10/29/13

nouvelles vagues @palais de tokyo/展覧会『ヌーヴェル•ヴァーグ』@パレ•ド•トーキョー

Nouvelles Vagues @ Palais de Tokyo,
Exhibition of Curation 21人(グループ)のキュレーターによる21通りの展覧会
Palais de Tokyo site « nouvelles vagues »
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近年ますます、まとめ方や全体のコンセプト、配置や章立て、そういったことが一つの展覧会にとって重要な要素として見直され、語られ始めている。とはいえ、展覧会とはやはり、アーティストの作品を見に行くものではなかろうか?これは、素朴な反応である。見せ方がいくら素敵でも、作品が分からないのでは楽しめない。でもふと思い出してみると、全体的によく理解できた展覧会は、長い時間が過ぎた後にも、ストーリーとして、時には感覚的なものとして、それらが記憶されているということもある。
さて、パレ•ド•トーキョーで開催されたNouvelles Vagues(新しい波(複数形))という展覧会は、それはとりあえず、ビエンナーレとかトリエンナーレとかそういった集合展示を見に行くのと同様の心構えで行かないと途中でキレてしまう恐れがある。もちろんガイドブックを買う必要も無いし、つまらんもんは飛び越して行けばいいのだが、どうやって視るにせよ、入り口から出口までの行程自体が非常に長い。幾つかの作品の前で長く足を止めた私は、一番下の地下階から始まって、二回の会場でそれが終了して出口で日光に再び出会うまでに実に四時間弱かかっている。念のため付け加えるが、私は全ての作品を隅々まで入念に視るような几帳面さも持久力も持ち合わせていない、に関わらずである。
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展覧会Nouvelles Vaguesのコンセプトは以下である。
Palais de Tokyoでは、世界中13カ国から集まった21人の若きキュレーター(あるはキュレーション•グループ)による展覧会を開催する。Palais de Tokyoのギャラリー委員会は、この空間を30あまりのスペースに分割し、それぞれのキュレーターたちに一つの展覧会を構想するよう依頼した。この未聞の企画はパリのアート界でも初めての試みとして、現代アートが生れて発表されるこの街に新しい視線をもたらすだろう。このアート企画では、新しいタイプのキュレーターの存在が明らかになる。彼らはアーティストたちの最も近くにおり、そこで才能を発揮する。彼らは各々独立した存在であり、世界を股にかけて展覧会を作り出す。
それは、ギャラリストとも、学芸員とも全く違う。アート市場のルールや組織のルールを始めとする、全てのアカデミズムの規範から逃れて自由である。自由人、オフピストの冒険家、詩的•政治的•美的な環境変化を求めるノマド。彼(ら)は新奇を見つけ出し、即座に配置を創り、そこではまったく異なるアーティストたちが、ある一つの目的、アイディア、ヴィジョンのもとに集まることが可能になる。
何よりもまず、彼らを招待し、展覧会を創造してもらえることを光栄に思う。
今日、Nouvelles Vagues(「新たな波」)はアートの生態において生じつつある変容を明らかにするだろう。
(Nouvelles Vagues Cuide, Édito, Jean de Loisy, Président du Palais de Tokyoより)

さて、4時間分をダイジェストにするというのでなく、Salon de mimiのいつも通りの方法で、つまり、作品から何らかのおしゃべりが止めどなく溢れ出してしまうような表現について、ここに綴り、さらなるおしゃべりの可能性を開いてみたいと考えるのである。さらに今回は、キュレーションという小宇宙が複数存在している展覧会であることを踏まえ、ルートに従って作品を紹介して行きたい。

La Méthode Jacobson by Marc Bembekoff
第一の展覧会は、Palais de Tokyoの最下階にある。薄暗い通路にネオンの絵画、通路を抜けたやや明るい空間にFeiko BeckersのインスタレーションSafe and Sound(2013)がある。そこにあるのは、一辺が160cmもある分厚いコンクリートの板が2枚直角に並置されている、ミニマリストの彫刻風?のものである。その傍らにはアーティスト自らがアシスタントと共に熱心に作業をしている映像が放映されている。アーティストは、アリゾナ州に実験的に造られたユートピア都市Arcosantiの最も典型的なアーキテクチャフォームである、直方体のコンクリート建築への呼応として、手作りのコンクリートを丁寧に造る。Feiko Beckersは、その試行を通じて、現代の奇妙な都市生活:都市の中心で働き、バカンスには一斉に田舎の一軒家に移動して数ヶ月を過ごすという無駄で義務的な人々の大移動にたいして、人間は家の中で安全に過ごすことができ、生きるのに必要なのはたった一つの小さいステュディオだけでいいのだと語る。
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また、同キュレーション内で、Agnieszka Ryszkiewicsは、ポストカードのインスタレーションを発表する。パリに住む若い女性であるPamとTed Colemanというテキサスの牧場労働者の間の親密な手紙のやり取りを、鑑賞者に対して提示する。そこには、彼らの個人的な想い出や、身体性を伴う記憶や物語が綴られている。鑑賞者はそれを目で追いながら、この先も決して会うことのないであろう二人の人間の、語り合う声が聞こえてくるようなストーリーのなかに息をひそめる。
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The Black Moon by Sinziana Ravini
現在2013年9月よりCentre Pompidou(ポンピドーセンター)のGalerie Sudで回顧展を開催しているPierre Huygheもこの展示の中で重要な役割を担う。展示されたのは、Huygheが2009-2010年にかけて撮影したThe Host and the Cloudという映画のイメージである。この映画において、Huygheが描き出したのは、廃墟となった美術館における物語の迷宮、暗闇におけるミサ、ボロメオの分岐点、催眠術とミステリアスな出来事の続く不可思議な世界である。登場する人間たちは、顔面に四角い板のようなマスクをつけてロボットのように列を作っている。

ADA by Ken Farmer & Conrad Shawcross
産業ロボットを組み立てて生み出された、ADAというロボット。1977年生れのConrad Shawcrossは、19世紀ヴィクトリア朝期の数学者エイダ•ラブレス(Ada Lovelace)へのオマージュとして造られた。光と音楽を伴い、幾何学、科学、詩学、論理学に深い関心を抱いていたAda Lovelaceという19世紀の女性。彼女は、詩人バイロンの一人娘として育ち、チャールズ•バベッジとともに世界初のコンピュータプログラムを書いた(解析機関用プログラムのコードの記述が見つかっている)。若くして子宮癌を患ったエイダは、父バイロンと同様に36歳の時、瀉血によって死んだ。
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Artesur, Collective Fictions by Albrtine de Galbert, Isabelle Le Normand, Andrew Berardini, Jesse McKee & Anca Rujoiu
Collective Fictionsの展覧会では、Albrtine de Galbertが若いキュレーターグループに呼びかけを行い、彼らが独自にラテンアメリカの現代アーティストをセレクションして展覧会を構成するという入れ子の構造を作り上げている。それぞれが作品やアーティストを選び、それが最終的にどのように展覧会として完成するか。ここでは、選択する主体自体も複数の人間によって行われていると言う点で、キュレーションとは何なのか、コラボレーションとは何なのか、全体の選択と個人の主観的選択はどうネゴシエーションされるのかという問題を照らし出している。
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Leyla CardenasはPalais de Tokyoの白い壁に刃物で傷をつけて塗料を繊細に剥がしたり木の部分を露にすることによって、2.3m×3.5mの大きな絵画を生み出した。Removido (2008)

Eugenia CalvoのMore Heroic Work(2008)は、新聞女こと西澤みゆきさんのパレードに登場した、シュレッダー•モンスターがまとっていたコスチュームを彷彿とさせる、刻まれた紙の山である。西澤みゆきさんの制作においても、新聞や広告という本来の用途や内容、情報を乗せた媒体をシュレッダーにかけることには象徴的意味を伴う。Eugenia Calvoの場合にも、言葉の山をもはやつかみ取ることのできない細かなフラグメントにまで解体し、それを膨大なヴォリュームとして提示することによって、鑑賞者に途方も無い瞑想を喚起する。それらは解体されて自由になり、風が吹いたなら飛んでゆける可動性を得た。そして意味すらも失った。
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Concert Hall by Jean Barberis
コンサート•ホールと名付けられた巨大なインスタレーションは、足を踏み入れるのも躊躇するような奇怪な外観をしている。多くの音楽家やサウンドアーティスト、メディアアーティストのコラボレーションである本作品は、孤児院から譲り受けた廃品などで楽器を構成し、来客を歓迎して一斉にコンサートを開始する。オートマタや光の音楽装置、プログラミングされた精緻な演奏。細部に渡るまで、彼らが作り出す立体的なコンサートを見回すと、そこにはたった一人の人影もないのに、子どもの話し声や人々の生活の風景が感じられるような気がする。それは、このモンスターのようなコンサートホール全体が、人間の作り出した物やアイディアによって充溢しているからだろうか。
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Un Escalier D’Eau by Natalia Valncia (Curator), Felipe Arturo(Scenography)
Herz Frankが1978年に35ミリで撮影した10分間の映像作品は、闇の中に子どもたちの次々に移り変わる表情を捉える。子どもは大人のそれよりも潤った目を見開き、時には眉をひそめ、口を開け、頬の筋肉を強ばらせたり、唇をすぼめながら、大画面に映し出されるそれぞれの子どもは、誰一人として同じようには反応しない。このショートフィルムは、フランクが10分間のマリオネットの劇を見ている子どもたちの表情を撮影したものである。本来誰にも目にされるはずの無かった子どもたちの表情は、こうして35年後、我々の目に触れることになる。それぞれはもう40代の大人になり、それぞれの人生を送っている。
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Manon de Boerは即興ダンスを踊るCynthia Loemijを撮影した。ウジェーヌ•イザイ(Eugène Ysaÿe, 1858-1931)のヴァイオリンのための三つのソナタを聴く。イザイはベルギーのヴァイオリニストであり作曲家でもあった人物だ。Cynthia Loemijは10分間取り憑かれたかのように音楽を聴き、その音楽は彼女の身体に染み込んだかのように、ダンサーはインプロヴァィゼーション•ダンスを舞う。
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The Real Thing? by Antonia Alampi & Jason Waite
Real Snow White(2009)は、白雪姫のコスチュームを来て、ディズニーランド(ユーロ•ディズニー)を訪れる、という作品だ。アーティストのPilvi Takala(1981年生れ)は、全身完全なSnow White(白雪姫)のドレスをまとってパリの郊外にあるユーロ•ディズニーを訪れる。入場のためにその他の客と共に列を作っているところに係員がやってくる。彼女はフランス語が分からないというと、係員はたどたどしい英語で、白雪姫のコスチュームを来たままでは、他の客が「ホンモノの」白雪姫と混乱してしまうから入場できないと言う。子どもたちは、ヒロインたちのコスチュームを着てるじゃない、とまわりの少女たち(白雪姫のコスチュームを来た少女)を見ながら訴える。係員が苦心していると、彼女のまわりに子どもやその母親が集まってきて、「とてもキレイ、本物の白雪姫だ!」といって写真やサインを求める。彼女はそれに応じる。やがてもう別の女性スタッフが憤りをあらわにしながら、彼女に即座にトイレで着替えてくるように言う。するとまわりの子どもや家族連れは、「なんだ、偽物か」といって騙されたことに憤慨し、その場を去って行く。中にはそれでもサインを求めたり、写真を一緒に撮ろうとする者もいる。彼女は結局、訴えも虚しくトイレに連行されて、白雪姫のコスチュームで入場できなかった。それは彼女が、ディズニーランド内のどこかにいる、「本物の」白雪姫を脅かしてしまうからである。
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本キュレーション »The Real Thing? »は、1960年代、東京のギャラリーにおいて発見された風倉匠の全裸不動のパフォーマンス、その日本における前衛美術家の実験的表現に着想を得ており、とりわけ風倉匠が自身のアクションをしばしば »The Real Thing »と名付けていたことに由来する。ここでは、Pilvi TakalaのReal Snow Whiteを始めとして、リアルとフィクションの境界を可視化あるいは不可視化するような作品群が提示される。

