レジデンスも綺麗に使っていたし、ということを述べるカッセルの人々の姿が映される。どれだけ海外を活発に動き回り評価されているアーティストであっても「わたしは何人であるか」というアイデンティティーのTatooを誰しも刻まれており、それは無視することが不可能な何かだ。Ai Weiweiのプロジェクトは色々な条件で生きている同じ祖国をもつ人々に異国Kasselの地で一生ものの想い出Fairytaleを経験させるとともにKasselでの出来事を通して自国の国民をポジティブに紹介するというハートフルな作品である。こういった多くの人々の人生すらも動かしうる作品を実現することは、芸術の中でも最も重要な活動であると思うのだ。

 

Shanghai Studio which Ai Weiwei worked for, was demolished just after its construction.

Shanghai Studio

 

Chinese people’s bed room for their stay in Kassel Documenta 12

Kassel Documenta 12 in 2008

03/24/12

Yayoi Kusama/草間彌生 ー『永遠の永遠の永遠』

2012年1月7日〜4月8日、大阪の国立国際美術館で行われている草間彌生の『永遠の永遠の永遠』展を訪れた。
草間彌生展は回顧展的なエクスポをパリのポンピドーで12月に見たところであった。←草間彌生展レポートはこちら。(ヤヨイラッシュはとどまることを知らず、現在ロンドンのテート・モダンでもYayoi Kusama展が6月5日まで開催中である。tate modern London )だが今回、最新の140枚を超える「わが永遠の魂」のシリーズや、それに先行して2004〜2007年製作された50点の絵画作品が一挙に展示されるということで、ぜひとも訪れたいと思っていた。
一時帰国の終盤の、よく晴れて京阪電車の旅が素敵な日和に、大尊敬する美学の先生とこの展覧会に訪れることができたのは非常にハッピーなことであった。

 

この展覧会のスタートである地下3階まで下ってくると、外のお天気などどうでも良いと思えるほどに外界と隔絶される。さきほども述べたように、今回の展覧会は草間彌生の2004年以降の絵画作品を一挙に公開することに主眼が置かれており、パリのポンピドー・センターで展示されたようなソフト・スカルプチュアや大きな彫刻の展示やパフォーマンスビデオの放映などはあまりない。絵画以外の作品では、「チューリップに愛をこめて、永遠に祈る」(写真)と「魂の灯」がインスタレーションとして展示されている。そして、最後には草間彌生制作中の場面を収録したドキュメンタリー・ビデオが展覧会を締めくくる。

 

絵画作品のエリアでは写真撮影はおしなべて禁止。チューリップのお部屋と光のお部屋、地下2階の南瓜の彫刻など、一部作品に関して撮影が可能であり、鑑賞者は撮影エリアに達した瞬間にあたかも義務か使命であるかのようにしてバッグからデジカメを取り出す。そういえば鑑賞者はダントツ女性が多かった。

 

チューリップに愛をこめて、永遠に祈る

 

ヤヨイ・クサマはオノ・ヨーコについで今日海外で高い評価を受けている日本女性アーティストであるだろう。そして海外でのクサマ評価には日本人アイデンティティに結び付けられたものが少なくない。モチーフの執拗な反復や非常に細かい模様を丁寧に実現したペインティングは、日本人のきめ細やかさやクオリティーの高い仕事を連想させるらしい。さらには、赤や黄色のビビッドなドットのスカルプチュアやペインティングは、ジャパン・ポップの代名詞である「Kwaii」らしさを鑑賞者に想起させるらしい。このことは、彼女の執拗な反復の表面を見つめるたび目眩や吐き気をもよおしかけている私としては驚嘆せざるを得ないのだが、たしかに、コマーシャルな日本のアートシーンにおいて、ヤヨイグッズは可愛い物として販売され、草間彌生は可愛いおばあちゃんだったりもするし、とにかくそういった作品イメージが流通しているのだから、そういうものなのだろうと諦められないこともない。

