05/13/13

絢爛 / séduction inquiétante

le 12 mai 2013
photos prises à Chatenay-Malabry, France

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花が咲き誇っている姿ははっきりとグロテスクである。
その花びらの大きく口を開けているさまだとか、
香り立つ内部を露出する様子であるとか、
風が吹くとあまりに笑い喋り始めるので、
それは不安を掻き立てるような魅了なのだ。

その形はこの世界でも形だけの世界でも絶対的なものであり、
我々が彼らに触れなかったとしても、
我々は否応無しに彼らに触れられている。

そのぬくもりは我々を恍惚とさせ、
それゆえにしあわせを語る言葉を持たない。

 

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05/11/13

書き散らかしの信仰 :「現代的ドラマツルギとその構造に基づく文学創作」/ Création des romans selon la nouvelle dramaturgie et structure littéraire

2013年パリ第8大学Arts Plastiquesの学部学生を対象とした授業で、後期(2月~5月)「création littéraire / 文学創作」と題された授業を行った。この授業は前期の講義形式とは異なる実習の授業である。パリ第8大学の芸術学科の特徴の一つは学生の幅広いポテンシャルと興味に応えるバラエティに富んだ授業である。実に前後期合わせれば300もの異なる授業が提供されている。さて、フランス語ネイティブ話者でない私が「création littéraire / 文学創作」などと題された授業をするのは、もちろん一般的な意味での文学作品の創作のスキルを学ぶためなどではない。しかし、実習という授業のスタイルを最大限に生かした制作(の嵐)を経験し、その行為ついていちいち考えるためである。
参考までに、シラバスに掲載した詳細は以下。

Titre : Création des romans selon la nouvelle dramaturgie et structure littéraire
Contenu : Dans la société informatique, les développements techniques des jeux vidéos et l’expérience généralisée de la vie virtuelle modifient radicalement la construction littéraire et la dramaturgie. À travers ce cours, on réalise des créations de romans (courts récits dont la forme sera à choisir) en se référant aux caractéristiques structurales, soit de “Keitai-Novel”, “Twitter Novel”, ou encore “Game Novel”. On les diffusera aux lecteurs sur le réseau en réfléchissant à la meilleure stratégie, ou bien on fabriquera un livre imprimé. Ce cours pratique sera conduit en relation avec le cours thétique “Exposition de soi et dispositifs mobiles”.

題目:「現代的ドラマツルギとその構造に基づく文学創作」
今日の情報化社会の中で、コンピュータゲームの技術発展やヴァーチャルリアリティーの日常的経験が我々のライティングやドラマツルギの構造にまで影響を及ぼしている。本実習では、このような変化したライティングの構造的特徴に基づいて様々な可能な形式を選択の上、短編を書く。ケータイ小説、ツイッター小説、ゲーム小説などもその選択肢に含まれる。ストラテジーを練り、最も効果的な方法でインターネット上で発表するか印刷して製本する。本演習は、前期講義「自己表象とモバイル•メディア」の関連授業である。

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本演習は、全12回(1回150分)を大きく3つの項目に分けた。
1、ミニブログを利用し、短編小説を書く
2、日記(ブログ)について考え、日記を書く
3、自由なメディアを用いて私小説を創る

第一部では、ケータイ小説、ライトノベルやゲーム小説(オンライン小説)といった、文学と非文学/プロの作品とアマチュアの作品の境界線を揺るがせながら存在するような作品群の物語構造に着目する。これらの新しい文学作品は経済的なインパクトを考えれば決して無視できない重要な傾向を示しているにも関わらず、クラシカルな意味での小説とこれらの創作は頑固なまでに隔たれがちである。しかし、このような物語に深く侵食された今日、実際に人々がものを書くそのありようは、レシの構造の変化の影響を否応なしに受けている。発話が断片化するだけでなく、その結果、テクスト自体の断片化はロジックの方法にも影響を及ぼす。ミニブログやソーシャルメディアにおいて日々何かを書くという経験を「小説を書く」ことと関係付けられるだろうか。
第一部では、シンプルなゲームのルールを共有し、梶井基次郎の『檸檬』をベースにした幾つかのライティングを実践した。プラットフォームはツイッターを使用した。
①リレー小説(タイトルと出だし、終わりを共有し、その間を参加者で繋ぐ。一つのエピソードはツイート1回分で書かれなければならない。)
②ツイッター小説 課題創作、自由創作(リアルタイムにエピソードごとツイートし、物語を紡いでいく。長さは自由。)
③紙に書くツイッター小説 (②と同じ構想の物語を紙に書く/タイプする。文章表現、物語の長さ、文体は全く異なるものとなる。)

第二部では、日記、自伝、自画像(セルフポートレート)、私小説をキーワードに、今日「私」について書くとはどんな意味を持つ行為なのか考える。日記帳それ自体に錠がついていることもあり、誰にも見られないようにコッソリ書き綴る日記と、赤裸々に綴られた日々の出来事や心境を写真を添えてリアルタイムで公開し続けるブログ。両者は共に、「私」について書く行為に違いないが、その目的も方法も異なる。読まれる事を意識して書かれるブログは、意識的にも無意識的にも、作者が演劇的に振る舞うように促す。演劇的振る舞いには誇張やでっち上げ、噓も含まれる。発表することを前提に書かれた日記は、それがもし物語的変形を含むのであれば、「私」を主人公に織られたオートフィクションと果たして違うものと言えるのだろうか。
第二部では、参加者それぞれに「私にかんする5つの話」を書いてもらった。全体を通じてのタイトルと、各々の話には個別のタイトルをつけ、それぞれの話は個人が選んだ何らかのメディア(写真や音楽、ヴィデオなど)を伴ってブログ記事として発表する。日記の枠組みの中で、どの程度本当の話を書き、あるいは演出するかはそれぞれにまかされている。蛇足であるが、本創作の一つのアイディアの例として、5つの話を写真を添えて授業ブログに掲載した。参加者の多くは、一例としてこれを参照している。(pdf.Les histoires ordinaires(en français), 日本語版はこちらにもあります→salon de mimi,尋常な話 1,2,3,4,5 )

第三部は、文学のみならず、現代アートの領域に目を向けたときにも私小説的なアプローチやテーマはクリティカルな位置を占めていることを認識した上で、私小説のさまざまな方法について模索する。さらには、小説創作のプラットフォームはウェブ上にも見られ、それは必ずしもプロになる事を目的とせずにアマチュアのライターにも広く門戸が開かれているように見える。私たちが「私」についての物語を創作し、それを授業サイトを通じて発表できてしまい、作品がインターネットを通じて誰かによって鑑賞されること、そのたやすさをどう考えれば良いか。あるいは、たやすさの反面、情報を発信してもそれが誰にも読まれないかもしれない可能性(現実)につきまとう空虚な手応えをどう生きればいいか。書き散らかされ、放置されたテクストの山は積み重なる一方であり、情報発信のたやすさはこの山の巨大化に協力するよう全ての個人を招待する。
第三部では、テクストに限らず、自由なメディアを選択の上、オートフィクションを完成させ、その内容を授業ブログに発表し、最終授業で参加者に紹介することにした。

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本演習ではレポート2回が課され、受講者はその問題について作成したレポートを同ブログに公開した。
Sujet du rapport 1
Réflexion sur la pratique de la création littéraire en diffusant les fragments en temps réel comme micro-récits.  Analysez aussi les nouvelles modalités de l’écritures fragmentée en comparant les 2 moyens différents de l’écrit  : sur Twitter et sur papier.
レポート課題1:ミクロブログを通じた短編のように断片的に拡散される文学創作の実践について考察する。断片化されたテクストのあり方についても分析する。

