04/29/13

新聞女論 vol.1 新聞女@グッゲンハイム美術館 – 新聞は纏うとあったかい。/Newspaper woman @guggenheim museum

本記事は、これより第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第一弾、 新聞女論 vol.1「新聞女@グッゲンハイム美術館- 新聞は纏うとあったかい。」です。

 

Newspaper Woman wearing  Shozo Shimamoto's painting

Newspaper Woman wearing Shozo Shimamoto’s painting

神様の偏西風が逆向きに吹いて、全く訳の分からないまま、私を乗せた飛行機はぐいぐいとニューヨークに引っ張られ、私がグッゲンハイム美術館の裏口に侵入したのは、19時半すぎ。「新聞女パフォーマンス@グッゲンハイム美術館 in NY」(Art after Dark, site )の開始時間の1時間以上前だ。本来JFK空港着予定が19時55分で、そこからうまく渋滞がなかったとしても、美術館に着くのは22時近くなりそうだったのだ。ミステリーである。私はその前日も飛行機でも寝ておらず神様の追い風のせいで頭の芯がしびれており、図々しいとはもちろん思いながら、準備中で確実に大忙しの西澤みゆきさん(新聞女, 新聞女HP)にコールしてもらった。新聞女はまだ新聞を纏っておらず、白いぴたっとしたカットソーを着ていた。彼女は私が着いたのを喜んでくれ、私はとてもわくわくし、三日分の荷物を詰めたちっちゃいスーツケースを引きずって、彼女が手伝わせてくださるという制作の現場にひょこひょことついていった。


kobe, 2012

kobe, 2012

私が新聞女パフォーマンスに出会ったのは昨年、2012年5月12日に神戸ファッションミュージアムで行われた記号学会においてである。小野原教子さんが実行委員長をされた『日本記号学会第32回大会 「着る、纏う、装う/脱ぐ」』(JASS HP)の学会第一日目、アーティスト「新聞女」が現れて、たくさんの研究者とか大学の先生とか学生さんで溢れる学会の会場がたちまち新聞で覆い尽くした。彼女は台の上で新聞一枚でぐるりと回りを覆われながら、そのなかで、全部脱いで、裸になって、ドレスを纏った。
(記号学会でのパフォーマンスの写真やコメントは以下ブログ うきうきすることが起こった。日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。Part1

after the performance, kobe, 2012

after the performance, kobe, 2012

ダンサーの飯田あやさんらによる新聞の舞にうっとりしている間に、周りの大人たちが笑顔で新聞だらけになっていく。みんなが楽しそうに、「私にもぜひ新聞巻き付けてくれ」と遠くにいた人たちもどんどん新聞女のほうに吸い寄せられていく。新聞の海のヴォリュームの中からわき上がるように高く高く登って、いつの間にかデコルテのロングドレスにエレガントな日傘を携えたの超笑顔の女が頂に姿を現し、パフォーマンスは完成した。纏った新聞はあったかくて私はとても幸福だった。彼女のパフォーマンスに初めて取り込まれた日のことだ。

 

グッゲンハイム美術館から直々のインヴィテーション。新聞女と新聞女ズ、そしてAU(Art Unidentified)の一団はニューヨークの郊外アーレンタウンを拠点に2013年2月初頭にアメリカに渡り、そこでFUSE Art Infrastructureの支援を得て寝食を共にしながら、 »Lollipop »(lollipop itinerary)という一連の企画でアーレンタウンとニューヨークで連日制作発表の多忙且つアーティスティックな日々を送っていた。グッゲンハイム美術館からのパフォーマンス依頼が届いたのは、彼女の最愛の師匠嶋本昭三さんが亡くなったその瞬間であったということを知る。全ては、小さな人間には手の届かない遥かに大きな「なにか」にうごかされた運命なのである。彼女たち数名は意を決して帰りの飛行機チケットをどぶに捨て、来る3月9日夜、嶋本ミーム*を共有する者たちのエネルギーでグッゲンハイム美術館を新聞で覆い尽くすことを誓ったのであった。私は突然の渡米を決めた。私はアメリカに行ったことが無い。自分がアメリカに行くというのはとても不思議に思えた。京都からは吉岡洋さんが具体と新聞女についてのインタビューを受けたりするため渡米する予定で、私もいっしょに新聞女のパフォーマンスを体験することにした。この記念すべきパフォーマンスのために、仙台の中本誠司美術館は嶋本氏の作品を西澤みゆきがグッゲンハイムのスロープで衣装として纏うことを許可し、当美術館からも当パフォーマンスへの協力者がかけつけ、ユタ州からは元新聞女ズの強力な助けがあり、フロアに設置された巨大新聞と新聞女号外の制作者やニューヨーク在住の知人協力者、そしてもちろん一ヶ月間連日制作発表を共にしてきた新聞女ズの中心に、笑顔で皆を率いる新聞女の姿があった。新聞女は、笑っている。舞台裏で制作に汗を流す仲間たちに指示を出し、自らも運び、走り、彼女のエネルギーがそれが遠くにいても感じられたりするなにかであるようにまばゆかった。

wearing her beautiful dress made of Shinbun

wearing her beautiful dress made of Shinbun

 

舞台裏にはたくさんの仲間たちがさすがはプロの手早さで作業をしており、私なんかが急に邪魔しにやってきて説明していただく時間や労力を割いてもらうのすら恐縮だったので、見よう見まねで出来るだけ頑張った後はジャーナリストに徹して写真を撮りまくろう(つまりサボり!)とひとり決意し、それでも教えていただきながら皆さんの巧みな新聞さばき/はさみさばき/ガムテープさばきを盗み見しながら、作品のほんの一部だけ制作に貢献した(ような気もする)。それぞれの分担作業に取りかかる前に、ボス新聞女から皆にパフォーマンスの段取りの説明があった。このパフォーマンスはなんと、21時から24時までの3時間持久レース、幕開けはPlease walk under hereの裾が30mにも及ぶレースでできた新聞ドレスでの登場。その後グッゲンハイムの名物スロープを利用して様々な新聞コスチュームを纏ったパフォーマーがヴィジターを巻き込んでパレードする、パレードが終わるとフロアでは巨大テディベアがどんどんその実態をあらわし、その傍らシュレッダーされたモサモサの新聞を生やしたニュースペーパー•モンスターがそれをフサフサさせながら踊る。フロアにいる人は、演歌や新聞女のテーマというジャパン的BGMに乗って「半額」とか「30円」のレッテルをぺたぺたくっつけられながらそこにいるだけで面白くなってしまう。そして、スロープには大きな「gutai」の文字をバックに嶋本昭三作品をエレガントに纏う、みゆきさんの姿が…。

Newspaper Woman's newspaper, special edition

Newspaper Woman’s newspaper, special edition

 

Princess !

Princess !



フルで3時間続くパフォーマンスなんて、いったいどんな体力であろう。しかも彼女らは連日の制作•発表•制作•パフォーマンスの多忙の中で寝ずに今日の日に突入しているという。フロアは入場者で満たされていく。Please walk under here ! の長い裾を皆で丁寧に支え、スタンバイ状態に入る。ああ、なんて、皆を巻き込むパフォーマンスはただひたすらにワクワクし、そこに存在するだけで楽しいのだろう。Please walk under here ! は新聞女の師匠、嶋本昭三氏の「この上を歩いてください」(Please walk on here, 1955)のオマージュである。女の子のスカートの下(というか中?)を歩く。めくり上げられたスカートの内側をあなたは堂々と歩いてよい。その長い長いスカートの裾はとても繊細なレース模様が施されており、それをばっさばっさまくり上げながら、観客であるあなたは中に取り込まれるのだ。盛大なスカートめくりであり、あなたはそれを覗く者となる。

"Please walk under here" goes on

« Please walk under here » goes on

Newspaper Woman appears in public !

Newspaper Woman appears in public !

with 1000 visitors

with 1000 visitors

fantastic !

fantastic !

パレードでは写真家のヤマモトヨシコさんが撮影された素晴らしい作品がパネルとして掲げられ、新聞女と新聞ドレスを着た女たち、そして巨大ジャケットを着た普通のサイズの人たちが練り歩く。このデカジャケのコンセプトは「着てたのしい、見てたのしい」。ファッション科出身の西澤みゆきの手にかかりジャケットは新聞と言えどきちんと裁断され、(巨人使用だけど)リアルな洋服の作りとなっている。着るととにかく面白いこのジャケットは「吉岡洋が着てもアホに見えるところがポイント」だとかなんとか。このジャケットを着て改めて思ったのだが、新聞は普通の服や紙より明らかにあたたかい。それがただ何枚も重ねられたり文字が印刷されているためだけでなく、新聞女とその仲間たちが創り出すそのものたちは、纏うととてもあたたかい。

Yoshiko Yamamoto's picture works

Yoshiko Yamamoto’s picture works

in her famous giant jacket, Parade

in her famous giant jacket, Parade

Half price

Half price

 

これらの大量の新聞は、アーレンタウンで彼女らの活動を支援したFUSE Art InfrastructureのLolipop Co-Directorでアーティストのグレゴリー•コーツが現地で入手してくれたものだそうだ。素晴らしいディテールのレースのドレスも、労力を要求するシュレッダー•モンスターのコスチュームも、可愛い巨大テディベアも、その一夜限りのニュースペーパー•ドリームを演出するために生み出され、そして、処分される。新聞女の作品はダイナミックで、パフォーマンスはエネルギーに満ちている。それらが全て撤収されて、片付けられて、元の世界が舞い戻ってくるような瞬間は、なんだか奇妙にすら感じられる。しかしそこには、たとえば夏が終わったときのような哀愁や寂しさは漂わない。なぜなら、一度新聞女に出会った者はその日の出来事をもう二度と、忘れることが出来ないからだ。そのエネルギーは出会ったあなたの中に既に送り届けられ、それはより多くの人たちと「ハッピー」を共有するために、増殖を続けるのみである。

 

a big teddy bear after the performance

a big teddy bear after the performance

elegant lace dress after the performance

an elegant lace dress after the performance

「いま目の前にいるみんなが喜んでしあわせにいれるように。地球の誕生から様々な生命が繰り返されてきたように、その大きな生命体の一部として。作品は残らなくても、みんな(や地球)がニコニコはっぴーでいれることに貢献したい。」(西澤)

(グッゲンハイム美術館でのパフォーマンス、その他の写真はこちら
*嶋本ミーム ミーム(meme)とは人から人へと行動や考え方を伝達する文化的遺伝子のこと。京都ビエンナーレ(2003)では嶋本昭三と弟子の作品を集めた「嶋本昭三ミーム」展が開催された。

新聞女は明日から三日間(4月30日ー5月2日)、高の原AEON MALLに現れる。

(リンク http://www.aeon.jp/sc/takanohara/event/

日程 / 時間
・4月30日(火)
13:00~高田雄平 自分だけのブレスレット作り
15:00~新聞アーティストと一緒に巨大テディベア作り
・5月1日(水)
13:00~岡田絵里 はし袋でパレードしよう
15:00~新聞アーティストと一緒に新聞ドレスで館内パレード
・5月2日(木)
13:00~八木智弘 自分だけのミサンガ作り
15:00~巨大新聞こいのぼりを作ってトンネル遊び
場所:2F 平安コート他

 

「新聞女論  vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。」もお楽しみに。

 

04/22/13

ロン•ミュエック:あまりにも本当らしいその人たちは誰?/ Ron Mueck, who are the persons like someone ?