 

永遠の永遠の永遠

 

草間彌生はアウトサイダーアーティストではない。そういうことになっているし、現代アートの専門家の答えによっても草間彌生はインサイダーアーティストであるらしい。今日やや論争のある「アウトサイダー・アート」について議論することはたしかに興味深いく面白くもあるのだが、その一方でひょっとしたら無意味であり何も生み出さない行為であるかもしれないなどと、悩んだりしているため、今ここでアウトサイダーとヤヨイの関係性について言葉遊びをするのはやめておく。

 

ただし、この展覧会の第一ページを構成する白カンヴァスにモノクロのシルクスクリーンの一連の作品について、これらが草間彌生らしいとか草間彌生にしか描けないとか、そんな風に評価することは不可能だ。少なくとも私には。一緒に展覧会を訪れてくださった先生がおっしゃっていたが、ヤヨイペインティングを埋め尽くしていた、反復する顔や目のイメージ、模様、どこがはじまりどこでおわるともない画面構成は、統合失調症の精神病患者の絵描く絵のなかに一般的によく見られるイメージだそうだ。ここ数年は特に、アウトサイダーアートが注目を浴び、特定のギャラリーや美術館においてこれらを目にすることが珍しくないせいか、デジャヴの印象がぬぐいきれないのが正直な印象だ。

 

さらに展覧会は正方形を基調としたカラーのペインティングの章へと進むが、状況はさして変わらない。強烈な色彩を帯びながらしかし似通ったイメージが繰り返される。「愛はとこしえ」と「わが永遠の魂」シリーズで構成される2つの大きな部屋の作品は、ぜひ展覧会に足を運んでいただいて直接ご覧頂きたい。類まれと思われるか、デジャヴと感じられるか、二者択一であると思うからだ。

 

新作ポートレートの3枚の大きな絵画はいずれも227.3×181.8cmとかなり大きなサイズであり、2011年に製作された草間彌生の自画像である。素晴らしい存在感を放ってそこにあり、いずれも少女であるかかなり若い時分の自己が描かれている。いや、これらは過去の自画像などではなく、現在の自画像、草間彌生はこの青春であり純真である心象をなおもっているのかもしれない。

 

鑑賞者をいたたまれない気分にするのがこの展覧会の締めくくり、展覧会としていたってまっとうな構成であるけれど、製作過程とインタビューを収録したドキュメンタリー・ビデオの放映である。いったい何がそんなにいたたまれないのか。1929年生の彼女が生き続けるためになおも作り続けている姿なのか、もはや作らされているようにも見える姿なのか、これを見た直後はなかなかピンとくる言葉が見つからなかった。しかし、今、一言で言うなら「終末のイメージ」を目にした辛さみたいなものなのかもしれない。どんなにエネルギッシュであった表現者もいつかは限定された方法に閉じ込められ、他人の力を借りながら、他者の意思に侵されながら、妥協がいかなるものかを知るのではないか。それを人は「大成」とか「まとまり」とかしょうもない言葉を選んで語るのではないか。

 

大の字を3つ付けたいほどに大好きな画家にアンリ・マチスがいるが、彼が晩年、絵を描くことができなくなり、貼り絵などアシスタントが代行する制作を行なっていたことを知っても、ここまでつらい気持ちにはならなかった。それはおそらく、草間彌生という一人の女性に対する女性としてシンパシーのせいであり、同時代を生きる者として彼女の生き続けるためのエネルギーに対するシンパシーのせいでもある。

 

展覧会後。 先生、ヴィジットありがとうございました♫

02/20/12

Zani, artiste intéressée

Zaniというマケドニア出身のアーティストの作品が好きだ。Zaniは1989年にマケドニアの美術学校を卒業し、マケドニア国内でたくさんの展覧会やアートプロジェクトで仕事をした後、現在はロンドンに渡り生活している。パリでではCARRÉ D’ARTISTESというフランス各地に支部を持つギャラリーに所属し、このギャラリーのコンセプトである正方形の絵画を数多く制作している。

