05/10/13

Conférence de Hiroshi YOSHIOKA / 吉岡洋 講演会 @Ensad, Paris

Conférence (en anglais) par Hiroshi YOSHIOKA

EnsadLab/EMeRI, en coopération avec l’Université Paris 8 — Cycle « Le Japon des nouveaux médias »
Mercredi 29 mai 2013, 18h30, amphi Rodin, EnsAD, 31 rue d’Ulm, Paris 5e (site d’Ensad, plan ici)

*Entrée libre, sans réservation! Vous êtes tous les bienvenus !!!

2013年5月29日、パリのエンサッド(Ensad)において、エンサッド•パリ第8大学主催、ジャン=ルイ•ボワシエの紹介による吉岡洋講演会を行います。入場自由、18時30分開始、是非お越し下さい。講演は英語、ディスカッションは英語、フランス語、日本語(など)可です。ご質問などございましたらこのブログを通じてご連絡ください。

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When Interaction Reaches the Critical Point
The development of media technology normally parallels with the sophistication of the artificial world. In my thought, however, the most potentially significant impact of media technology on our worldview is that it radically refreshes our understanding of « nature, »  by blurring a conventional borderline which seems to have been sharply drawn between the natural and the artificial. The use of the computer in the science of complex systems, for example, does not aim at creating the exact simulation of a natural phenomenon, but it means to lead us to a deeper understanding of nature by revealing limitations of the numerical simulation. The important thing is not to overcome limitations but to focus on an interaction between nature and our intelligence. This is also the case with artistic attempts employing media technology. What we usually call « interactivity » actually means an accelerated (or « real-time ») chain of actions and reactions, which specifically cannot be distinguished from traditional understanding of « (re)action. » How, then, can we describe what we should call truly « interactive, » a framework to understand a human activity merged with media technology?  In my presentation, I will try to describe such a conceptual framework in the context of contemporary Japanese society and culture after the Great Tohoku Earthquake and the Fukushima Nuclear Disaster.

 

Quand l’interaction atteint un point critique
Le développement de la technologie des médias est vu comme parallèle à la sophistication du monde artificiel. Selon moi, cependant, l’impact potentiellement le plus significatif de la technologie des médias sur notre vision du monde est qu’il renouvelle radicalement notre compréhension de la notion de « nature » en brouillant la limite conventionnelle qui semble nettement tracée entre naturel et artificiel. L’usage de l’ordinateur, notamment dans les sciences des systèmes complexes, ne vise pas à créer la simulation exacte des phénomènes naturels, mais nous conduit à une compréhension plus profonde de la nature en révélant des limites de la simulation numérique. La chose importante n’est pas de surmonter ces limitations mais de se concentrer sur une interaction entre la nature et notre intelligence. C’est aussi le cas des tentatives artistiques qui emploient les technologies des médias. Ce que l’on nomme ordinairement « interactivité » signifie une chaîne accélérée (ou « en temps réel ») d’actions et de réactions, qui ne peut pas être spécifiquement distinguée de la compréhension traditionnelle d’une (ré)action. Comment, dans ces conditions, décrire ce que nous pourrions véritablement nommer « interactif » ? Un cadre pour comprendre les activités humaines confondues avec la technologie des médias ? Il s’agit alors de tenter de décrire un tel cadre conceptuel dans le contexte contemporain de la société et de la culture japonaises, après le grand séisme du Tôhoku et le désastre nucléaire de Fukushima.

 

pastedGraphicHiroshi Yoshioka

Born in Kyoto in 1956. Professor of Aesthetics and Art Theory at the Graduate School of Letters, Kyoto University.  He is the president of Japanese Association of Semiotic Studies.  His books(Japanese) include The Present Tense of Thought: Complex Systems, Cyberspace, and Affordance Theory, Kodansha, 1997 and Information and Life: The Brain, Computers, and the Universe, with Hisashi Muroi, Shinyosha, 1993.  As well as being involved in the planning of exhibitions, such as Kyoto Biennale 2003 and Ogaki Biennale 2006, he has served as ICOMAG (The International Convention on Manga, Animation, Game and Media Art) Chair for three consecutive years.

Hiroshi Yoshioka
Né à Kyoto en 1956. Professeur d’esthétique et de théorie de l’art à l’École doctorale de la Faculté des lettres de l’Université de Kyoto. Il est président de l’Association japonaise d’Études sémiotiques. Ses ouvrages (en japonais) incluent : Le Temps présent de la pensée : Système complexe, cyberespace, et affordance, Kodansha, 1997 et L’Information et la vie : Cerveau, computers et univers avec Hisashi Muroi, Shinyosha, 1993. Il s’est occupé de divers projets d’expositions, comme la Biennale de Kyoto en 2003 et la Biennale d’Ogaki en 2006. Il a présidé trois années consécutives l’ICOMAG (Convention Internationale des mangas, animations, jeux et arts des médias) à Tokyo.
05/10/13

「わたしの母」がアートになるときー1.ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)/ »Ma mère » en tant qu’art – 1. Sophie Calle « Rachel, Monique » 

この記事は、二回続く『「わたしの母」がアートになるとき』の第1回である。
第1回 ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品)

 

じつに幅広い主題が「アート」になりうる今日この頃、「母がアートになってたまるか!」と文句を言う人はもう誰もいない。そもそも現代アートはアーティストのありとあらゆる私事で占拠されている。愛する恋人とのラヴ•ストーリー、赤裸々な独白、個人の政治主張やスローガンのアート化、芸術的手法で綴る自伝。その様々な私事の中に家族を扱ったアートがある。家族は言うまでもなく自分という存在の最も近くにいる人たちであり、「私」について考え取り組むアートがそれを主題にすることは自然な成り行きなのであろう。自分と家族のストーリー、あるいは子どものこと、祖父母のこと、両親と自分の関係のこと、そして、父のことと母のこと。世界にたった一人であり、その人でしかない「わたしの母」がアートになる事態について考えてみることは、現代アートにおける私物語の実態を理解するためにも重要である。

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

当ブログでもしばしば参照されているパリ生まれのフランス人アーティスト(1953年生れ)ソフィ•カルもまた、母をアートにした作品を発表したことのあるアーティストの一人である。現在ソフィ•カルは東京品川区の原美術館で「ソフィ•カルー最後のとき、最初のとき」という展覧会(盲目の人が最後に見たイメージを質問し、その証言に基づいてソフィ•カル自身が写真やテクストでその時の物語を再構成した「最後に見たものの」とイスタンブールに住みながら海を見たことのない内陸の人が初めて海を眺めこちらを振り返った表情を捉えた写真という独立した二つの部分で成る)を行っており、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれない。(本作品については、パリのギャラリーEmanuel Perrotinにおいて展覧会が行われた際、本ブログでもレビューを書いた。記事は日本語とフランス語で掲載されている。(Sophie Calle / ソフィカル:見えることと見えないことをめぐる3つの対話 1986~2011年, Sophie Calle : À Propos Du «Capable De Voir» Et De L’«Incapable De Voir») 本記事で取り上げるのは別の作品、2012年7月、アヴィニョンのアートフェスティヴァルにおいてセレスタン教会で行ったパフォーマンス•インスタレーション作品『ラッシェル、モニック』(Rachel, Monique, Eglise des Célestins, Avgnon, 2012)である。彼女の母は2006年に亡くなった。亡き母の残したたくさんの日記帳の中から選ばれた16冊の日記を娘であるカルがヴィジターを前にして朗読する。(当インスタレーションは2010年10-11月にパリのパレ•ド•トーキョーで先行して行われた。)

16冊の日記帳は1981ー2000年の20年間にわたって彼女の母親自身によって付けられたものである。それぞれのテクストは多くの人の日記がそうであるように、短く断片的で、親密であり、熟考して書かれたものではない。インスタレーションのタイトル『ラッシェル、モニック』は彼女の名だが、彼女は3つの名前の他にも、Calle, Sindler, …複数の名前を持っていた。ラッシェル、モニックの他にもたくさんの名前で彼女は存在し、全てが彼女の名である一方、あたかもある日は異なる人物としてその日を生き、また別の日は別の人物であるかのように、生きた記録を日記帳に綴っていた。その複雑な人格は娘のソフィ•カルにとっても必ずしも理解可能なものではなかったと思われる。彼女の母親は、日記の中だけでなく現実に恋多く忙しい人生を送っていたようだ。教会には日記の朗読をするアーティストの他に、ヴィデオや写真が展示され、あるいは遺品であるオブジェや彼女の残したテクストも公開された。教会の床には墓石をイメージした大きなフォルマの長方形のプリントが一列に並べられた。実は、このインスタレーション自体がヴィジターである赤の他人を巻き込む大掛かりな葬送プロジェクトなのである。

Eglise des Cléstins

Eglise des Cléstins

なぜ「わたしの母」の葬送の事をアヴィニョンのフェスティヴァルを訪れるたくさんの観客とシェアする必要があるのだろうか。そして、2006年に亡くなった母の葬送の事を2010年にパリで行い、なぜもう一度(あるいは今後も)繰り返さなければならないのだろうか。その答えは実はとてもシンプルである。そのことをアーティストのソフィ•カルが自分のために必要としており、同時に、鑑賞者がその儀式を覗き見る喜びはそれをアートとして成立させるために十分なのである。(ちなみに、彼女の母の本当の墓は、パリのモンパルナス墓地にあり、その墓碑銘には »Je m’ennuie déjà./もう退屈。 »と綴られている。なんてこった。)