Sujet du rapport 2
Après avoir lu l’ensemble des journaux intimes publiés sur le blog…,
– Publier un journal intime sur le réseau et en tenir sur un carnet sont des expériences tout à fait  différentes, car, quand on le publie sur internet, il est indispensable d’être conscient du regard des autres. ( L’existence de lecteurs inconnus )  Comment cette prise de conscience et cette situation particulière influencent ou modifient l’écriture d’un journal intime ?
– Aujourd’hui, le blog ou bien les sites comme interfaces qui proposent de devenir “écrivain amateur” offrent une grande possibilité pour la création littéraire, comme s’il était désormais plus facile de vous exprimer dans l’écrit. Argumentez votre point de vue et vos remarques à propos de l’acte littéraire dans la société informatique.
レポート課題2:授業ブログ(Le cours)上に公開された作品(journal intime 2013とタグのあるもの)を読んだ上で…、
—インターネット上に日記を公開することと日記帳に綴ることは異なる実践である。インターネット上に公開する際には他者がそれを読む事が前提ととなっているのは言うまでもない。その読まれ得るという意識は日記を書く行為にどのような影響を及ぼすか。
—今日、ブログやアマチュアライターの活動を勇気づけるようなサイトは、文学創作の可能性を切り拓き、それはあたかも、これから人々は書くことによって容易く自己表現できるのだと主張しているようでもある。情報化社会の中で、ものを書くとはどのようにあるべきか。

昨年の9月に開設したこの授業ブログは、現在500もの記事が文字通り「散乱している」。各々の独立した情報が整理されたページと違い、ホームを覗けば、タグごとに検索しないかぎり、投稿された時間順にひたすら記事が現れる。書き手の殆どはソーシャルメディアを利用した経験があり、チャットやメールなどのデジタルテクストによるコミュニケーションに慣れており、中には個人ブログに日々日記を書いている。彼らはウェブで言葉を発することに何の恐れもなく、戸惑わない。さきほど「散乱している」と言ったが、私は故意にそれが散らかるように仕組んだのではないし、各々の記事にはタイトルもキーワードもタグもついており、カオティックな本棚よりも遥かに整然としているのかもしれない。それでもなお、この場所は何となく不穏である。ウェブリテラシーとか、ウェブ時代のルールのようなものがあり、繊細できちんとしていて情報リテラシーがある先生ならば、授業ブログは、各々の記事のクオリティーを高くしようとか、書き間違いや誤りは皆無にしようとか、生徒の書いたものを隅々までコントロールしてその内容を管理把握しようとか、せめて前のスメスターの記事は消そうとか、考えるのかもしれない。私は今のところそれをしていない。勿論、誤字脱字のレベルなら外国人の学生も多いパリ第8大学なので添削めいたことをするのは悪くない。その外で私は今のところ、全ての記事を残し、全ての書き手にも彼らが望むなら、いつでもログインして自分の記事を直したり消したり新たに書き加えたりする可能性を開き続けている。にもかかわらずその結果は、自分の書いた物がこんなにも閲覧可能に置き去りにされているのに、誰一人としてそのテクストを拾い集めに行かず、振り返って直そうともせず、あるいはすんだ事だからと言って処分したりもしない。大学生活では次々に課題が与えられ、論文やレポートやプレゼンが課され、それらを超高速でこなして、できるだけ良い点数で単位を取得しなければならない。したがって、授業で要求されたならレポートをウェブで公開するのも仕方ないし、済んだ事は基本的に振り返らない。この諦めの態度は、悪く言えば堕落であり、良く言えば、底抜けにいさぎよい。

私の行っていることは、いわゆる完璧志向の既存の情報リテラシーを信仰する人には最強の堕落と見なされるだろうし、授業のウェブサイトはそのように「あるべきでない」と否定されるだろう。私はそう思う人がたくさんいるだろうことと、その憤慨は理解した上でなお、この書き散らかしたものたちが何か大切なことを語っている気がしてならない。書き散らかしこそが本質的と思っている一面もある。そして本実習の結果は参加者に実験的書き散らかしを経験してもらう事でもあり、そのことについていちいちああでもないこうでもないと考えてもらうことであった。そしてその考えた事をウェブおよび物理的空間(授業中)の両方で緩やかにでもいいから共有するということが、このCréation des romans selon la nouvelle dramaturgie et structure littéraire(「現代的ドラマツルギとその構造に基づく文学創作」)と題された授業で目指したことである。

*Le Coursの今後のゆくえは未定である。個人的計画ではまだしばらく、「このまま」である。ちなみにどなたでも筆者としてメンバーになることができる。参加希望があればどうぞご連絡ください。(Le Cours :http://www.mrexhibition.net/cours/)

05/10/13

「わたしの母」がアートになるときー1.ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)/ »Ma mère » en tant qu’art – 1. Sophie Calle « Rachel, Monique » 

この記事は、二回続く『「わたしの母」がアートになるとき』の第1回である。
第1回 ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品)

 

じつに幅広い主題が「アート」になりうる今日この頃、「母がアートになってたまるか!」と文句を言う人はもう誰もいない。そもそも現代アートはアーティストのありとあらゆる私事で占拠されている。愛する恋人とのラヴ•ストーリー、赤裸々な独白、個人の政治主張やスローガンのアート化、芸術的手法で綴る自伝。その様々な私事の中に家族を扱ったアートがある。家族は言うまでもなく自分という存在の最も近くにいる人たちであり、「私」について考え取り組むアートがそれを主題にすることは自然な成り行きなのであろう。自分と家族のストーリー、あるいは子どものこと、祖父母のこと、両親と自分の関係のこと、そして、父のことと母のこと。世界にたった一人であり、その人でしかない「わたしの母」がアートになる事態について考えてみることは、現代アートにおける私物語の実態を理解するためにも重要である。

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

当ブログでもしばしば参照されているパリ生まれのフランス人アーティスト(1953年生れ)ソフィ•カルもまた、母をアートにした作品を発表したことのあるアーティストの一人である。現在ソフィ•カルは東京品川区の原美術館で「ソフィ•カルー最後のとき、最初のとき」という展覧会(盲目の人が最後に見たイメージを質問し、その証言に基づいてソフィ•カル自身が写真やテクストでその時の物語を再構成した「最後に見たものの」とイスタンブールに住みながら海を見たことのない内陸の人が初めて海を眺めこちらを振り返った表情を捉えた写真という独立した二つの部分で成る)を行っており、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれない。(本作品については、パリのギャラリーEmanuel Perrotinにおいて展覧会が行われた際、本ブログでもレビューを書いた。記事は日本語とフランス語で掲載されている。(Sophie Calle / ソフィカル:見えることと見えないことをめぐる3つの対話 1986~2011年, Sophie Calle : À Propos Du «Capable De Voir» Et De L’«Incapable De Voir») 本記事で取り上げるのは別の作品、2012年7月、アヴィニョンのアートフェスティヴァルにおいてセレスタン教会で行ったパフォーマンス•インスタレーション作品『ラッシェル、モニック』(Rachel, Monique, Eglise des Célestins, Avgnon, 2012)である。彼女の母は2006年に亡くなった。亡き母の残したたくさんの日記帳の中から選ばれた16冊の日記を娘であるカルがヴィジターを前にして朗読する。(当インスタレーションは2010年10-11月にパリのパレ•ド•トーキョーで先行して行われた。)

16冊の日記帳は1981ー2000年の20年間にわたって彼女の母親自身によって付けられたものである。それぞれのテクストは多くの人の日記がそうであるように、短く断片的で、親密であり、熟考して書かれたものではない。インスタレーションのタイトル『ラッシェル、モニック』は彼女の名だが、彼女は3つの名前の他にも、Calle, Sindler, …複数の名前を持っていた。ラッシェル、モニックの他にもたくさんの名前で彼女は存在し、全てが彼女の名である一方、あたかもある日は異なる人物としてその日を生き、また別の日は別の人物であるかのように、生きた記録を日記帳に綴っていた。その複雑な人格は娘のソフィ•カルにとっても必ずしも理解可能なものではなかったと思われる。彼女の母親は、日記の中だけでなく現実に恋多く忙しい人生を送っていたようだ。教会には日記の朗読をするアーティストの他に、ヴィデオや写真が展示され、あるいは遺品であるオブジェや彼女の残したテクストも公開された。教会の床には墓石をイメージした大きなフォルマの長方形のプリントが一列に並べられた。実は、このインスタレーション自体がヴィジターである赤の他人を巻き込む大掛かりな葬送プロジェクトなのである。