最期に、Henrique Oliveiraによる、Baitogogoの麓を歩いてみることにしよう。サンパウロ在住の画家、彫刻家である Henrique Oliveiraの壮大なプロジェクト、巨大な木彫刻である。Palais de Tokyoの一部が、うごめき、変形する。それは確かにかつて見たことの無いもので、驚きと呼ぶものである。
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09/14/13

55th La Biennale De Venezia Part4 / 55th ヴェネチア•ビエンナーレ No.4

55th Biennale de Venezia  part 4

 part3では、Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceにおけるドローイングとペインティングに焦点を当て、Daniel Hesidenceの様々なスタイルを越境する抽象絵画、オーストリアの画家Maria Lassingが »Body Awareness Painting »と呼ぶところの奇妙な身体イメージの絵画、自らが手に取るように自然を再構成しながら描くLin Xue(林雪)の竹を使った繊細なドローイング、また、Hans Bellmerのサド侯爵の引用による版画では性倒錯の想像力と両性具有の自己充足的な身体が描かれている。Ellen Altfestは描かれ抜いてきた女の裸体に目もくれず、男の裸体を隅々まで描いて鑑賞者の目を奪った。

part4では、Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceを離れ、88カ国が参加した各国のパビリオン展示について、ダイジェストのダイジェストを紹介したい。ちなみに、フランス館(ドイツ館の建物を利用しての)におけるアンリ•サラのRavel Ravel Unravelは別の記事(アンリ•サラ、フランス館)において紹介しているので、そちらを参考にしていただければと思う。

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Greece Pavilion/ギリシャ

欧州債務危機まっただ中のギリシャでは、マネーに関わる映像作品が上映された。このことは様々な意味で真っすぐな問題提起であるのだが、そこには言うまでもなく、社会的あるいは政治的立場、利害関係、価値観、世代や出自によって支配される相異なる主張を持つ個人が重なり合いながら生きている。
ギリシャ館のアーティストに選ばれた、Stefanos Tsivopoulosは1967年から7年間続いた軍事政権や冷戦時代のギリシャを包み込んでいた世界的な文脈にもういちど疑問を投げかける。ある非常に豊かな環境にうまれた人間が一生涯にわたって大きな困難を経ずに豊かな生活を送り続けることがあるのと同様の理由で、一つの国が歴史の中でしばしば困窮し、破綻の危機に陥るようなことも、原因をその国の内側に求めるようなことは殆どが的外れである。
Stefanos Tsivopoulosは、3つの異なる部分から成る映像作品において、人間関係形成において金銭が演じる役割、そして金銭の所有を巡る政治的•社会的な諸要素について三人の人物の経験に焦点をあててこれを明らかにする。

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目に留まったのは500euro札を次々に折り紙にして、完成した折り紙の花に茎を付け、花瓶に追加して行く年老いた女のイメージだ。女はひたすら折り紙の花を折っていおり。丁寧に折っては、水の入っていない大きな花瓶に追加して行く。使っているのは500ユーロあるいは200ユーロ札という金額の大きな紙幣ばかり。女は熱中していて、花が出来上がると嬉しそうでもある。老女は城のような家に住み、家には人気も無く、家族もない。出来上がって行く花の山は、ただの折り紙の塊だ。女の価値観はひょっとすると既に破壊されていて、この女にはそのような物差しが無いのかもしれないとも思う。しかし、女は紙幣を大切に閉まってある場所から取り出す。あるいは不意の電話を受けたのち、急に切羽詰まった様子で丁寧に折ったたくさんの花束をゴミ袋に突っ込み捨ててしまう。この女は、それが金であるということはわからないにせよ、それが彼女の家を一歩出た世界では、尋常でなく重要な物で、それが自分の身に危機的状況を作り出しうるということをいずれにせよ、忘れることができずにいるのだ。

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Israeli Pavilion/イスラエル – Gilad Ratman

イスラエル館のアーティストに選ばれたGilad Ratmanは、盛大なパフォーマンスを行った。Ratmanは、言語や国籍、国家や政府によって規定され、一見それが普遍的な人間の行動パターンや現在性にまつわる強迫のモデルを形作っていることに対して疑問を投げかけるような表現を行っている。それらを取り去った原始的なジェスチャーやコミュニケーションのあり方に立ち戻ることによって、既存のシステムを異なる視点で見始めるための提案をしている。
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第55回ヴェネチア•ビエンナーレでは、人々のグループをイスラエルからヴェネチアに旅行させるというワークショップを提案した。洞窟の中を進んで行けば、それが地下深い洞窟ならば、言葉の壁も、国と国の境界線も無いはずである。そのときには、政治の壁も宗教の壁も、ない。文明以前の小さな人々の共同体として生きてみるというアイディアは、前社会的、前言語的な想像的世界において、普段当たり前でぬぐい去ることなどできないと信じていたものを人々が一斉に失うという経験を作り出した。
想像上のヴェネチアまでの旅行をした一段は、イスラエル館に到達し、そこで粘土でこしらえた自分の像に向かって、前言語的な声によって話しかける。それは直接的な感情や意志の本質のような音を奏でながら、だんだんと高揚して叫びのようになるものの、他者には共有されがたい。それは、しかし、重なり合うことによって「音楽」と呼べるものになる。
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Georgian Pavilion/グルジア Kamikaze Loggia/カミカゼ•ロッジア

ポーランド出身の女性キュレーターであるJoanna Warszaが今回のグルジア館をオーガナイズした。Gio Sumbadzeがデザインしたこのロッジは、カミカゼ•ロッジアと名付けられている。作家たちによって作られ、生活できるよう家具も手作りされ、彼らがともに食事する場となり、オープニング時にはパフォーマンスも行われた。グルジア語でკამიკაძე(神風)だが、この名前についてKamikazeの-azeはグルジア人の名前に多いのだそうだ。だが、このグルジア館が、アルセナーレの多くの国のパビリオンが一通り並び終わった後に、1990年代末、ソヴィエトが崩壊した後に住居スペースを広げるために盛んに建てられた違法建築という形態をとって併設されていることを考えると勿論კამიკაძე(神風)のコノテーションを意識させるのが目的だと思われる。これまで、メイン会場の敷地内にパビリオンとしてではなくこのような建物を造った国は初めてである。ソヴィエト崩壊後、無法状態に置かれた国の記憶や、崩壊以前に中途半端に残された土地計画の遺物、様々な政治的、宗教的、民族的衝突の記憶を、十分に明確な形で訴えている。
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 Portugal/ポルトガル

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ポルトガルはメイン会場にパビリオンを持たない。パビリオンを構えることも、何ヶ月も続く会期中ヴェネチア内の展示空間を借り続けることも、大航海時代を制したポルトガルにとっては魅力の無いことであるに違いない。ポルトガルパビリオンは、海の上に浮かぶ。毎日クルージングにも出かける。ヴェネチア共和国は15世紀最強の海軍を持つ都市国家で、大航海時代のリスボンもまた多くの遠征隊を送り出し、交易の中心として栄えた港町であった。船全体に行き渡っているのはジョアンナ•ヴァスコンセロス(Joana Vasconcelos)の温かく不思議な世界だ。ヴァスコンセロスは、2012年、ヴェルサイユ宮殿の現代アート展示に最年少女性アーティストとして抜擢され、宮殿をオブジェで染めた。その時の様子はsalon de mimi過去記事にも記録している。ヴァスコンセロスは、ヴェルサイユでみたようにタンポンや料理用具、エクステンションといった女性的アイテムを作品に積極的に用いるし、その性の意味を描くのに長けた作家だ。この船も、外観は、港都市として反映したリスボンの歴史的威厳を感じさせるにも関わらず、その内部に一歩足を踏み入れると、くらい中に温かく丸い毛糸製のオブジェが光っており、その穏やかでぬくぬくした感じは、母の子宮につつまれた記憶を想起させる。
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Angora Pavilion/アンゴラ館

アンゴラ館はご存知のように、参加型の展示が高い評価を受け、ルアンダ•エンサイクロペディック•シティ展が金獅子賞受賞を獲得した。安定してパビリオンを構える豊かな国々が獲得することの多い金獅子賞受賞によって、当然メイン会場外であるにもかかわらず、アンゴラ館は予想を上回るヴィジターを迎え入れることに「なってしまった」。写真作品が大量にコピーされて、それを鑑賞者が自由に持ち帰れるというアイディア自体は無論ちっとも新しいアイディアではない。ポスターや新聞、ビラのような印刷物がインスタレーションになっていると同時に自由にそれを持って帰れるスタイルは今日なかなか人気がある。勿論、ルアンダ展が評価されたのはそれだけではないのだが、とにかくそういった「態度」に注目が集まったことは確かである。
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実はこのアンゴラ館、8月上旬には既にこのもてなしをやめてしまった。というか、ファイルも写真のコピーもすべて有料になってしまった。中の写真を全て持って帰ると総額40ユーロほどにもなるらしい。繰り返すが、コピーである。
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訪れた際アンゴラ館で働く人と少し話をする機会があったのだが、アンゴラ館の方針転換の理由は簡単で、予想外のヴィジターが詰めかけたことによって予算を上回って写真のコピーがはけてしまったのだ。
壁にはイタリアのルネッサンス絵画がギラギラとした額に収められて飾られている。そのパレスの床には、そのヒエラルキーと言おうか、経済的状況と言おうか、そういったことを象徴するようにして、ルアンダの街角で撮影された、置き去りにされたモノたちの写真の大きなコピーが積み上げられている。
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 Japan Pavilion/日本館

日本館では、田中功起さんの抽象的に話すことー不確かなものの共有とコレクティブ•アクト展が高い評価を受けた。協働とはなにか、抽象とはなにか、を問うパフォーマンス作品はその各々は非常に興味深いものである。キュレーターの蔵屋美香さんとともにアーティストがコンセプト「抽象的に語ること」の出発点とした震災との関わりは、非直接的体験であるそうだ。アメリカで活動するアーティストであること、日本の土壌で震災を経験していないということ。私自身、震災の2011年当時すでに海外での生活が2年目を迎えていたので、震災を日本という国の中でその瞬間もその後も経験していないということが如何なることか、分かっているつもりである。それがどのように問題を具体的に扱うことを自問させ、不安を掻き立てるかということも。
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この展示については、コレクティブ•アクトの意味である「協働」が重要な概念として照明が当てられ、それが重要なのは「一国では解決できないも問題が山積みの今日にふさわしい」からだと説明される。私は、抽象的なアプローチに対する、このあまりに安直な説明が嫌いである。先日開催が決まった東京オリンピックに関する、日本の最終プレゼンテーションをポジティブに評価する折に語られるロジックと同じものである。