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

いったい、死者の日記を読むという機会があるものだろうか。その本来ならば決して知られることのない他愛の無い日常の情動を事細かに生き生きと耳にする機会があるだろうか。ないことはない。我々は普段から、著名人の書簡や歴史の重要資料としての手記や手紙を本の中で、美術館で、図書館の書庫で、あるいはドキュメンタリー番組で、常日頃盗み見、盗み聞きしているではないか。なるほど、たしかに我々は日々プライバシーとか○○権と目くじらをたてながら、著名な人々の私生活にはさほど配慮しなくても良いらしいことを常識として共有している。ラッシェル、モニックと呼ばれたソフィ•カルの母の日記が朗読されること、そしてしばしばロマンチックなその内容に羞恥心を覚えたり、あまりに直接的感情の吐露に対してばつの悪いと感じるのは、ソフィ•カルの母が我々と同じ「ふつうの」女であり、今日ではインターネット上に直接公開されるブログというスタイルを知っている我々でさえ、紙媒体にこつこつ綴られた匿名の個人の「日記」は、まさか持ち主が亡くなったからといって大勢の前で突如は暴露されるまいという私たちの無邪気で可愛らしい信仰をソフィ•カルがざっくり裏切るからである。

日記帳に綴る日記は、通常こっそりと綴られ、公開も出版も目的としない。したがって、それがたとえ娘の口を通じてであれ亡き本人の意志を介さず暴露されている現場に遭遇すると否応無しに覗き見の心情が掻き立てられる。聴いてはならないものを聴く居心地の悪いエクスタシー。ソフィ•カルが母の日記を暴露することで目指しているのは、彼女の未だ分からない母親のその空白を探しに行くという途方もない作業であり、その不安を掻き立てるエクスタシーの代償に、彼女が一人で持ちきれない作業を人々に共有させることなのである。母をアートにするというのは、自己の外側にあるラインを明確化する行為なのだが、その試みは本質的に失敗するよう運命づけられており、終わりのないループ映像に似た反復サイクルがそこにある。母は子どものときから最も近く、我々は彼女を通じて世界に現れたにもかかわらず、今や絶対的な他者となり、身体のどの部分も繋がってはいない。親が子どもに自分の欲望を投影したり、彼らを通じて自己実現しようとする親の心理的な働きはよく知られているが、子どもから親に向かうベクトルではどうか。子どもは親を作り直すことは出来ないので、親の参照に基づいて終わりなき自己の彫像が繰り返す。ソフィ•カルのたった一人の必要はこの果てしないサイクルの中にあり、「彼女の母」はこの大きな枠組みに行き着いて初めて、全ての人にとっての普遍的な「母」になる。一人の女の日記は、こうして読まれ続けるのであり、それは女の望みには関係のない、綴られた何かなのである。
(イメージ参考:Festival d’Avignon Archive)
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品) は次回書きます。

05/6/13

Julio Le Parc rétrospective / ジュリオ•ル•パルク回顧展 @palais de tokyo

Links:
soleil froid
Julio Le Parc

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Julio Le Parc Soleil Froid展における Julio Le Parcの回顧展は2013年2月27日より5月13日までパリのパレ•ド•トーキョー(Niveau 2)で開催されている。フランスでこれほど総合的に彼の作品を目にすることが出来る回顧展が企画されたのは初めてのことだ。Julio Le Parc(1928 -)はアルゼンチンのブエノスアイレス出身のメディアアーティスト、いわゆるメディアアートのパイオニア的存在である。とにかく、彼のアイディアの時代とのかけ離れ方は驚きである。1958年、ブエノスアイレスで美術学校を卒業したJulio Le Parcは、フランス政府奨学金を得てパリにやってくる(現在は郊外のCachanで制作を続けている)。そこで伝統的な美術の方法はキッパリと捨てて、光や物体の動き、そしてシネマに影響を受けたスクリーンを使った作品など、コンセプチュアルな作品に傾倒して行く。アート•シネティックやオプ•アートなどのアーティストがメンバーとなったG.R.A.V(Groupe de Recherche d’Art Visuel)の創立者であり、1968年にはヴェネツィア•ビエンナーレでグランプリを受賞している。

Julio Le Parcの作品は、それが1960年代や70年代に考え出され、作られたという時代的なコンテクストを見るものの脳裏から奪い去ってしまうような新しさと楽しさを秘めている。あるいは、ひょっとするとメディアアートは日々目が回るような早さで一新され続けているかのように見えて、実はそれほど本質的に一新されてはいないということを、この感覚は物語っているのだろうか。

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Julio Le Parcの表現において最も楽しいのは、アートにおけるメディウムを抜本的に変えてしまったというのは言うまでもないが、その新しい媒体である光、それが持つ性質やそれが創り出す「動き」なのである。「動き」とは予定されたものと展示される環境によって規定されるもの、あるいは鑑賞者が何らかのインパクトを及ぼすことが許されるものを含む。Julio Le Parcの作品においてはしばしばどのように展示されるかが作品経験の大部分を決定する。たとえば、無数の正方形の鏡が高い天井の壁を埋め尽くすように垂れ下がっている作品。これは非常に大きな作品なのだが、それらが壁近くに設置されているために別の場所でなら容易く起こるはずである風による揺れや、それによる反射する光の動きが見られない。

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それに対して同じコンセプトであるが、もっと小さな正方形の鏡が下から光を受けて強く反射し、もっと自由に動く仕組みになっている作品では、先ほどのものとは全く違った印象を与える。光を扱う作品が多いためにもともと展示会場は全体としてキャプションが殆ど読めないほど暗いのだが、その暗がりの中で非常によく動くこの鏡はそれらのうちの何枚かがうごく度にそれを反射して四方の壁に映る光もまた生き物のように動くので、我々はここが深い海の底で、太陽の光はかすかにしか入ってこないのだが、その光をキラキラと受けて動き回る生き物の様子を不動のまま目にしているような不思議な感覚に教われる。アクアリウムよりも照明は暗いのだが、あたかもそこで発光するクラゲが浮遊するのを眺めているような、妙なヴィジョンだ。

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これは点滅し続けるように見えるライトがそのインスタレーションに入り込む人の思考をかき乱し、おかしくしてしまう装置である。実はこの光は点滅しているのではなく、インスタレーションの中に幾つかある光源が上下に機械的に運動し続けているだけのシンプルな仕組みなのだが、そのまわりを迷路のように覆っている布の素材と目によって錯覚が起こる。たしかに、身体のコンディションによっては乗り物酔い状態になり気分が悪くなる人もいるかもしれない。点滅する光の中に長い時間留まるのに似たトランス状態に陥る人もいるだろう。あるいは、その機械的なリズムが逆説的な平安を与えてくれることすらあるかもしれない。

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Julio Le Parcの絵画作品。点描は光の色が丁寧に分布している。彼の光の捉え方をペイント化するとこのようになることは納得できる。そしてこの絵画もやはりよく見つめていると動的であり、光の色を分けて表された様々な色の点はすこしも留まってはいない。

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そして、「冷たい太陽」という展覧会タイトル(彼の展覧会のみならず総合タイトルである)を思わせる赤のプレートで形成された大きな太陽。

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この展覧会の最後のコーナーにはJulio Le Parcのたくさんのインタラクティブ作品で埋め尽くされた。驚くべきことに、これらの作品は今日でも鑑賞者が自由に触れて遊んでよく、そうすることによってしか彼の狙いは体験することができない。実際に遊べることは非常に有り難いことである。ずらりと並べられたサングラスをかけると、いつも見ているものはもう見えなくなり、何も見えないということはなく、必ず何かをどうにか目にすることが出来る。Julioグラスをかけたメディア考古学者を発見。Erkki Huhtamoさんは「メディア考古学」という新しいメディア論の提唱者である。この日は仕事でパリおられたので展覧会場でお会いした。Julio Le Parcの作品が本来の動的環境を不十分にしか伴っていないとき、(さすがに触れてはならないので)思い切りブロウして、作品に命を吹き込む。その効果は素晴らしかった。(効果のほどは下のビデオをご覧ください…)

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if you can’t watch it, click here (video on youtube)

展覧会は、13日まで開催されている。

05/5/13

Mannequin Corp de la Mode / マヌカン、ファッションの身体展 @Les Docks

「Mannequin Corp de la Mode (マヌカン、ファッションの身体)」展を訪れた。人間の身体のかたちに関わること、マネキン人形のこと、オブジェとしての肉体のこと。それらのトピックは言い尽くされてきたようで、しかし、決して言い尽くせないことのようでもある。展覧会は、現在は改装閉鎖中のパリ•ガリエラ美術館の別館として2008年にオープンしたレ•ドック(Les Docks, cités de la mode et du désign) で2月16日から5月19日まで開催されている。

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site : Mannequin Corp de la Mode

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展覧会の冒頭には、三つのマネキンの頭部(左より、1860年頃の紙製の頭部、1880年代、20世紀初頭)と二体のトルソ(左より、1890年頃、20世紀初頭)。いくらクチュール用のトルソといっても今日の我々の目から見るとあまりに不自然な形をしている。京都服飾文化財団の研究成果によると、女性身体のかたちが18世紀から現代を生きる我々のものにいたるまでに大きな変化があったことが明らかになっている。下の図をご覧頂きたい。現代以外の5体のトルソは京都服飾文化財団のもの、現代人のものは日本のマネキン老舗の七彩マネキンのトルソである。この中で最もショッキングなのはおそらく、1900年頃のトルソのフォルムではないだろうか。いわゆるコルセットで締め上げられ、胸はデコルテから美しく露出するために最大限に持ち上げられ、腰回りはクリノリンで覆われていた時代の身体のかたち。強烈な鳩胸に無理矢理くびれたウエストと両サイドに張った腰。いったい、前時代およびその次のトルソと比べてこんなにも身体のかたちが変わり得るだろうか?そのすぐ後には良く知られているように、ファム•オブジェとして物理的に締め付けられた女性身体の解放が行われたので、あたかもストレスから解放された身体であるというように表象されている。(参考:『身体の夢—ファッションor見えないコルセット』)

18th C., early 19th C., mid 19th C.