Eglise des Cléstins

Eglise des Cléstins

なぜ「わたしの母」の葬送の事をアヴィニョンのフェスティヴァルを訪れるたくさんの観客とシェアする必要があるのだろうか。そして、2006年に亡くなった母の葬送の事を2010年にパリで行い、なぜもう一度(あるいは今後も)繰り返さなければならないのだろうか。その答えは実はとてもシンプルである。そのことをアーティストのソフィ•カルが自分のために必要としており、同時に、鑑賞者がその儀式を覗き見る喜びはそれをアートとして成立させるために十分なのである。(ちなみに、彼女の母の本当の墓は、パリのモンパルナス墓地にあり、その墓碑銘には »Je m’ennuie déjà./もう退屈。 »と綴られている。なんてこった。)

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

いったい、死者の日記を読むという機会があるものだろうか。その本来ならば決して知られることのない他愛の無い日常の情動を事細かに生き生きと耳にする機会があるだろうか。ないことはない。我々は普段から、著名人の書簡や歴史の重要資料としての手記や手紙を本の中で、美術館で、図書館の書庫で、あるいはドキュメンタリー番組で、常日頃盗み見、盗み聞きしているではないか。なるほど、たしかに我々は日々プライバシーとか○○権と目くじらをたてながら、著名な人々の私生活にはさほど配慮しなくても良いらしいことを常識として共有している。ラッシェル、モニックと呼ばれたソフィ•カルの母の日記が朗読されること、そしてしばしばロマンチックなその内容に羞恥心を覚えたり、あまりに直接的感情の吐露に対してばつの悪いと感じるのは、ソフィ•カルの母が我々と同じ「ふつうの」女であり、今日ではインターネット上に直接公開されるブログというスタイルを知っている我々でさえ、紙媒体にこつこつ綴られた匿名の個人の「日記」は、まさか持ち主が亡くなったからといって大勢の前で突如は暴露されるまいという私たちの無邪気で可愛らしい信仰をソフィ•カルがざっくり裏切るからである。

日記帳に綴る日記は、通常こっそりと綴られ、公開も出版も目的としない。したがって、それがたとえ娘の口を通じてであれ亡き本人の意志を介さず暴露されている現場に遭遇すると否応無しに覗き見の心情が掻き立てられる。聴いてはならないものを聴く居心地の悪いエクスタシー。ソフィ•カルが母の日記を暴露することで目指しているのは、彼女の未だ分からない母親のその空白を探しに行くという途方もない作業であり、その不安を掻き立てるエクスタシーの代償に、彼女が一人で持ちきれない作業を人々に共有させることなのである。母をアートにするというのは、自己の外側にあるラインを明確化する行為なのだが、その試みは本質的に失敗するよう運命づけられており、終わりのないループ映像に似た反復サイクルがそこにある。母は子どものときから最も近く、我々は彼女を通じて世界に現れたにもかかわらず、今や絶対的な他者となり、身体のどの部分も繋がってはいない。親が子どもに自分の欲望を投影したり、彼らを通じて自己実現しようとする親の心理的な働きはよく知られているが、子どもから親に向かうベクトルではどうか。子どもは親を作り直すことは出来ないので、親の参照に基づいて終わりなき自己の彫像が繰り返す。ソフィ•カルのたった一人の必要はこの果てしないサイクルの中にあり、「彼女の母」はこの大きな枠組みに行き着いて初めて、全ての人にとっての普遍的な「母」になる。一人の女の日記は、こうして読まれ続けるのであり、それは女の望みには関係のない、綴られた何かなのである。
(イメージ参考:Festival d’Avignon Archive)
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品) は次回書きます。

05/5/13

Mannequin Corp de la Mode / マヌカン、ファッションの身体展 @Les Docks

「Mannequin Corp de la Mode (マヌカン、ファッションの身体)」展を訪れた。人間の身体のかたちに関わること、マネキン人形のこと、オブジェとしての肉体のこと。それらのトピックは言い尽くされてきたようで、しかし、決して言い尽くせないことのようでもある。展覧会は、現在は改装閉鎖中のパリ•ガリエラ美術館の別館として2008年にオープンしたレ•ドック(Les Docks, cités de la mode et du désign) で2月16日から5月19日まで開催されている。

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site : Mannequin Corp de la Mode

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展覧会の冒頭には、三つのマネキンの頭部(左より、1860年頃の紙製の頭部、1880年代、20世紀初頭)と二体のトルソ(左より、1890年頃、20世紀初頭)。いくらクチュール用のトルソといっても今日の我々の目から見るとあまりに不自然な形をしている。京都服飾文化財団の研究成果によると、女性身体のかたちが18世紀から現代を生きる我々のものにいたるまでに大きな変化があったことが明らかになっている。下の図をご覧頂きたい。現代以外の5体のトルソは京都服飾文化財団のもの、現代人のものは日本のマネキン老舗の七彩マネキンのトルソである。この中で最もショッキングなのはおそらく、1900年頃のトルソのフォルムではないだろうか。いわゆるコルセットで締め上げられ、胸はデコルテから美しく露出するために最大限に持ち上げられ、腰回りはクリノリンで覆われていた時代の身体のかたち。強烈な鳩胸に無理矢理くびれたウエストと両サイドに張った腰。いったい、前時代およびその次のトルソと比べてこんなにも身体のかたちが変わり得るだろうか?そのすぐ後には良く知られているように、ファム•オブジェとして物理的に締め付けられた女性身体の解放が行われたので、あたかもストレスから解放された身体であるというように表象されている。(参考:『身体の夢—ファッションor見えないコルセット』)

18th C., early 19th C., mid 19th C.

18th C., early 19th C., mid 19th C.

 

c.1900, 1920's, the present day

c.1900, 1920’s, the present day

私はかつてこの分かりやすい説明をその分かりやすさ故に快く感じていたのだが、今は同じ理由故につまらないとも感じている。そもそも、これは身体のかたちの変化ではなく、衣服を鋳型としてそのなかにシリコンとかコンクリートを流し込んだならば、こんな風になりますよ、というモデルに過ぎず、つまりは洋服の内側の形の移り変わりを表したモデルである。「洋服の内側=身体」でないのは自明だ。現代人の我々だって、ヒップアップ•バストアップ下着とか、お腹を締め付ける腹巻きとかふくらはぎやももをカバーするストッキングとかあるはずで、それらのなかに包まれている時と、全て脱いだ裸の身体では同じ形ではあり得ない。そもそも、1900年代の印象派の画家たちが描いた奇妙な形をしたドレスを着こなす貴族女性たちはたしかに苦労して服を着ていたに違いない。しかしながら、現代を生きる我々がその時代の着衣に比べてそれほどクールにで服を着るという営為をやりこなしているとは到底思えない。上述したように、我々現代人は頭部からつま先に至るまで、物理的にも抽象的にもそれは細かく造形されているではないか。さらに騙されるべきでないのは、このデータを見るとあたかもその変化は(時間のスパンは違うものの)人類が進化の中で骨格やプロポーションが変化してきたことと関係があるように思われるかもしれないが、こんなものはごく限られた階層のごく限られた地域のごく限られた人口の歴史に過ぎないのである。

GUY Bourdin, Charles Jourdan été 1978

GUY Bourdin, Charles Jourdan été 1978

さて、話を「Mannequin Corp de la Mode (マヌカン、ファッションの身体)」展に戻そう。GUY Bourdin(1928−1991)はパリ生まれの写真家である。1948-1949年にダカールおよびセネガルで兵役に服し、空軍在籍時に写真を学んだ。軍を退役した後、マンレイに出会い、展覧会も行うようになる。その後1955年にはファッション写真に取り組み、ヴォーグに掲載される。Bourdinの写真はたしかにハリウッド女優やオートクチュールブランドを美しく撮影するような洗練された写真でありながら、時とすると撮影された女は人間ではなく人形だとかマネキン、あるいは生命のないからだであるかのような奇妙な印象を与えるものがある。