Ron Mueck Exposition : site here.

Fondation Cartier pour l’art contemporain
le 16 avril – le 29 septembre 2013

SONY DSC
ロン•ミュエックは1958年、オーストラリアのメルボルンに生まれた。現在はロンドンに住み、様々な大きさやかたちの身体の部分が並ぶストイックなアトリエで、数人のアシスタントとともに世界中の人々を驚愕させる作品を生み出し続けている。この有名な美術家が日本の人々によく知られるきっかけとなったのは、今からもう5年も前になる金沢21世紀美術館において開催されたロン•ミュエック展(site here.)である。あの、一躍有名になってしまった産み落とされたばかりの巨大な赤ん坊は、可愛らしいというよりもまだ血だらけで顔もしわくちゃ、一見そのへんの猿よりもサルらしい顔をしている。赤子なのに老けていて、おじさんのようなのにおばさんのようである。あの赤子にミュエックが与えたタイトルは、ア•ガール(A girl, 2006)。あまりのリアルさによく目を凝らさなければ産み落とされたばかりの男性器を見誤ってしまいかねない、立派なへその緒がぼっこりと生えている。どんな言い方をしようとも、大きささえちがうものの、たしかに、生まれたての我々はこんな風なのだ。覚えていないかもしれないけれど。

SONY DSC

今回のパリカルティエ財団現代美術館(Fondation Cartier pour l’art contemporain, Paris)でのミュエック展は、2005年のRon Mueck展につづく第2回目となる。あの大きな女性が窓越しに横たわって、黒めがちの静かな眼差しを外の世界に向けていた様子(In Bed, 2005)を記憶に留めているパリジャンも少なくないだろう。今回は、あのパラソルの下の老夫婦を含む3つの新作(Couple under an umbrella, Woman with shopping, Young couple) を携えての展覧会となった。

私はミュエックが好きだ。ミュエックの創り出す人々の顔やからだ、その表面とかたちが好きだ。嫌いなところをどうしても言ってくれと万が一頼まれたならば、「あの人たちに触れられないこと」と答えるだろう。(ミュエック自信に対する好き嫌いでもなんでもないが。)ただ単に、触りたい欲望から耐えるのに必死なだけである。しかしそれは切実である。丁寧に作られた繊細な代物なので、触ることが出来ないのは、大人なのでわかる。そうなのだが、「ちょっとだけ」「ひとり1回だけ」とかお願いしたい気分になるのである。だって、その表面は本当に素晴らしいんだもの。
人間の身体のかたちが芸術作品のなかでどのように表現されるかということ、そして、一体どのように人間の身体という物理的なオブジェクトが、ただのオブジェクトであるよりも作る人と見る人の記憶や感覚に刻印されるような印象を残すことがあるのだろうか、ということについて、そのことばかりをずっと考えてきた。ミュエックのつくる人々とその身体は、そのような文脈においてただのオブジェクトであるよりも、大切な意味を持った作品である。

ミュエックの彫刻がリアルなことは確かに人々を驚かせる。そしてそのあまりに本物らしいのに、等身大ではなく、もの凄く大きかったり小さかったりするサイズによっても一種の奇妙さや不安な印象を与える。「なぜ実物大にしなかったのだろう、こんなに本物らしいのに」と問うことはあまり意味がない。リアルマネキンを作るのではないというのが理由の一つだ。誰かに非常に似ていて本当らしい大きさをもつリアル彫刻は、ロンドンのマダムタッソーとかパリのグレヴァンなどで嫌というほど見られる。(そして、テレビ的有名人に疎い私にはそのありがたみが半分も分からない、と思って未だ行ってない。)あるいは、ミュエックの生み出すその人々は限界まで本当らしく、しかしその似ている曲線は漸近線にはどうやら届かないことになっているような人々らしい。彼らが誰か、ミュエックは知っているだろうか。

SONY DSC

Couple under an umbrellaは、二人の大きな人がパラソルの下で寄り添っている作品だ。おじいさんとおばあさんは海辺でひときわカラフルなパラソルを伴って、のんびりと太陽の恩恵に授かる。老いた人々の、たるんだ肉、皺の寄った皮膚は非常に肌理細かい。肌全体にはうっすらと細かいシミが広がっており、血がゆっくりと通う静脈の血管がその表面に、皮膚の色に本当の色調を変容させられながらぷくっと浮かび上がる。
おばあさんの足下に寝転んで眩しそうに目を細めるおじいさんの眉の毛は、長い。耳の穴からはやや伸び過ぎた毛が見えている。彼らの毛穴はときどき開いたり、閉じたりしており、長い長い人生の時間を歩き疲れた足の裏はくたびれて、おばあちゃんの足の指は軽く外反母趾の変形した親指の根元が在り、多くの人が時々悲鳴をあげるか涙ぐむような事態を引きおこす巻き爪もある。それにしても、足の裏の皮膚というのは、二の腕だとかお腹のフワフワの皮膚に比べてたいそう硬く、毎日の歩行によってある程度形状が固定されており、たった数時間裸足になってそれを自由にしたところで、生まれたての足には二度と戻らない。mueck_atelier_1 言うまでもないが、私たちの身体は、常に完璧に手入れの行き届いた代物ではないし、完全なるフォルムやプロポーションをもつ個体は、ない。ヴィーナスの像のようでもあり得ない。おばあさんの肩は、ひどくなで肩、頭部に対してやや貧弱で左右の高さが違うし、背筋もやや歪曲しているようだ。そもそも、からだはスポーツ選手やモデルなら最上級に手入れするのだろうが、そうでもなしに放っておくとどこか歪んだりして左右対称ではなくなる。これは、病気でもなんでもなく、普通のことだ。
ひざやひじの皺の感じや皮膚の肌理までもがあまりにも本物の身体、といっても私たちが日々目にするような、取るに足らない身体に似ているので、サイズを覗けば違和感がない。臭いがしないのが不思議なほど、そのふくらはぎに手を伸ばしたならばきっと老人の肌のようにふわふわと弾力を欠き、やわらかく、そして、温かいに違いないと感覚する。

Still life (2009-2010) :
mueck_still_life

つりあげられたニワトリの顔の安らかな様子は、死のことに対する我々の印象を一蹴する。死は安らかである。それが巨大なニワトリのものであっても。

Woman with sticks (2009-2010) :
mueck_woman_with_sticks_2

薪を精一杯運ぶ小さな働く人。お腹や二の腕の内側など、肌の弱くやわらかい部分が薪に傷つけられてかすり傷だらけになっている。持ちきれないほどの薪をいっぺんに抱えて、その身体は後ろに反り返り、険しい顔をしている。なるほど、女性の身体には力がみなぎっているようにも見えるが、働くべき小さな諦めのようなものも併存している。あるいはそのことに疑問を唱えない強さというべきか。縮れた豊かな陰毛はふさふさに茂ってカッコいい。それらはエナジーを感じさせる力強い身体であると同時に、普通の人のありそうなからだである。酷使も過保護でもなく、無理に矯正も受けていない、生まれて普通に育ってきた働く身体。肉体は傷だらけで、踏ん張る力強い足、ゆたかな陰毛は美しく温かい。

mueck_woman_with_sticks

Woman with shopping (2013) :
mueck_atelier_2

両手にスーパーの買い物袋を下げた女性。女性の両手は買い物袋で塞がっておりその小さな身体にはいささか荷が重いと言うふうに、どことなくしんどそうである。コートの前方の空いている部分に目をやると、赤子の小さすぎる頭が覗いている。疲れているのだろう、顔がこわばって、その視線は遠くを見ている。赤ん坊のことなどちらりとも見ない。かわいそうな赤ん坊の頭部は異様に小さく異様に細長い。洗物や掃除のせいで手は乾燥しているのか。買い物袋を覗けば、缶詰やソースなど普通の食べ物がちらりと見える。(写真は制作過程)

Mask Ⅱ (2001)
mueck_mask_2

巨大な頭部としてのマスクⅡ。あまりに巨大なのでどんな細部も見えすぎる。とりわけ、このひげは素晴らしい。色の細かく違う、白髪や黒や灰色の色の違うひげがいっぽんいっぽん丁寧に皮膚に埋まっている。毛とは、あるいは毛根とは奇妙なものである。ひげ抜きとは非常に面白いものだが、これを見ていると耐えられないほどにひげ抜きたい願望を掻き立てて止まない。欲望を刺激する皮膚であり、もはや訴えるようなひげである。(写真は部分)

Man in a boat (2002) :
船に乗った人は照明のせいだろうか、その表情のせいだろうか。肌は透明で凍り付くようであり、死神が存在し、万が一人間らしい容貌をしていたのならこんなおじさんではないかと思える。向こうを、のぞきこんでいるが、そこはもう世界の外側である。ただし、裸の死神というのも奇妙だ。

Young couple (2013) :
カップルは若い。ハーフパンツの少年が少女の手を掴んでいる。手を握っていると言うよりも、はっきりと手首を掴んでいる。ふたりの若者の顔には、幸せとか安らかさというよりも、何かしらの緊張が見て取れる。少女の腕を掴む力のある腕には筋があり、ある程度力を込めて彼女の手首を握っているということが見て取れる。女の子は半分くらい少女であるのに、目は遠くを見つめてうごかず、その表情のせいだろうか、どことなくおばあちゃんのように見えてしまう。

そして、壁一面の静かな水面に浮かぶ、一人の男がいる。Drift(2009)がそれだ。Driftは、壁一面、一室にその一点だけが展示されているという、贅沢な空間利用によって、これまでのホワイトキューブの空間とはまったく別の世界観を演出している。このサングラスの男がどんな目で、いったい誰なのか、サングラスよりも遠くのことは私たちにはよくわからない。ニワトリよりもおばあちゃんよりも、作者に似ていない気がしなくもないが、近づくとやはり違う。

あまりにも本当らしいその人たちは誰?

