09/5/16

Materiality Immateriality, Exposition à Kyoto. Immatériaux, après…

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Matteriality_Immateriality_B

08/15/16

『ありあまるごちそう』あるいはLe Marché de la Faim

本テクストは、『有毒女子通信』第12号 特集:「食べないこととか」(2013年刊行)のために執筆・掲載した食と産業についてのエッセイです。庭で赤くなるまで太陽を浴びたトマトがなぜこんなにも美味しいのかと反芻することは、グロテスクな口紅のようなピンク色のトマトの、それらもまた食べられるべくしてそれらを基盤として生計を立てる人々の関係から関係を通って、我々のフォークを突き立てるその皿にスライスされて登場するにいたっているということを了解した上でもなお、それを摂取することへの苦痛を催すきっかけとなる。あるいは、食物がクリーンであることへのオブセッションや、それが肉体に与えうる恩恵や損害を思うとき、ひょっとするともう何ものも摂取することができないのではないかという恐れと、いっそのこと一切の執着を捨てるのが良かろうとする相反する二つのアイディアの板挟みになるかもしれない。

環境においてのみ生きる我々が、それを望むエッセンスのみに収斂することなど叶わず、同時に思うことを放棄することもまた叶わないことを、どこかで直観しているにも関わらず。

『ありあまるごちそう』あるいはLe Marché de la Faim
大久保美紀

We Feed the Worldは、オーストリアの作家・映画監督のエルヴィン・ヴァーゲンホーファー(Erwin Wagenhofer, 1961-)の撮影による長編ドキュメンタリーである。2005年の初上映以来、ドイツ、フランスを始め、ヨーロッパ諸国で反響を呼び、日本でも字幕を伴って 『ありあまるごちそう』 というタイトルで上映された。映画は、食糧生産やその廃棄に携わる人々の日々をありのままに伝え、彼らの率直な言葉と労働の現状を淡々と映す。あるいは、 「世界は120億人を養えるだけの食料を生産しながら、今この瞬間にも飢餓で死ぬ者がいる。この現実は、殺人としか言いようがない」と 当時国連の食糧の権利特別報告官であったJean Zieglerが憤慨し、他方、遺伝子組み換えの種子開発の最先端を行き、世界の食糧大量生産を支えるネスレの元ディレクター、Peter Brabeckがこの世界の行く先を語る。

 この映画を見て震え上がり、明日の食卓をゼロからの見直し決意し、スーパーの安価な魚や鶏を貪るのを断念し、最小限の消費と廃棄を誓って、貧しい国で今も飢える幼子の苦しみに心を痛める、ナイーブで心優しい鑑賞者を前に、「この偽善者め!」と言い放って彼らの気を悪くするつもりはない。しかし、その程度のインパクトに留まるのなら、このフィルムは所詮、これまで幾度となくマスメディアが特集し、ドキュメンタリー化し、国際社会が早急に取り組むべきだと声高に叫ぶその問題を描く無数の試みの水準を逸することなく、今日の世界を変えはしないだろう。我々は、もはや聞き飽きてしまった問題を別の方法で聴く努力をするべきなのだ。そのことより他に、不理解という現状を乗り越える術はない。