抽象的に語るのは、問題を解決できないからではない。問題を解決するためである。

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09/8/13

55th La Biennale de Venezia part3 / 55th ヴェネチア•ビエンナーレ no.3

 55th Biennale de Venezia  part 3

 Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palace

パート2では、人形/彫刻とインスタレーションに着目し、Paweł Althamerによるプラスチックテープの90人のヴェネチア人、繊細な作風で想像上の生き物の世界を表すShinichi Sawadaの陶器彫刻、サイズやプロポーションを異化することによって見る人の印象を変える彫刻を作るCharles RayPaul McCarthyの子どもの解剖学のための巨大ぬいぐるみ、女性のアイデンティティや家庭での立場を問うCathy Wikesのインスタレーション、日常に潜む生と死を描いたRosemarie Trockelの表現、そして、小さな人形を作り続けたMorton Barlettの想像上の家族たちを紹介してきた。
パート3では、ペインティングとドローイングについて紹介したい。

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Daniel Hesidenceは1975年アメリカのAkronに生まれる。彼の抽象画にはArt Informel(アンフォルメル)からの強い影響が見られ、視覚的情報から意味を抽出し、彼独自の哲学的考察とそれを詩的な方法で表すということをテーマとしてきた。プリミティブな洞窟絵画からモダニストの抽象表現までを視野に収め、それらの重なりから浮かび上がるイメージは、時代も色も形も、ただ一つの意味において確定することができない。Il Palazzo Enciclopedicoでは、Untitled (Martime Spring)が提示された。そこには何層にも重ねられた距離や深さ、異なる固さが混在し、溶け合っているのだが、キャンバスの宇宙の中にもういちど再構成されて調和しているようでもある。

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Maria Lassingは1919年生れのオーストリアの画家である。ヴェネチア•ビエンナーレには1980年にも参加しているほか、1996年にはポンピドーで回顧展も行っている。彼女の絵画の特徴は、一貫して、肉体が持っている意識に着目して、セルフポートレートを描き続けているということなのだが、彼女自身はそれを »body awareness painting »と呼ぶ。絵の中の彼女はいつも裸で、髪の毛もなく、年老いた肉体として描き出されているのだが、色彩も表情も全く奇妙である。drastic paintingのシリーズであるDu oder Ichは両手に持った銃の一方を自分のこめかみに当てながらもう片方はこちら側にはっきりと向けているLassingが描かれている。あるいは、Mother Natureにおいて彼女は森や動物、虫たちを両手に持ち頭部の髪の部分が自然と一体化している。いずれの絵画も背景が描かれず、非常に静謐としたムードを持つ。

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Lin Xueは1968年生れ、香港出身の画家である。彼の特徴である細かいドローイングは、先を尖らせた竹に墨をつけて描くことによって実現する。生態系における動植物のあり方を自分自身が山に入って行く経験をもとに紡ぎだして行くためには、この方法がもっとも基本的で根源的なやり方であると作家は信じる。竹で描く選択も、非常にリアルな細部も、この作家の自然への態度を反映している。今回のヴェネチア•ビエンナーレに彼が発表した作品はNature’s Vibration(振動する自然)。彼が自分の肌で確かめた生ける自然の相互にネットワークを築き上げている様を想像的に描いている。自然は彼によって分断され、再度複雑な塊に再構成される。結びつき合ったあたらしい「自然」は、エネルギーをその中心に帯び、その波は視る我々にも届きそうだ。

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Hans Bellmerのドローイングについて、敢えて何かを言うのは滑稽であると感じて止まない一方、だとすればそれらはそんなに明らかなのかと言えば、そういうわけでもない。ハンス•ベルメールは1902年生れ1975年に亡くなった。1934年にナチス政権下のドイツで、等身大人形を発表し、その写真集『人形』を発行する。これがパリ•シュールレアリズムの芸術運動に受け入れられる。後にはそれを発展させて球体関節人形を作成し、1957年、著作『イマージュの解剖学』を記す。今回出展されたドローイングは1968年に作成された版画、Petit traité de moraleで、Marquis de Sade(サド侯爵)から着想を得た。ベルメールは日本では、現在も球体関節人形や、リアルドールのイメージがその上に重ねられてきたので著名であるが、身体の分解や部分的な複製、性倒錯の主題はベルメールの独創性を示す指標でも何でもない。傷ついた身体萌えや廃墟萌え的な想像力の普遍性をむしろ明らかにする。人形や版画という形での「作品」、そのオブジェとしての再現度の高さが彼を結局は著名にしたのではないか。

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Ellen Altfestは、ハイパー•リアリストの画家で、静物画は、風景画に加え、肉体労働者の男性の裸体を描き続けている。最近パリのFondation Cartier pour l’art contemporainで展覧会を行ったRon Mueck(Ron Mueck exhibition review)のように、彼女は肉体を毛穴と毛と皺の一本まで描く。ありのままに描くということは、逆説的なことで、飼いならされた鑑賞者である我々は、しばしば描かれない見慣れないものを見つけるとむしろそれに着目してしまう事態に陥る。産毛やホクロ、皺やシミ、膨らんだ腹部や垂れた皮に目がいく。それは彼女の戦略通りだ。歴史の中でさんざん描かれてきた女性の裸に人々は免疫と知識とステレオタイプな鑑識眼を持っており、その一方で、男性の裸体にはひょっとするとナイーブなのである。彼女は、アトリエで男の裸を描く。しばしば毛むくじゃらの胸部や腹部、背から尻、あるいは男性器をその細部まで描く。我々は目を開けながら実は殆ど何も見つめてはいない。

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 次回は、各国パビリオン展示について、ダイジェストのダイジェストを書きます。

 

09/5/13

55th La Biennale de Venezia part2 / 55th ヴェネチア•ビエンナーレ no.2

55th Biennale de Venezia part 2

Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palace
パート1では、写真と映像作品に着目し、Camille Henrotの創世記の映像作品、Norbert Ghisolandの子どもの記念写真、Linda Fregni Naglerの隠された母親と子どもの没後写真、Nikolay Bakharevが撮影したソヴィエト抑圧下の家族写真、Laurie SimmonsAllan McCollumによる鉄道フィギュアのポートレート、そしてAutur Zumijewskiの盲目の人々が太陽を描く映像作品について紹介した。
part2では、同様にIl Palazzo Enciclopedicoから、彫刻/人形とインスタレーション作品についてそのいくつかを紹介したい。

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まずは、アルセナーレ会場で注目を集めたPaweł Althamerのインスタレーションを見てみることにしよう。ちなみに、前回part1に登場した、映像作家のAutur Zumijewskiは彼のコラボレーターで、しばしば協働作品を作っている。
ワルシャワ出身のPaweł Althamerは、身体や精神の問題を扱って彫刻、ビデオ、パフォーマンス作品を作ってきた。とりわけ、身体の「もろさ」や「感じやすさ」に関心を抱き、その境界を探るような実験的作品をしばしば自身の肉体を通じて問うている。以前は髪や腸などのマテリアルを利用した彫刻を作ったこともあるが、最近では、彼の父がプラスチック製造会社を営んでおり、その協力を得て、帯状のプラスチックを利用した彫刻を制作している。本作品では、90人のヴェネチア人に実際にモデルになってもらい、顔と手の型をとった。身体の部分はプラスチックの帯状ヒモで、実物大の人間を造形した。作られた彫像はリアルな人間サイズで、それが90体も様々なポーズで配置された空間は、圧倒的なインパクトを持っていながら、一体一体の人間の身体の中は空虚で脆弱である。我々の肉体もまた、ただ魂を匿う「乗り物」(vehicule)でしかないことを表している。
(ヴェネチアを訪れるほんの少しまえ、偶然ワルシャワ現代アート美術館(Museum of Modern Art in Warsaw)にて、こちらは白いプラスチックを利用したPaweł Althamerの作品を見た。この彫刻では、人々が巨大な物を協力して引いている様子が表されている。実はChristian Kerezによって設計された現代アート美術館を建てるという壮大なプロジェクトを人々が大変な努力をして引っ張っている様子を表している。(Burłacy, 2012))

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テラコッタ製の彫刻群(2006-2007)は、「モンスター」というのが時々はばかられるが、身体の表面に小さなとげのような陶器の欠片をびっしりと纏って様々な形をした想像上の生き物たちの集合である。作者であるShinichi Sawadaは、1981年滋賀県生まれ、自閉症と知的障害を持つ。2001年より陶芸を始め、クリアーなプランを繊細な手作業によって実現し、世界的に高い評価を受けている。2010年には、モンマルトルでの展覧会Art Brut Japonais に出展し、私も会場で展示作品を見たのを覚えている。フランスでは展覧会名が示すように、Art Brut(英語でいうアウトサイダー•アート)というカテゴリーに入れられていたが、ヴェネチア•ビエンナーレのIl Palazzo Enciclopedicoでは、むしろ、想像上の生き物たちの百科事典的なヴァリエーションの一ページとして澤田の作品が位置づけられているように思える。

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さて、Charles Rayは、初期はアンソニー•カロやデヴィッド•スミスらモダニズムの彫刻家に影響を受けるが、その後1970年代にはミニマリストのムーブメントに着想を得ている。様々なマテリアルを用いて作品を作ってきたが、人間を模した彫刻は特徴的である。彼は、非常に大きな女性や子どもと大人の大きさが全く均一な家族など、見る者を困惑させるような彫刻を作る。展示されたFall(1991-1992)は、高さ243cm、厚さ66cm、幅91cm。巨大なキャリアウーマンである。普通のサイズであったなら、ただのマネキンである典型的なコスチュームを着て真っ赤なルージュを引いたブロンド女が、どうしても人々の注意を引いてしまうのはなぜだろう。(撮影禁止のため、イメージはありません。)

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Paul McCarthyは先日パリのポンピドーセンターで行われた個展にかんしてレヴューを乗せた(http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/?p=2297)Mike Kelleyと親交が深く、昨今の展覧会では、Mike Kelleyとのコラボレーション作品Heidi(ビデオ作品)が展示された。ロサンゼルスで学び、前衛的でラディカルなでボディ•アートやパフォーマンスを展開する。Paul McCarthyは、自身が述べているように典型的なアメリカン•カルチャーの影響のもとに育ってきた。ディズニー、B級映画、コミック、消費社会のマスメディアの要素を進んで作品に取り入れる。その一方で、彼が同様に強烈な影響を受けたのは、フルクサス、ハプニング、パフォーマンス、ボディ•アートといったヨーロッパにおけるアヴァンギャルド芸術で、とりわけウイーンにおけるアクション•アートに最も影響を受けたのだが、これに対してはある種、自分は部外者であるコンプレックスのもとに受容したのであり、それがMcCarthyの特徴を形作ったとも言える。展示作品、Children’s Anatomical Educational Figure(1990)は、巨大なぬいぐるみの腹部が裂けて、臓物が飛び出している。子どもの顔はアニメ的な笑顔を崩さず、胸部の心臓がある場所にも「ハートマーク」が描かれている。身体への暴力や衛生概念を混乱させるような一貫した試みが見られる。