04/8/13

ARRRGH ! HYBRIDE MONSTERS / ARRRGH ! 身体のハイブリッド性 @Gaîté Lyrique

ARRRGH! Monstres de mode / モードの怪物たち

あるとても寒い日、といっても世界の他の国々と同様に既に4月を迎えているのだが、郊外では雪すらうっすら降り積もったというその日、数日前まで最終日までに行けないのではと思っていた展覧会に思い立って行ってきた。展覧会は気になったら行ったほうがよく、人は気が向いたら会うほうがいい。

arrr9

ARRRGH! http://www.gaite-lyrique.net/theme/arrrgh-monstres-de-mode
du 13 février au 7 avril 2013
@Gaîté Lyrique
Arteの展覧会ビデオでも気になってたまらない、(ビデオはこちらです)黄色いスウェードの衣をまとった生き物は『千と千尋の神隠し』に登場し、その愛らしい動きと顔がないその顔によって一躍有名になった、あのカオナシ様に似ている。だが、なんだいジブリのパクリやないか、と勝手に一件落着してはならない。実はこの洗練された顔、IAMAS出身のグラフィック•アーティスト大石暁規さんの、あのキャラクターのお顔なのである。正面から見ても近寄っても横から見ても、たしかに愛嬌のあるこの有名なモンスターは、PICTOPLASMAのPICTOORPHANGE LES PETITS BONHOMMES (2008)である。PICTOPLASMAはアートにおけるキャラクター的なものやファッションのデザインと身体の関係に着目し、キャラクターデザインやタイポグラフィデザインを手がけるほか、アートブックの出版も行うドイツのグループである。こちらは、2010年に行われたハンブルグでのPICTOPLASMAの展覧会だが、こちらで大石暁規さんのタイポグラフィック・キャラクターが登場する。

arrr10

*大石さんのサイトはこちらAkinori Oishi

 

ARRRGH!は日本語でいえば、ギャー!といおうかウギャー!といおうか、そんな展覧会タイトルである(と思う)。残念ながらふざけてるわけではないのだが、さすがにタイトルだけではちょっと訳が分からないのでコンセプトを見てみよう。
ISABELLE MOISYによる解説によるとこうある。
——-
「ファッション•クリエーターが創造するハイブリッドなものたち。現代のヴィジュアル•クリエーションの中でも人間の身体や様々なコスチュームに関する作品を展示する。とりわけ、Atoposの創作活動と作品に焦点を当てながら、そのスタイリストやデザイナーが「モンスター」像を通じて浮き彫りにする、身体とアイデンティティーのハイブリッド化の過程をお見せする。」( D’une recherche étonnante sur la création visuelle contemporaine dédiée à la figure humaine et au costume, le collectif grec Atopos met en lumière l’univers de stylistes et designers qui explorent les processus d’hybridation du corps et de l’identité à travers l’image du monstre. )
ARRRGH!はしたがって、奇怪なモンスターたちに出会ってしまったときの、我々の驚きと恐怖と違和感に満ちた「叫び」をあらわす。この展覧会会場に所狭しと立ち尽くすマネキンやキャラクターたちはそんな我々の叫びに囲まれて日々を過ごしている。

arrr1

補足となるが、この展覧会と合わせて、PICTOPLAMAから出版されている一冊のカタログ »NOT A TOY. Fashioning Radical Characters »(Edited by V.Sidianakis,2011)についてもリンクを掲載させていただく。表紙は性同一性障害という長きにわたる自己の問題と向き合って去勢手術とそのほか幾つかの整形手術を行ったプロセス(2005ー2007年)をセルフポートレートで表した作品で著名のピューピルさんが制作した強い色のニットを纏って登場している。— http://www.atopos.gr/publications/not-a-toy/
また、覗かれるだけでも軽く眩暈がするけれども楽しいATOPOSのサイトもご覧になってみて頂ければと思う。ATOPOS

arrr0

さて、個人的にも、PICTOPLASMAの作品はこれまでも何度も目にしたことがある。たとえば、つい昨年、同Gaité Lyriqueでの展覧会PIctoplasma(http://www.gaite-lyrique.net/programmation/theme/festival-pictoplasma)が行われた際にも多くのキャラクターを目撃したし、Petite Salleでのインスタレーションパフォーマンス、The Missing Link(2011)もインパクトがあった。雪だるまというか雪男といおうか、しかしやはりどこかキャラクターらしく可愛らしい姿をした不思議な生き物が、真ん中のとりわけ大きな雪男にひれふし、からだに対して小さく細い腕を天にかざし、天啓を仰いでいるような、何かを祈り何かを求めているようなポーズ。

pictoplasma1

 

それでは、数あるモンスターの中からその幾つかをご紹介しよう。フレークが詰まったタイツをたくさん被ったセクシーなモンスターは、ALEXISのTHEMISTOCLOEUS FREAKS (2011)である。ありとあらゆるマテリアルを挑戦的に使用したファッションモンスターの展覧会において、もっとも無意識に触ろうとしてしまいかけたコスチュームである。展覧会の入り口で見た「作品は非常にフラジャイルです」という注意をつい忘れてしまうところであった。細かいフレークがパンストにパンパンに詰められて、マネキンのボディを覆っている。マネキンのボディはつるっとしている一方で、ストッキングの表面に訴えかけるフレークのつぶつぶの質感は魅力的である。この形状は、月並みには有名な草間彌生のスカルプチュアや身体のフラグメントの表現のようだが、どうじに、それ自体が独立した別の生き物であるかのようにも見える。

arrr12

arrr11
CHARLIE LE MINDU のヘア系スカルプチュアも一連のシリーズとして定評がある。髪の毛で作られた巨大な唇、長い髪の毛で身体を覆うようなコスチューム。髪の毛は、前述のフレーク入りの温かく柔らかそうなパンストの対極にあり、触りたく思いにくい代物である。モンスターと髪の毛の関係について思い起こしてみると、日本には、お人形さんの髪の毛が伸び続けるという怪談があるし、女の人の幽霊もたいてい皆長い長い髪の毛を垂らしている。だがそれらは決してすすんで触れたくなるようなものではない。そもそも、髪の毛というのが半分死んだ細胞であることは、我々は感覚的に知っているようだ。レストランのお料理の中に髪の毛が入っていたら、たいていの人は憤慨して不潔だと言ったりする。あるいは、ホテルに宿泊してお風呂や流しに見知らぬ人の髪の毛がたくさん落ちていたりしたら、不快に感じたりする。髪の毛は、なるほど我々を不安にさせるようなテクスチャーを持っている。それは彼らが死んでいるからでもあり、性器を本来保護する陰毛とも関係があるからである。髪の毛で造形された大きな唇は、もはやただの唇ではない。

arr13

あるいは、Manon Kündigの風船服。我々の身体も時々こんなふうに深海を泳ぐフグのように、プウっと膨らんでは静かに縮んだりしたら面白い。あるいは、実は既にそのようであるのかもしれない。膨らんで膨らんで、破裂するすれすれにその表面が裂けていることにもなぜだろう、多くの場合ひとびとが気づくことが出来ないのは、我々が心外にもその痛みに鈍感であるからだろうか。

arrr8

またCHARLIE LE MINDU Kiss Freak(2011)は同様にヘア系スカルプチュアのうちの一つ。鏡を覗き込んで「世界で一番美しいのはだあれ?」と猫なで声で魔法の鏡に尋ねるうら若い女性の顔は唇だらけ。口はそう、身体と外界を繋ぐ管の境界部分として我々のからだに切れ目を生じさせている。彼女の顔を間違って覗き込んだりしてはならない。そのとき、我々もまた、その裂け目を自己身体の表面に意識せざるを得なくなるのだから。

arrr4

arrr6

DIGITARIA(Collection Mind Over Matter en collaboration aver Hope)による2012年秋冬コレクションからは、やわらかい大きな抜け殻。暗闇の中にうかぶ真っ白な抜け殻はなんだか気持ち良さそうで、そこにからだを埋めれば今もまだ、見知らぬ生き物の温度を肌に感じることすらできそうである。これをみると、ああ我々はいつか映画で見たように宇宙からやってきたエイリアンかなにかで、カプセルの中に閉じ込められていて、時がやってきてその外に出ることが出来たのであり、われわれはそこをぬけだしてどこか自由になったのだと思うかもしれない。そのような幸福な想像力と同時にわたしはもうひとつの全く別のストーリーを想像することが可能だ。それは、これらの抜け殻は実は、もともと空っぽの抜け殻として準備されていたのであり、その空洞はなにかがその中に侵入してくるその瞬間を首を長くして待っているのだ。たとえば、あなたが迂闊にも、その中柔らかい内部に侵入してくるようなことを。

arrr7

 

04/7/13

The Fragile, Louise Bourgeois / ルイーズ•ブルジョワ 『The Fragile』

The Fragile, Louise Bourgeois / ルイーズ•ブルジョワ 『The Fragile』

MoMA
Inside / Out, The making of Louise Bourgeois’s The Fragile

installation

初めて訪れたニューヨーク近代美術館(MoMA)で、未だかつて見たことのないとても素敵な絵を見つけた。2010年に98歳で亡くなったパリ生まれのアメリカアーティスト、ルイーズ•ブルジョワのThe Fragilesという一連のシリーズである。スペースの壁に展示されていたのは36枚のドローイング。青や水色で描かれた女性の身体。それらはある時は妊娠し、あるいはその胸を我々に向かって解放する。またある時は、かの有名な蜘蛛の姿になって紙の上を滑らかにうごめく。彼女の作品の幾つかを知っていれば、一目見て「ブルジョワの作品」と気づかないわけにはいかないほど、明確に一貫し、繰り返されるライン上に位置する作品であると言える。しかし、なぜだか、以前のこのような作品とは全く似つかない予感をこれらのドローイングは隠している。

ルイーズ•ブルジョワは、嫌われたり愛されたりするのに、ややハッキリしすぎる。しかしその方法は、上述した「一貫し、繰り返されるライン」によって固定化されるブルジョワ的世界観に囚われているだけなのだ。グロテスクなもの、不安をかき立てるもの、女性性の歪められた表象、男性性への恐れと憎しみ、生きることの痛みのある意味での物質化…。これらは確かに、分かりやすく理解可能な説明だが、その過剰に明解な定型文たちはぐるぐると同心円を描いて軌道を回り続け、そこには抜け穴も逸脱の可能性も、ない。わたしがこの素敵な絵を見て感じたことは、むしろ、それらの化石のような理解可能な説明とは無関係に、ブルジョワは世界に生きているということだった。「ラディカルに」しかしひたすら同じことを繰り返すアーティストは、これらを描いた95歳のその時も絶えず生きて、彼女の内部が変わり続けていたということに他ならなかった。このことをもう少し具体的に述べてみたい。