 さて、We Feed the Worldはヨーロッパの食糧問題に焦点を当てたドキュメンタリーである。ヴァーゲンホーファーはまず、最重要の食糧であるパンの生産と廃棄に携わる人々の声を聴く。十年以上の間毎晩同じルートを往復し、トラック一杯のパンを廃棄場に運ぶ男は、時折、年配者の厳しい批難に遭う。彼が廃棄するのは、少なくともあと二日は食べられるパンである。年間に捨てられる何千トンのパンで救える飢餓民を想像せよという憤りは勿論理解可能だが、豊かな国で過剰生産されたパンはいずれにせよ廃棄される。そこに在るのは、「 あなたはこのパンを買うか、買わないか」という問いのみだ。我々の無駄な消費の有無に関わらず、店には常に品物が溢れて大量のパンが捨てら、そのことはもはや、我々の行為と直接的因果関係を持たない。
 トマトを始めとするヨーロッパ産の野菜の多くは、その生産をアフリカ人移民の低賃金労働力に頼っている。国産の三分の一という破格で農産物を売りつけるヨーロッパ諸国のダンピングはアフリカの農業を破綻に追い込み、彼らを不安定な移民労働者にする。
 ついさっき生まれたばかりのひな鳥が養鶏場から屠殺・加工工場へ送られて行くシーンは、このドキュメンタリーのクライマックスと言える。にもかかわらず、一切の付加的演出がないどころか、ブロイラーと加工場労働者は、短期間・低コストで若鶏を生産し、効率的に加工するメカニズムの情報を我々に与えるのみである。詰め混まれた雌鳥の中に数羽の発情期の鶏が放り込まれ、たった数秒で雌と交尾を済ませる。産み落とされた卵は大きなマシンに回収され、40℃の温かい構造の中で数日保存された後、数十日後の屠殺を予め運命づけられた雛が殻を突き破る。雛鳥の小さな足ですら足の踏み場がない場所にどんどん詰め込まれ、飼料を頬張って成長する。「鶏には暗闇に感じられ、動物のパニックを避けることが出来る」と屠殺業者が説明する青い光の中で、鶏は撲殺から鶏肉パックになるまでのベルトコンベアーに乗る。ハンガーのような機械に両脚を引っ掛けて宙づりされ、撲殺、脱羽機をくぐり抜け、頭と両脚を失ってパックされる。

 ある日理科の授業で眼球の構造を学ぶため、少し生臭くなった牛の目の解剖をし、子どもたちの多くがその日の給食で「もう肉は食べられない」と言って残した。ならば一生食べなければよろしい。そう心の中で呟いた。
 フランスでは年に一度、ヨーロッパ最大の農業国としてのこの国のパワーを眩しすぎるほど誇示するイベント、国際農業見本市 が開催される。食肉業者も数多く出展し、1600キロもある巨大な肉牛や可愛らしい子豚などの食用動物が日頃動物など目にすることのないパリジャンの大人と子どものアイドルとなる。見本市は商品販売を同時に行っており、立派な食用動物がちやほやされているすぐ隣には、おぞましい様子で飾り立てられた最高品質の肉が販売されている。(写真1)フランスは飽食の国である。さすがは食糧自給率が120%の国だ。マルシェがたたまれた後の午後は大量の野菜や貝などが置き去りにされ、レストランで大盛りの御馳走を平らげることを皆あっさりと諦め、食べ物は余るくらいで丁度良く、食べ物のケチは悪徳である。
 日本人は、「もったいない」の精神を歌い、食べ物を粗末にしたがらず、ビュッフェレストランですら余分にサーブしないよう注意され、生ゴミを極力出さない食材使いを提案する料理をオシャレで「粋」と見なす。ひょっとすると、世界の他の先進国と比較しても食物の扱いに敏感だ。だからこそ、それが全くの事実であるにも関わらず、一人当たりの食糧廃棄量が世界一と批難されても全くピンと来ない。背景には問題の根本的な不理解がある。なぜ、日本語のタイトルは『ありあまるごちそう』なのか。わざわざ平仮名表記し、飢えるアフリカの子どもをキュートなイラスト化して、かわいらしい演出で「食の社会見学」と銘打つのはなぜか。態度の端々に滲むもの全てが、問題に対する我々の無関心と、世界現状の因果に自分が無関係だという認識を暴露する。(写真2)我々は、表層的なエコの賛美歌を熱唱し、欺瞞に満ちた「地球に優しい市民」を演じるのを直ちにやめ、それが途方もない狡猾な悪であるために、皆がこぞって我々の認識から乖離させようと必死になっている巨大なメカニズム、産業構造そのものを凝視せねばならない。食糧廃棄の構造的カムフラージュに甘んじる時代は終わった。
 ちなみに、フランス語タイトルはLe Marché de la Faim(飢餓市場)、世界全体が飢餓を生産する巨大な歯車の部品である。それは、我々が日々恩恵を受ける構造そのものへの懐疑であり、ハイブリッド野菜が地力を貪り尽くした畑に立つ男は、引き過ぎた手綱を緩めることを我々に問う。「ヒヨコが可哀想」などと戯言を言っているヒマは、本当はない。