Helmut Newton, 1981

Helmut Newton, 1981

ドイツ生れの世界的写真家ヘルムート•ニュートン(1920−2004)のSie Kommen, Naked and Dressed(1981)はVogue Parisに掲載された有名な作品である。4人のモデルたちがさっそうに歩く様子。左はコスチュームで、右は裸で。完全に再構成され、全く同じポーズをとる2枚の写真は我々にもしも透視能力たるものが備わっているならば、この2枚の写真が重ね合わされ、それらが交互に点滅するように知覚されるのかもしれない。そんな覗きのフェティシズムがこの作品にはうかがえる。しかし、ニュートンが実際にこの2枚の写真を撮影するプロセスとそれを演じる4人のモデルたちの努力を考えると、この作品はたちまち相当滑稽な物語として書き換えられ、あるいはひょっとしたら覗きのフェティシズムなどというロマンティックなものではなくて(実はその反対方向に世界が在る、つまりは)裸の王様なのではないか?この作品は、そのように考えたほうがずっと内省的である。

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1954年のある靴のプレゼンテーションにおける写真(上)。素敵な靴を見るために、モデルの身体は必要ない。モデルの身体がどのようであるかに左右される必要はないし、どのような色の服を纏うかについても想像の自由が見るものの側に残されている。ここまでやるならば顔も隠して足タレ(足タレント)にすればよいのにとも思うが、さすがにライブのプレゼンテーションにおいて足だけではあまりに無生命的な印象を与えるのだろう。
それから60年が経過した今、我々は同じ手法で洋服を売っている(下)。e-commerceのサイトではたいていモデルの頭部がない。衣服を紹介するのは、とりわけ際立った印象を与えないほっそりした「普通の」身体。このいかにも無味無臭の身体はサイトを個人個人がそこに自分の身体や顔をあてはめる際に出来るだけ差し障りのないように(つまり、購買意欲を阻害せず、ひっかかりを与えないために)準備されている。

mannequins de taille normale chez H&M

mannequins de taille normale chez H&M

そういえば、ついこの間意外なほど世間を騒がせた「普通サイズのマネキン」(H&Mの店頭に並んだ)というのがある。通常マネキンは身長は平均より大きく、身体は平均よりも痩せて作られ、どのサイズの服でも着られるようにある意味でオールマイティに作られているのだが、この普通サイズのマネキンは、40とか42(比較的ふくよかなサイズ)、あるいは38(いわゆる平均的な体型)を再現したものである。このマネキンの登場は一時インターネットやメディアを賑わし、倫理や健康概念、広い分野に渡る議論を巻き起こしたのだが、インターネットやシュミレーションで洋服を購入することもあり、身体が必ずしも物質性を伴わないとすら言えるような今日、このマネキンがスキャンダラスになる現象自体が不審に感じられる。あるいはまた、そのようであるからこそ、リアルに目の前に提示された生々しくリアルな形をした見慣れないマネキンに挙動不審になってしまうということだろうか。

マネキンも生身のモデルも本当は普通サイズではなかったのですよ、ということに敢えて気がつくことが新鮮である現実もまた滑稽である。あるいは、気がつく必要があるとすれば、それはいったい誰の、何のために?

 

04/7/13

The Fragile, Louise Bourgeois / ルイーズ•ブルジョワ 『The Fragile』

The Fragile, Louise Bourgeois / ルイーズ•ブルジョワ 『The Fragile』

MoMA
Inside / Out, The making of Louise Bourgeois’s The Fragile

installation

初めて訪れたニューヨーク近代美術館(MoMA)で、未だかつて見たことのないとても素敵な絵を見つけた。2010年に98歳で亡くなったパリ生まれのアメリカアーティスト、ルイーズ•ブルジョワのThe Fragilesという一連のシリーズである。スペースの壁に展示されていたのは36枚のドローイング。青や水色で描かれた女性の身体。それらはある時は妊娠し、あるいはその胸を我々に向かって解放する。またある時は、かの有名な蜘蛛の姿になって紙の上を滑らかにうごめく。彼女の作品の幾つかを知っていれば、一目見て「ブルジョワの作品」と気づかないわけにはいかないほど、明確に一貫し、繰り返されるライン上に位置する作品であると言える。しかし、なぜだか、以前のこのような作品とは全く似つかない予感をこれらのドローイングは隠している。

ルイーズ•ブルジョワは、嫌われたり愛されたりするのに、ややハッキリしすぎる。しかしその方法は、上述した「一貫し、繰り返されるライン」によって固定化されるブルジョワ的世界観に囚われているだけなのだ。グロテスクなもの、不安をかき立てるもの、女性性の歪められた表象、男性性への恐れと憎しみ、生きることの痛みのある意味での物質化…。これらは確かに、分かりやすく理解可能な説明だが、その過剰に明解な定型文たちはぐるぐると同心円を描いて軌道を回り続け、そこには抜け穴も逸脱の可能性も、ない。わたしがこの素敵な絵を見て感じたことは、むしろ、それらの化石のような理解可能な説明とは無関係に、ブルジョワは世界に生きているということだった。「ラディカルに」しかしひたすら同じことを繰り返すアーティストは、これらを描いた95歳のその時も絶えず生きて、彼女の内部が変わり続けていたということに他ならなかった。このことをもう少し具体的に述べてみたい。

突然だが、何の悪意もなくわたしの個人的な印象を述べることが許されるのなら、ブルジョワが大嫌いな人は男性に多く、このことは事実である。なぜなのか? その理由はごく単純で、ブルジョワが作品制作を通じて、世の中の男という生き物を裸にして晒し者にし、それだけでは気がおさまらずに滅ぼしても滅ぼしてもなお、復活させ痛めつけ、滅ぼすことを飽くなく繰り返してきたからである。ルイーズ•ブルジョワは男性が嫌いだ。そのこと自体はいくら聞き飽きたからといって覆そうと思っても意味がない。彼女がボコボコに解体しようとする男性性というものが彼女の父親像に端を発していると言うこともまた揺るぎない事実だ。彼女の父は彼女の母と家庭教師であったもう一人の女性と肉体関係を持ち、この二人の女性と同居した。ルイーズもこの一つ屋根の下にいた。ルイーズもまた彼女の父によって性的に望まない被支配的状況に置かれたことも言われている。ルイーズの残した言葉の端々に、父による自己の破壊が読み取れる。

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Destruction of the Father (1974) という作品は、強烈な作品である。わざわざ読みほどくのも恥ずかしいほど明瞭だが、「父を破壊する」というタイトルについて、彼女は「父がわたしを破壊したので、今度はわたしが父を破壊する。それがいけないわけないじゃない。」と言い放つ。まことにカッコいいことである。破壊された父は、テーブルの上でルイーズに食物として食われたのでした。これではあまりに酷い説明であるため、もう少しだけ。Destruction of the Fatherは、ルイーズがすでに63歳の時の作品で、家族を苦しめた父をテーブルの上に引きずりあげて、あなたのせいで皆苦しみましたから、あなたは食べ物として食われてしまえ、という作品である。ヴィヴィッドな黄色の丸いスカルプチュアが薄暗く天井の低い部屋にたくさん並んでいる。その真ん中にはテーブルがあり、テーブルの上には既に人間の外見は留めていない、言うなれば臓物だとかエイリアンの断片として表象された父がいる。そのテーブルというのもインスタレーションに入ればすぐさま連想するように、ちょうどベッドのサイズなのだ。ベッドにぐちゃぐちゃに散らばった父。ルイーズにとってのベッドは、父と母の眠るところであり、父が浮気する場所であり、人が子孫を生み出すところであり、同時に人が死ぬ場所でさえある。この作品において、ルイーズ•ブルジョワはフロイトの女性性に関する理論(欠けた存在としての女性)を参照し、その理論に異義を唱えながらもそのことを不安に思うと言って、結局はそれを食べるのである。このことはフロイトをひとまず退け、彼女の父に対する距離を考えるならば、興味深く思える。破壊されるべき父を無惨にばらばらにしたのちに、彼女はそれを摂食することによって、自らの中に吸収•統合してしまうという行為。この一点において、Destruction of the Fatherは煮え切らず、気持ち悪いのであり、この一点においてのみ作られた意味があるとわたしには感じられる。