突然だが、何の悪意もなくわたしの個人的な印象を述べることが許されるのなら、ブルジョワが大嫌いな人は男性に多く、このことは事実である。なぜなのか? その理由はごく単純で、ブルジョワが作品制作を通じて、世の中の男という生き物を裸にして晒し者にし、それだけでは気がおさまらずに滅ぼしても滅ぼしてもなお、復活させ痛めつけ、滅ぼすことを飽くなく繰り返してきたからである。ルイーズ•ブルジョワは男性が嫌いだ。そのこと自体はいくら聞き飽きたからといって覆そうと思っても意味がない。彼女がボコボコに解体しようとする男性性というものが彼女の父親像に端を発していると言うこともまた揺るぎない事実だ。彼女の父は彼女の母と家庭教師であったもう一人の女性と肉体関係を持ち、この二人の女性と同居した。ルイーズもこの一つ屋根の下にいた。ルイーズもまた彼女の父によって性的に望まない被支配的状況に置かれたことも言われている。ルイーズの残した言葉の端々に、父による自己の破壊が読み取れる。

father

Destruction of the Father (1974) という作品は、強烈な作品である。わざわざ読みほどくのも恥ずかしいほど明瞭だが、「父を破壊する」というタイトルについて、彼女は「父がわたしを破壊したので、今度はわたしが父を破壊する。それがいけないわけないじゃない。」と言い放つ。まことにカッコいいことである。破壊された父は、テーブルの上でルイーズに食物として食われたのでした。これではあまりに酷い説明であるため、もう少しだけ。Destruction of the Fatherは、ルイーズがすでに63歳の時の作品で、家族を苦しめた父をテーブルの上に引きずりあげて、あなたのせいで皆苦しみましたから、あなたは食べ物として食われてしまえ、という作品である。ヴィヴィッドな黄色の丸いスカルプチュアが薄暗く天井の低い部屋にたくさん並んでいる。その真ん中にはテーブルがあり、テーブルの上には既に人間の外見は留めていない、言うなれば臓物だとかエイリアンの断片として表象された父がいる。そのテーブルというのもインスタレーションに入ればすぐさま連想するように、ちょうどベッドのサイズなのだ。ベッドにぐちゃぐちゃに散らばった父。ルイーズにとってのベッドは、父と母の眠るところであり、父が浮気する場所であり、人が子孫を生み出すところであり、同時に人が死ぬ場所でさえある。この作品において、ルイーズ•ブルジョワはフロイトの女性性に関する理論(欠けた存在としての女性)を参照し、その理論に異義を唱えながらもそのことを不安に思うと言って、結局はそれを食べるのである。このことはフロイトをひとまず退け、彼女の父に対する距離を考えるならば、興味深く思える。破壊されるべき父を無惨にばらばらにしたのちに、彼女はそれを摂食することによって、自らの中に吸収•統合してしまうという行為。この一点において、Destruction of the Fatherは煮え切らず、気持ち悪いのであり、この一点においてのみ作られた意味があるとわたしには感じられる。

さて、それから彼女は長く生きた。2007年にそれらのThe Fragileシリーズを描くまでの33年の日々。まだ33年生きたことがないので、わたしはそれがどれくらい長いのか知らないが、どちらにしても同じ時間は流れないので、わたしには一生知り得ないことである。

louiseB

さて、The Fragileシリーズは、ルイーズ•ブルジョワの作品の中でずばぬけて平和的である。そこには攻撃性や暴力的なものがない。妊娠した女性の大きなお腹の青い色は丁寧で優しい。こどもを産む女性の膨らんだ胸から、赤子を育む母乳がほとばしるその様子なども、光が差し込むように明るい。赤などの色彩を帯びたときでさえ、そこにあるのは生命の温度である。あるいはまた、いまや世界中に点在する巨大な蜘蛛スカルプチュアの不気味を想起させる、中心に顔と放射線状に伸びた無数の腕をもつ生き物は、皆あっけらかんとしていて、かつてのようには苦しんでいない。それらは、フロイトによって「欠けた存在」と名付けられ、しばしば父なる存在に支配を受けながら子を産み続け、不運にも、世界の中に根を張ることのできるような普遍的に安定した場所を持たず、海の中をフワフワと漂う原始的な藻類の仲間のように、描き出される。それは、彼女がとても長い時間をかけて見いだしたひとつの生き物の形のことである。これらのドローイングが明らかにすることは、ルイーズ•ブルジョワが、恐れ続けていたものに対していっさいの恐れを失ったということであって、恐れがない彼女の作品は見る者に生き物の形を見せながら、それが酷くいびつなものであっても、いつかそれが怖くないのだということを語っているのが聴こえてくる。

03/16/13

新聞女@グッゲンハイム美術館 / Newspaper Woman @Guggenheim Museum

Photo album of Newspaper Woman’s performance @Guggenheim Museum, NY
March 8th, 2013, 21h-24h

Shinbunonna, Newspaper Woman, is a Japanese Artist, performer. Her master is Shozo Shimamoto, member of Gutai, Japanese artistic movement in 1950s-70s. She is invited for presenting the performance, and realized the event with her companies, artists, dancers, thanks to Fuse Art Infrastructure Allentown.

Shinbunonna HP
Fuse Art Infrastructure Allentown
Art After Dark
Guggenheim Museum, NY, Gutai Splendid Playground

Newspaper Woman's newspaper, special edition

Newspaper Woman’s newspaper, special edition

Newspaper Woman's bags

Newspaper Woman’s bags

Giant newspaper, special edition for the performance at Guggenheim Museum

Giant newspaper, special edition for the performance at Guggenheim Museum

wearing her beautiful dress made of Shinbun

wearing her beautiful dress made of Shinbun

preparing for the opening

preparing for the opening

on standby

on standby

on standby, her followers, too

on standby, her followers, too

Newspaper's fashion items

fashion items of newspapers

must be in bare feet !

must be in bare feet !

talking of her one-month experience in the U.S.A

talking of her one-month experience in the U.S.A to Hiroshi Yoshioka

Newspaper Princess' shoes

Newspaper Princess’ shoes

Princess !

Princess !

on a stepladder, followed by a crowd

on a stepladder, followed by a crowd

"Please walk under here" goes on

« Please walk under here » goes on

Newspaper Woman appears in public !

Newspaper Woman appears in public !

sophisticated lacework of her newspaper dress

sophisticated lacework of her newspaper dress

fantastic !

fantastic !

with 1000 visitors

with 1000 visitors

"Please walk under here" over

« Please walk under here » over

for next piece !

for next piece !

panels for Newspaper Woman Parade

panels for Newspaper Woman Parade

joyful mood

joyful mood

in her famous giant jacket, Parade

in her famous giant jacket, Parade

Half price

Half price

Special Price, 30 yen

Mr Yoshioka obtained a special price seal, 30 yen

Shred newspapers Monster is being born

Shred newspapers Monster is being born

Newspaper Woman wearing  Shozo Shimamoto's painting

Newspaper Woman wearing Shozo Shimamoto’s painting

Miyuki Nishizawa, artiste in her master's work

Miyuki Nishizawa, artiste in her master’s work

Next time, I’ll write the article about Newspaper Woman, Miyuki Nishizawa hopefully after interviewing with her !

02/25/13

梶村昌世 「物語は水の中へ」/ Masayo Kajimura, « folding stories into water »

梶村昌世さんは、 »二世 »としてベルリンに生まれ、ヴィデオアーティスト、パフォーマーとして国際的に活躍している現代アーティストである。彼女の両親がベルリンに移住し、梶村さんはドイツで生れ、そこで育ち、学んだ。展覧会やパフォーマンスなどの活動を除いて彼女が日本に住んで生活したのは、2005-2006年の岐阜県のIAMAS(Institute of Advanced Media Arts and Sceince/イアマス)で学んだ一年間である。彼女はこの一年間の日本での生活の間の制作を2006年にベルリンに帰国した後の5月にSolo Exhibition « One Year Japan » において、 »genjitsushinkiro »を含む3本の映画作品を発表している。(こちらでプログラムが確認いただけます。) そうした生い立ちから、日本はいつもその外側から見つめるべき存在であるという。しかし一方で、両親や家族を生み育て、彼らの文化や思想やそのほかのすべてを育んだ国としての日本は、自分自身もその内側に含める。梶村さんは、外部の者の視線で外側から日本を見つめると同時に、自分も内包されながら内側からも見つめることができる特殊なスタンドポイントをもってアーティストとして表現活動を行ってこられた。彼女のこの、自主選択に拠らない、産み落とされた瞬間付与されたとも言える運命的なアイデンティティへの問いは、彼女の表現のなかに様々な色彩を帯びて浮かび上がってくる。

 

2013年1月9日、ENSAD(Ecole Nationale Supérieure des Arts Décoratifs)とパリ第8大学(Université Paris 8) の合同カンファレンスのプログラム »Cycle du Japon »という一連の企画の中で、梶村昌世さんを招待し、ご自身の制作や作品について講演していただいた。このブログでも先日アナウンスさせていただいた。 »Cycle du Japon »という企画は、私が所属するUniversité Paris 8(パリ第8大学)の Nouveaux Médias et Arts Contemporains(ニューメディアと現代アート)の教授であるJean-Louis Boissierが担当する2012-13年度の公開カンファレンスで、日本のメディアアートの現在を扱う企画である。このプログラムは、2011年に構想が始まり、メディアアートを巡るフランスにおける日本へ高い関心と、同分野関係者に結びつきが強い日本で2011年3月11日に起きた惨事、それに対してアート領域からどのようなアプローチが可能であるかを考えたいという意志により実現に至った。(私自身この企画と運営には構想時から関わらせていただき、思うこともあり(そのことにかんして)、日本でご活躍される多くの研究者の方々、アーティストの方々にも情報を頂いたりお越し頂くことを検討していただく等、ご協力を頂いた。そのご協力のお陰で当企画の実現に至ったことを心より感謝したい。)

SONY DSC

さて、1月の講演において、梶村さんは、これまでの制作活動を私たちに紹介すると同時に、彼女のもっとも重要なテーマとしての「 水」を、3.11および続くカタストロフィーを引き起こした異型の水としての津波にも結びつけながらより大きなコンテクストのなかへその問題を開いた。勿論これまでも、フランスメディア上で社会的あるいは政治的コンテクストで議論や報道がなされることは多々あった。しかし、日本のナショナルボーダーから飛び出して、この問題の深い部分を捉えながらそれでもなお積極的にコミットする意志を有するアーティストの活動はこれまでたくさんあったわけではない。それ勇気のいることだし、だからこそ、意味のあることだと私は思う。彼女の講演はとても印象的で素晴らしい内容を含んでいた。

 

この記事では、彼女が2010年から取り組んでいるAqua Ephemeraという作品について主に紹介させていただくこととし、このカンファレンスの全貌は、Observatoire des Nouveaux Médiasのサイト(こちら)にある当日の録画ビデオにてご覧頂きたい。英語での講演であるが、梶村さんのご快諾のおかげで、ビデオインスタレーション作品などの貴重なドキュメンタリー映像などもご覧になることが出来るので、ぜひぜひご覧頂ければと思う。

01.aqua-ephemera-installation-still_01

さて、Aqua Ephemeraは水面下の音とそのイメージを、紙で作られた傘型の立体スクリーンに投影する、音響と映像のビデオインスタレーション作品である。作品は約10分、作曲家である宮内康乃さんとのコラボレーションで実現した。展示室の中はプロジェクションの光と水が作り出す音響で満たされていて、鑑賞者は自由に出入りでき、つまり作品を部分的に鑑賞することもでき、さらには傘のフォルムをしたスクリーンの回りを歩いて映し出された映像を好きなアングルから見ることができる。鑑賞する人に与えられた何にも縛られない動きは、あたかも作品を受け取る人々自身が、留まらず常に流れ続けている水とそれが含む命のありかたを再現しているかのようである。