“We Feed the World”(2005) by Erwin Wagenhofer, 96分, Allegro Film
http://www.we-feed-the-world.at/index.htm

写真1
ありあまるごちそう2

写真2 『ありあまるごちそう』チラシ(2011)
ありあまるごちそう1

07/13/16

nature morte: éponge, lunettes, verre et collier

 

 

 

 

 

 

Nature morte, le 11 juillet 2016, Normandie

Miki OKUBO, modifié par Floriannature morte miki florian

11/24/15

Conférence : Intimité dans la création sonore et les nouveaux médias

(À PARTAGER)

Bonjour à toutes et tous, 

J’ai le plaisir de vous inviter à la conférence de Hiroshi YOSHIOKA, philosophe et professeur en Esthétique à l’Université de Kyoto, sur la réflexion sur l’intimité dans la création sonore et les nouveaux médias. Dans cette conférence, Hiroshi YOSHIOKA abordera le sujet de voix de synthèse dans la création sonore en présentant des artistes concernés tels Miku Hatsune et The Formant Brothers. Il analysera également le système de Siri à propos de la notion d’intimité.
Cette conférence sera suivie par la discussion avec Sophie Daste, artiste et chercheuse des espaces de fiction généré par les nouveaux médias.

Vous trouverez en pièce-jointe les informations.
La conférence dura une heure + une discussion avec Sophie Daste et le public. Je serai heureuse de vous accueillir le mardi 1 décembre à Paris 8.

Cordialement, 

Miki OKUBO

(宣伝お願いします!)

12月1日12時より吉岡洋さんの講演およびソフィ・ダストさんとのディスカッションを行ないます。「音楽創作とニューメディアにおける親密性」がテーマです。私たちの現代生活は様々な「声」に取り囲まれています。電車のアナウンス、電話のメッセージ、Siriなんかもあります。チャットや電話ですら、電子的に媒介された「声」です。よく考えてみると、実は私たちは肉声よりも電子的な声を聞くことのほうが多いのかもしれません。それらの声は人間の声を模倣するか電子的に作られたものですが、我々はそのような「声」に親近感を抱きもする。Siriやボーカロイドに人格を感じもする。
さて、来週火曜日、お昼からです。1時間半くらいを予定しています。パリにいらっしゃる方どうぞお越し下さい。お待ちしています。ご質問あれば連絡ください。
大久保美紀

Hiroshi Voix 20151201 Paris 8 のコピー

11/15/15

MOMENTS de JEAN-LOUIS BOISSIER

MOMENTS de JEAN-LOUIS BOISSIER

@Centre Pompidou, Cinéma 2
Lundi 16 Novembre, 19h
https://www.centrepompidou.fr/cpv/resource/cyXpbr7/rMbpa9x
メディアアーティスト、ジャン=ルイ・ボワシエのポンピドーセンターでの講演会、MOMENTS de JEAN-LOUIS BOISSIERが明日に迫っています。明日、ポンピドーセンターは開館しています。カンファレンスは19時から入場無料です、ぜひお越し下さい。ボワシエは、写真、映画、ヴィデオ、コンピュータ、CD-ROM、iPhone/iPad… 多岐にわたるメディアを通じて、インタラクティヴィティと遊戯性に関する作品創作を続けてきました。現在彼が名誉教授であるパリ第8大学は、現在のサン・ドニに移る以前、多様な実験的な芸術表現の追求の最先端の場所であったヴァンセンヌにありました。彼が多くのドキュメンタリーやシネマの実験を行なったのも、ヴァンセンヌでした。
明日のカンファレンスでは、彼の歩んできた半世紀近い »Itinéraire »を追体験するまたとない機会であり、歴史的重要な資料である彼の写真や未公開の映像作品なども初めて公開されます。
私自身、映画の中に少し出演させてもらっています。どうぞお越し下さい。
La conférence de Jean-Louis Boissier où nous découvrirons son parcours de (presque) une demie siècle, son expérimentation photographique, cinématographique et documentaire que nous verrons pour la première fois… Le Centre Pompidou sera ouvert au public demain. Venez nombreux pour cette conférence inédite !