GALERIE CARRÉ D’ARTISTEじたい、多くの注目の現代アーティストの作品を扱う面白いギャラリーで、なんといってもの強みは同じフォルマの正方形絵画はすべて同じ価格で販売していることである。私が以前購入したのはそのうちの最も小さなフォルマで、10×10cmと15×15cmのもの。作家によっては一点ものであったり、シリーズ作品を出展している場合もあるが、すべてもちろんCertificat d’authenticité(証明書)が添付されている。取り扱いアーティストはバラエティに富んでおり、正方形というフォルマはモダンなインテリアや白い壁と相性が良いので、多くのアマチュアを魅了する潜在的なパワーをもっている。

さて、私はまだ実際のZani本人に会ったことは無い。彼女が作品を制作する際のマテリアルは、アクリル絵の具と珍しい画材のコンビネーションであることが多い。彼女が題材とするのは、人々の日常的な生活やどこにでもあるありふれた出来事。その一コマ一コマからインスピレーションを得たアーティストは、強く率直に鮮やかな色彩を伴って独特の世界を表現している。

次の作品は、「The butterfly’s pond」である。一人の女性が背を向けて池の渕に腰掛けている。遠く、女性の向こう側には白い家が並んで建っており、さらにその向こうには山が連なっているのが見える。女性は右腕を自分の頭にまわしており、ややうつむいている。手前にあるのは蝶とそして池の水だ。青い蝶は赤色の光と濃い色彩の球体の中に守られているように見え、実は女性が腰掛けているのは池の渕などではなく、その超をはらむ球体の上であるようにも見える。あるいはまた、女性の身体からその世界の中心が産み出されているかのような構図にも見て取ることができる。遠くに見える世界は妙に平坦で生気無く描かれていて、こちらで産み出される新しい鮮やかな世界と死んだような世界を対照的に描き出している。

the butterfly's pond, 15*15cm

私がいつも魅了されるのはこのアーティストの女性身体の表象である。率直に言うと、かたちそのものに強く惹き付けられる。背中から尻の部分にかかるカーブもその白いアクリル絵の具の質感もつうっとなぞられた背筋の一本のラインも、とても素敵だと思う。

そして、「Two women」は、私が数ヶ月前リールにあるCARÉE D’ARTISTESで購入したもう一つの小さな作品である。二人の女性が向かい合い、片方の女性がもう一人をうつむきながら抱き寄せている。二人の女性は茂みのような場所に立っており、そこには静かであるけれど身に染み入るような大粒の雨が降っている。

two women 1, 10*10cm

彼女のテクニックのなかで、下の層にさきに施された彩色が白のアクリル絵の具に寄って隠され、削られた部分においてのみ姿を見せるというのがよく使われる。二人の女性のお互いの身体が寄り添った部分には暖色が、外の世界に触れている互いの右半身には寒色が施されていて、けずられたボディラインがそれを明るみに出している。とてもシンプルだけれども、暖かい作品であるように思う。

彼女の所属ギャラリー、CARRÉ D’ARTISTEのサイトは以下、またZANIについての紹介ページも以下に添付した。
GALERIE CARRÉ D’ARTISTE
ZANI, ARTISTE

02/16/12

Jeff Wall展, White Cube in London

White CubeというロンドンのギャラリーでJeff Wallの展覧会が開かれていたので訪れた。White Cubeはロンドンの中心に位置するギャラリーで、これまでも何度か訪れたことがあった。一見見逃しそうなパッサージュの中を進んでいくと、まさにホワイトキューブ!と誰もが確信するギャラリーに出会える。