 

2010年、ポルトガルのNodar Artist Residencyでの滞在中この作品は生まれた。アーティストレジデンスの近くを流れるPaiva川(Paiva River)の水の姿。川の水は澄んで極めて美しく、その水が育む生命の姿もまた視覚的にも聴覚的にも美的なものである。湖底に根を張る水草の姿や健康そうな小魚の群れ。あまりに透明な流れは、湖底から空を見上げたならば鳥たちが羽ばたいてゆくのをかくもありのままに映し出し、あるいは木々の高い位置で枝や葉が風に揺られているのが、流れ自身のゆらぎに強調される様を描き出す。連続しながらも変化する多様な水面下の音は、世界はとても音楽的に創造されていたということを改めて私たちに聞かせるかのようである。この作品は、Paiva川のみならず、氷が溶けたり、水滴が池に滴る音や映像、あるいは我々の身体が発する様々な音もまたそこに含んでいる。強かで透き通り、歌いながらきらめく水。我々はこれに魅了される。

 

しかし、次の瞬間、彼女が語るAqua Ephemeraをめぐる想い出に衝撃を受けずにはいられない。ポルトガル滞在中、この作品の公開が始まろうするちょうどその頃、奇しくも水の「美」に焦点を当てた作品を完成させて発表に至ったそのとき、日本での水を巡る甚大な被害が報告された。大地震、それに続く福島の原子炉での一連の事故を引き起した水の「暴力性」、すべてを押し流した津波。彼女のなかで、水は言うまでもなく様々な姿をもっていて、暴力的でも危険でもあり得ること、そして自然も生命も水の上に成り立っていること、そういったことは理性的にあるいは前提として当たり前でありながらも、この事件には深く心を動かされたと彼女は伝えた。

 

数千キロメートル離れた場所で、ある国の水が全てを押し流し、人間の生活に甚大な被害を与え、人間やその他の動物のたくさんの命を押し流した一方で、また別の場所では、川は昨日と一昨日と同じように流れ、魚たちは戯れて、子どもたちはその浅瀬で水面がキラキラするのを喜ぶ。これは世界の日常である。

 

ふと、水が奏でる音とは不思議なものだと思い直す。水の音は、自らが水に包まれている時にはなかなか水の音を冷静に聴けない。というのも、個人的な経験に基づくが、自分が水の中に潜っている時というのは鼓膜にやってくる圧力のせいか、自分の身体のなかの音を聞いているような錯覚に陥るのである。あるいはその状況こそが水の音を聴く行為であるのか私には解らないのだが、耳のなかの音や、もっと深いところの、心臓の鼓動とか血液が巡る音などが自分の鼓膜に帰ってきて、それを自分の聴神経で受け止めているのではないか、と感じるのだ。だから、私自身は、水の音を自分が水の中で耳にしたことがあまりないように感じてならないのだが、Aqua Ephemeraを聴くと、異なる状況の水の音は自分を圧迫することも怖がらせることもなく、とても心地よく広がっていく感じがする。したがって、Aqua Ephemeraで奏でる水の音とイメージは、そんな兼ねてからの疑問「水の中で聴いたあの音は、自分の身体の中から来るのか、それとも本当に身体の外側にある水の音なのか」という問いは、どちらともつかなくてもよく、むしろどちらでもないということを教えてくれ、私を安心させてくれた。そもそも、水は流れてとどまらず、どこにでもありどこにでもゆく。私たちの身体も七割くらいが水で満たされており、それは、私たちの記憶をそのなかに含めて、流れていく。彼女によれば、それが水の本質である。彼女は自分のもっとも大切なテーマである「水」をそのように明瞭に語るときの彼女の視線はとても素敵だ。

 

ひとたび流れる水に乱れが訪れた後、静寂が戻ってくる。そしてそれは少しずつとても優しく浮かび上がってくる。おそらくポルトガル語で歌い上げられる教会の賛美歌とオルガンの伴奏の響き。この場面の転換は秀逸だ。さらに秀逸なのは、ずっと遠くから聞こえてきた音楽が、また少しずつ先ほどの水面下の音と混ざあうのだが、それは異なるものが混ざっているのではなくて、それはもともと一つであったのではないかと思えるほど自然なのである。私は西洋の宗教音楽ととりわけオルガンという楽器に特別な思い入れがあり、教会で奏でられる宗教音楽には信仰や教義をそっちのけにしてもなお絶対的な赦しの存在を彷彿とさせる何かが潜んでいると感じている。つまり無条件に神様に救われるようなアガペーの象徴みたいなモノなのであり、オルガンという楽器は不完全な人間が神様の絶対性と威厳を無理に真似ようとした努力の結晶みたいないびつな名楽器なのである。子どもたちの歌声とオルガンのハーモニーは、水の音をその中に含めることでより完全なポリフォニーとなり、そうしているうちに、その解釈は実は間違いで、つまり、賛美歌に水の音が混ざったのではなく、それらが水の中から生まれてそこに戻ったということを描き出すようにこの作品は作られている。傘型のスクリーンは流れを移し続け、子どもたちの響きはその中に少しずつ吸収されていく。決して怖がらせることのないように、あたたかく包み込むよう。真っ白な傘がその中にすべてを吸収してしまったところで静寂にもどって、この作品は幕を下ろす。最後にかすかに耳にのこるのは水の呼吸であり、水の呼吸とはすなわち生命の全ての呼吸を意味する。

 

この作品は上述したように、Paiva川の水面下の音や映像をベースに制作されているが、断片的に多くのイメージや音楽がその中に溶けている。 »folding stories into the water », 彼女が本カンファレンスにつけてくれたタイトルである。
水はきっと、いつかは亡びてしまう私たちのかわりに私たちの記憶を持ち去るのだ。そんなふうに思った。

 

クリアーな作品コンセプト、会ってすぐにそれが解った。私が強い印象を受けた別の作品に、Envelopeという彼女の初期ビデオ作品(2002)がある。「ときどき、私たちが記憶と呼ぶものと想像と呼ぶものははっきりと区別できない。」«But sometimes what we call ‘memory’ and what we call ‘imagination’ are not so easely distinguished.»
このビデオ作品はカナダのLil’watという原住民族のドキュメンタリーを含んでおり、彼らが伝統的にどのように鮭を大切に食し、彼らとの共存の中で生きてきたか、彼らの記憶を伝える口頭伝承(storytelling)を記録した作品。鮭の血抜きや幾つかのシーンがあまりにも鮮やかに美しくたちまち魅了される。この作品は、彼女の生い立ちにも触れる問題意識を含んでいる。つまり、より強い支配者によってマイノリティーとなった原住民族たちは彼ら祖先の教えを口頭伝承で伝えることによって命の記憶としての物語を守り続けていくのだが、「移民」としてドイツに生きることは、ディアスポラの経験を体現し、他者性を生きることでもある。彼女はそのことを、多重的に異なる空間、時間のイメージを重ね合わせ、それらをしかしながらリアリティとして関連させることによって自らのアイデンティティに向き合っている。

203483_380034538761155_1751939285_n

最近では、2012年から、ダンサーで演出家である 伊達麻衣子さんとのコラボレーション作品で、Between Islandsを制作、発表されている。上述のサイトodnmでその一部をご覧頂ける。さらに、梶村さんは3月日本に滞在予定で、パフォーマンスをされるとのことである。

詳しくは、サラヴァ東京のサイトでご確認いただきたい。
(パフォーマンス日程詳細)
2013年3月20日 15時および19時開演

参考
Masayo Kajimura : http://artnews.org/artist.php?i=4227
Paivascapes #1 : http://www.paivascapes.org/en/participantes/artistas-residentes/yasuno-miyauchi-masayo-kajimura
Observatoire des Nouveaux Médias : http://www.arpla.fr/odnm/?page_id=13040

02/10/13

会田誠 « 天才でごめんなさい » / Makoto Aida « Monument for Nothing » @Mam

会田誠:天才でごめんなさい/ Makoto Aida « Monument for Nothing »
@森美術館/Mori Art Museum

November 17 (Sat), 2012 – March 31 (Sun), 2013
museum’s site here

スクリーンショット 2013-02-10 22.25.56

「天才でごめんなさい」とはなにごとか。この人は、いったい誰に対して、何を謝っているのか?アーティストが天才で何が悪い。天才でないほうがあやまって欲しいくらいではないか?

とは言ってみたものの、本当はこの謝罪、もっと丁寧に説明されなければならないのだろう。「会田誠は天才である」。このことは半分くらいは本当で残りの半分は噓である。会田誠という表現者は、天才的な直観を持ち、その有無を言わさず天から勝手にやってきたインスピレーションを、どうすれば最大限のインパクトを以て社会に提示できるのかということを本能的に知っているという点で、やはり才能に恵まれた人である。ただし、この人が抱えている(かもしれない)迷いや悩み、葛藤みたいなものがあまりにも人間臭くて俗世の我々にも響いてくるので、この人もまた普通の人であるような気もしてくる。

そうはいっても、この展覧会タイトルを聞くと、1)なるほど、会田誠は天才なのか。それならひとつ見てみましょう、あらほんと凄いわね、とジーニアス•テーズを丸呑みする、あるいは、2)ウンコやらセックスのどこか天才じゃ、なんでこんなもんが芸術かと憤慨する、はたまた、3)神妙な顔で難しい言葉を使いながらウンコでもやはり素晴らしいアートなのだと頑張る。ざっとこのようにして、会田誠の表現しているものの周縁で煙に巻かれてしまう。それこそがナンセンスなことである。ナンセンスでもいいのだが、「面白」もしくは「気持ち悪」という率直な印象に耐えて、もう少しだけその絵(など)を凝視してみる必要がきっとあろう。

SONY DSC

私は日頃、相当しつこくフェミニストっぽい立場を表明しているので、キングギドラとか犬シリーズなどは、「女性や少女にそんな目を向けて、だから会田誠という美術家サイテーじゃないの」とどうせ非難するんだろうと思われるかもしれない。だが実際にはそうでもなくて、キングギドラの絵はあまりに素晴らしくてあまり長い時間見ると泣き崩れそうになってしまうし、犬シリーズに至っては、「こんなもん見たない」とおっしゃる殿方にこそ「よくよく見ました」とおっしゃるまで凝視してほしいと願い願って止まない次第なのである。ミキサーの中にぎっしり詰められた少女たちが少しずつ鮮やかな赤色を帯びていく「ジューサーミキサー」などは見ていて気持ちが良くなり、ついうっとりしてしまうほどである。