16 nov JLB-1
16 nov JLB

10/4/15

Nuit Blanche 2015

Félicie d’Estienne d’Oves et Julie Rousse
EXO (installation)
@Espanade du millénaire Aubervilliers

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Encore Heureux
Extinction (installation)
@Square Claude Bernard
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Sinato+ARCHIRR+Izumi Okayasu
Spectrum (Installation)
@Tunnel piétonnier de la Gare Rosa Park
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Keita Mori
Bug Report (Dessin)
Terrain d’éducation physique Archereau
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@Centquatre-Paris
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09/22/15

ディン・Q・レ「明日への記憶」/Dihn Q.Lê: Memory for Tomorrow

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森美術館で開催中のDihn Q.Lê: Memory to Tomorrow展(ディン・Q・レ「明日への記憶」,http://www.mori.art.museum/contents/dinh_q_le/)を見ました。ディン・Q・レはベトナムの伝統的なゴザ編みから着想を得た、写真のタペストリー「フォト•ウィービング」シリーズ(Photo waving series)で世界から着目されました。ベトナム戦争やハリウッド映画という象徴的イメージを自国の伝統工芸品の手法によって作品として織り成し、イメージは溶解、混合、再構成され、鑑賞者の前に再び突きつけられます。
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また、象徴的イメージを50メートルにも引き延ばした写真作品では、もはやそこに何が表象されていたのか分からないにも関わらず、マテリアルである写真はなおもそこにあり、何かを現し続けるという矛盾が生じている。
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ヘリコプターは実は、第二次世界大戦時には軍事に実用されなかった乗り物である。無論、1900年代初頭にフランスのモーリス•レジぇらが開発に成功しており、大戦末期に米軍が試用した実例はあるものの、実用化は1950年代以降、ターボシャフトエンジン搭載後のことで、さらに補助任務に留まらない本格的運用は、ベトナム戦争が初めてなのである。
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1964年ケネディ政権、1965年からのジョンソン政権のアメリカ政府が大規模介入を行なう。地上戦の険しさより、上空からの部隊展開を行なったのだ。これ以降ヘリコプターは地上戦が困難な際の主力兵器としての地位を獲得する。北ベトナム軍は山地を逃げ、ヘリコプターがこれを追う。軍人だけではない。一般の村民もまた、この上空からの脅威に怯えた。
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ディン・Q・レのヘリコプターに関わる作品は、ベトナム戦争の象徴的兵器としてのヘリコプターが人々の心に刻まれたトラウマとなっている事実と、それは今日農業を助け、人々の生活を格段に楽にする道具としての可能性を訴える人々のことばを三枚の連続するスクリーンに投影する。それぞれの思い出と、パロールと、ヘリコプターの脅威と可能性は、混ざり合い、拮抗して、流れる時間のことを考えさせる。
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枯れ葉剤の及ぼした健康被害は重大である。除草剤の一種でダイオキシン類を非常に高い濃度で含む薬品である。1961年から75年まで散布され続けた。1969年には明確に先天性奇形の出産異常が確認されていたにも関わらず、75年まで散布され続けたのである。
日本で分離手術を受けたベトちゃんドクちゃんで知られる結合性双生児のような癒合した双生児が数多く出産された。ディン・Q・レはこれに焦点を当て、Damaged Gene(1998)と名付けられた公共プロジェクトを発表。
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「人生は演じること」という作品は、それが日本人の軍服オタクの青年の<アイデンティティ探求>に関わる表現行為、と説明されるものの、そして数あるディン・Q・レのユーモアのエスプリが効いた作品であると納得しようと試みたとしても、喉に何かが詰まってうまく、飲み込むことができない。戦争も大災害も悲劇の記憶も、明日に向かって、明後日に向かって、そして百年後に向かって、その直接的な傷痕と、もだえるような痛みは風化されるのだろう。そしてそこに、物語が付与されたり、憧れる者が語り継いだり、共感する者が哀れみ続けたりすることによって、「明日への記憶」が形成されていくだろう。この作品を見ることは、容易くはない。
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09/21/15