18th C., early 19th C., mid 19th C.

 

c.1900, 1920's, the present day

c.1900, 1920’s, the present day

私はかつてこの分かりやすい説明をその分かりやすさ故に快く感じていたのだが、今は同じ理由故につまらないとも感じている。そもそも、これは身体のかたちの変化ではなく、衣服を鋳型としてそのなかにシリコンとかコンクリートを流し込んだならば、こんな風になりますよ、というモデルに過ぎず、つまりは洋服の内側の形の移り変わりを表したモデルである。「洋服の内側=身体」でないのは自明だ。現代人の我々だって、ヒップアップ•バストアップ下着とか、お腹を締め付ける腹巻きとかふくらはぎやももをカバーするストッキングとかあるはずで、それらのなかに包まれている時と、全て脱いだ裸の身体では同じ形ではあり得ない。そもそも、1900年代の印象派の画家たちが描いた奇妙な形をしたドレスを着こなす貴族女性たちはたしかに苦労して服を着ていたに違いない。しかしながら、現代を生きる我々がその時代の着衣に比べてそれほどクールにで服を着るという営為をやりこなしているとは到底思えない。上述したように、我々現代人は頭部からつま先に至るまで、物理的にも抽象的にもそれは細かく造形されているではないか。さらに騙されるべきでないのは、このデータを見るとあたかもその変化は(時間のスパンは違うものの)人類が進化の中で骨格やプロポーションが変化してきたことと関係があるように思われるかもしれないが、こんなものはごく限られた階層のごく限られた地域のごく限られた人口の歴史に過ぎないのである。

GUY Bourdin, Charles Jourdan été 1978

GUY Bourdin, Charles Jourdan été 1978

さて、話を「Mannequin Corp de la Mode (マヌカン、ファッションの身体)」展に戻そう。GUY Bourdin(1928−1991)はパリ生まれの写真家である。1948-1949年にダカールおよびセネガルで兵役に服し、空軍在籍時に写真を学んだ。軍を退役した後、マンレイに出会い、展覧会も行うようになる。その後1955年にはファッション写真に取り組み、ヴォーグに掲載される。Bourdinの写真はたしかにハリウッド女優やオートクチュールブランドを美しく撮影するような洗練された写真でありながら、時とすると撮影された女は人間ではなく人形だとかマネキン、あるいは生命のないからだであるかのような奇妙な印象を与えるものがある。

Helmut Newton, 1981

Helmut Newton, 1981

ドイツ生れの世界的写真家ヘルムート•ニュートン(1920−2004)のSie Kommen, Naked and Dressed(1981)はVogue Parisに掲載された有名な作品である。4人のモデルたちがさっそうに歩く様子。左はコスチュームで、右は裸で。完全に再構成され、全く同じポーズをとる2枚の写真は我々にもしも透視能力たるものが備わっているならば、この2枚の写真が重ね合わされ、それらが交互に点滅するように知覚されるのかもしれない。そんな覗きのフェティシズムがこの作品にはうかがえる。しかし、ニュートンが実際にこの2枚の写真を撮影するプロセスとそれを演じる4人のモデルたちの努力を考えると、この作品はたちまち相当滑稽な物語として書き換えられ、あるいはひょっとしたら覗きのフェティシズムなどというロマンティックなものではなくて(実はその反対方向に世界が在る、つまりは)裸の王様なのではないか?この作品は、そのように考えたほうがずっと内省的である。

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1954年のある靴のプレゼンテーションにおける写真(上)。素敵な靴を見るために、モデルの身体は必要ない。モデルの身体がどのようであるかに左右される必要はないし、どのような色の服を纏うかについても想像の自由が見るものの側に残されている。ここまでやるならば顔も隠して足タレ(足タレント)にすればよいのにとも思うが、さすがにライブのプレゼンテーションにおいて足だけではあまりに無生命的な印象を与えるのだろう。
それから60年が経過した今、我々は同じ手法で洋服を売っている(下)。e-commerceのサイトではたいていモデルの頭部がない。衣服を紹介するのは、とりわけ際立った印象を与えないほっそりした「普通の」身体。このいかにも無味無臭の身体はサイトを個人個人がそこに自分の身体や顔をあてはめる際に出来るだけ差し障りのないように(つまり、購買意欲を阻害せず、ひっかかりを与えないために)準備されている。

mannequins de taille normale chez H&M

mannequins de taille normale chez H&M

そういえば、ついこの間意外なほど世間を騒がせた「普通サイズのマネキン」(H&Mの店頭に並んだ)というのがある。通常マネキンは身長は平均より大きく、身体は平均よりも痩せて作られ、どのサイズの服でも着られるようにある意味でオールマイティに作られているのだが、この普通サイズのマネキンは、40とか42(比較的ふくよかなサイズ)、あるいは38(いわゆる平均的な体型)を再現したものである。このマネキンの登場は一時インターネットやメディアを賑わし、倫理や健康概念、広い分野に渡る議論を巻き起こしたのだが、インターネットやシュミレーションで洋服を購入することもあり、身体が必ずしも物質性を伴わないとすら言えるような今日、このマネキンがスキャンダラスになる現象自体が不審に感じられる。あるいはまた、そのようであるからこそ、リアルに目の前に提示された生々しくリアルな形をした見慣れないマネキンに挙動不審になってしまうということだろうか。

マネキンも生身のモデルも本当は普通サイズではなかったのですよ、ということに敢えて気がつくことが新鮮である現実もまた滑稽である。あるいは、気がつく必要があるとすれば、それはいったい誰の、何のために?

 

05/1/13

新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。/ Newspaper Woman, Miyuki Nishizawa

本記事は、第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第三弾(最終!)、「新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。 」です。

「アートで私のこころが自由になった。それは師匠嶋本昭三もそうだし、いっしょにいるまわりの皆もそう。
だから、私たちが芸術を追い求めることで、いま苦しんでいる人たちのこころが少しでも、ひとときでも解放されてハッピーになったらいい。そして、仲間がいっぱい増えて、次の世代の人にもそれが伝わればいい。」
(西澤)

アーティスト西澤みゆきは、具体の精神を引き継ぎ、嶋本ミームを伝承する者として、芸術活動の本質を「精神の解放(/開放)」であると述べる。それはまさに西澤自身が、生きることの苦しみや困難、および長年にわたり心を縛ってきた重たい鎖を、芸術行為によってぶち壊し、粉々にしてしまうことに成功した張本人だからだ。
私の知る西澤みゆきは、いつもニッコニコしている。神戸の記号学会でお会いした際も、グッゲンハイムでも、あるいはSNS上で写真で見かけたりしても、とにかくいつも楽しそうだ。個人的な話だが、私自身は普段からあんまり機嫌が良くない。外出して人に会い、たった数時間頑張ってニコニコしているだけで帰宅すると顔が筋肉痛になってほっぺがプルプルする。だからこそ強く思うのだが、笑っている人はそこにいるだけで本当にハッピーを伝染する力がある。笑っている人は、いつもつまらなく悲しい顔をしている人よりも、個体として生きるエネルギーが断然高い。そして、そのポジティブなエネルギーこそが他の個体に伝染する価値のある唯一のものである。

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西澤みゆきが嶋本昭三のもとでパフォーマンスや制作などの芸術活動を始めたとき、彼女は肉親との関係や世間が強いてくる鋳型のようなものに苦しんでいた。それは、本当に大切なものの前ではひょっとして小さなことであるにも関わらず人が生きるのを息苦しくする、時には人から生きる力を根本的に奪ってしまうほど苦しくさせる、何かとても良くないものであった。身体に合わない服とか、胸から腰までを縛り付けるコルセットとか、刺すような痛みを日夜与え続ける歯列矯正器具の類いとか、目に見えはしないけれども、その良くないものはそれらに少しだけ似ている。

嶋本昭三の作品のひとつに、「女拓(にょたく)」がある。この素晴らしい作品は、彼の芸術行為を真っ向から受け止めることのできない人たちによって、しばしば不当な批難を浴び、日本社会ではスキャンダラスに扱われてきた。あるいはまた、イヴ•クラインの青絵の具を用いたパフォーマンス(Femme en bleuなど)と比較されることがあるが、イヴ•クラインのパフォーマンスが完全にコンストラクティッド(演出され、構成された写真)であるのに対して、女拓モデルの女たちが自由である嶋本の実践は全く性質が異なると言わなければならない。女拓は文字通り、魚拓の女バージョンである。女たちの裸の身体に墨を塗って、色々なポーズを紙に転写する。西澤はアパレル業界で十数年勤務したのち嶋本と再会すると、そこで女拓モデルをするために、全裸になった。女拓は嶋本昭三のアートスペースを利用して行われた。実は、「女拓が行われた」というのはやや語弊がある。実際にそれは生活のように自然に営まれたのである。もはやそれは一過性のパフォーマンスでも拓をとるための準備でもなく、裸で生活することそのものである。我々が作品として目にしてきた墨を塗られた女の裸体の様々な部分が紙の上に再表象されたものは、女拓という営みにおける最も物質的な結果にすぎない。女たちは、全ての纏うものを脱ぎ捨てた生活の中で、すこしずつ何も纏わないことに慣れていく。自分のものとは違う他人の裸、身体部位のかたちや色の違い、肉付きや骨格の違い、傷があったり老いたり子どもであったりする身体。魚拓がそうであるように(つまり、様々な種類や大きさの魚の記録であるように)、女拓もまた、女の生の記録である。それぞれの女たちの、異なる人生の記憶である。西澤はこの女拓生活を通じて、一人一人異なるはずの女たちの身体が、どの裸もおしなべて美しく、それがいわば全ての不要なものを脱ぎ去ったあとの魂のつきあいであることを発見し、それと同時にそれまで自らの心を覆っていた悪いものをバラバラに打ち砕いた。