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Cathy Wikesのインスタレーション作品Untitled(2012)では、二人の子どもと、おそらくはその母親が、一人の男が酒の瓶のあるテーブルの前でうなだれて、しかし今にも暴力をふるいそうな恐ろしい様子が設定されている。男はもちろん、子どもたちの父親であり女性の夫であろう。Cathy Wikesは、資本主義社会における女性のあり方や、家事労働、社会における母親という立場を浮かび上がらせるような作品を作ってきた。平凡でありふれた感じのする家具や壁紙、キッチン用具、そこに静かな緊張があり、不条理があり、誰にも聴かれない声がある。

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Rosemarie TrockelFly me to the Moonは静かでありふれた日常に潜む恐ろしい物語を浮かび上がらせる。赤ん坊は宙づりにされたゆりかごにふわふわ揺られ、すやすやと眠っているようだ。その赤子のすぐ横には毛むくじゃらの動物、丸くなっている犬か猫らしきものが共におり、同じ部屋の床には若い女が下着姿でテレビを見ている。女が見ている映像は、人間が初めて着きに上陸したあのシーン。女は自分の平凡で途方もない日常とはほど遠いファンタスティックな映像に夢中だ。したがって、女はまったく赤ん坊に無関心だ。ひょっとすると、母親ではないのかもしれない、とするとベビーシッターだろう。女は更にテレビに熱中し、毛むくじゃらの動物ははっきりと身体を上下させて寝息を立て、生命の存続をアピールする。もう一度、おそるおそる赤ん坊に目をやる。顔にとまっている大きな蠅はじつは、その子どもが既に死んでいるというサインだったのだ。

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Morton Barlettはしばしば、ヘンリー•ダーカー(Henry Darger)と引き合いに出される、生前は人形を作っていたことは知られていなかったアーティストである。というのも、1992年、彼が亡くなった時、自宅に大量の解剖学的に正確なプロポーションをもった手作りの人形が、30年物の新聞に丁寧に包装されて、さらには手作りの服を着せられて(あるいは、中には服を着ていないものもあった)、発見されたのである。彼が死ぬまで、Barlettがこんなに人形に執着があるとは知られていなかった。可愛らしい人形は実物の少女の二分の一くらいのサイズで作られており、どの少女も美しく、あどけない表情をしている。Barlettはダーカーと同じように孤児院で幼い頃を過ごすが、ダーカーと違って8歳のとき、裕福な家庭に引き取られ、孤児院をあとにする。ハーバード大学を中退し、写真家として働く。
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さて、Barlettがたくさんの人形を制作していたことについて、彼の知られざる趣味や想像にかんして、さまざまに議論されてきた。彼が人形や少女に対して、フェティッシュでロリコン的な趣味を持っていたことなども疑われるのだろう。一方で、もう少し別の視点から作品そのものに着目してみてはどうか。この作品が人目をひくのは、ひとえに、各々の人形が発しているオーラのようなものよると私は感じている。人形たちは、不幸で悲観的ではないにせよ、生きることの難しさを少なくとも、少しは知っている少女たちなのである。少女たちの纏っている衣服は、かならず一部分が壊れている。帽子をかぶった少女が、なぜ座っているのかご存知だろうか。彼女の靴が破れているからである。彼女は、ほころびたぼろぼろの靴を履いていることを隠すために、座っているのだ。別の少女はスカートのホックもファスナーもない。襟がほつれている、極端に短いTシャツを着ている。彼女たちは、楽しそうに笑っているけれど、寂しいことや辛いことを知っている。人形たちは、孤児院で育ったMorton Barlettが生涯忘れなかった子ども時代の寂しい気持ちを少しでも穴埋めしようと創り出した、想像上の家族たちであった。
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次回は、ペインティングとドローイングについて書きます。

09/3/13

55th Biennale de Venezia part1/ 55th ヴェネチア•ビエンナーレ No.1

55th Biennale de Venezia part 1

Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palace

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今回アルセナーレ•ジャルディーニの両メイン会場で150人の作家が参加する企画展Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceのキュレーションを行ったのは、イタリアのMassimoliano Gioni(マッシミリアーノ•ジオーニ)である。1973年生れ、最年少でのヴェネチア•ビエンナーレ総合ディレクターだ。展示の共通テーマは百科事典的であること。作品のそれぞれが百科事典的な小宇宙を構成していると同時に、あまりにも異なる世界中の作家が一同に集うIl Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceの空間そのものが全体としての百科事典的な場となる。そこでは、芸術家とそうでない人の差を根本的に疑うような試みがあり、人類が表現とか芸術とか呼んできたものの起源にまで遡ろうとする試みがあり、現実や夢、目覚めていることと無意識であることの間をさまよう試みがあり、そもそも、形やイメージはなんであったのかを問うような試みすらある。
そのIl Palazzo Enciclopedicoのページを繰りながら、我々が思うのは、そのあまりにも巨大な百科事典に綴られた全ての知恵と知識を「身」に付けるのが大事なのではなくて、そこを、さまよってすり抜ける中で世界を目撃することこそが重要なのだということである。

パート1では、写真と映像作品に着目した。

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Camille Henrotは1978年パリ生まれの若手作家である。日本で生け花を学んだこともあるこの作家は、数々の植物を用いたインスタレーション作品を作ってきたほか、ドローイング、写真、映像作品も手がける。salon de mimiにおいては以前、パリのGalerie Rosascapeで行われた展覧会、“Jewels from the Personal Collection of Princess Salimah Aga Khan”についてレヴュー「Camille Henrot/カミーユ•アンロ, ジュエリーは押し花に敷かれて」と galerie kamel mennourでの展覧会「Est-il possible d’être révolutionnaire et d’aimer les fleurs ?」の写真をこちらに掲載している。今回ヴェネチア•ビエンナーレの百科事典的展示のために彼女が構想した作品はGrosse Fatigue(大いなる疲労)である。創世記の神話をもとにしたストーリーを、世界中の国立博物館のアーカイブを現代的な方法で提示する。多様な種が歴史の中でどのように変わって来たのか、あるいは人間もまた生物としてどのように歩んできたのか。地球の始まり、いや、宇宙の始まりにも遡って、そこから今日までの、人間の知っている全ての「知識」をコンピュータのスクリーン上にまとめあげようとする。だが、そこで気がつくのは、次々に開かれたたくさんのウィンドウの集積が表すのは客観的でただ一つの真理ではなくて、人々の思想が様々な角度から光を当てられた局面のようなものだということだ。

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Norbert Ghisolandが我々に見せるのは、第二次世界大戦中に彼のフォトスタジオで撮影されたこどもたちの記念写真である。こどもたちは今も昔も、誕生や入学や、あるいは様々な節句の折に、一人や他の兄弟姉妹と共に、非日常的で非現実的な衣装をまとわされて、カメラの前に立たされる。ここで作家は、親の夢を叶えるためにこの大変な仕事をまかされたこどもたちが、イメージの中でまったく不釣り合いな表情で立ち尽くしている様子。そこにある、ある種の滑稽さや不気味さを浮き彫りにしている。Norbert Ghisolandは1878年生れ、ベルギー出身の写真家である。10代から写真家として働き続けたGhisolandは生涯19000枚のイメージを残している。

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引き続き、子どもの記念写真にかかわる作品を見てみよう。広告写真やスナップショット、マジックランタンやタブロー•ヴィヴォンの写真など、19世紀から20世紀に渡る数々の写真のコレクターとして知られるLinda Fregni Naglerが今回展示した997枚の一連の写真には、思わず足を止め、その様子を一枚一枚確認したくなるような共通点がある。それは、隠された母親の存在である。The Hidden Mother (2006-2013)は、ご存知のように露光時間が長かったダゲレオタイプの写真撮影ならではの困難の結果しばしば見られた奇妙な習慣を伝える。撮影の際、非常に小さな子どもを動かずじっとさせておくことは難しく、子どもだけの記念写真を撮るのは至難の業だった。そこで考えられたのが、母親がすぐそばで支えていれば子どもはじっとしているという当たり前のアイディアであったのだが、写真をみてみると、「写る必要のない」母は、黒い布を被って自らを隠している。(写真 下)そこには明らかに誰かがおり、その存在は誰の目にも明白なのだが、それでも、母は姿を現してはいけないのである。この種類の写真には、子どもを安心させ、じっとさせるためのものと、子どもの「没後写真」の二種類がある。(上のように、子どもの背を後ろから支えているものは没後写真。) 写真が発明され、人々が肖像画を撮るようになった頃、写真が提示するまったく本物らしいイメージは、あたかも死んでしまった人が生き返ったかのように、あるいは、生き返ってくれたらいいとう人々の願いを喚起することになり、生前のような服と姿勢で撮影する没後写真が盛んに撮影されるようになる。生命力の強くない子どもはしばしば幼くして命を落とし、かれらもまた、可愛らしいドレスを着せられ、隠された母親に抱かれ、撮影されている。(展示写真は1840年代から1920年代にわたって撮影され、ダゲレオタイプ、アンブロタイプ、フェロタイプが混在している。)

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Nikolay Bakharevが撮影した家族写真や若い女やカップルの写真において、人々はすこしためらいを表情に浮かべながら、しかしどちらかといえば嬉しそうな様子を見せている。ソヴィエト抑圧下の厳しい統制があった時代、「裸」を写したイメージは厳しく禁止され、それを現像することも所有することも重大な犯罪とされていた。家族や恋人と、肌の露出を伴った写真を頑に禁じられていた当時、人々に唯一許されていた機会は、ビーチで撮影した水着姿くらいであった。人々はとても幸せそうに、唯一の自分の若かった身体、子どもである身体、年をとった肉体をBakharevの向けるレンズに見せてくれた。我々の今日の肉体は、今日しかそこにない。

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Laurie SimmonsAllan McCollumは共にアメリカのアーティストである。Laurie Simmonsは、1949年ニューヨーク生まれ、ユダヤ系の家庭に育ち、70年代より独自の主題をシリーズ化した写真を撮り続けている。人形の家を撮影した初期の作品から一貫して、人形や人形の家を使った状況設定はSimmonsの写真に繰り返し見られる。人形に様々なコスチュームを着せた作品や、人形が世界中の観光名所を旅しているようなシリーズ« tourism »もあれば、« Ballet »もやはり踊る人形がバレエの写真や絵画と重ね合わされている。さらにもっとも最近の作品The Love Doll(2009-2011)では、リアルドールが着物や鵜ウェディングドレスなどを纏って、化粧を施され、リアルな背景や家具の中に身をおかれた写真を撮影している。一方、McCollumは、30年間にわたって、物の公共性とプライベート性についての問題提起を、大量生産される日用品をインスタレーションとして提示することによって続けている。そもそもMcCollumは、俳優を目指し一度イギリスに渡り、帰国の後飲食店の経営やキッチン用品の産業に興味を持って技術系のカレッジに通っている。その後、航空会社で飲食関係の仕事についたが、フルクサスや初期構造主義に影響を受けてアーティストになることを決意する。このような経緯から、大量生産のプロセスとその産物が彼の一貫したテーマの一つなのである。さて、ここでは1984年にAllan McCollumの協力によって実現したActual Picture(1985)が展示された。さて、映し出された人形はしばしば目や鼻がなく、そもそも身体の形も不自然である。表面がざらざらしていたり、鼻のあるべきところがつるっとしていたりする。これらは全て、それは人々のポートレートと同じような一定の大きさの写真に提示されている。ところが実は、この人形のそれぞれは小さな消しゴムほどの大きさしかないフィギュアなのである。一つ一つ肖像画風に提示されるとそれぞれの「人形」は、奇妙な存在感を帯びる。