SONY DSC

キングギドラに犯され突き破られる大きな絵も、四肢が切られて首輪で結ばれた犬シリーズも、ギュウギュウ押された少女のお腹からつややかなイクラがポロポロひりだされる「食用人造少女・美味ちゃん」なども、直球である。あまりに正直にそれが包括する問題を提示するが故に、目も当てられない鑑賞者がいることは確かだ。ただし、描かれたものに虚偽は無い。ここにあるのが少女や女性やセックスそのものをとりまく日本社会の一つの局面あるいは一つの実在する視線を浮き彫りにしたものである。会田誠がたまたまここに形を与えたヘンタイとか飼育とか暴力に関わるようなものは、フェティッシュな趣味を持つ限られた個体だけに冷ややかな視線が注がれればいいという問題ではなく、大げさだが、人間の欲望の通奏低音として鳴り響き続けているような、しかしそれが様々な要因の生で歪曲した形で表出したものなのである。それを断固として見ないのはひょっとして、言ってみれば、自分だけ永遠のヴァージンであると信じているくらい高尚で愚かしいことである。(もちろん、ヴァージンはただの比喩であり、老弱男女みんなの話をしております)

SONY DSC

 

このようにして、会田誠の描き出す世界にはリアルな問題がたくさん具現化されているように思えるけれど、それらはユーモアとアイロニーとニヒリズムで構成されているだけではない。希望だってある。

イデアという作品がある。壁に書かれた大きな「美少女」という文字に向かって、素っ裸の会田誠ご本人がマスターベーションに励む。お部屋が寒かったことや素っ裸直立であったことなど、不慣れな環境におけるこのパフォーマンスは、シナリオコンプリートまでに1時間以上かかったらしい。素晴らしい。何時間かかってもよろしい。この作品は美少女を陵辱するものではなく、美少女を永遠にイデア界に解放する儀式の録画でもあり、さらには少女時代(少年時代)というしょうもない人生の時間を過ごしている世の中の個体を潜在的•永久的に救済する儀式ですらある。つまり、肉としての美少女なんて本当はどうでもいいのである。壁に文字を書けばいいのである。犬としての少女の絵を見たり、伊勢エビと交わる少女の写真を見たりすればよろしい。IDEAは、美術家自身は勿論プラトンのイデアのことを言っているのであるが、これは同時に一つの「アイディア=理想」を描きだす重要な作品なのである。

この他にも個人的には英語コンプレックスに関わる作品や難しい哲学コンプレックスに関わる作品は今回の記事では触れられなかったのでまたの機会に書いてみたいが、これらは会田誠という表現者の天才的なところと普通の人っぽいところが出会うためにハンパ無くエネルギッシュな作品群である。そして、最後に、「自殺未遂マシーンシリーズ」に触れて終わりにしよう。自殺マシンではなく、あくまでも自殺未遂のためのマシンであるこの何とも言えないアナログの装置は、裏も面も無く、自殺の国の日本国民にこの問題を朗らかに提示する。試行者は、頑丈そうでちょっとやそっとじゃ切れそうも無い輪に頭を突っ込み、意を決して段から飛び降りる。彼は(不運にも/幸運にも)自らの肉体をを伴ったまま、バラバラと分解するマシンとともに床に崩れ落ちる。「自殺未遂マシーン」の体験を通じて人々が得られるのは、「あかん、こんなマシンでは到底死ねん。」という途方もない事実である。こんなに絶望的で希望に溢れた試行の存在を知っただけで、芸術の表現っていうのはやはりあっていいのだ、と思える。

01/31/13

石内都「絹の夢」/ Miyako ISHIUCHI « Silken Dreams » @MIMOCA

石内都 絹の夢 / Miyako ISHIUCHI « Silken Dreams »

丸亀市猪熊源一郎現代美術館(MIMOCA)
2012/10/07→2013/01/06

web_poster_ishiuchi-thumb-462xauto-939

2013年1月6日、石内都さんの展覧会「絹の夢」を訪れた。この日は本展覧会の最終日で、美術評論家の光田由里さんと石内都さんとの対談も予定されていた。石内都さんの作品は、おそらく中学生か高校生の時だと思うが、1995年に出版された『手・足・肉・体』の写真集をどこかで目にしたのが初めての出会いであったと記憶している。はっきりと覚えているのは『キズアト』(2005年)以降の作品、『マザーズ』や『ひろしま』には、見たことのないものを目にしたときに感じる強い衝撃を受けたし、彼女が被写体を選択するその方法や切り取り方というものに心を動かされた。とはいえ、写真集を見ることは何度もあったが、展覧会に実際に足を運ぶ機会には頻繁には恵まれなかったので、今回初めて丸亀のMIMOCAに訪れ、ここでの石内さんの展覧会を観ることができ、ましてやご本人のお話を拝聴することが出来たのはものすごく幸せなことだった。

展覧会のタイトルは「絹の夢」。本展覧会では石内さん自身が幼少期を過ごされた群馬県桐生市(織物の産地)で2010年から撮影した織物工場や製糸工場の写真とともに、明治•大正•昭和にかけて日本の若い女性たちがお洒落に纏った一代限りの絹織物である「銘仙」に焦点が当てられていた。『ひろしま』から『マザーズ』をへて『絹の夢』にいたる石内さん自身の経験や物語が絹の道にやさしく導かれながら、その奇跡を感じ取ることができるような展覧会であった。

「ひろしま」から始まった、あるひとつの絹の道。(略)広島で出会った絹織物は故郷の土地を呼びおこし、導かれるように桐生に向かう。
遠い日に聞いた蚕が桑の葉を食べる音、蚕棚がびっしりと天井まである部屋の空気の匂い、赤黒い桑の実の甘ずっぱい香り、機械織機の規則正しい音のする小道、そんな土地に生まれたことを初めて意識する。そして銘仙というきもの。… (「石内都:絹の夢」青幻舎、2012年)

「ひろしま」で石内さんが撮影した被爆した女性たちの遺品はその八割が絹製であったそうだ。ワンピースやブラウス、花柄のスカートに美しいドレス。彼女の撮影する広島は、もちろん血痕が刻印され、爆風でちぎれてしまっているが、その衣服たちは今日もなお色鮮やかで美しい。この絹で作られた遺品たちが、彼女を故郷の桐生へ赴かせ、製糸工場に足を運ばせ、そして銘仙の撮影に至らせたという。蚕が桑の葉を食べる音とはどんな音だろう、むしゃむしゃという音の一つ一つが重なり合うように広がって聞こえてくるのだろうか。そして、蚕棚の部屋の匂いや、桑の実の香りを私は知らない。私が生まれ育った北海道では、屯田兵入植の明治20年代当初、養蚕が奨励され札幌農学校(現北海道大学)にも養蚕学を学ぶ授業があったそうだが、今よりもずっと寒い気候だった当時の北海道には養蚕はなかなか定着しなかった。私にとって、養蚕にまつわる描写、クワノハ、カイコ、マユといった言葉の響きは、ただそれだけで、見知らぬ関東の農村のある晴れた夏の日、子どもが遊んでいたり母親たちが仕事をしていたりするような、いつも小説で読むたび熱心に想像した風景を私に思い描かせた。

スクリーンショット 2013-01-28 17.11.53

彼女がこの展覧会で光を当てた「銘仙」という絹織物について、少しだけお話ししたい。絹の着物がふつうは代々受け継がれるものであるのに対して、銘仙は一代限りの絹織物であると言われる。経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に組み合わせる平織りの織物で、その歴史は亨保・文政年間に遡り、伊勢崎の太織り(ふとり)という屑絹糸を使った手織りのざっくりした庶民の普段着として愛用された。明治になると糸屋・染屋・機屋などさまざまな専門業者もあらわれ、銘仙となる。織り方に様々な工夫が加わり、生地も丈夫になっていくが、本格的に女性のお洒落普段着として大流行したのは大正時代のことである。大正の時代、女性は前時代に比べて大変お洒落になった、というより、やっと普通の女も時々はおめかしして外に出かける時代になったようだ。銘仙は実は、洋服がもっともハイカラだった大正末期、銀座のギャルズに最も着られていたとする調査もある。こんなにもヴァリエーション豊かで、自由で、想像力豊かな着物がけっして次の世代に受け継がれなかったというのは、一見不思議な気さえする。石内さんは、彼女の母親の遺品の中に銘仙は一枚もなかったことや、着物を彼女に譲った女たちも持っていたに違いないのに絶対に手渡されなかったという事実から、銘仙は、一般的な絹織物のコンテクストにおいて、日本の伝統の本流になったものからおそらく最も遠いところにある着物であったと解釈している。そしてそれが当時の生きた女達による最も本当らしい絹のあり方だったのだろうともおっしゃられた。つまり、元々は屑繭糸で織られた安物で、色や柄は過剰なほど個人趣味で、世代を超えて受け継ぐに値しないもの、と女たちが思ってきたのが銘仙であり、しかし同時にその繊細で大胆な色や柄、そして儚い運命はまさに「絹の夢」と呼ぶにふさわしい存在なのだということが、私の中ですっきりと納得された。

石内さんの凄いのは、彼女の写真それ自体なんですといきなり言ったのでは慕ふ者失格である。私としては、まず被写体が凄いと言わなければならない。彼女の被写体はいつも凄いのである。それは私が石内さんの作品を観るようになってから一貫して変わらない印象の一つだ。写真集が出版されてから何度も見た『キズアト』では、女性の身体に刻まれた時間の記憶としての傷は、古い傷でありそれ自体は傷むことはないのに、その身体が苦しみ、それでもずっと生きて時間を重ねてきたことを物語る。刻まれた傷は少しも風化せず、あたかも傷ついた瞬間をそのまま観るものの目の前に突き出すかのような迫力。それでいて、傷をもつ女性たちの身体は写真の中で美しい。女性たちは、印画紙上で写真として物質化される以前にそもそも、その生きている様が石内都の直観を惹き付けた女性たちなのである。傷ついた身体を被写体に選び取る作品は世界に数えきれないほど存在する。しかし、石内さんの『キズアト』はそれらのどれにも似ていない。

(略)彼女はヒラリと羽衣を天空から引き寄せ、自分のからだにフワリと巻きつけた。何も着ていないからだにまとわりついた羽衣は、しだいに皮膚の一部となり、肌理を整え、からだに染みて、きれいな表層を作り出す。それがいつだったのか思い出すのをやめてしまうと、羽衣が傷だったことも忘れ、そのわずかな痕跡からにじみ出る体液のような密度のある力によって、黒いひと粒の粒子が生まれる。粒子は粒子を呼びおこし、光と影の無彩色が白い印画紙に焼き付き、羽衣は写真の中によみがえる。…(「キズアトの女神たち|石内都」あとがきより)