さて、それから彼女は長く生きた。2007年にそれらのThe Fragileシリーズを描くまでの33年の日々。まだ33年生きたことがないので、わたしはそれがどれくらい長いのか知らないが、どちらにしても同じ時間は流れないので、わたしには一生知り得ないことである。

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さて、The Fragileシリーズは、ルイーズ•ブルジョワの作品の中でずばぬけて平和的である。そこには攻撃性や暴力的なものがない。妊娠した女性の大きなお腹の青い色は丁寧で優しい。こどもを産む女性の膨らんだ胸から、赤子を育む母乳がほとばしるその様子なども、光が差し込むように明るい。赤などの色彩を帯びたときでさえ、そこにあるのは生命の温度である。あるいはまた、いまや世界中に点在する巨大な蜘蛛スカルプチュアの不気味を想起させる、中心に顔と放射線状に伸びた無数の腕をもつ生き物は、皆あっけらかんとしていて、かつてのようには苦しんでいない。それらは、フロイトによって「欠けた存在」と名付けられ、しばしば父なる存在に支配を受けながら子を産み続け、不運にも、世界の中に根を張ることのできるような普遍的に安定した場所を持たず、海の中をフワフワと漂う原始的な藻類の仲間のように、描き出される。それは、彼女がとても長い時間をかけて見いだしたひとつの生き物の形のことである。これらのドローイングが明らかにすることは、ルイーズ•ブルジョワが、恐れ続けていたものに対していっさいの恐れを失ったということであって、恐れがない彼女の作品は見る者に生き物の形を見せながら、それが酷くいびつなものであっても、いつかそれが怖くないのだということを語っているのが聴こえてくる。

04/1/13

救済 / salvation – photoablum

le 31 mars 2013
photos prises à Rungis, France

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生命は、世界のいたるところに拡がっていて、
それぞれの個体はその形をとどめる時間の長さが異なり、
人間によってとりわけ注目される様態などがあるけれど
どんな個体のどんな様態も
それぞれの瞬間で意味があり
全体の中で無意味である。

生命は、世界のいたるところに拡がっていて、
形を持っているものとそうでないものや形を手放すことがあり、
見えにくいような時も彼らは世界をいつでも去ったりはせず、
どんなふうに活動を停止しても
世界の中で救済されて
その外側に選択肢はない。

その拡がりは、絶望的な救済である。

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03/24/13

におうものに対して / facing odors

におうものに対して

 

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いつのことだったかはっきりと思い出せないが、英語の子ども向けの短いストーリーを読んだ。主人公の少女が母のお使いでカマンベールチーズをどこかに持っていかなければならないお話である。カマンベールチーズとはカマンベール地方の人にとっても世界の人にとっても臭いものの代名詞である。日本で言うと常温で密閉されてない香る納豆みたいなものだろうか。とにかくそれで少女は、その日せっかく好きな少年に会う約束を楽しみにしているのに、そんな臭いものを身につけていなければならないという事実に絶望するのである。とにかくもお約束はお約束ということで少年に会うのだが、少女はお母さんのお使いのカマンベールチーズの凄まじい匂いをその小さな身体にまとうことになるのである。行く先で、本当はしあわせなはずの少年との時間はミルクの発酵した匂いによって台無しにされてしまう。すれ違う人は顔をしかめ、正直な人は鼻をつまんで露骨に嫌な顔をし、少女は悲しみでついには泣き出してしまう。

 

このお話は子どものためのお話なので、救いようのない結末で物語が締めくくられていて、それはつまり、この少年は決して少女に対して「おまえ超くっせえ」「みんな見てんじゃん、カマンベール女!」みたいなことを言わず、それどころか、カマンベールチーズの匂いだろうと納豆の匂いだろうと、キミはキミじゃないか、といった馬鹿馬鹿しいことを言うのである。そして少女は、道行く人がみんな彼女を臭がっても、愛する少年に全肯定され、受け入れられることによって、自分へのネガティブな心の働きからすっきりと救われるという、めでたしなお話なのである。

 

現実世界はもうちょっと厳しかろう。

臭うものに対して私たちは非常にプリミティブである。
つまり、視覚や聴覚あるいは触覚や味覚のような他の感覚と比較した時、我々は、環境における匂いを意図して取捨選択するシステム(人工的な手段を使ってすら)を持っていない。
見たくないものは見なければよく、うるさい人がいたら耳栓をすればよい。
触りたくない人には近寄らなければいいし、嫌いなもんは食わなければよろしい。
しかし、「におうもの」に対してはどうかというと、臭いはもちろん粒子であるので、粒から遠ざかればそれはそれは感じにくくなる。が、基本的には鼻栓というのもあまり一般化されていないし、我々は使い慣れておらず、何かが強烈な臭いを発した時、それはしばしば、受容者がそれを選択しないための努力の有無をまったく問うこと無しに、臭いを発している原因と同定される対象が一方的に攻撃の的となる。
これはなかなか面白いことで、なぜならば、嗅覚以外の他の感覚についても結局は刺激をキャッチするかどうかだけの違いなのだが、たしかに味覚は口に入れさえしなければよく、触覚は触りさえしなければ何事も起こらず、視覚は人間の視野が限られているお陰で見ずに済ますことができそうである。しばしば聴覚と嗅覚に関して、我々は環境的な制御を要求するような、つまりは自分自身でコントロールする術を持たないのですみませんがどうにかしてくださいと告白するような事態に陥る。

 

におうものに対して、我々は何ができるのか。それとも何もできないのか。
臭わなくするための努力がある。その一方で、臭う時、別のもっと強烈な臭いでごまかすための努力がある。
個人的な話しになるがわたしは殆どずっと同じ香水を使い続けているのだが、毎日使っているわけではない。何ヶ月も使わないときもあるし、一日に10回くらいスプレーしたこともある。それがオブセッションになるような時は、コートも車の中も、コップの中も(身体に悪い!)同じ臭いがする。おそらくこのような時、わたしは別に自分の体臭を感じたり必ずしもそれをカムフラージュしようとしているのではなくて、しかし、明らかに自分の回りにあるニオイよりも強烈な香りをまとうことによって外側の環境から自分を保護しようとしていたのではないかと思う。日本女子が真夏の太陽を避けるために、日傘や手袋をしたり、つばの大きい帽子を被って隙間無く日焼け止めクリームと日焼け止めリップクリームを塗るようなことと基本的には同じである。
一日に何回もスプレーしたようなときは、回りの人にとっては鼻栓に並んで効果的な環境制御が望まれるほどわたしは臭っていたに違いない。あるとき、一人の男性が「くさい」と発言した。しかし、残念ながら、その人の苦労に報いるほど、わたしは十分に傷つき反省するには至らなかった。なぜなら、それがわたしの体臭ではなく香水の臭いであることを誰もが知っているからである。

 

出来事はつい数日前起こった。クラスで生徒が喧嘩を始めた。体臭のきつい少年に対して、(ざっくりと要約するならば)、近寄ってほしくないのだがその明らかな態度を不愉快に思った少年がこれまたチャイルディッシュなパフォーマンスをしたために、少女がキレていた。少女は全力でキレていて、少年は不愉快に思っていて、わたしは誰かがキレているのをそのとき効果的に無視するための耳栓を不運なことに持ち合わせていなかったので、仲裁に入った。誰かがキレているのを、そのまま鼓膜と耳小骨に振動が伝わって、聴神経から脳に刺激が伝わり続けるイメージを想像するにつけ、わたしはそれが好きではないのである。わたしは常々思っていたいくつかのことを誰にむけるともなく話した。現実の物語は、幸せな少女のカマンベールチーズ事件とは全然違って、さらには体臭は、身体と分離可能なカマンベールチーズではないのであるから、体臭を「くさい」と言われたとしたら、十分に不愉快に感じる理由となるだろう。