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Autur ZumijewskiBlindly(2010)において、集まってもらった全盲の人々が太陽を描くところをビデオに収めている。それぞれは筆は使わずに、指や足を使って絵を作って行く。そのうちの一人の男性は途中で、筆を使うことを選ぶ。なぜなら、彼が描きたい太陽の光線の一本一本が、指などを使っていては到底表すことが出来ないからだ。Zumijewskiはワルシャワに1966年に生まれた。ホロコーストの記憶や、Ability(できること)とDisability(できないこと)のボーダーに触れ、歴史的あるいは身体的なトラウマを描き出し、強い感情を引き起こすような表現を行っている。Sumijewskiの作品におけるDisabilityはそれが強い感情を引き起こすものの、それは単純な同情や見ることの拒絶ではなく、人々にそれに見入ることを促すように働く。

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次回は、彫刻とインスタレーションについて書きます。

08/25/13

ロイ•リキテンスタイン@ポンピドー/ Roy Lichtenstein @Centre Pompidou

Roy Lichtenstein
3 juillet 2013 – 4 novembre 2013
Centre Pompidou
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限定詞とは、便利で強力で、そして簡単だ。「”アメリカン・ポップアート”のロイ・リキテンスタイン」という説明は、一見疑いようなくわかりやすく、他にがんばって言葉を見つけるまでもない。当展覧会キュレータであるMnam/CcioとCamille Morineau が、この大規模な回顧展を通じて目指したのは、このあまりにもステレオタイプな限定詞を塗り替えることであった、といえばなるほど、アンビシャスでカッコイイ。しかし、私は彼らの説明に関わらず依然として、彼らがこの展覧会を通じて提示したのは、「アメリカン・ポップアートのキャパシティの重層性」に留まるのではないかと思う。

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さて、ロイ・リキテンスタインは、1923年、マンハッタンで生を受ける。両親はユダヤ系の上位中産階級の家庭。母親はピアニストで父親は不動産業を営む。子どもの頃とくに芸術教育を受けたことはないが、アポロシアターのコンサートに頻繁に通っており、ジャズに興味を持っていた。美術を専門的に学んだのは、高校卒業後にアートスクールに行ったころからで、オハイオ大学に進学するも1943年から3年間、第二次世界大戦下の兵役に服する。実はその間、ロンドンで幾つか展覧会を見ることが出来、フランス各地、ベルギー、ドイツ、ルクセンブルグと移動しながら描き続けた。1945年、終戦の際、パリで学ぼうとフランスに腰を落ち着けた矢先、父親が病に倒れ、翌年亡くなってしまう。それ以降、G.I.Bill(The Servicement’s Readjustment Act, 1944、つまり第二次世界大戦に従軍した軍人の兵役解放後の就職援助や学業継続援助を行うとりきめ)のおかげで、オハイオ大学の美術学科に復学し、1949年学位を取得した。その後教員等を経て、1960年代に、ポップアートの処女作としたのLook Mickeyやマンガ的手法、広告のエレメントへの関心を反映した作品を多数作るようになる。今回力点をおかれた静物画やキュビズム絵画やマチスのダンス等近代絵画の借用を始めたのは1970年代になってからである。そして、彫刻作品は1980年代を中心にブロンズやプラスチックで制作されている。1997年、肺炎をこじらせてニューヨークでなくなった。生涯にわたって制作した作品数は4500点にのぼる。

Look Mickey, 1961 oil on canvas

Look Mickey, 1961 oil on canvas

Look Mickeyは、リキテンスタインの息子たちの部屋にプロジェクションされたミッキーマウスとドナルドダックのイラストに着想を得て制作されたことはよく知られている。もちろんミッキーだけでなく、1950年代の終わり、リキテンスタインは消費社会の広告やバンド•デシネの手法に強い興味を抱き、1956年にはプレ•ポップアートとでも言えるリトグラフ作品Ten Dollar Billeを作っている。この頃、話し相手でありお互いに影響を与えてきたアラン•カプロー(Allan Kaprow,パフォーマンス•アートの先駆者)と、どうやって学生に色彩の意味を教えるかといった議論をしていた際、カプローが言い放った、「セザンヌの色彩を例にとるより、バゾッカ(Bazooka, アメリカのチューインガム)を例にとったほうがよっぽどよく伝わる」というのを聞き、リキテンスタインは自身の方向性に確信をもつ。今後は、主題を当時の日常の中に求めることが可能なのだ。たとえば、広告、日々目にする変哲のないモノ、そしてマンガといったものの中に。この会話を機に、リキテンスタインはいわゆるリキテンスタイン的なスタイルを立ち上げたと言われる。

Magnifying Class, 1963 oil on canvas

Magnifying Class, 1963 oil on canvas

1963年に描かれたMagnifying Classは、「手仕事によるものだというメッセージを極力隠す」というコンセプトのもとに制作された、完全にManualな絵画である。したがって「グラフィックとして最もシンプルに、かつ即効性のあるインパクトをもたらすミニマルな絵画」(Christophe Averty)と言われる。ポップアートの展覧会が世界中で大変賑わっている事実を耳にする際、そしてもちろん自分も足を運んでしまう際いつも思うのが、それなら写真や雑誌で見ればいいのではないか。しかしポップアート展は人気だ。それはもちろん、アメリカンアート界の影響力が非常に強いことや、ポップアートはなんていったってオシャレであること、ヴィジュアルがわかりやすく、楽しく眺められることなどの原因はある。しかし、人々はやはり、いくらシンプルだったりミニマルだと言われても、そこに覗く手作業の後が見たいのではないかと思う。そこにあった画家の手や画材がまだ乾いていなかったときのことをそれらの絵はイメージさせるために、人々はこの絵に歩み寄り、ドットのひとつひとつを眺めるのだと思う。そういったわけで、この絵はまさに、画家の手によって丁寧に描かれた素晴らしい油彩画である。

We rose up slowly, 1964 oil and magna on canvas

We rose up slowly, 1964 oil and magna on canvas

キャリアを通じて、リキテンスタインは女をたくさん描いてきた。ロマンチックなシチュエーションやロマンティックなワンシーンをリキテンスタイン的なスタイルでラインとドット化した絵画。80年代以降作られた2D的な彫刻にも女はたくさん登場する。アート•マーケットにおいて、彼の絵が高値で売れて人気を博したのも、彼が描いた美女たち(しばしばステレオタイプでB級映画くさく、涙を流したりけなげだったりする女たち)が鑑賞者の心をつかんだからである。その一方で、我々はこの美女たちをオシャレなイラストとか形として愛でることはできても、直接的な意味でのセクシーさや生々しさといったものは感じえないのではないだろうか。画家自身もこう述べている。
「私が描く女は基本的に黒いラインと赤いドットで構成されている。私は抽象的なやり方だと思っている。だから、私はそれらには誘惑されない。それらの生き物は私の目にはリアルでない存在なのだ。」(ロイ•リキテンスタイン)
興味深いのは、リアルでないので惚れてしまうことはあり得ない、と言い放たれた、黒いラインと赤いドットから成る女は、70年代からもう30年、40年経つ今日、マンガ的あるいは広告的表現が珍しくもなく、女の表象も多様化した現在においては実は、リアルさを増しているという現在の事態である。

Oh, Jeff...I Love You, Too...But..., 1964 oil and magna on canvas (zoom)

Oh, Jeff…I Love You, Too…But…, 1964 oil and magna on canvas (zoom)

Artist's Studio "The Danse", 1974 oil and magna on canvas

Artist’s Studio « The Danse », 1974 oil and magna on canvas

リキテンスタインがマチスのダンスを自身の絵画のなかに登場させたのは必然の共鳴であると感じられる。マチスの描く肉体はしばしば、彼がいうような輪郭で取り囲まれていた。
「私が創るもの、それは“かたち”である。マンガは、わたしが意味するところの“かたち”を持たない。マンガはたしかに輪郭を持っているが、描かれたものをひとつのものとして描き出すことに何の注意も払っていない。目的は違うところにある。マンガは、再現しようとしており、私は、ひとつにしようとしているのだ。」

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近代絵画からの借用、その際に複数の絵画を一枚の絵の中に共存させた。あるいは彫刻はしばしばイラスト的な2D世界をいかにして3Dに再現するかという試みとして面白い。いくつかの風景画の中に見られる異なるテクニックの混在は、その他の絵画とは全く別の印象を与える。既に述べたがこの展覧会では、すでに広告のデザインやマンガ的スタイルで知られてきたロイ•リキテンスタインの「アメリカン•ポップアートを超える」側面を浮き彫りにすることを狙っていた。ポップアートで何が悪いのか?ポップアートは素晴らしいのだ。むしろ、巨匠絵画をパスティーシュし、かつてなかった構造に挑戦し、平面の彫刻を創造し、生々しくない女を描いて世界を魅了したことによって、ポップアートの底力を見せつけてくれたことこそが、ロイ•リキテンスタインの面白さであると信じる。

Landscape with Philosopher, 1996 oil and magna on canvas

Landscape with Philosopher, 1996 oil and magna on canvas

08/14/13

アンリ•サラ, ラヴェル @ヴェネチア•ビエンナーレ/ Anri Sala, Ravel Ravel Unravel @French Pavilion, la Biennale di Venezia 2013

Artiste : Anri Sala
Curator : Christine Macel
Titre : Ravel Ravel Unravel @French Pavilion

(ヴィデオはこちらでご覧になれます)
dans la pavillon/ パビリオン訪問のビデオ
youtube : http://www.youtube.com/watch?v=k5oOSPIoiZg
interview/ アーティストインタビューのビデオ
youtube: http://www.youtube.com/watch?v=foBKIlq_fPU

55th la Biennale di Veneziaでは、フランスとドイツがパビリオンを交換しての異例の展示となった。オープニング期間中は長蛇の列を作り、1.5時間の待たなければならない人気展示であったらしい。全パビリオンの中でも最も高い天井をもつドイツ館(Germania)を利用してのソロ展示を行ったのはアルバニア出身のAnri Sala、1974年生れ、Ecole Nationale des Arts Décoratifsで映像を学び、現在もパリ在住の映像音響作家である。また、キュレーターはChristine Macel、ポンピドーセンターのキュレーターで、2008年にはGalerie SudにおけるAnri SalaのSolo Exhibition, « Titre Suspended »のキュレーションを手がけている。