Jeff Wallの写真は何度か自分の目で見たことがあるはずだ。しかしどこで何をどのように見たのか思い出せない。おそらくイギリスとフランスで見たのだろうと思うのだが、中途半端に作家の名前や作品を知った気になっているとしばしばこういった信じられないことが起こる。作品を直に目にする行為とカタログやデジタルイメージで得た経験が無意識に混同しているのはとてもコワいことだ。

 

私が個人的にJeff Wallという写真家の活動について興味を持ち、カタログなどを見たり批評を読んだりするようになったのは、アメリカ人の批評家であるマイケル•フリードが2005年のパリ近代美術館 »Cahier »においてJeff Wallの作品について論じているということを知ってからのことである。マイケル•フリードはクレメント•グリーンバーグのモダニズム美術論を継承し、1960年代のアメリカにおける抽象表現主義の流れにあったジャクソン•ポロックやフランク•ステラの絵画作品、そしてアンソニー•カロの彫刻作品を擁護してきた。その一方で、ドナルド•ジャッドやロバート•モリスといったミニマリズムの芸術を「演劇的な要素を含むもの」として激しく非難してきた。

マイケル•フリードのクラッシックな主張によれば、「演劇的なものは芸術を堕落させてしまう」。(『芸術と客体性』)(1967)ここで批判された演劇性とは、作品経験の際の鑑賞者の身体を巻き込んだ演劇セットのような作品展示のあり方と、その経験に強いられる時間制であった。さらに、作品経験の本質が鑑賞者と場が関係を結ぶことのみによって成立している点のことである。フリードの理論は1960年代から現在という長い長い時を経る中で積み上げられ、変化もしてきているので、私なぞが短時間で語りうることではないので、今回は、フリードが美術における演劇性を批判的に考えていたという一言でやめておき、Jeff Wallの作品の話に入りたい。

Jeff Wallの写真はコンストラクテッド•フォト(構成された写真)である。一見自然なシーンを撮影したようであるが、実は何時間も何週間も時間をかけてよくよく構成されて、さらにはデジタル処理をほどこされ、モンタージュされて出来上がった写真である。『演劇性』とは「演劇的な性質」という意味であることからすれば、スナップショットのように偶然性を追求する写真に対して、しばしば綿密に演出されて、合成されて、よくシナリオが熟考されて、大きなフォルマで提示されて鑑賞者を引き止めてしまうJeff Wallの作品は「演劇的な」写真なのではないかと思ってしまいがちだが、先に述べた当のマイケル•フリードはJeff Wallの作品を高く評価する。このことについては、また別の機会に『演劇性』の定義とともに考えてみたい。

とにもかくにも今回、White Cube Galleryで紹介されたJeff Wall作品は大きく二つのシリーズに分けられる。一つ目はギャラリーのファーストフロアに展示された巨大な風景写真シリーズ、Siclly 2007である。

 

Ossuary headstone, 2007

ドキュメンタリー•ピクチャーズにカテゴライズされるこの作品は、墓石を取り巻く世界が刻々と年を取っていく時の流れを物語的に描いており、墓というもののもつ物質的な非永遠性と人の死の永遠的な事実をいわば対置することにより、つよいコントラストで描き出しているようにもみえる。えんじ色のタイルは剥がれ、その底から緑の草が芽吹いている。ちょうど上の方に見える別の墓石には一時的でその場しのぎでしかない非常に美しい花々が飾られている様がみえる。

Hillside near Ragusa, 2007

こちらは非常に大きな画面で構成された作品であり、ずっと向こうまで続いていく坂の向こう側は見えないが一番高くなっているところまでですら、かなりの距離があるのがわかる。丘の方に見える細かな石や手前に点々とした草花のひとつひとつが息をのむほどはっきりと写し取られている。

 

もう一つのシリーズは、New photographesというシリーズからの出品だ。あたかも日常生活における一コマを切り取ったようなシーン選択であるが、実は隅々まで綿密に計算され、演出され、準備され、合成されている。こちらからの作品を3つほど見てみよう。