 

わたしは、すべての生徒がわたしの授業に参加する権利があると言った。鼻栓を買いなさいとは言わなかった。
社会の中には、たくさんの人が嫌だけど我慢していることがあり、その一方でどちらかというとどうしようもないのにその対象を迫害するような態度がなんとなく支持されている現実もある。それを意図的にしているような場合はまだ正視することができるのだが、そうじゃない場合には、とても残念である。違うように見られるようなとき、わたしは少しうれしいと思うだろう。

03/18/13

食することとセックスをすること / eating and sex act

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バナナをほおばりながら、もくもくと歩いていって、道ですれ違う人の視線が自分がバナナを食べる人に対して向けるのと比べ物にならないほど穏やかであることに気がつきながら、それでもしゅんとして食べようかがつがつと食べようか悩みながら歩いていって、ほっとすることにちょうどゴミ箱のある交差点で食べ終わってその黄色いバナナの皮をぽいと捨てたところ、ゴミ袋の一番上に私の捨てたのじゃない、私の捨てたのよりも酸っぱそうなバナナの皮がぽいっと捨ててあって、そうか、道で積極的にバナナを食べてもよいのだということに気がつく。部屋の外に出るということは、それだけで解らないことにたくさん出会うということであり、それを避けてはとおれないのであって、湿度が高くて目の奥が痛い日などにはそういったことは身にこたえる。

家の中にいても恐ろしいことは起こる。わたしはほとんどテレビを見ない。テレビから得られる情報や提示される物事の見方なんかにケッと思っているという訳でもなくて、それはたしかにもっとずっとずっと若いときにテレビ番組でコメントする人たちの恥ずかしげのない感じを見るにつけさらに恥ずかしくなるということをおぞましく思ったのだが、いまテレビを見ないのはただ単にみるチャンスがないからだ。大量の豚の死体が川から流れてくる映像が、それも大量の豚は川で溺死したのでまっさらに白っぽくなってフワフワに大きくなって、しかし川の流れの中でその身体はところどころに傷ついて、その生きていない肉の大量の塊をその川の近くに住む人が恐れながら、しかし乱暴に機械などを使って掃除しているという映像が画面を通じて音もなく次々に映し出された。システマチックに行われる家畜の管理などは、もちろん海の生き物を養殖することや、そもそも農耕も人間を養うという目的のもとに繰り広げられている崇高な営みであるらしいけれども、それは現代の人々の生活において、スーパーで食べ物を買う際にいろいろなことに気をつけるという以上に決して遡らないことになっており、大量の豚が運悪く病気になってしまったので燃やすのも費用のかさむことですので捨てられて川で溺死していることもとりわけ仕方なかったりやむおえなかったりするだけで、また今日もおいしく豚の生姜焼きなどが食べられるのである。わたしは肉を殆ど食べないけれども肉を食べて育ったし、魚は今でも食べることはあるし、植物は食べるし、いちいち何が混ざっておるか厳密に詳細に確認したりしないし、したがって自分を蚊帳の外に置いているのではぜんぜんない。それに、動物がかわいそうだから肉を食わないのでも何でもなく、それどころかどうしても摂取できないものなどはサーブされても放置しまくって日々を過ごしているので、もしそんなものが存在するならばだが「罪深さ」を競えば負ける気がしない。

ときどき、物を食するというサイクルから完全に逸脱することができたら、楽しいのではないかと思う。物を食するというのはサイクルである。だから、もちろんぐるぐる回る仕組みからぽーんと離れることができたら、それは楽しいに決まっているのである。たとえばお釈迦様も食物をどんどんシンプルにしていって、お水だけを飲んで、そのうちお水も飲まないでしばらくしばらくすると、それまでとは次元の違うことになったのである。人間のすることは中途半端なので、世の中にはずーっと続けるわけではない絶食なども存在する。宗教的な絶食も、健康のための絶食も、積極的な目的で行われる絶食のたぐいは、おそらく、そうやってサイクルから外れることによって、つまり今までただひたすら繰り返してきたことから決別するようなことなのだとおもう。つまりはそこで、決別したといっても完全に決別できないのは残念なことであり、身体を伴っているわれわれはこれがどんなに魅力的でも、とても意味のある形でこれと決別することがなかなかできない。一般に、身体を持ち続けるために食するサイクルを巡り続けることは必要不可欠であり、身体を持ち続けることが生きることのポジティブな意味と考えられているのは事実であり、大きな流れにしたがうことはある意味で楽であろうとおもう。

肉体が肉体としてやむおえず感じられるケースでふたつの強烈なものの例は、やはり、食べるサイクルに関わることが一つと、もう一つはセックスに関わることである。食べるサイクルは、異物が自分の(と思っている)肉体を通過して、なんらかの影響を与えてでてゆき、また入ってくる過程であり、セックスは異物との境界(があるならば)が破壊され、それが具体的な結果を伴う可能性を持つような過程である。食べるサイクルを逸脱することにたいして、セックスをするという営みから完全に決別することは比較的不可能ではないように思われる。ただし、セックスはしなければ死ぬというものではないために、逸脱したからといって、そんなに画期的に楽しそうでもない。

ひとつ言えるのは、セックスをしないまま食のサイクルに属し続けることはあるが、
食のサイクルから自由になったものにはセックスも必要ないということである。このことは、ありそうもないことに聞こえるかもしれないが、それはけっこうポジティブなことであって、ちょっとしたお札のように、それを遠くに想像するだけで、いろいろなことがもう恐ろしくない。

02/25/13

梶村昌世 「物語は水の中へ」/ Masayo Kajimura, « folding stories into water »

梶村昌世さんは、 »二世 »としてベルリンに生まれ、ヴィデオアーティスト、パフォーマーとして国際的に活躍している現代アーティストである。彼女の両親がベルリンに移住し、梶村さんはドイツで生れ、そこで育ち、学んだ。展覧会やパフォーマンスなどの活動を除いて彼女が日本に住んで生活したのは、2005-2006年の岐阜県のIAMAS(Institute of Advanced Media Arts and Sceince/イアマス)で学んだ一年間である。彼女はこの一年間の日本での生活の間の制作を2006年にベルリンに帰国した後の5月にSolo Exhibition « One Year Japan » において、 »genjitsushinkiro »を含む3本の映画作品を発表している。(こちらでプログラムが確認いただけます。) そうした生い立ちから、日本はいつもその外側から見つめるべき存在であるという。しかし一方で、両親や家族を生み育て、彼らの文化や思想やそのほかのすべてを育んだ国としての日本は、自分自身もその内側に含める。梶村さんは、外部の者の視線で外側から日本を見つめると同時に、自分も内包されながら内側からも見つめることができる特殊なスタンドポイントをもってアーティストとして表現活動を行ってこられた。彼女のこの、自主選択に拠らない、産み落とされた瞬間付与されたとも言える運命的なアイデンティティへの問いは、彼女の表現のなかに様々な色彩を帯びて浮かび上がってくる。

 