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まず、このGermania館は3つのパートに分けられている。入り口と出口に面した二つの部屋ではUnravelの第一プロジェクションと第二プロジェクション、そして中心の最も大きな空間ではRavel Ravelのプロジェクションが見られる。この真ん中の部屋では、二つの画面が上下に重ねられ、二つのフィルムが同時的に上映されている。この作品の主題となっているのは、20世紀を代表するフランスの作曲家モーリス•ラヴェル(Ravel Maurice, 1875-1937)がほぼ同時期に作曲した二つのピアノ協奏曲のうちの一つ、『左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調 op.82』(1930)である。(もう一つは1929年に作曲された『ピアノ協奏曲 ト長調』)有名な話であるが、この曲は、第一次世界大戦中にポーランド戦線で受けた戦傷により右腕を失ったピアニスト、パウル•ウィトゲンシュタイン(Paul Wittgenstein)が戦後になって左手のみで演奏活動を続ける事に決めた際、ブリテン、ヒンデミット、プロコフィエフらがしたように、Ravelも彼の要望に応じて作曲したのが、この『左手のためのピアノ協奏曲』である。実はこの曲、あまりに技巧上の難易度が高いため1931年の上演時、パウルは途中で演奏を断念(即興、変奏)してしまい、後にラヴェル自身が指名する形で、両腕のピアニスト、ジャック•フェヴリエ(Jacque Février)によりパリで上演されたのが完全な初演とされる。楽曲は一般的に3部構成でアナライズされる。おどろおどろしく始まる最初のパートは、徐々に加わって行く管楽器が高揚を極めたところで、突如ピアノのカデンツァに取って代わられる。二部はジャズライクな展開部で一部のテーマが随所に変奏として繰り返しちりばめられている。三部は超絶技巧のピアノのカデンツァを経て短いクライマックスが待っている。この曲では、非常にゆっくりなテンポと目もとまらぬ速いテンポ、それらを繋ぐムーブメントがもつリズムやエネルギーが重要な役割を果たしており、形を変えて繰り返されるモチーフが重なり合っていくことでそれはさらに強烈になる。ラヴェル自身の言葉では、死への思いや孤独への恐れを描いたとされているが、クライマックスに向けてパーカッションやオーケストラが高揚して行く様は没入的な興奮であり、暴力的なものすら感じさせる。

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さて、真ん中の部屋で上下に二つの画面を並べて上映されたRavel Ravelにおいて、この難曲を演じるのはLouis LortieとJean-Efflam Bvouzet、二人の両腕の名ピアニストである。(もちろんコンチェルトの演奏は左手のみにより行う。)オーケストラはOrchestre National de France、指揮はDidier Benettiによる。ここで目を鑑賞者の目をひくのは、飛ぶように動き回りテンポをとる左手の存在よりも、左手をしばしば隠すようにして不気味に画面に映り続ける右腕の存在である。「それぞれの映像では、鍵盤を網羅的にうごく左手とまったく動かない右手、という構図に焦点を当てるよう意図されています。」(アンリ•サラ) さらに興味深い事に、この映像はほぼ同時的に再生され、同じような部分を弾いているにも関わらず、意図的に一方が他方を追いかけるかのようにほんの僅かずらして上映されている。(これは、テンポの違いや解釈の違いと関係のない、意図的な「ずらし」である。)アーティストによれば、これはGermania館の音響効果を利用して、二つのパフォーマンスの時間的ギャップを持続的に実現するためであったという。つまり、空間の意味を破壊することなどがそれである。普通大きな空間で響き渡る音は、その残響を聴き、あるいは壁に反射するエコーを聴く事により、音と空間の関係は身体的に了解される。ここでは、残響とエコーが聴かれる前にもう一方の演奏がやってきて、そのもう一方の演奏の残響とエコーも、やはり他方の演奏によってキャンセルされることで、鑑賞者を包む環境を異化しようという試みであった。

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最初の部屋と出口へ続く最後の部屋で上映されたのは、Unravel(ラヴェルではない)である。ここでは、先ほどのように演奏シーンは見られず、一人の女性の顔のアップ、真剣に、時にヘッドフォンに手を当てて集中して音に耳を傾けている様子が見られるのみである。そこには音楽もなく、女性の表情があるのみである。出口のほうの部屋では、彼女の全身像がキャプチャーされて、彼女はDJを頼まれたChloéという女性で、二人のピアニストが演奏した二つの異なるラヴェルを、まさに会場となっているGerman Pavillonにおいてミキシングしていることが明らかとなる。さきほどのラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』のフレーズのとぎれとぎれにDJのミキシングで作られるスクラッチ音が聴こえてくる。この3つの部屋を通じてアンリ•サラは、二人のピアニストに更に三人目の解釈者としてのDJChloéの存在を加え、三人によるラヴェルを一つの音響として創り上げ、パビリオンに奏でることを目指した。それが観客の身体を通じてさらに異なる経験として産み直される事を期待しながら。

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わたしはこの展示について感じた印象は、構想された事や計算された事、時間をかけて理解されるべき事や知られなければならない事が山のようにあるのだろうという臭いは明らかに香っているだけれども、数十分音響をこの会場で聴いただけではそこまでよくわからないだろうな、というものだった。個人的に主題となった楽曲については知っているし、3つの部屋に関するディスクリプションも読んだので作者とキュレーターが意図するストーリーは理解したが、描かれたストーリーと作品経験が満足に結びつかないと言うほうが適切かもしれない。面白かったかどうかと鑑賞直後に聴かれたら、迷いなく、面白くはなかったと答えた後に、よく分からなかった、と付け足すと思う。国際展に出展する展示なので難しいコンセプトがあり、簡単にはその表現を受け取る事ができないのは果たして当たり前なのだろうか。たしかに、作品にはコンセプトがあり、コンセプトや作者の目的や意図は、見る人が探しに行くものでもあるし、作者から渡されるものでもある。その両方であろうと思う。だから、見る人に興味がなくてもいけないし、作り手に見る人への興味が欠如していてもいけないのである。この作品が、会場での作品経験に関わらず依然として魅力的なのは、アルバニア出身のAnri Salaがこれまでも行ってきたような、異なるスタイルやカルチャーをぶつけて対話させ融合させるということを音楽において実践してきた基本的なアイディアが、この作品にも通底しており、それが面白いからである。田中功起の『A Piano Played by Five Pianists at Once』(5人で一台のピアノを弾く)と少しだけ類似しているけれども、Anri Salaがやろうとしたのは、むしろもう一次元スケールの大きな事で、演奏者によるミキシングだけではなく、観客を取り巻く空間で起こる出来事までをミキシングして、まったく別の環境を創り出すことであったと、私は思うのである。それをサウンドに集中して挑戦し続けているのがこの作家である。

このように考えてくると、一つの結論が見えてくる。必要なのは、もっとうまく説明したいという事で、それはアートのための配慮であり、人が表現するものを人が享受するのに必要なプロセスである。それが自分の部屋のデコレーションでもなく、それがアートであるかぎり、それは人が関係し、人を関係させる事に関わるべきなのである。

参考:other reference Moma Miami, about A Spurious Emission
参考インタビュー:interview about A Spurious Emission
参考インタビュー:Curator interview, Christine Macel, Titre Suspended, Pompidou

08/10/13

アートのエコノミクス展 / Economics in Art @Mocak, Poland

salon de mimi Economics in Art
@Mocak(click here, website)

Economics in Art @MOCAK
17.05.2013- 29.09.2013
Exhibition information here click

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Museum of Contemporary Art in Krakow(MOCAK)で開催中の展覧会 »Economics in Art »を訪れた。
この展覧会は、MOCAKが2011年より毎年テーマを決めて開催してきた長期展示の第三弾、アートと経済の関係を問う展覧会である。様々な文明の重要な領域とアートの関係に焦点を当てるこのシリーズは、これまで、歴史とスポーツが取り上げられ、今後、サイエンス、宗教などが予定されている。

第一弾は2011年の »History in Art »(アートにおける歴史展, http://en.mocak.pl/history-in-art, 参考:http://dailyserving.com/2011/09/history-in-art-at-mocak/) であり、ここではどのようにして歴史が社会と個人レベルのアイデンティティを確立してきたのか、そのプロセスをリサーチすることに焦点が当てられた。歴史的出来事に関する記述には不正確なものや虚実が常に存在してきた。アートを通じてこの問題を考えること、すなわち個人による解釈を与えることは、その問題に他の糸口を与えるかもしれない。
第二弾は2012年の »Sport in Art »(アートにおけるスポーツ展, http://en.mocak.pl/sport-in-art)で、こちらでは、アーティストたちが人々の日々の生活に関わる問題をどのように扱うかが焦点となっている。スポーツは動物である我々の運動能力と攻撃性を実際的な争いや被害を作り出さずに発散することが出来る点で、セラプティックな役割を持っている。アーティストが様々なメディアや切り口から取り組むスポーツのあり方は多様で興味深い。

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そして、第三弾としての »Economics in Art »は、エコノミクスとアートの関係性に切り込む。今日、アートマーケットやアートフェアーが以前より存在感を増し、芸術作品の価値について語ることは珍しくもないトピックスになってきているのだが、それでもなお、エコノミクスとアートを並べることはそれほど自明はない。一方は数値に基づく実践的な学問であり、もう一方は自由なイマジネーションの領域である。しかし、その二つの異なるドメインの出会いは、インスピレーションの契機を与えるだろうし、思ってもみなかった表現を創り出すだろう。さらには、今日の世界的な経済危機に際して、アーティストたちが提起する視点は注目に値するかもしれない。

ポーランドおよび世界各国の37人のアーティストにより構成されるこの展覧会は、以下の4つの観点で区切られている。

  • <価値>:どのように価値は創られるか。価値を象徴するものは何か。それはどのように操作されるか。
  • <マーケットアクティビティとメカニズムの倫理>:どの程度の経済的成功が倫理的に正当とみなされるか。富めるものは罪悪感を感じるべきなのか。
  • <エコノミクスの人道的側面>:経済的な事情と社会問題の結びつきはどのくらい強いのか。
  • <市場のパワーに依存するアート>:アートワークの価値はなにによって決まるか。どうやって市場のゲームがまわるのか。なぜアーティストの仕事に価値を与えなければならないか。作品の持ち主とは何か。

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さて、Liena Bondareのブラックボードの作品 »Art=Capital(Kunst = Kapital) »(2010)を見てみよう。この作品に置いて、アーティストは、「アートは日々のありふれた出来事以上のなにかである」と述べたヨーゼフ•ボイスの言葉を皮肉的解釈を示している。「アート=財」と書かれた等式は、黒板に子どもがチョークでいたずら書きをしたように綴られ、人々はこのブラックボードに芸術作品としての価値を見いだすことは難しい。経済的な観点からアートを取り巻く現象を考えてみたならば、その価値はその作品を形作る「物」にはないことが明らかなのである。このボードはチョークで自由に絵を描くことができ、なるほど物質としての作品は今日と明日で全く異なり、少女たちのいたずら書きがなされる前となされた後で異なるのである。

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Banksyのイギリスのポンド紙幣を用いた作品を見てみよう。この偽10ポンド札は2、3千枚印刷された。見ての通り、クイーン•エリザベスⅡがプリンセス•ダイアナによって置き換えられ、背面のチャールズ•ダーウィンの右下には »Trust no one »のメッセージが。英国銀行がBanksy銀行(アーティストの名)になっている。

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ルーマニア出身のDan Perjovschiの大きなドローイングの作品は、これもまた黒板風のチョークで書かれた作品で、壁一面にアートと金に関わるイラストが詰め込まれている。落書きの一つ一つはたしかに眺めていてもしばらく飽きることなく楽しめるのだが、アーティスト本人のインタビューにおける発言はもっとラディカルである。(Exhibition Opening Video, click here)つまり、これらは落書きだというのである。チョークで書いたり指で消して書き直したり、それ自体はシンプルな線や文字で描かれたこの黒板は、いったい誰がアートワークだと同定したのだろうか?あるいはその価値はいったいどこにあるのだろうか?52歳の美術家がチョークで描いたいたずら書きのようなイラストの集積をなぜ大きな美術館が受け入れ、展覧会で提示するのか?それらはまさにDan Perjovschi自身の問題意識である。