Ivan Sayers, costume historian, lectures at the University Women's Club, 2009

1910年モノのイギリスの伝統的なドレスを身にまとった女性。写真はその瞬間に行われた出来事、その瞬間にそこに存在したものを記憶するが、この作品において、写真は過去と現在の間で混乱している。綿密なまでに過去の演出を施された現代写真は、もしそれが見抜けぬまでに完璧な出来映えで過去のものとして提示されたとき、一体何者になりうるだろうか。

Boy falls from tree, 2010

私がもっとも長い時間ぼーっと眺めていた作品がこちらだ。少年が木から落ちる、という作品名であり、その通り一人の少年が木から大胆に落ちている瞬間を劇的に記録した……というはずもなく、巧みに練られ、洗練された合成写真である。これを目にして考えていたことは、偶然の瞬間に潜む美を熱心に追求することで芸術活動を行っている写真家と、Jeff Wallのように計算され尽くした構成で物語を写し取っていく写真家の手法の違いについてである。前者の写真家が風景を撮影する写真家には圧倒的に多いのではないかと思うが、つまり、最高のオーロラの写真を撮るために何時間も何日もその待ちに待った瞬間を狙っている写真家がいる一方で、念入りに画面を構成し、イメージを合成し、色彩に手を加えてしまう写真家がいる。彼らはもちろん同じレースを走っているわけではないあまりに異なる手法を持っているが、普段我々が芸術を「作品」という単に我々の目の前に提示される結果として認識し、鑑賞していることを鑑みれば、このことは十分に興味深い違いであろう。

Boxing, 2011

さいごに、ボクシングをする少年を表現したこの作品もConstructed Photographesである。二人の少年の腕や身体のポジションはたしかに「本当の動き」という文脈を微妙に逸脱し、切り取られたかのようであり、不思議な印象を受ける。この印象が魅力でもあり、Jeff Wall作品の面白さなのだろうと感じる。

この展覧会は、2011年11月23日から2012年1月7日まで、ロンドンのWhite Cube Galleryにて開催された。すべての作品イメージは以下ギャラリーサイトからお借りした。

White Cube Gallery

02/6/12

Chiharu Shiota « Infinity »

Chiharu Shiota
« Infinity »
2012年1月7日〜2月18日
Galerie Daniel Templon, Paris

塩田千春の »Infinity »がパリで見られる。Centre Pompidouよりすぐのギャラリー、ダニエル•タンプロンにて2月18日までの展示が予定されている。塩田千春は現在ベルリンで活動するアーティストであり、パリでは2011年にメゾン•ルージュにおいて »home of memory »のインスタレーションを行っている。その際には、大きなドレスと部屋中に張り巡らされた黒い糸、そして400個のスーツケース作品が展示されていた。

maison rouge, home of memory
(アーティストインタビュービデオも見られる)

インタビューでも述べているように、彼女が表現の主題とするのは、不在の記憶、マテリアルが語るぬくもりや想い出、生や死や人間の感情の繊細さや普遍性であろう。つり下げられたドレスは、もうその場には居ない袖を通した人間の存在を想起させる。400個のスーツケースにはひとつひとつにそれぞれの人の旅の想い出が込められており、持ち主を失って空っぽにされて展示された400個のスーツケースは、400人の人々が過ごした旅の記憶を静かに語る巨大なアーカイブとして現れる。

塩田千春は、糸をマテリアルとして使用するアーティストである。糸は、結んだり、張ったり、切ったり、編んだりすることができ、彼女は、糸というマテリアルのこれらの性質について、人のさまざまな感情を移す鏡として認識している。

黒い糸で張り巡らされた部屋は、古い家にごく自然に時間が流れていき、そこに住んでいた人ももう居なくなってしまったけれど、その記憶とともに取り残されてしまった部屋という印象を与える。誰もおらず、何も無いのに、気配を感じざるを得ないような、強い印象を見る者にもたらす。