2013年1月9日、ENSAD(Ecole Nationale Supérieure des Arts Décoratifs)とパリ第8大学(Université Paris 8) の合同カンファレンスのプログラム »Cycle du Japon »という一連の企画の中で、梶村昌世さんを招待し、ご自身の制作や作品について講演していただいた。このブログでも先日アナウンスさせていただいた。 »Cycle du Japon »という企画は、私が所属するUniversité Paris 8(パリ第8大学)の Nouveaux Médias et Arts Contemporains(ニューメディアと現代アート)の教授であるJean-Louis Boissierが担当する2012-13年度の公開カンファレンスで、日本のメディアアートの現在を扱う企画である。このプログラムは、2011年に構想が始まり、メディアアートを巡るフランスにおける日本へ高い関心と、同分野関係者に結びつきが強い日本で2011年3月11日に起きた惨事、それに対してアート領域からどのようなアプローチが可能であるかを考えたいという意志により実現に至った。(私自身この企画と運営には構想時から関わらせていただき、思うこともあり(そのことにかんして)、日本でご活躍される多くの研究者の方々、アーティストの方々にも情報を頂いたりお越し頂くことを検討していただく等、ご協力を頂いた。そのご協力のお陰で当企画の実現に至ったことを心より感謝したい。)

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さて、1月の講演において、梶村さんは、これまでの制作活動を私たちに紹介すると同時に、彼女のもっとも重要なテーマとしての「 水」を、3.11および続くカタストロフィーを引き起こした異型の水としての津波にも結びつけながらより大きなコンテクストのなかへその問題を開いた。勿論これまでも、フランスメディア上で社会的あるいは政治的コンテクストで議論や報道がなされることは多々あった。しかし、日本のナショナルボーダーから飛び出して、この問題の深い部分を捉えながらそれでもなお積極的にコミットする意志を有するアーティストの活動はこれまでたくさんあったわけではない。それ勇気のいることだし、だからこそ、意味のあることだと私は思う。彼女の講演はとても印象的で素晴らしい内容を含んでいた。

 

この記事では、彼女が2010年から取り組んでいるAqua Ephemeraという作品について主に紹介させていただくこととし、このカンファレンスの全貌は、Observatoire des Nouveaux Médiasのサイト(こちら)にある当日の録画ビデオにてご覧頂きたい。英語での講演であるが、梶村さんのご快諾のおかげで、ビデオインスタレーション作品などの貴重なドキュメンタリー映像などもご覧になることが出来るので、ぜひぜひご覧頂ければと思う。

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さて、Aqua Ephemeraは水面下の音とそのイメージを、紙で作られた傘型の立体スクリーンに投影する、音響と映像のビデオインスタレーション作品である。作品は約10分、作曲家である宮内康乃さんとのコラボレーションで実現した。展示室の中はプロジェクションの光と水が作り出す音響で満たされていて、鑑賞者は自由に出入りでき、つまり作品を部分的に鑑賞することもでき、さらには傘のフォルムをしたスクリーンの回りを歩いて映し出された映像を好きなアングルから見ることができる。鑑賞する人に与えられた何にも縛られない動きは、あたかも作品を受け取る人々自身が、留まらず常に流れ続けている水とそれが含む命のありかたを再現しているかのようである。

 

2010年、ポルトガルのNodar Artist Residencyでの滞在中この作品は生まれた。アーティストレジデンスの近くを流れるPaiva川(Paiva River)の水の姿。川の水は澄んで極めて美しく、その水が育む生命の姿もまた視覚的にも聴覚的にも美的なものである。湖底に根を張る水草の姿や健康そうな小魚の群れ。あまりに透明な流れは、湖底から空を見上げたならば鳥たちが羽ばたいてゆくのをかくもありのままに映し出し、あるいは木々の高い位置で枝や葉が風に揺られているのが、流れ自身のゆらぎに強調される様を描き出す。連続しながらも変化する多様な水面下の音は、世界はとても音楽的に創造されていたということを改めて私たちに聞かせるかのようである。この作品は、Paiva川のみならず、氷が溶けたり、水滴が池に滴る音や映像、あるいは我々の身体が発する様々な音もまたそこに含んでいる。強かで透き通り、歌いながらきらめく水。我々はこれに魅了される。

 

しかし、次の瞬間、彼女が語るAqua Ephemeraをめぐる想い出に衝撃を受けずにはいられない。ポルトガル滞在中、この作品の公開が始まろうするちょうどその頃、奇しくも水の「美」に焦点を当てた作品を完成させて発表に至ったそのとき、日本での水を巡る甚大な被害が報告された。大地震、それに続く福島の原子炉での一連の事故を引き起した水の「暴力性」、すべてを押し流した津波。彼女のなかで、水は言うまでもなく様々な姿をもっていて、暴力的でも危険でもあり得ること、そして自然も生命も水の上に成り立っていること、そういったことは理性的にあるいは前提として当たり前でありながらも、この事件には深く心を動かされたと彼女は伝えた。

 

数千キロメートル離れた場所で、ある国の水が全てを押し流し、人間の生活に甚大な被害を与え、人間やその他の動物のたくさんの命を押し流した一方で、また別の場所では、川は昨日と一昨日と同じように流れ、魚たちは戯れて、子どもたちはその浅瀬で水面がキラキラするのを喜ぶ。これは世界の日常である。

 

ふと、水が奏でる音とは不思議なものだと思い直す。水の音は、自らが水に包まれている時にはなかなか水の音を冷静に聴けない。というのも、個人的な経験に基づくが、自分が水の中に潜っている時というのは鼓膜にやってくる圧力のせいか、自分の身体のなかの音を聞いているような錯覚に陥るのである。あるいはその状況こそが水の音を聴く行為であるのか私には解らないのだが、耳のなかの音や、もっと深いところの、心臓の鼓動とか血液が巡る音などが自分の鼓膜に帰ってきて、それを自分の聴神経で受け止めているのではないか、と感じるのだ。だから、私自身は、水の音を自分が水の中で耳にしたことがあまりないように感じてならないのだが、Aqua Ephemeraを聴くと、異なる状況の水の音は自分を圧迫することも怖がらせることもなく、とても心地よく広がっていく感じがする。したがって、Aqua Ephemeraで奏でる水の音とイメージは、そんな兼ねてからの疑問「水の中で聴いたあの音は、自分の身体の中から来るのか、それとも本当に身体の外側にある水の音なのか」という問いは、どちらともつかなくてもよく、むしろどちらでもないということを教えてくれ、私を安心させてくれた。そもそも、水は流れてとどまらず、どこにでもありどこにでもゆく。私たちの身体も七割くらいが水で満たされており、それは、私たちの記憶をそのなかに含めて、流れていく。彼女によれば、それが水の本質である。彼女は自分のもっとも大切なテーマである「水」をそのように明瞭に語るときの彼女の視線はとても素敵だ。

 

ひとたび流れる水に乱れが訪れた後、静寂が戻ってくる。そしてそれは少しずつとても優しく浮かび上がってくる。おそらくポルトガル語で歌い上げられる教会の賛美歌とオルガンの伴奏の響き。この場面の転換は秀逸だ。さらに秀逸なのは、ずっと遠くから聞こえてきた音楽が、また少しずつ先ほどの水面下の音と混ざあうのだが、それは異なるものが混ざっているのではなくて、それはもともと一つであったのではないかと思えるほど自然なのである。私は西洋の宗教音楽ととりわけオルガンという楽器に特別な思い入れがあり、教会で奏でられる宗教音楽には信仰や教義をそっちのけにしてもなお絶対的な赦しの存在を彷彿とさせる何かが潜んでいると感じている。つまり無条件に神様に救われるようなアガペーの象徴みたいなモノなのであり、オルガンという楽器は不完全な人間が神様の絶対性と威厳を無理に真似ようとした努力の結晶みたいないびつな名楽器なのである。子どもたちの歌声とオルガンのハーモニーは、水の音をその中に含めることでより完全なポリフォニーとなり、そうしているうちに、その解釈は実は間違いで、つまり、賛美歌に水の音が混ざったのではなく、それらが水の中から生まれてそこに戻ったということを描き出すようにこの作品は作られている。傘型のスクリーンは流れを移し続け、子どもたちの響きはその中に少しずつ吸収されていく。決して怖がらせることのないように、あたたかく包み込むよう。真っ白な傘がその中にすべてを吸収してしまったところで静寂にもどって、この作品は幕を下ろす。最後にかすかに耳にのこるのは水の呼吸であり、水の呼吸とはすなわち生命の全ての呼吸を意味する。