著名なアメリカの写真家であるベン•シモンズ(Ben Simons)も女拓に関心を抱き、これを撮影した。墨で真っ黒になった裸の女たちの身体。彼は女に何のポーズも表情も要求もしない。女があるままに、裸でそこにいるままに撮った。彼は女拓の女たちの美しさを絶賛する。西澤みゆきはベン•シモンズがとりわけ愛した女拓モデルのひとりだ。生き生きとした命が発するひかりのようなもの。西澤は女拓の生活とベン•シモンズの写真を通じて、ハッピーを伝染するアーティスト「新聞女」となるための強い「たましい」を得た。

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時が過ぎた今、新聞女はいまや一人で立っているだろうか。
新聞女の最愛の師は、彼女と彼女と共にある者たちにチャンスと試練を残し、「現世での活動(を)引退」してしまった。(*「新聞女タイムズ」、特別号外より) 傷ついて繊細だったひとりの女拓モデルは、今やたった独り勇敢にクレーンに吊り上げられ、上空において人々の大喝采を全身で受け止める。彼女は、時にエレガントにまたあるときはゲリラのように人々の前に現れ、彼女自身の音楽を紡ぎ、彼女自身の舞を舞う。出会った人たちにハッピーを伝染するために。すべては、ひとりでも多くの出会い得る人々の「精神の解放(/開放)」と幸せのために。

「芸術で精神が解放されました。だから芸術を追い求めてます」(西澤)

心を封じ込めていた重い鎧は、再起不能なほどに完全に粉々に打ち砕かれ、もう二度と彼女を脅かしたりしない。そして人々が何かの偶然で悪い鎧を纏ってしまった時、それをどうやってぶち壊したらいいか知っている。新聞女はその芸術を、もう醒めることのない世界のなかでつたえ続ける。
(文:大久保美紀)

*「新聞女タイムズ」、特別号外は2013年3月9日のグッゲンハイム美術館でのパフォーマンスのために佐藤研一郎さんが作成した日本語および英語新聞である。

 

新聞女論vol.1, vol.2, vol.3をお読みいただいてありがとうございました。
お忙しい中メールでのインタビューにご協力いただいたみゆきさんに感謝します。
また新聞女ズひめさんのブログ「日々是ひめアート」を大変参考にさせていただきました。

04/30/13

新聞女論 vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。/ Newspaper Woman, liberating minds by arts

本記事は、第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第二弾、「新聞女論  vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。」です。

新聞女は、新聞紙を作品制作の材料として利用するアーティストある。彼女が役目を終えた新聞を作品の材料として大抜擢したのもそれでモノを作り始めたのも、運命みたいなものである。新聞は、ひとたび大量に刷られ、情報をぎっしり詰めて人々それを伝達するのに、その賞味期限はあまりに短命、翌日にはすぐにゴミになってしまう。毎日毎日大量に生み出されてすぐゴミになって捨てられる新聞紙たち。アーティスト西澤みゆきは、今日のように新聞でドレスやジャケットを制作し始める以前、大学でファッションを学び、デザイナーとして12年間企業に勤めた。彼女は消費の時代のファッション業界のあり方やそれを体現するような生活、つまり、溢れ返った物に囲まれ次々と新しく手に入れてはすぐに捨てる生活に疑問の念を抱く。なるほど、消費社会におけるハイスピードのアパレル産業と、物質性を伴ったマスメディアである新聞の置かれている境遇はそっくりである。彼女は、そんな不毛なサークルとも言える消費の輪をひょいと抜け出し、それまで捨て続けてきた物たちを救うかのように、役目を終えた新聞をメディウムとしてアーティスト活動を始めたのだった。

citée de The Morning Call

Newspaper Woman, citée de The Morning Call


嶋本昭三(1928.1-2013.1)は具体の創立メンバーの一人で(「具体」という名の提案者)、絵の具をキャンバスに投げつけたり、クレーンで吊られて上空から巨大な絵を描くパフォーマンス•ペインティングで知られる。晩年はAU(Art Unidentified)を組織するなどの活動を通じてたくさんの人々に芸術表現による精神交流のメソッドを伝達した。彼の芸術や生き方に触れた人々は「嶋本ミーム」(嶋本昭三文化的遺伝子)を伝承する者として、この遺伝子を世代を超えてさらにたくさんの人に拡散していくことができる。西澤みゆきもこの嶋本ミームをもつ者の一人だ。実は、嶋本昭三の絵画作品の中にゆくゆくは西澤のメディアとなる新聞を利用した作品がある。あの有名な穴のあいた絵画がそれだ。「作品」(1954年 芦屋市立美術博物館)のコンセプトは、前衛美術家嶋本昭三の誕生と同時に創り出されたアイディアである。美術を志すも、親に美大で学ぶことを許されなかった若き嶋本は1950年代始め、知人の紹介で吉原治郎(1954年に具体美術協会を結成)に弟子入りすることを試みる。毎日毎日絵を描いて見せに行くものの全く認められない。貧しかった嶋本は、木の枠に新聞紙を貼り、メリケン粉(戦後日本にGHQを通じて入ってきたアメリカで精製された真っ白い小麦粉)を炊いたものを塗り付けてその上に白いペンキを塗ったものをキャンバス代わりにしていたのだが、ある日それが濡れたまま急いで描いたところ穴の空いた絵ができてしまった。ー「穴の開いた絵なんか世界中にないんでは?」ー その絵が吉原治良に嶋本の才能を認めさせ、当時日本での厳しい評価をよそに海外では直ちに高い評価を得た。新聞が初期嶋本作品においてキャンバスの代わりに用いられ、それは時間が経つとカサカサになって割れたり穴が空いてしまうがその作品は今も幾つかの美術館に残り続けている(つまり、新聞は木枠と白ペンキで固定され、時の中に封じられることで、失った自由と引き換えに持続するいのちを得ている)。その一方で、新聞女の新聞は自在にかたちを変え、動き回り、刻まれ、破かれ、象られ、触れられ、纏われ、つかのまの時間を、それと遊ぶ人々とともに生きている。

SHIMAMOTO Shozo, Work, 1954

SHIMAMOTO Shozo, Work, 1954

 

さて、新聞はゴミであると上述したが、「ゴミとして捨てられてしまうものに命を与えます!」なんて言うと現代ではすぐにエコですね!とジャッジされる。いらなくなったものをアートのために再利用するという点で、エコ•アートというカテゴリを掲げられても勿論反駁はしまい。しかし、新聞を使うことの本当の意味をもっと丁寧に見るべきだ。メディアとしての新聞と新聞女の関係を考えること無しに、新聞女は語ることができない。彼女の作る美しい新聞ドレスを埋め尽くすのは、逆説的にも惨たらしい事件の報道や、戦争や紛争のこと、政治的不和や不況のこと。そこにある出来事を視線でなぞるならば、世界があたかも悲劇的な事柄で埋め尽くされているかのように感じざるを得ない。そして、それはある意味で真実なのだろう。

「新聞に書いてある内容はほとんど悲しいことや辛い目に遭った人のこと。テロや戦争、原発… 私に少しでも力があればぜんぶ解決したいがそれは叶わない。せめてその新聞紙を使って皆の心がすこし幸せになれたらいい。」(西澤)

bijyututejo_miyuki

2004年6月の美術手帖に取り上げられた有名な新聞女のパフォーマンス作品がある。「Peace Road / 平和の道」は、新聞紙の中の9.11のテロに関する記事を選択的に使用して作られた作品だ。テロに関する記事の部分を、地球の色としての青、そして人々の肌の色である白•黒•赤•黄の計5色で塗りつぶし、神戸の元町駅から西元町駅までの1.2kmの道のりを一本の新聞の道として繋いだ。平和を祈り、人々の幸せに貢献したいというコンセプトは新聞女の表現活動の最も基本となる考えである。このプロジェクトは、ヴェネツィアのサンマルコ広場でもゲリラパフォーマンスで実践されている。こうして、異なる国や大陸で繋ぎ続けて行き、いつかは「地球をぐるっと一周peace roadでつなげたい」と彼女は述べる。
(参考 新聞女HP)

 

citée de The Morning Call

Crane Performance, citée de The Morning Call

新聞女のパフォーマンスのスケールの大きさとエネルギーを象徴する「クレーンパフォーマンス」を紹介せずにはいられない。クレーンパフォーマンスは、嶋本昭三氏が得意(?)とするパフォーマンスで、色とりどりの絵の具の入ったガラス瓶を上空から落下させて地上に広がる巨大なキャンバスに描くというもの。新聞女のクレーンパフォーマンスでは、彼女のホームページ(新聞女)をご覧頂けば一目瞭然であるが、上空に吊り上げられることによって、彼女自身が、超巨大(超ロング?)新聞ドレスを纏う新聞女という作品として完成するのだ。巨大なスカートはその真下にたくさんの人を含み込むことができ、人々はここでもやはり、下から新聞女のスカートを堂々と覗くことになる。風の噂やご本人の口から、新聞女が実は強度の高所恐怖症だという噓みたいな話を耳にした。あんなに格好よく、笑顔で新聞吹雪などを巻きながらぶら下がっていて、高所恐怖症とは何事だろうか。今回の2013年アーレンタウンでの初仕事もクレーンパフォーマンスであった。徹夜の作業。天気は大雪。遠足ではありませんので、悪天候決行。ご存知の通り新聞は水で強度を失い、簡単に破れてしまうはずである。地元メディアの取材陣、さらにはアーレンタウンの市長さんまでやってきた。亡き嶋本昭三に代わって上空に舞う新聞女に失敗は許されない。(参考、日々是ひめアート)
パフォーマンスは地上から笑顔の大喝采を受けて真の大成功を収める。