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プロスティテュションの広告。 »Why rent when you can buy »とはセンセーショナルなタイトルである。いや、本来経済活動において、とりわけ「シェア」とか「リサイクル」、「エコ」が流行っている今日のことなので、買えるけど借りて済ませるのは悪いことであるはずがない。ただし、売春や女性を買う/借りるという文脈ではその規範は成り立たない。無邪気に使われる、「買うより借りる」などというありふれたスローガンもオールマイティーではない。

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Laura KalauzとMartin Schickによるパフォーマンス作品 »Common Sense Project »である。Common Sense Projectは、観衆が参加する形でなりたつ、ソーシャル•パフォーマンスである。タイトルに臭わされている「コモン•センス」は実に馬鹿馬鹿しい経済活動のゲームを通じて実感されることになる。要するに、悪知恵を使いながら、感謝の気持ちを演じたり、でっちあげの信用を築きあげながら、契約に基づくのでないナマの社会関係を結んでいくゲームなのである。もっと経済がリベラルになれば、社会における人々の関係がもっと開かれるはずだというメッセージを表している。

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Charlotte Beaudry、無題。あたかもそこには纏うボディがあるかのように描かれた二枚の男性用アンダーウェア。

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Malgorzata Markiewiczの »Flowers »(2004-2007)は、遠目に見ると鮮やかな色彩や模様の布で作られた花のように見える。そして、その期待はかなり接近するまで裏切られることはない。しかし、その布の一つ一つの形状が認められるまで近づいたとき、それらが女性下着やスカート、スカーフ等で形作られていることを発見する。この作品は、見た目の美しさとその洗練された印象、よく選ばれて完璧に造形された布の彫刻である一方で、そこで行われたストリップティーズのパフォーマンスを見るものに思い起こさせるのである。

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美しいコスチュームに包まれた二つの身体がある。死の恐怖は身体を過剰に飾り立てることによって紛らわされているかのように思える。しかし、どれほどに努力しても、死はそこに有り、そのラグジュアリーなコスチュームすらも身体の生きていない状態を強調するのみである。

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さて、エコノミクス展によりコミットする作品に戻ろう。絞首自殺のためのロープである。ロープはドル札によって作られている。お金に殺されると考えることも出来るし、お金があっても人は死ぬと考えることも出来るし、アーティストによれば、「クレジット」は金を表すと同時に信用のことであるのだが、この「クレジット」が現在の経済危機のルーツである。

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アーティストゴリラの上に、キュレーター猿が乗り、その上に批評家小猿が乗っかっているというペインティング。ほんとかいな。あるいは、それがエコノミクスの点で、アートワークの価値言説を作っているのが批評家であるという意味にも理解することが出来るし、同時に、身体能力的に優れており強い力を持っているのは疑いもなくゴリラである点で、このヒエラルキーは様々に読むことができる。

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かの「働けば自由になる(ARBEIT MACHI FREI)」にネオンをつけた「アートで自由になる(KUNST MACHI FREI)」。アートそのものは自由なイマジネーションに開かれているものであることを文字通り表しながらも、「働けば自由になるARBEIT MACHI FREI」がまったくの虚言であったように、経済的基盤のないアートに自由はないことを、ネオンによるドリーミーな演出を加えてさらに辛辣に訴える作品である。

08/9/13

マーク•クイン展 / Marc Quinn @Giorgio Cini Foundation, Venice

Marc Quinn @Giorgio Cini Foundation, Venice

Solo Exhibition
29 May 2013 – 29 September 2013
@Fondazione Giorgio Cini, Venezia
Site of Cini Foundation click

The Giorgio Cini Foundation, Venice

The Giorgio Cini Foundation, Venice

55th la Biennale di Veneziaとほぼ会期をあわせて、Saint Marco広場のちょうど向かいのSan Giorgio Maggiore島のFondazione Giorgio Ciniでは、 »Marc Quinn »展が開催されている。キュレーションは、1988よりNYのグッゲンハイム美術館のキュレーターを務めGermano Celantによるものである。(Germano Celantは1967年、当時のイタリア前衛アートムーブメントを »Arte Povera »と命名したことで知られる。)Marc Quinnは1964年生れ(ロンドン)のアーティストであり、1988年の自主企画展覧会 »Freeze »を行ったことからその精力的な活動が世界に知られることとなる若手コンセプチュアルアーティストYoung British Artists(YBAs)の一人として数えられている。ケンブリッジのロビンソンカレッジで美術史を学び、これまでSolo Exhibitionでは、ロンドンのテイト•モダン(1995)、ミラノのプラダ財団(2000) テイト•リヴァプール(2002)、また国際展では、第50回ヴェネチア•ビエンナーレおよび2002年の光州ビエンナーレにも参加している。

Alison Lapper Pregnant, Breath(2013)

Alison Lapper Pregnant, Breath(2013)

夏のヴェニスの光は強い。空も海も底抜けに青く、褐色の煉瓦はカクテルのような色に輝く。あらゆる白っぽいものが真っすぐ目を当てられないほどに眩しい。そんな風景の中に、巨大な短髪の女の彫像がSan Giorgio Maggiore島の教会を守るかのようにして在る。あまりにも強いコントラストと強烈な色彩の中で、非常に意外なことなのだが、Alison Lapperが放つ薄紫色の表面は、世界にある全ての白いものより一層透き通り、我々の視線を捉えるのであった。11メートルもある両腕を持たず、極端に短い足を我々に投げ出して上体をすこし捻るようにして一点を見つめているその女性は、Alison Lapper、Marc Quinnと同世代の1940年生れのイギリス人アーティストである。彼女はPhocomediaつまりアザラシ肢症と呼ばれる身体的特性を持ってこの世に生まれてきた。彼女の両親も親戚もこれを奇形として遠ざけ、否定し、目をそらした。17歳の時、両親が人工四肢(義手、義足)を彼女に「表面的に普通の身体的外見を得るため」だけのために与えようとしたとき、彼女は家を出て独立することを決めた。運転免許を取得し、筆を口でくわえる方法でペインティングを学び、良い成績で美術学校を卒業した。33歳の時妊娠し、現在はもう中学生になっている息子と共に絵を描いている。

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Marc Quinnは、2005年、彼女の妊娠をテーマに »Alison Lapper Pregnant »(妊娠8ヶ月当時の彫像)をカララ大理石で制作し、2007年までロンドンのTrafalgar Squreに置かれた。さらにこの彫像は2012年ロンドン•パラリンピックにおいて、 »Disability »のイコンとして、彼女のメンタリティやポジティブシンキングを新しい一つの女性像と受け入れる多くの人々によって愛された。彼女は述べる。「子どもの時からあなたは一人で生きられないと言われた。すぐに障害者のための施設に入れられてまわりから可哀想な目で見られた。絶対に母親にもなれないと言われた。(略)私はどうやったら親が子どもを否定することができるのか分からない。私は自分の子どもをこんなにも愛しているから。」
San Giorgio Maggiore島のAlison Lapper像は、オリジナルのレプリカで »Breath »と呼ばれるヴァージョン作品で日の出と共に現れ日の入りと共に闇の中に消える。セキュリティー管理の事情から、膨らませるタイプの作品にしてあるそうだ。(参考ビデオがこちらに!click

"Self"

« Self »

Marc Quinnの表現のテーマはしばしば、Alison Lapperの像に見られるように人間の身体に関わるものや、生命の存続と死、生命の存続のシステムと我々の肉体との関係、もっと広くはアートとサイエンスの関係にまで及ぶ。著名な作品では、自身の血液を凍結させ一定温度環境の中で保存されている、 »Self »という血液による自己像の作品が有る。 »Self »はヴェネチアで今回展示されたもののほかにもいくつかバージョンが有り、かなり色鮮やかな赤を持つものもある。4.5リットルの血液を5年ほどかけて採血した。私の血液からなる私の頭部彫像が複数存在するという事態は興味深い。それはそのコンポジッションが実際にも血液から成るという客観的事実が有るからであろう。

Flesh Painting(2012)

Flesh Painting(2012)

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そして、2枚の大きな »Flesh Painting »(2012)は、遠くから見ると鮮やかな真っ赤な肉の写真にしか見えないのだが、近づくと、その赤い色がグラデーションされている様子や、脂肪や筋の部分にペインティングのタッチが見えることによって、それが絵画であることを認めざるを得ない。生肉は、我々のボディの一部分であり、血や皮膚と同じである。生肉にも美しさがある。それは、動物である我々が動物的本能で否応無しに知る直観であるところのもので、つまり、われわれは、くすんで脂肪部分が黄ばんだ生肉よりも、鮮やかな朱色とはっきりとした白い筋を見せる生肉を体内に取り込むことに魅力を感じ、それを喰らう。描かれたFleshはうっとりするほどに、美しい。 »The Way of All Flesh »(2013)は、モデルであるLara Stone(妊娠した女性)が生肉を背景に横たわっている絵である。その名前の通り、全ての生命の起源と運命を暗喩的に表している。

The Way of All Flesh (2013)

The Way of All Flesh (2013)

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10人の彫刻。タイトルがモデルの名前である。10人はそれぞれ、冒頭に言及したAlison Lapperの身体を彷彿とさせるように、身体の一部を欠いたり、大きすぎる乳房を持っていたり、男性的身体的特徴を有しながら妊娠している。

Thomas Beatie (2009)

Thomas Beatie (2009)

屋外のかつての船倉のスペースを利用して、 »Evolution »の展示がある。 »Evolution Series »(2005−2007)はさて、9体のピンクマーブルの彫刻および一つの巨大な岩石で構成される。9体の彫刻は、純粋なマテリアルとしての岩石の真向かいに置かれた人間の胎児と、8体の奇体な生き物。それら8体の生き物は時にはいつかバイオロジーのテクストで見た受精卵が数回分裂した後の胚や、は虫類の発生途中、種は分からないが何らかの動物の赤子のようにみえる。 »Evolution »は実は、われわれが世界に生まれるまでの初期胚から一ヶ月ごとの成長を10体の彫刻で表した作品である。つるっとした表面に一筋のくびれだけをもつ胚も、エイリアンのように見える胚も、かつての我々一人一人の姿だ。Alison Lapperもわたしたちも、一つの岩石が象徴する起源としての「母」から生れ、それは非常にシンプルな胚であった。

Evolution Series (2008)

Evolution Series (2008)

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« Evolution »というタイトルは明らかに今日では誰もが信じている「進化論」を連想させ、それは天地創造の世界観と共存しない。妊娠する女神像 »Alison Lapper Pregnant »は我々にとってリアルなものだが、San GIorgio Maggioreの教会周辺の保守的な人々の間には、この像の設置を批難する声もあるそうだ。Marc Quinnは言う。「歴史的に、障害者のDisability(不能性)は常にネガティブに表象されてきた。そうでないポジティブな表現をすることには意味が有ると信じる。」

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光の中にひときわ輝くAlison Lapper像は綺麗だ。人々は目を奪われる。ひとたび釘付けになった彼らの視線をみればわかる。それが哀れなものをなでるように見つめるような、あるいは恐れるような眼差しではなく、一つの命をそのおちついた腹部に伴って豊かで強い体躯のぬくもりを確かめるようにじっと見つめる眼差しであるということを。