 

この作品は上述したように、Paiva川の水面下の音や映像をベースに制作されているが、断片的に多くのイメージや音楽がその中に溶けている。 »folding stories into the water », 彼女が本カンファレンスにつけてくれたタイトルである。
水はきっと、いつかは亡びてしまう私たちのかわりに私たちの記憶を持ち去るのだ。そんなふうに思った。

 

クリアーな作品コンセプト、会ってすぐにそれが解った。私が強い印象を受けた別の作品に、Envelopeという彼女の初期ビデオ作品(2002)がある。「ときどき、私たちが記憶と呼ぶものと想像と呼ぶものははっきりと区別できない。」«But sometimes what we call ‘memory’ and what we call ‘imagination’ are not so easely distinguished.»
このビデオ作品はカナダのLil’watという原住民族のドキュメンタリーを含んでおり、彼らが伝統的にどのように鮭を大切に食し、彼らとの共存の中で生きてきたか、彼らの記憶を伝える口頭伝承(storytelling)を記録した作品。鮭の血抜きや幾つかのシーンがあまりにも鮮やかに美しくたちまち魅了される。この作品は、彼女の生い立ちにも触れる問題意識を含んでいる。つまり、より強い支配者によってマイノリティーとなった原住民族たちは彼ら祖先の教えを口頭伝承で伝えることによって命の記憶としての物語を守り続けていくのだが、「移民」としてドイツに生きることは、ディアスポラの経験を体現し、他者性を生きることでもある。彼女はそのことを、多重的に異なる空間、時間のイメージを重ね合わせ、それらをしかしながらリアリティとして関連させることによって自らのアイデンティティに向き合っている。

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最近では、2012年から、ダンサーで演出家である 伊達麻衣子さんとのコラボレーション作品で、Between Islandsを制作、発表されている。上述のサイトodnmでその一部をご覧頂ける。さらに、梶村さんは3月日本に滞在予定で、パフォーマンスをされるとのことである。

詳しくは、サラヴァ東京のサイトでご確認いただきたい。
(パフォーマンス日程詳細)
2013年3月20日 15時および19時開演

参考
Masayo Kajimura : http://artnews.org/artist.php?i=4227
Paivascapes #1 : http://www.paivascapes.org/en/participantes/artistas-residentes/yasuno-miyauchi-masayo-kajimura
Observatoire des Nouveaux Médias : http://www.arpla.fr/odnm/?page_id=13040

02/24/13

2011年3月11日と2013年2月の間のこと —remerciement pour les concerts

2011年3月11日から、もう少しで2年経とうとしている。あの日、私はいつも通り仕事に行っていて、夜遅く帰ってきて立て続けにフランス人の友人からの連絡を受けたことや、大家さんにニュースを見るように言われて初めて自分をメディアに接続した。日本の人々は地震の対応を知ってるからだいじょうぶだと、そう答えた。落ち着くようにと。フランスのニュースを見ると、しばしば海外のメディアがそうであるように、誇張した報道があったり、関連するがそのものではない画像を使ってリアル画像がやってくるまでの隙間を埋めているのではないかと思うような、およそ日本の景色からはかけ離れた画像が映し出されていた。いま、その時目にしたものをはっきりと思い出せない。泥色の水の塊が街をうごめく景色が広域にひたすら広がっている映像だったようにも思うが、そうではなかったのかもしれない。私がその地震(とそれが招いた津波)が大事であったことを信じるに至ったのは、インターネットに繋ぎ、日本のメディアが日本語で確かにそのことを伝えており、同じ情報がどのニュースにも一様に報じられていることを確認したその時である。それからSNS上での人々のやりとりが目に入り、9000キロメートル離れた日本のことをやっと確かに感じたのだった。遠くにいるのとはそういうことで、普段いくら、本能とか直観とか、感覚的なことを言ったところで、所詮そんなものは常に100%働くわけでもなくて、いまにここでフワフワと生活して一刻の重さなど微塵も感じていないその隙にも、たくさんの人が死んだり、大切な人がいなくなったり、私たちがそんなにも大切なことを感じることが出来ないのは、泣きじゃくっても恨んでもどうしようもないことなのだ。

 

その日を含め、その後日本で過ごさなかった数ヶ月間(あるいは今日まで)、祖国や連帯といった問題について毎日のように考えていた。心配をして声をかけてくる日本人ではない人、報道される「日本人性」について質問してくる日本人ではない人、汚染について意見を求めてくる日本人ではない人。日本人ではない人が発する所謂「日本人的」でない発想に基づく幾つかのセリフは、深く私を驚かせ、傷つけ、その結果、私はそれまで感じたことのない孤独感に苛まれた。なぜか。それは、私にとって、日本人ではない人が発する幾つかの発言が驚き以外のなにものでもなく、私は彼らではない、と率直に感じたのが一つの理由であり、もうひとつには、そうかといって、あの日とあの日の後に流れた時間を、時差が7、8時間あり、日々完全にズレたまま生活をする私には、肌で感じるような感覚としての大事なことがなにひとつ、わからないのではないかと、取り返しのつかないことをしたような気分につきまとわれたからだ。自分がどこにもいないのではないかと思った。今だけではなく、この先も。その一方で、メディアを通じて報道される日本政府の被災者への対応の問題点や国内メディアがその真偽を疑われるような報道を行ったという事実、さらには非常時に高まった連帯への声と愛国心を歌った数々の美しい声明とその裏返しとして様々な事情から日本を去った人たちに対して暴力的な非難の言葉が飛び交ったこと、解決困難な問題を外側から指摘する海外メディアや外国人に向かって容赦ない排他的言論が交わされたこと。これらのこともまた、私を孤独にした。

 

多くの人が災害で死ぬということが、人間の歴史のなかで初めて起こったことではなかったように、それはまた別の形で明日私が生きるこの場所に姿を現すかもしれない。ただし、常に明らかであったことは、今生きている人たちは、生きており、その生の一つ一つは非常に微少で、世界のあり方を何一つ変化させないものであるけれども、身体というフィジカルな入れ物を持った私たちはそれを様々に利用して、自分の外側に出て行くことが出来る。入れ物は閉じているのに、外側に繋がることができるのである。他の人のために何かをしようとすること、それは本質的に、自分が何かすることと繋がっている。

 

これまでフランスで行った2回のチャリティーコンサートは、そのような少しカオティックな自分への問いかけを続けながら、もしかしたらこのような問いかけを一部分的にも共有する人たちを結びつけて、繋がろうとする意志の実現でもあったように今は思う。その意志を数的に換算できる形にすることは、意志みたいな形のないものが9000キロ離れた場所に届くための手段の一つでもある。もっと意味の深い結果を得るために大きなことをすることは可能だと思うし、そのようにしている人もいる。むしろそうでないと意味がないと考える方もいらっしゃるだろう。それはそれで素晴らしいことだと思う。ただし、私はこの2回の演奏会において、共に実現した友人たちに何度も救われ、および参加してくださった方々に深く感謝しているし、演奏を聴きに駆けつけてくださったフランスに住む様々な国から来た人々にも心を寄せており、実現において広報やあらゆる物理的協力に尽力してくれた国際ロータリー財団のムードンクラブの会員の数名の努力は無償であったと感じている。

 

昨年12月15日に2度目の演奏会が開催されてから、参加してくださった音楽家の方々の演奏、協力してくださった方々の無償の支援に救われながら、なかなかきちんとお礼を申し上げることが出来なかったので、大変遅くなってしまったのですがここに少しだけ長く感謝の意を綴らせていただきます。これからも、どうか素敵な音楽を届けてくださることを心から祈ってやまない。

 

2013年2月24日 大久保美紀

(一度目の2011年4月29日のコンサートはこちらに記事として掲載されています。宣伝にご協力くださいましたブロガーの皆様、SNSユーザーの皆様にも感謝いたします。)