一方で赤い糸は全く別の印象だ。2008年、国立国際美術館で行われたインスタレーション作品『大陸を越えて』では、遺品を含む2000足の靴を赤い毛糸に結びつけた迫力ある展示を行っている。靴を使った作品では2004年の『DNAからの対話』があるが、『大陸を越えて』においては、2000足の靴それぞれに対して持ち主の靴への思い入れを綴った手紙が結びつけられているために、よりいっそう人々の思い出の集積を印象深く表現している。

Over the Continents, 2008, shoes, wool, yarn

ART IT 塩田千春インタビューより借用

 

さて、現在パリで行われているインスタレーションは、 »Infinity »、ギャラリーの空間をそのまま彼女のマテリアルである黒い糸で覆い尽くしてしまった。

古い家の不気味な蜘蛛の巣であるようで、繊細に張り巡らされた黒い糸は不気味でありながら美しく、蜘蛛の巣の中に静かに輝く3つの電球が床や壁に神秘的なまでにきめ細やかな影をつくりだしている。

3つのランプのうちの一つが他の2つのランプに対してリズムを与えているのだそうだ。ランプの点灯のリズムは、ランダムであるようにも感じられるし、言われてみればインタラクティブであるようにも見える。心臓の鼓動や脈拍が静かに空間全体にリズムを与えるかのよう。あるいは静寂の中で繰り返される呼吸であるのかもしれない。

もう一点今回展示されていた『トラウマ』という作品。これは2007年に東京のケンジタキギャラリーにおける個展『トラウマ/日常』で展示された立体作品、子どもの純白のドレスや靴といったオブジェが非常に細い黒い糸によって宙づりにされ、絡み付けられ、束縛されている。糸自体は細くてもろい存在であるのに、無数に何重にも絡み付いた糸は純白のドレス、そしてそこに秘められた記憶をその中に拘束し、そこから自由になることを許さない。

ギャラリーの一室をまるまる黒い糸で覆い尽くすインスタレーションは作家自身にとアシスタントによって3日がかりで制作されたそうだ。3つのランプが代わる代わる静かに点灯する様子をながめていると、蜘蛛の巣のような不気味な印象が遠のいてゆき、なにやら懐かしい気持ちになってくる、不思議な空間がそこにある。

02/3/12

BASELITZ SCULPTEUR

BASELITZ SCULPTEUR
30 sep 2011 – 29 janvier 2012
Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris

ゲオルグ•バゼリッツは旧東ドイツ生れ、バゼリッツは彼の出身地の名前で、本名はハンス。彼の「逆さま絵画」はどこかで見かけたことがあるのではないだろうか。画家としてのバゼリッツは、西洋伝統的絵画における慣習的パースペクティブやモチーフの意味、義務づけられた解釈を拒否して新たな形態の捉え方を模索してきた。
絵画において、人物や風景の上下を逆さにするという手法は、既存の対象の知覚方法に対する挑戦であり、この画家の強い意志は彫刻の制作においても貫かれている。

Baselitz, Self-Portrait 1, 1996

こちらは、東京国立近代美術館で2008年1月18日〜3月9日まで開催された「わたしいまめまいしたわーー現代美術にみる自己と他者」展において私が出会ったバゼリッツの作品である。
わたしいまめまいしたわ 東京国立近代美術館

kaimuckentempel, 2010

そしてこちらが、その3年後にロンドンに短期滞在した際にWhite Cube Galleryでの展覧会でお目にかかった、やはり逆さまの作品。エーグルとパイオニアの狭間に。
Between Eagles and Pioneers at White Cube gallery

初めてこれらの作品を目にした際は戸惑った。確かに逆さまなのだが、どうして逆さまなのか、だからなんなのかわからないからである。そして大きなフォルマの逆さま絵画に囲まれてギャラリーをぐるぐるしていると、この大きな逆さまなものに対して本当に私たちが正しく立っていて絵画がひっくり返っているのかどうか、仕舞にはわからなくなってしまいかねない。そこにははっきりとした転覆があるのだ。