「そのとき、不思議な感じがした。
いつもは上空の嶋本先生に下から拍手喝采していたのに、
その瞬間わたしがいつもの嶋本先生になって、地上のみんなを見ていた。」
(西澤)

アーレンタウンにおけるクレーンパフォーマンスの成功は、嶋本昭三研究所のメンバーおよび新聞女ズ、そして何より西澤みゆき自身にとって決定的に重要な意味を持つこととなる。

 

新聞女は明日、明後日も(4月30日ー5月2日)高の原AEON MALLに現れる!
(リンク http://www.aeon.jp/sc/takanohara/event/)
・5月1日(水)
13:00~岡田絵里 はし袋でパレードしよう
15:00~新聞アーティストと一緒に新聞ドレスで館内パレード
・5月2日(木)
13:00~八木智弘 自分だけのミサンガ作り
15:00~巨大新聞こいのぼりを作ってトンネル遊び
場所:2F 平安コート他

 

「新聞女論 vol.3 西澤みゆき – 新聞女はその踊りを醒めない夢の中で踊る。」もお楽しみに!

04/29/13

新聞女論 vol.1 新聞女@グッゲンハイム美術館 – 新聞は纏うとあったかい。/Newspaper woman @guggenheim museum

本記事は、これより第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第一弾、 新聞女論 vol.1「新聞女@グッゲンハイム美術館- 新聞は纏うとあったかい。」です。

 

Newspaper Woman wearing  Shozo Shimamoto's painting

Newspaper Woman wearing Shozo Shimamoto’s painting

神様の偏西風が逆向きに吹いて、全く訳の分からないまま、私を乗せた飛行機はぐいぐいとニューヨークに引っ張られ、私がグッゲンハイム美術館の裏口に侵入したのは、19時半すぎ。「新聞女パフォーマンス@グッゲンハイム美術館 in NY」(Art after Dark, site )の開始時間の1時間以上前だ。本来JFK空港着予定が19時55分で、そこからうまく渋滞がなかったとしても、美術館に着くのは22時近くなりそうだったのだ。ミステリーである。私はその前日も飛行機でも寝ておらず神様の追い風のせいで頭の芯がしびれており、図々しいとはもちろん思いながら、準備中で確実に大忙しの西澤みゆきさん(新聞女, 新聞女HP)にコールしてもらった。新聞女はまだ新聞を纏っておらず、白いぴたっとしたカットソーを着ていた。彼女は私が着いたのを喜んでくれ、私はとてもわくわくし、三日分の荷物を詰めたちっちゃいスーツケースを引きずって、彼女が手伝わせてくださるという制作の現場にひょこひょことついていった。


kobe, 2012

kobe, 2012

私が新聞女パフォーマンスに出会ったのは昨年、2012年5月12日に神戸ファッションミュージアムで行われた記号学会においてである。小野原教子さんが実行委員長をされた『日本記号学会第32回大会 「着る、纏う、装う/脱ぐ」』(JASS HP)の学会第一日目、アーティスト「新聞女」が現れて、たくさんの研究者とか大学の先生とか学生さんで溢れる学会の会場がたちまち新聞で覆い尽くした。彼女は台の上で新聞一枚でぐるりと回りを覆われながら、そのなかで、全部脱いで、裸になって、ドレスを纏った。
(記号学会でのパフォーマンスの写真やコメントは以下ブログ うきうきすることが起こった。、日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。Part1)

after the performance, kobe, 2012

after the performance, kobe, 2012

ダンサーの飯田あやさんらによる新聞の舞にうっとりしている間に、周りの大人たちが笑顔で新聞だらけになっていく。みんなが楽しそうに、「私にもぜひ新聞巻き付けてくれ」と遠くにいた人たちもどんどん新聞女のほうに吸い寄せられていく。新聞の海のヴォリュームの中からわき上がるように高く高く登って、いつの間にかデコルテのロングドレスにエレガントな日傘を携えたの超笑顔の女が頂に姿を現し、パフォーマンスは完成した。纏った新聞はあったかくて私はとても幸福だった。彼女のパフォーマンスに初めて取り込まれた日のことだ。

 

グッゲンハイム美術館から直々のインヴィテーション。新聞女と新聞女ズ、そしてAU(Art Unidentified)の一団はニューヨークの郊外アーレンタウンを拠点に2013年2月初頭にアメリカに渡り、そこでFUSE Art Infrastructureの支援を得て寝食を共にしながら、 »Lollipop »(lollipop itinerary)という一連の企画でアーレンタウンとニューヨークで連日制作発表の多忙且つアーティスティックな日々を送っていた。グッゲンハイム美術館からのパフォーマンス依頼が届いたのは、彼女の最愛の師匠嶋本昭三さんが亡くなったその瞬間であったということを知る。全ては、小さな人間には手の届かない遥かに大きな「なにか」にうごかされた運命なのである。彼女たち数名は意を決して帰りの飛行機チケットをどぶに捨て、来る3月9日夜、嶋本ミーム*を共有する者たちのエネルギーでグッゲンハイム美術館を新聞で覆い尽くすことを誓ったのであった。私は突然の渡米を決めた。私はアメリカに行ったことが無い。自分がアメリカに行くというのはとても不思議に思えた。京都からは吉岡洋さんが具体と新聞女についてのインタビューを受けたりするため渡米する予定で、私もいっしょに新聞女のパフォーマンスを体験することにした。この記念すべきパフォーマンスのために、仙台の中本誠司美術館は嶋本氏の作品を西澤みゆきがグッゲンハイムのスロープで衣装として纏うことを許可し、当美術館からも当パフォーマンスへの協力者がかけつけ、ユタ州からは元新聞女ズの強力な助けがあり、フロアに設置された巨大新聞と新聞女号外の制作者やニューヨーク在住の知人協力者、そしてもちろん一ヶ月間連日制作発表を共にしてきた新聞女ズの中心に、笑顔で皆を率いる新聞女の姿があった。新聞女は、笑っている。舞台裏で制作に汗を流す仲間たちに指示を出し、自らも運び、走り、彼女のエネルギーがそれが遠くにいても感じられたりするなにかであるようにまばゆかった。

wearing her beautiful dress made of Shinbun

wearing her beautiful dress made of Shinbun

 

舞台裏にはたくさんの仲間たちがさすがはプロの手早さで作業をしており、私なんかが急に邪魔しにやってきて説明していただく時間や労力を割いてもらうのすら恐縮だったので、見よう見まねで出来るだけ頑張った後はジャーナリストに徹して写真を撮りまくろう(つまりサボり!)とひとり決意し、それでも教えていただきながら皆さんの巧みな新聞さばき/はさみさばき/ガムテープさばきを盗み見しながら、作品のほんの一部だけ制作に貢献した(ような気もする)。それぞれの分担作業に取りかかる前に、ボス新聞女から皆にパフォーマンスの段取りの説明があった。このパフォーマンスはなんと、21時から24時までの3時間持久レース、幕開けはPlease walk under hereの裾が30mにも及ぶレースでできた新聞ドレスでの登場。その後グッゲンハイムの名物スロープを利用して様々な新聞コスチュームを纏ったパフォーマーがヴィジターを巻き込んでパレードする、パレードが終わるとフロアでは巨大テディベアがどんどんその実態をあらわし、その傍らシュレッダーされたモサモサの新聞を生やしたニュースペーパー•モンスターがそれをフサフサさせながら踊る。フロアにいる人は、演歌や新聞女のテーマというジャパン的BGMに乗って「半額」とか「30円」のレッテルをぺたぺたくっつけられながらそこにいるだけで面白くなってしまう。そして、スロープには大きな「gutai」の文字をバックに嶋本昭三作品をエレガントに纏う、みゆきさんの姿が…。

Newspaper Woman's newspaper, special edition

Newspaper Woman’s newspaper, special edition

 

Princess !

Princess !



フルで3時間続くパフォーマンスなんて、いったいどんな体力であろう。しかも彼女らは連日の制作•発表•制作•パフォーマンスの多忙の中で寝ずに今日の日に突入しているという。フロアは入場者で満たされていく。Please walk under here ! の長い裾を皆で丁寧に支え、スタンバイ状態に入る。ああ、なんて、皆を巻き込むパフォーマンスはただひたすらにワクワクし、そこに存在するだけで楽しいのだろう。Please walk under here ! は新聞女の師匠、嶋本昭三氏の「この上を歩いてください」(Please walk on here, 1955)のオマージュである。女の子のスカートの下(というか中?)を歩く。めくり上げられたスカートの内側をあなたは堂々と歩いてよい。その長い長いスカートの裾はとても繊細なレース模様が施されており、それをばっさばっさまくり上げながら、観客であるあなたは中に取り込まれるのだ。盛大なスカートめくりであり、あなたはそれを覗く者となる。

"Please walk under here" goes on

« Please walk under here » goes on

Newspaper Woman appears in public !