鈴木理策「意識の流れ」展 / Risaku Suzuki Stream of consciousness

鈴木理策さんの個展「意識の流れ」は東京オペラシティーであと2日、9月23日まで開催中です。

ウェブサイト:http://www.operacity.jp/ag/exh178/

鈴木理策さんは80年代より大判の写真作品で知られ、とりわけ熊野を撮影した写真や海や山などの自然を限りなく鮮明に、しかしそれは絵画のようにも映像のようにも見える作品を制作しています。今回の展覧会では写真作品が100点、映像が3点と大きな規模の回顧展と言える展覧会だと思います。
写真はいつから、ボケていてはいけないことになったんでしょうね。隅々まで鮮明に、できるだけ遠くを、できるだけ近くを、っというオブセッション。しかし我々の視野はもっとざっくりとしたもので、見えているけど見ていないものだらけだったりします。ぼうっとながめているとき、それらはぼやけているでしょう。焦点があっていない時だってあります、だからこそ写真の展覧会ではそのつややかな表面に、『ウォーリーを探せ!』と言わんばかりに塗り籠められた細部を見るのに大変疲れてしまうのです。
鈴木理策さんの写真は、そのピンぼけと鮮明さの両極の特徴で知られています。たしかに、「自然」に感じられるイメージという印象がある。自然に、というのは、がんばったり抵抗を乗り越えたりしなくてもよい、というような意味です。
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08/15/15

Demande de participation (3 min !) / アンケートのお願い (3分くらいで♥)

Chers amis,
Je vous remercie infiniment pour votre participation à cette petite enquête que je prépare pour un workshop de la création autofictionnelle (sur la question de l’archive et de l’exposition de soi) !
Le jeu est très simple.
1 Choisissez 3 portraits qui vous plaisent plutôt.
2 Notez le numéro des portraits et choisissez 5 mots qui correspondent à chaque portrait choisi dans la liste ci-dessous.
3 Pensez à choisir les mots différents des autres participants, pensez à choisir même les portraits originaux par rapport les choix des autres.

La liste vocabulaire:
brillante, raisonnable, égoïste, extravertie, sincère, généreuse, modeste, altruiste, sensible, prétentieuse, inventive, tranquille, cordiale, consciencieuse, audacieuse, responsable, directe, détendue, sérieuse, maligne, stressée, active, dominante, bavarde, serviable, chaleureuse, instable, ordonnée, attirante, créative, méticuleuse, heureuse, hypocrite, souriante, optimiste, ambitieuse, mûre, entreprenante, fière, ennuyeuse, amusante, exigeante, intolérante, autoritaire, impitoyable, violente, naïve, débrouillarde, tenace, perfectionniste, affectueuse, solitaire, prudente, fragile, émotive, étourdie, fiable, volontaire, sympathique, sociable, agréable, arrogante, superficielle, attentive, agressive, impulsive, jalouse, lâche, sûre de soi, triste, avare, timide, réservée…

Si nous sommes ami sur Facebook, envoyez moi votre réponse par message ou répondez moi si vous avez reçu mon e-mail. Si on n’est pas ami sur Facebook et si vous pouvez répondre à cette enquête, envoyer moi votre réponse par message au compte facebook de Miki Okubo. Merci. Je vous remercie cordialement pour votre temps.(les photos plus grande taille sont après le texte japonais)