今回パリ市立近代美術館で行われた展覧会は、バセリッツの彫刻に注目するという珍しい企画。このように絵画において「逆さま手法」で人々をはっとさせたバセリッツはこれまで40数点の巨大な木彫刻を制作しており、今回はそのほとんどが一挙に集められて展示された。バゼリッツはここでも、現代彫刻のランガージュを覆して我々に突きつけるのだ。

既存のパースペクティブへの挑戦という変わらない戦い。形態の捉え方を常に新しいものへと導いていくパワフルな彫刻。バゼリッツの彫刻はサイズが非常に大きい。太い木をそのまま材料として用い、チェンソーと斧で造形する。このプリミティブな制作方法のおかげで、バゼリッツ本人曰く、絵画で行うよりもダイレクトに新しい形態への追求の道を辿ることができるという。

斧によって形作られたトルソーは、エレガンスを拒絶し、暴力的なまでに荒削りの方法で実現されたものだ。深い切り込みに群青色の絵の具が力強く塗られている。

あるいは、鼻と胸、そして性器が赤く塗られた女性像。このモデルはバゼリッツの自伝のエピソードの中で、ノルウェーの美術館から出たところで転んでしまった際に親切に手当てをしてくれた女性だということが明らかになっている。

Le Penseur de Rodin

「ドレスデンの女たち」は、1989年から90年にかけて制作された13人の女性像だ。1945年、ドレスデンの陥落の際犠牲になった女性達の像。深く荒々しい切り込みと強い色彩によって強い感情を表現しつつも、13の像はひとつの均質的な集合へと還元されている。ここで見られる黄色という色はこれまでのバゼリッツが好んで使っていた赤や青に対してほぼ見られなかった色である。これまでは絵画でしか使用してこなかった黄色は、この作品において初めて彫刻に持ち込まれた。

Le Penseur de Rodin

そして、ロダンの考える人へ呼応する作品がこちら。バゼリッツは1996年から97年にかけて、モンドリアンらのアートに影響を受けてポピュラーアートを意識した彫刻を制作する。2000年以降には幾つかのモニュメンタルな彫刻の制作に取り組んでいる。そして最近の作品の一つに、このロダンの考える人がある。巨大なこの作品は思索している巨人の思考する「声」が聞こえてきそうな強烈な存在感とやはりロダン作品への意味の覆しを含んでいるように思う。

01/31/12

La Saisie du Modèle, Rodin 300 Dessins

オーギュスト・ロダンは「考える人/penseur」を製作した彫刻家、パリとムードンにはロダン美術館があり、彼の製作した圧倒されるほど沢山の彫刻作品を目にすることができるのだ。私がパリのロダン美術館を訪れるのは3回目か4回目。今回は特別展「ロダンの300のデッサン 1890 – 1917」を訪れた。

Musée Rodin
79, rue de Varenne 75007 Paris
http://www.musee-rodin.fr/ (仏・英)

このデッサン展では、1890年から1917年の間に製作されたロダンの様々なタイプのデッサンを目にすることができる。彫刻家として有名なロダンは生涯に10000点ものデッサンを残しており、そのうちの7000点がパリのMusée Rodinによって所蔵されている。エチュードのためのデッサン、彫刻のプランとしてのデッサン。紙に描かれたデッサンは保存の都合上、なかなかまとめてお目にかかることができないので、今回こんなにも多くのデッサンがテーマに沿って公開されているのは、ロダンの身体の捉え方を知る上で非常に逃すことのできないチャンスと言える。