Newspaper Woman appears in public !

with 1000 visitors

with 1000 visitors

fantastic !

fantastic !

パレードでは写真家のヤマモトヨシコさんが撮影された素晴らしい作品がパネルとして掲げられ、新聞女と新聞ドレスを着た女たち、そして巨大ジャケットを着た普通のサイズの人たちが練り歩く。このデカジャケのコンセプトは「着てたのしい、見てたのしい」。ファッション科出身の西澤みゆきの手にかかりジャケットは新聞と言えどきちんと裁断され、(巨人使用だけど)リアルな洋服の作りとなっている。着るととにかく面白いこのジャケットは「吉岡洋が着てもアホに見えるところがポイント」だとかなんとか。このジャケットを着て改めて思ったのだが、新聞は普通の服や紙より明らかにあたたかい。それがただ何枚も重ねられたり文字が印刷されているためだけでなく、新聞女とその仲間たちが創り出すそのものたちは、纏うととてもあたたかい。

Yoshiko Yamamoto's picture works

Yoshiko Yamamoto’s picture works

in her famous giant jacket, Parade

in her famous giant jacket, Parade

Half price

Half price

 

これらの大量の新聞は、アーレンタウンで彼女らの活動を支援したFUSE Art InfrastructureのLolipop Co-Directorでアーティストのグレゴリー•コーツが現地で入手してくれたものだそうだ。素晴らしいディテールのレースのドレスも、労力を要求するシュレッダー•モンスターのコスチュームも、可愛い巨大テディベアも、その一夜限りのニュースペーパー•ドリームを演出するために生み出され、そして、処分される。新聞女の作品はダイナミックで、パフォーマンスはエネルギーに満ちている。それらが全て撤収されて、片付けられて、元の世界が舞い戻ってくるような瞬間は、なんだか奇妙にすら感じられる。しかしそこには、たとえば夏が終わったときのような哀愁や寂しさは漂わない。なぜなら、一度新聞女に出会った者はその日の出来事をもう二度と、忘れることが出来ないからだ。そのエネルギーは出会ったあなたの中に既に送り届けられ、それはより多くの人たちと「ハッピー」を共有するために、増殖を続けるのみである。

 

a big teddy bear after the performance

a big teddy bear after the performance

elegant lace dress after the performance

an elegant lace dress after the performance

「いま目の前にいるみんなが喜んでしあわせにいれるように。地球の誕生から様々な生命が繰り返されてきたように、その大きな生命体の一部として。作品は残らなくても、みんな(や地球)がニコニコはっぴーでいれることに貢献したい。」(西澤)

(グッゲンハイム美術館でのパフォーマンス、その他の写真はこちら)
*嶋本ミーム ミーム(meme)とは人から人へと行動や考え方を伝達する文化的遺伝子のこと。京都ビエンナーレ(2003)では嶋本昭三と弟子の作品を集めた「嶋本昭三ミーム」展が開催された。

新聞女は明日から三日間(4月30日ー5月2日)、高の原AEON MALLに現れる。

(リンク http://www.aeon.jp/sc/takanohara/event/)

日程 / 時間
・4月30日(火)
13:00~高田雄平 自分だけのブレスレット作り
15:00~新聞アーティストと一緒に巨大テディベア作り
・5月1日(水)
13:00~岡田絵里 はし袋でパレードしよう
15:00~新聞アーティストと一緒に新聞ドレスで館内パレード
・5月2日(木)
13:00~八木智弘 自分だけのミサンガ作り
15:00~巨大新聞こいのぼりを作ってトンネル遊び
場所:2F 平安コート他

 

「新聞女論  vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。」もお楽しみに。

 

04/22/13

ロン•ミュエック:あまりにも本当らしいその人たちは誰?/ Ron Mueck, who are the persons like someone ?

Ron Mueck Exposition : site here.

Fondation Cartier pour l’art contemporain
le 16 avril – le 29 septembre 2013

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ロン•ミュエックは1958年、オーストラリアのメルボルンに生まれた。現在はロンドンに住み、様々な大きさやかたちの身体の部分が並ぶストイックなアトリエで、数人のアシスタントとともに世界中の人々を驚愕させる作品を生み出し続けている。この有名な美術家が日本の人々によく知られるきっかけとなったのは、今からもう5年も前になる金沢21世紀美術館において開催されたロン•ミュエック展(site here.)である。あの、一躍有名になってしまった産み落とされたばかりの巨大な赤ん坊は、可愛らしいというよりもまだ血だらけで顔もしわくちゃ、一見そのへんの猿よりもサルらしい顔をしている。赤子なのに老けていて、おじさんのようなのにおばさんのようである。あの赤子にミュエックが与えたタイトルは、ア•ガール(A girl, 2006)。あまりのリアルさによく目を凝らさなければ産み落とされたばかりの男性器を見誤ってしまいかねない、立派なへその緒がぼっこりと生えている。どんな言い方をしようとも、大きささえちがうものの、たしかに、生まれたての我々はこんな風なのだ。覚えていないかもしれないけれど。

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今回のパリカルティエ財団現代美術館(Fondation Cartier pour l’art contemporain, Paris)でのミュエック展は、2005年のRon Mueck展につづく第2回目となる。あの大きな女性が窓越しに横たわって、黒めがちの静かな眼差しを外の世界に向けていた様子(In Bed, 2005)を記憶に留めているパリジャンも少なくないだろう。今回は、あのパラソルの下の老夫婦を含む3つの新作(Couple under an umbrella, Woman with shopping, Young couple) を携えての展覧会となった。

私はミュエックが好きだ。ミュエックの創り出す人々の顔やからだ、その表面とかたちが好きだ。嫌いなところをどうしても言ってくれと万が一頼まれたならば、「あの人たちに触れられないこと」と答えるだろう。(ミュエック自信に対する好き嫌いでもなんでもないが。)ただ単に、触りたい欲望から耐えるのに必死なだけである。しかしそれは切実である。丁寧に作られた繊細な代物なので、触ることが出来ないのは、大人なのでわかる。そうなのだが、「ちょっとだけ」「ひとり1回だけ」とかお願いしたい気分になるのである。だって、その表面は本当に素晴らしいんだもの。
人間の身体のかたちが芸術作品のなかでどのように表現されるかということ、そして、一体どのように人間の身体という物理的なオブジェクトが、ただのオブジェクトであるよりも作る人と見る人の記憶や感覚に刻印されるような印象を残すことがあるのだろうか、ということについて、そのことばかりをずっと考えてきた。ミュエックのつくる人々とその身体は、そのような文脈においてただのオブジェクトであるよりも、大切な意味を持った作品である。

ミュエックの彫刻がリアルなことは確かに人々を驚かせる。そしてそのあまりに本物らしいのに、等身大ではなく、もの凄く大きかったり小さかったりするサイズによっても一種の奇妙さや不安な印象を与える。「なぜ実物大にしなかったのだろう、こんなに本物らしいのに」と問うことはあまり意味がない。リアルマネキンを作るのではないというのが理由の一つだ。誰かに非常に似ていて本当らしい大きさをもつリアル彫刻は、ロンドンのマダムタッソーとかパリのグレヴァンなどで嫌というほど見られる。(そして、テレビ的有名人に疎い私にはそのありがたみが半分も分からない、と思って未だ行ってない。)あるいは、ミュエックの生み出すその人々は限界まで本当らしく、しかしその似ている曲線は漸近線にはどうやら届かないことになっているような人々らしい。彼らが誰か、ミュエックは知っているだろうか。

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Couple under an umbrellaは、二人の大きな人がパラソルの下で寄り添っている作品だ。おじいさんとおばあさんは海辺でひときわカラフルなパラソルを伴って、のんびりと太陽の恩恵に授かる。老いた人々の、たるんだ肉、皺の寄った皮膚は非常に肌理細かい。肌全体にはうっすらと細かいシミが広がっており、血がゆっくりと通う静脈の血管がその表面に、皮膚の色に本当の色調を変容させられながらぷくっと浮かび上がる。
おばあさんの足下に寝転んで眩しそうに目を細めるおじいさんの眉の毛は、長い。耳の穴からはやや伸び過ぎた毛が見えている。彼らの毛穴はときどき開いたり、閉じたりしており、長い長い人生の時間を歩き疲れた足の裏はくたびれて、おばあちゃんの足の指は軽く外反母趾の変形した親指の根元が在り、多くの人が時々悲鳴をあげるか涙ぐむような事態を引きおこす巻き爪もある。それにしても、足の裏の皮膚というのは、二の腕だとかお腹のフワフワの皮膚に比べてたいそう硬く、毎日の歩行によってある程度形状が固定されており、たった数時間裸足になってそれを自由にしたところで、生まれたての足には二度と戻らない。mueck_atelier_1 言うまでもないが、私たちの身体は、常に完璧に手入れの行き届いた代物ではないし、完全なるフォルムやプロポーションをもつ個体は、ない。ヴィーナスの像のようでもあり得ない。おばあさんの肩は、ひどくなで肩、頭部に対してやや貧弱で左右の高さが違うし、背筋もやや歪曲しているようだ。そもそも、からだはスポーツ選手やモデルなら最上級に手入れするのだろうが、そうでもなしに放っておくとどこか歪んだりして左右対称ではなくなる。これは、病気でもなんでもなく、普通のことだ。
ひざやひじの皺の感じや皮膚の肌理までもがあまりにも本物の身体、といっても私たちが日々目にするような、取るに足らない身体に似ているので、サイズを覗けば違和感がない。臭いがしないのが不思議なほど、そのふくらはぎに手を伸ばしたならばきっと老人の肌のようにふわふわと弾力を欠き、やわらかく、そして、温かいに違いないと感覚する。