石内都さんは、1970年代後半に生れ育った横須賀の町を撮影し、『絶唱•横須賀ストーリー』を発表、78年に第四回木村伊兵衛賞を受賞した。この頃から一貫して、35ミリ、自然光、手持ち撮影を貫く。写真は、曖昧なイメージでなく、物質的であることを明確に意識して写真を作ってきた。彼女が写真を語る言葉には、例えば上記のような「黒いひと粒の粒子」という表現がよく登場する。そしてその粒子は「わずかな痕跡からにじみ出る体液」に由来することから解るように、同じくマテリアルである被写体から放たれる生き生きとした力に深く関係があるのである。彼女は撮影よりも暗室作業が好きだときっぱり言う。できるだけ写真は撮りたくないが、暗室で粒子を数え、粒子と粒子の間にあるものを観るのが好きだと語る。この作業の意味するところは、被写体が持つ何らかの力と石内さん自身が暗室で対話することであり、つまりは写真を媒介にした被写体と自己との関係を結ぶ、もっとも本質的な作業なのである。

「絹の夢」において撮影された数々の銘仙も、実はそういった対話の中で生まれてきたマテリアルとしての写真が鑑賞者に提示されているに他ならない。石内さんが撮影した銘仙とは、それをかつて個人趣味で一代限りの絹織物として纏っていた女たちの身体そのものであり、着こなしであり、今は亡き彼女たちの生き物としての質量や温度や、匂いである。石内さんの写真がしばしば、物を撮りながらもそれを観る私たちに別の存在を想起させるのは、そういったわけである。生き物は死に、物はそこに残り、彼女の撮ろうとしているものは、しかし、もうそこには存在しない。

MIYAKO_27

石内さん自身が述べているように、「絹の夢」は、「ひろしま」から続く絹の道である。そして、第11回宮崎ドキュメンタリー「Mother’sからひろしまへ」という展覧会が象徴しているように、この二作品も一本の道で繋がっている。「マザーズ」は石内さんが自身の母親の遺品を2000年から2005年に渡って撮影した作品で、第51回ヴェネツィア•ビエンナーレで発表した作品である。真っ赤な口紅がつややかに浮かび上がる一枚の写真は、母親の遺品と聞いて普通連想するような「想い出」とか「亡くなった人への思い」というキーワードが全く似合わない。今まさに物を残したその人が、観る人の前で紅を引き、その深紅の瑞々しい唇を微笑ませるでもなく静かにこちらに向けているような、どきっとする写真だ。撮影者が語っているように、化粧品や下着という身体にとても近い物たちを撮影することは、亡くなった母親の「皮膚の断片」を感じる行為である。そして、ここに浮かび上がるのは、「失われた身体ー物」ではなくて、「撮影者ー物の所有者」。つまり、「マザーズ」は、遺品を仲立ちに母との関係を切り取った作品なのだ。この作品は、ヴェネツィア•ビエンナーレおよび国内の展覧会を通じて鑑賞者によって、それぞれに視られ、語られ、解釈され、そしてまた観られることを繰り返す。遺品は、ある娘が撮影したひとりの母の遺品であることを離れ、ある種の普遍的な「遺品」となる。私写真としての私のお母さんの遺品は、共有されるなかで皆の母の遺品、さらには遺品そのものになり、個別性を越えていく。ここにこそ、「マザーズ」から「ひろしま」へ、そして「絹の夢」にまで繋がる主題「遺品」の意味があり、石内都さんの表現する作品がたとえ文脈から切り離されてひとりぼっちで投げ出されたとしても、しっかり自立して存在する表現であることの理由なのだと、私は考えている。さらに、このことは、しばしば個人的な記憶や想い出、個別的な動機から端を発する芸術における表現活動(あるいは、芸術領域におけるそれに限らない)の存在意義それ自体に深く関わると私は考えている。人々は、自分の抱えているとてつもなく大きくて強いものを、物質化し、可視•可触化し、それを独り歩きさせる。そのプロセスを通して、これを表現した人は、別の誰かによって(あるいは何かによって)、救われたり、共感されたり、非難されたりするだろう。しかし、表現活動には当然ながら、表現されたものをうけとった人にとっての意味が生じなければならない。このことは表裏一体かと思われるかもしれないが、決してそうではない。

私にとって、表現行為の存在意義はごく単純でありうる。個別性を越えてそれが共有されること、そしてそのことが表現者と鑑賞者を深い場所で関係させるようなこと。
私が石内都さんの表現されるものが好きなのは、きっとそれらが閉じた孤独の中ではなく開かれた場所にあり、そのことを感じた瞬間、ある種の救いや幸福ともいうべき何かを直観的に感じるためなのだと思う。

 

*「遺品」という被写体について、書きたいこと等もあったのだが、長くなってしまったので、このことについては次回に改めて書きたいと思う。

2013.1.6 MIMOCAにて。興奮し過ぎて手がグーになっています

2013.1.6 MIMOCAにて。興奮し過ぎて手がグーになっています

 

01/28/13

高嶺格のクールジャパン/ TADASU TAKAMINE’S COOL JAPAN @水戸芸術館

高嶺格のクールジャパン/ TADASU TAKAMINE’S COOL JAPAN

2012/12/22 – 2013/2/17
水戸芸術館現代美術ギャラリー/Contemporary Art Gallery, Art Tower Mito

 

昨年末に帰国した折、幸運にも日程がぴったり合い、12月22日から始まったばかりの水戸芸術館における美術家高嶺格さんの展覧会、「高嶺格のクールジャパン(TADASU TAKAMINE’S COOL JAPAN)」(高橋瑞木さんによるキュレーション)を観た。これまでも高嶺氏の作品には非常に興味があって作品が見られる機会があればうかがわせていただいていた。また、展覧会タイトルであるクールジャパンにも惹かれたし、そして3.11以降に撮影された映像作品「ジャパンシンドローム」をどうしても見たかった。そして、長いあいだ戸芸術館はぜひ訪れてみたい場所でもあったので、ついに訪れることが叶った。京都から始発の新幹線に乗り、スーツケースが破壊するなどのアクシデントを経て上野からスーパー常陸に乗って水戸へ。駅からは気持ちよく晴れた空の下を歩き、堂々と魚を盗んでいる猫などを撮影し、水戸芸術館に辿り着いた。

SONY DSC

SONY DSC

 

「高嶺格のクールジャパン」はインパクトのあるタイトルであるが、このパブリシティのデザインも凄い。クールジャパンという言葉は、1990年代のクールなイギリスカルチャーを盛り上げようとブレア首相が名付けたクールブリタニアという言葉がもとになっているらしい。(Wikipediaによる)クールジャパンは、日本のポップカルチャーを « Oh, it’s so cool !! » と手放しに褒めちぎる態度で、それは日本の外側にいる人々がその内側を覗き込む視線によって作り上げたイメージみたいなものだと私は考えてきた。もちろんこの10年間、日本の大人たちが隣国の「パンダ外交」並みに真面目な顔をして、現代日本文化を代表しうるこのソフトパワーを国益のための外交戦略に利用してきたのは人々の知る通りである。ただし、それはフィードバックの一つの結果に過ぎず、外で騒がれている出来事の実態が分からないまま、どこを歩きどこに行くかも決めないまま、現在までなんとなく来てしまったのではないかというのが私の言いたいことである。「かわいい大使」とか、世界コスプレサミットとか、マンガ•アニメ、ケータイ、アイドル、そして、アート。数えきれない雑多で瑣末な物事も、それがともかく日本のタグをつけたポップな存在ならば、なんの熟考を経る必要もない。とにかくクールな現代日本文化の枠組みに突っ込まれればそれだけでうまくいく。19世紀の西欧におけるジャポニズムの大盛況以来の黄金時代を純真無垢に享受し、日本文化と言えばちやほやしてもらえるハッピーな10数年間を我々は眺めてきた。私はこの間、フランスに住んだ4年近くの期間とそれ以前も何度かヨーロッパで知人に会う度に、「クールジャパン効果」というべき無条件なちやほやを体験してきた。以前はそれを、大陸の人たちが小さ過ぎて見えない島国日本の文化の上にロマンティックな幻想色の絵の具を塗り付けた結果に過ぎず、所詮は自分たちの知らないエキゾチックなものを崇め奉るようなものに過ぎないのではないかと、距離を置いて考えていた。一方で、その熱狂的なラブコールは未だ収束するわけでもなく、一次的な流行でもなければ無視してやり過ごせるものでもないことに否が応でも気づかざるを得ない。しかし、それが何であるのか、それを目の当たりに私はどうしたらいいのかについては一向に考えがまとまらぬまま生活を送っていた。

 

IMG_5672
私にとって、この思考の単なる堂々巡りから少しズレるきっかけを与えてくれた文章に、吉岡洋さんがブログに掲載された「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか?」という記事がある。これは非常に多くの人に関心をもって読まれたようで、このことからも、かなりの人々が「クールジャパン」という現象と言葉の響きに対してうまく説明できない不愉快さや気持ち悪さを感じていたことが分かる。私自身、昨年に本ブログに掲載した「ゴスロリ衣装を外国で着ること。」というテクストにおいて、クールジャパン(あるいはジャパン•ポップ)の記号の一つであるコスプレ(ゴシックロリータ)を自分自身が纏うとは何を意味するのかについて書いた。しかし、実はこれは、クールジャパンをどう考え、それとどう向き合うのか、という自分自身への問いであったのだ。(余談だが、この当時私はこれをやはり多少なりとも「恥ずかし」く「不愉快」に感じ、同時にそれを言語化も他の手段でも表現化できないことに焦っていた。とりわけ、私はこのポップカルチャーにかんし、海外でプレゼンする誘いを引き受けて何度かこれについてレクチャーしていたし、2009年にはスペインのコルーニャにおける国際記号学会で、 »Cool Japan »と題されたセッションにも参加した。(Semiotix Cool Japan in Coruna )そういったわけで、この問題について、それがなんであるかを知らないまま無視し続けることはもはやできなかった。)

 

341_3rd_main

 

「高嶺格のクールジャパン」に話を戻そう。そうそう、パブリシティのデザインの話である。アニメ文化のオノマトペ感が骨の芯まで染み渡った世代の人々なら、このレタリングをながめると自ずと、同じ音を内耳に響かせてくださるのではないかと思う。

シャキーン! とか ピキーン! とかいう音である。

シャキーン!もピキーン!も何かが瞬時に凍り付く様子を表すオノマトペであるが、ピキーン!に至ってはものすごく硬くて厚みのある氷がキラリとするような様子を読者に想像させる音である。この「クールジャパン」の字体はつまり、シャキーンとかピキーンの音が聴こえるようになっており、ものすごく平たく言うと、クロネコヤマトの「クール宅急便」的な字体である。この展覧会で問題化される「クールジャパン」は、したがって上述したような、海外からちやほやされ愛されてホカホカのクールジャパンではなくて、美術家高嶺格が自国の問題として、彼の視線を通じて静かに距離をもって観察するクールジャパンなのだと判る。それは中途半端に冷えているのではなく、凍り付いて溶けないほど「クール」なのである。

 

この展覧会のコンセプトについて高嶺格さん本人が書かれたテクストをここに転載したい。(水戸芸術館、高嶺格のクールジャパン

「女は、女に生まれるのではない。女になるのだ」という、ボーヴォワールの有名な言葉があります。自意識が形成される過程で、個人に対しいかに社会の集団意識が影響するかを端的に言い表したこの言葉は、現在の日本でますます大きな意味を持つのではないかと思います。「日本人は、日本人に生まれるのではない。日本人になるのだ」あまりに身近にあったため、意識に上ることのなかった物事。あるいは巧みに操作され、意識に上がることを妨げられてきた物事。これらの物事に対し、私たちがついに当事者となったのが現在の状況だと言えるのではないでしょうか?