ロダンのデッサンは生の真なる姿というものを、できるだけ親密な方法でで描写したい、という欲望に基づいて制作されている。たいていのデッサンは、繊細な鉛筆の線で一筆書きされ、たったの数分で完成されてしまったものが多いのだ。その輪郭線は限りなく洗練されており、生の躍動感を巧みに表現している。鉛筆によるデッサンの上から水彩画材で彩りを与えられて、ロダンのデッサン作品は完成する。人間の身体をどのように捉え、表現の中でどのようにその動きを表すことができるのか、これがロダンデッサンの確信である。

この展覧会は、おおよそ年代順にロダンが取り組んだテーマと方法について章立てが構成されていた。自然=女性の裸体を生の姿として描く姿勢は、ロダンのキャリアの中で一貫して変わらない。展覧会はしたがって、自然をテーマとしたデッサンから始まり、即興的なデッサン、トレーシングペーパーを使用したデッサン、切り絵と貼り絵のデッサン、そして1900年以降のデッサンへと進んでいく。この前半の展開で興味深いのは、ロダンが彫刻の視点をあらゆる芸術表現行為に対しても貫いているということが見て取れる点である。女性の身体のラインは決してぼかされてはいないにもかかわらず、非常に繊細である。うっすらと白く一色塗りされ、限りなく簡略化されたかたちは、身体のかたちを独自の視線で追求したまったく新しい表現である。境界がはっきりとして極限まで単純化された美しいかたちは、マチスがめざした形態の単純化とも似ている。

後半のデッサンは、繰り返される幾つかのテーマ、例えばブルーのチュニックを着た女が紹介される。あるいはまた、動きをどう描くのかという問題意識に基づき、ダンスの主題がとりあげられ、1907年以降はさまざまな神話的逸話やメタモルフォーズをテーマにしたデッサン、愛を司るプシュケを数多く描いている。そして、親密な関係にあったモデルの存在がロダンに多様なポジションでのエチュードを可能にした、性の描写のデッサン群が提示される。

avant la création

グスターヴ・クールベの「世界の起源/L’ORIGINE DU MONDE」(1866)をイメージさせる、AVANT LA CRÉATIONは、つまり女性の露出された性器を鮮明に描き出している。ロダンはこの他にも数多くの女性の性器を描いたデッサンを残している。しばしばこのように露出したポジションで、あるときはモデルの手によって部分が隠された状態で。この女性の性器を描くというテーマは、ロダンにとって、最もミステリアスで秘められており、それゆえに我々の身体をもっとも本質的に表現するための主題であった。

deux femmes nues

このような色彩感がロダンのデッサンを印象づける典型的なものである。輪郭を綺麗に切り取ることができそうなほど完成されたフォルムの上に、よくのばされた水彩絵具で飾られている。不思議な印象と強さを感じる。ロダンはこの色彩をモデルの身体から即時に感じ取り、そのデッサンの輪郭線に素早く色をおいていった。生き生きとした色彩は自由自在に鉛筆の線の上で遊び、独特の雰囲気を作り上げている。

fleur de sommeil. jeune mère embrasse son entant

こちらは1900年の作品。かなりのばされた水彩絵具をデッサンに重ねてある。その散り方は水墨画のそれを思わせる。このデッサンは、 »Fleur de Sommeil » の彫刻作品のもととなったものである。見るものの目を奪ってしまう、女性の顎から胸にかけての大きなシミは、ロダン自身によって意図的に与えられたものであると解釈されている。芸術家としての制作過程における偶然性を重要視を鑑賞者に暗示するためである。
ロダンの作品は彫刻においてもデッサンにおいても、しばしばタイトルが後付けされている。周りの者によってつけられることすらある。ロダンにとって本質的なのは、名前を与えて作品を作ることではなく、もともとそこに存在するnatureから正確に意味を読み取ることであるという。この点は、ロダンが彫刻の複製やデッサンにおける偶然性や即興性を重視し、近代的芸術概念からの飛躍を感じされる一方で、やはり依然として近代的なものを感じてしまう。
 今度またゆっくり考えてみよう。