Still life (2009-2010) :
mueck_still_life

つりあげられたニワトリの顔の安らかな様子は、死のことに対する我々の印象を一蹴する。死は安らかである。それが巨大なニワトリのものであっても。

Woman with sticks (2009-2010) :
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薪を精一杯運ぶ小さな働く人。お腹や二の腕の内側など、肌の弱くやわらかい部分が薪に傷つけられてかすり傷だらけになっている。持ちきれないほどの薪をいっぺんに抱えて、その身体は後ろに反り返り、険しい顔をしている。なるほど、女性の身体には力がみなぎっているようにも見えるが、働くべき小さな諦めのようなものも併存している。あるいはそのことに疑問を唱えない強さというべきか。縮れた豊かな陰毛はふさふさに茂ってカッコいい。それらはエナジーを感じさせる力強い身体であると同時に、普通の人のありそうなからだである。酷使も過保護でもなく、無理に矯正も受けていない、生まれて普通に育ってきた働く身体。肉体は傷だらけで、踏ん張る力強い足、ゆたかな陰毛は美しく温かい。

mueck_woman_with_sticks

Woman with shopping (2013) :
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両手にスーパーの買い物袋を下げた女性。女性の両手は買い物袋で塞がっておりその小さな身体にはいささか荷が重いと言うふうに、どことなくしんどそうである。コートの前方の空いている部分に目をやると、赤子の小さすぎる頭が覗いている。疲れているのだろう、顔がこわばって、その視線は遠くを見ている。赤ん坊のことなどちらりとも見ない。かわいそうな赤ん坊の頭部は異様に小さく異様に細長い。洗物や掃除のせいで手は乾燥しているのか。買い物袋を覗けば、缶詰やソースなど普通の食べ物がちらりと見える。(写真は制作過程)

Mask Ⅱ (2001)
mueck_mask_2

巨大な頭部としてのマスクⅡ。あまりに巨大なのでどんな細部も見えすぎる。とりわけ、このひげは素晴らしい。色の細かく違う、白髪や黒や灰色の色の違うひげがいっぽんいっぽん丁寧に皮膚に埋まっている。毛とは、あるいは毛根とは奇妙なものである。ひげ抜きとは非常に面白いものだが、これを見ていると耐えられないほどにひげ抜きたい願望を掻き立てて止まない。欲望を刺激する皮膚であり、もはや訴えるようなひげである。(写真は部分)

Man in a boat (2002) :
船に乗った人は照明のせいだろうか、その表情のせいだろうか。肌は透明で凍り付くようであり、死神が存在し、万が一人間らしい容貌をしていたのならこんなおじさんではないかと思える。向こうを、のぞきこんでいるが、そこはもう世界の外側である。ただし、裸の死神というのも奇妙だ。

Young couple (2013) :
カップルは若い。ハーフパンツの少年が少女の手を掴んでいる。手を握っていると言うよりも、はっきりと手首を掴んでいる。ふたりの若者の顔には、幸せとか安らかさというよりも、何かしらの緊張が見て取れる。少女の腕を掴む力のある腕には筋があり、ある程度力を込めて彼女の手首を握っているということが見て取れる。女の子は半分くらい少女であるのに、目は遠くを見つめてうごかず、その表情のせいだろうか、どことなくおばあちゃんのように見えてしまう。

そして、壁一面の静かな水面に浮かぶ、一人の男がいる。Drift(2009)がそれだ。Driftは、壁一面、一室にその一点だけが展示されているという、贅沢な空間利用によって、これまでのホワイトキューブの空間とはまったく別の世界観を演出している。このサングラスの男がどんな目で、いったい誰なのか、サングラスよりも遠くのことは私たちにはよくわからない。ニワトリよりもおばあちゃんよりも、作者に似ていない気がしなくもないが、近づくとやはり違う。

あまりにも本当らしいその人たちは誰?

04/8/13

ARRRGH ! HYBRIDE MONSTERS / ARRRGH ! 身体のハイブリッド性 @Gaîté Lyrique

ARRRGH! Monstres de mode / モードの怪物たち

あるとても寒い日、といっても世界の他の国々と同様に既に4月を迎えているのだが、郊外では雪すらうっすら降り積もったというその日、数日前まで最終日までに行けないのではと思っていた展覧会に思い立って行ってきた。展覧会は気になったら行ったほうがよく、人は気が向いたら会うほうがいい。

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ARRRGH! http://www.gaite-lyrique.net/theme/arrrgh-monstres-de-mode
du 13 février au 7 avril 2013
@Gaîté Lyrique
Arteの展覧会ビデオでも気になってたまらない、(ビデオはこちらです)黄色いスウェードの衣をまとった生き物は『千と千尋の神隠し』に登場し、その愛らしい動きと顔がないその顔によって一躍有名になった、あのカオナシ様に似ている。だが、なんだいジブリのパクリやないか、と勝手に一件落着してはならない。実はこの洗練された顔、IAMAS出身のグラフィック•アーティスト大石暁規さんの、あのキャラクターのお顔なのである。正面から見ても近寄っても横から見ても、たしかに愛嬌のあるこの有名なモンスターは、PICTOPLASMAのPICTOORPHANGE LES PETITS BONHOMMES (2008)である。PICTOPLASMAはアートにおけるキャラクター的なものやファッションのデザインと身体の関係に着目し、キャラクターデザインやタイポグラフィデザインを手がけるほか、アートブックの出版も行うドイツのグループである。こちらは、2010年に行われたハンブルグでのPICTOPLASMAの展覧会だが、こちらで大石暁規さんのタイポグラフィック・キャラクターが登場する。

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*大石さんのサイトはこちらAkinori Oishi

 

ARRRGH!は日本語でいえば、ギャー!といおうかウギャー!といおうか、そんな展覧会タイトルである(と思う)。残念ながらふざけてるわけではないのだが、さすがにタイトルだけではちょっと訳が分からないのでコンセプトを見てみよう。
ISABELLE MOISYによる解説によるとこうある。
——-
「ファッション•クリエーターが創造するハイブリッドなものたち。現代のヴィジュアル•クリエーションの中でも人間の身体や様々なコスチュームに関する作品を展示する。とりわけ、Atoposの創作活動と作品に焦点を当てながら、そのスタイリストやデザイナーが「モンスター」像を通じて浮き彫りにする、身体とアイデンティティーのハイブリッド化の過程をお見せする。」( D’une recherche étonnante sur la création visuelle contemporaine dédiée à la figure humaine et au costume, le collectif grec Atopos met en lumière l’univers de stylistes et designers qui explorent les processus d’hybridation du corps et de l’identité à travers l’image du monstre. )
ARRRGH!はしたがって、奇怪なモンスターたちに出会ってしまったときの、我々の驚きと恐怖と違和感に満ちた「叫び」をあらわす。この展覧会会場に所狭しと立ち尽くすマネキンやキャラクターたちはそんな我々の叫びに囲まれて日々を過ごしている。

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補足となるが、この展覧会と合わせて、PICTOPLAMAから出版されている一冊のカタログ »NOT A TOY. Fashioning Radical Characters »(Edited by V.Sidianakis,2011)についてもリンクを掲載させていただく。表紙は性同一性障害という長きにわたる自己の問題と向き合って去勢手術とそのほか幾つかの整形手術を行ったプロセス(2005ー2007年)をセルフポートレートで表した作品で著名のピューピルさんが制作した強い色のニットを纏って登場している。— http://www.atopos.gr/publications/not-a-toy/
また、覗かれるだけでも軽く眩暈がするけれども楽しいATOPOSのサイトもご覧になってみて頂ければと思う。ATOPOS

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さて、個人的にも、PICTOPLASMAの作品はこれまでも何度も目にしたことがある。たとえば、つい昨年、同Gaité Lyriqueでの展覧会PIctoplasma(http://www.gaite-lyrique.net/programmation/theme/festival-pictoplasma)が行われた際にも多くのキャラクターを目撃したし、Petite Salleでのインスタレーションパフォーマンス、The Missing Link(2011)もインパクトがあった。雪だるまというか雪男といおうか、しかしやはりどこかキャラクターらしく可愛らしい姿をした不思議な生き物が、真ん中のとりわけ大きな雪男にひれふし、からだに対して小さく細い腕を天にかざし、天啓を仰いでいるような、何かを祈り何かを求めているようなポーズ。

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それでは、数あるモンスターの中からその幾つかをご紹介しよう。フレークが詰まったタイツをたくさん被ったセクシーなモンスターは、ALEXISのTHEMISTOCLOEUS FREAKS (2011)である。ありとあらゆるマテリアルを挑戦的に使用したファッションモンスターの展覧会において、もっとも無意識に触ろうとしてしまいかけたコスチュームである。展覧会の入り口で見た「作品は非常にフラジャイルです」という注意をつい忘れてしまうところであった。細かいフレークがパンストにパンパンに詰められて、マネキンのボディを覆っている。マネキンのボディはつるっとしている一方で、ストッキングの表面に訴えかけるフレークのつぶつぶの質感は魅力的である。この形状は、月並みには有名な草間彌生のスカルプチュアや身体のフラグメントの表現のようだが、どうじに、それ自体が独立した別の生き物であるかのようにも見える。