自分の中になにがあるのか?自分はどう作られてきたのか?3.11のあと、煙に燻されるように出てきたのはその問いだったように思います。「人はなんのために生きるのか?」古代から途切れることなく思想されてきたこの問いを、自分の生きてきた時間と重ねて、鑑賞者と共に考えてみようと思います。 高嶺格

 

展覧会は、上のコンセプトに従って8つの部屋に分かれていて、一つの部屋から別の部屋へ通過するためには、黒いビニールテープのフサやカーテンをくぐって行かねばならない。フサもカーテンも、其れ自体は一方通行ではないのだが、隣り合う部屋は分厚いフサや重たいカーテンでしっかりと区切られている。とりわけこの黒いフサの厚みは、通り抜ける途中、このままどこにも辿り着かないのではないかと一瞬鑑賞者を不安に陥れるような厚さなのだ。以下が8つの部屋の構成である。

 

クールジャパンの部屋
敗訴の部屋
標語の部屋
ガマンの部屋
自由な発言の部屋
ジャパン•シンドロームの部屋
核•家族の部屋
トランジットの部屋

 

まだご覧になっていない方もいらっしゃると思われるし、具体的な展示物についての言及は必要がないかと思う。何点かだけ、印象や記憶を付け加えさせていただきたいと思う。隣り合う部屋はしっかりとその二つの世界を隔てながらロジックに強く繋がっており、鑑賞にパワーを要する。

標語の部屋では、すべてが皮肉というよりはむしろ空虚に響いてくるように感じられる。日本社会はアナウンスや張り紙や標語だ大好きだが、それは言葉にすればするほど真実から離れていき、言えば言うほどそれが決して実現され得ない何かに変わっていく。よどみなく流れてくるたくさんの標語は、この国にはこんなにもできないことがあったのかと、静かに気がつき納得する。ガマンの部屋では、人々は色々な理由で色々なものを我慢していることが描き出される。他者にあるいは自分に色々なニュアンスで「我慢しなさい!」と言われたり言いながら私たちは生きている。実は、ここで光が当てられるひとつのことは、「我慢しなさい!」と言う人々自身が、さらに何かを我慢しているという冷たい事実だ。その声は苦痛に満ちていて、くるしい。じつは、我慢しているのは、そうするよう言われている子供や弱者などではなく、日本社会に属するすべての人がその中に、相対的な上位者も会社もみんなを取り込み、集合的に我慢をしいるような構造をとっている。それはなぜでそれからどうしようというのか?自由な発言の部屋は、いつも海外でニコニコしている私たちの他者への攻撃性が非常に工夫された方法で提示されていたのだが、やはりその意味するところのあまりの強さに、ジャパンシンドロームの部屋に辿り着く前に、少しだけ呼吸をととのえる必要があった。

トランジットの部屋に身を置いた時、とてつもなくはっきりしたデジャヴュ感に襲われた。その理由はわからない。私はこの直後美術館の階段をものすごい早さで駆け上がっていく高嶺さんの姿を目にした。あまりに驚いて、自分が会釈したかどうかもよく覚えていない。実はこの日、一時間の滞在が予定されている日であったらしい。

01/1/13

松田有加里 / Matsuda Yukari, FANTASIA in Gallery サラ(改訂)

松田有加里 FANTASIA ギャラリー•サラ Gallery Sara

松田有加里さんと初めてお会いしたのは、2011年11月にパリ•バスティーユ広場のギャラリー•メゾンダールでの個展においてである。この時、彼女の作品が持つ雰囲気やテクスチャー、幾つかの一貫した主題に個人的関心を抱き、その翌年2012年の3月に大阪でインタビューさせていただいた。この記事は、拙ブログ「松田有加里/Yukari Matsuda, 奏でられるイメージ」に掲載しているのでお読みいただければ幸いです。その後、彼女のシリーズとしての作品、FANTASIAの第三楽章(PARIS)までを包括する展覧会が、滋賀県比良山のふもと、ギャラリー•サラで12月23日まで開催されているということで、こちらにお邪魔し、会期も終盤の在廊でお忙しい中であったにもかかわらず、お話をいただいたことに感謝したい。

Place de la Bastille, Paris

FANTASIAは何よりもまず、インスタレーション的、かつ音楽的に構想されている。沈黙した画廊でのシンプルな写真展示であったことはこれまで一度もない。彼女は写真家として活動を始める以前、ピアニストであったし、そもそも生まれながら活発な表現者である。さて、FANTASIAの展示空間には、音楽が鳴り響いており、それは遠くから聴こえるようでもあり、時々はっきりと意味を紡ぐようでもある。FANTASIAは現在、三楽章までが発表されているのだが、今回のギャラリー•サラにおける展覧会では、その全貌が一挙に公開されたという点で、彼女がこれまで対峙してきた被写体とそれを表現する方法を結ぶ松田自身の問題意識、さらには、全体的な世界観を一望することが出来る貴重な機会であったといえよう。

FANTASIAの森に足を踏み入れるその前に、今回私自身も初めてお邪魔させていただいたギャラリー•サラという展示空間がアーティストに提供している特殊性について少しだけご紹介させていただきたい。ギャラリー•サラは、滋賀県比良山の麓に数年前にリニューアルオープンした趣のある展示空間で、ロッジ風のお洒落な扉を備えた建築がとても可愛らしいギャラリーである。お庭はギャラリーをぐるりと囲み、春や夏には草花がにぎやかに茂り、秋と冬は葉を落とし引き締まった木々の凛とした表情が美しい。当ギャラリーの代表で陶芸家であられる塚原さんがデザインした陶器のリュミエールが印象的だ。中に一歩入れば、ガラス張りの四角い中庭に明るい色の苔の丘が我々を出迎えてくれる。丘の麓は断片となった陶器で飾られていて、様々な模様や色に楽しいきぶんになる。この中庭を一周するように展示空間が与えられている。そして、入り口の正面に位置する一つ奥まった畳のお部屋があり、このギャラリーの特徴的な鑑賞ルートを作り出す。私が訪れたその日は、展覧会も終盤で多くの鑑賞者で賑わっていたのだが、この不思議な空間では人々はすれ違うけれども干渉せず、それでいて一緒に一人の作家の作品を見ているような温かい連帯感がただよう。

本ギャラリーは、湖西線比良駅と近江舞子駅の間に位置し、近江舞子駅からの送迎もしてくださる。近隣の山並みもほんとうに素晴らしいのでぜひ一度訪れていただきたい。

gallery サラ


FANTASIA : A Song born from fantasy, not limited by form.

形式が重要視される西洋音楽の中心に身を置きながら幻想的で自由である歌、これを彼女が自分の作品テーマとして選び取ったことは、必然のようにさえ思われる。彼女が暗室で浮かび上がらせる色と形は、いつも不思議な印象でその表面を覆っている。前回紹介したように、彼女の被写体は、取り壊しが決まった明治時代のレジデンスや、今は立ち入りが禁じられているような老朽化した建造物、現存する最古の学生寮として知られる京都大学の吉田寮など、かつてそこにあった人々の生活を記憶するものや現在も記憶を上塗りし続けているもの。実は、消え行くそれらを写真に残すことと、デジタル化する写真の危機に直面しながら直観的な手焼きにしか実現できない表現を守ることは彼女の中でパラレルなミッションとして認識されている。人々がどんどんデジタル写真へと移行して行く中で、今日上質の印画紙を手に入れることすら簡単ではなくなってきていると言う。彼女が主に使用している紙はドイツ製のトーション紙だが、過度ではない光沢と深みがあり、確かに彼女の浮かび上がらせる色調を引き立てる効果がある。彼女は、一貫して暗室で手焼き写真を作り続けてきた。学校ではデジタル写真についても学んだし、デジタルカメラを使って出来ることの可能性はもちろん肯定的に受け止めている。ただし、技術革新によってあらゆることが平均化されてしまい、あるいは非常に器用にできるようになったために、本来作りたいものがあるはずのアーティスト自身が、技術の海の中で視野を失ってしまうことが問題だと言う。ただテクノロジーの可能性を追求することに終始してしまう今日ではありふれた現実を目の当たりにしながら、それでも彼女の作りたいものは、有無を言わせない数学の計算だけではすべてをクリアーに説明することの出来ない感覚的な音楽である。

 

「 »内なる目で見た写真 »を表現するとどうなるか、ということに興味があるのです。」

 

ある対象にじっと目を凝らすとき、あるいは、目を凝らしているようで自己の内側では感情が溢れ出すような瞬間あがり、それはつまり見ているようで何をも見ていない瞬間だ。そのようなときにシャッターを切る写真は、ややもすればその平らな印画紙の上にのっぺりと漠然としたしかし完全なプロポーションで姿を現すのみであって、それは端正でリアルらしいイメージを描き出す。通常、人々が写真に求めているのはこの側面であるだろうし、学校で教えられる「正しい写真」というのもこれを意味する。松田有加里は、写真のサイエンスに意味もなく首を縦に振ることをしない。当たり前の写真を覆し、暗室で静かに身体的な反応に集中する。


たとえばピンぼけ写真などは、通常、写真としては典型的に嫌われる。松田の作品にはピンぼけ写真が数多く登場する。それも、とても深くぼけているイメージだ。私はこの深く遠くずれていく写真が比較的、彼女の視線を再現しているイメージであるように感じてきた。とりわけ、パリのカフェや道で撮影された作品は、音と色以外の五感に強く訴えるような作品がある。もちろん、完全なピンぼけ写真以外にも、紅葉に飾られた車庫前やホテルの窓なども秀逸である。

私は彼女をただの写真家というよりはむしろややインスタレーションを行うアーティストのように捉えるほうがいいのだと勝手に考えている。例えば、彼女は展示空間に併せて、版の大きさや額を対応させるのはもちろんのこと、印画紙を変えたり、ストーリー構成を組み替えたり、音の扱いも柔軟に変化させる。それがその都度、ぴたっとはまる。こうあるべきというより、もともとこうだったと思わせるほどに。そしてその感覚は、各々の写真の内部に立ち戻ってみても感じ取ることができるのだ。

 

今回第三楽章にあたるParisを見ることができて、私は個人的にとても快感だったのだが、それはきっと、沢山の写真家が見てきた「リアルなパリ」ではなく、大きくずれたり溢れたようなイメージ、つまりは自由に幻想的な異端のパリの手触りを感じ得たことが爽快だったのだと、そう思う。