われわれがそれを伴って生きる「身体」は、リアルにも潜在的にも、健かなのである。

12/4/12

“leurs lumières” Exposition, Interview À Jean-Louis Boissier

この記事は、先日日本語版で載せたキュレーターインタビューのフランス語翻訳したものです。本展覧会は12月16日まで、サン•リキエで開催しています!12月の修道院の雰囲気は先月にもましてとても素敵になっているのでは、と想像してます。

“leurs lumières” Exposition, Interview À Jean-Louis Boissier

“leurs lumières”exposition du 13 octobre au 16 décembre 2012
Abbaye de Saint-Riquier Baie de Somme
site de l’exposition
Abbaye de Saint-Ruquier

 

Jean-Louis Boissier, commissaire de l’exposition de l’exposition  « leurs lumières » a rédigé un texte pour le catalogue de cette exposition, intitulé « Leurs lumières » : illumination et aveuglement.  (voici le lien de ce texte)

 

Dans la langue française, le mot « illumination » possède plusieurs sens. Premièrement cela va sans dire qu’elle signifie l’action d’illuminer ou bien l’ensemble des lumières disposées pour éclairer des choses. Ce sens-là est équivalent de « l’illumination en japonais/ イルミネーション » qui signifie principalement les lumières disposées pour éclairer et décorer les choses, voire les lumières « artificielles ». Lorsque l’on parle de la lumière, différencier la lumière naturelle ou artificielle, est important. Quant à l’illumination, il s’agit de la lumière produite artificiellement. Regardons toutes les lumières introduites par les artistes exposés dans cette exposition à propos de leur nature. Vous ne trouverez que trois œuvres en tant qu’illumination purement dans ce sens de lumière artificielle, tels Détecteur d’anges de Jakob Gautel & Jason Karaïndros, Fermer les yeux de Tomek Jarolim et Blind Test de Michaël Sellam . Dans les autres œuvres comme La petite fille aux allumettes de Mayumi Okura, par exemple, la lumière douce produite par le feu des allumettes est de la lumière naturelle, cependant, quand elle est projetée sur le mur pour éclairer le texte de « la petite fille aux allumettes », ce n’est plus du feu identique à celui de l’allumette. Dans « S’abstraire » de Donald Abad, la lumière joue un rôle véritablement important pour l’image du début jusqu’à la fin. Les spectateurs trouveront que le coucher du soleil, les ténèbres de la nuit et la lumière du jour entourent l’artiste et le chat aveugle de naissance. Eclipse II de Félicie d’Estienne d’Ovres que j’aborderai plus tard est aussi une œuvre de projection. En fait, la lumière projetée sur l’écran noir est évidemment artificielle bien que ce que représente cet écran rond et noir soit le soleil qui se cache. Cela possède contradictoirement un double sens. Que peut-on dire sur Lumière de Rousseau d’EMeRI ? Certes la lumière émise depuis l’écran de l’iPad est l’illumination au premier sens du terme, mais le texte de Rousseau même exprime souvent le jour et le rayon. Par exemple, un passage cité de l’Emile : les rayons du soleil levant rasaient déjà les plaines. La description du texte fait imaginer spontanément aux lecteurs la lumière de la nature.


En outre, l’illumination signifie aussi l’inspiration soudaine et le trait de génie, ou encore un état d’éveil dans l’expérience ascétique et mythique dans un sens métaphysique. Ce dernier semble être équivalent de « 天啓 en japonais » ( qui comprend la nuance « la voix de Dieu »). Quant à la voix de Dieu, il est possible que l’on considère que cette signification est positive puisque la voix de Dieu est une transcendantale. Cependant, la nuance de l’illumination n’est pas toujours positive car elle exprime un état d’éveil qui dépasse la limite, c’est-à-dire que l’excès de la lumière dans un sens religieux ne sera pas considéré comme un fait positif. Il y a un autre terme similaire : « l’édification / enlightment (en anglais)» qui signifie littéralement éclairer un endroit sombre grâce à la lumière. Ce terme est fondamentalement différent de l’illumination comme excès de la lumière. La lumière que Jean-Louis Boissier nous montre et interprète dans cette exposition concerne plutôt l’illumination. Ce fait suggère que les œuvres exposées dans cette exposition ne s’harmonisent pas tranquillement dans la nature, mais évoquent parfois le danger et l’inquiétude.

En ce qui concerne l’aveuglement (le mot utilisé dans le titre de son texte), la réflexion est beaucoup plus simple que celle suscitée par l’illumination. Dans cette exposition, il y a beaucoup d’ « aveuglements ». Light my Fire de Julie Morel ne nous montre pas en pleine lumière son texte écrit sur le mur. Lorsque la lumière est éteinte, le texte vert de George Bataille apparaît dans les ténèbres. Cette installation réfléchie semble nous transmettre un message de l’artiste : l’espace où nous vivons dans la vie quotidienne est excessivement lumineux.  En outre, comme je l’ai déjà écrit, le chat de Donald Abad est aveugle de naissance. Les spectateurs suivent la vidéo prise par le chat à travers ses yeux qui contradictoirement ne regardent rien. C’est là où nous nous trouvons dans la problématique entre le capable de voir et l’incapable de voir : nous, qui voyons, suivons notre expérience par l’image visuelle tandis que le chat qui a fait ce film est incapable de voir. Ensuite, devant l’œuvre intitulée Blind Test , il y a une note d’avertissement : « Il est recommandé de ne pas regarder directement… ». Que se passe-t-il ? Nous sommes dans une exposition d’art. Que faire s’il est interdit de voir une œuvre ? Même si vous posez ce type de questions, on vous recommandera toujours de ne pas jeter vos yeux sur ce rayon rouge malgré votre curiosité. Voici une image prise par mon appareil photo, sacrifié à la place de mes yeux et qui a capté une image inquiétante,

À propos de ces deux notions importantes : l’illumination et l’aveuglement, Jean-Louis Boissier conclut ci-dessous.

« Dans la majorité des cas où l’être humain perd sa vision, c’est à cause de la force de la lumière. La lumière excessive nous prive de visibilité. C’est souvent dans l’illumination que nous devenons aveugles. »

C’est pourquoi l’illumination et l’aveuglement sont en réalité les deux faces d’une même médaille.

 

Jean-Louis Boissier explique aussi l’œuvre symbolique grâce à l’affiche de l’exposition qui reprend l’image d’Eclipse II de Félicie d’Estienne d’Orves, en utilisant l’expression « oxymore romantique ». Le terme «oxymore » est une expression caractérisée par le rapprochement de deux mots qui semblent contradictoires, comme « Hâte-toi lentement. / Make haste slowly (en anglais) ». Dans cette œuvre présentant l’éclipse en tant que phénomène naturel, qu’est-ce qui fait oxymoron ? Le soleil est une entité primordiale et indispensable pour tous les êtres animés sur la terre bien que nous ne puisions pas le regarder directement sauf au moment où le soleil est caché : le moment de l’éclipse. À ce moment-là, il devient le soleil noir comme l’œuvre de Félicie d’Estienne d’Orves l’exprime bien. Ce soleil noir ressemble un trou noir qui absorbe toute la lumière de notre univers dans ses ténèbres. Si le soleil blanc qui nous donne la vie émet de la lumière, à l’inverse, le soleil noir dévore la lumière du monde. C’est pourquoi « le soleil noir » dans la littérature française est historiquement attribué à la métaphore de la mort.

 

Dans cette œuvre, le cercle noir est projeté délicatement sur l’écran rond également très noir. Il s’agit de la projection d’un film. Nous voyons déborder l’illumination qui n’est plus cachée sous l’écran rond. Cette dernière a des mouvements incroyablement lents et silencieux à peine visibles, jusqu’à dire que ce soleil est infiniment noir.

Il ne faut pas donc non plus regarder directement le soleil. Nous pourrions perdre notre vision à cause du soleil. L’éclipse totale est relativement le seul moyen d’observer fixement le soleil même s’il est le soleil noir symbolisant la mort. (En outre, dans ses conditions naturelles, l’éclipse totale dure à peine un instant et dans ce cas même, l’utilisation des lunettes est normalement recommandée.)

 

Poursuivant l’itinéraire, nous sommes invités à avancer vers une autre œuvre intitulée Blind Test qui nous alarme sur la perte de la vue. La lumière nous éclaire et nous fait vivre. Elle nous prive de vue dans son excès, en conséquence, elle peut nous laisser partir dans l’obscurité sans fin…

 

Or, l’Abbaye de Saint-Riquier où l’exposition a lieu est une des abbayes françaises historiques importantes. Cette abbaye a été construite sur le tombeau de Saint-Riquier au 7ème siècle lorsque Richarius a évangélisé le Ponthieu. L’Abbaye a connu l’apogée de son importance religieuse à l’époque carolingienne grâce à Charlemagne (régné 768-814). Depuis lors, elle a eu de nombreuses destructions dues aux incendies et aux pillages, mais reste aujourd’hui l’un des plus beaux édifices de France. Pendant la 2ème guerre mondiale, la salle où « l’éclipse » est exposée a été utilisée pour recevoir les soldats gravement blessés. Aujourd’hui, grâce aux activités du Centre Culturel de Rencontre (CCR), elle accueille les visiteurs internationaux pour divers objectifs.

最寄りの国鉄駅Abbeville

Abbeville駅

Le commissaire a choisi le bleu pour unifier la scénographie. L’intérieur de l’abbaye est un peu sombre et froid par l’effet de la construction en pierre dans laquelle les murs originellement blancs mais actuellement repeints en bleu séparent principalement les espaces. (Voici la scénographie sur le site). Les meubles comme la table et les supports sont aussi peints en bleus. Le bleu utilisé ici est précisé par le commissaire d’exposition : il s’agit du bleu de « l’écran bleu » de la vidéo. Autrement dit, ce bleu reconstruit les murs de l’abbaye comme un grand écran uni. Cette couleur joue aussi un rôle important en tant que signe de l’attribut informant que cette œuvre appartient à l’exposition « leurs lumières ».

Le texte rédigé par Jean-Louis Boissier traite aussi de « l’éloge de l’ombre » — le titre de l’essai de Junichiro Tanizaki (1933) et ensuite passe à la citation du texte de Yoko Tawada, écrivain japonaise, vivant en Allemagne.

 

« Ma mère allumait les lumières dès qu’il commençait à faire un peu sombre en fin d’après-midi, c’est ainsi que j’ai grandi dans un espace éclairé et uniformément blanc jusque dans les recoins. La moindre parcelle d’obscurité lui rappelait les souvenirs de la Seconde Guerre mondiale. L’économie japonaise s’est développée dans les années soixante-dix en effaçant à tout prix, par la lumière des ampoules, la mémoire de la guerre. Puis la crise est arrivée dans les années quatre-vingt-dix, sans pour autant assombrir l’éclairage de Tokyo […]. Mais peu de gens savaient que cette énergie illuminant Tokyo vingt-quatre heures sur vingt-quatre était produite à Fukushima et menaçait la vie humaine. » (Yoko Tawada, « Journal des jours tremblants »)

 

La lumière est un médium très utilisé par de nombreux artistes sur la scène de l’art contemporain. Lors de l’utilisation de ce médium, il y a indéniablement quelque chose de représentée en dehors de la lumière elle-même. L’interprétation du commissaire de l’exposition expliquant qu’il n’existe pas de lumière, à proprement parler, artificielle est liée fortement à ce fait.

 

(grand remerciement pour JL.B et pour L.T.)