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CHARLIE LE MINDU のヘア系スカルプチュアも一連のシリーズとして定評がある。髪の毛で作られた巨大な唇、長い髪の毛で身体を覆うようなコスチューム。髪の毛は、前述のフレーク入りの温かく柔らかそうなパンストの対極にあり、触りたく思いにくい代物である。モンスターと髪の毛の関係について思い起こしてみると、日本には、お人形さんの髪の毛が伸び続けるという怪談があるし、女の人の幽霊もたいてい皆長い長い髪の毛を垂らしている。だがそれらは決してすすんで触れたくなるようなものではない。そもそも、髪の毛というのが半分死んだ細胞であることは、我々は感覚的に知っているようだ。レストランのお料理の中に髪の毛が入っていたら、たいていの人は憤慨して不潔だと言ったりする。あるいは、ホテルに宿泊してお風呂や流しに見知らぬ人の髪の毛がたくさん落ちていたりしたら、不快に感じたりする。髪の毛は、なるほど我々を不安にさせるようなテクスチャーを持っている。それは彼らが死んでいるからでもあり、性器を本来保護する陰毛とも関係があるからである。髪の毛で造形された大きな唇は、もはやただの唇ではない。

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あるいは、Manon Kündigの風船服。我々の身体も時々こんなふうに深海を泳ぐフグのように、プウっと膨らんでは静かに縮んだりしたら面白い。あるいは、実は既にそのようであるのかもしれない。膨らんで膨らんで、破裂するすれすれにその表面が裂けていることにもなぜだろう、多くの場合ひとびとが気づくことが出来ないのは、我々が心外にもその痛みに鈍感であるからだろうか。

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またCHARLIE LE MINDU Kiss Freak(2011)は同様にヘア系スカルプチュアのうちの一つ。鏡を覗き込んで「世界で一番美しいのはだあれ?」と猫なで声で魔法の鏡に尋ねるうら若い女性の顔は唇だらけ。口はそう、身体と外界を繋ぐ管の境界部分として我々のからだに切れ目を生じさせている。彼女の顔を間違って覗き込んだりしてはならない。そのとき、我々もまた、その裂け目を自己身体の表面に意識せざるを得なくなるのだから。

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DIGITARIA(Collection Mind Over Matter en collaboration aver Hope)による2012年秋冬コレクションからは、やわらかい大きな抜け殻。暗闇の中にうかぶ真っ白な抜け殻はなんだか気持ち良さそうで、そこにからだを埋めれば今もまだ、見知らぬ生き物の温度を肌に感じることすらできそうである。これをみると、ああ我々はいつか映画で見たように宇宙からやってきたエイリアンかなにかで、カプセルの中に閉じ込められていて、時がやってきてその外に出ることが出来たのであり、われわれはそこをぬけだしてどこか自由になったのだと思うかもしれない。そのような幸福な想像力と同時にわたしはもうひとつの全く別のストーリーを想像することが可能だ。それは、これらの抜け殻は実は、もともと空っぽの抜け殻として準備されていたのであり、その空洞はなにかがその中に侵入してくるその瞬間を首を長くして待っているのだ。たとえば、あなたが迂闊にも、その中柔らかい内部に侵入してくるようなことを。

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04/7/13

The Fragile, Louise Bourgeois / ルイーズ•ブルジョワ 『The Fragile』

The Fragile, Louise Bourgeois / ルイーズ•ブルジョワ 『The Fragile』

MoMA
Inside / Out, The making of Louise Bourgeois’s The Fragile

installation

初めて訪れたニューヨーク近代美術館(MoMA)で、未だかつて見たことのないとても素敵な絵を見つけた。2010年に98歳で亡くなったパリ生まれのアメリカアーティスト、ルイーズ•ブルジョワのThe Fragilesという一連のシリーズである。スペースの壁に展示されていたのは36枚のドローイング。青や水色で描かれた女性の身体。それらはある時は妊娠し、あるいはその胸を我々に向かって解放する。またある時は、かの有名な蜘蛛の姿になって紙の上を滑らかにうごめく。彼女の作品の幾つかを知っていれば、一目見て「ブルジョワの作品」と気づかないわけにはいかないほど、明確に一貫し、繰り返されるライン上に位置する作品であると言える。しかし、なぜだか、以前のこのような作品とは全く似つかない予感をこれらのドローイングは隠している。

ルイーズ•ブルジョワは、嫌われたり愛されたりするのに、ややハッキリしすぎる。しかしその方法は、上述した「一貫し、繰り返されるライン」によって固定化されるブルジョワ的世界観に囚われているだけなのだ。グロテスクなもの、不安をかき立てるもの、女性性の歪められた表象、男性性への恐れと憎しみ、生きることの痛みのある意味での物質化…。これらは確かに、分かりやすく理解可能な説明だが、その過剰に明解な定型文たちはぐるぐると同心円を描いて軌道を回り続け、そこには抜け穴も逸脱の可能性も、ない。わたしがこの素敵な絵を見て感じたことは、むしろ、それらの化石のような理解可能な説明とは無関係に、ブルジョワは世界に生きているということだった。「ラディカルに」しかしひたすら同じことを繰り返すアーティストは、これらを描いた95歳のその時も絶えず生きて、彼女の内部が変わり続けていたということに他ならなかった。このことをもう少し具体的に述べてみたい。

突然だが、何の悪意もなくわたしの個人的な印象を述べることが許されるのなら、ブルジョワが大嫌いな人は男性に多く、このことは事実である。なぜなのか? その理由はごく単純で、ブルジョワが作品制作を通じて、世の中の男という生き物を裸にして晒し者にし、それだけでは気がおさまらずに滅ぼしても滅ぼしてもなお、復活させ痛めつけ、滅ぼすことを飽くなく繰り返してきたからである。ルイーズ•ブルジョワは男性が嫌いだ。そのこと自体はいくら聞き飽きたからといって覆そうと思っても意味がない。彼女がボコボコに解体しようとする男性性というものが彼女の父親像に端を発していると言うこともまた揺るぎない事実だ。彼女の父は彼女の母と家庭教師であったもう一人の女性と肉体関係を持ち、この二人の女性と同居した。ルイーズもこの一つ屋根の下にいた。ルイーズもまた彼女の父によって性的に望まない被支配的状況に置かれたことも言われている。ルイーズの残した言葉の端々に、父による自己の破壊が読み取れる。

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Destruction of the Father (1974) という作品は、強烈な作品である。わざわざ読みほどくのも恥ずかしいほど明瞭だが、「父を破壊する」というタイトルについて、彼女は「父がわたしを破壊したので、今度はわたしが父を破壊する。それがいけないわけないじゃない。」と言い放つ。まことにカッコいいことである。破壊された父は、テーブルの上でルイーズに食物として食われたのでした。これではあまりに酷い説明であるため、もう少しだけ。Destruction of the Fatherは、ルイーズがすでに63歳の時の作品で、家族を苦しめた父をテーブルの上に引きずりあげて、あなたのせいで皆苦しみましたから、あなたは食べ物として食われてしまえ、という作品である。ヴィヴィッドな黄色の丸いスカルプチュアが薄暗く天井の低い部屋にたくさん並んでいる。その真ん中にはテーブルがあり、テーブルの上には既に人間の外見は留めていない、言うなれば臓物だとかエイリアンの断片として表象された父がいる。そのテーブルというのもインスタレーションに入ればすぐさま連想するように、ちょうどベッドのサイズなのだ。ベッドにぐちゃぐちゃに散らばった父。ルイーズにとってのベッドは、父と母の眠るところであり、父が浮気する場所であり、人が子孫を生み出すところであり、同時に人が死ぬ場所でさえある。この作品において、ルイーズ•ブルジョワはフロイトの女性性に関する理論(欠けた存在としての女性)を参照し、その理論に異義を唱えながらもそのことを不安に思うと言って、結局はそれを食べるのである。このことはフロイトをひとまず退け、彼女の父に対する距離を考えるならば、興味深く思える。破壊されるべき父を無惨にばらばらにしたのちに、彼女はそれを摂食することによって、自らの中に吸収•統合してしまうという行為。この一点において、Destruction of the Fatherは煮え切らず、気持ち悪いのであり、この一点においてのみ作られた意味があるとわたしには感じられる。

さて、それから彼女は長く生きた。2007年にそれらのThe Fragileシリーズを描くまでの33年の日々。まだ33年生きたことがないので、わたしはそれがどれくらい長いのか知らないが、どちらにしても同じ時間は流れないので、わたしには一生知り得ないことである。

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さて、The Fragileシリーズは、ルイーズ•ブルジョワの作品の中でずばぬけて平和的である。そこには攻撃性や暴力的なものがない。妊娠した女性の大きなお腹の青い色は丁寧で優しい。こどもを産む女性の膨らんだ胸から、赤子を育む母乳がほとばしるその様子なども、光が差し込むように明るい。赤などの色彩を帯びたときでさえ、そこにあるのは生命の温度である。あるいはまた、いまや世界中に点在する巨大な蜘蛛スカルプチュアの不気味を想起させる、中心に顔と放射線状に伸びた無数の腕をもつ生き物は、皆あっけらかんとしていて、かつてのようには苦しんでいない。それらは、フロイトによって「欠けた存在」と名付けられ、しばしば父なる存在に支配を受けながら子を産み続け、不運にも、世界の中に根を張ることのできるような普遍的に安定した場所を持たず、海の中をフワフワと漂う原始的な藻類の仲間のように、描き出される。それは、彼女がとても長い時間をかけて見いだしたひとつの生き物の形のことである。これらのドローイングが明らかにすることは、ルイーズ•ブルジョワが、恐れ続けていたものに対していっさいの恐れを失ったということであって、恐れがない彼女の作品は見る者に生き物の形を見せながら、それが酷くいびつなものであっても、いつかそれが怖くないのだということを語っているのが聴こえてくる。