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ご協力いただける皆様へ
現在アーカイブと自己表象に関連し、オートフィクションの作品づくりのワークショップのために、アンケートを実施しています!ご協力いただけましたら大変たいへん助かります。よろしくおねがいします!
方法はたいへんシンプル!
1 気になる証明写真を3枚お選びください。
2 その証明写真の番号をお書きの上、それぞれの写真に対し、下の語彙リストから、その証明写真を説明する5つの語彙をお選びください。
3 参加者の皆さんが色々な語彙を選んでくださったほうがおもしろいです。さらには証明写真自体も他の方と違うと思われる写真を選んでくださったほうが面白いです。

語彙リスト:
聡明、合理的、エゴイスト、外向的な、誠実な、優しい、謙虚な、愛他的な、感受性豊かな、うぬぼれ屋、創意に富む、静かな、親切な、良心的な、勇敢な、責任感ある、直接的な、和やか、真面目、抜け目のない、ストレスフル、活動的、支配的、おしゃべり、世話好き、熱心な、不安定な、きちっとした、魅力的、独創的、細かい、幸せそうな、偽善的、にこやかな、楽観主義、野心的、成熟、進取の気性、高慢、面倒な、面白い、大げさな、忍耐力のない、いばった、無情な、暴力的な、お人よし、機転のきく、頑固な、自発的な、感じの良い、社交的、雰囲気の良い、傲慢な、うわべだけの、注意深い、攻撃的な、衝動的な、嫉妬しやすい、意気地なし、自信満々、悲しげ、ケチ、恥ずかしがり屋、控えめな

Facebookでお友達のみなさま、Facebookのメッセージに皆さんの回答をお返事いただけますと嬉しいです。またe-mailでお受け取りのみなさんはそのままメールでお返しください。いずれでもないけれどもご協力いただける方は、FacebookのMiki Okuboまでメッセージくださいませ。お忙しい中大変失礼いたしました。ありがとうございました。

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07/28/15

La Manie d’Abruti par Mike MaKeldey @la Galerie Da-End

Mike MaKeldey « La Manie d’Abruti »
La Galerie Da-End, du 8 janvier au 28 février 2015

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酷いタイトルの展覧会なのである。しかしそれも戦略的な。
La Manieは日本語で「マニア」と訳される言葉である。つまり偏執とか偏愛とかいう。Abrutiはオロカモノ、とかいう感じである。愚かしさへの偏愛とか、オロカモノへの偏執などといった雰囲気を感じていただければと思う。

1973年フランクフルト生まれの画家、Mike MacKedleyは独学の画家であり、伝統的ポートレートを(彼の展覧会タイトルを尊重するならば)愚かしさへの偏愛によって異化させる、そんな実験的絵画を模索している。

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ご覧頂けるように、ベースとなるのは極めて伝統的でクラシックな絵画である。その表面はブラシで一定方向に流されており、それゆえそのイメージはぼんやりとして、境界線が溶け出したような印象を与える。そこに、画家は場違いの存在、エイリアン的なものを描き込む。描き込まれる奇妙な生き物やオブジェ、言葉によって何であるか同定しづらい形態は、文脈を逸脱している点で「オロカモノ」の要素を構築しているに違いないのだが、境界線がとかされるリアリズムの絵画を自明のものとして観るのを止めるとき、つまりそこにあるヒエラルキーを一度なし崩しにするとき、その異物こそが画面において支配的であることを認めずにはいられない。

形態そのものを変形させているのではないにせよ、日常的なものに対する、我々のヴィジョンをラディカルに変容させる試みは、フランシス・ベーコン的なものの影響であるに違いない。

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重ね合わされるタブロー、つまり重ね合わされた存在と時間、重なり合ったそれらが境目を溶け合わせるとき、ひとつのヴィジョンは壊され、あたらしく別のヴィジョンが作り直される。あるいは、生成中の絵画を垣間みるかのような。

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